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巻05

巻05 大宝元年

世祖孝元皇帝は諱いみなを繹、字あざなを世誠、小字を七符といい、高祖の第七子である。天監七年八月丁巳に生まれた。十三年、湘東郡王に封ぜられ、邑二千戸を賜った。初め寧遠将軍・会稽太守となり、入朝して侍中・宣威将軍・丹陽尹となった。普通七年、使持節・都督荊湘郢益寧南梁六州諸軍事・西中郎将・荊州刺史として出向した。中大通四年、平西将軍に進号した。大同元年、安西将軍に進号した。三年、鎮西将軍に進号した。五年、入朝して安右将軍・護軍将軍となり、石頭戍軍事を領した。六年、使持節・都督江州諸軍事・鎮南将軍・江州刺史として出向した。太清元年、使持節・都督荊雍湘司郢寧梁南北秦九州諸軍事・鎮西将軍・荊州刺史に転じた。三年三月、侯景が京師を陥落させた。四月、太子舎人蕭韶が江陵に至り密詔を伝え、世祖を侍中・仮黄鉞・大都督中外諸軍事・司徒承制とし、その他の官職は従前のままとした。この月、世祖は湘州に兵を徴発したが、湘州刺史の河東王蕭誉は派遣を拒否した。六月丙午、世子の蕭方まさ等を派遣して軍勢を率いさせ蕭誉を討たせたが、戦いに敗れて戦死した。七月、また鎮兵将軍鮑泉を派遣して代わりに蕭誉を討たせた。九月乙卯、雍州刺史の岳陽王蕭詧が兵を挙げて反乱を起こし、江陵を侵攻してきたので、世祖は城に籠もって防戦した。乙丑、蕭詧の部将杜掞とその兄弟および楊混が、それぞれ配下の兵を率いて降伏してきた。丙寅、蕭詧は逃走した。鮑泉は湘州を攻撃したが陥落させられず、また左衛将軍王僧弁を派遣して代わりに指揮を執らせた。

原文世祖孝元皇帝諱繹,字世誠,小字七符,高祖第七子也。天監七年八月丁巳生。十三年,封湘東郡王,邑二千戶。初爲寧遠將軍、會稽太守,入爲侍中、宣威將軍、丹陽尹。普通七年,出爲使持節、都督荊湘郢益寧南梁六州諸軍事、西中郎將、荊州刺史。中大通四年,進號平西將軍。大同元年,進號安西將軍。三年,進號鎮西將軍。五年,入爲安右將軍、護軍將軍,領石頭戍軍事。六年,出爲使持節、都督江州諸軍事、鎮南將軍、江州刺史。太清元年,徙爲使持節、都督荊雍湘司郢寧梁南北秦九州諸軍事、鎮西將軍、荊州刺史。三年三月,侯景寇沒京師。四月,太子舍人蕭韶至江陵宣密詔,以世祖爲侍中、假黃鉞、大都督中外諸軍事、司徒承製,餘如故。是月,世祖徵兵於湘州,湘州刺史河東王譽拒不遣。六月丙午,遣世子方等帥衆討譽,戰所敗死。七月,又遣鎮兵將軍鮑泉代討譽。九月乙卯,雍州刺史岳陽王詧舉兵反,來寇江陵,世祖嬰城拒守。乙丑,詧將杜掞與其兄弟及楊混,各率其衆來降。丙寅,詧遁走。鮑泉攻湘州不克,又遣左衛將軍王僧辯代將。

大宝元年

原文大寶元年

大宝元年、世祖はなお太清四年と称していた。正月辛亥の朔日、左衛将軍王僧弁が三十個の実が一つの蒂についた橘を入手し、献上した。

原文大寶元年,世祖猶稱太清四年。正月辛亥朔,左衛將軍王僧辯獲橘三十子共蒂,以獻。

二月甲戌、衡陽内史周弘直が上表して言うには、鳳凰が郡内に現れたという。

原文二月甲戌,衡陽內史周弘直表言鳳皇見郡界。

夏五月辛未、王僧弁が湘州を平定し、河東王蕭誉を斬り、湘州は平定された。

原文夏五月辛未,王僧辯克湘州,斬河東王譽,湘州平。

六月、江夏王蕭大款、山陽王蕭大成、宜都王蕭大封が信安から間道を通って来奔した。

原文六月,江夏王大款、山陽王大成、宜都王大封自信安間道來奔。

九月辛酉、前郢州刺史の南平王蕭恪を中衛将軍・尚書令・開府儀同三司とし、中撫軍将軍の世子蕭方諸を郢州刺史とし、左衛将軍王僧弁を領軍将軍とした。蕭大款を臨川郡王に、蕭大成を桂陽郡王に、蕭大封を汝南郡王に改封した。この月、任約が西陽・武昌に侵攻してきたので、左衛将軍徐文盛、右衛将軍陰子春、太子右衛率蕭慧正、嶲州刺史席文獻らを派遣して武昌に下らせ、任約を防がせた。中衛将軍・尚書令・開府儀同三司の南平王蕭恪を荊州刺史とし、武陵を鎮守させた。

原文九月辛酉,以前郢州刺史南平王恪爲中衛將軍、尚書令、開府儀同三司,中撫軍將軍世子方諸爲郢州刺史,左衛將軍王僧辯爲領軍將軍。改封大款爲臨川郡王,大成爲桂陽郡王,大封爲汝南郡王。是月,任約進寇西陽、武昌,遣左衛將軍徐文盛、右衛將軍陰子春、太子右衛率蕭慧正、嶲州刺史席文獻等下武昌拒約。以中衛將軍、尚書令、開府儀同三司南平王恪爲荊州刺史,鎮武陵。

十一月甲子、南平王蕭恪、侍中臨川王蕭大款、桂陽王蕭大成、散騎常侍江安侯蕭円正、侍中左衛将軍張綰、司徒左長史曇ら府・州・国の一千人が奉呈文を奉って言うには、

原文十一月甲子,南平王恪、侍中臨川王大款、桂陽王大成、散騎常侍江安侯圓正、侍中左衛將軍張綰、司徒左長史曇等府州國一千人奉牋曰:

嵩岳がすでに高くそびえ、山川から雲が湧き出るように、大国には藩屏があり、申伯や甫侯のような柱石がいる。これはまさに皇帝がこの極みを建て、位を宝とし、聖人の教えが方角を弁え、名と器を慎むからではないか。それゆえ太尉が帝を補佐し、重華(舜)が黄玉の符を表し、司空が土地を相し、伯禹(禹)が玄圭の賜物を降したのである。伏して思うに、明公大王殿下は、世に応じて生まれ、聖人たる資質を備えてお出でになった。忠は立派な徳であり、孝は天の経である。地は応・韓の地に当たり、周公旦・召公奭のような深い信頼を寄せられ、五品を教え、七政を整え、志は社稷に存し、功は艱難を救う。夷狄が内に侵入すれば、枕戈して血の涙を流し、鯨鯢(凶賊)がまだ掃討されなければ、袖を振るって王事に勤しみ、遊魂(逃亡者)をして盟を請わせて膝を屈させ、醜悪な徒輩をして璧をくわえさせて恐れおののかせた。親族の藩王が外で反乱を起こせば、その禍いは呉・楚の乱に等しく、正義をもって討伐し威を示せば、兵刃に血塗られることもなかった。湘水の波は自然に静まり、杜弢の塁を築く必要もなく、峴山の離反者も、劉表の城を攻伐しなかった。九江に障害が生じ、二別(長江の別流)が異なる流れとなれば、ただちに戈船(軍船)を命じ、灊・霍を平定した。流れを遡って徹底的に討伐し、敵の窺う隙を断ち、胡兵が境界を侵せば、鉄馬が霧のように集結したが、神のような采配を独り巡らせ、すべて即座に首を斬ってさらし、翻って同様に翼を折り、ついに職貢を修めるに至った。梁・漢は合意し、鋭利な兵を繰り出し、巴・漢はともに降り、驍勇の陣を尽くした。南は五嶺に通じ、北は力原(中原)に力を出し、東夷は怨まず、西戎は秩序に従った。まさに上流千里、戟を持つ者百万、天下の最も貴き者、四海の推すところと言えよう。

原文竊以嵩岳旣峻,山川出雲;大國有蕃,申甫惟翰。豈非皇建斯極,以位爲寶;聖教辨方,慎名與器。是知太尉佐帝,重華表黃玉之符,司空相土,伯禹降玄圭之錫。伏惟明公大王殿下,命世應期,挺生將聖。忠爲令德,孝實天經,地切應、韓,寄深旦、奭,五品斯訓,七政以齊,志存社稷,功濟屯險。夷狄內侵,枕戈泣血,鯨鯢未掃,投袂勤王,能使遊魂請盟以屈膝,醜徒銜璧而讋氣。親蕃外叛,釁均吳、楚,義討申威,兵不血刃。湘波自息,非築杜弢之壘;峴山離貳,不伐劉表之城。九江致梗,二別殊派,才命戈船,底定灊、霍。溯流窮討,路絕窺窬,胡兵侵界,鐵馬霧合,神規獨運,皆卽梟懸,翻同翅折,遂修職貢。梁、漢合契,肆犀利之兵,巴、漢俱下,竭驍勇之陣。南通五嶺,北出力原;東夷不怨,西戎卽序。可謂上流千里,持戟百萬,天下之至貴,四海之所推也。

今や海水は雲が飛び、崑山には火が燃え上がる(天下が乱れている)。魏の文帝が楽推(禅譲ぜんじょう)の歳を悲しみ、韓宣子が礼の成就を嘆いたような時代である。陽台の下には、ただ冠蓋(高官)が相い趨るのみであり、夢水のほとりには、なお車輿が轍を結んでいる。大麦が二つの穂を出し、南平の国から現れ、甘露が泥の枝に降り、当陽の境に降った。野蚕が自ら糸を紡ぎ、欧糸(良質の糸)に何ら劣らず、休耕地に稲が生え、まさに雨粟(天から粟が降る祥瑞)と異ならない。すべての品物がことごとく通じているのは、文明が光大していると称される所以であり、どうして徽号が彝典(常典)に顕彰されず、明らかな試み(功績)が車服(官位の象徴)に表されないことがあろうか。

原文今海水飛雲,昆山起燎,魏文悲樂推之歲,韓宣嘆成禮之日,陽臺之下,獨有冠蓋相趨;夢水之傍,尚致車輿結轍。麰麥兩穗,出於南平之邦;甘露泥枝,降乎當陽之境。野蠶自績,何謝歐絲;閒田生稻,寧殊雨粟。莫非品物咸亨,是稱文明光大,豈可徽號不彰於彝典,明試不陳乎車服者哉!

昔、晋・鄭が周に入り、なお卿士となり、蕭何・曹参が漢を補佐し、かつ相国の位に居た。この盛大な礼を崇め、衆望に応えて顕彰すべきである。蕭恪らは甲令(法令)を探り求め、惇史(忠実な史官)に広く諮詢し、謹んで再拝して上奏し、位を進めて相国とし、百揆(すべての政務)を総覧させ、竹使符一つを授け、別に恒常の儀礼に準じることを請う。金斧を持って逆暴を剪り、玉輅に乗って社稷を定められるように。傍らには日月のように麗しく、貞明は天地と合致する。危きを扶け治めを翼け、何と素晴らしいことであろうか。

原文昔晉、鄭入周,尚作卿士;蕭、曹佐漢,且居相國。宜崇茲盛禮,顯答羣望。恪等稽尋甲令,博詢惇史,謹再拜上,進位相國,總百揆,竹使符一,別准恒儀。杖金斧以剪逆暴,乘玉輅而定社稷。傍羅麗於日月,貞明合于天地。扶危翼治,豈不休哉!

