漢書 - 卷十九下 ‧ 百官公卿表第七下

掃描件參見起:高帝元年 ~ 止:孝平元始元年十二月

師古が言うには:「この表では公卿の姓名が完全でなく、あるいはただ官職を挙げて名前がない、あるいは何年かと記して遷免や死亡の記載がないものは、すべて史書の欠落した部分であり、知ることができない。」

紀年 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩 官秩
相国 左内史
丞相 太尉 御史大夫 列将軍 奉常 郎中令 衛尉 太僕 廷尉 典客 宗正 水衡都尉
大司徒 大行令 治粟内史 中尉執金吾 左馮翊
太師 大司馬 大司空 太常 光禄勲 中大夫令 大理 大鴻臚 大司農 少府 主爵都尉 右内史
太傅 右扶風 京兆尹
太保
高帝元年 沛相の蕭何が丞相となる 内史の周苛が御史大夫となり、滎陽を三年守り、死す 滕令の夏侯嬰が太僕となる 職志の周昌が中尉となり、三年で遷る。〈師古曰:「志音式巽反。」〉 内史の周苛が遷る
中尉の周昌が御史大夫となり、六年後、趙の丞相に転任
太尉の盧綰が後九月に燕王となる 郎中令の王恬啓 廷尉の義渠 広平侯の薛歐が典客となる。〈師古曰:「歐の音は一后反。」〉 軍正の陽咸延が少府となり、二十一年後に死去。中尉の丙猜。 殷の内史の杜恬
将軍の酈商が衛尉となる 汲侯の公上不害が太僕となる
博士の叔孫通が奉常となり、三年後、太子太傅に転任
丞相の何が相国に昇進
符璽御史の趙堯が御史大夫となり、十年後に免職 中地守の宣義が廷尉となる
十一 絳侯の周勃が太尉となる、後に官職は廃止される 衛尉の王氐 中尉の戚鰓。〈師古曰:「鰓は音先才反」。〉
十二 太子太傅の叔孫通が再び奉常となる 廷尉の育
孝恵元年 営陵侯の劉沢が衛尉となる
七月辛未、相国の何が薨去。七月癸巳、斉相の曹参が相国となる。
長脩侯の杜恬が廷尉となる
八月己丑、相国の参が薨去
十月己丑、安国侯の王陵が右丞相となり、曲逆侯の陳平が左丞相となる 絳侯の周勃が再び太尉となる、十年後、昇進する 士軍侯宣義が廷尉となる
奉常が免職される。〈師古曰:「名は免である。」〉 辟陽侯審食其が典客となり、一年で転任
高后元年 十一月甲子、右丞相陵が太傅となり、左丞相平が右丞相となり、典客審食其が左丞相となる 上党太守任敖が御史大夫となり、三年で免職
上邳侯劉郢客が宗正となり、七年で楚王となる
平陽侯曹窋が御史大夫となり、五年で免職
七月辛巳、左丞相審食其が太傅となる 奉常根 廷尉圍 典客劉揭
九月丙戌、再び丞相となり、後九月、免官 淮南丞相張蒼が御史大夫となり、四年、昇進
孝文元年 十月辛亥、右丞相平が左丞相となり、太尉周勃が右丞相となる。八月辛未、免官 十月辛亥、将軍灌嬰が太尉となり、二年、官省に昇進 太中大夫薄昭が車騎将軍となる。代中尉宋昌が衛将軍となる。 郎中令張武 河南守呉公が廷尉となる
十月、丞相平が薨去。十一月乙亥、絳侯勃が再び丞相となる。 奉常饒 衛尉足
十二月、丞相勃が免官;乙亥、太尉灌嬰が丞相となる 中郎将張釈之が廷尉となる 典客馮敬、四年、昇進
十二月乙巳、丞相嬰が薨去;正月甲午、御史大夫張蒼が丞相となる 御史大夫囲
典客馮敬が御史大夫となる 典客靚。(師古曰く:「『靚』は『靜』と同じ。」)
太僕嬰が薨去
廷尉冒;廷尉嘉
十一
十二 奉常昌閭
十三
十四 中尉周舍 内史董赤
十五 廷尉宜昌
十六 淮陽守申屠嘉が御史大夫となる、二年、遷る
後元年 廷尉信
八月戊戌,丞相蒼免;庚午,御史大夫申屠嘉為丞相。 八月庚午,開封侯陶青為御史大夫,七年,遷
奉常信
孝景元年 太中大夫周仁為郎中令,十三年老病免,食二千石祿。 廷尉敺。〈師古曰:「敺讀與驅同。」〉 平陸侯劉禮為宗正,二年為楚王。 中尉嘉。 中大夫鼂錯為左內史,一年遷。
六月丞相嘉薨。八月丁未,御史大夫陶青為丞相。 八月丁巳,左內史朝錯為御史大夫。 奉常の斿。
中尉の周亞夫が太尉となり、五年で転任し、官職は廃止された。 正月壬子、錯が罪により腰斬された。 元詹事の竇嬰が大将軍となった。 元呉相の袁盎が奉常となった。殷。 廷尉の勝。 德侯の劉通が宗正となり、三年で薨去した。 河間大傅の衞綰が中尉となり、四年で賜告を受け、後に太子太傅となった。
御史大夫の介。 南皮侯の竇彭祖が奉常となった。
安丘侯の張歐が奉常となった。 姚丘侯の劉舍が太僕となった。〈師古曰:「侯表及び諸伝は皆桃侯と云うが、独り此れは姚丘と為す、誤りを疑う。」〉
六月乙巳、丞相の青が免職された。太尉の周亞夫が丞相となった。 太僕の劉舍が御史大夫となり、三年で転任した。 酇侯の蕭勝が奉常となった。 済南太守の郅都が中尉となり、三年で免職。
中元年 廷尉は福。
中尉
九月戊戌、丞相の亜夫が免職。御史大夫の劉舍が丞相となる。 太子太傅の衛綰が御史大夫となり、四年で昇進。 煮棗侯の乗昌が奉常となる。
軑侯の呉利が奉常となる。〈師古曰:「軑は音が大、また第とも読む。」〉 少府は神。 主爵都尉は不疑。
奉常の利が太常に改称。 中大夫令の直不疑が衛尉に改称。 廷尉の瑕が大理に改称。 済南都尉の甯成が中尉となり、四年で昇進。
後元年 七月丙午、丞相が退任。八月壬辰、御史大夫の衛綰が丞相となる。 八月壬辰、衛尉の直不疑が御史大夫となり、三年後に免職。 郎中令の賀。
大農令の惠。 中尉の廣意。 中尉の廣意。
柏至侯の許昌が太常となり、二年後に転任。
