明史

志第二十一 地理六 福建 広東 広西

志第二十一 地理六

○福建 広東 広西

福建等処承宣布政使司

福建は『禹貢』に揚州の域とある。元は福建道宣慰使司を置き、福州路に治した。江浙行中書省に属す。至正十六年正月、宣慰司を行中書省に改む。太祖呉元年十二月、陳友定を平らぐ。洪武二年五月、仍び福建等処行中書省を置く。七年二月、福州都衛を置く。行中書省と同治す。八年十月、福州都衛を福建都指揮使司に改む。九年六月、行中書省を承宣布政使司に改む。府八、直隸州一、属県五十七を領す。里三千七百九十七。北は嶺に至り、浙江と界す。西は汀州に至り、江西と界す。南は詔安に至り、広東と界す。東は海に至る。南京より二千八百七十二里、京師より六千一百三十三里。洪武二十六年、編戸八十一万五千五百二十七、口三百九十一万六千八百六。弘治四年、戸五十万六千三十九、口二百十万六千六十。万暦六年、戸五十一万五千三百七、口百七十三万八千七百九十三。

福州府

福州府は元の福州路にして、福建道に属す。太祖呉元年に府と為る。県九を領す。

閩県(倚郭)。南に釣台山あり、亦た南臺山と曰う。東南に鼓山あり。南に方山あり、一名甘果山、下に官母嶼あり、巡検司を置く。東南は海に浜す。南に閩江あり、亦た建江と曰い、南平県より府界に流入す。東南にて諸川の水を納め、府西に至りて洪塘江と曰い、二流に分かれる。南に出づるを陶江と曰い、東に出づるを南臺江と曰い、鼓山下に至りて復た一つに合す。又た東南に馬頭江あり、永福県より流入し、西峡江と曰い、又た東に東峡江流有りて之に合し、又た東南に至りて五虎門に至り、海に入る。東に閩安鎮巡検司あり。

侯官県(倚郭)。西に旗山あり、雪峯山あり、建江あり、又た西禅浦あり。西南に陽崎、呉山、鳳岡、沢苗、延沢、仙阪等の六浦あり、皆な建江の支流に分かれ、仍た正流に合して海に入る。西北に懐安県あり、洪武十二年郭内に移入し、閩・侯官と同治す、万暦八年九月省く。西北に竹崎、又た五県寨の二巡検司あり。

長楽県(府の東やや南)。東は海に浜し、海堤あり。北に馬頭江あり。又た東に守禦梅花千戸所あり、洪武二十一年二月に置く。東北に石樑蕉山、東南に松下鎮の二巡検司あり。又た東に小祉山巡検司あり、後に大祉澳に移して治す。

福清県(府の南やや東)。元は福清州。洪武二年二月に降りて県と為る。東南は海に際し、塩場あり、海中に海壇山あり、又た小練山あり。南に龍江あり、又た逕江あり。東南に海口あり、江は皆な匯流して海に入る。又た東に鎮東衛あり、東南に守禦万安千戸所あり、俱に洪武二十一年二月に置く。又た沢郎山、牛頭門、又た南に壁頭山の三巡検司あり。又た東に海口鎮巡検司あり、洪武二十年に長楽県の松下鎮に移す。

連江県(府の東北)。東北は海に浜し、海中に北茭鎮巡検司あり。南に連江あり、東に流れて海に入る。東北に守禦定海千戸所あり、洪武二十一年二月に置く。

羅源県(府の東北)。東は海に浜す。西に羅川あり、南流して三派に分かれ海に入る。南に応徳鎮あり。

古田県(府の西北)。建江は県の南にあり、南平県より流入し、城の南を経て、大溪流之に合す、之を水口と謂う。又た東南に模天嶺の下を逕り、江流此に至りて始めて険を出で平に就き、東に流れて閩清県界に入る。東に杉洋鎮あり、銀坑を出し、巡検司あり、後に廃す。又た西南に谷口鎮、西北に西溪鎮の二巡検司あり、尋いで廃す。

閩清は府の西北にあり。西南に大帽山あり。北に建江あり、西南に梅溪流れてこれに合す。東に青窯鎮巡檢司あり、廃す。

永福は府の西南にあり。西南に高蓋山あり、また南に陳山あり。東に東溪あり、諸山溪の水を匯して、下流は福清の龍江に会して海に入る。また漈門巡檢司あり、後に嵩口埕に移り、まもなく旧地に復す。

興化府

興化府は元の興化路にして、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府と為す。二県を領す。北、布政司より二百八十里。

莆田は倚郭なり。東南は海に濱し、海中に湄洲嶼あり、また南日山あり、ともに東は琉球国と相望む。また南に木蘭溪あり、北に延壽溪あり、東北に荻蘆溪あり、また通應港あり、ともに会流して海に入る。また西北に興化県あり、正統十三年四月に省く。東に平海衛あり、東南に守禦莆禧千戸所あり、ともに洪武二十一年二月に置く。東に嵌頭、西北に大洋寨、東南に吉了の三巡檢あり。東に衝沁巡檢司あり、本は尋陽に治し、後に興福に徙る。また青山巡檢司あり、本は武盛裏南哨に治し、後に奉國裏に徙る。東南に南日山巡檢司あり、後に新安に徙る。東北に迎仙寨巡檢司あり、後に鼓樓山に移す。東に峙頭、東南に小峙の二巡檢司あり、後に廃す。

仙遊は府の西にあり。北に二飛山あり。東北に何嶺あり。南は九鯉湖に臨み、湖は萬山中にあり、下流は莆田県界に入り、延壽溪に合す。西に三會溪あり、すなわち木蘭溪の上源なり。西に白嶺巡檢司あり、後に文殊寨に遷る。南に楓亭市、西に潭邊市の二巡檢司あり、後に廃す。

建寧府

建寧府は元の建寧路にして、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府と為す。八県を領す。四年正月に建寧都衛をここに置く。八年十月に福建行都指揮使司と改む。東南、布政司より五百二十五里。

建安は倚郭なり。東北に鳳凰山あり、茶を産す。東に東溪あり、すなわち建江、浙江慶元県より流れてこれを経、また西は西溪に合す。また東南に壽嶺巡檢司あり。

甌寧は倚郭なり。西に西溪あり、源は崇安県に出で、東は諸溪の水を会し、県境に流入し、また東は東溪に合し、南は延平府界に入る。西北に營頭街巡檢司あり。

建陽は府の西北にあり。西北に西山あり。東南に錦江あり、また交溪と曰い、二源あり、県東の東山下に合流し、南流して建溪に達す。

崇安は府の西北にあり。南に武夷山あり、中に清溪あり、九曲して崇溪に流入す。西北に分水嶺あり、上に分水關巡檢司あり。その水西流する者は江西境に入り、東流する者は県境に入り、すなわち崇溪の源なり。俗に大溪と謂い、城西を経て南に出で、また西溪と謂う。その別源は県東北の岑陽山に出で、また東溪と曰い、西南流して西溪に合し、また南は武夷水に合して建陽県界に入り、すなわち錦江の上源なり。また西北に溫林、岑陽、桐木、焦嶺、谷口、寮竹、觀音等の關あり、分水關とともに崇安の入關と為す。

浦城は府の東北にあり。北に漁梁山あり、建溪の源ここに出づ。また蓋仙山あり、黎嶺あり、また楓嶺あり、一名大竿嶺、みな浙・閩の通途なり。また東北に柘嶺あり、浙江麗水県と分界し、柘水ここに出で、流れて大溪に合す。また南に南浦溪あり、また大溪と曰い、すなわち建溪なり、下流は建陽の交溪に合す。東に高泉、東北に溪源、西北に盆亭の三巡檢司あり。

松溪は府の東にあり。東に萬山あり。東北に鷲峯山あり、浦城及び浙江の龍泉界に接す。南に松溪あり、源は浙江慶元県に出で、また鬆源水と謂い、また西に杉溪あり、下流ともに建溪に入る。北に二十四都巡檢司あり。南に東關巡檢司あり、後に烏鞍嶺に遷り、また鐵嶺に遷り、また峽橋に遷る。

政和は府の東にあり。南に七星溪あり、源は県東の銅盤山に出で、下流は松溪に合す。また東に丹溪あり、流れて福安県を経て海に入る。また東南に赤巖巡檢司あり。

寿寧府は東にあり。景泰六年八月に政和県の楊海村を以て設置し、福安県の地を分けてこれを補った。東に蟾溪あり、即ち福寧州の長溪の上源なり。東に漁溪巡検司あり、後に県北の官台山に遷り、また斜灘鎮に遷る。

延平府

延平府は元の延平路にして、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府となる。七県を領す。東南、布政司より四百五里。

南平は倚郭なり。南に九峯山あり。東北に衍仙山あり。城の東南に剣溪あり、即ち建江なり、また東溪と曰い、建寧府より流入し、南に黯淡灘を経て、また西に剣津に至り、西溪と合す。西溪は汀・邵二府の境より出で、県西に至り、沙県の沙溪と合して沙溪口となる。また東に剣津に至り、東溪と合す。また南に尤溪口に至り、大溪と合し、また南溪と名づく。また東に福州府に至り、海に入る。俗にまた三溪と謂う。東南に蒼峡、西北に大歴の二巡検司あり。

将楽は府の西にあり。南に天階山あり。西北に百丈山あり。南に将溪あり、また大溪と曰い、即ち西溪の上源なり。また西北に梅溪あり、邵武界より流入し、大溪に合す。また北に万安寨巡検司あり。

沙は府の西南にあり。西北に幼山あり。県治の南に沙溪あり、また太史溪と名づけ、永安県より流入し、県東を経て、霹靂等の灘あり、下流は西溪に合す。北に北郷寨巡検司あり。

尤溪は府の南にあり。北に丹溪嶺あり、一名桃木嶺、下に丹溪あり。東に尤溪あり、その上源は一つは龍巌県より出で、一つは徳化県より出で、県の西南に合流し、また北流して湯泉等二十の溪と会し、北に尤口に出で、建溪に入る。また湖頭溪と曰う。西に英果砦、また高才阪の二巡検司あり。

順昌は府の西やや北にあり。南に徘徊嶺あり。西北に順陽溪あり、源は建陽県より出で、また東に県南を経て、将溪と合し、また東に沙口を経て、邵武県の沙溪と合し、また東に県西を経て、西溪と合す。西溪は即ち邵武県の紫雲溪なり。また東に南平県界に入り、南平の西溪となる。また西北に仁寿鎮巡検司あり。

永安は府の西南にあり。本来は沙県の浮流巡検司、正統十四年にここに永安千戸所を置く。景泰三年に県に改置し、尤溪県の地を分けてこれを補う。東北に貢川山あり。東南に石羅山あり。西に燕溪あり、四つの源合流し、城の東北を経て、下流は沙県の沙溪となる。また西に安砂鎮、西南に湖口寨の二巡検司あり。また西北に黄楊巡検司あり、廃す。

大田は府の西南にあり。嘉靖十五年二月に尤溪県の大田を以て設置し、永安・漳平・徳化の三県の地を分けてこれを補う。北に五台山あり。南に大仙山あり。東に銀瓶山あり、銀鉄を産す。また南に尤溪あり、龍巌県より流入し、また東に尤溪県境に入る。また東南に花橋巡検司あり。また西南に桃源店巡検司あり、本来は漳平県に属す、後に来属す。北に英寨、西南に安仁隘の二巡検司あり、後に廃す。

汀州府

汀州府は元の汀州路にして、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府となる。八県を領す。東、布政司より九百七十五里。