蕭恪らは大体(根本)に通ぜず、自ら愚昧にも伏して奏上し、お聞き入れ願う。

原文恪等不通大體,自昧伏奏以聞。

世祖は返答を命じて言った。「数は陽九(災厄の年)に当たり、時は百六(厄運)にあり、鯨鯢(凶賊)がまだ剪除されず、寝ても覚めても心痛む。周は天官(宰つかさど相)を称し、秦は相国を称した。東は海に至り、西は河に至り、南は朱鳶に次ぎ、北は玄塞に及ぶ。この小宰(自分)を率いて、この大徳を弘めよう。どうして曲阜(周公)の跡を継ぎ、桓公・文公の事跡になぞらえ、ついに一匡(天下を正す)の業を建て、その五拝の礼を整えられようか。義は時に属するとはいえ、事は虚しく記すべきではなく、伝には皆が譲ったと称し、『易』の象は謙譲を鳴らすと著されている。前の典籍を仰ぎ見て、再び胸が詰まり恥じ入る思いである。」

原文世祖令答曰:「數鍾陽九,時惟百六,鯨鯢未剪,寤寐痛心。周粵天官,秦稱相國,東至于海,西至于河,南次朱鳶,北漸玄塞。率茲小宰,弘斯大德。將何用繼蹤曲阜,擬跡桓、文,終建一匡,肅其五拜。雖義屬隨時,事無虛紀,傳稱皆讓,《象》著鳴謙,瞻言前典,再懷哽恧。」

十二月壬辰、定州刺史蕭勃を鎮南将軍・広州刺史とした。護軍将軍尹悦、巴州刺史王珣、定州刺史杜多安を派遣して軍勢を率いさせ武昌に下らせ、徐文盛を助けさせた。

原文十二月壬辰,以定州刺史蕭勃爲鎮南將軍、廣州刺史。遣護軍將軍尹悅、巴州刺史王珣、定州刺史杜多安帥衆下武昌,助徐文盛。

大宝二年

原文大寶二年

大宝二年、世祖はなお太清五年と称した。二月己亥、魏が使者を派遣して来朝した。

原文大寶二年,世祖猶稱太清五年。二月己亥,魏遣使來聘。

三月、侯景が全軍を率いて西上し、任約の軍と合流した。

原文三月,侯景悉兵西上,會任約軍。

四月丙午、侯景は配下の将軍宋子仙と任約を派遣して郢州を襲撃し、刺史の蕭方諸を捕らえた。戊申、徐文盛と陰子春らが逃亡して帰還し、王珣・尹悦・杜多安はともに賊に降伏した。庚戌、領軍将軍の王僧辯が軍勢を率いて巴陵に駐屯した。甲子、侯景が進軍して巴陵を侵攻した。

原文四月丙午,景遣其將宋子仙、任約襲郢州,執刺史蕭方諸。戊申,徐文盛、陰子春等奔歸,王珣、尹悅、杜多安並降賊。庚戌,領軍將軍王僧辯帥衆屯巴陵。甲子,景進寇巴陵。

五月癸未、世祖が游撃将軍の胡僧祐と信州刺史の陸法和に軍勢を率いて巴陵を救援するよう命じた。任約が敗北し、侯景はついに逃走した。王僧辯を征東将軍・開府儀同三司・尚書令とし、胡僧祐を領軍将軍とし、陸法和を護軍将軍とした。引き続き王僧辯に諸軍を率いて侯景を追撃させ、到る所で勝利した。

原文五月癸未,世祖遣游擊將軍胡僧祐、信州刺史陸法和帥衆下援巴陵。任約敗,景遂遁走。以王僧辯爲征東將軍、開府儀同三司、尚書令,胡僧祐爲領軍將軍,陸法和爲護軍將軍。仍令僧辯率衆軍追景,所至皆捷。

八月甲辰、王僧辯が湓城に進軍して駐屯した。辛亥、鎮南将軍・湘州刺史の蕭方矩を中衛将軍とした。司空・征南将軍・南平王蕭恪は征南大将軍に進号した。湘州刺史の職はそのままとした。

原文八月甲辰,僧辯下次湓城。辛亥,以鎮南將軍、湘州刺史蕭方矩爲中衛將軍。司空、征南將軍、南平王恪進號征南大將軍。湘州刺史,餘如故。

九月己亥、征東将軍・開府儀同三司・尚書令の王僧辯を江州刺史とし、その他の官職はそのままとした。盤盤国が馴らした象を献上した。

原文九月己亥,以征東將軍、開府儀同三司、尚書令王僧辯爲江州刺史,餘如故。盤盤國獻馴象。

冬十月辛丑朔、紫の雲が車蓋のようになり、江陵城に臨んだ。この月、太宗が崩ほう御した。侍中・征東将軍・開府儀同三司・江州刺史・尚書令・長寧県侯の王僧辯らが上表文を奉って言った。

原文冬十月辛丑朔,有紫雲如車蓋,臨江陵城。是月,太宗崩。侍中、征東將軍、開府儀同三司、江州刺史、尚書令、長寧縣侯王僧辯等奉表曰:

諸軍が討伐に赴き、九水の地に至ったところ、その日に臨城県の使者が来て報告したところによれば、侯景が皇帝を弑しい逆し、太子を賊害し、賊の支配下にある宗室の人々は皆、残酷な災禍に遭ったという。六軍は慟哭し、日月星の運行が変わった。我が皇極を哀しみ、四海の民は心が崩れる思いである。我が大梁は堯の統緒を受け継ぎ、商の基業を開いた。太祖文皇帝は斉に従って聖となり、六州を初めて有した。高祖武皇帝は聡明で神武であり、天下を平定した。日月に依って四時を和らげ、至尊の位に登って六合を制した。麗正の位に居て正道を守り、大横の兆しによって確固たる福を得た。四代が相継ぎ、三聖が同じ基盤を築いた。愚かなる凶徒どもが、ついに天子の都に拠った。宮門は白登山の辱めを受け、朝廷は堯城の疑いを招いた。雲扆と承華宮は、一朝にして共に残酷な目に遭った。金の楨、玉の幹は、皆同じく冤罪を被った。はるかなるあの蒼天よ、どうしてこれほどまでに極まりがないのか。

原文衆軍薄伐,塗次九水,卽日獲臨城縣使人報稱:侯景弒逆皇帝,賊害太子,宗室在寇庭者,並罹禍酷。六軍慟哭,三辰改曜。哀我皇極,四海崩心。我大梁纂堯構緒,基商啓祚。太祖文皇帝徇齊作聖,肇有六州。高祖武皇帝聰明神武,奄龕天下。依日月而和四時,履至尊而制六合。麗正居貞,大橫固祉。四葉相系,三聖同基。蠢爾凶渠,遂憑天邑。閶闔受白登之辱,象魏致堯城之疑。雲扆承華,一朝俱酷。金楨玉幹,莫不同冤。悠悠彼蒼,何其罔極!

臣は聞く、君主を喪っても新たな君主が立つのは『春秋』の盛んな典範であり、徳と長幼の順序によるのは先王の通りの教えであると。少康は民衆を治め職務を執り行い、夏を祀って天に配した。平王は正統の位に居て東遷し、周の宗廟を保って世を占った。漢の光武帝は無道を討伐できたので、景帝の暦が再び栄えた。中宗(晋元帝)は群臣の議論に背かず、故に江東に朝廷を立てることができた。今を量り古を考うるに、他に二つの策はない。伏して考えるに、陛下は至孝で幽玄に通じ、英武で霊妙な決断力があり、七九の厄に当たりながら千年の機に応じ、深い憂いの中から明を啓き、百王の会合の場に居られる。威を取って覇を定め、険阻で艱難な状況にあって、社稷を建て兵を治め、古の道を踏襲される。家国の事は、このように至った。天が大梁を祚するには、必ず主がいる。軒轅の姓を得た者は、存命しているのは二人である。高祖の五人の王のうち、代々の実質的な長は陛下である。屈完を乗せて諸侯を陳べ、子武を拝して大輅に服する。功績は九有に斉しく、道は生民を救済する。聖明を奉じなければ、誰が下武(後継者)を嗣ぐことができようか。

原文臣聞喪君有君,《春秋》之茂典;以德以長,先王之通訓。少康則牧衆撫職,祀夏所以配天;平王則居正東遷,宗周所以卜世。漢光以能捕不道,故景歷重昌;中宗以不違羣議,故江東可立。儔今考古,更無二謀。伏惟陛下至孝通幽,英武靈斷,當七九之厄,而應千載之期;啓殷憂之明,而居百王之會。取威定霸,嶮阻艱難,建社治兵,載循古道。家國之事,一至於斯。天祚大梁,必將有主。軒轅得姓,存者二人;高祖五王,代實居長。乘屈完而陳諸侯,拜子武而服大輅。功齊九有,道濟生民。非奉聖明,誰嗣下武!

臣は聞く、日月は貞明であり、太陽は照らすことを欠くことができない。天地は貞観であり、乾の道は長く警戒すべきではないと。黄屋と左纛は、本来億兆の民のために尊ばれる。鸞輅と龍章は、郊祀のため貴ばれる。宝器は至重のものとして存在し、介石は容易に差し違えることを慎む。黔首は少しの間も君主なくしてはならず、宗廟は一日も主なくしてはならない。伏して願わくは、陛下が地を掃いて中に昇り、天を柴祀って物を改められんことを。事態は凶危に迫り、運は擾攘に集中している。宗正に詔を奉じさせたり、博士に時を選ばせたりする労は要らない。南面して直ちに尊位に就き、西向いて徳を譲ることはない。四方が既に奉ずるべきものがあると知れば、八百諸侯が初めて同時に期することができる。残った賊は潜み、宝器は社の処に蔵されている。乾象が既に傾き、坤儀は既に覆った。王莽を斬って輗車を引き、董卓を焼いて市を照らし、函夏を廓清し、正に塋陵とし、宮囲の雪を開き、鐘鼎を保存することを願う。彼の黍は離離としているが、何を言えよう。陛下が明を継いで祚を闡き、旧楚の宮に就かれる。左に廟、右に社の制度は、権宜に従うことができる。五礼六楽の儀容は、歳時に応じて備える。金芝は九莖、瓊茅は三脊。要衛は職を率い、尉候は相望む。廟堂に坐して四夷を朝し、霊台に登って雲物を望み、梁甫で禅を行い泰山を封じ、東濱に臨んで日観を礼する。その後、三事の大夫と共に、都鄙について改めて謀る。左に瀍水、右に澗水、雒水を挟んで居とすることができ、殿を抗い龍を疏らせば、王は鎬京に在ることができる。どうして必ずしも勤めて建業を建てる必要があろうか。

原文臣聞日月貞明,太陽不可以闕照;天地貞觀,乾道不可以久惕。黃屋左纛,本爲億兆而尊;鸞輅龍章,蓋以郊禋而貴。寶器存乎至重,介石慎於易差。黔首豈可少選無君,宗祏豈可一日無主。伏願陛下掃地升中,柴天改物。事迫凶危,運鍾擾攘,蓋不勞宗正奉詔,博士擇時,南面卽可居尊,西向無所讓德。四方旣知有奉,八百始可同期。殘寇潛居,器藏社處,乾象旣傾,坤儀已覆。斬莽輗車,燒卓照市,廓清函夏,正爲塋陵,開雪宮圍,庶存鐘鼎,彼黍離離,伊何可言。陛下繼明闡祚,卽宮舊楚。左廟右社之制,可以權宜;五禮六樂之容,歲時取備。金芝九莖,瓊茅三脊。要衛率職,尉候相望。坐廟堂以朝四夷,登靈台而望雲物,禪梁甫而封泰山,臨東濱而禮日觀。然後與三事大夫,更謀都鄙。左瀍右澗,夾雒可以爲居,抗殿疏龍,惟王可以在鎬,何必勤勤建業也哉。

臣らは控えめな心情の極みを耐えかね、謹んで表を奉って聞かせます。

原文臣等不勝控款之至,謹拜表以聞。

世祖は崩御の報を受けると、三日間大声で泣き、百官は喪服を着た。そして答えて言った。「孤は不徳のため、天が災いを降した。戈を枕に胆を飲み、心を叩いて血の涙を流す。風樹の酷さは、万に始まっても追うことができない。霜露の哀しみは、百の憂いが総じて集まる。伯升の禍を聞いたばかりで、仲謀の悲しみが一層切実になる。もし封豕が既に殲ほろ滅され、長蛇が即座に誅戮されるなら、延陵季子の逸れた軌跡を追い、子臧の高潔な譲りを継ごうとし、どうして秋亭の壇を頼り、繁陽の石に事えようか。侯景は項籍であり、蕭棟は殷の辛である。赤泉侯がまだ賞されていないのに、劉邦はなお漢王と称した。白旗がまだ掲げられていないのに、周の発はなお太子と称した。飛龍の位に、誰が登ることができると言えようか。附鳳の徒は、既に議論が来ていると聞く。諸公卿士らは、孤の志をよく理解し、軽んじることなかれ」。司空の南平王蕭恪が宗室五十余人を率い、領軍将軍の胡僧祐が群僚二百余人を率い、江州別駕の張佚が吏民三百余人を率いて、ともに上書して即位を勧めた。世祖は固く辞退した。

原文世祖奉諱,大臨三日,百官縞素。乃答曰:「孤以不德,天降之災,枕戈飲膽,扣心泣血。風樹之酷,萬始不追;霜露之哀,百憂總萃。甫聞伯升之禍,彌切仲謀之悲。若封豕旣殲,長蛇卽戮,方欲追延陵之逸軌,繼子臧之高讓,豈資秋亭之壇,安事繁陽之石。侯景,項籍也;蕭棟,殷辛也。赤泉未賞,劉邦尚曰漢王;白旗弗懸,周發猶稱太子。飛龍之位,孰謂可躋;附鳳之徒,旣聞來議。羣公卿士,其諭孤之志,無忽!」司空南平王恪率宗室五十餘人,領軍將軍胡僧祐率羣僚二百餘人,江州別駕張佚率吏民三百餘人,並奉牋勸進。世祖固讓。

十一月乙亥、王僧辯が再び上表文を奉って言った。

原文十一月乙亥,王僧辯又奉表曰:

紫宸の位が空き、赤県に主がなく、百霊が聳動し、万国が皇居に帰ろうとしている。酔いと醒めが互いに支え合って、共に景亳に帰するように、歌い且つ誦して、総じて唐の郊に赴くとしても、なお陛下が俯いて潸然とし、徳を譲って継がれないことを恐れる。伝車が道にあるとき、宋昌の謀を慎重にし、法駕が既に陳べられても、なお耿純の勧めを杜ぐ。岳牧は首を翹げ、天民は息を累ねている。

原文紫宸曠位,赤縣無主,百靈聳動,萬國回皇。雖醉醒相扶,同歸景亳,式歌且誦,總赴唐郊,猶懼陛下俯首潸然,讓德不嗣。傳車在道,方慎宋昌之謀;法駕已陳,尚杜耿純之勸。岳牧翹首,天民累息。

臣は聞く、星が巡り日が傾き、雷を撃ち電を鞭打つものを天という。岳が立ち川が流れ、霧を吐き雲を蒸すものを地という。天地の混成を包み込み、陰陽の測り難さを洞察し、それをもって万物を裁成するものは、聖人においておられるのではないか。故に「天地の大いなる徳を生という、聖人の大いなる宝を位という」とある。黄屋の廟堂の下にいることは、本来やむを得ず居るものではなく、明鏡四衢の樽は、応物取訓によるものである。伏して考えるに、陛下は古を稽え文を思し、英雄として特に優れておられる。周旦に比べれば文王の子であり、放勛に方せば帝摯の末である。千年の旦暮、ここに在らざるを得ない。朝廷は湮び亡び、鐘鼎は覆えんとし、景曆を嗣ぐべきは、陛下をおいて他に誰があろうか。どうして赤眉に盆子を更に立てさせ、隗囂に高廟を託置させることができようか。陛下は今なお高く譲り、謙光を執られる。その矯行偽書を展べ、正朔を誣罔するものを見て機に応じて行動すれば、断じて識ることができる。疑わしければ何を卜せん、蓍亀を待つ必要はない。

原文臣聞星回日薄,擊雷鞭電者之謂天;岳立川流,吐霧蒸雲者之謂地。苞天地之混成,洞陰陽之不測,而以裁成萬物者,其在聖人乎!故云「天地之大德曰生,聖人之大寶曰位。」黃屋廟堂之下,本非獲已而居;明鏡四衢之樽,蓋由應物取訓。伏惟陛下稽古文思,英雄特達。比以周旦,則文王之子;方之放勛,則帝摯之季。千年旦暮,可不在斯。庭闕湮亡,鐘鼎淪覆,嗣膺景曆,非陛下而誰?豈可使赤眉更立盆子,隗囂託置高廟。陛下方復從容高讓,用執謙光。展其矯行偽書,誣罔正朔,見機而作,斷可識矣。匪疑何卜,無待蓍龜。

かつて公卿は制御を失い、禍は霄極に纏わり、侯景は陵を憑み、姦臣は互いに起こり、戎を率いて穎を伐つこと、至るところで然らずということはなく、明を勧めて晉を誅すること、側足する所皆これであった。刁斗は夜に鳴り、烽火は相照らした。中朝の人士は相顧みて悲しみを銜み、涼州の義徒は東を望んで涙を殞し、惵惵たる黔首は、どこに安らかに帰ろうとするのか。陛下は英略天を緯ぎ、沈明内に断じ、剣を横たえて血に泣き、戈を枕にして胆を嘗め、農山圮下の策、金匱玉鼎の謀、いずれも扆帷に定算し、千里を決勝した。霊鼉の鼓を撃ちて翠華の旗を建て、六州の兵を駆りて九伯の伐を総べ、四方は虞うれれども、一戦にして覇を成す。その鯨鯢を斬り、既に大戮を章し、何校か耳を滅ぼし、姦回ならざるはなく、史は書を絶たず、府は月を虚にせず。洞庭波安らぎ、彭蠡底定して以来、文は昭らかに武は穆らかで、芳しきこと椒蘭の如く、敵国の降城は和すること親戚の如く、九服は同謀し、百道は俱に進み、国恥家怨は、期を計って雪がれんとし、社稷墜ちず、聖明に翽る。今は何の時ぞ、帝啓の避けを申し述べ、凶危この如きに、方に泰伯の辞を陳う。国に具臣あれば、誰か敢えて詔を奉ぜん。

原文日者,公卿失馭,禍纏霄極,侯景憑陵,姦臣互起,率戎伐穎,無處不然,勸明誅晉,側足皆爾。刁斗夜鳴,烽火相照。中朝人士,相顧銜悲;涼州義徒,東望殞涕,惵惵黔首,將欲安歸!陛下英略緯天,沉明內斷,橫劍泣血,枕戈嘗膽,農山圮下之策,金匱玉鼎之謀,莫不定算扆帷,決勝千里。擊靈鼉之鼓,而建翠華之旗,驅六州之兵,而總九伯之伐,四方雖虞,一戰以霸。斬其鯨鯢,旣章大戮,何校滅耳,莫匪姦回,史不絕書,府無虛月。自洞庭安波,彭蠡底定,文昭武穆,芳若椒蘭,敵國降城,和如親戚,九服同謀,百道俱進,國恥家怨,計期就雪,社稷不墜,翽在聖明。今也何時,而申帝啓之避,凶危若此,方陳泰伯之辭。國有具臣,誰敢奉詔。

天下は高祖の天下であり、陛下は万国の歓心である。万国はどうして君なくしてありえようか、高祖はどうして祀りを廃されようか。即日、五星は夜に聚まり、八風は通じて吹き、雲煙は紛郁し、日月は光華し、百官は物に象って動き、軍政は戒めずして備わる。飛艫巨艦は、水を競い川に浮かび、鉄馬銀鞍は、山を陵ぎ谷を跨ぐ。英傑は踵を接し、忠勇は相顧み、宗族を湛えて恩に酬い、妻子を焚いて主に報いる。盾を覆って威を銜み、斧を提げて衆を撃ち、風飛電耀、志は凶醜を滅ぼさんとするものはない。待つところは、陛下が后土に昭告し、上帝を虔奉し、広く明詔を発し、師を出して名を以てし、五行夕に返り、六軍暁に進み、便ち司寇の威を尽くし、蚩尤の伐を窮め、石趙を執って璽を求め、姚秦を斬って鍾を取り、塋陵を修掃し、宗廟を奉迎することである。陛下はどうして国計を仰ぎ存し、民請に俯して従われないことがあろうか。漢宣帝が嗣位した後、即ち蒲類の軍を遣わし、光武帝が登極を竟えた後、始めて長安の捷があった。これによって言えば、前例がないわけではない。

原文天下者高祖之天下,陛下者萬國之歡心,萬國豈可無君,高祖豈可廢祀。卽日五星夜聚,八風通吹,雲煙紛郁,日月光華,百官象物而動,軍政不戒而備。飛艫巨艦,竟水浮川;鐵馬銀鞍,陵山跨谷。英傑接踵,忠勇相顧,湛宗族以酬恩,焚妻子以報主。莫不覆盾銜威,提斧擊衆,風飛電耀、志滅凶醜。所待陛下昭告后土,虔奉上帝,廣發明詔,師出以名,五行夕返,六軍曉進,便當盡司寇之威,窮蚩尤之伐,執石趙而求璽,斬姚秦而取鍾,修掃塋陵,奉迎宗廟。陛下豈得不仰存國計,俯從民請。漢宣嗣位之後,卽遣蒲類之軍;光武登極旣竟,始有長安之捷。由此言之,不無前准。

臣らはあるいは世に朝恩を受け、あるいは身に重遇を荷い、休を同じくし戚を等しくし、国より家に至るまで、苟くも腹心あらば、敢えて死をもって奪わんとする。慺慺たる至りに堪えず、謹んで重ねて表を奉り以て聞かせる。

原文臣等或世受朝恩,或身荷重遇,同休等戚,自國刑家,苟有腹心,敢以死奪。不任慺慺之至,謹重奉表以聞。

世祖は答えて言った。「示しを省み、再び一二を具す。孤は聞く、天は蒸民を生じてこれに君を樹てる、それをもって天休に対揚し、黔首を司牧するためであると。摂提、合雒以前、栗陸、驪連以外は、書契伝わらず、称えることができない。阪泉においてその武功を彰わし、丹陵においてその文徳を表して以来、人民あり、社稷あり、あるいは歌謠の帰する所、あるいは惟天の相する所である。孤は家に多難に遭い、大恥未だ雪がれず、国賊は則ち蚩尤剪らず、同姓は則ち有扈賓せず、臥してこれを思い、坐して旦を待つ、どうして宝曆に応じ、どうして龍圖を嗣がん。一戎既に定まり、罪人斯ここに得て、夏を祀り天に配し、方に来議を申さんことを庶幾う。」この時、巨寇なお存し、即位を即ち欲せず、四方の表勧は前後相属した。そこで令を下して言った。「『大壮』は乾に乗じ、『明夷』は翼を垂れ、璇度は亟に移り、玉律は屡に徙る。四岳は頻りに遣わして勧進し、九棘は比者表を聞く。譙、沛未だ復せず、塋陵遠く遠し、居るに於いて処るに於いて、寤寐疚懐す、何の心ぞ何の顔ぞ、この帰運を撫す。今より表奏、由る所並びに断つ、もし啓疏あらば、この令を写して施行すべし。」この日、賊司空、東南道大行台劉神茂が儀同劉帰義、留異を率いて義に赴き、表を奉って降伏を請うた。

原文世祖答曰:「省示,復具一二。孤聞天生蒸民而樹之以君,所以對揚天休,司牧黔首。攝提、合雒以前,栗陸、驪連之外,書契不傳,無得稱也。自阪泉彰其武功,丹陵表其文德,有人民焉,有社稷焉,或歌謠所歸,或惟天所相。孤遭家多難,大恥未雪,國賊則蚩尤弗剪,同姓則有扈不賓,臥而思之,坐以待旦,何以應寶曆,何以嗣龍圖。庶一戎旣定,罪人斯得,祀夏配天,方申來議也。」是時巨寇尚存,未欲卽位,而四方表勸,前後相屬,乃下令曰:「《大壯》乘乾,《明夷》垂翼,璇度亟移,玉律屢徙,四岳頻遣勸進,九棘比者表聞。譙、沛未復,塋陵永遠,于居于處,寤寐疚懷,何心何顏,撫茲歸運。自今表奏,所由並斷,若有啓疏,可寫此令施行。」是日,賊司空、東南道大行台劉神茂率儀同劉歸義、留異赴義,奉表請降。

承聖元年

原文承聖元年

大宝三年、世祖はなお太清六年と称した。正月甲戌、世祖は令を下して言った。「軍国多虞、戎旃未だ静まらず、青領は雖も熾んでも、黔首は安んずべきである。時に星鳥に惟り、東秩に年祥を表し、春は宿龍を紀し、南畯に歳取を歌う。況や三農は務業し、尚お夭桃の水に敷くを見、四人は令あり、猶お落杏の花飛ぶに及ぶ。化俗移風は、常に急ぐ所に在り、耕を勧め且つ戦うは、弥々自ら許すを須う。どうしてただ燕が寒谷に垂れ、黍を積んで自ら温まるのみならん、寧ろこの玄苗を堕し、坐して紅粒を飡し、鷰頷を植えず、空しく蝉の鳴くを候わんことを可とせん。悉く深耕穊種し、安堵復業せしめ、民力を棄てず、並びに地利を分かつべし。州郡に班勒し、咸ことごとく遵承せしめよ。」智武将軍、南平内史王褒を吏部尚書とした。

原文大寶三年,世祖猶稱太清六年。正月甲戌,世祖下令曰:「軍國多虞,戎旃未靜,青領雖熾,黔首宜安。時惟星鳥,表年祥於東秩;春紀宿龍,歌歲取於南畯。況三農務業,尚看夭桃敷水;四人有令,猶及落杏飛花。化俗移風,常在所急;勸耕且戰,彌須自許。豈直燕垂寒谷,積黍自溫,寧可墮此玄苗,坐飡紅粒,不植鷰頷,空候蟬鳴。可悉深耕穊種,安堵復業,無棄民力,並分地利。班勒州郡,咸使遵承。」以智武將軍、南平內史王褒爲吏部尚書。

二月、王僧辯の衆軍は尋陽より発した。世祖は馳檄を四方に告げて言った。

原文二月,王僧辯衆軍發自尋陽。世祖馳檄告四方曰:

夫れ剝極まれば災を生じ、乃ち龍戦に及び、師貞にして終に吉、方に獖豕を制す。どうして侵陽盪薄し、源とする者は乱階であり、定龕艱難し、成す者は忠義であることを以てせざらんや。故に羿、澆は前に滅び、莽、卓は後に誅せられる。これにより桓、文の勲は周代に復興し、温、陶の績は金行に弥盛んとなる。粤ここ若ごと梁興すること五十余載、宇内を平壹し、徳恵悠長、仁は蒼生を育み、義は服さざるを征す。左は伊に右は瀍に、咸く皆仰化し、濁れる涇清き渭、靡くも風に向かわざるはない。翠鳳の旗を建てれば、則ち六龍首を驤し、霊鼉の鼓を撃てば、則ち百神警肅す。風、牧、方、邵の賢、衛、霍、辛、趙の将、羽林黄頭の士、虎賁緹騎の夫、叱吒すれば則ち風雲興起し、鼓動すれば則ち嵩、華倒拔す。桐柏以北、孤竹以南、碣石の前、流沙の後より、頸を延べ踵を挙げ、臂を交え膝を屈す。胡人は敢えて馬を牧せず、秦士は敢えて弓を彎げず。万邦を葉和し、百姓を平章し、十堯九舜、どうして云うに足らん。

原文夫剝極生災,乃及龍戰,師貞終吉,方制獖豕。豈不以侵陽盪薄,源之者亂階;定龕艱難,成之者忠義。故羿、澆滅於前,莽、卓誅於後。是故使桓、文之勳,復興於周代;溫、陶之績,彌盛於金行。粵若梁興五十餘載,平壹宇內,德惠悠長,仁育蒼生,義征不服。左伊右瀍,咸皆仰化;濁涇清渭,靡不向風。建翠鳳之旗,則六龍驤首;擊靈鼉之鼓,則百神警肅。風、牧、方、邵之賢,衛、霍、辛、趙之將,羽林黃頭之士,虎賁緹騎之夫,叱吒則風雲興起,鼓動則嵩、華倒拔。自桐柏以北,孤竹以南,碣石之前,流沙之後,延頸舉踵,交臂屈膝。胡人不敢牧馬,秦士不敢彎弓。葉和萬邦,平章百姓,十堯九舜,曷足云也。

賊臣の侯景は、匈奴の叛臣であり、鳴鏑の残党である。懸瓠の空城は、本来国宝ではなく、寿春は畿内の要衝であるが、賞は一ヶ月を超えなかった。海陵の倉を開き、常平の米を賑恤し、九府の費用を徴発し、三官の銭を賜与あたしたが、財貨に溺れ、限度を知らなかった。敢えて逆乱を起こし、我が王畿を妨げた。賊臣の正徳は、兵を擁して残忍を安んじた。かつては江羋と怨みを結び、遠く単于のもとに赴いた。簡牘にたびたび顕れ、彭生の魂は未だ鎮まらず、収奪に限度なく、景卿の誚りがすでに及んだ。虎に翼を添え、遠くから招き寄せた。我が生民を殺害し、我が兄弟を離散させた。我はこれにより皋貔を統率し、自ら甲冑を身につけ、霜の戈が日に照り輝けば、朝の離れ星が光を奪い、龍の騎兵が野を覆えば、平原が色を失い、誠は江水とともに流れ、気勢は寒風とともに憤った。凶悪な輩は威を畏れ、下吏に身を委ね、淮・肥で生き延びんと乞い、徐・兗に苟も存続しようとした。汗を流すごとく命令が既に行き渡り、詔勅が下された。我はこれにより軍を返し凱旋し、牛馬を休ませた。賊はなおも悔い改めず。遂にまた矢を王屋に流し、兵を象魏に踏み入れた。総章の観は、もはや訴訟を聴く堂ではなく、甘泉の宮は、永遠に避暑の地から乖離した。座して憲司を召し、臥して朝宰を制し、天命を偽り託し、符書を偽造した。重ねて賦斂を増やし、恣意に収奪し、生きる者は逃げ惑い、死ぬ者は屍を晒し、道路では目を伏せ、百官は口を閉ざした。刑戮は公正を失い、爵賞は心のままに、老弱は流浪し、士女は塗炭に陥った。奴婢の身分の者でも、五族にまで賞が及び、紳士の士でも、三族が誅殺された。穀物は高騰し、互いに食い合った。おののく民衆は、路に索を銜える哀しみがあり、蠢く黎民は、家に桓山の泣き声が絶えた。偃師から南を望めば、もはや儲胥・露寒の宮はなく、河陽から北を臨めば、あるいは穹廬の氈帳がある。南山の竹をもってしても、その罪過を言い尽くすことはできず、西山の兎をもってしても、その罪を書き記すことはできない。

原文賊臣侯景,匈奴叛臣,鳴鏑餘噍。懸瓠空城,本非國寶,壽春畿要,賞不逾月。開海陵之倉,賑常平之米,檄九府之費,錫三官之錢,冒于貨賄,不知紀極。敢興逆亂,梗我王畿。賊臣正德,阻兵安忍。日者結怨江羋,遠適單于。簡牘屢彰,彭生之魂未弭;聚斂無度,景卿之誚已及。爲虎傅翼,遠相招致。虔劉我生民,離散我兄弟。我是以董率皋貔,躬擐甲胄,霜戈照日,則晨離奪暉,龍騎蔽野,則平原掩色,信與江水同流,氣與寒風俱憤。凶醜畏威,委命下吏,乞活淮、肥,苟存徐、兗。渙汗旣行,絲綸爰被。我是以班師凱歸,休牛息馬。賊猶不悛。遂復矢流王屋,兵躔象魏。總章之觀,非復聽訟之堂;甘泉之宮,永乖避暑之地。坐召憲司,臥制朝宰,矯託天命,偽作符書。重增賦斂,肆意裒剝,生者逃竄,死者暴尸,道路以目,庶僚鉗口。刑戮失衷,爵賞由心,老弱波流,士女塗炭。臧獲之人,五宗及賞;搢紳之士,三族見誅。榖粟騰踴,自相吞噬。惵惵黔首,路有銜索之哀;蠢蠢黎民,家隕桓山之泣。偃師南望,無復儲胥、露寒,河陽北臨,或有穹廬氈帳。南山之竹,未足言其愆;西山之兔,不足書其罪。

外監の陳瑩之が到着し、先帝が崩御され、宮車が晏駕されたことを伏して承った。訃報を奉じて驚き号泣し、五内が引き裂かれる思いであり、州の冤罪は元より毒であり、身を置く余地もない。侯景は飢えに阻まれて甚だしく、民は狼のように後ろを顧み、遂に我が彭蠡を侵し、我が郢邑を凌ぎ、我が江夏を窮地に追い詰めて占拠し、我が巴丘を急襲した。我はこれにより義勇が先を争い、忠貞が力を尽くした。凶徒の首領を斬り、数え切れないほどであり、砂は赤岸のようになり、水は絳河のようになった。任約は安南で泥にまみれて首を垂れ、化仁は漢口で面縛され、子仙は鄢郢で生き延びんと乞い、希栄は柴桑で敗北した。侯景は奔り逃げ、十鼠が穴を争い、郭默は清夷し、晉熙ひろは義に附いた。計略が尽き力が屈し、後主を殺害した。畢・原・禜・郇は皆、禍患に遭い、凡・蔣・邢・茅は皆、斧鑕に伏した。これが忍びられるならば、何が容認できようか!

原文外監陳瑩之至,伏承先帝登遐,宮車晏駕。奉諱驚號,五內摧裂,州冤本毒,無地容身。景阻饑旣甚,民且狼顧,遂侵軼我彭蠡,憑凌我郢邑,窮據我江夏,掩襲我巴丘。我是以義勇爭先,忠貞儘力。斬馘凶渠,不可稱算,沙同赤岸,水若絳河。任約泥首於安南,化仁面縛於漢口,子仙乞活於鄢郢,希榮敗績於柴桑。侯景奔竄,十鼠爭穴,郭默清夷,晉熙附義,計窮力屈,反殺後主。畢、原、禜、郇、並離禍患,凡、蔣、邢、茅,皆伏鈇鑕。是可忍也,孰不可容!

幕府は上流を占拠し、まさに分陝の任を帯び、袖を振るって戈を担ぎ、命をかけることを志した。昔、周は晉・鄭に依り、漢には虚・牟があった。彼らは末裔に過ぎないが、なおこのようにできた。ましてや日月と連なる華を持ち、天下に賤しまれず、臣となり子となり、国を兼ね家を兼ねる者がどうしてできぬことがあろうか!皆、義旗が既に建てられた以上、統一を総べるべきであり、共に幕府を推し、まさに盟主とすることを用いた。私は不肖ながら、連率を誤って統率し、遠く国難を思い、安寧に居る暇もない。中権の後勁をもって、天罰を恭しく行い、戈を提げて危険を蒙り、身命を落とすこととなった。天馬千群、長戟百万、賁獲の士を駆り、智勇の力を資として、大楚は荊山を越え、浅原は彭蠡を渡り、舳艫は水に浮かび、その南を掎み、輜軿は輸送し、その北を衝く。華夷百濮、糧を背負って影のごとく従う。雷のごとく震え風のごとく駭き、直ちに建業を指す。剣を按じて叱れば、江水がこれにより逆流し、戈を抽いて揮えば、皎日がこれにより退く。車を並べて長駆し、百道ともに進入し、山を平らげ谷を滅ぼし、原を満たし野を覆う。輈を挟み牛を曳く者、距を抜き石を裂く者、騎兵は則ち日を逐い風を追い、弓は則ち猿を吟じ雁を落とす。崑崙を捧げて卵を圧し、渤海を傾けて熒を灌ぐ。四頭立ての馬が鴻毛を載せるがごとく、奔牛が魯の縞を触れるがごとし。この衆をもって戦えば、誰がこれを防ぐことができようか!仮にまた蜂や蠍に毒があり、獣が窮すれば闘うとも。山は高いと言えども、四郊に多くの堡塁があり、地は遠いと言えども、三千里も違わない。あの怒れる蛙のごとく、譬えば鼷鼠のようで、万鈞を費やすこともなく、百溢を労することもない。これに加えて日が黄道に臨み、兵が絳宮から起こり、三門が既に開かれ、五将が皆発し、整然とした旗を挙げて、亭々たる気勢を掃う。故に機密に臨んで運をめぐらすことは、賊の理解するところではなく、義を奉じて誅するに、何の罪が服さないことがあろうか?

原文幕府據有上流,實惟分陝,投袂荷戈、志在畢命。昔周依晉、鄭,漢有虛、牟。彼惟末屬,猶能如此;況聯華日月,天下不賤,爲臣爲子,兼國兼家者哉!咸以義旗旣建,宜須總一,共推幕府,實用主盟。粵以不佞,謬董連率,遠惟國艱,不遑寧處。中權後勁,龔行天罰,提戈蒙險,隕越以之。天馬千羣,長戟百萬,驅賁獲之士,資智勇之力,大楚逾荊山,淺原度彭蠡,舳艫泛水,以掎其南,輜軿委輸,以沖其北。華夷百濮,贏糧影從。雷震風駭,直指建業。按劍而叱,江水爲之倒流;抽戈而揮,皎日爲之退舍。方駕長驅,百道俱入,夷山殄谷,充原蔽野。挾輈曳牛之侶,拔距磔石之夫,騎則逐日追風,弓則吟猿落雁。捧崑崙而壓卵,傾渤海而灌熒。如駟馬之載鴻毛,若奔牛之觸魯縞。以此衆戰,誰能御之!脫復蜂蠆有毒,獸窮則鬬。謂山蓋高,則四郊多壘;謂地蓋遠,則三千弗違。如彼怒蛙,譬如鼷鼠,豈費萬鈞,無勞百溢。加以日臨黃道,兵起絳宮,三門旣啓,五將咸發,舉整整之旗,掃亭亭之氣,故以臨機密運,非賊所解,奉義而誅,何罪不服?