孝武建元元年 六月、丞相の綰が免職。丙寅、魏其侯の竇嬰が丞相となる。 武安侯の田蚡が太尉となる。 齊相の牛抵が御史大夫となる。〈師古曰:「抵音丁禮反。」〉 郎中令の王臧、一年後に罪により自殺。 淮南太守の灌夫が太僕となり、二年後に燕相となる。 大行令の光。 中尉の張敺、九年後に転任。 中尉の甯成が内史となり、獄に下され論罪。内史印。
十月に丞相の嬰が免職。三月乙未、太常の許昌が丞相となる。 太尉の蚡が免職され、官職が廃止された。 御史大夫の趙綰が罪により自殺した。 南陵侯の趙周が太常となり、四年後に免職された。 郎中令の石建が六年後に死去した。 大理の信。 大行令の過期。 内史の石慶。
北地都尉の韓安国が大農令となり、三年後に転任した。 内史の石徧。
武強侯の厳青翟が御史大夫となり、二年後、竇太后の喪事を適切に処理しなかった罪で免職された。 廷尉の遷。廷尉の建。 江都相の鄭當時が右内史となり、五年後に詹事に降格された。
廷尉の武。 大行令の王恢。
六月癸巳、丞相の昌が免職された。武安侯の田蚡が丞相となった。 大農令の韓安国が御史大夫となり、四年後に病気で免職された。 太常が定める。 太僕の賀、三十三年に遷る。 廷尉の殷。 大農令の殷。 東海太守の汲黯が主爵都尉となり、十一年に徙る。
元光元年 太常の王臧。 隴西太守の李広が衞尉となる。
内史の充。
三月乙卯、丞相の蚡が薨じる。五月丁巳、平棘侯の薛澤が丞相となる。 九月、中尉の張歐が御史大夫となり、五年後に老病で免じられ、上大夫の祿を食む。 宣平侯の張歐が太常となる。〈師古曰:「歐の音は一后反。」〉
廷尉の翟公。 詹事の鄭當時が大農令となり、十一年後に免じられる。 故御史大夫の韓安國が中尉となり、一年後に遷る。 右内史の番係。博士の公孫弘が左内史となり、四年後に遷る。〈師古曰:「番の音は普安反。」〉
太常司馬當時。 中尉韓安國が都尉となり、二年で将軍となった。 大行令丘。 中大夫趙禹が中尉となった。
元朔元年
蓼侯孔臧が太常となり、三年で南陵橋の損壊により衣冠道が途絶えた罪で免職された。
左内史公孫弘が御史大夫となり、二年で昇進した。 衞尉蘇建。 中大夫張湯が廷尉となり、五年で昇進した。 少府孟賁。中尉李息。 左内史李沮、四年で将軍となった。〈師古曰:「沮音俎。」〉
宗正劉棄。 少府產。 右内史賁。〈師古曰:「賁音奔。」〉
十一月乙丑、丞相澤が免職された。御史大夫公孫弘が丞相となった。 四月丁未、河東太守九江番係が御史大夫となる。 山陽侯張當居が太常となるが、子弟選抜で虚偽があったため免職。 中尉趙禹が少府となる。中尉殷容。 主爵都尉李蔡。 主爵都尉汲黯が右内史となり、五年で免職。
繩侯周平が太常となるが、四年で陵園整備怠慢により免職。 右北平太守李広が郎中令となり、五年で免職。
元狩元年 楽安侯李蔡が御史大夫となり、一年で昇進。 大行令李息。 宗正劉受。 中尉司馬安。 会稽太守朱買臣が主爵都尉となる。 左内史敞。
三月戊寅、丞相弘が死去。壬辰、御史大夫李蔡が丞相となる。
三月壬辰、廷尉張湯が御史大夫となり、六年で罪により自殺。 冠軍侯霍去病が票騎将軍となる。 衛尉張騫。 廷尉李友。廷尉安。廷尉禹。 中尉霸。 主爵都尉趙食其、二年に将軍となる。
大将軍衛青が大司馬大将軍となる。票騎将軍霍去病が大司馬票騎将軍となる。 戚侯李信成が太常となる、二年に丞相李蔡の道侵害を放任した罪で免職。 沈猷侯劉受が宗正となる、二年に宗室の請願を聴取せず論罪。大農令顏異、二年に腹誹の罪で誅殺。 河内太守王温舒が中尉となる、五年に転任。 中尉丞陽僕が主爵都尉となる。 定襄太守義縦が右内史となる、二年に獄に下され棄市。
三月甲午、丞相蔡が罪あり自殺。四月乙卯、太子少傅厳青翟が丞相となる。 郎中令李敢。 衛尉充国、三年に斎戒不謹の罪で棄市。 廷尉司馬安。
九月、大司馬去病薨去。 俞侯欒賁が太常となる、犠牲が令に従わない罪で免職。 郎中令徐自為、十三年に光禄勲となる。 大農令正夫。 右内史王鼂。
元鼎元年 蓋侯王信が太常となる。 廷尉霸。 右内史蘇縦。
二月壬辰、丞相青翟が罪ありとして自殺。二月辛亥、太子太傅趙周が丞相となる。 二月辛亥、太子太傅石慶が御史大夫となり、三年で転任。 広安侯任越人が太常となり、廟の酒が酸っぱいことで論罪される。〈師古曰:「任敖伝及び侯表は皆広阿侯と云う。今此は広安と為す、此の表誤り。」〉 中郎将張騫が大行令となり、三年で死去。 大農令孔僅。 少府当、四年で獄に下り死す。 水衡都尉張罷。
鄲侯周仲居が太常となり、赤側銭を収めず行銭を収めたことで論罪される。〈師古曰:「赤側は廃すべきにして収めず、乃ち見行の銭を収むるなり。鄲音多。」〉 中尉王温舒が廷尉となり、一年で再び中尉に転任。 関都尉尹斉が中尉となり、一年で罪に当たる。
睢陵侯張広国が太常となる。 元少府の趙禹が廷尉となり、4年後に老齢を理由に燕相に降格された。 宗正の劉安国。大農令の客となる。 廷尉の王温舒が中尉となり、2年後に免職された。 水衡都尉の豹。 右内史の李信成。中大夫の児寛が左内史となり、3年後に昇進した。
9月辛巳、丞相の周が獄死した。丙申、御史大夫の石慶が丞相となった。 平曲侯の周建德が太常となった。陽平侯の杜相が太常となり、5年後に大楽令を勝手に徴用した罪で論罪された。〈師古曰:「勝手に人を使役したこと。」〉 衛尉の路博徳。
斉相の卜式が御史大夫となり、1年後に太子太傅に降格された。 大農令の張成。 少府の豹が中尉となった。
元封元年 左内史の児寛が御史大夫となり、8年後に死去した。 水衡都尉の閻奉。 御史中丞の咸宣が左内史となり、6年後に免職された。〈師古曰:「咸は減省の減の音。」〉