長汀は倚郭なり。北に臥龍山あり。また北に新楽山あり、貢水ここより出で、江西界に流入す。西に新路嶺あり。東に鄞江あり、即ち東溪、また左溪と曰い、寧化県より流入し、下流は広東大埔県を経て海に入る。中に五百灘あり、また汀水と謂う。また東南に正溪、西に西溪、北に北溪、南に南溪あり、ともに東溪に合す。また西に古城寨巡検司あり。

寧化は府の東北にあり。南に潭飛漈あり。また大溪あり、源は県北の万斛泉より出で、分流して清流県の清溪となり、その正流は長汀県に入り、鄞江の上流となる。北に安遠寨巡検司あり。

上杭は府の南にあり。西に金山あり、上に胆泉あり、鉄を浸せば銅となる。西南に羊厨山あり、鉱を産す。南に大溪あり。

武平府の西南。北に黄公嶺あり。南に化龍溪あり、下流は広東程郷県に流入す。西南に武平城あり、洪武二十四年正月武平千戸所を此に置く。東南に象洞巡検司あり、後に県西南の懸繩隘に移す。北に永平寨巡検司あり、後に県西北の貝寨に移す。

清流府の東北。南に豊山あり、東南に鉄石山あり、南は九龍溪に臨み、鉄石磯頭巡検司あり。西南に清溪あり、寧化県より流入し、東北にて半溪と合し、又東南に経て九龍灘を経て永安県界に入る、亦た龍溪と曰ひ、即ち燕溪の上源なり。

連城府の東南。本は蓮城と曰ふ、洪武十七年後に「蓮」を改めて「連」と曰ふ。東に蓮峯山あり。南に文溪あり、下流は清流県の清溪に達す。西南に北園寨巡検司あり、後に県南の朗村隘に遷り、後又県西南の新泉隘に遷す。

帰化府の東北。成化七年正月清流県の明溪鎮を以て置き、将楽・沙県・寧化三県の地を析きて之を益す。北に鉄嶺あり。南に帰化溪あり、下流は将楽県の将溪に合す。東に夏陽巡検司あり。

永定府の南。成化十四年上杭県溪南里の田心地を以て置き、勝運等四里を析きて之を益す。西に大溪あり、即ち汀水、上杭県より流れて此を経、又東に広東大埔県界に入る。東南に三層嶺巡検司あり。東北に太平巡検司あり、後に高坡に徙す。西南に興化巡検司あり、溪南里古鎮を治め、尋いで廃し、復た置き、後上杭県の峯頭に遷す。

邵武府

邵武府は元の邵武路、福建道宣慰司に属す。太祖呉元年に府と為す。県四を領す。東南布政司に距ること六百七十里。

邵武倚郭。東に三臺山あり。東南に七臺山あり、又道人峯あり。又樵溪あり、源は樵嵐山に出で、城内を経て北門を出で、紫雲溪に合し、流れて順昌県に至り順陽溪と為る。又東南に水口巡検司あり。又東に拿口・南に同巡・東北に楊坊の三巡検司あり、廃す。

光沢府の西北。北に云際嶺あり。西北に杉嶺あり、杉関其の上に在り、江西南城県と界を接す。杭川是より出づ、亦た大溪と名づく、下流は紫雲溪に流入す。又大寺寨巡検司あり、杉関の東に在り。又西北に黄土関あり。

泰寧府の西南。西に金饒山あり。西北に大杉嶺あり。西に二十四溪あり、南に灘江流れて之に合し、下流は樵溪に会す。

建寧府の西南。北に百丈嶺あり、藍溪是より出づ。南に綏江あり、源は金饒山に出づ、一名濉江、亦た寧溪と曰ひ、綏城口に至り、藍溪に合して泰寧県界に流入す。西に西安巡検司あり、本は裏心保に治め、後に丘坊隘に遷り、尋いで廃し、後復た置き、後又新安保の黄泥鋪に遷す。

泉州府

泉州府は元の泉州路、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府と為す。県七を領す。東布政司に距ること四百十里。

晉江倚郭。東北に泉山あり、一名清源。東南に宝蓋山あり。南に霊源山あり。東南は海に濱し、塩場あり。海中に彭湖嶼あり。南に晉江あり、南安県より流入し、城西石塔山下を経て、又東南に岱嶼に至り海に入る。東北に洛陽らくよう江あり、南流して海に入る。又東南に永寧衛あり、南に守禦福泉千戸所有り、倶に洪武二十一年二月に置く。東南に祥芝・又烏潯・南に深滬・又囲頭の四巡検司あり。西南に安平城あり、嘉靖中に築く。東南に石湖城あり、万暦中に築く。

南安府の西少北。東南は海に濱す。南に黄龍溪あり、即ち晉江の上流、西に桃林溪流れて之に入る。南に石井巡検司あり。又西北に澳頭・西南に達河の二巡検司あり、後廃す。

同安府の西南にあり。西に文圃山あり。南は海に臨み、塩場あり。西北に西溪あり、流れて県東の東溪・県西の苧溪と合し、また東南に流れて海に注ぐ。西南に守禦金門千戸所あり、西に守禦高浦千戸所あり、ともに洪武二十一年二月に置く。また西南に永寧中左千戸所あり、嘉禾嶼(廈門なり)に在り、洪武二十七年二月に置く。西に苧溪、南に塔頭山、東南に田浦、また陳坑の四巡検司あり。また西南に白礁巡検司あり、後に県西の珝口寨に移す。東南に烈嶼巡検司あり、後に石潯港口に移す。また官澳巡検司あり、後に踏石寨に移す。また峯上巡検司あり、後に県西の下店港口に移す。

恵安府の東北にあり。東南は海に臨み、塩場あり。西に洛陽江あり。また東南に守禦崇武千戸所あり、洪武二十一年二月に置き、嘉靖年中に県東北に移す。城東に黄崎、南に獺窟、東南に小泎、東北に峯尾の四巡検司あり。また東北に塗嶺、また沙格、東南に小兜の三巡検司あり、洪武二十年に廃す。

安溪府の西にあり。西北に佛耳山あり。南に藍溪あり。また西北に源口渡巡検司あり、後に白華堡に遷り、まもなく復す。

永春府の西北にあり。西北に雪山あり、桃林溪ここより出で、東に流れて南安県を経、北に藍溪と合して双溪口となり、また東に流れて南安県を経、南に黄龍溪と合す。西に陳巖寨巡検司あり、洪武年中に廃す。

徳化府の西北にあり。西北に戴雲山あり。西に太湖山あり。南に丁溪あり、また滻溪あり、合して北に流れ、興化府仙遊県の境に入る。また西北に高鎮巡検司あり、もとは東西団、後に治を徙して改称す。東南に虎豹関あり。

漳州府

漳州府は元の漳州路、福建道宣慰司に属す。洪武元年に府と為す。県十を領す。東北、布政司まで七百里。

龍溪倚郭。東に岐山あり。西に天寶山あり。北に華封嶺あり、一名龍頭嶺。東南は海に臨み、海中に丹霞等の嶼あり。また東北に九龍江あり、また北溪と称し、その上源は長汀及び沙県より出で、県界に流入し、龍頭嶺下を歴て峡中と謂い、県東に至り峡を出でて柳営江と為し、また南に南溪あり流れてこれに入る。また東南は鎮門港と為り、海に入る。柳営江巡検司あり。また南に九龍嶺巡検司あり。

漳浦府の南にあり。南に梁山あり、また東南に良山あり、梁山と相峙つ。東北に大武山あり。県の東南両面ともに海に臨む。南に漳江あり、また云霄溪と曰い、李澳溪と合して海に入る。また石塍溪あり。東北にまた鎮海衛あり、東に守禦六鰲千戸所あり。澳の東南に古雷、また後葛、東に井尾澳、西南に盤陀嶺の四巡検司あり。また東南に青山巡検司あり、後に月峙に治を徙し、また西南に云霄鎮あり、ともに洪武二十一年二月に置く。

龍巖府の西にあり。東に龍巖山あり、また東寶山あり、旧く銀鉛を産す。西に紫金山あり。北に九侯山あり。また南に龍川あり、下流は漳平界に入り、九龍江の上源と為る。東北に雁石巡検司あり、後に皞林口に移す。

長泰府の東にあり。南に長泰溪あり、下流は九龍江に入る。東南に朝天嶺巡検司あり、後に溪口に移す。

南靖府の西にあり。旧治は西南、双溪の北にあり。嘉靖四十五年北に大帽山麓に徙す。萬曆二十三年旧治に復す。北に歐寮山あり。南に双溪あり、龍溪県界に入り、南溪と為る。北に永豊、西北に和溪の二巡検司あり。また小溪、寒溪の二巡検司あり、後に廃す。

漳平府の西北にあり。成化六年、龍巖県の九龍郷を以て置き、居仁等五里の地を分ちてこれを益す。東南に象湖山あり。南に百家畲洞あり、龍巖・安溪・龍溪・南靖・漳平の五県の交わりに踞る。また九龍溪あり、龍巖県より流れてこれを経、下流は龍溪県に入る。南に帰化巡検司あり、後に県東の析溪口に移す。また東北に溪南巡検司あり、後に廃す。

平和府の西南にあり。正徳十四年六月、南靖県の河頭大洋陂を以て置き、漳浦県の地を分ちてこれを益す。東南に三平山あり。東に大峯山あり、河頭溪ここより出で、数流に分かれて海に達し、また西に盧溪あり流れてこれと合す。盧溪巡検司あり、後に枋頭板に遷り、漳汀巡検司と改称す。

詔安府の南にあり。もとは南詔守禦千戸所、弘治十八年に置く。嘉靖九年十二月県に改む。南は海に臨み、海濱に川陵山あり、海中に南澳山あり。また東に東溪あり、河頭溪の分流と為り、東南に流れて海に入る。また南に守禦玄鍾千戸所あり、東に守禦銅山千戸所あり、ともに洪武二十一年二月に置く。東に金石、洪淡の二巡検司あり。西南に分水関あり、漳州・潮州の分界、巡検司ここに治す。

海澄は府の東南にある。嘉靖四十五年十二月に龍渓県の靖海館を以て設置し、漳浦県の地を分けてこれを補った。東北は海に臨む。西に南渓があり、龍渓県より流入し、柳営江と合流して海に入る。東に海門巡検司があり、後に青浦社に移転した。東北に濠門巡検司があり、本来は海滄洋に治所を置いたが、後に県の東北の嵩嶼に移転した。東に島尾巡検司がある。また西北に石馬鎮がある。

寧洋は府の西北にある。本来は龍巖県の東西洋巡検司で、正統十一年に設置された。嘉靖四十五年十二月に県に改めて設置し、また大田・永安の二県の地を分けてこれを補った。南に香寮山がある。東南に東洋があり、溪流が集まる所である。

福寧州

福寧州は元は福州路に属した。洪武二年八月に降格して県とし、福州府に属した。成化九年三月に昇格して州とし、布政司に直隷した。北に龍首山がある。東に松山があり、山下に烽火門水寨がある。正統九年に海中の三沙堡よりここに移された。東北に大姥山がある。東南は海に臨み、海中に嵛山・台山・官澳山・屏風嶼がある。東に白水江がある。西に長渓があり、源は寿寧県の境界に出で、県の西南の古鎮門に至り海に入る。東に福寧衛があり、南に守禦大金千戸所がある。ともに洪武二十一年二月に設置された。西北に柘洋巡検司があり、また蘆門巡検司があり、後に桐山堡に移転した。また東北に大篔簹巡検司があり、後に秦嶼堡に移転した。また東に清灣巡検司があり、後に牙裏堡に移転した。南に高羅巡検司があり、後に閭峽堡に移転した。また延亭巡検司があり、後に下滸堡に移転した。また東北に蔣洋があり、また小瀾があり、西北に小澳・庫溪があり、西南に藍田があり、南に西臼の六つの巡検司があり、後に廃止された。二県を領する。西南は布政司まで五百四十五里。