今、使持節・大都督・征東将軍・開府儀同三司・江州刺史・尚書令・長寧県開国侯の王僧辯に衆十万を率いさせ、直ちに金陵を掃討させる。鼓を鳴らして天を騒がせ、金を打ち鳴らして地を震わす。朱旗が夕べに建てば、赤城の霞が立ち昇るが如く、戈船が夜に動けば、滄海の奔流のようである。その同悪を計れば、一旅にも満たない。君子は野に在り、小人は比周する。何の校えが耳を滅ぼすか、朝でなくとも夕べである。長狄の喉を舂き、郅支の頸を繋ぐ。今、司寇が明らかに罰し、質斧が誅するのは、侯景ただ一人に止まる。民衆に何の罪があろうか、一切問うことはない。諸君の中には、代々忠貞を樹て、身に寵爵を荷い、鼎族の羽儀となり、王府に勲を記し、狡猾な小僧に眉を俯せ、自ら尽くす由もない者もいるが、泉下に恥じず、皇天に愧じないであろうか!忠と義を失えば、自立することは難しい。誠に南風を想い、西顧を眷み、変に因って功を立て、禍を転じて福となすことを望む。侯景を縛り、またはその首を送る者があれば、万戸開国公に封じ、絹布五万匹を与える。義衆を率いて動き、官軍に応じ、城邑を保全し、賊に用いられない者があれば、上は方伯の賞を、下は剖符の賞を与え、共に山河を裂き、青紫の綬を緩める。昔、由余が秦に入り、礼は卿佐と同様であり、日磾が漢に降り、かつて金貂を耳に飾った。必ずやその才があれば、位のないことを憂うる必要はない。もし執迷して返らず、王師に逆らい拒めば、大軍が一たび臨めば、これを刑し赦すことはない。孟諸で焼き払えば、芝や艾も共に尽き、宣房で黄河が決壊すれば、玉も石も共に沈む。賞を信じる科条は、皎日の如くあり、陟黜の制度は、事白水に均しい。檄を遠近に布告し、皆に知らしめる。

原文今遣使持節、大都督、征東將軍、開府儀同三司、江州刺史、尚書令、長寧縣開國侯王僧辯率衆十萬,直掃金陵。鳴鼓聒天,摐金振地。朱旗夕建,如赤城之霞起;戈船夜動,若滄海之奔流。計其同惡,不盈一旅。君子在野,小人比周。何校滅耳,匪朝伊夕。舂長狄之喉,系郅支之頸。今司寇明罰,質釒夫所誅,止侯景而已。黎元何辜,一無所問。諸君或世樹忠貞,身荷寵爵,羽儀鼎族,書勳王府,俯眉猾豎,無由自效,豈不下慚泉壤,上愧皇天!失忠與義,難以自立。想誠南風,乃眷西顧,因變立功,轉禍爲福。有能縛侯景及送首者,封萬戶開國公,絹布五萬匹。有能率動義衆,以應官軍,保全城邑,不爲賊用,上賞方伯,下賞剖符,並裂山河,以紆青紫。昔由余入秦,禮同卿佐;日磾降漢,且珥金貂。必有其才,何卹無位。若執迷不反,拒逆王師,大軍一臨,刑茲罔赦。孟諸焚燎,芝艾俱盡;宣房河決,玉石同沉。信賞之科,有如皎日;黜陟之制,事均白水。檄布遠近,咸使知聞。

三月、王僧辯らが侯景を平定し、その首を江陵に伝送した。戊子、賊平定を明堂・太社に告げた。己丑、王僧辯らがまた上表して言う。

原文三月,王僧辯等平侯景,傳其首于江陵。戊子,以賊平告明堂、太社。己丑,王僧辯等又奉表曰:

諸軍は今月戊子の日に建康に総集結した。賊の侯景は鳥のように伏し獣のように窮し、頻繁に攻撃され頻繁に挫かれ、奸計は尽き詐術は尽き、深い堀を掘って自らを固守している。臣らはそれぞれ武旅を統率し、百の道から同じ目標に向かい、突騎と短兵、犀の皮の甲冑と鉄の楯、千の群れを結成し、戟を持つ者は百万に及び、紂王を七歩で止め、項羽を三重に包囲するがごとく、轟然と大いに潰え、群凶は四方に滅びた。京師の老少は、ともに万歳を称えた。長安の酒食が、ここで価が高まるようなものである。九県の雲が開け、天地四方が清く明るく、ましてや庶民は、誰が躍り上がらないことがあろうか!伏して考えるに、陛下は痛みを噛みしめ悲しみを飲み込み、憤りを抱き残酷さを耐え忍ばれた。紫庭や絳闕から、胡の塵が四方に立ち、壖垣や好畤では、冀州の馬が雲のように屯し、血の涙を流して兵を治め、胆を嘗めて衆に誓われた。しかし呉・楚が一家となり、まさに七国とともに反逆し;管叔・蔡叔の流言飛語が、また三監をして乱を起こさせた。西涼の義衆は、強秦に阻まれて通じず;并州の遺民は、飛狐を跨いで滅ぼされた。豺狼が路に当たり、一人に止まらず;鯨鯢が梟首されず、あっという間に五載が過ぎた。英武がついに奮い立ち、怨みと恥辱がともに雪がれ、永遠に霜露を追憶するも、どうして言い表せようか!臣らはただちに故事に依拠し、社廟を奉り修復し、使者に節を持たせ、分かれて陵墓に告げる。先帝が昇遐され、龍輴がまだ殯されず、承華宮の光が覆い隠され、梓宮の所在が測り知れないが、これらもすべて順を追って備えを整え、凶事の礼を具える。四海はともに哀しみ、六軍は袒ぎて哭し、聖なる情は孝友に満ち、理として感慟すべきである。先日、百官や諸侯の長は、宸鑑を祈り仰いだ。錫珪の功績は、すでに有道に帰し、当璧の礼は、まさに聖明に属する;しかし優れた詔は謙虚で、深遠で遠く隔たっている。飛龍に登ることができるのに、『乾』卦の爻は四にあり;帝の門に叫びかけるが、閶闔はまだ開かない。謳歌が再び馳せ、これをもって首を上げて待つ。それゆえ越人は固執し、丹穴を燻して君主を求め;周の民は推戴を喜び、岐山を説いて主に仕えた。漢王が即位しなければ、功臣を貴ぶことができず;光武帝が蕭王にとどまれば、どうして宗廟を継ぐと言えようか。黄帝が襄城に遊んだとき、なお治民の道を訪ね;放勛(尭)が姑射山に入ったとき、なお樽俎に帰るべき者を定めた。このような偶然の到来は、どうして聖人が望み、帝王が応ずべきものであろうか、やむを得ずそうなったのである。伏して璽書じしょを読み、制旨を繰り返し諷誦するが、物外を顧み懐い、まだ慈衷を奉じていない。陛下の日角龍顔の姿は、幼少の頃から表れ、彤雲素気の瑞祥は、物事に対応する初めに基づいている。博覧すれば大いなるものは名づけることができず、深く言えば輝かしく昭章たる観がある。忠は立派な徳であり、孝は実に天を動かす。これに英威茂略、雄図武算を加え、指麾すれば丹浦は戦わず、顧みれば阪泉は自ら平定される。地維が絶えて再び結ばれ、天柱が傾いてさらに立て直される。孟門に河津を開けば、百川が再び流れ始め;五石で穹儀を補えば、万物が再生する。たとえ陛下が袗衣を払って広成に遊び、<山弇>山に登って東土を去られたとしても、群臣はどうして仰ぎ訴えることができ、兆民はどこに仁政を帰すればよいのか。まして郊祀で天に配し、罍や篚の礼が欠け、斎宮や清廟で、匏や竹の楽器が奏でられず、鑾輿を仰ぎ望むのは、一朝一夕ではなく、法駕を眺め言うのは、渇き飢えを載せている。どうして久しく衆議を滞らせ、常則を欠くことができようか!旧都の郊祀がすでに復活し、函谷関・洛陽はすでに平定された。高奴・櫟陽の宮館は毀損したが;濁河清渭の佳気はなお存する。皋門は高くそびえ、甘泉宮は四方に開け、土圭で日影を測り、仙人が承露盤を捧げる。これこそ九州の赤県、天地四方の枢機である。博士は図書を捧げて徐々に戻り、太常は礼儀を定めてすでに整列している。どうして清らかな駕を揚げて名都に赴き、玉鑾を具えて正寝に遊ばれないことがあろうか!昔、東周が遷都すると、鎬京はついに復興せず;長安が一度乱れると、郟・洛が永久の居所となった。夏后は万国をもって諸侯を朝せしめ、文王は六州をもって天下を匡正した。基跡は百里、剣杖は三尺。残った楚の地で、九戎に抵抗し;一旅の師で、三つの叛逆を滅ぼした。泰然として大定し、御輦は東に帰る。冀州で五牛を解き、譙郡で六馬に秣をやる。遠く前古を求めても、これが得られようか?天命に対揚し、どうして徳を譲ることがあろうか!理がここに存するので、敢えて重ねて奏上する。

原文衆軍以今月戊子總集建康。賊景鳥伏獸窮,頻擊頻挫,姦竭詐盡,深溝自固。臣等分勒武旅,百道同趣,突騎短兵,犀函鐵楯,結隊千羣,持戟百萬,止紂七步,圍項三重,轟然大潰,羣凶四滅。京師少長,俱稱萬歲。長安酒食,於此價高。九縣雲開,六合清朗,矧伊黔首,誰不載躍!伏惟陛下咀痛茹哀,嬰憤忍酷。自紫庭絳闕,胡塵四起,壖垣好畤,冀馬雲屯,泣血治兵,嘗膽誓衆。而吳、楚一家,方與七國俱反;管、蔡流言,又以三監作亂。西涼義衆,阻強秦而不通;幷州遺民,跨飛狐而見泯。豺狼當路,非止一人;鯨鯢不梟,倏焉五載。英武克振,怨恥並雪,永尋霜露,如何可言!臣等輒依故實,奉脩社廟,使者持節,分告塋陵。嗣后後升遐,龍輴未殯,承華掩曜,梓宮莫測,並卽隨由備辦,禮具凶荒。四海同哀,六軍袒哭,聖情孝友,理當感慟。日者,百司岳牧,祈仰宸鑒。以錫珪之功,旣歸有道,當璧之禮,允屬聖明;而優詔謙沖,窅然凝邈。飛龍可躋,而《乾》爻在四;帝閽云叫,而閶闔未開。謳歌再馳,是用翹首。所以越人固執,熏丹穴以求君;周民樂推,諭岐山而事主。漢王不卽位,無以貴功臣;光武止蕭王,豈謂紹宗廟。黃帝游於襄城,尚訪治民之道;放勛入於姑射,猶使樽俎有歸。伊此儻來,豈聖人所欲,帝王所應,不獲已而然。伏讀璽書,尋諷制旨,顧懷物外,未奉慈衷。陛下日角龍顏之姿,表於徇齊之日,彤雲素氣之瑞,基於應物之初。博覽則大哉無所與名,深言則曄乎昭章之觀。忠爲令德,孝實動天。加以英威茂略,雄圖武算,指麾則丹浦不戰,顧眄則阪泉自盪。地維絕而重紐,天柱傾而更植。鑿河津於孟門,百川復啓;補穹儀以五石,萬物再生。縱陛下拂袗衣而游廣成,登<山弇>山而去東土,羣臣安得仰訴,兆庶何所歸仁。況郊祀配天,罍篚禮曠,齋宮清廟,匏竹不陳,仰望鑾輿,匪朝伊夕,瞻言法駕,載渴且飢。豈可久稽衆議,有曠彜則!舊郊旣復,函、雒已平。高奴、櫟陽,宮館雖毀;濁河清渭,佳氣猶存。皋門有伉,甘泉四敞,土圭測景,仙人承露。斯蓋九州之赤縣,六合之樞機。博士捧圖書而稍還,太常定禮儀而已列。豈得不揚清駕而赴名都,具玉鑾而游正寢!昔東周旣遷,鎬京遂其不復;長安一亂,郟、洛永以爲居。夏后以萬國朝諸侯,文王以六州匡天下。跡基百里,劍杖三尺。以殘楚之地,抗拒九戎;一旅之師,剪滅三叛。坦然大定,御輦東歸。解五牛于冀州,秣六馬於譙郡。緬求前古,其可得歟?對揚天命,何所讓德!有理存焉,敢重所奏。

相国は答えて言った。「上表を拝見し、改めて一、二申し上げる。群公卿士、億兆の民衆は、皆、皇天が眷命し、帰運が属する所であるとして、宝位を私一人に集められたとしている。文叔(光武帝)の金吾の官は、事柄がかつての願いと同じであり;孟德(曹操)の征西の位は、かつての説に符合している。今、淮海の長鯨(侯景)は、首を授けられたとはいうものの;襄陽の短狐(蕭詧)は、まだ完全に心を改めていない。太平の玉燭については、そちらで議論せよ。」辛卯の日、宣猛将軍朱買臣が密かに豫章嗣王蕭棟とその二人の弟の蕭橋・蕭樛を害した。これは世祖(元帝)の意向であった。

原文相國答曰:「省表,復具一二。羣公卿士,億兆夷人,咸以皇天眷命,歸運所屬,用集寶位于予一人。文叔金吾之官,事均往願;孟德征西之位,且符前說。今淮海長鯨,雖云授首;襄陽短狐,未全革面。太平玉燭,爾乃議之。」辛卯,宣猛將軍朱買臣密害豫章嗣王棟,及其二弟橋、樛,世祖志也。

四月乙巳の日、益州刺史、新たに仮黄鉞・太尉を拝命した武陵王蕭紀が蜀で帝位を僭称し、元号を天正元年と改めた。世祖は兼司空の蕭泰、祠部尚書の楽子雲を派遣して陵墓を拝謁させ、社廟を修復させた。丁巳の日、世祖は令を下して言った。「軍容は国に入らず、国容は軍に入らず。子産が戦勝を献上したとき、戎服で事に当たり、周亜夫が拝礼しなかったのは、義は将兵に止まるからである。今、凶悪な輩は殲滅され、逆徒は潰滅し、九州はすでに整えられ、四海は安寧である。漢官の威儀を、盛大な礼として整えようとしている。衛には君子が多いので、これを見て模範とする。ただちに厳戒態勢を解き、時宜に応じて布告せよ。」この月、東陽太守の張彪を安東将軍とした。

