卷二十二 志第十二
序
性霊の表れは、どうして詠歌となって発せられるのかわからず、感動の端緒は、どうして手足に関わるのかわからない。心に生じるものを道といい、形となって成るものを用という。天地に譬えれば、それは影と響きのようであり、百獣が率いて舞うのに、まして人においておや!平和を美とし、喪乱を哀れみ、これによって音律を引き出し、その声を広めるのである。
神農の瑟、伏羲の琴、倕の鐘、和の磬は、霊妙を達し本性を成し、物事を象徴して功績を明らかにする。これによって言えば、その由来は遠い。殷の世は綱紀がなく、遺風と余孽が残り、淫らな演奏が既に興り、雅正の章句は散り散りとなり、『英』『莖』の制は、すでに衰微した。孔子は言う、「人は道を弘めることができるが、道が人を弘めるのではない」と。周は二『南』に始まり、『風』は六代を兼ねた。昔、黄帝は『雲門』を作り、堯は『咸池』を作り、舜は『大韶』を作り、禹は『大夏』を作り、殷は『大濩』を作り、周は『大武』を作った。いわゆる前代の王の礼に因り、俯仰の容姿を設け、和順が内に積もり、英華が外に発するのである。『書経』には夔に命じて楽を掌らせ、貴族の子弟を教えたと称し、それは『周官』にいう大呂を奏で、黄鐘を歌うことである。天の賜物が降り、人々の神々が色を動かし、周の鑑を抑揚し、雅音を弘める。褒姒の艶が災いを興し、平王が乱に逢うと、礼は親疎を廃し、楽は河海に沈んだ。このため延陵の季子が『小雅』の歌を聞いて言った、「これは周の徳の衰えであろうか!それでもなお先王の遺風がある」と。そして各地の諸侯はそれぞれ吟詠を興した。魏の文侯は古楽を聴いて眠りを恐れ、晋の平公は新声を聴いて食事を忘れ、先王の道は次第に衰微した。八方は風俗を異にし、九州は規範を異にした。秦氏が併呑し、遂に刑憲を専らにし、弦歌『詩』『頌』、干戚・旄羽に至っては、これらを煙火に投じ、掃き清めて遺すところがなかった。
漢の高祖は剣を提げて寰中を平定し、天下を削平したが、文は徳化に躬み、武は制作に心を用いた。太后は儒家の道を排斥し、大臣は賈氏の言を排し、搢紳の先生はこれをもって長嘆したが、子政(劉向)や仲舒(董仲舒)ですらやめることができなかった。炎漢が中興し、明皇帝が即位すると、圭表の影を測り『清廟』を奏し、槐の陰を樹てて璧流を整え;光武帝を明堂で祀り、上帝を配した;桓栄を太学に召し、袒裼して犠牲を切り;威儀整い、堂々として、見るに足るものがあった。この後より、礼楽はますます盛んになった。永平三年、楽を司る官を改名して大予とし、典礼を揚げ、図讖を広く求め、道は『雅』『頌』に近く、事は中和に近づいた。その五方の楽があるものは、いわゆる「大楽九変、天神礼すべし」である。その宗廟の楽があるものは、いわゆる「肅雍和鳴、先祖是れ聴く」である。その 社稷 の楽があるものは、いわゆる「琴瑟鼓を撃ち、以て田祖を迓う」である。その辟雍の楽があるものは、いわゆる「風を移し俗を易うるは、楽に善きは莫し」である。その黄門の楽があるものは、いわゆる「群臣を宴楽し、蹲蹲として我を舞う」である。その短簫の楽があるものは、いわゆる「王師大捷し、軍中に令して凱歌す」である。
魏の武帝は天子を挟んで諸侯に令し、一たび兵を挙げて九服を匡正しようとし、時に併呑の時節に逢い、典章はことごとく失われた。劉表を削平して後、初めて杜夔を得て、鼙を揚げ干を総べ、前代の記録に従った。三祖(曹操・曹丕・曹叡)は盛んに詩篇を作り、声歌には損益があったが、愛玩するのは文飾を凝らした章句にあった。このため王粲らはそれぞれ新詩を作り、その藻思を引き出し、神霊を吟詠し、来饗を賛揚した。
武皇帝( 司馬炎 )は漢魏の遺範を採り、景帝・文帝の垂れた法則を覧て、鼎鼐は新たにしても、前代の音律は改めなかった。泰始九年、光禄大夫荀勖が初めて古尺を作り、声韻を調律し、 張華 らが作った高文を以て、下管に陳べた。永嘉の乱により、伶官は既に減じ、曲台・宣榭はことごとく荒れ野と化した。たとえ『象舞』の歌工が胡から晋に帰ったとしても、孤竹の管、雲和の瑟、空桑の琴、泗濱の磬に至っては、これを備えるものは百に一つもなかった。人は天地の霊を受け、菁華の気を蘊み、剛柔を交替して用い、哀楽に分かれて情を発する。春陽を経て自ら喜び、秋の凋落に遇って悦ばない。金石の端に遊び、管弦の外に出で、物に因って遷り逝き、流れに乗って返らない。このため楚王は彭蠡に軽軒を昇らせ、漢の順帝は樊衢で鳴鳥を聴いた。聖人は功成って楽を作り、教化が平らかになって曲を裁ち、節奏を揚げて中和を暢にし、その歓欣を飾り、哀思に止まるのである。