御史中丞の杜周が廷尉となり、11年後に免職された。 元中尉の王温舒が少府となり、3年後に転任した。
酇侯蕭寿成が太常となり、犠牲が令に従わなかった罪で論罪された。 水衡都尉の徳が遷任した。 少府の王温舒が右内史となり、二年で免官された。
大将軍の青が薨去した。 成安侯の韓延年が太常となり、二年で外国の使者を留め置いた罪で入粟贖論となった。
少府の徳が罪を犯して自殺した。右輔都尉の王温舒が中尉の職務を代行し、二年で獄死し族誅された。
太初元年 睢陵侯の張昌が太常となり、二年で祭祀が不足した罪で論罪された。 郎中令の自為が光禄勲に改称された。 大鴻臚の壺充国。 中尉。 元左内史の咸宣が右扶風となり、三年で獄に下され自殺した。 京兆尹の無忌。左馮翊の殷周。
正月戊寅、丞相の慶が薨去した。閏月丁丑、太僕の公孫賀が丞相となった。 侍中の公孫敬声が太僕となり、十二年で獄に下され死んだ。 大鴻臚商丘成、十二年で転任。 少府王偉。
正月、膠東太守延広が御史大夫となる。 牧丘侯石徳が太常となり、三年で廟の犠牲が痩せていた罪で穀物を納めて贖罪した。 搜粟都尉上官桀が少府となり、年老いて免職。〈師古曰:「これは上官桀ではない疑いがあり、表に誤りがある。」〉
天漢元年 済南太守琅邪王卿が御史大夫となり、二年で罪を犯して自殺。 大司農桑弘羊、四年で搜粟都尉に降格。
新畤侯趙弟が太常となり、五年で裁判が不実であった罪で論罪。 元廷尉杜周が執金吾となり、一年で転任。
二月、執金吾杜周が御史大夫となり、四年で死去。 廷尉呉尊。
弘農太守沛范方渠中翁が執金吾となる〈。師古曰:「沛の人、姓は范、名は方渠、字は中翁。中は仲と読む。」〉
太始元年 廷尉郭居。 大司農。
少府充国。 水衡都尉守。
三月、光禄大夫河東暴勝之公子が御史大夫となり、三年後に獄中で自殺した。〈師古曰:「公子は、勝之の字でもある。後も皆これに類する。」〉 容城侯唯塗光が太常となり、安定都尉に転任した。 直指使者江充が水衡都尉となり、五年後に太子に斬殺された。
江都侯靳石が太常となり、四年後に囚人である故太僕敬声の尊卑を乱すことを謁問した罪で免職された。
征和元年 廷尉常。 光禄大夫公孫遺が少府を守った。
四月壬申、丞相賀が獄中で死んだ。五月丁巳、涿郡太守劉屈氂が左丞相となった。 九月、大鴻臚商丘成が御史大夫となり、四年後に呪詛の罪で自殺した。 光禄勲韓説少卿が太子に殺害された。 廷尉信。 京兆尹于己衍が大逆の罪で誅殺された。
六月壬寅、丞相屈氂が獄に下され腰斬に処された。 邗侯李壽が衛尉となり、居守中に長安の境界を勝手に出て吏を殺害した罪で獄に下され死んだ。 廷尉意。 高廟郎中田千秋が大鴻臚となり、一年で昇進した。
六月丁巳、大鴻臚田千秋が丞相となった。 繆侯酈終根が太常となり、十一年に祝詛の罪で誅殺された。 光禄勲有禄。 大鴻臚戴仁が祝詛の罪で誅殺された。淮陽太守田広明が鴻臚となり、五年で昇進した。 右輔都尉王訢が右扶風となり、九年で昇進した。
後元元年 守衛尉不害。 京兆尹建が祝詛の罪で腰斬に処された。
二月丁卯、侍中奉車都尉霍光が大司馬大将軍となった。 二月乙卯、搜粟都尉桑弘羊が御史大夫となり、七年に謀反の罪で誅殺された。 侍中駙馬都尉金日磾が車騎将軍となり、一年で薨去した。太僕上官桀が左将軍となり、七年に反乱を起こし誅殺された。 当塗侯魏不害が太常となり、六年に孝文廟の風で瓦が飛んだ罪で免職された。 守衛尉遺。 太僕幷左将軍。 執金吾の郭廣意が免職された。
孝昭帝の始元元年 尚書令の張安世が光祿勳となり、六年後に転任した。 衞尉の天水の王莽(稚叔)が、三年後に転任した。 司隸校尉の雒陽の李仲季主が廷尉となり、四年後に誣告の罪で投獄され、棄市に処された。 執金吾の河東の馬適建(子孟)が任職し、六年後に殺人の罪で投獄され、自殺した。 水衡都尉の呂辟胡が、五年後に雲中太守となった。 青州刺史の雋不疑が京兆尹となり、五年後に病気で免職された。
光祿大夫の劉辟彊が宗正となり、数か月後に死去した。
膠西太守の齊の徐仁(中孫)が少府となり、六年後に反逆者を放置した罪で自殺した。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉
衞尉の王莽が右將軍衞尉となり、三年後に死去した。騎都尉の上官安が車騎將軍となり、三年後に反乱を起こし、誅殺された。 大鴻臚の田廣明が衞尉となり、五年後に転任した。
軍正の齊の王平(子心)が廷尉となり、四年後に謀反者を隠匿した罪で投獄され、棄市に処された。
轑陽侯の江德が太常となり、四年後に廟で夜間に酒宴を開き失火した罪で免職された。 大將軍司馬の楊敞が大司農となり、四年後に転任した。 京兆尹を守る樊福。
元鳳元年 九月庚午、右扶風の王訢が御史大夫となり、三年後に転任。 光禄勲の張安世が右将軍光禄勲となり、六年後に転任。 光禄勲を右将軍と兼任。 諫大夫の杜延年が太僕となり、十五年に免職。 太中大夫の劉德が宗正となり、数か月後に免職。 執金吾の壼信。 中郎将の趙充国が水衡都尉となり、六年後に転任。 左馮翊の賈勝胡、二年に謀反者を放置した罪で棄市。
中郎将の范明友が度遼将軍衛尉となり、十二年に転任。 衛尉を将軍と兼任。 廷尉の夏国。 青州刺史の劉德が宗正となり、二十二年に薨去。 光禄大夫の蔡義が少府となり、三年後に転任。 衛尉の田広明が左馮翊となり、四年後に転任。