原文四月乙巳,益州刺史、新除假黃鉞、太尉武陵王紀竊位於蜀,改號天正元年。世祖遣兼司空蕭泰、祠部尚書樂子雲拜謁塋陵,脩復社廟。丁巳,世祖令曰:「軍容不入國,國容不入軍。雖子產獻捷,戎服從事,亞夫弗拜,義止將兵。今凶醜殲夷,逆徒殄潰,九有旣截,四海乂安。漢官威儀,方陳盛禮,衛多君子,寄是式瞻。便可解嚴,以時宣勒。」是月,以東陽太守張彪爲安東將軍。

五月庚午の日、司空の南平王蕭恪および宗室の王侯、大都督の王僧弁らが、再び上表して尊号を奉ったが、世祖はなお固く辞退して受けなかった。庚辰の日、征南将軍・湘州刺史・司空の南平嗣王蕭恪を鎮東将軍・揚州刺史とし、その他の官職はもとのままとした。甲申の日、尚書令・征東将軍・開府儀同三司・江州刺史の王僧弁を司徒・鎮衛将軍とした。乙酉の日、賊の左僕射王偉、尚書の呂季略、少卿の周石珍、舍人の厳亶を江陵の市で斬った。この日、世祖は令を下して言った。「君子が過ちを赦すことは、周の経典に著されている;聖人が網を解くことは、湯の令に聞く。獫狁が甚だしく盛んになり、長蛇が繰り返し食らいついて以来、赤県は危うく、庶民は塗炭の苦しみにあった。終夜眠らず、恥を雪ぐことを志した。元凶の誅罰が遅れたのは、本来は侯景に属するものである;王偉はその心腹であり、周石珍は恩義に背いた。今、ともに鼎鑊で煮る刑に処し、市朝にさらす。しかし、これまで寇賊の擾乱が続き、年月が積もり、衣冠の旧貴族は、脅迫されて生き延び、猛士や勲豪は、和光同塵して苟くも免れた。凡そ諸悪の仲間は、一族ではないことを信じる。今、特に王の恩沢を明らかにし、刑書をもって削除する。太清六年五月二十日未明以前の者は、すべて新たに生まれ変わらせる。」この月、魏が太師の潘楽、辛術らを派遣して秦郡を侵し、王僧弁は杜崱に衆を率いさせてこれを防がせた。陳霸先を征北大将軍・開府儀同三司・南徐州刺史とした。この月、魏が使者を派遣して侯景平定を賀した。

原文五月庚午,司空南平王恪及宗室王侯、大都督王僧辯等,復拜表上尊號,世祖猶固讓不受。庚辰,以征南將軍、湘州刺史、司空南平嗣王恪爲鎮東將軍、揚州刺史,餘如故。甲申,以尚書令、征東將軍、開府儀同三司、江州刺史王僧辯爲司徒、鎮衛將軍。乙酉,斬賊左僕射王偉、尚書呂季略、少卿周石珍、舍人嚴亶於江陵市。是日,世祖令曰:「君子赦過,著在周經;聖人解網,聞之湯令。自獫狁孔熾,長蛇薦食,赤縣阽危,黔黎塗炭,終宵不寐,志在雪恥。元惡稽誅,本屬侯景;王偉是其心膂,周石珍負背恩義,今並烹諸鼎鑊,肆之市朝。但比屯邅寇擾,爲歲已積,衣冠舊貴,被逼偷生,猛士勳豪,和光苟免,凡諸惡侶,諒非一族。今特闡以王澤,削以刑書,自太清六年五月二十日昧爽以前,咸使惟新。」是月,魏遣太師潘樂、辛術等寇秦郡,王僧辯遣杜崱帥衆拒之。以陳霸先爲征北大將軍、開府儀同三司、南徐州刺史。是月,魏遣使賀平侯景。

八月、蕭紀が巴・蜀の大軍を率いて船を連ねて東下し、護軍の陸法和を巴峡に駐屯させてこれを防がせた。兼通直散騎常侍・聘魏使の徐陵が鄴で上表を奉って言った。

原文八月,蕭紀率巴、蜀大衆連舟東下,遣護軍陸法和屯巴峽以拒之。兼通直散騎常侍、聘魏使徐陵於鄴奉表曰:

臣は聞く、唐を封じた者に聖人がおり、帝嚳の家を継いで承けた。代に居た者は賢人であり、ついに高祖の皇位を継いだ。無為は革の履で称えられ、至治は垂衣(天子の衣服)に表れたが、乱を撥ね正すことは、前代未聞であった。金行(晋)が再び興り、その源は東莞から出た。炎運(漢)がなお盛んであり、枝分かれして南頓に至った。どうして顕著な姓を軒轅に隠し、顕頊の才子でないと言えようか。みな時に多難に因り、ともに神宗を継いだのである。伏して惟うに、陛下は『震』卦を出して勛・華に等しく、譲りを明らかにして旦・奭と同じである。図を握り鉞を執り、天を御するに将たり、玉縢珠衡は、先ず元后(天子)を彰わす。神祇の命ずるところは、ただ太室の祥瑞のみにあらず。図画の帰するところは、堯門の瑞祥に止まらない。大孝聖人の心、中庸君子の徳は、固より生民を訓え、多士に風を遺す。一日二日と、万機を研ぎ覧る。文に允まこと(まこと)にして武に允(まこと)なり、群芸を包羅する。この三大(天・地・人)に擬え、四門を賓とし、諸難を歴試し、庶績を咸(ことごと)く熙(ひろ)む。これは称えるに足るものがないほどである。

原文臣聞封唐有聖,還承帝嚳之家;居代惟賢,終纂高皇之祚。無爲稱於革舄,至治表於垂衣,而撥亂反正,非聞前古。至如金行重作,源出東莞;炎運猶昌,枝分南頓。豈得掩顯姓於軒轅,非才子于顓頊?莫不時因多難,俱繼神宗者也。伏惟陛下,出《震》等於勛、華,明讓同於旦、奭。握圖執鉞,將在御天,玉縢珠衡,先彰元后。神祇所命,非惟太室之祥;圖畫斯歸,何止堯門之瑞。若夫大孝聖人之心,中庸君子之德,固以作訓生民,貽風多士。一日二日,研覽萬機;允文允武,包羅羣藝。擬茲三大,賓是四門,歷試諸難,咸熙庶績,斯無得而稱也。

無妄の暴が興り、皇祚が次第に衰えて以来、封狶(大猪)や修蛇(長蛇)が中国に災いを行い、霊心の宿るところ、下武(後継の武王)が興る。紫極(天子の宮殿)を望んで長く号し、丹陵(先帝の陵)を瞻み(み)て慟哭する。家の冤は報いられんとし、天は黄鳥の旗を賜う。国の害は誅すべきであり、神は玄狐の籙を奉ずる。滕公が樹を擁し、雄気はまさに厳なり。張繡が兵を交え、風神はますます勇ましい。忠誠は日月に冠たり、孝義は氷霜に感ず。霆の如く雷の如く、貔の如く虎の如く、前駆は命を効し、元悪はここに殲(ほろ)ぼされる。すでに西州に胆を掛け、まさに東市で臍を燃やす。蚩尤の三冢、どうして厳誅と言えようか。王莽の千剸(切り刻み)、明罰と言えようか。青羌や赤狄は、ともに豺狼に与(あた)え、胡服夷言は、みな京観(戦勝記念の塚)となる。邦畿は済々として、再び隆平を見る。宗廟は愔愔として、まさに多福を承ける。氤氳渾沌の世より、驪連・栗陸の君より、卦は龍図より起こり、文は鳥跡に因る。雲師火帝も、戦陣の風なきにあらず。堯の誓い湯の征伐も、みな干戈の道を用いた。星は東井を躔めぐ(めぐ)り、時に崤・潼を破る。雷は南陽に震い、初めて尋・邑を平らぐ。三霊(天・地・人)のすでに墜つるを援け、四海の群飛(乱れた民)を救うこと、赫々として明々、天罰を恭行する、当今の盛んなる如きは未だなかった。ここに卿雲は蓋の如く、朝に姚郷に映え、甘露は珠の如く、朝に景寢に華やぐ。芝房は徳に感じ、みな銅池より出で、蓂莢は辰を伺い、銀箭(水時計)を労わず。重ねて東は玄菟に漸およ(およ)び、西は白狼を逾え、高柳に風生じ、扶桑に日盛んなり。みな名を属国に編し、質を鴻臚に帰し、荒服来賓し、遐邇ともに福を同じくす。その文昭武穆、跗萼(花の萼)の如きはあのように、天平地成、功業の如きはこのようである。久しく旁らに掌故を求め、天官に諮詢し、繁昌を斟酌し、高邑を経営すべきである。宗王が覇を啓くも、陽武の侯を労せず。清蹕に虞(うれ)い無く、何事ぞ長安の邸を要せん。正に鑾旂を揚げて帝を饗し、鳳扆(天子の座)を仰いで天を承け、歴数は躬み(み)に在り、誰と譲らんとするのか!去月二十日、兼散騎常侍柳暉らが鄴に至り、伏して承るに聖旨は謙沖にして、為して宰(つかさど)らず。或いは云う、涇陽は未だ復せず、函谷に泥無し、金陵に旋駕し、まさに天眷を受けんとす、と。愚かには謂う、大庭・少昊も、定まった居所はなく、漢祖・殷宗も、恒常の宅はなかった。岱岳に登封しても、なお明堂を置き、章陵に巡狩しても、時に司隷を行った。何ぞ必ずしも西に虎據(虎踞、金陵の地形)を瞻(み)て、王宮を建て、南に牛頭を望んで、天闕と称せんとする必要があろうか。抑々また聞く、玄圭はすでに賜わり、蒼玉は陳べず、乃ち棫樸の愆期(遅れ)であり、苞茅の貢がざるにあらず。雲和の瑟は、久しく甘泉に廃し、孤竹の管は、方沢に聞こえず。豈に懼れざらんや!

原文自無妄興暴,皇祚寖微,封狶脩蛇,行災中國,靈心所宅,下武其興,望紫極而長號,瞻丹陵而殞慟。家冤將報,天賜黃鳥之旗;國害宜誅,神奉玄狐之籙。滕公擁樹,雄氣方嚴;張繡交兵,風神彌勇。忠誠冠於日月,孝義感於冰霜。如霆如雷,如貔如虎,前驅效命,元惡斯殲。旣掛膽於西州,方燃臍於東市。蚩尤三冢,寧謂嚴誅?王莽千剸,非云明罰?青羌赤狄,同畀豺狼,胡服夷言,咸爲京觀。邦畿濟濟,還見隆平;宗廟愔愔,方承多福。自氤氳渾沌之世,驪連、栗陸之君,卦起龍圖,文因鳥跡。雲師火帝,非無戰陣之風,堯誓湯征,咸用干戈之道。星躔東井,時破崤、潼;雷震南陽,初平尋、邑。未有援三靈之已墜,救四海之羣飛,赫赫明明,龔行天罰,如當今之盛者也。於是卿雲似蓋,晨映姚鄉;甘露如珠,朝華景寢。芝房感德,咸出銅池;蓂莢伺辰,無勞銀箭。重以東漸玄菟,西逾白狼,高柳生風,扶桑盛日,莫不編名屬國,歸質鴻臚,荒服來賓,遐邇同福。其文昭武穆,跗萼也如彼;天平地成,功業也如此。久應旁求掌故,諮詢天官,斟酌繁昌,經營高邑。宗王啓霸,非勞陽武之侯;清蹕無虞,何事長安之邸。正應揚鑾旂以饗帝,仰鳳扆以承天,歷數在躬,疇與爲讓!去月二十日,兼散騎常侍柳暉等至鄴,伏承聖旨謙沖,爲而弗宰,或云涇陽未復,函谷無泥,旋駕金陵,方膺天眷。愚謂大庭、少昊,非有定居;漢祖、殷宗,皆無恒宅。登封岱岳,猶置明堂;巡狩章陵,時行司隸。何必西瞻虎據,乃建王宮;南望牛頭,方稱天闕。抑又聞之:玄圭旣錫,蒼玉無陳,乃棫樸之愆期,非苞茅之不貢。雲和之瑟,久廢甘泉;孤竹之管,無聞方澤。豈不懼歟!