およそ楽の道は、五声、八音、六律、十二管をその綱紀とする。
五声:宮は君である。宮というのは中という意味である。中和の道は、どこへ行っても理に適う。商は臣である。商というのは強という意味で、金の性質の堅強をいう。角は民である。角というのは触という意味で、諸々の陽気が物に触れて生ずることを象徴する。徴は事である。征というのは止という意味で、物が盛んになれば止まるという。羽は物である。羽というのは舒という意味で、陽気が再び戻り、万物が繁殖して舒かに生ずるという。古人に言う、「礼楽はしばらくも身から離してはならない」と。上を化して善に遷ることは、及ばないかのようである。このためその宮声を聞けば、人を温良で寛大にさせる。その商声を聞けば、人を方正で廉潔にし義を好ませる。その角声を聞けば、人を惻隠の心で仁愛にさせる。その徴声を聞けば、人を楽しんで養い施しを好ませる。その羽声を聞けば、人を恭儉で礼を好ませる。
八音は、八方の風である。乾の音は石で、その風は不周である。坎の音は革で、その風は広莫である。艮の音は匏で、その風は融である。震の音は竹で、その風は明庶である。巽の音は木で、その風は清明である。離の音は絲で、その風は景である。坤の音は土で、その風は涼である。兌の音は金で、その風は閶闔である。
陽の六つを律といい、黄鐘、太蔟、姑洗、蕤賓、夷則、無射をいう。陰の六つを呂といい、大呂、応鐘、南呂、林鐘、仲呂、夾鐘をいう。合わせて十二あり、十二辰に配する。律というのは法という意味で、陽気が施し生ずるそれぞれに法があるという。呂というのは助という意味で、陽の功を助けて成すためである。
正月の辰を寅という。寅は津で、生物の津塗という意味である。二月の辰を卯という。卯は茂で、陽気が生じて繁殖し茂るという意味である。三月の辰を辰という。辰は震で、時の物がことごとく震動して生長するという意味である。四月の辰を巳という。巳は起で、物がこの時に至ってことごとく起き上がるという意味である。五月の辰を午という。午は長、大で、物が皆長大になるという意味である。六月の辰を未という。未は味で、時に万物が成りに向かい、滋味があるという意味である。七月の辰を申という。申は身で、時に万物の身体が皆成就するという意味である。八月の辰を酉という。酉は緧で、時の物が皆縮むという意味である。九月の辰を戌という。戌は滅で、時の物が皆衰滅するという意味である。十月の辰を亥という。亥は劾で、時に陰気が万物を劾して殺すという意味である。十一月の辰を子という。子は孳で、陽気がここに至って更に繁殖するという意味である。十二月の辰を醜という。醜は紐で、終始の際、紐結をもって名とするという意味である。
十一月の管を黄鐘という。黄とは、陰陽の中間の色である。天には六気があり、地には五才があり、天地の数はこれで尽きている。ある説では、冬至の徳気は土であり、土の色は黄であるから、黄鐘というのだという。正月の管を太蔟という。蔟とは集まることで、万物が陽気に従って大きく集まって生じることをいう。三月の管を姑洗という。姑洗とは、姑は枯れることで、洗は洗うことで、物が新しく清らかに生じ、その枯れたものを洗い除き、枝を改め葉を替えることをいう。五月の管を蕤賓という。蕤蕤とは垂れ下がる様子であり、賓とは敬うことで、時に陽気が下降し、陰気が初めて起こり、互いに賓客として敬うことをいう。七月の管を夷則という。夷とは平らなことで、則とは法のことで、万物が成ろうとして、平均して皆法則があることをいう。九月の管を無射という。射とは出ることで、時に陽気が上昇し、万物が収蔵されて再び出ることがないことを言う。十二月の管を大呂という。呂とは助けることで、陽気が盛んになるのを、陰気が助けることをいう。十月の管を応鐘という。応とは和することであり、年の仕事が皆成り、陽の功に応じて和し、収めて集めることをいう。八月の管を南呂という。南とは任ずることで、時に物が皆秀で、任ずる象があることをいう。六月の管を林鐘という。林とは茂ることで、時に物が野に茂盛することをいう。四月の管を仲呂という。呂とは助けることで、陽気が盛んに長じるのを、陰が助けて成功させることをいう。二月の管を夾鐘という。夾とは佐けることで、時に物がまだ尽く出ておらず、陰の徳が陽を佐けて物を出すことをいう。