寧徳は州の西南にある。洪武二年に福州府に属した。成化九年に来属した。北に霍童山があり、亀嶼がある。東南は海に臨み、中に官扈山があり、下に官井洋がある。また東に瑞峯があり、これも海中にある。西に穹窿渓があり、西南に赤鑑湖があり、北に外渺渓があり、下流はすべて海に達する。北に東洋麻嶺巡検司があり、後に涵村に移転し、また県の東北の雲淡門に移転し、また県の東の黄湾に移転し、後に旧治に戻った。南に南靖関がある。東に長崎鎮がある。

福安は州の西北にある。洪武二年に福州府に属した。成化九年に来属した。西南に城山がある。海は南にある。西北に長渓があり、東南は福寧州の境に入る。西北に白石巡検司があり、後に県の東南の黄崎鎮に移転した。

広東等処承宣布政使司

広東は『禹貢』にいう揚州の域および揚州の徼外である。元は広東道宣慰使司を置き、広州路に治所を置いた。江西行中書省に属した。また海北海南道宣慰使司を置き、雷州路に治所を置いた。湖広行中書省に属した。洪武二年三月に海北海南道を広西行中書省に属させた。四月に広東道を広東等処行中書省に改めた。六月に海南海北道の管轄する所をすべてこれに属させた。四年十一月に広東都衛を置いた。行中書省と同治した。八年十月に都衛を広東都指揮使司に改めた。九年六月に行中書省を承宣布政使司に改めた。十府、直隷州一、属州七、県七十五を領する。里は四千二十八。北は五嶺に至り、江西と境を接する。東は潮州に至り、福建と境を接する。西は欽州に至り、広西と境を接する。南は瓊海に至る。南京まで四千三百里、京師まで七千八百三十五里。洪武二十六年の編戸は六十七万五千五百九十九、口は三百万七千九百三十二。弘治四年の戸は四十六万七千三百九十、口は百八十一万七千三百八十四。万暦六年の戸は五十三万七百十二、口は五百四万六百五十五。

広州府

広州府は元の広州路で、広東道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。一州、十五県を領する。

南海は倚郭県である。西北に石門山・双女山がある。南は海に臨む。また南に三江口がある。三江とは、一つは西江で、上流は黔・鬱・桂の三水を合わせ、広西梧州府より流入する。一つは北江で、すなわち湞水である。一つは東江で、すなわち龍川水である。ともに西江と合流し、番禺県の南を経て、南海に入る。西北に三江巡検司があり、本来は側水村に治所を置いたが、後に村堡に移転した。また金利・西南に神安・また黄鼎・また江浦の四つの巡検司がある。また南に五斗口巡検司があり、後に磨刀口に移転し、また佛山鎮に移転した。

番禺は倚郭県である。城内に番・禺の二山があり、県名はこれに由来する。東に鹿歩・南に沙湾・北に慕徳・東南に茭塘・また獅嶺の五つの巡検司がある。

順徳は府の西南にある。景泰三年に南海県の大良堡を以て設置し、新会県の地を分けてこれを補った。西北に西江がある。南に馬寧・北に紫泥の二つの巡検司がある。西に江村巡検司があり、後に県の西北の査浦に移転した。北に寧都巡検司があり、後に都粘堡に移転した。また東南に馬岡巡検司があり、後に廃止された。

東莞は府の東南にある。南は海に臨み、海中に三洲があり、南頭・屯門・鶏棲・仏堂門・十字門・冷水角・老万山・零丁洋などの澳がある。北に東江がある。西に中堂・西南に白沙・また缺口鎮の三つの巡検司がある。東北に京山巡検司があり、本来は茶園に治所を置いたが、後に京口村に移転し、名を改めた。また西南に虎頭山関があり、洪武二十七年に設置された。

新安は府の東南にある。本来は東莞守禦千戸所で、洪武十四年八月に設置された。万暦元年に県に改めた。南は海に臨む。大鵬守禦千戸所があり、これも洪武十四年八月に設置された。東南に官富・西北に福永の二つの巡検司がある。

三水府の北にある。嘉靖五年五月、南海県の龍鳳岡を以て設置し、高安県の地を分けてこれを補った。西江は南にあり、北江は西にある。また西南に三江、北に胥江、東に西南鎮の三つの巡検司がある。また南に横石巡検司がある。

増城府の東にある。東に増江があり、南に東江がある。西南に烏石、西北に茅田の二つの巡検司がある。

竜門府の東にある。弘治六年、増城県の七星岡を以て設置し、博羅県の地を分けてこれを補った。南に竜門水があり、また九淋水ともいい、東江に流入する。東に上竜門巡検司がある。

香山府の南にある。南は海に臨む。東に零丁洋がある。北に黄圃巡検司がある。西北に大攬巡検司があり、本来は香山と称したが、後に改名した。

新会府の西南にある。南は海に臨み、中に崖山がある。東北に西江がある。西南に恩平江があり、一名を峴岡水という。東南に潮連、西に牛肚湾の二つの巡検司がある。また西北に楽逕巡検司があり、後に県北の石螺岡に移転した。また東北に大瓦巡検司があり、本来は中楽都に治所を置いたが、後に鸞臺村に移転した。また南に沙村巡検司があり、本来は大神岡に治所を置いたが、後に仙洞村に移転し、さらに長沙村に移転し、後に旧治に戻った。

新寧府の西南にある。弘治十一年、新会県德行都の上坑蓢を以て設置し、文章等五都の地を分けてこれを補った。南は海に臨む。北に恩平江があり、一名を長沙河という。また南に広海衛があり、洪武二十七年九月に設置された。西に望高巡検司があり、西南に城岡巡検司があったが、後に廃止された。

従化府の東北にある。弘治二年、番禺県横潭村を以て設置し、増城県の地を分けてこれを補った。九年、流溪馬場曲に移転した。東北に流溪巡検司があり、本来は県北の石潭村に治所を置いたが、後に神岡村に移転した。

清遠府の北にある。東に中宿峡がある。西に大羅山がある。また湞水が県の東北にあり、東南から潖水が流れて合流し、これを潖江口と称し、潖江巡検司がある。また西南に回岐、西北に濱江の二つの巡検司がある。東北に横石磯巡検司があったが、後に廃止された。

連州

連州は元の桂陽州で、広東道に直隸した。洪武二年三月、連州に併合された。四月、連州は廃止され、その地は連山に属した。三年九月、連山が廃止され、その地は陽山に属した。十四年、ここに連州を設置し、府に属した。東北に桂水がある。西に湟水があり、また洭水ともいい、湖広寧遠県から流入し、東南で湞水に合流する。西北に硃岡巡検司がある。また西岸巡検司があり、仁内郷に治所を置いたが、後に陽山県の境に移転した。東南は府から五百六十里。領する県は二つ:

陽山州の東北にある。元は桂陽州に属した。洪武二年三月、桂陽州が廃止され、連州に属した。四月、連州が廃止され、韶州府に属した。十四年四月、連州に改められ、州治を桂陽州の旧治に移し、再び県を設置してこれに属した。南に陽溪があり、すなわち洭水である。西北に星子巡検司がある。東に西岸巡検司があり、連州からここに移転し、青蓮水口を治めた。また北に湟谿、陽山の二つの関がある。

連山州の西にある。元は連州がここに治所を置き、広東道に直隸した。洪武二年四月、州が廃止され、韶州府に属した。三年九月、陽山に併合された。十三年十一月、再び設置された。十四年四月、州に属した。旧治は県西北の鐘山にあった。永楽元年、県西の程山下に移転した。天順六年、さらに小坪に移転した。南に黄連山がある。北に高良水があり、また大獲水ともいい、東へ州の境界で湟水に入る。西に宜善巡検司があり、すなわち程山下の旧県治である。

肇慶府

肇慶府は元の肇慶路で、広江道に属した。洪武元年に府となった。一州、十一県を領する。南は布政司から二百三十里。

高要倚郭県。北に石室山がある。南に銅鼓山がある。東に高峽山、爛柯山がある。城南に西江があり、また南に新江、東南に蒼梧水があり、いずれもここに流入する。東南に古耶巡検司があり、龍池都の馮村に治所を置いたが、後に県東の横槎下都に移転した。東に禄歩巡検司があり、初めは下村にあったが、後に上村水口に移転した。東に横槎巡検司があり、初めは上半都に治所を置いたが、後に水口に移転し、まもなく廃止された。

高明府の東南にある。もとは高要県高明鎮巡検司であり、成化十一年十二月に県に改め、清泰等都を分けて益した。南に倉歩水があり、一名を滄江といい、下流は西江に流入する。東北に太平巡検司があり、治所は太平都に置かれ、後に県東の都含海口に遷った。また県西南の山台寺に遷り、さらに県東の清渓申石奇の海浜に遷った。

四会府の北にある。南に北江がある。東に南津巡検司があり、治所は黄岡村に置かれ、まもなく県東南の南津水口に遷った。

新興府の南にある。元は新州の治所であり、直隸広東道に属した。洪武二年四月に州が廃止され、当府に属した。東に新江がある。西南に立将巡検司がある。また南に禄縁巡検司があったが、後に廃止された。

開平府の南にある。もとは恩平県の開平屯であった。明末に県に改め、新興・新会の二県の地を分けて益した。南に恩平江があり、源は旧恩平県西北の平城山に発し、東流して烏石水と合流し、下流は広州新会県の界に流入する。東南に沙岡巡検司があり、もとは沙岡村に治所を置いたが、後に平康都の長沙村に遷った。また南に松柏巡検司、北に四合巡検司がある。

陽春府の南にある。元は南恩州に属した。洪武元年に新州に属した。二年四月、新州が廃止され、府に属した。西に漠陽江がある。北に古良巡検司があり、まもなく廃止されたが、後に県西に再置され、さらに南郷都小水口に遷った。また北に思良巡検司があったが、後に廃止された。

陽江府の南にある。元は南恩州の治所がここに置かれ、直隸広東道に属した。洪武元年、南恩州が廃止され、新州に改属した。二年四月、新州が廃止され、府に属した。南は海に臨む。中に海陵山があり、山の西北は鶴州山で、海陵巡検司がそこにある。西に漠陽江があり、源は古銅陵県北の雲浮山の下に発し、南流して陽春県を過ぎ、諸水と合流し、南恩旧城を経て、直ちに北津港門に通じ、海に入る。東南に海朗守禦千戸所、西南に双魚守禦千戸所があり、ともに洪武二十七年に置かれた。また東北に蓮塘堡、西に太平堡があり、ともに嘉靖年間に築かれた。

恩平府の南にある。もとは陽江県の恩平巡検司であり、初めは県東北の恩平故県に治所を置き、後に恩平堡に遷った。成化十四年六月に堡を県に改め、新興・新会の二県の地を分けて益し、巡検司を県東南の城村に遷してなお旧名とし、後にさらに白蒙屯に遷した。県南に恩平江がある。

広寧府の西北にある。嘉靖三十八年十月に四会県の地を分けて置いた。初めは県東南の潭圃山の下に治所を置き、後に大圃村福星山の下に遷り、すなわち今の治所である。北に綏江があり、また龍口屯田千戸所もあり、これも嘉靖三十八年に置かれた。西北に金渓巡検司がある。南に扶渓巡検司があり、初めは東郷水口に治所を置き、後に扶渓口に遷り、さらに官埠に遷った。

徳慶州

徳慶州は元の徳慶路であり、広東道に属した。洪武元年に府となった。九年四月に州に降格し、府治の端渓県を省いて併合し、当府に属した。西に小湘峡があり、西江がその中を流れ、端渓が東北から流入する。東に悦城郷巡検司があり、治所は悦城故県に置かれ、後に霊渓水口に遷った。東は府治から二百十里。領する県は二:

封川州の西にある。元は封州の治所がここに置かれ、直隸広東道に属した。洪武二年三月、州が廃止され、改めて当州に属した。南に西江があり、西に賀江、西北に東安江があり、ともにそこに流入する。北に文徳巡検司があり、初めは県西北の大洲口に治所を置き、後に県西の賀江口に遷り、さらに後にここに遷った。

開建州の西北にある。元は封州に属した。洪武二年三月に改めて当州に属した。西に開江があり、一名を封渓といい、すなわち賀江の下流である。北に古令巡検司があり、治所は古令村に置かれ、後に県東北の褥村に遷った。

韶州府

韶州府は元の韶州路であり、広東道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。領する県は六。西は布政司から八百里。

曲江倚郭。永楽二十二年に淮王府が建てられ、正統元年に江西饒州府に遷された。南に蓮花山がある。東北に韶石山がある。西に桂山がある。湞水が東にあり、東南に曹渓水、西に武水があり、ともにそこに流入し、城を抱いて曲回するので、これを曲江と謂い、下流はすなわち始興江である。東北に平圃巡検司、南に蒙浬巡検司がある。

楽昌は府の西北にあり。南に昌山あり。東北に霊君山あり。西に三瀧水あり、即ち武水なり。北に九峯、西北に黄圃、又に羅家湾の三巡検司あり。東に高勝巡検司あり、後に廃す。

英徳は府の西南にあり。元は英徳州、広東道に直隷す。洪武二年三月に降って県となし、来属す。南に皋石山あり、一名を湞陽峽と曰う。又湞水は県の東にあり、一名を溱水と曰い、洭水は県の西にあり、一名を洸水と曰い、県の西南に至り合流し、之を洸口と謂い、洸口巡検司あり。又南に瀧頭水あり、湞水と合す。又東に象岡、北に清溪、西に含洸の三巡検司あり。又南に南崖巡検司あり、廃す。

仁化は府の東北にあり。治を水西村に置き、後に城口村に遷す。西北に呉竹嶺あり、呉溪水ここより出で、下流は潼溪となり、湞に入る。東北に扶溪巡検司あり。又北に恩村巡検司あり。

乳源は府の西にあり。本は虞塘に治し、洪武元年に洲頭津に遷す。西に臈嶺あり、五嶺の一つなり。西北に武水あり、湖広宜章県より流入し、武陽巡検司あり。

翁源は府の東南にあり。元は英徳州に属す。洪武二年三月に改めて属す。故城は西北にあり、今の治は本長安ちょうあん郷なり、洪武初年にここに遷す。北に宝山あり。東に霊池山あり、滃溪ここより出ず、即ち瀧頭水なり。東に桂丫山巡検司あり、初めは茶園鋪に治し、後に南浦に遷す。

南雄府

南雄府は元の南雄路、広東道に属す。洪武元年に府となす。県二を領す。西は布政司より千九十里に距る。

保昌は倚郭なり。大庾嶺は北にあり、亦た梅嶺と曰い、上に梅関あり、湞水ここより出づ。西北に凌江水あり、流れて合し、南は番禺に至り海に入り、之を北江と謂う。又県の東に小庾嶺あり。西北に百順、東南に平田の二巡検司あり。又東北に紅梅巡検司あり、旧は梅関の下に治し、後にここに遷す。

始興は府の西にあり。西に始興江あり、即ち湞水なり。南に清化径巡検司あり。又東北に黄塘巡検司あり、本は瓔珞鋪に治し、後に黄塘江口に遷し、又黄田鋪に遷す。

惠州府

惠州府は元の惠州路、広東道宣慰司に属す。洪武元年に府となす。州一、県十を領す。西北は布政司より三百六十里に距る。

帰善は倚郭なり。南は海に浜す。西江は西南にあり。東に東江あり、江西安遠県より府境に流入し、亦た龍川江と曰い、西南は番禺県に至り、西江と会して海に入る。東南に平海守禦千戸所あり、洪武二十七年九月に置く。又内外管理有り、又碧甲の二巡検司あり。

博羅は府の西北にあり。西北に羅浮山あり。南に東江あり。西に石湾、又西北に善政裏の二巡検司あり。

長寧は府の西にあり。隆慶三年正月に帰善県の鴻雁洲を以て置き、韶州府英徳・翁源の二県の地を析いて之を益す。万暦元年に治を君子峯の下に徙す。南に新豊江あり、下流は龍江に入る。西に乍坪巡検司あり。又北に黄峒巡検司あり、後に廃す。

永安は府の東北にあり。隆慶三年正月に帰善県の安民鎮を以て置き、長楽県の地を析いて之を益す。西に東江あり。西南に寛仁裏巡検司あり、苦竹派に治し、後に桃子園に遷す。又馴雉裏巡検司あり、鳳凰岡に治し、後に県東の烏石屯に遷す。尋いで俱に故治に還る。

海豊府の東。北に五坡嶺あり。南は海に濱し、一名を長沙海と云ふ。又東南に碣石衛あり、東に甲子門守禦千戸所あり、共に洪武二十七年十月に置く。南に捷勝守禦千戸所あり、洪武二十八年二月に置き、初めは捷徑と名付け、三月に名を改む。甲子門巡検司あり。又西に鵝埠嶺巡検司あり。又西南に長沙港巡検司あり、後に謝道に遷す。

龍川府の東北。元は循州の治此に在り、直隸廣東道に属す。洪武二年四月、州廃して来属す。東に霍山あり。南に龍江あり、即ち東江の上流にして、江西安遠県より流入す。東に通衢巡検司あり、後に老龍埠に遷り、尋いで故治に還る。東北に十一都巡検司あり。

長楽府の東北。元は循州に属す。洪武四年四月来属す。旧治は紫金山の北に在り。洪武初年、今の治に徙る。東南に興寧江あり。南に十二都巡検司あり。又西に清溪巡検司あり、後に廃す。

興寧府の東北。元は循州に属す。洪武二年四月来属す。南に興寧江あり、東は潮州府程郷県の界に入る。東南に水口巡検司あり、水口隘に治し、後に廃し、下岸に復置し、尋いで上岸水東に遷る。又北に十三都巡検司あり、後に白水砦に遷り、尋いで故に復す。

連平州

連平州は本連平県なり。崇禎六年、和平県の恵化都を以て置き、長寧・河源二県及び韶州府翁源県の地を析きて之を益す。尋いで州に升る。西に銀梅水あり、源は楊梅坪に出づ、即ち湞水の上源なり。南に長吉里、東南に忠信裏の二巡検司あり。東北府に距ること百八十里。領する県二:

河源州の北。旧は府に属し、崇禎六年州に改属す。故城は西南に在り。洪武二年寿春市に徙る。万暦十年今の治に遷る。南に槎江あり、即ち龍川江、下流は東江と為る。又北に新豊江之に入る。又東北に藍口巡検司あり。

和平州の少北。正徳十三年八月、龍川県の和平司を以て置き、河源県の地を析きて之を益し、府に属す。崇禎六年州に改属す。北に九連山あり。西北に浰頭山あり、三浰水是より出づ、亦た和平水と名付け、浰頭巡検司あり。

潮州府

潮州府は元潮州路、廣東道宣慰司に属す。洪武二年府と為る。領する県十一。西布政司に距ること千一百九十里。

海陽倚郭。南は海に濱し、急水門あり。東に鱷溪あり、一名悪溪、亦た韓江と云ひ、又意溪と名付け、東は海に入る。西北に潘田巡検司あり。又楓洋巡検司あり、尋いで県南園頭村に遷る。

潮陽府の南。東南は海に濱す。西南に練江あり。南に海門守禦千戸所あり、洪武二十七年に置く。東に招寧、西北に門闢、北に桑田の三巡検司あり。又吉安巡検司あり、𣴛水都南山下に治し、後に貴嶼村に遷る。

掲陽府の西。西北に掲嶺あり。南に古溪あり。東南は海に濱す。西に南寨巡検司あり、本名は湖口、湖口村に治し、後に棉湖寨に遷り、名を更む。東に北寨巡検司あり、本は県西北岡頭山に治し、後に県東北鳥石山の南に遷り、尋いで旧治に還り、後又県東桃山鋪前に遷る。

程郷府の西北。元は梅州の治此に在り、直隸廣東道に属す。洪武二年四月、州廃して来属す。南に梅溪あり、即ち興亭江の下流、一名悪溪、西北に程江之に合す。西に太平郷巡検司あり、梅塘堡に治し、後に県西北石鎮村の傍に遷る。東南に豊順郷巡検司あり、本は県西北平遠県の界に在り、後に鬆口市に遷る。

饒平府の東北。成化十二年十月、海陽県の三饒の地を以て置き、下饒に治す。東南は海に濱し、海中に南澳山あり、大成守禦千戸所あり、洪武二十七年に置く。南に黄岡、西に鳳凰山の二巡検司あり。又東南に柘林寨あり。

恵来は府の西南にあり。嘉靖三年十月に潮陽県恵来都を以て設置し、惠州府海豊県の地を割いてこれを補った。南は海に臨む。西に三河あり、大河・小河・清遠河の三水が交会することにより名付けられ、即ち韓江の上源である。東南に靖海守禦千戸所あり、洪武二十七年に設置。南に神泉巡検司あり、本来の名は北山、県西北の山村に治所を置き、後に神泉村に移転し、名を改む。

鎮平は府の北にあり。本来は平遠県の石窟巡検司、崇禎六年に県に改め、程郷県の地を割いてこれを補った。西に石窟溪あり、下流は程江に流入す。東に藍坊巡検司あり、石窟司より移転して治所とし、名を改む。

大埔は府の東にあり。嘉靖五年に饒平県大埔村を以て設置し、⿰氵戀洲・清遠の二都の地を割いてこれを補った。南に神泉河あり、即ち福建汀州府の鄞江である。また西に悪溪あり。東北に虎頭沙、西に三河鎮の二巡検司あり。また南に大産巡検司あり、後に黄沙に移転。西南に烏槎巡検司あり、後に高陂に移転。

平遠は府の西北にあり。嘉靖四十一年五月に程郷県豪居都の林子営を以て設置し、福建の武平・上杭、江西の安遠、惠州府の興寧の四県の地を割いてこれを補い、江西贛州府に属せしむ。四十二年正月に三県の割地を返還し、ただ興寧・程郷の地を以て県を設置し、来属す。

普寧は府の西南にあり。嘉靖四十二年正月に潮陽県𣴛水都を以て設置し、洋烏・黄坑の二都の地を割いてこれを補い、貴山都の貴嶼に仮の治所を置く。万暦十年に黄坑に治所を移し、洋烏・𣴛水の二都を潮陽に返還す。西に冬瓜山あり、冬瓜水ここより出で、下流は掲陽県の古溪となり、南・北の二溪と合し、下流は澄海県に至り海に入る。西南に云落径巡検司あり。

澄海は府の東南にあり。本来は海陽県の闢望巡検司。嘉靖四十二年正月に県に改め、掲陽・饒平の二県の地を割いてこれを補い、闢望巡検司を県北の南洋府に移転し、なお旧名を用いる。南は海に臨み、また鳴洋海とも曰う。西南に蓬州守禦千戸所あり、洪武二十六年四月に設置。また駝浦巡検司あり。

高州府

高州府は元の高州路、海北海南道に属し、電白に治所を置く。洪武元年に府となる。七年十一月に州に降格。九年四月に再び府となる。後に茂名に治所を移転。州一、県五を領す。東南、布政司より一千里。

茂名は倚郭。洪武七年十一月に廃止、十四年五月に再設置。南は海に臨む。城西に竇江あり、源は信宜県より出で、東北に流れ、鑑江ここに入り、西南に流れて化州界に入る。南に赤水巡検司あり。東南に平山巡検司あり、紅花堡に治所を置き、後に県東北の電白故県に移転。また西南に博茂巡検司あり、後に廃止。