伏して願わくは、陛下は百姓の心に因り、万邦の命を拯わんことを。どうして逡巡して固く譲り、石戸の農夫を求め、君臨を高く謝し、徒らに箕山の客を引きいれんとするのか!上徳の徳ならざるを知らず、ただ聖人の仁ならざるを見る。率土の翹翹たる(危うき)こと、蒼生何をか望まん!昔、蘇季・張儀は、郷を違え俗に背き、尚ほまた三方を招いて趙に事え、六国を請うて秦を尊んだ。況んや臣らは顕かに皇華を奉じ、親しく朝命を承け、珪璋特達して、河陽に聘を通じ、貂珥雍容として、漳水に盟を尋ね、牢を加え館を貶し、勢いに随って汚隆し、郷関を瞻望し、誠に休戚を均しくする。ただ軽生にして造らず、命は時に乖く。一介の行人を忝かたじけな(かたじけな)くし、三危の遠擯に同じ。内殿に間を承け、事は耿弇の恩を絶ち、辺城に封奏し、私に劉琨の哭に等しい。区区の至りを勝えず、謹んで表を拝して以て聞す。

原文伏願陛下因百姓之心,拯萬邦之命。豈可逡巡固讓,方求石戶之農;高謝君臨,徒引箕山之客!未知上德之不德,惟見聖人之不仁。率士翹翹,蒼生何望!昔蘇季、張儀,違鄉負俗,尚復招三方以事趙,請六國以尊秦。況臣等顯奉皇華,親承朝命,珪璋特達,通聘河陽,貂珥雍容,尋盟漳水,加牢貶館,隨勢汙隆,瞻望鄉關,誠均休戚。但輕生不造,命與時乖。忝一介之行人,同三危之遠擯。承閒內殿,事絕耿弇之恩;封奏邊城,私等劉琨之哭。不勝區區之至,謹拜表以聞。

九月甲戌、司空・鎮東將軍・揚州刺史の南平王蕭恪が薨去こうきょした。

原文九月甲戌,司空、鎮東將軍、揚州刺史南平王恪薨。

冬十月乙未、前梁州刺史の蕭循が魏より江陵に至り、蕭循を平北將軍・開府儀同三司とした。戊申、湘州刺史の王琳を殿内で捕らえ、王琳の副将の殷晏は獄に下されて死んだ。辛酉、子の方略を湘州刺史とした。庚戌、王琳の長史の陸納およびその将の潘烏累らが兵を挙げて反し、湘州を襲撃して陥落させた。この月、四方の征鎮・王公卿士が再び世祖(元帝)に尊号に即くことを勧めたが、なお謙譲して許さなかった。表が三度上ると、ようやく従った。

原文冬十月乙未,前梁州刺史蕭循自魏至于江陵,以循爲平北將軍、開府儀同三司。戊申,執湘州刺史王琳於殿內,琳副將殷晏下獄死。辛酉,以子方略爲湘州刺史。庚戌,琳長史陸納及其將潘烏累等舉兵反,襲陷湘州。是月,四方征鎮王公卿士復勸世祖卽尊號,猶謙讓未許。表三上,乃從之。

承聖元年冬十一月丙子、世祖は江陵において皇帝の位に即いた。詔して言う、「君を立てるのは、黔首(民)を司牧するためである。帝堯の心は、どうして黄屋(天子の車)を貴んだであろうか、誠に已むを得ずして臨蒞したのである。朕の皇祖太祖文皇帝は徳を岐・梁に積み、化を江・漢に行わしめ、道は田に映え、具瞻(衆目)の属する所となった。皇考高祖武皇帝は明らかさ日月に並び、功は区宇に格いた(いた)り、天に応じ民に従い、惟れ睿えい(えい)として聖を作す。太宗簡文皇帝の地は啓・誦(夏の啓王と周の成王)に侔ひと(ひと)しく、方(まさ)に文・景(漢の文帝・景帝)に符す。羯寇が憑陵し、時難は孔棘(きわめて急)であった。朕は大いに横流を拯い、宗社を克復した。群公卿士・百辟庶僚、みな皇霊の眷命、帰運の斯(ここ)に及ぶを以てし、天命は久しく淹とど(とど)まるべからず、宸極は久しく曠あ(あ)くべからずと言う。粤(ここ)に若(ごと)く前載(先例)を、憲章令範とし、天の威を畏れ、宝暦を算隆し、用いて神器を予一人に集む。昔、虞・夏・商・周は、年に嘉号なく、漢・魏・晋・宋は、因循すること久し。朕は撥乱と云うも、かつ創業にあらず、上は宗廟に繫がり、下は億兆に恵みたいと思う。太清六年を承聖元年と改めることを可とする。逋租宿責(未納の租税と旧債)は、ともに弘貸(広く免除)を許す。孝子義孫は、みな爵を賜うことを可とする。長徒鏁士(長期の徒刑や鎖につながれた者)は、特に原宥(赦免)を加える。禁錮奪労(官職追放や労役剥奪)は、すべて曠盪(免除)する。」この日、世祖は正殿に昇らず、公卿が陪列したのみであった。丁丑、平北將軍・開府儀同三司の蕭循を驃騎將軍・湘州刺史とし、その他の官職は元の通りとした。己卯、王太子の方矩を皇太子と立て、名を元良と改めた。皇子の方智を晉安郡王と立て、方略を始安郡王とした。生母の阮脩容を追尊して文宣太后とした。この月、陸納が将の潘烏累らを遣わして衡州刺史の丁道貴を淥口で攻め破り、丁道貴は零陵に逃走した。

原文承聖元年冬十一月丙子,世祖卽皇帝位於江陵。詔曰:「夫樹之以君,司牧黔首。帝堯之心,豈貴黃屋,誠弗獲已而臨蒞之。朕皇祖太祖文皇帝積德岐、梁,化行江、漢,道映在田,具瞻斯屬。皇考高祖武皇帝明並日月,功格區宇,應天從民,惟睿作聖。太宗簡文皇帝地侔啓、誦,方符文、景。羯寇憑陵,時難孔棘。朕大拯橫流,克復宗社。羣公卿士、百辟庶僚,咸以皇靈眷命,歸運斯及,天命不可以久淹,宸極不可以久曠。粵若前載,憲章令範,畏天之威,算隆寶曆,用集神器于予一人。昔虞、夏、商、周,年無嘉號,漢、魏、晉、宋,因循以久。朕雖云撥亂,且非創業,思得上繫宗祧,下惠億兆。可改太清六年爲承聖元年。逋租宿責,並許弘貸;孝子義孫,可悉賜爵;長徒鏁士,特加原宥;禁錮奪勞,一皆曠盪。」是日世祖不升正殿,公卿陪列而已。丁丑,以平北將軍、開府儀同三司蕭循爲驃騎將軍、湘州刺史,餘如故。己卯,立王太子方矩爲皇太子,改名元良。立皇子方智爲晉安郡王,方略爲始安郡王。追尊所生妣阮脩容爲文宣太后。是月,陸納遣將潘烏累等攻破衡州刺史丁道貴於淥口,道貴走零陵。

十二月壬子、陸納が兵を分けて巴陵を襲撃したが、湘州刺史の蕭循がこれを撃破した。この月、營州刺史の李洪雅が零陵より衆を率いて空霊灘を出て、下って陸納を討たんとしたが、陸納が将の呉蔵らを遣わして李洪雅を襲撃して破り、李洪雅は空霊城に退いて守った。

原文十二月壬子,陸納分兵襲巴陵,湘州刺史蕭循擊破之。是月,營州刺史李洪雅自零陵率衆出空靈灘,將下討納,納遣將吳藏等襲破洪雅,洪雅退守空靈城。

承聖二年

原文承聖二年

二年春正月乙丑、詔して王僧辯に衆軍士を率いて陸納を討たせた。戊寅、吏部尚書の王褒を尚書右僕射とし、劉瑴を吏部尚書とした。西魏が大将の尉遅迥を遣わして益州を襲撃した。

原文二年春正月乙丑,詔王僧辯率衆軍士討陸納。戊寅,以吏部尚書王褒爲尚書右僕射,劉瑴爲吏部尚書。西魏遣大將尉遲迥襲益州。

三月庚午の日、詔を下して言った。「食は民の天であり、農は治世の根本である。千年に伝えられ、百王に遺されたもので、民に時を授けることを敬い、帝籍で自ら耕作しない者はない。それゆえ、耕作を宝とし、『周頌』はその楽章を称えている。禾や麦が実らないことは、魯の史書がその冊に記している。秦の人には農力を推奨する科条があり、漢の世には屯田の利を開いた。近年は世が塞がり、多くの難が重なって起こり、干戈が収まらず、我にはその暇がなかった。広く田を開く命令は、郡国から聞こえてこず、土地を管理する職務は、官の務めとして粗末であった。今、大悪人は滅ぼされ、海内はようやく一つになった。広く民衆を庇護し、横流を救いたい。一つの家屋が耕作を怠れば、心を労して日は傾き、一人の男が仕事を廃すれば、塩鹹地さえも残らない。国が富み刑罰が清く、家が満ち民が足るようにせよ。力田に励む者自身は、その地で租税を免除せよ。外には直ちに布告して、朕の意にかなうようにせよ。」辛未の日、李洪雅が空霊城を挙げて賊に降り、賊は彼を捕らえて帰った。初め、丁道貴は零陵に逃れて洪雅に身を寄せ、洪雅は残った兵を集めさせ、共に降伏させた。洪雅が賊に降ると、賊は道貴を殺害した。丙子の日、賊の将軍呉蔵らが兵を率いて車輪を占拠した。庚寅の日、二頭の龍が湘州の西江に現れた。

原文三月庚午,詔曰:「食乃民天,農爲治本,垂之千載,貽諸百王,莫不敬授民時,躬耕帝籍。是以稼穡爲寶,《周頌》嘉其樂章;禾麥不成,魯史書其方册。秦人有農力之科,漢氏開屯田之利。頃歲屯否,多難荐臻,干戈不戢,我則未暇。廣田之令,無聞於郡國;載師之職,有陋於官方。今元惡殄殲,海內方一,其大庇黔首,庶拯橫流。一廛曠務,勞心日仄;一夫廢業,舄鹵無遺。國富刑清,家給民足。其力田之身,在所蠲免。外卽宣勒,稱朕意焉。」辛未,李洪雅以空靈城降賊,賊執之而歸。初,丁道貴走零陵投洪雅,洪雅使收餘衆。與之俱降。洪雅旣降賊,賊乃害道貴。丙子,賊將吳藏等帥兵據車輪。庚寅,有兩龍見湘州西江。

夏四月丙申の日、僧辯の軍は車輪に駐屯した。

原文夏四月丙申,僧辯軍次車輪。

五月甲子の日、諸軍が賊を攻撃し、大いにこれを破った。乙丑の日、僧辯の軍は長沙に到着した。甲戌の日、尉遅迥が巴西に進軍して迫り、潼州刺史の楊虔運が城を挙げて降伏し、迥を受け入れた。己丑の日、蕭紀の軍は西陵に到着した。

原文五月甲子,衆軍攻賊,大破之。乙丑,僧辯軍至長沙。甲戌,尉遲迥進逼巴西,潼州刺史楊虔運以城降,納迥。己丑,蕭紀軍至西陵。

六月乙卯の日、湘州が平定された。この月、尉遅迥が益州を包囲した。

原文六月乙卯,湘州平。是月,尉遲迥圍益州。

秋七月辛未の日、巴人の苻升と徐子初が賊の城主公孫晁を斬り、城を挙げて降伏してきた。蕭紀の軍勢は大いに潰え、兵に遭って死んだ。乙未の日、王僧辯が軍を返して江陵に帰還し、詔により諸軍はそれぞれ鎮守する地に帰還した。

原文秋七月辛未,巴人苻升、徐子初斬賊城主公孫晁,舉城來降。紀衆大潰,遇兵死。乙未,王僧辯班師江陵,詔諸軍各還所鎮。

八月戊戌の日、尉遅迥が益州を陥落させた。庚子の日、詔を下して言った。「昔、殷が亳に居を始めた時も、先王の都を廃さず、周から天命を受けた時も、旧邦を称える頌を改めなかった。近頃、軍旗は既に休み、関所の木柝に警報はない。(都を離れた)魯を去る時に嘆きが起こり、夜半に感慨を覚え、(故郷の)沛を過ぎて涙を落とすことは、実に夕方の就寝を煩わせる。それでもなお、瀟や湘で乱が起こり、庸や蜀で兵が塞がり、将に命を授け軍律を定め、期日を定めて平定させた。今、八方は治まり清く、四郊に軍営はない。青蓋の車に乗る礼典に従い、白水の故郷に帰るべきである。江や湘からの輸送物資は、方船が舳を連ね、巴峡の舟艦には、精鋭の甲兵が百万いる。まず建鄴に駐屯し、行って実に京師とし、その後、六軍を急ぎ征伐させ、九旂の旗を揚げ、陵墓を拝謁し、宗廟社稷を修復する。主管者は詳しく旧典に従い、時に応じて布告せよ。」

原文八月戊戌,尉遲迥陷益州。庚子,詔曰:「夫爰始居毫,不廢先王之都;受命于周,無改舊邦之頌。頃戎旃旣息,關柝無警。去魯興嘆,有感宵分,過沛殞涕,實勞夕寐。仍以瀟、湘作亂,庸、蜀阻兵,命將授律,指期克定。今八表乂清,四郊無壘,宜從青蓋之典,言歸白水之鄉。江、湘委輸,方船連舳,巴峽舟艦,精甲百萬,先次建鄴,行實京師,然後六軍遄征,九旂揚旆,拜謁塋陵,脩復宗社。主者詳依舊典,以時宣勒。」