曲
漢は東京の大乱以来、金石の楽は全く絶え、楽章は亡失欠損し、再び知ることができなかった。魏の武帝が荊州を平定した時、漢の雅楽郎であった河南の杜夔を獲得し、彼は旧法を識ることができたので、軍謀祭酒とし、雅楽を創定させた。当時また散騎侍郎の鄧静、尹商が雅楽をよく教え、歌師の尹胡は宗廟郊祀の曲を歌うことができ、舞師の馮肅、服養は先代の諸舞をよく知っており、夔がこれを全て総領した。遠く経籍を詳しくし、近く故事を採り、古楽を考証して合わせ、初めて軒懸の鐘磬を設けた。しかし黄初年間に柴玉、左延年らの輩が、また新声をもって寵愛を受け、その声韻を改めた。
武帝が天命を受けた初め、あらゆる制度が草創であった。泰始二年、 詔 して郊祀明堂の礼楽は暫く魏の儀を用い、周室が殷の礼を始めて称えた意味に従い、ただ楽章を改めるだけで、傅玄にその詞を作らせた。
天地五郊を祀る夕牲の歌
天命は晋にあり、厳かで明らかである。我らは朝夕、神霊を敬って仕える。常に時に合わせ、ついにその成就を用いる。黒い牡牛を薦め、夕べにその犠牲を進める。徳を崇めて楽を作り、神祇はこれを聴く。
天地五郊を祀る迎送神の歌
宣文帝は盛んだ、日に四方を靖める。永く言い保つ、朝夕安らかならず。天の命を光らせ、上帝はこれが皇である。嘉楽を盛大に薦め、霊なる福は大いなる祥である。神祇が降りて和し、福を享けて疆界がない。
天地五郊を饗する歌
天の福は晋にあり、その命はただ新たである。魏より終わりを受けて、黎民を覆う。皇天に及んで安らぎ、百神を和らげて懐く。大いに顕わな遺烈、その徳の純なること。その黒い牡牛を享け、式として肇禋を用いる。神祇来たりて至り、福禄はこれが至る。
時にその謀りを行い、昊天がこれを子とする。福祐を享有する晋、初めて庶民がこれを戴く。天の威を畏れ、人時に敬って授ける。大いに顕わし大いに受け、謀りに思いを繹す。皇極これ建ち、あらゆる績みことごとく熙う。朝夕ほとんど、ただ晋の祺である。
宣文はただ后、よく彼の天に配する。四海を撫でて寧らげ、康年の保有する。ああ緝熙し、用いて民を靖める。ここに典制を立て、ここに礼紀を修める。民の極みを作り、資始でないものはない。よくその後に昌え、永く言い保つ。
天地郊明堂の夕牲歌
大いなるかな晋、時にその徳を行く。天より終わりを受け、万国を光り済わす。万国既に光り、神はその祥を定める。郊祀に虔しく、上皇に敬って仕える。上皇に敬って仕え、百福はこれが至る。巍巍たる祖考、よく彼の天に配する。嘉牲は歆まず、徳の馨りをただ饗する。天の祐けを受け、神化四方。
天地郊明堂の降神歌
ああ、輝かしい大 晉 よ、天の応えとして瑞祥が現れた。二帝は徳を広め、この重光を宣べた。我が皇帝は天命を受け、天下万方を統べる。郊祀で配享し、礼楽は大いに整う。神々は喜んで享け、先祖は尊ばれる。その後に繁栄し、国祚は尽きることがない。
天郊で神を饗する歌
泰壇を整え、皇神を礼す。精気が感応し、百霊が賓する。朱火をたたえ、芳薪をめぐらす。紫煙が遊び、青雲を冠す。神の体は、形象なく、広く方なく、幽かにして清し。神の来たりは、光景が輝き、聞こえず、兆し見えず。神の至りは、挙げて歓喜し、霊爽が協い、余の心を動かす。神の座は、共に歓び楽しみ、恩沢の雲が翔け、化育の風が舒ぶ。嘉楽が奏でられ、文の中の声、八音が調和し、神はこれを聴く。皆が斉しく契り、共に芳しく香る。犠牲を烹り、玉觴を享ける。神は悦び饗し、禋祀を歓ぶ。大 晉 を祐け、繁祉を降す。京邑を築き、四海を広くする。天年を保ち、地紀を窮める。
地郊で神を饗する歌