正月甲戌、丞相の千秋が薨去。二月乙丑、御史大夫の王訢が丞相となる。 二月乙丑、大司農楊敞が御史大夫となり、二年で転任。 蒲侯蘇昌が太常となり、十一年に霍山に秘書を貸した罪で免職。 河内太守平原の趙彭祖が大司農となり、三年で死去。 京兆尹彭祖。
十二月庚戌、丞相訢が薨去。 鉅鹿太守淮陽の朱寿少楽が廷尉となり、侍中加元を獄中で風吏に殺害させた罪で棄市。 詹事韋賢が大鴻臚となり、四年で長信少府に転任。 沛国太守李寿が執金吾となる。
十一月己丑、御史大夫楊敞が丞相となる。 十一月、少府蔡義が御史大夫となり、一年で転任。 廷尉李光、四年で免職。 河東太守田延年が大司農となり、三年で罪により自殺。 便楽成が少府となり、四年で死去。 右扶風周德。
元平元年 八月己巳、丞相敞が薨去。九月戊戌、御史大夫蔡義が丞相となる。 九月戊戌、左馮翊田広明が御史大夫となり、三年で祁連将軍に転任。 右将軍安世が車騎将軍光禄勲となり、七年で転任。水衡都尉趙充国が後将軍となる。水衡都尉光禄大夫韓増が前将軍となり、十三年で転任。 執金吾の延寿。 左馮翊の武。
孝宣帝の本始元年。 京兆尹を守る田広陵相の成。
二年。 詹事の東海宋疇翁壹が大鴻臚となり、二年で遷る。 河南太守の魏相が大司農となり、一年で遷る。 博士后倉が少府となり、二年。執金吾の辟兵、三年。
三年。 六月己丑、丞相の義が薨去。甲辰、長信少府の韋賢が丞相となる。 六月甲辰、大司農の魏相が御史大夫となり、四年で遷る。 廷尉の李義。 大司農の淳于賜。 少府の悪。 光禄大夫の于定国が水衡都尉となり、二年で遷る。 潁川太守の趙広漢が京兆尹となり、六年で獄に下され腰斬される。
四年。 山陽太守の梁が大鴻臚となる。 左馮翊の宋疇が少府となり、六年で鳳凰が彭城に下り京師に至らず美しさが足りないと議して罪に坐し、泗水太傅に貶される。 六安相の朱山拊が右扶風となり、一年で獄に下され死す。 大鴻臚の宋疇が左馮翊となり、一年で転任。左馮翊の延は、三年で免職。
地節元年 水衡都尉・光祿大夫の于定国が廷尉となり、十七年で転任。 水衡都尉の朱輔。右扶風の博となる。
三月庚午、大司農の光が死去。 侍中・中郎将の霍禹が右将軍となり、一年で転任。 執金吾の郅元。 潁川太守の広が右扶風となり、三年。
正月甲申、丞相の賢が金を賜り免職。六月壬辰、御史大夫の魏相が丞相となる。 四月戊申、車騎将軍・光禄勲の張安世が大司馬・車騎将軍となり、七月戊戌、大司馬・衛将軍に改称。右将軍の霍禹が大司馬となる。七月壬辰、大司馬の禹が獄に下され腰斬。 六月辛丑、太子太傅の丙吉が御史大夫となり、八年で転任。 度遼将軍・衛尉の范明友が光禄勲となり、一年で謀反の罪で誅殺。 大司農の輔。 執金吾の延年。 左馮翊の官。
弋陽侯の任宮が太常となり、四年で人が茂陵園中の物を盗んだ罪で免職。 北海太守の朱邑が大司農となり、四年で死去。 勃海太守龔遂が水衡都尉となる。 潁川太守譲が左馮翊となる。
元康元年 北海太守張延寿が太僕となる。四年後に病気で免職。 平原太守蕭望之が少府となる。一年後に転任。 東海太守尹翁帰が右扶風となる。四年後に死去。 京兆尹を守る彭城太守遺。
執金吾広意。 少府蕭望之が左馮翊となる。三年後に昇進。
京兆尹を守る潁川太守黄霸、数か月後に元の官職に戻る。
八月丙寅、大司馬安世が薨去。 蒲侯蘇昌が再び太常となる。六年後に病気で免職。 太中大夫李彊中君が少府を守る。三年後に昇進。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉 光禄大夫馮奉世が水衡都尉となる。十四年に昇進。
神爵元年 前将軍韓増が大司馬車騎将軍となる。 中郎将楊惲が諸吏光禄勲となる。五年後に免職。 太僕の戴長楽、五年で免職。 左馮翊の蕭望之が大鴻臚となり、二年で転任。 大司農の王禹、四年で転任。 広陵太守の陳万年が右扶風となり、五年で転任。 膠東相の張敞が京兆尹となり、八年で免職。左馮翊の彊、三年で免職。
後将軍の充国。 衛尉の忠。 南陽太守の賢が執金吾となる。
三月丙午、丞相の相が薨去。四月戊戌、御史大夫の丙吉が丞相となる。 七月甲子、大鴻臚の蕭望之が御史大夫となり、三年で太子太傅に左遷。 少府の李彊が大鴻臚となる。 光禄大夫の梁丘賀が少府となる。 東郡太守の韓延寿が左馮翊となり、二年で獄に下され棄市となる。
河内太守の韋玄成が衛尉となり、二年で転任。
五鳳元年 大司農の王禹が大鴻臚となる。 大司農の延。 守左馮翊勃海太守信。
四月己丑、大司馬増が薨去。五月、強弩将軍許延寿が大司馬車騎将軍となる。 八月壬午、太子太傅黄霸が御史大夫となり、一年で転任。 衛尉韋玄成が太常となり、二年で免職。 衛尉弘。 右扶風陳万年が太僕となり、五年で転任。 宗正劉丁。 守左馮翊五原太守延寿。
正月癸卯、丞相吉が薨去。二月壬申、御史大夫黄霸が丞相となる。 六月辛酉、西河太守杜延年が御史大夫となり、三年後に病気により安車駟馬を賜り免職。 執金吾田聴天、三年で転任。
甘露元年 三月丁巳、大司馬延寿が薨去。 蒲侯蘇昌が再び太常となり、二年後に病気で免職。
五月己丑、廷尉于定国が御史大夫となり、一年で転任。 執金吾田聴天が廷尉となり、三年で転任。 左馮翊の守備、広川の相、充郎。
二月己丑、丞相の霸が薨去。五月甲午、御史大夫の于定国が丞相となる。 五月甲午、太僕の陳万年が御史大夫となり、七年で卒去。 鴈門太守の建平侯杜緩が太常となり、七年で盗賊多発の罪で免職。 博陽侯丙顕が太僕となり、一年で建章衛尉となる。