電白は府の東にあり。旧治所は西北に在り。今の治所は本来神電衛、洪武二十七年十月に設置。成化三年九月にここに遷る。東は海に臨む。西北に立石巡検司あり、後に廃止。

信宜は府の北にあり。南に竇江あり。東北に中道巡検司あり、治所は懐徳郷黄僚寨の左に在り、廃止、後に羅馬村に再設置し、まもなくまた三橋に遷る。

化州

化州は元の化州路、海北海南道に属す。洪武元年に府となる。七年十一月に州に降格し、州治の石龍県を廃して編入。九年四月にまた県に降格し、来属す。十四年五月に再び州となる。北に石城山あり、また来安山あり。東北に茂名水あり、竇江の下流。また陵水・羅水あり、ともに広西の北流県より流入し、茂名水と合し、呉川県に至り呉川水となり、南に流れて海に入る。北に樑家沙巡検司あり。東南、府より九十里。県二を領す:

呉川は州の南にあり。元は化州路に属す。洪武九年四月に高州府に属す。十四年五月に州に改属。南は海に臨み、中に碙洲あり。碙洲巡検司あり、洲の南の海浜に在り、後に洲上に移転。東南に寧川守禦千戸所あり、洪武二十七年四月に設置。また北に寧村巡検司あり、川𣽸に治所を置き、後に県西北の地聚村に移転し、また芷𦫼口に遷る。

石城は州の西にあり。元は化州路に属す。洪武九年四月に高州府に属す。十四年五月に州に改属。南は海に臨む。西に零縁巡検司あり。

雷州府

雷州府は元の雷州路で、海北海南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。三県を領する。東は布政司まで千四百五十里。

海康(倚郭)。東は海に臨む。南に擎雷水があり、擎雷山より南流し、東に入って海に注ぐ。西に海康守禦千戸所があり、洪武二十七年十月に設置された。西南に清道、東南に黒石の二巡検司がある。

遂溪(府の北)。東西は海に臨む。西南に楽民守禦千戸所があり、洪武二十七年十月に設置された。西北に湛川巡検司があり、旧湛川県に治し、後に県東南の旧鉄杷県に遷った。また西南に潿洲巡検司があり、海島中の博裏村に治し、後に蠶村に遷った。

徐聞(府の南)。東西南の三面が海に臨む。西に海安守禦千戸所、東に錦囊守禦千戸所があり、ともに洪武二十七年十月に設置された。西南に東場、東に寧海の二巡検司がある。また西北に遇賢巡検司があったが、廃された。

廉州府

廉州府は元の廉州路で、海北海南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。七年十一月に州に降格した。九年四月に雷州府に属した。十四年五月に再び府となった。一州、二県を領する。東は布政司まで千二百十里。

合浦(倚郭)。洪武七年十一月に廃され、十四年五月に再び設置された。東に大廉山があり、州はこれに因んで名付けられた。東南は海に臨み、珠母海ともいい、海中に珠池があるためである。また城北に廉江があり、合浦江ともいい、広西容県より流入し、州を経て、江口で五つに分かれ、西南して海に注ぐ。また北に石康県があったが、成化八年に廃された。東に永安守禦千戸所があり、洪武二十七年に設置された。東南に珠場、東北に永平の二巡検司がある。また北に高仰巡検司があり、馬欄墟に治し、後に県の西南に遷った。

欽州

欽州は元の欽州路で、海北海南道に属した。洪武二年に府となった。七年十一月に州に降格し、州治の安遠県を廃して併合した。九年四月に県に降格し、廉州府に属した。十四年五月に再び州となった。西南は海に臨み、中に烏雷山があり、安南に入る要路である。また分茅嶺があり、これも安南との境界である。龍門江は城東にあり、また東に欽江があり、ともに海に入る。南に淞海、西南に長墩、西北に管界の三巡検司がある。また西に如昔、また仏淘の二巡検司があり、交趾と接境し、宣徳二年に安南に帰し、嘉靖二十一年に回復した。また西南に千金鎮がある。東は府まで百四十里。一県を領する。

霊山(州の北)。元は欽州に属した。洪武九年四月に廉州に属した。十四年五月に再び欽州に属した。北に洪崖山があり、洪崖江はここより出て、県東を経て、羅陽山水と合し、南岸江となり、南流して欽江となる。また南に林墟、西に西郷の二巡検司がある。

瓊州府

瓊州府は元の乾寧軍民安撫司である。元統二年十月に乾寧安撫司と改め、海北海南道宣慰司に属した。洪武元年十月に瓊州府と改めた。二年に州に降格した。三年に再び府に昇格した。三州、十県を領する。東北は布政司まで千七百五十里。

瓊山(倚郭)。南に瓊山がある。北は海に臨み、神応港があり、海口渡ともいい、海口守禦千戸所があり、洪武二十年十月に設置された。また西南に水蕉村があり、万暦二十八年にここに水会守禦千戸所を置いた。南に石山がある。また清瀾巡検司があったが、廃された。

澄邁(府の西)。北は海に臨む。南に黎母江がある。東に澄江がある。西北に澄邁巡検司があり、石𱵄都に治した。南に兔穎巡検司があり、曾家東都に治し、後に南黎都に遷り、廃された。西南に銅鼓巡検司があり、新安都に治し、後に西黎都に遷り、廃された。また那拖巡検司があり、那拖市に治し、後に県西の森山市に遷り、廃された。

臨高府の西にあり。北は海に臨む。南に黎母江あり。南に田牌巡検司あり、後に墳横岡に遷す。また東に定南、北に博鋪の二巡検司あり、廃す。

安定府の南にあり。元の至元二十九年六月に置く。天暦二年十月に南建州に昇格す。洪武元年十月に再び県と為す。南に五指山あり、また黎母山と曰い、黎人が山の下に環居し、外は熟黎、内は生黎と為す。北に建江あり、郡境をめぐり西北に流れ、南渡江に入る。東に潭覧屯田千戸所あり、元に置き、洪武中に之に因り、永楽四年に廃す。西に青寧巡検司あり。また東に寧村巡検司あり、潭覧村に治し、後に県東南の南資都に遷し、仍って故の名とす。

文昌府の東にあり。西北に七星山あり。南に紫貝山あり。東北は海に臨む。東南に文昌江あり、海に入る。また東北に清瀾守禦千戸所あり、洪武二十七年八月に置き、万暦九年に県東南の南𥐽都陳家村に遷す。西北に鋪前巡検司あり。東北に青藍頭巡検司あり、後に県東の抱凌港に遷す。

會同府の東南にあり。元の至元二十九年六月に置く。東は海に臨む。西に黎盆溪あり、東に調囂巡検司あり、端趙都に治し、尋いで県東南の南滄村に遷す。

樂會府の東南にあり。西に白石山あり。東は海に臨む。西北に萬泉河あり、黎盆水之に流入す。

儋州

儋州は元の南寧軍にして、海北海南道宣慰司に属す。洪武元年十月に儋州と改め、府に属す。正統四年六月に州治の宜倫県を省きて併入す。西北に龍門嶺あり。西は海に臨む。北に倫江あり。西南に鎮南、また安海の二巡検司あり。また東に帰姜巡検司あり、廃す。東北、府より三百七十里に距る。領する県一:

昌化州の南にあり。旧城は東南にあり、今の城は本は昌化守禦千戸所にして、洪武二十五年に置く。正統六年五月に県治をここに徙す。西は海に臨む。南に昌江あり。

萬州

萬州は元の萬安軍にして、海北海南道に属す。洪武元年十月に萬州と改め、府に属す。正統四年六月に州治の萬安県を省きて併入す。北に六連山あり、龍滾河ここより出づ。東南の海の中に獨洲山あり。東に蓮塘巡検司あり、後に廃す。西北、府より四百七十里に距る。領する県一:

陵水州の南にあり。東北に旧県城あり、今の治は本は南山守禦千戸所にして、洪武二十七年に置く。正統年間、県をここに遷す。西に小五指山あり。東は海に臨み、海中に雙女嶼あり。東北に牛嶺巡検司あり。

崖州

崖州は元の吉陽軍にして、海北海南道宣慰司に属す。洪武元年十月に崖州と改め、府に属す。正統四年六月に州治の寧遠県を省きて併入す。南に南山あり。北に大河あり、五指山より分流し、南して海に入る。東に滕橋、西に抱歳、また西北に通遠の三巡検司あり。北、府より千四百一十里に距る。領する県一:

感恩州の西北にあり。旧は儋州に属す。正統五年に来属す。西は海に臨む。南に南湘江あり、源は黎母山に発し、西南して海に入る。東南に延徳巡検司あり。

羅定州

羅定州は元の瀧水県であり、徳慶路に属した。洪武元年に徳慶州に属す。万暦五年五月に羅定州に昇格し、直隷布政司に属した。西南に瀧水があり、源は瑶境より出づ。また瀧水・新寧・従化の三千戸所があり、いずれも万暦七年に設置。また函江守禦千戸所があり、万暦五年五月に西寧県の境に設置され、十六年に州界の鳷溝驛に移転。南に開陽郷、西北に晋康郷の二つの巡検司あり。また東に建水巡検司あり、建水郷を治め、後に県東南の古模村に移り、さらに高要県の白坭村に移り、まもなく白模に戻る。二県を管轄す。東は布政司まで五百三十里。

東安は州の東。万暦五年十一月に瀧水県の東山黄姜峒を以て設置し、徳慶州及び高要・新興の二県の地を分けて補った。北に西江あり、西に瀧水が流れ入る。東北に南郷守禦千戸所、西南に富霖守禦千戸所があり、いずれも万暦五年五月設置。東南に羅苛巡検司あり。

西寧は州の西。万暦五年十一月に瀧水県の西山大峒を以て設置し、徳慶州及び封川県の地を分けて補った。東北に西江あり、徳慶州と境界を分つ。東南に瀧水あり。西南に封門守禦千戸所があり、万暦五年五月設置。北に都郷巡検司あり。また西南に懐郷巡検司あり、後に廃止。

広西等処承宣布政使司

広西は『禹貢』にいう荊州の域及び荊・揚二州の徼外なり。元は広西両江道宣慰使司を置き、静江路を治所とした。湖広行中書省に属す。至正末に宣慰使司を広西等処行中書省に改む。洪武二年三月これに因る。六年四月に広西都衛を置く。行中書省と同治す。八年十月に都衛を都指揮使司に改む。九年六月に行中書省を承宣布政使司に改む。十一府、四十八州、五十県、四長官司を管轄す。里数一千百八十三。北は懐遠に至り、湖広・貴州と境を接す。東は梧州に至り、広東と境を接す。西は太平に至り、貴州・雲南と境を接す。南は博白に至り、広東と境を接す。南京まで四千二百九十五里、京師まで七千四百六十二里。洪武二十六年の編戸は二十一万千二百六十三、口は百四十八万二千六百七十一。弘治四年、戸は四十五万九千六百四十、口は百六十七万六千二百七十四。万暦六年、戸は二十一万八千七百十二、口は百十八万六千百七十九。

桂林府

桂林府は元の静江路。洪武元年に府となる。五年六月に桂林府と改称。二州、七県を管轄す。

臨桂は倚郭県。洪武三年七月に靖江王府を独秀峯前に建つ。東に桂山あり。東北に堯山あり。また桂江あり、また灕江と曰い、南より陽江来たりて合し、蒼梧県に至り左江・右江に合す。東に蘆田市、西に両江口の二巡検司あり。南に湘山渡巡検司あり、後に廃止。