泰折を整え、皇祗を待つ。衆神が感応し、群霊が儀を示す。陰祀を設け、吉礼を施す。夜が極まらんとし、時は未だ移らず。祗の体は、形象なく、泰幽に潜み、忽荒に洞く。祗の出ずるは、薆然として有るが如く、霊は遠からず、天下の母なり。祗の来たりは、光景を遺し、昭然として存するが如く、終には冥冥たり。祗の至りは、挙げて欣欣とし、舞は徳を象り、歌は文を成す。祗既に坐せば、共に歓 豫 し、恩沢の雨が施され、化育の雲が布く。楽は八変し、声教が敷かれる。物皆亨り、祗はこれを娯しむ。斎は既に潔く、侍者は肅し。玉觴が進み、皆穆穆たり。嘉豢を饗し、徳馨を歓ぶ。 晉 に祚し、群生に及ぶ。九壤に溢れ、天庭に格る。万寿を保ち、億齢を延ぶ。
明堂で神を饗する歌
明堂を経始し、享祀して懈らず。ああ、皇なる烈考よ、光りて上帝に配す。赫赫たる上帝は、既に高く既に崇し。聖考これに配し、明徳は顕かに融ける。率土の民は職を敬い、万方より祭り来たる。常に時に仮り、国祚を永世に保つ。
祠廟で夕牲の歌
我は夕べに我が犠牲を、ああ敬して止む。嘉豢は時に適い、供えて此の享祀に奉る。神は其の誠を鑒み、博碩これを歓ぶ。祖考は降りて饗し、以て孝孫の心を安んず。
祠廟で神を迎え送る歌
嗚呼悠かなるかな、日々監ること茲に在り。時に従い享祀すれば、神明これに降る。神明これに降り、既に祐け饗う。我に無疆の祚を与え、天の祐けを受く。赫赫たる太上、巍巍たる聖祖。明明たる烈考、丕かに序を継ぐ。
征西将軍を祠る登歌
宗廟を経始し、神明至り止まる。申し錫うること無疆、祗ちに享祀を承く。大いなるかな皇祖、我が孫子を綏す。後昆に及び、此の繁祉を錫う。
豫 章府君を祠る登歌
嘉楽肆筵し、薦祀は堂に在り。皇皇たる宗廟、乃ち祖乃ち皇。濟濟たる辟公、我が蒸嘗を相う。享祀過ちなく、降福穰穰たり。
潁川府君を祀る登歌
遠く隔たった先代の祖たちよ、その実は天に司どられておられる。輝かしい我が皇祖よ、帝の福はここに始まった。本流も枝葉も共に栄え、元を開き始めた。限りなく我らに恵みを与え、永遠に御位を保たせ給え。
京兆府君を祀る登歌
ああ、尊き曾祖父よ、輝かしく優れた徳。澄み渡り明るく清らかで、争わず柔和に治め、天命を保ち助け、基を定めるのがその則であった。篤く聖なる祖を生み出し、四方の国々を光で満たした。
宣皇帝を祀る登歌
ああ、輝かしい皇祖よ、聖なる徳は敬虔で聡明。四方に勤め施し、朝から晩まで慎み深くおられた。文教を広く敷き、武威を高く揚げられた。 社稷 を正しく定め、天罰を謹んで行った。大業を始められ、帝の基を創られた。天命を畏れ、その時に保たれた。
景皇帝を祀る登歌
強く競いし景皇よ、明らかにされ、聡明であられた。傍らに穆々とした治世を作り、ただ慎み畏れた。宣帝の業を継ぎ、その功績を定められた。この優れた人材を登用し、あの凶悪な群れを糾弾された。勤勉にその位にあられ、帝は既に勤められた。天命を思い、ああ、美しいことよ。
文皇帝を祀る登歌
ああ、この晋の時に、文徳に満ちた文皇よ、聡明で叡智に富み、聖なる敬虔さと神のような武勇。万機の政務を総べ、皇はこれを清めた。蛇や猪のような反逆者を放逐し、皇はこれを平定した。遠方を和らげ近くをよく治め、英賢を簡抜して任用した。創業して統を垂れ、勲功は皇天にまで届いた。
宗廟で神を饗う歌(二篇)
晋こそは常に、祭祀は時節に従って行われる。宗廟に敬意を表し、礼楽をことごとく挙行する。その祭りに来る者は、普天率土のすべてである。犠牲の樽は既に供えられ、清酒は既に盛られた。また調和のとれた羹もあり、供える珍味もこれで整う。厚く慕う思いは蒸し上がり、時に感じて思いを起こす。登歌を奏で舞を舞い、神はその和を楽しむ。祖考が降臨され、我が邦家を祐ける。天下の広さ、嘉くならざるはない。
厳かにその位にあり、整然たる臣下たち。四海から来集し、神の儀容は立派である。鐘鼓は鳴り響き、管弦は調えられ、開元の舞が開かれ、永始の歌が歌われる。神々は共に楽しむのだ!厳かにその位にあり、臣下たちは整然としている。大小ともに皆敬虔で、上下に礼がある。管弦を調え、鼓鐘を鳴り響かせ、徳を象った舞を舞い、功を詠った歌を歌う。神々は共に楽しむのだ!厳かにその位にあり、来る者は和やかである。厳かな天子、補佐するのは諸侯の公たち。礼には儀があり、楽には則があり、功を象った舞を舞い、徳を詠った歌を歌う。神々は共に楽しむのだ!