典属国の常恵が右将軍となり、四年で薨去。 衛尉の順。 秺侯金賞が侍中太僕となり、七年で転任。 中山の相加が廷尉を守備。 執金吾の平。 右扶風の武。 京兆尹の成。
黄龍元年 十二月癸酉、侍中の楽陵侯史高が大司馬車騎将軍となる。 太子太傅の蕭望之が前将軍となり、一年で光禄勲、二年で免職。 廷尉の解延年。 左馮翊の常。
孝元初元元年 光祿勳兼將軍。 平昌侯王接が衞尉となり、五年で転任。 太鴻臚顯、十一年。 散騎諫大夫劉更生が宗正となり、二年で免職。大司農宏。 淮陽中尉韋玄成が少府となり、二年で太子太傅となる。水衡都尉馮奉世が執金吾となり、二年で転任。 水衡都尉馮奉世。 太原太守陳遂が京兆尹となり、一年で転任。
光祿勳賞。 京兆尹陳遂が廷尉となり、二年で死去。 大司農充郎。 京兆尹代郡范。守左馮翊延免。
執金吾馮奉世が右將軍となり、三年で諸吏典屬國、二年で光祿勳となる。侍中衞尉許嘉が右將軍となり、五年で転任。 光祿大夫周堪が光祿勳となり、三年で河東太守に左遷。 丞相司直南郡李延壽子惠が執金吾となり、九年で転任。 淮陽相鄭弘が右扶風となり、四年で転任。
弋陽侯任千秋長伯が太常となり、四年で將軍として兵を率いる。 廷尉魏郡尹忠子賓、十四年で諸吏光祿大夫となる。 少府の延、二年で免職。 京兆尹の成。
六月辛酉、長信少府の貢禹が御史大夫となり、十二月丁未に死去。丁巳、長信少府の薛広徳が御史大夫となり、一年で病気により安車駟馬を賜り免職。 河南太守の劉彭祖が左馮翊となり、二年で太子太傅に転任。
永光元年 十一月戊寅、丞相の定国が金を賜り、安車駟馬を賜り免職。 七月癸未、大司馬の高が金を賜り、安車駟馬を賜り免職。九月戊子、侍中衞尉の王接が大司馬車騎将軍となる。 七月辛亥、太子太傅の韋玄成が御史大夫となり、一年で転任。 太僕の金賞が光禄勲となり、一年で死去。 衞尉の雲。 元建章衞尉の丙顕が太僕となり、十年で免職。 大司農の堯。 侍中中大夫の欧陽余が少府となり、五年で死去。
二月丁酉、御史大夫の韋玄成が丞相となる。 二月丁酉、右扶風の鄭弘が御史大夫となり、五年で罪により自殺。 光禄大夫の非調が大司農となる。 右扶風の強、五年。 隴西太守の馮野王が左馮翊となり、五年で転任。
四月癸未、大司馬接が薨去。七月壬戌、左将軍衛尉許嘉が大司馬車騎将軍となる。 右将軍奉世が左将軍光禄勲となり、二年で卒去。侍中中郎将王商が右将軍となり、十一年で転任。
宗正劉臨。 水衡都尉福。 光禄大夫琅邪張譚仲叔が京兆尹となり、四年で不適任により免職。
建昭元年 太子少傅匡衡が光禄勲となり、一年で転任。 尚書令五鹿充宗が少府となり、五年で玄菟太守に左遷。 右扶風
八月癸亥、諸吏散騎光禄匡衡が御史大夫となり、一年で転任。 左曹西平侯于永が光禄勲となり、十六年で転任。 執金吾李延寿が衛尉となり、一年で転任。 左馮翊馮野王が大鴻臚となり、五年で上郡太守となる。 左馮翊郭延。
六月甲辰、丞相玄成が薨去。七月癸亥、御史大夫匡衡が丞相となる。 七月戊辰、衛尉李延壽が御史大夫となり、三年で死去。一説に姓は縏。〈師古曰:「縏音蒲元反。」〉 陽平侯王鳳が侍中衛尉となり、三年で転任。
中郎将丙禹が水衡都尉となり、五年。
京兆尹王昌穉賓が、二年で雁門太守に転任。
竟寧元年 六月己未、侍中衛尉王鳳が大司馬大将軍となる。 七月丙寅、太子少傅張譚が御史大夫となり、三年で選挙不実の罪で免職。 太僕譚。 陽城侯劉慶忌寧君が宗正となり、三年で転任。 河南太守召信臣が少府となり、二年で転任。中少府安平侯王章子然が執金吾となり、三年で転任。
孝成建始元年 騏侯駒普が太常となり、数か月で死去。 衛尉王罷軍。 常山太守温順子教が右扶風となり、一年で転任。 弘農太守宋平次君が京兆尹となる。河南太守畢衆が左馮翊となる。
宗正劉慶忌が太常となり、五年で病気により免職。 執金吾王章が太僕となり、五年で病気により免職。 蜀郡太守の何壽が廷尉となり、四年後に転任。 大鴻臚の浩賞、二年後に転任。 右扶風の溫順が少府となり、二年後に公田を近臣に売却した罪で投獄され処罰。弋陽侯の任千秋(字は長伯)が執金吾となり、一年後に昇進。 水衡都尉の爵。太原太守の讓が右扶風となる。 河東太守の杜陵甄少公が京兆尹となり、二年後に河南太守に降格。
十二月丁丑、丞相の衡が免職。 八月癸丑、大司馬の嘉が金を賜り免職。 十月乙卯、諸吏左曹光祿大夫の尹忠が御史大夫となり、一年後に黄河決壊の責任で自殺。 右將軍の王商が左將軍となり、一年後に昇進。執金吾の千秋が右將軍となり、一年後に昇進。 宗正の劉通。 南陽太守の王昌が右扶風となり、三年後に免職。
三月甲申、右將軍の王商が丞相となる。 十一月壬戌、少府の張忠が御史大夫となり、六年後に死去。 右將軍の千秋が左將軍となり、三年後に死去。長樂衞尉の史丹が右將軍となり、三年後に昇進。 河南太守の漢が大鴻臚となり、一年後に免職。 東平相の鉅鹿張忠(字は子贛)が少府となり、十一月に昇進。 守京輔都尉の王遵が京兆尹となり、二年後に免職。大鴻臚の浩賞が左馮翊となり、九月に死罪一等減刑の判決。
河平元年 衛尉の王玄中都。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉 千乗太守の東萊劉順が宗正となり、四年に合陽侯の子を推挙した罪で免職。 司隸校尉の王駿が少府となり、七年に転任。執金吾の輔。 水衡都尉の王勳。 杜陵の韓勳長賓が左馮翊となり、三年で少府となる。