興安は府の北。南に海陽山あり、湘水はその北より出で湖広永州府の界に流入し、灕水はその南より出で南に梧州府の界に入る。北に越城嶺あり、また始安嶠と曰い、五嶺の最も西の嶺なり、下に始安水あり灕水に流入す。西南に融江六洞、西に塩砂寨、北に唐家鋪の三巡検司あり。また西南に巌関あり。

霊川は府の北。北に百丈山あり。東北に融江あり、源は融山の二洞より出づ、一名銀江、県境を流れ経て、また南に霊川県の界に入り、灕江に合す。南に白石潭、東北に千秋峡の二巡検司あり。

陽朔は府の南。北に陽朔山あり。東に灕江あり。東南に伏荔市、南に都楽墟の二巡検司あり。西に白竹寨巡検司あり、廃止。

全州

全州は元の全州路、湖広道に属す。洪武元年に府となる。九年四月に州に降格し、州治の清湘県を省いてこれに併せ、湖広永州府に属す。二十七年八月に来属す。西に湘山あり。南に湘水あり、また北に洮水あり流れて合す。また西に西延、西南に建安、東北に柳浦の三巡検司あり。また東北に平塘巡検司あり、廃止。南は府まで二百五十里。一県を管轄す。

灌陽は州の南やや東。南に灌水あり、州界を経て湘水に合す。西南に吉寧郷崇順里巡検司あり。

永寧州

永寧州は、元代には古県であった。洪武十四年に古田県と改称し、隆慶五年三月に永寧州に昇格した。県の旧治は現在の州の南三十里にあった。洪武初年に現在の州の南八里に移転し、成化十八年にさらに現在の治所に移った。また黄源水があり、下流は灕江に流入する。南に桐木鎮、また常安鎮があり、西南に富椽鎮の三つの土巡検司がある。東は府から百五十里の距離である。二県を管轄する。

永福県は、州の東南にある。以前は府に属していたが、隆慶五年三月に州に改属した。西南に太和山があり、太和江がその下をめぐり、東に流れて柳州府に入り、雒清江となる。また西南に理定県があったが、元代は静江旧路に属し、正統五年九月に廃止された。また蘭麻鎮、東北に銅鼓市の二つの巡検司があったが、廃止された。

義寧県は、州の東北にあり、以前は府に属していたが、隆慶五年三月に州に改属した。北に丁嶺があり、義江はここから発し、下流で二つに分かれる。東に流れるものは臨桂県の相思水となり、灕江に入る。南に流れるものは永福県の白石水となり、すなわち太和江である。西北に桑江口巡検司がある。

平楽府

平楽府は、元代の大徳五年十一月に設置された。洪武元年にそのまま踏襲した。一州、七県を管轄する。北は布政司から百九十里の距離である。

平楽県は、府治に附郭する。東南に魯溪山がある。西北に灕江があり、また北に楽川水があり、東に流れて昭潭を経て合流する。また東に榕津寨巡検司があり、また水滻営土巡検司がある。また東に龍平寨巡検司、昭平堡土巡検司があったが、廃止された。また東に団山堡、東南に広運堡、足灘堡があり、また南に甑灘堡があり、いずれも弘治年間以後に設置された。

恭城県は、府の東北にある。南に楽川水があり、また東に勢江、南に南平江、北に平川江、西南に西水江があり、いずれも流れ合う。東北に鎮峽寨、東に勢江源の二つの巡検司がある。また白麪寨、西嶺寨の二つの土巡検司がある。

富川県は、府のやや東北にある。元代は賀州に属した。洪武十年五月に潯州府に改属し、後に当府に属した。西南に鐘山県があり、旧治はここにあったが、洪武二十九年十一月に靄石山下に治所を移し、旧治に辺蓬寨巡検司を設置した。北に秦山があり、湖広道州の境に接する。東北に氓渚嶺があり、すなわち臨賀嶺で、湖広江華県と境界を分かつ。また東に富江があり、南で賀水と合流する。西南に白霞寨、西北に寨下市の二つの巡検司がある。

賀県は、府の東南にある。元代は賀州で、広西両江道に直隸した。洪武初年に州治の臨賀県を廃して州に併合し、潯州府に属した。十年五月に県に降格し、後に当府に属した。東北に臨賀嶺があり、また桂嶺ともいい、その下に桂嶺県があったが、元末に廃止された。東に賀江があり、広東封川県に至って西江に合流する。南に信都郷巡検司がある。北に沙田寨巡検司があり、後に県西の点燈寨に移転し、まもなく廃止された。また東北に大寧寨、樊字寨、白花洞の三つの土巡検司があったが、後に廃止された。

荔浦県は、府のやや西南にある。以前は桂林府に属していたが、弘治四年に当府に属した。旧治は現在の県の西にあった。景泰七年に後山に移転し、現在の治所となった。東に銅鼓嶺があり、一名を火焰山という。また荔江が南にあり、下流は灕江に流入する。東南に峯門寨巡検司があり、後に中峒に移転した。西北に南原寨巡検司があり、後に県東南の下峒に移転し、さらに県東の延濱江に移転した。また西南に華蓋城があり、万暦年間に築かれた。

修仁県は、府のやや西南にある。以前は桂林府に属していたが、弘治四年に当府に属した。旧治は現在の県の西の馬浪坪にあった。景泰初年に現在の県の南の寨村に移転し、成化十五年には五福嶺に移転して現在の治所となった。東北に荔江があり、麗壁市土巡検司がある。西南に石牆堡があり、万暦年間に築かれた。

昭平県は、府のやや東南にある。万暦四年四月に平楽県と富川県の地を分離して設置した。五年にさらに賀県の地を分けて加えた。東に五指山がある。また灕江がある。また思勤江があり、下流は灕江に入る。東南に龍平県があったが、元代は府に属し、洪武十八年に廃止された。

永安州

永安州は元代の立山県で、府に属していた。洪武十八年に廃止して立山郷とし、荔浦県に属した。成化十三年二月に州を設置し、永安と称し、桂林府に属した。弘治三年九月に長官司に改められた。五年に再び州に復し、当府に属した。東に蒙山があり、その下に蒙水がある。南に古眉寨土巡検司がある。北に羣峯寨土巡検司があり、後に州西北の杜莫寨に移転し、さらに州北の猫児堡に移転した。東南に仙回営があり、万暦年間に設置された。東北は府から百二十里の距離である。

梧州府

梧州府は、元の梧州路である。洪武元年に府となった。一州、九県を管轄する。北は布政司まで五百八十里。

蒼梧県は、府治に附郭する。城の西南に大江があり、この江は黔江と鬱江の二水が潯州府城の東で合流したもので、潯江と呼ばれる。府の境界に入り、東は立山の下を経て流れ、さらに東へ流れてここを経て桂江と合流し、これを三江口といい、下流は広東の西江となる。東に長行、西に安平、北に東安、西南に羅粒の四つの巡検司がある。

藤県は、府の西にある。元は藤州であった。広西両江道に直隷していた。洪武二年九月に州治の鐔津県を廃して州に併合した。十月に当府に所属した。十年五月に県に降格した。北に藤江があり、鐔江ともいい、すなわち潯江である。東南に繡江があり、西に幕僚江があり、いずれもここに流入する。また西北に五屯守禦千戸所があり、嘉靖初年に設置された。西に白石寨、南に竇家寨、東北に赤水鎮の三つの巡検司がある。また東に溻洲、南に周村、西南に驛面、さらに南に思羅の四つの巡検司があったが、廃止された。

容県は、府の西南にある。元は容州であった。広西両江道に直隷していた。洪武二年十月に当府に所属した。十年五月に県に降格し、州治の普寧県を廃して併合した。西北に容山がある。南に容江があり、繡江ともいう。また東に波羅裏大洞、西南に粉壁寨の二つの巡検司がある。

岑渓県は、府の南やや西にある。元は藤州に属した。洪武十年五月に府に改属した。東北に烏峽山がある。西に繡江がある。東南に上裏平河村、西南に南渡の二つの巡検司がある。また東南に連城郷義平巡検司があったが、廃止された。

懐集県は、府の東北にある。元は賀州に属した。洪武初年に平楽府に属した。十年五月に当府に所属した。西南に懐渓水がある。東に武城郷、西に慈楽寨、西北に蘭峒寨の三つの巡検司がある。

鬱林州

鬱林州は、元は広西両江道に直隷していた。洪武二年九月に州治の南流県を廃して州に併合した。十月に当府に所属した。南に南流江があり、広東の合浦県に至って海に入る。横嶺、文俊の二つの巡検司があったが、廃止された。東北は府まで三百三十里。四県を管轄する。

博白県は、州の西南にある。西に双角山があり、緑珠江はその下から出て、県南の飲馬水と合流し、下流は南流江に入る。南に周羅、西南に沙河の二つの巡検司がある。また安定、春台、平山、兆常の四つの土巡検司があったが、まもなく廃止された。また東南に海門鎮があり、かつては安南に入る道であった。

北流県は、州の北にある。元は容州に属した。洪武十年五月に当州に所属した。東北に勾漏山がある。東に銅石山があり、水銀と硃砂を産する。また南に扶来山があり、陵水はここから出て、西南に峨石山があり、羅水はここから出て、いずれも広東の化州の境界に流入する。また北に緑藍山があり、緑藍水はここから出て、二つに分かれる。東に流れるものは城東の登龍橋を経て、広東高州府から流入する繡江と合流し、さらに東は容県を経て容江となる。西に流れるものは鬱林州に入り、南流江となる。南に双威寨巡検司がある。西に都隴、また中山、また清湾の三つの巡検司があったが、廃止された。また西に天門関があり、もとは鬼門関といったが、洪武初年に桂門関と改め、宣徳年間に今の名に改めた。

陸川県は、州の南やや東にある。元は容州に属した。洪武十年五月に当州に所属した。かつては安南に入る道であった。東に龍化江があり、下流は容江と合流する。南に温水寨巡検司がある。

興業県は、州の西やや北にある。南に鉄城山がある。北に翻車嶺があり、龍母江はここから出て、下流は南流江に入る。南に趙家寨、西に長寧寨、北に平安寨、また棠木寨の四つの巡検司があったが、後にいずれも廃止された。

潯州府

潯州府は、元の潯州路である。洪武元年に府となった。三県を管轄する。東北は布政司まで九百八十里。

桂平県は、府治に附郭する。南に白石山がある。西北に大藤峡がある。北に黔江があり、一名を北江、また右江ともいい、南に鬱江があり、一名を南江、また左江ともいい、城東に至って潯江に合流する。東北に武靖州があり、成化三年に設置され、万暦末に廃止された。また東に大黄江口、北に靖寧郷、東北に大宣郷、また思隆郷、また木盤浦、西南に常林郷の六つの巡検司がある。また南に羅秀土巡検司があり、また北に碧灘堡、鎮峡堡があり、いずれも成化年間に設置された。東に牛屎湾堡、西に淹衝堡、秀江堡があり、いずれも嘉靖年間に設置された。

平南県、府の東。東南に龔江あり、即ち潯江なり、東に白馬江ありてこれに流入す。また奉議衛あり、洪武二十八年八月に奉議州に置き、正統六年五月にここに遷す。東北に大同、西北に泰川、西南に武林の三巡検司あり。また南に峒心、東南に三堆、東北に大峽、西北に平嶺の四土巡検司あり。

貴県、府の西。元は貴州、直隸広西両江道、洪武二年十月に県に降格し、来属す。南山は南にあり。また東、西、北の三山あり。南に鬱江あり、また南江と曰い、諸川悉くこれに流入す。向武軍民千戸所有り、もと向武守禦千戸所、洪武十八年十月に向武州に置き、三十年三月に軍民所に昇格し、正統六年五月に来りて県北門外に遷し、万暦二十三年にまた県西北の謝村鎮に遷す。東南に新安寨、北に北山寨の二巡検司あり。また南に橋頭墟、西に瓦塘渡、また五州寨あり、また東鋋渡あり、また郭東里の五巡検司あり、廃す。また東南に三江城あり、万暦中に築く。