杜夔が伝えた旧雅楽四曲は、一つは『鹿鳴』、二つは『騶虞』、三つは『伐檀』、四つは『文王』で、いずれも古い声調と歌辞であった。太和年間になると、左延年が杜夔の『騶虞』『伐檀』『文王』の三曲を改め、自ら新たに声節を作った。その名は存するが、声調は実は異なっていた。ただ杜夔の『鹿鳴』だけは、全く改変しなかった。毎年正月の大朝会では、 太尉 が璧を奉じ、諸侯が礼を行う際、東廂で常に演奏される雅楽がこれである。後にまた三篇の行礼詩を改めた。第一篇は『於赫篇』で、武帝を詠じ、声節は古い『鹿鳴』と同じ。第二篇は『巍巍篇』で、文帝を詠じ、左延年が改めた『騶虞』の声調を用いた。第三篇は『洋洋篇』で、明帝を詠じ、左延年が改めた『文王』の声調を用いた。第四篇は再び『鹿鳴』を用いた。『鹿鳴』の声調が重用され、古い『伐檀』は除かれた。晋の初めには、食挙の礼でも『鹿鳴』を用いた。泰始五年に至り、 尚書 が上奏し、太僕の傅玄、 中書監 の荀勖、黄門侍郎の張華にそれぞれ〈正旦行禮〉及び〈王公上壽酒〉、〈食挙樂歌〉の詩を作らせた。荀勖は言った。「魏氏の行礼・食挙では、再び周詩の『鹿鳴』を取って楽章とした。しかし『鹿鳴』は賓客を宴するもので、朝廷にはふさわしくない。旧聞を考証しても、何に応じるべきか分からない。」そこで荀勖は『鹿鳴』の旧歌を除き、新たに〈行禮詩〉四篇を作り、まず三朝の朝宗の意義を述べた。また〈正旦大會〉、〈王公上壽歌〉の詩及び〈食挙樂歌〉の詩を作り、合わせて十三篇とした。また、魏氏の歌詩は二 字 、三字、四字、五字とまちまちで、古詩の類いではないとして、司律中郎将の陳頎に問うた。陳頎は言った。「これを金石の楽器に合わせても、必ずしも適切とは言えません。」そこで荀勖が作った晋の歌は、すべて四言で、ただ〈王公上壽酒〉一篇だけが三言と五言であった。張華は「魏の上寿・食挙詩及び漢代に用いられたものは、その文句の長短が揃わず、すべて古制に合っているわけではない。おそらく弦楽の節に合わせて詠唱するのに依拠し、本来因循するところがあり、楽を識り音を知る者が、声を制し曲を度するのに足り、その方法は凡近な者が改められるものではない。二代三京(夏殷周・三都)は襲用して変えず、詩章の文辞は異なっても、興廃は時と共にあるが、その韻の間合いや曲折はすべて旧来のものに係っており、それには理由があるのだ。それゆえ一切そのままに因襲し、敢えて改易するところはない。」これが張華と荀勖の明らかに異なる見解である。時に 詔 により、中書侍郎の成公綏にも作らせた。今ここに併せて採録して掲げる。
四廂の楽歌
正旦の大宴会で行われる礼儀の歌(成公綏作)
厳かで威厳ある天子が、光り輝いて万国に臨まれる。多くの士人が朝廷に満ち、優れた徳を持たぬ者はない。教化は限りなく流布し、王道の計画は誠実に満ちている。嘉会に酒を設け、嘉賓が庭に満ちる。羽旄が宸極を照らし、鐘鼓が泰清を震わす。諸侯が三朝に参朝し、盛んな儀礼の姿が明らかである。整然として鏘々とし、金の音声、玉の響きのようだ。
礼と楽が整い、嘉賓を宴する。長寿を聖皇に祝福し、大いなる福は日々新たである。諸侯が到着し、和やかにやって来る。献酬して贄を納め、この礼儀の容姿を尊ぶ。豊かな肴が万の俎に並び、旨い酒が千の鐘にある。嘉楽は宴の楽しみを尽くし、福と禄は皆同じく与えられる。
楽しきかな!天下は安寧である。道の教化が行われ、風俗は清らかである。簫《韶》の楽が奏でられ、九成を詠う。年は豊穣で、世は泰平である。至治なるかな、楽しみは窮まりない。元首は聡明で、股肱は忠誠である。豊かな恵みを降らし、清らかな風を揚げる。
嘉瑞が現れ、霊応が顕れる。麒麟が現れ、鳳凰が翔る。醴泉が湧き出て、中唐に流れる。嘉禾が生え、穂が箱に満ちる。繁栄した福を降し、聖皇を祝福する。天の位を継ぎ、万国を統べる。天命に応じて期に授かり、聖なる徳を授けられ、四代が重ねて光り輝く。洪業を広く開き、景は昌に克ち、文は欽明で、徳はますます顕著である。晋の国を開き、福の流れは限りない。
泰始の年号が建てられ、鳳凰が現れ龍が興る。龍の興りはいかん、万乗の位を享受する。八荒を覆い、民衆を化育する。図書は既に輝き、金石に証がある。徳は光り大きく、道は盛んに隆る。四方に及び、皇天に至る。代々続く万の後嗣、明らかに輝き融和し、高く朗らかで善終する。この永遠の福を保ち、天と比べて崇高である。
聖皇は四海を治め、人に順い天の期に応じる。三葉が重光を合わせ、泰始が洪大な基を開く。明るい輝きは日月に並び、功績と教化は四時に等しい。宇宙は清らかで泰平、民衆は皆和やかに楽しむ、善きかなこの和やかな楽しみよ!