北海太守の安成范延壽子路が廷尉となり、八年で死去。 廷尉の何寿が大司農となる。 漢中太守の平原王賞少公が右扶風となり、三年で免職。 楚相の齊宋登が京兆尹となり、三年で東萊都尉に左遷、未発のまま、省中の言葉を漏洩した罪で獄に下り自殺。
右将軍の丹が左将軍となり、十三年で死去。太僕の王章が右将軍となる。 宜春侯の王咸長伯が太常となり、一年で病気により免職。平昌侯の王臨が太常となり、六年で死去。 侍中中郎将の王音が太僕となり、三年で転任。 右曹光禄大夫の辛慶忌が執金吾となり、四年で雲中太守に左遷。 光禄大夫の武が左馮翊となる。
四月壬寅、丞相の商が免職。六月丙午、諸吏散騎光禄大夫の張禹が丞相となる。 大夫の韋安世が大鴻臚となり、二年で長楽衛尉となる。 侍中奉車都尉の金敞が水衡都尉となり、一年で転任。 司隸校尉の王章が京兆尹となり、一年後に獄死した。
陽朔元年 侍中水衡都尉の金敞が衞尉となり、四年後に死去した。 常山太守の劉武成が宗正となり、四年後に死去した。 水衡都尉の順。河内太守の甄尊が右扶風となり、三年後に転任した。 弘農太守の平陵逢信少子が京兆尹となり、三年後に陳留太守に転任した。薛宣が左馮翊となり、二年後に転任した。
四月癸卯、侍中太僕の王音が御史大夫となり、一年後に転任した。 史柱國衞公が太僕となった。〈師古曰:「姓は史、名は柱國、字は衞公である。」〉 大鴻臚勳。
八月丁巳、大司馬の鳳が薨去した。九月甲子、御史大夫の王音が大司馬車騎将軍となった。 十一月丁卯、諸吏散騎光祿勳の于永が御史大夫となり、二年後に死去した。 右将軍の王章が光祿勳となり、数か月後に薨去した。 右扶風の甄尊が太僕となった。 護西城騎都尉の韓立子淵が執金吾となり、五年後に選挙不実で免職された。 左曹水衡都尉の河内苟参威神。
雲中太守の辛慶忌が光祿勳となり、四年後に転任した。 京兆尹の逢信が太僕となり、六年後に転任した。 左馮翊の薛宣が少府となり、二月に転任。 水衡都尉の禹。太原太守の淳于信中君が右扶風となる。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉 少府の王駿が京兆尹となり、一年で転任。
鴻嘉元年 三月庚戌、丞相の禹が金を賜り、安車駟馬で免官。四月庚辰、御史大夫の薛宣が丞相となる。 正月癸巳、少府の薛宣が御史大夫となる。四月庚辰、京兆尹の王駿が御史大夫となり、五年で死去。 光祿勳の辛慶忌が右将車となる。 平臺侯の史中が太常となり、六月に病気で免官。建平侯の杜業君都が太常となり、七年で免官。 陽平侯の王襄が衞尉となり、五年で転任。 大鴻臚の慎。 千乗令の劉慶忌が宗正となり、六月に平都公主の子殺しに連座して遼東太守に左遷。 東都太守の琅邪王賞中子が少府となり、四年で免官。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉 太原太守の河内鄧義子華が京兆尹となり、一年で鉅鹿太守となる。廬江太守の趙増壽穉公が左馮翊となり、一年で転任。
左馮翊の趙増壽が廷尉となり、五年で常山都尉に左遷。 隴西太守の劉威子然が京兆尹となり、一年で死去。泗水相の茂陵満黔子橋が左馮翊となり、四年で漢中都尉に左遷。
右将軍の慶忌が光祿勳となり、四年で転任。光祿勳は将軍を兼ねる。 張掖太守の牛商子夏が右扶風となり、四年で免官。 丞相司直の翟方進が京兆尹となり、三年で転任。
中少府の韓勳が執金吾となり、四年後に転任。〈師古曰:「中少府は皇后の官。」〉
永始元年 南陽太守の陳咸が少府となり、二年後に免職。 水衡都尉の淳于長、三年後に免職。
十月己丑、丞相の宣が免職。十一月壬子、執金吾の翟方進が丞相となる。 正月乙巳、大司馬の音が薨去。二月丁酉、特進成都侯の王商が大司馬衞将軍となる。 三月丁酉、京兆尹の翟方進が御史大夫となり、八月に執金吾に降格。十一月壬子、諸吏散騎光禄勳の孔光が御史大夫となり、七年後に廷尉に降格。 諸吏散騎光禄大夫の孔光が光禄勳となり、九月に転任。執金吾の韓勳が光禄勳となり、六月に転任。 太僕の逢信が衞尉となり、二年後に免職。 衞尉の王襄が太僕となり、三年後に病気で免職。 長信少府の平当が大鴻臚となり、三年後に転任。 御史大夫の翟方進が執金吾となり、一月後に転任。 信都太守長安宗正の子泄が京兆尹となり、二年後に河南太守に降格。琅邪太守の朱博が左馮翊となり、一年後に転任。
右将軍の辛慶忌が左将軍となり、三年後に死去。光禄勳の韓勳が右将軍となり、一年後に死去。 少府の師丹が光禄勳となり、二年後に侍中光禄大夫に転任。 琅邪太守の陳慶君卿が廷尉となり、一年後に長信少府となる。 朔方太守の劉它人が宗正となる。左馮翊の朱博が大司農となり、一年後に犍為太守となる。 光禄大夫師丹が少府となり、五月に転任。詹事許商が少府となり、二年で侍中光禄大夫となる。金城太守廉襃が執金吾となり、一年で転任。 東平太傅彭宣が右扶風となり、一年で転任。 河内太守杜陵の龐真が左馮翊となり、三年で転任。
十一月庚申、大司馬商に金を賜り、安車駟馬で免官。 執金吾廉襃が右将軍となり、五年で免官。 酇侯蕭尊が太常となり、六年で薨去。 侍中水衡都尉淳于長が衛尉となり、三年で免官。 右扶風彭宣が廷尉となり、三年で王国人として太原太守となる。 会稽太守沛の劉交が宗正となり、十年。汝南太守厳訢が大司農となり、三年で死去。 護羌校尉尹岑が執金吾となり、一年で転任。 光禄大夫潁川の師臨が水衡都尉となり、八月で転任。水衡都尉臨が右扶風となり、三年で沛郡都尉となる。 司隷校尉何武が京兆尹となり、一年で楚内史に左遷。