柳州府

柳州府、元は柳州路。洪武元年に府と為す。州二、県十を領す。東北、布政司より四百里。

馬平県、倚郭。元は府に属す、洪武元年に府治をここに徙す。南に柳江あり、また潯水と曰い、また黔江と曰い、上流は貴州黎平府より府境に流入し、下流は桂平県に至りて鬱江に合す、また右江と曰う。南に新興鎮、都博鎮の二巡検司あり。また帰化鎮巡検司あり、廃す。

洛容県、府の東北。旧治は白龍巖、天順中、硃峒に徙す。正徳時、瑤・僮に占拠せられ、嘉靖三年十一月に回復し、万暦四年正月に霊塘に遷し、硃峒の旧治を以て平楽鎮と為し、兵百名を留めてこれを守る。城南に洛清江あり、馬平県に至りて柳江に入る。西南に江口鎮、また運江の二巡検司あり。東に平楽鎮巡検司あり、石榴江に治し、後に県東北の中渡に遷す。また西南に章洛鎮巡検司あり、廃す。

柳城県、府の西北。旧治は龍江の南、元は府治なり。洪武元年に龍江の東に治を遷し、而して府は馬平県に治を徙す。龍江は天河県より流入し、融江に合す、即ち柳江の上流なり。東に東泉鎮巡検司あり。北に古枿鎮巡検司あり、初め融江の東岸に治し、後に馬頭駅に遷す。また東北に古清鎮、西に洛好鎮、また廖洞鎮の三巡検司あり。

羅城県、府の西北。洪武二年十月に羅城郷を以て置き、融州に属す。十年五月に来属す。北に武陽江あり、下流は融江に合す。北に武陽鎮、また莫離鎮、また通道鎮の三巡検司あり。また旧に安湘鎮、楽善鎮、中峒鎮の三巡検司あり、廃す。

懐遠県、府の北。元は融州に属す。洪武十年に廃し、三江鎮巡検司を置く。十三年十一月に復た県を置き、来属し、大融江・潯江の合流点に治す。万暦十九年に丹陽鎮に治を移す。西北に九曲山あり、山の南は石門山と為り、両山夾峙す。福禄江は貴州永従県より流れてその中を経り、融県に至りて融江と為り、柳城県に至りて柳江と為る。また東北に潯江あり、湖広靖州より流れてこれに合す、潯江鎮巡検司あり。また西北に万石鎮あり、また宜良鎮、丹陽鎮の三巡検司あり。

融県、府の西北。元は融州、直隸広西両江道。洪武二年十月に州治融水県を省きて併入し、来属す。十年五月に県に降格す。東南に霊巌山あり。北に雲際山あり。その西を上石門と曰い、両山夾峙し、融江中流なるを以てなり。また東に宝積山あり、鉄を産す。東北に思管鎮、東南に清流鎮、西南に鵞頭隘の三巡検司あり。また北に長安鎮巡検司あり、もと融江の東岸に在り、後に西岸に遷す。また大約鎮土巡検司あり。また保江鎮、理源鎮、西峒鎮の三巡検司あり、廃す。

来賓県、府の南。元は象州に属す。洪武十年五月に来属す。西南に白牛洞あり。北に白雲洞あり。南に大江あり、また都泥江と曰う。西に界牌鎮巡検司あり、後に県南の南岡に遷す。

象州

象州、元は直隸広西両江道。洪武二年十月に来属し、州治陽寿県を省きて併入す。西に象山あり。東に雷山あり。南に象江あり、即ち柳江なり。東北に竜門寨巡検司あり。また鵞頸鎮、尖山鎮の二巡検司あり、廃す。西北、府より百十三里、県一を領す。

武宣県、州の南。元は武仙と曰う。宣徳六年に名を更む。旧治は陰江。宣徳六年三月に高立に徙す。東南に大藤峡あり、後に永通峡と名づく。西に柳江あり、また都泥江あり、また横水江と謂い、来りてこれに入り、下流は潯州府の右江と為り、また柳江に入る。西北に安永鎮、西南に県郭鎮の二巡検司あり。また東に東郷、また周衝あり、また閑得の三巡検司あり、廃す。

賓州

賓州は、元代には広西両江道に直隸していた。洪武二年九月に州治の領方県を省いて併合した。十月に属した。東南に鎮龍山がある。西南に燈臺山がある。西に古漏山があり、その下に古漏関があり、古漏水がここから出て賓水に入る。賓水は南にあり、すなわち都泥江である。東に安城鎮巡検司がある。また東に樑村巡検司があったが、後に廃止された。北は府から三百里である。二県を管轄する。

遷江県は、州の北にある。西に古黨山があり、峒がある。東北に大江があり、すなわち都泥江である。東に遷江屯田千戸所があり、洪武二十五年九月に設置された。東南に清水鎮巡検司があり、また羅目鎮、李広鎮の二巡検司があったが、廃止された。また東に石零堡、北に都歷堡があり、いずれも正徳年間に築かれた。

上林県は、州の西やや北にある。西に大明山があり、澄江がここから出る。南江ともいい、東で北江と合流し、さらに東へ流れて遷江県の大江に入る。西北に三里営があり、南丹衛がここにある。衛はもと南丹州にあり、洪武二十八年八月に設置され、二十九年正月に軍民指揮使司に昇格したが、まもなく軍民の制を廃し、単なる衛となった。永楽二年十二月に上林県の東に移転し、正統六年五月に賓州城に移転し、賓州千戸所と同治したが、萬曆八年にここに移転した。西南に周安堡があり、八寨の中にあり、もとは瑤・僮が占拠していたが、嘉靖三年に討伐平定し、萬曆七年に南丹衛に改属させた。西北に三畔鎮巡検司がある。また東北に琴水橋、東南に思龍鎮、さらに三門灘鎮の三巡検司がある。

慶遠府

慶遠府は、元代の慶遠路である。洪武元年に府となった。二年正月に慶遠南丹軍民安撫司に改めた。三年六月に再び慶遠府と称した。四州、五県、三長官司を管轄する。東北は布政司から五百七十里である。

宜山県は、倚郭である。北に龍江があり、東へ流れて融県に入り、融江に合流する。西に河池守禦千戸所があり、洪武二十八年十月に河池県に設置されたが、永楽六年にここに移転した。東に大曹鎮、西に懷遠鎮、さらに德勝鎮、さらに東江鎮の四巡検司がある。

天河県は、府の北やや東にある。旧県治は高寨にあった。洪武二年に蘭石に遷った。正統七年にまた甘場に遷った。嘉靖十三年にまた福祿鎮に遷った。萬曆十九年にようやく現在の治所に移った。西南に龍江があり、貴州独山州から流入する。北に東禅鎮巡検司があり、また思農鎮、歸仁鎮の二土巡検司がある。

忻城県は、府の南やや東にある。西に烏泥江があり、すなわち都泥江である。北に三寨堡土巡検司がある。

河池州

河池州は、元代の河池県である。弘治十七年五月に州に昇格した。県の旧治は州の北の懷德故城にあった。天順六年に屏風山に遷った。成化十三年に懷德に還治した。嘉靖四年にまた鳳儀山の南に遷った。西に智州山がある。東に金城江があり、下流で都泥江に合流する。江の北に金城鎮巡検司がある。また東に都銘鎮、土堡鎮の二巡検司があったが、後に廃止された。東は府から二百五十里である。二県を管轄する。

思恩県は、州の東北にある。もとは府に属していたが、正徳元年二月に州に改属した。旧治は環江洲にあった。永楽末年に清潭村に遷った。宣徳三年十一月に白山寨に遷った。成化八年に歐家山に遷った。南に環江、北に帯溪があり、いずれも龍江に合流する。安化鎮、歸思鎮の二巡検司がある。また普義鎮、吉安鎮、北蘭鎮の三巡検司があったが、廃止された。

荔波県は、州の西北にある。洪武十七年九月に思恩県の地を分離して設置し、府に属した。正統十二年に南丹州に改属した。成化十一年九月にまた府に属した。正徳元年に属した。州の東南に勞村江があり、源は貴州陳蒙爛土長官司から出て、州界に流入し、金城江となる。また東に窮來、南に蒙石、さらに方村の三土巡検司があったが、後に廃止された。

南丹州

南丹州は、洪武七年七月に設置された。二十八年に廃止されたが、まもなく再設置された。西に孟英山があり、もと銀を産した。南に都泥江があり、貴州定番州から流入する。東は府から二百四十里である。

東蘭州

東蘭州は、洪武十二年に設置された。西蘭州を併合し、また安習・忠・文の三州を廃してその地を併せた。東南に隘洞江があり、一名を都泥江、また紅水河、また烏泥江ともいう。東北、府治より四百二十里。

那地州

那地州は、元代の地州である。洪武元年に改めて設置された。北に都泥江があり、布柳水が流れてこれに合流する。南に那州があったが、洪武元年に廃止された。東北、府治より二百四十里。

永順長官司は府の西南にある。

永定長官司は府の南にある。二つの官司はいずれも弘治五年に宜山県の地を分けて設置された。

永安長官司は弘治九年九月に天河県の十八里の地を分けて設置された。

南寧府

南寧府は、元代の南寧路である。洪武元年に府となった。七州、三県を管轄する。東北、布政司治より千二百里。

宣化県は府治に附郭する。東に崑崙山があり、その上に崑崙関がある。また横山があり、また思玉山がある。北に馬退山がある。東南に望仙坡があり、青・羅の二山と相対する。城の西南に大江があり、すなわち鬱江で、一名を夜郎豚水という。その上流に二つの源があり、一つは南盤江で府城の南を経て右江といい、一つは麗江で府城の西南を経て左江という。合流する所を合江鎮といい、下流は潯州府の左江となる。東に金城寨、西に那南寨、また那龍寨、また遷隆寨、南に八尺寨の五つの巡検司がある。

隆安県は府の西北にある。嘉靖十二年四月に宣化県の那久の地を分けて設置された。東に火焰山がある。城の北に盤江があり、また右江ともいう。西南に那樓寨、西北に馱演寨の二つの巡検司がある。

横州

横州は、元代には広西両江道に直隷した。洪武二年九月に州治の寧浦県を廃して州に併合し、潯州府に属させた。十年五月に県に降格し、当府に属した。十三年十一月に再び州とし、引き続き寧浦県を設置して州治としたが、県はまもなく廃止された。東に烏蠻山がある。南に鬱江があり、また東南に武流江があり、源は広東省霊山県に発し、境内に流入して鬱江に合流する。東に古江口、西に南郷の二つの巡検司がある。また南に太平関があり、成化四年に設置された。西北、府治より二百四十里。一県を管轄する。

永淳県は州の西にある。元代は横州に属した。洪武十年五月に廃止されて横県に併合された。十三年十一月に再び設置され、州に属した。西は鬱江に臨む。南に南里郷、北に武羅郷の二つの巡検司がある。また東北に修徳郷巡検司があったが、景泰年間に県の西に移転し、後に廃止された。

新寧州

新寧州は、隆慶六年二月に宣化県の定祿洞の地を分けて設置された。北に三峯山がある。城の西に麗江があり、一名を定祿江、また文字水ともいう。東南に渠楽寨巡検司がある。東、府治より二百里。

上思州

上思州は、元は思明路に属した。洪武初年に廃止された。二十一年正月に再び設置され、思明府に属した。弘治十八年に当府に属すこととなった。南に十万山があり、上思江はここより発し、東流して西小江に合流し、西は即ち交趾より出る左江である。また明江があり、これも十万山より発し、西流して思明府の界に入る。また西に遷隆洞土巡検司がある。東南は府治より三百里。