ただ天が命を降し、仁を助け聖を祐す。ああ厳かな三皇、徳を載せてますます盛んである。璿璣を総べ斉え、七政を光り統べる。百官の務めは時に順い、教化は神聖のようである。四海は同じ風俗、至仁が興る。民を済い物を育むことは、陶均に擬する。陶均に擬し、恵みの潤いを垂れる。煌々たる群賢、峨々たる英雋。徳化が宣べられ、芳しい香りが来胤に播かれる。来胤に播かれ、後昆に垂れる。清廟は何と厳かで、皇極は四門を開く。皇極は四門を開き、万機を綜べぬものはない。勤勉で慎み深く、楽しみは放蕩に至らず、飢えても食事に慌てない。大礼が既に行われ、楽しみは極まりない。
崑崙に登り、層城に上る。飛龍に乗り、泰清に昇る。日月を冠とし、五星を佩く。虹霓を揚げ、篲旌を建てる。慶雲を披き、繁栄に廕る。八極を覧め、天庭を遊ぶ。天地に順い、陰陽を和す。四時を序し、三光を輝かす。帝綱を張り、皇綱を正す。仁風を播き、恵みと健康を流す。洪大な教化を進め、霊威を振るう。万方を懐け、九夷を納れる。閶闔に朝し、紫微で宴する。五旗を建て、鐘虡を並べる。四懸を列ね、《韶》《武》を奏する。金石を鏗々と鳴らし、旌羽を揚げる。八佾を縦にし、《巴渝舞》を舞う。雅頌を詠い、律呂を和す。ああ共に楽しむ、聖主を楽しむ。
教化は広大で、清風が流れ出る。英雄を総べ、俊傑を御する。宇宙を開き、四裔を掃う。光は緝熙し、聖哲を美とする。百代を超え、優れた功業を揚げる。光栄ある福の流れ、万世に顕れる。
煌々たる顕祖、世を助け時に佐ける。六合を安んじ済わし、天命に応じて期を受ける。神武は鷹のように揚がり、大いなる教化は皆輝く。皇衢を広く開き、もって帝基を成す。
光り輝く景皇、比ぶるものなき偉大な功業。時を匡し俗を拯い、優れた功績は世を蓋う。宇宙は既に康らかで、九域は整然と截たれる。天命が降り監み、明哲に福の開きを啓く。
厳かな烈考、明らかでかつ優れている。実に天が徳を生み、霊運に応じて誕生した。帝業を肇め建て、国を開いて晋と為す。徳を代々載せ、洪大な胤に慶福を垂れる。
明らかな聖帝、龍が天に飛ぶ。霊と合契し、徳は幽玄に通ず。青雲を仰いで化し、重川を俯して育む。霊の祐けを受け、万の斯の年に至る。
正旦の大宴会で王公が上寿の酒を捧げる歌(荀勖作)
元辰を踏み、顕融を延べる。羽觴を献じ、令終を祈る。我が皇は寿にして隆く、我が皇は茂りて嵩し。本枝は百世に奮い、休祚は聖躬に鐘す。
食挙楽東西廂歌(荀勖作)
煌煌たる七曜、重ねて明らかに交わり暢く。我に嘉賓有り、是に応え是に賜う。邦政既に図り、大饗を以て接す。人の我を好む、式に徳譲に遵う。
賓の初筵、藹藹として済済たり。既に朝して乃ち宴し、以て百礼を洽す。位叙を以て頒ち、或いは庭或いは陛す。叟を儐台に登らしめ、亦た兄弟有り。陪寮を胥子し、茲の度楷を憲す。頤を観て正を養い、福の降ること孔だ偕し。
昔我が三后は、大業是れ維る。今我が聖皇は、焜炔として前暉に輝く。奕世重規、明らかに九畿を照らす。輯むことを思い光を用い、時に違うこと有ること無し。禹の跡に陟れば、威に来らざる莫し。天に顕祿被り、福履是れ綏し。
赫たり太祖、能く明徳を広む。宇宙に廊開し、世を正し則を立つ。変化経ず、民に瑕慝無し。業を創し統を垂れ、兆す我が 晉 国を。
烈文なる伯考、時に帝景に維る。夷険平亂、威にして猛からず。衡を御して迷わず、皇塗煥景す。七徳咸く宣べ、其の寧惟れ永し。
猗歟盛歟!先皇聖文。則天して孚を作し、大哉君たること。慎みて五典を徽し、帝載是れ勤む。文武発揮し、茂に嘉勲を建つ。己を修め治を済し、民用甯殷なり。遠きを懐き幽きを燭し、玄教氤氳たり。世を善くして伐たず、事に服して三分す。徳博く化隆く、道昌えて無垠なり。
隆化洋洋たり、帝命溥く将す。我が 晉 道に登り、惟れ聖王に越ゆ。龍飛革運、八荒に臨燾す。睿哲欽明、虞唐に蹤を配す。厥の福を封建し、其の祥を駿発す。三朝習吉、終然として允に臧し。其の臧維何、彼の萬方を総ぶ。元侯列辟、四岳籓王。時に見て世に享け、茲に率いる有常なり。旅揖庭に在り、嘉客堂に在り。宋衛既に臻り、陳留山陽。賓有り使有り、国の光を観る。賢を貢し計を納れ、璧を献し璋を奉ず。保祐之に命じ、申し錫うこと無疆なり。