元延元年 正月壬戌、成都侯商が再び大司馬衛将軍となり、十二月乙未に大司馬大将軍に転任、辛亥に薨去。庚申、光禄勲王根が大司馬票騎将軍となる。 執金吾尹岑が右将軍となり、二年で薨去。 大鴻臚平当が光禄勲となり、七月に前議昌陵の件で鉅鹿太守に左遷。曲陽侯王根が光禄勲となり、一月で転任。 護軍都尉甄舜が太僕となる。東莱太守平陵の范隆が太僕となり、二年で免官。 左馮翊龐真が少府となり、四年で転任。広漢太守趙護が執金吾となる。 侍中光禄大夫趙彪が侍中水衡都尉となり、三年で死去。 広陵太守王建が京兆尹となる。河南太守徐譲の子張が左馮翊となり、四年で免職。
楽昌侯王安恵公が光禄勲となり、数ヶ月で病気により免職。 光禄大夫朱博が廷尉となり、一年で転任。 泰山太守蕭育が大鴻臚を守り、数ヶ月で転任。 広陵太守孫宝が京兆尹となり、一年で免職。
廷尉朱博が後将軍となり、二年で免職。 尚書僕射趙玄少平が光禄勲となり、二年で太子太傅となる。 護軍都尉任宏偉公が太僕となり、二年で転任。 沛郡太守何武が廷尉となり、二年で転任。 九江太守王嘉が大鴻臚となり、三年で転任。 大司農堯。 水衡都尉南陽王超驕軍、三年で淳于長に連座して自殺。守鴻臚泰山太守蕭育が右扶風となり、三年で免職。
北地太守谷永が大司農となり、一年で免職。
綏和元年 四月丁丑、大司馬票騎将軍根が大司馬に改められ、七月甲寅に金・安車駟馬を賜り免職。十一月丙寅、侍中騎都尉光禄大夫王莽が大司馬となる。 三月戊午、廷尉何武が御史大夫となり、四月乙卯に大司空となり、一年で免職。 廷尉孔光が左将軍となり、一年で転任。執金吾王咸が右将軍となり、一年で転任。 侍中光禄大夫の師丹が諸吏散騎光禄勲となり、十一月に太子太傅となった。大司農の許商が光禄勲となり、四月に転任した。 成陽侯の趙訢(君偉)が衛尉となり、六月に就任した。侍中光禄大夫司農の趙玄が衛尉となり、一月後に中少府となった。 駙馬都尉の王舜が太僕となり、二年後に病気で免職となった。 御史大夫の孔光が廷尉となり、九月に転任した。少府の龐真が廷尉となり、二年後に長信少府となった。 侍中光禄大夫の許商が大司農となり、数か月後に転任した。太原太守の彭宣が大司農となり、一年後に転任した。 詹事の平陵賈延(初卿)が少府となり、三年間務めた。太僕の宏が執金吾となり、十一月に代郡太守に左遷された。光禄大夫の王臧(幼公)が執金吾となり、三月後に転任し、南陽の謝堯(長平)が一年後に転任した。 京兆都尉の甄豊(長伯)が水衡都尉となり、二年後に泗水相となった。 長信少府の薛宣が京兆尹となり、一年後に淮陽相に左遷された。丞相司直の琅邪遂義(子贛)が左馮翊となり、選挙に関連して免職となった。
二月壬子、丞相の方進が薨去した。三月丙戌、左将軍の孔光が丞相となった。 十一月丁卯、大司馬の莽が金を賜り、安車駟馬で免職となった。庚午、左将軍の師丹が大司馬となり、四月に転任した。 十月癸酉、大司馬の丹が大司空となり、一年後に免職となった。 右将軍の王咸が左将軍となり、十月に免職となった。衛尉の傅喜が右将軍となり、十一月に金を賜り罷免された。太子太傅の師丹が左将軍となり、五月に転任した。光禄勲の彭宣が右将軍となり、二年後に転任した。 安丘侯の劉常が太常となり、四年後に病気となり、金百斤と安車駟馬を賜り、免職となって封国に戻った。 大司農の彭宣が光禄勲となり、六月に転任した。衛尉の王能が侍中光禄勲となり、二年後に弘農に左遷され、呂寛の事件で自殺した。 太子中庶子の傅喜(穉游)が衛尉となり、二月後に転任した。侍中光禄大夫の王龔(子即)が衛尉となり、二月後に転任した。城門校尉の丁望が衛尉となり、三年後に転任した。 執金吾の謝堯が大鴻臚となり、三年後に転任した。 大司農の河東梁相(子夏)が一年後に転任した。 光禄大夫の鉅鹿閻宗(君闌)が執金吾となり、六年在職して死去した。執金吾の河内孫雲(子叔)が三年後に転任した。 元太僕の范隆が右扶風となり、八月後に冀州牧となった。太山の馬嘉(次君)が右扶風となり、一年後に免職となった。 光禄大夫朱博が京兆尹となり、数か月で転任。光禄大夫邴漢游君が京兆尹となり、数か月で病気となり、中大夫となる。大鴻臚王嘉が京兆尹となり、二年で転任。
孝哀建平元年 四月丁酉、侍中光禄大夫傅喜が大司馬となる。 十月壬午、京兆尹朱博が大司空となる。 右将軍彭宣が左将軍となり、一年で淮陽王との婚姻により免職。 大司農梁相が廷尉となり、二年で東海都尉に降格。 大司農左咸、一年で転任。 司隸校尉東海方賞君賓が左馮翊となり、二年で転任。
四月乙未、丞相光が免職。御史大夫朱博が丞相となり、八月甲戌に罪により自殺。十二月甲寅、御史大夫平当が丞相となる。 二月丁丑、大司馬喜が免職。陽安侯丁明が大司馬衛将軍となる。 四月戊午、大司空博が御史大夫となり、乙亥で転任。中尉趙玄が御史大夫となり、五月に投獄され処罰。九月乙酉、諸吏散騎光禄勲平当が御史大夫となり、二月で転任。十月丙寅、京兆尹王嘉が御史大夫となり、一年で転任。 光禄勲丁望が左将軍となり死去。執金吾公孫禄が右将軍となり、一年で転任。 衛尉望が光禄勲となり、一月で転任。光禄大夫平当が光禄勲となり、四月で転任。 少府賈延が衛尉となり、十一月で元の官職に戻る。執金吾孫雲が衛尉となり、四年で転任。 城門校尉丁憲子尉が太僕となり、四年で転任。 大鴻臚雲陽畢申世叔、五年で転任。 衛尉賈延が少府となり、一年で転任。五官中郎将潁川公孫禄中子が執金吾となる。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉 侍中水衡都尉讓。大鴻臚謝堯が扶風となり、一年で転任。