九月庚午の日、司徒の王僧辯が帰還して鎮守した。丙子の日、護軍将軍の陸法和を郢州刺史とした。乙酉の日、晋安王の方智を江州刺史とした。この月、魏が郭元建を派遣して合肥で水軍を整えさせ、また大将の邢杲遠、歩六汗薩、東方老を派遣して軍勢を率いさせ、これと合流させた。

原文九月庚午,司徒王僧辯旋鎮。丙子,以護軍將軍陸法和爲郢州刺史。乙酉,以晉安王方智爲江州刺史。是月,魏遣郭元建治舟師於合肥,又遣大將邢杲遠、步六汗薩、東方老率衆會之。

冬十一月辛酉の日、僧辯は姑孰に駐屯し、そのまま留まって鎮守した。豫州刺史の侯瑱を派遣して東関の堡塁を占拠させ、呉興太守の裴之横を徴発して軍勢を率いさせ、これに続かせた。戊戌の日、尚書右僕射の王褒を尚書左僕射とし、湘東太守の張綰を尚書右僕射とした。

原文冬十一月辛酉,僧辨次于姑孰,卽留鎮焉。遣豫州刺史侯瑱據東關壘,征吳興太守裴之橫帥衆繼之。戊戌,以尚書右僕射王褒爲尚書左僕射,湘東太守張綰爲尚書右僕射。

十二月、宿預の土民である東方光が城を占拠して帰順し、魏の江西の州郡は皆、兵を起こしてこれに応じた。

原文十二月,宿預土民東方光據城歸化,魏江西州郡皆起兵應之。

承聖三年

原文承聖三年

三年春正月甲午の日、南豫州刺史の侯瑱に征北将軍、開府儀同三司を加えた。陳霸先が軍勢を率いて広陵城を攻撃した。秦州刺史の厳超達が秦郡から涇州を包囲し、侯瑱と張彪が石梁から出撃して、その援護とした。辛丑の日、陳霸先が晋陵太守の杜僧明を派遣して軍勢を率いさせ、東方光を助けさせた。

原文三年春正月甲午,加南豫州刺史侯瑱征北將軍、開府儀同三司。陳霸先帥衆攻廣陵城。秦州刺史嚴超達自秦郡圍涇州,侯瑱、張彪出石梁,爲其聲援。辛丑,陳霸先遣晉陵太守杜僧明率衆助東方光。

三月甲辰の日、司徒の王僧辯を太尉、車騎大将軍とした。丁未の日、魏が将軍の王球を派遣して七百の兵を率いさせ宿預を攻撃させたが、杜僧明が迎え撃って大いにこれを破った。戊申の日、護軍将軍、郢州刺史の陸法和を司徒とした。

原文三月甲辰,以司徒王僧辯爲太尉、車騎大將軍。丁未,魏遣將王球率衆七百攻宿預,杜僧明逆擊,大破之。戊申,以護軍將軍、郢州刺史陸法和爲司徒。

夏四月癸酉の日、征北大将軍、開府儀同三司の陳霸先を司空とした。

原文夏四月癸酉,以征北大將軍、開府儀同三司陳霸先爲司空。

六月壬午の日、魏が再び将軍の歩六汗薩を派遣して軍勢を率いさせ、涇州を救援させた。癸未の日、黒い気が龍のようになって、殿内に現れた。

原文六月壬午,魏復遣將步六汗薩率衆救涇州。癸未,有黑氣如龍,見于於殿內。

秋七月甲辰の日、都官尚書の宗懍を吏部尚書とした。

原文秋七月甲辰,以都官尚書宗懍爲吏部尚書。

九月辛卯の日、世祖は龍光殿で『老子』の義を述べ、尚書左僕射の王褒が経を執った。乙巳の日、魏がその柱国万紐于謹を派遣し、大軍を率いて侵攻してきた。

原文九月辛卯,世祖於龍光殿述《老子》義,尚書左僕射王褒爲執經。乙巳,魏遣其柱國萬紐于謹率大衆來寇。

冬十月丙寅の日、魏軍が襄陽に到着し、蕭詧が軍勢を率いてこれと合流した。丁卯の日、講義を停止し、内外を戒厳とし、輿駕は都の柵の外に出た。この日、大風が木を抜いた。丙子の日、王僧辯らの軍を徴発した。

原文冬十月丙寅,魏軍至于襄陽,蕭詧率衆會之。丁卯,停講,內外戒嚴,輿駕出行都柵。是日,大風拔木,丙子,徵王僧辯等軍。

十一月、領軍の胡僧祐に城東・城北の諸軍事を都督させ、右僕射の張綰を副将とした。左僕射の王褒に城西・城南の諸軍事を都督させ、直殿省の元景亮を副将とした。王公卿士はそれぞれ守備を担当した。丙戌の日、世祖は都の柵をくまなく巡行し、皇太子は城楼を巡行し、住民に水や石の運搬を助けさせ、諸要害の場所にはいずれも兵備を増強した。丁亥の日、魏軍が柵の下に到着した。丙申の日、広州刺史の王琳を徴発して救援に入らせた。丁酉の日、大風が吹き、城内で火災が発生した。胡僧祐を開府儀同三司とし、巂州刺史の裴畿を領軍将軍とした。庚子の日、信州刺史の徐世譜と晋安王司馬の任約の軍が馬頭岸に駐屯した。戊申の日、胡僧祐と朱買臣らが兵を率いて出戦したが、買臣は敗北した。己酉の日、左僕射の王褒を降格して護軍将軍とした。辛亥の日、魏軍が大攻勢をかけ、世祖は枇杷門から出て、自ら陣頭に臨んで督戦した。胡僧祐が流れ矢に当たって死去した。六軍は敗北した。反乱者が西門の関を斬って魏軍を引き入れ、城は西魏に陥落した。世祖は捕らえられ、蕭詧の陣営に連行され、また城内に戻された。

原文十一月,以領軍胡僧祐都督城東城北諸軍事,右僕射張綰爲副;左僕射王褒都督城西城南諸軍事,直殿省元景亮爲副。王公卿士各有守備。丙戌,世祖遍行都柵,皇太子巡行城樓,使居民助運水石,諸要害所,並增兵備。丁亥,魏軍至柵下。丙申,徵廣州刺史王琳入援。丁酉,大風,城內火。以胡僧祐爲開府儀同三司,巂州刺史裴畿爲領軍將軍。庚子,信州刺史徐世譜、晉安王司馬任約軍次馬頭岸。戊申,胡僧祐、朱買臣等率兵出戰,買臣敗績。己酉,降左僕射王褒爲護軍將軍。辛亥,魏軍大攻,世祖出枇杷門,親臨陣督戰。胡僧祐中流矢薨。六軍敗績。反者斬西門關以納魏師,城陷于於西魏。世祖見執,如蕭詧營,又遷還城內。

十二月丙辰の日、徐世譜と任約は退いて巴陵を守備した。辛未の日、西魏が世祖を害し、ついに崩御した。時に四十七歳であった。太子の元良と始安王の方略はいずれも害された。そして数万口の百姓の男女を選び、奴婢に分けて長安に追い立てた。幼弱な者は皆殺された。翌年四月、孝元皇帝と追尊され、廟号を世祖とした。

原文十二月丙辰,徐世譜、任約退戍巴陵。辛未,西魏害世祖,遂崩焉,時年四十七。太子元良、始安王方略皆見害。乃選百姓男女數萬口,分爲奴婢,驅入長安;小弱者皆殺之。明年四月,追尊爲孝元皇帝,廟曰世祖。

世祖は聡明で才知に優れ、天賦の英気を発揮した。五歳の時、高祖が「お前は何の書を読んでいるか」と尋ねると、答えて「『曲礼』を誦することができます」と言った。高祖が「試しに言ってみよ」と言うと、すぐに上篇を誦し、左右の者は驚嘆しない者はいなかった。幼い頃に眼の病気を患い、高祖が自らの考えで治療したため、ついに片目が見えなくなり、一層憐れみ愛された。成長してからは学問を好み、広く群書を総合し、筆を下せば文章となり、口を開けば論となり、才弁は敏速で、当時において群を抜いていた。高祖がかつて「孫策が昔、江東にいた時、何歳だったか」と尋ねると、答えて「十七歳です」と言った。高祖は「ちょうどお前の年だな」と言った。賀革が府の諮議となり、詔勅により賀革に『三礼』を講義させた。世祖は生来、音楽や女色を好まず、高い名声があり、裴子野・劉顯・蕭子雲・張纘および当時の才俊たちと布衣の交わりを結び、著述した文章は多く世に行われた。尋陽にいた時、「天下は乱れようとしているが、王が必ずこれを繋ぎ止めるだろう」と夢の中で人が言った。また背中に黒子が生え、巫媼が見て「これは大貴の兆しで、口外してはならない」と言った。初め、賀革が西上する時、内心は非常に不愉快で、御史中丞の江革に別れを告げに行き、心情を打ち明けた。江革は「私はかつて主上が諸子をくまなく見られる夢を見た。湘東王に至った時、手ずから帽子を脱いで授けられた。この人は後に必ず璧を得る者となる。卿は行くがよい」と言った。賀革はこれに従った。太清の難に至って、ついに回復することができたので、遠近の人々が喜んで推戴し、ついに宝命を受けたのである。著書に『孝徳伝』三十巻、『忠臣伝』三十巻、『丹陽尹伝』十巻、『漢書注』一百十五巻、『周易講疏』十巻、『内典博要』一百巻、『連山』三十巻、『洞林』三巻、『玉韜』十巻、『補闕子』十巻、『老子講疏』四巻、『全徳志』、『懐旧志』、『荊南志』、『江州記』、『貢職図』、『古今同姓名録』一巻、『筮経』十二巻、『式賛』三巻、文集五十巻がある。

原文世祖聰悟俊朗,天才英發。年五歲,高祖問:「汝讀何書?」對曰:「能誦《曲禮》。」高祖曰:「汝試言之。」卽誦上篇,左右莫不驚嘆。初生患眼,高祖自下意治之,遂盲一目,彌加愍愛。旣長好學,博綜羣書,下筆成章,出言爲論,才辯敏速,冠絕一時。高祖嘗問曰:「孫策昔在江東,于時年幾?」答曰:「十七。」高祖曰:「正是汝年。」賀革爲府諮議,敕革講《三禮》。世祖性不好聲色,頗有高名,與裴子野、劉顯、蕭子雲、張纘及當時才秀爲布衣之交,著述辭章,多行於世。在尋陽,夢人曰:「天下將亂,王必維之。」又背生黑子,巫媼見曰:「此大貴兆,當不可言。」初,賀革西上,意甚不悅,過別御史中丞江革,以情告之。革曰:「吾嘗夢主上遍見諸子,至湘東王,手脫帽授之。此人后必當璧,卿其行乎!」革從之。及太清之難,乃能克復,故遐邇樂推,遂膺寶命矣。所著《孝德傳》三十卷,《忠臣傳》三十卷,《丹陽尹傳》十卷。《注漢書》一百一十五卷,《周易講疏》十卷,《內典博要》一百卷,《連山》三十卷,《洞林》三卷,《玉韜》十卷,《補闕子》十卷,《老子講疏》四卷,《全德志》、《懷舊志》、《荊南志》、《江州記》、《貢職圖》、《古今同姓名錄》一卷,《筮經》十二卷,《式贊》三卷,文集五十卷。

【史論】

原文【史論】

史臣は言う。梁の末年の禍乱において、大賊(侯景)が宮城に拠った時、世祖(元帝)は方伯の首領の地位にあり、楚の地の全兵力を擁していたのであるから、自ら諸侯を率いて武器を枕にして先陣に立つべきであった。しかるに外援を空しく誇張するばかりで勤王の実態を欠き、軍を進めることもわずか百舎にも満たなかった。その後になって大悪人を殲滅し、宗社を安んじて帝位に就き、輝かしく中興を開いたのは、世祖の雄才英略が帝運を継承したからにほかならない。しかし生まれつき猜忌心が強く、親疎の別なく人を疑い、部下を統御する術に乏しく、薄氷を踏む危うさにも恐れることがなかったため、宮闕で夜明けを告げる功はあっても、内を照らす美徳を欠いていた。世祖ほどの聡明達識をもってして、国政に意を注ぎ、邪説に惑わされず、金陵に都を戻していれば、隣の強敵(西魏)に対しても何を苦にすることがあっただろうか。それゆえ天はまだ禍を収めず、国を滅ぼす破滅が生じたのである。悲しいことではないか。

原文史臣曰:梁季之禍,巨寇憑壘,世祖時位長連率,有全楚之資,應身率羣后,枕戈先路。虛張外援,事異勤王,在於行師,曾非百舍。後方殲夷大憝,用寧宗社,握圖南面,光啓中興,亦世祖雄才英略,紹茲寶運者也。而稟性猜忌,不隔疏近,御下無術,履冰弗懼,故鳳闕伺晨之功,火無內照之美。以世祖之神睿特達,留情政道,不怵邪說,徙蹕金陵,左鄰強寇,將何以作?是以天未悔禍,盪覆斯生,悲夫!