振鷺飛ぶに於て、鴻漸く其の翼。京邑穆穆たり、四方是れ式。競うこと無きは人に維り、王綱允に敕す。君子朝に来り、言わん其の極を観んと。
暠鄖たる大君、民の攸く暨る所。信に天工を理め、恵康匱きず。将に遠ざけんとす不仁を、醇粹を以て訓う。幽明倫有り、俊乂位に在り。九族既に睦み、庶邦順比す。元を開き憲を布き、四海鱗萃す。時に協い正統し、殊塗同致す。厚徳物を載せ、霊心貴きを隆す。敷奏讜言、以て無 諱 に納る。之に典象を樹て、之に義類を誨う。上の教えること風の如く、下の応うること卉の如し。一人廃する有らば、群萌以て遂ぐ。我が後宴喜し、令問墜ちず。
既に宴し既に喜び、翕として是れ萬邦。礼儀卒に度り、物其の容有り。晰晰たる庭燎、喤々たる鼓鐘。笙磬徳を詠じ、萬舞功を象る。八音克く諧い、俗易く化に従う。其の和楽の如く、庶品時に邕し。
時に邕し斌斌たり、六合同塵す。往く我が祖宣、威を以て殊鄰を静む。首めて荊楚を定め、遂に燕秦を平ぐ。亹亹たる文皇、徳を邁し仁を流す。爰に草昧を造り、乾に応じ民に順う。霊瑞符を告げ、休徴響震す。天地違わず、以て神人を和す。既に庸蜀を禽え、呉会是れ賓す。肅慎職を率い、楛矢来り陳す。韓濊楽を進め、宮徵清鈞なり。西旅獒を献じ、扶南珍を效す。蠻裔重訳し、玄齒文身す。我が皇之を撫で、景命惟れ新たなり。
愔愔たる嘉会、聞く有りて声無し。清酤既に奠し、籩豆既に升る。礼充ち楽備わり、簫《韶》九成す。愷楽酒を飲み、酣にして盈たず。率土歓 豫 し、邦国以て寧し。王猷允に塞がり、萬載傾くこと無し。
冬至初歳小会歌(張華作)
日月は留まらず、四気は巡り回る。節慶は代わり序し、万国は同じく休む。庶尹と群后、寿を奉じて朝廷に昇る。我に寿礼あり、式宴して百官を饗す。繁肴は綺麗に錯り、旨酒は泉の如く澄む。笙鏞は和して奏で、磬管は流れる音を響かせる。上はその愛を隆くし、下はその心を尽くす。その塞がり滞るを宣べ、これに徳音を訓える。乃ち宣べ乃ち訓え、配享して交泰す。永く仁風を載せ、長く外無きを撫でる。
宴会の歌(張華)
勤勉なる我が皇、天に配して光を垂れる。精を留めて日は西に傾き、経覧に方無し。朝を聴くに暇あり、命を延べて衆臣を招く。冠蓋は雲の如く集い、樽俎は星の如く陳ぶ。肴蒸は品多く、八珍は代わり変わる。羽爵は算無く、楽を究め宴を極む。歌う者は声を流し、舞う者は袂を投げる。動容に節有り、絲竹並び設く。四体を宜揚し、繁手は趣き摯し。歓足りて和を発し、酣えて礼を忘れず。楽しむに荒む無く、翼翼として済済たり。
将を命じて出征する歌(張華)
重華は帝道を隆くし、戎蠻或いは賓せず。徐夷は有周に興り、鬼方も亦た殷に違う。今、盛明の世に在りて、寇虐は四垠を動かす。豺狼は牙爪を染め、群生は穹旻に号す。元帥は方夏を統べ、車を出して涼秦を撫でる。衆の貞は必ず律を以てし、臧否は実に人に在り。威信を殊類に加え、疏逖は自ら親しむを思う。単醪豈に味有らんや、纊を挟みて至仁を感ず。武功は尚お戈を止め、七徳は安民を美とす。遠跡は斯れに由りて挙がり、永世に風塵無からん。
師の還りを労う歌(張華)
玁狁は天徳に背き、乱を構えて邦畿を擾わす。戎車は朔野を震わし、群帥は皇威を賛す。将士は心旅を斉しくし、義に感じてその私を忘る。積勢は鞹弩の如く、節に赴くは機を発するが如し。囂声は山谷を動かし、金光は素暉を曜かす。戈を揮って勁敵を陵ぎ、武歩は横屍を蹈む。鯨鯢皆な首を授け、北土は永く清夷す。昔往きては隆暑を冒し、今来たりては白雪霏ふ。征夫は信じに勤瘁、古より『采薇』を詠う。栄を収むるは爵を舎むるに在り、燕喜は凱帰に在り。
中宮の歌(張華)
先王は大業を統べ、玄化は八維に漸く。儀刑は万邦に孚れ、内訓は壼闈に隆し。皇英は帝典を垂れ、『大雅』は三妃を詠う。徳を執りて隆教を宣べ、正位して厥の機を理む。章を含みて柔順を体し、礼に帥いて謙祗を蹈む。『螽斯』は慈恵を弘め、『樛木』は幽微に逮る。徽音は清風に穆く、高義は邈として追えず。栄を遺して日月に参じ、百世余暉を仰ぐ。
宗親会の歌(張華)