三月己酉、丞相の当が薨去。四月丁酉、御史大夫の王嘉が丞相となる。 四月丁酉、河南太守の王崇が御史大夫となる。九月に貶官。 右将軍の公孫祿が左将軍となる。二年後に免職。執金吾の嶠望が右将軍となる。一年後に転任。 少府の賈延が光禄勲となる。三年後に転任。 左馮翊の方賞が廷尉となる。四年後に転任。 御史大夫の王崇が大司農となる。二年後に転任。 尚書令の涿郡趙昌君仲が少府となる。一年後に河内太守となる。将作大匠の東海蟜望王君が執金吾となる。三月後に転任。光禄大夫の蕭育が執金吾となる。一年後に免職。 光禄大夫の東海魏章子譲が右扶風となる。一年後に免職。 潁川太守の毋将隆が京兆尹となる。一年後に転任。大司農の左威が左馮翊となる。三年後に復土将軍となる。
三月丁卯、諸吏散騎光禄勲の賈延が御史大夫となる。一年後に転任。 諸吏散騎光禄大夫の王安が右将軍となる。一年後に転任。 建平侯の杜業が太常となる。三年後に貶官され上党都尉となる。 陳留太守の渤海劉不悪子麗が宗正となる。名を容に改める。 光禄大夫の董恭君孟が少府となる。一年後に転任。京兆尹の毋将隆が執金吾となる。一年後に貶官され沛郡都尉となる。 光禄大夫の龔勝が右扶風となる。一年後に元の官職に戻る。 光禄大夫の茂陵申屠博次孫が京兆尹となる。一年後に転任。
元寿元年 三月丙午、丞相の嘉が獄に下され死去。七月丙午、御史大夫の孔光が丞相となる。 正月辛丑、大司馬衛将軍の明が大司馬票騎大将軍となる。特進孔郷侯の傅晏が大司馬衛将軍となる。辛亥に金を賜り、安車駟馬で免職。九月己卯、大司馬の明が免職。十一月壬午、諸吏光禄大夫の韋賞が大司馬車騎将軍となる。己丑に死去。十二月庚子、侍中駙馬都尉の董賢が大司馬衛将軍となる。 五月乙卯、諸吏光禄大夫孔光が御史大夫となり、二月に転任。七月丙午、氾郷侯何武が御史大夫となり、二月に免職。八月辛卯、光禄大夫彭宣が御史大夫となる。 御史大夫何武が前将軍となり、二年で免職。 詹事馬宮が光禄勲となり、二年で転任。 少府董恭が衛尉となり、二月に光禄大夫となる。右扶風弘譚が衛尉となり、一年で転任。 衛尉孫雲が少府となり、一月。陳留太守茂陵耿豊が少府となり、二年で復土将軍となる。京兆尹申屠博が執金吾となり、一年で免職。 光禄大夫沛弘譚巨君が右扶風となり、冬に転任。光禄大夫南夏常仲斉が右扶風となる。 京兆尹南陽翟萌幼中。〈師古曰:「中は仲と読む。」〉
五月甲子、丞相光が大司徒となり、九月辛酉に太傅となる。右将軍馬宮が大司徒となる。 五月甲子、大司馬衛将軍賢が大司馬となり、六月乙未に免職。庚申、新都侯王莽が大司馬となる。 五月甲子、御史大夫宣が大司空となり、三月に病気で免職。八月戊午、右将軍王崇が大司空となる。 安陽侯王舜が車騎将軍となり、八月に転任。衛尉王崇が右将軍となり、二月。光禄勲馬宮が右将軍となり、三月に転任。光禄勲甄豊が右将軍となり、六月に転任。執金吾孫建が右将軍となり、二年で転任。 博陽侯丙昌長矯が太常となり、二年で東郡太守に左遷。 左曹中郎将甄豊が光禄勲となり、一年で転任。 大司農王崇が衛尉となり、二月に転任。建成侯黄輔子元が衛尉となる。 長楽衛尉王惲子敬が太僕となり、五年で転任。 故廷尉梁相が再び大理となり、二年で官吏任命の順序違反で免職。 復土将軍左咸が大鴻臚となる。 衛尉弘譚が大司農となる。 光禄大夫韓容子伯が執金吾となり、一月で免職。護軍都尉孫建子夏が執金吾となり、三月に転任。 大鴻臚の畢由が右扶風となり、六月に定襄太守に左遷された。 京兆尹の清河孫意子承。廷尉の方賞が左馮翊となり、一年で転任した。
孝平元始元年 二月丙辰、太傅の孔光が太師となり、大司馬の王莽が太傅となり、大司馬車騎将軍の王舜が太保車騎将軍となった。 二月丙辰、大司馬の王莽が転任した。 侍中奉車都尉の甄邯子心が光祿勳となり、三年で転任した。 中郎将の蕭咸が大司農となり、一年で死去した。 少府の宗伯鳳君房。中郎将の任岑が執金吾となり、一年で死去した。 右輔都尉の趙恢君向が右扶風となり、一年で免職された。 大司徒司直の金欽が京兆尹となり、一月で侍中となった。光祿大夫の左馮翊張嘉。
二月癸酉、大司空の王崇が病気で免職された。四月丁酉、少傅左将軍の甄豊が大司空となった。 右将軍の孫建が左将軍光祿勳となった。甄邯が右将軍光祿勳となった。 安昌侯の張宏子夏が太常となり、二年で越騎校尉に左遷された。 大鴻臚の橋仁。 光祿大夫の孫宝が大司農となり、数か月で免職された。 左輔都尉の尹賞が執金吾となり、一年で死去した。 中郎将の幸成子淵が水衡都尉となった。大司馬司直の沛武襄君孟が右扶風となり、三年で冀州牧となった。
城門校尉の劉岑子張が太常となり、二年で宗伯に転任した。 尚書令潁川鍾元寧君が大理となる。 執金吾長安王駿君公、三年で遷る。 左馮翊匡咸子期。
宗正容が宗伯に改められ、一年で免じられる。 將作大匠謝堯が右扶風となり、七十歳で病により免じられ、関内侯の爵位を賜る。 京兆尹鍾義。左馮翊沛孫信子儒。
四月乙未、太師光が薨去。大司徒宮が大司馬となり、八月壬午に免じられる。十二月丙午、長楽少府平晏が大司徒となる。 執金吾王駿が歩兵将軍となる。 太僕惲が光禄勲となる。 大鴻臚左咸。 太常劉岑が宗伯となる。大司農尹咸。 尚書令南陽鄧馮君侯が右扶風となる。 宰衡護軍武襄が京兆尹となり、数か月で遷る。中郎将南陽郝黨子厳が左馮翊となる。


原本を確認する(ウィキソース):漢書 巻19下