帰徳州

帰徳州は、元は田州路に属した。洪武二年に田州府に属した。弘治十八年に当府に属すこととなった。鬱江が西南にある。東南は府治より三百五十里。

果化州

果化州は、元は田州路に属した。洪武二年に田州府に属した。嘉靖九年十二月に当府に属すこととなった。南盤江が西にある。東南は府治より三百二十里。

忠州

忠州は、元は思明路に属した。洪武初年に廃止された。二十一年正月に再び設置され、思明府に属した。万暦三年九月に当府に属すこととなった。東北は府治より四百余里。

下雷州

下雷州は、元は下雷洞であった。洪武初年、鎮安府に属した。嘉靖四十三年に当府に属すこととなった。万暦十八年に州に昇格した。南に邏水があり、鎮安府より流入し、南寧府左江の別源である。東は府治より五百八十里。

思恩軍民府

思恩軍民府は、元は思恩州で、田州路に属した。洪武二年に田州府に属し、後に雲南広西府に属した。永楽二年八月に広西布政司に直隷した。正統四年十月に府に昇格した。六年十一月に軍民府に昇格した。旧治は府の西北にあった。正統七年に府の東北の喬利に遷った。嘉靖七年七月にまた武縁県止戈里の荒田駅に遷り、これにより止戈の二里を割いて属させた。西北に都陽山がある。東南に靖遠峰がある。北に紅水江があり、また馱蒙江(一名清水江)があり、流れ合う。また大攬江があり、城東北の大名山より出て、下流は全て鬱江に入る。東に鳳化県があり、正徳六年七月に設置され、嘉靖八年十月に廃止された。東に古零、西に定羅・那馬・下旺、北に興隆、東北に白山・安定、西北に旧城・都陽の九つの土巡検司がある。州二、県二を領す。東北は布政司治より千二百里。

奉議州

奉議州は元、広西両江道に直隷した。洪武五年に来安府に省併された。七年二月に再び設置され、行省に直隷した。二十八年に再び廃止され、まもなく再設置され、布政司に直隷した。嘉靖六年二月に当府に属すこととなった。東に旧城がある。今の治所は本来砦林村であり、洪武初年にここに遷った。北は南盤江に臨み、州門渡がある。府治より百十里。

上映州

上映州は、元は鎮安路に属した。洪武五年に廃して洞とした。万暦三十二年に再び設置し、属した。東北は府から四百七十里。

上林は、府の西南にある。元は田州路に属した。洪武二年に田州府に属した。嘉靖七年七月に属した。北に南盤江があり、南に大羅溪があり、東流して合流する、すなわち枯榕江の下流である。

武縁は、府の南にある。元は南寧路に属した。万暦五年十月に属した。西に西江があり、すなわち大欖江である。東南に南流江が合流する。東に鏌鎁寨、また博澀寨があり、西に高井寨、西北に西舍寨の四つの巡検司がある。また南に横山寨巡検司があったが、廃された。

太平府

太平府は、元の太平路で、至元二十九年閏六月に設置された。洪武二年七月に府となった。十七州、三県を領する。東北は布政司から二千五十里。

崇善は、倚郭である。府治は馱盧村にあったが、洪武二年に麗江に治所を移した。旧県治は府の西北にあり、嘉靖十九年に城郭内に遷入した。北に青連山がある。東に将軍山があり、下に威震関がある、一名を伏波関という。南に府前江があり、すなわち麗江である。また西に邏水が流れ入る。北に壺関があり、正徳三年に設置された。また東北に保障関がある。

陀陵は、府の東北にある。東に淥空山があり、淥空江がここから出る、またの名を緑甕江という。また南に麗江がある。

羅陽は、府の東北にある。南に麗江がある。西に馱排江があり、源は永康県に出て、下流は麗江に入る。以上の三県は、元はいずれも太平路に属した。

左州

左州は、東に旧治がある。成化十三年に思崖村に遷った。正徳十五年に今の治所に遷った、もとは古攬村である。西北に金山がある。南に麗江がある。西南は府から百里。

養利州は、旧州が三つある、一つは州の北に、一つは西北に、一つは東北にある。また西北に養水がある。北に通利江があり、崇善県に至って麗江に注ぐ。以上の二州は、元は太平路に属した。南は府から百五十里。

永康州は、元の永康県で、太平路に属した。万暦二十八年六月に州に昇格した。北に故城がある。万暦年間に今の治所に遷った。西に緑甕江があり、下流もまた麗江に合流する。西南に思同州があり、旧は府に属した。万暦二十八年六月に廃された。西南は府から二百里。

上石西州は、元は思明路に属した。洪武末年に廃された。永楽二年に再び設置した。万暦三十八年に属した。東に明江があり、西北流して麗江に入る。東北は府から三百三十里。

太平州は、これ以下の十一州は、元は太平路に属した。邏水が西にあり、下流は麗江に入る。東南は府から八十里。

思城州は、南に教水があり、下流は隴水に合流する。東南は府から五百里。

安平州の南に隴水あり、下流は邏水に合す。東南は府より百十里。

萬承州の西南に綠降水あり、亦た玉帯水と名づく。西南は府より五十里。

全茗州の西に通利江あり、一名大利江。南は府より百六十里。

鎮遠州の北に楊山あり。南に巌磨水あり。西南は府より二百八十里。

茗盈州の南に観音巌あり、澗水ここより出で、下流は麗江に入る。西南は府より六十里。

龍英州の南に通利江あり、三つの源あり、下流は麗江に入る。南は府より二百十里。

結安州の西に堰水あり、下流は麗江に入る。西南は府より二百二十里。

結倫州の南に咘畢水あり。即ち堰水の上流なり。西南は府より三百三十里。

都結州の南に咘畢水あり。西南は府より三百三十里。

上下凍州は元は龍州万戸府に属す。洪武初年に来属す。西に八峯山あり、太源水ここより出づ。又北に青連山あり。南に拱天嶺あり。東は府より二百二十里。

思明州は元は思明路に属す。洪武二年に思明府に属す。万暦十六年三月に来属す。東に逐象山あり。東北に明江あり、思明府より流入す。東北は府より二百十里。

思明府は元の思明路なり。洪武二年七月に府と為し、直隷行省に属す。九年に直隷布政司に属す。南に明江あり、永平寨巡検司あり。州三を領す。北は布政司より二千二百里。

下石西州は元は思明路に属す。洪武二年に府に属す。旧治は東南にあり。万暦年間に、始めて今の治に遷る。西は府より百四十里。

西平州は元は思明路に属す。洪武三年に省く。永楽二年に復置す。宣徳元年に安南に与ふ。

祿州は元は思明府に属す。洪武三年に省く。二十一年正月に復置す、尋いで交址に没す。永楽三年に収復す。宣徳元年に安南に与ふ。

鎮安府

鎮安府は元の鎮安路である。洪武二年に府となった。西に鎮安旧城がある。洪武二年に廃凍州に移転し、これが現在の治所である。南に馱命江があり、下流は鬱江に合流する。また邏水があり、府の北の土山峡中に源を発し、下流は胡潤寨に至り、帰順州の邏水と合流する。湖潤寨巡検司がある。布政司から二千二百里。

田州は元の田州路である。洪武二年七月に府となった。嘉靖七年六月に州に降格し、治所を八甲に移し、府城に田寧府を置いた。八年十月、府は廃止され、州は旧治に戻り、直隷布政司に属した。東南に南盤江がある。西に来安路があり、元は広西両江道に属し、洪武二年七月に府となり、帰仁州・羅博州・田州を管轄したが、十七年に再び廃止された。北に上隆州があり、元は田州路に属し、洪武二年に府に属し、成化三年に治所を潯州府の東北に移し、武靖州と改称した。また恩城州があり、元は路に属し、洪武初年に府に属し、弘治五年に廃止された。東に牀甲・拱甲・婪鳳、西に武隆・累彩、北に岜馬甲・篆甲、東北に下隆、東南に砦桑、西北に凌時、西南に萬岡陽院、また大甲・子甲、また県甲・怕河・怕牙・思郎・思幼・候周の十九の土巡検司がある。布政司から千六百里。

帰順州は元は鎮安路に属した。洪武初年、廃止されて洞となった。弘治九年八月に再設置され、鎮安府に属した。嘉靖初年、直隷布政司に属した。東北に龍潭水があり、南は交址高平府の界に入る。また南に邏水があり、西北の鵝槽隘界に源を発する。布政司から二千三百二十里。

泗城州は元は田州路に属した。洪武七年に直隷行中書省に属した。九年に直隷布政司に属した。旧州は西南にあり、洪武六年に古勘洞に移転した。西に南盤江があり、貴州慕役長官司から流入し、下流は南寧府の右江となる。また北に紅水江がある。東北に程県があり、洪武二十一年に泗城州の程醜荘を以て設置し、州に属し、まもなく慶遠府に属したが、宣徳初年に州に還属し、嘉靖元年に廃止された。西南に利州があり、元は田州路に属し、洪武七年十一月に直隷布政司に属し、正統六年五月に治所を泗城州古那甲に移し、嘉靖二年に廃止された。また西に上林長官司があり、永楽七年に州の上林洞を以て設置し、直隷布政司に属したが、万暦年中に州に編入され、崇禎六年に司の西の地を分けて雲南広南府に入れた。羅博関巡検司がある。北、布政司から一千八百十五里。

向武州は元は田州路に属した。洪武二年七月に田州府に属した。二十八年に廃止された。建文二年に再設置され、直隷布政司に属した。旧州は東にある。万暦四十五年に乃甲に遷った。南に枯榕江があり、下流は右江に入る。北に富労県があり、元は田州路に属し、洪武二年に田州府に属したが、まもなく夷僚に占拠され、建文四年に再設置されたが、後に廃止された。東に武林県があり、元も田州路に属し、洪武二年に田州府に属し、永楽初年に富労県に編入された。布政司から二千四百里。

都康州は元は田州路に属した。洪武二年に田州府に属したが、後に夷僚に占拠された。建文元年に再設置され、直隷布政司に属した。西に岜爐江があり、下流は通利江に合流する。布政司から二千五百四十里。

龍州は元の龍州万戸府である。洪武二年七月に依然として州とし、太平府に属した。九年六月に直隷布政司に属した。南に龍江があり、交址広源州から流入し、これが麗江である。明江がこれに流入し、下流は南寧府の左江となる。布政司から二千三百里。

江州は元は思明路に属した。洪武二十年に直隷布政司に属した。東に帰安水、西に緑眉水があり、下流はともに麗江に合流する。県一を管轄する。布政司から二千百十里。

羅白は州の東北にある。洪武三年に設置され、思明府に属したが、後に当州に属した。南に隴冬水があり、下流は麗江に入る。

思陵州は元は思明路に属した。洪武三年に廃止されて思明府に編入された。二十一年正月に再設置され、直隷布政司に属した。南に角硬山があり、角硬水がここから出る。また淰削水がありこれに合流し、下流は思明府の界に入る。布政司から二千百二十里。

憑祥州は本来憑祥県である。永楽二年五月に思明府の憑祥鎮を以て設置し、思明府に属した。成化十八年に州に昇格し、直隷布政司に属した。西北に麗江があり、交址広源州から流入する。また南に鎮南関があり、一名を大南関、すなわち界首関である。布政司から二千四十里。

安隆長官司は元の致和元年三月に安隆州を設置し、雲南行省に属した。後に廃止されて寨となり、泗城州に属した。洪武三十五年十二月に安隆長官司を設置し、依然として泗城州に属したが、後に直隷布政司に属した。西に壩達山があり、渾水河がその下を流れ、これが紅水江であり、東は泗城州の界に入る。また西南に同舎河がある。布政司からの距離は(記載なし)。