族燕は礼順を明らかにし、啜食は親親の序を序す。骨肉散じて殊ならず、昆弟豈に他人ならんや。本枝は篤く同じく慶び、『棠棣』は先民に著わる。于皇たる聖明の後、天覆は弘く且つ仁なり。礼を降して親戚を崇め、旁く施して族姻を協わす。式宴は酣娛を尽くし、飲御は羞珍を備う。和楽既に宣洽し、上下同じく歓欣す。徳教は四海に加わり、敦睦は無垠に被わる。
泰始九年、光禄大夫荀勖は杜夔の製した律呂をもって、太楽・総章・鼓吹の八音を校べるに、律呂と乖錯しているとして、古尺を製し、新たな律呂を作り、声韻を調えた。事は『律暦志』に具わる。律が完成すると、遂に太常に班下し、太楽・総章・鼓吹・清商に使用させた。勖は遂に楽事を典知し、朝士で音律を解する者に共にこれを掌らせた。郭夏・宋識らに『正徳』・『大 豫 』の二舞を作らせ、その楽章もまた張華の作ったものであるという。
正徳舞の歌(張華)
日皇は上天に在り、玄鑒は惟れ光なり。神器は周回し、五徳は代わり章す。祚命は晋に在り、世に哲王有り。区夏を弘済し、万方を陶甄す。大明は曜を垂れ、旁く燭して疆無し。蚩蚩たる庶類、風徳は永く康し。皇道は惟れ清く、礼楽は斯れ経る。金石は懸に在り、万舞は庭に在り。象容は慶を表し、律に協して声を被る。『武』を軼え『濩』を超え、節を『六英』に取る。同じく進退譲り、化は漸く形無し。大和は宣洽し、幽冥に通ず。
大 豫 舞の歌(張華)
天命は、符運が帰する所がある。赫々たる大 晉 、三后が重ねて輝く。明を継ぎ世を紹ぎ、九囲を光り撫でる。我が皇は期を紹ぎ、遂に璿璣に在り。群生は命に属し、奄かに庶邦を有つ。慎んで五典を徽し、玄教は遐く通ず。万方は軌を同じくし、率土ことごとく雍し。ここに『大 豫 』を制し、徳を宣べ舞の功を顕す。醇化既に穆く、王道は隆盛に協う。仁は草木に及び、恵は昆蟲に加わる。億兆の夷人、皇風を悦び仰ぐ。丕顕なる大業、永世に彌崇し。
荀勖はまた新たに律笛十二枚を作り、律呂を調え、雅楽を正し、正会の殿庭でこれを奏で、自らは宮商がよく調和していると称したが、論者はなお荀勖が暗黙の理解に過ぎないと評した。当時、阮咸は八音に妙に通達しており、論者は神解と称した。阮咸は常々、荀勖の新律が声高であることを心の中で批判し、高くて哀思に近く、中和に合わないと考えていた。毎回、公の集会で楽が奏でられると、荀勖は阮咸が調和していないと言っていると推測し、自分と異なる意見を持つ者として、阮咸を始平相として出向させた。後に、田父が野原を耕している時に周代の玉尺を得た。荀勖がこれで自分が調律した鐘鼓金石絲竹を校正すると、皆一ミリ短かった。ここにおいて阮咸の妙技に感服し、再び阮咸を召し戻した。荀勖は新律で二つの舞楽を作った後、さらに鐘の音を修正し始めた。ちょうど荀勖が死去したため、その事業は完成しなかった。元康三年、 詔 によりその子の 荀籓 が金石楽を修定し、郊廟で用いることとした。まもなく喪乱に遭遇し、記録する者はいなくなった。
漢の高祖が蜀漢から三秦を平定しようとした時、閬中の範因が賨人を率いて帝に従い、前鋒となった。秦中を平定した後、範因を閬中侯に封じ、賨人の七姓を復活させた。その習俗は舞を好み、高祖はその猛鋭さを喜び、しばしばその舞を見物し、後に楽人に習わせた。閬中には渝水があり、その居住地に因んで、『巴渝舞』と名付けた。舞曲には『矛渝本歌曲』、『安弩渝本歌曲』、『安臺本歌曲』、『行辞本歌曲』があり、合わせて四篇である。その歌詞は古く、その句の区切りを理解できる者は誰もいなかった。魏の初年、軍謀祭酒の王粲にその歌詞を改作させた。王粲は巴渝の帥である李管と種玉に歌曲の意味を尋ね、試しに歌わせて聞き、歌曲を考証し、『矛渝新福歌曲』、『弩渝新福歌曲』、『安台新福歌曲』、『行辞新福歌曲』に改めた。『行辞』は魏の徳を述べたものである。黄初三年、また『巴渝舞』を『昭武舞』と改称した。景初元年、尚書が上奏し、三代の礼楽の遺曲を考証し、功績に象り徳を表して、『武始』、『咸熙』、『章斌』の三舞を作り奏上し、皆が羽龠を執った。 晉 に至ってまた『昭武舞』を『宣武舞』と改め、『羽龠舞』を『宣文舞』と改めた。咸寧元年、 詔 により祖宗の号を定め、廟楽では『宣武』、『宣文』の二舞を止め、荀勖が郭夏、宋識らに作らせた『正徳』、『大 豫 』の二舞を共に用いることとした。