明史

志第二十 地理五 湖広 浙江

志第二十 地理五

○湖広浙江

湖広等処承宣布政使司

湖広は『禹貢』の荊・揚・樑・の四州の地である。元は湖広等処行中書省を置き、治所を武昌路とし、また分かち湖南道宣慰司を置き、治所を天臨路としてこれに属させた。また襄陽等三路を河南江北等処行中書省に属させ、また分かち荊湖北道宣慰司を置き、治所を中興路としてともにこれに属させた。太祖甲辰年(1364年)二月、陳理を平定し、湖広等処行中書省を置いた。洪武三年(1370年)十二月、武昌都衛を置き、行中書省とともに治所とした。八年十月、都衛を湖広都指揮使司に改めた。九年六月、行中書省を承宣布政使司に改めた。府十五、直隷州二、属州十七、県百八、宣慰司二、宣撫司四、安撫司五、長官司二十一、蛮夷長官司五を領する。里程三千四百八十余り。北は均州に至り、河南・陝西と境を接する。南は九疑山に至り、広東・広西と境を接する。東は蘄州に至り、江南・江西と境を接する。西は施州に至り、四川・貴州と境を接する。南京まで一千七百十五里、京師まで五千百七十里。洪武二十六年(1393年)の戸数は七十七万五千八百五十一、人口は四百七十万二千六百六十。弘治四年(1491年)の戸数は五十万四千八百七十、人口は三百七十八万一千七百十四。万暦六年(1578年)の戸数は五十四万一千三百十、人口は四百三十九万八千七百八十五。

武昌府

武昌府は元の武昌路で、湖広行省に属した。太祖甲辰年(1364年)二月、府となった。州一、県九を領する。

江夏(倚郭)。洪武三年四月、城内の黄龍山に楚王府を建てた。東に黄鵠山があり、その下は黄鵠磯で、大江に臨む。また南に金水があり、一名を塗水といい、西流して金口で江に入り、金口鎮巡検司がある。また北に滸黄洲巡検司、西南に鮎魚口鎮巡検司がある。

武昌(府の東)。西に樊山があり、一名を西山といい、銀・銅・鉄及び紫石英を産する。南に神人山があり、その下は白鹿磯である。西に西塞山があり、大冶県と境を接する。北は江に臨み、中に蘆洲があり、また羅洲ともいう。また西南に樊港があり、一名を樊溪、また袁溪といい、県南の湖沢九十九を集めて北流し大江に入り、これを樊口という。また東に南湖があり、一名を五丈湖といい、大江に通ずる。東に金子磯鎮巡検司、また赤土磯鎮巡検司、西南に白湖鎮巡検司の三つがある。南に金牛鎮巡検司、西に三江口鎮巡検司の二つがあったが、後に廃された。

嘉魚(府の西南)。西に赤壁山があり、江夏県と境を接する。北岸は烏林に対す。西北は大江に臨み、陸水がそこに流入し、これを陸口、また蒲圻口という。東北に簰洲鎮巡検司、西南に石頭口鎮巡検司の二つがある。

蒲圻(府の西南)。西に蒲首山がある。南に蒲圻河があり、すなわち陸水である。また西に蒲圻湖がある。西南に新店等の湖があり、下流は嘉魚県の石頭口に至り、大江に注ぐ。西南に羊楼巡検司がある。

咸寧(府の東南)。陳友諒の時に治所を河北に移した。洪武年中に故城に復し、すなわち今の治所である。西に淦水があり、すなわち金水の別名である。

崇陽(府の南)。西に巌頭山がある。西南に龍泉山がある。東北に壺頭山があり、その下に壺頭港があり、また崇陽港ともいい、諸川を集めて西流し陸水に合し、また雋水という。

通城(府の西南)。南に錫山があり、かつて銀錫を産した。北に陸水があり、巴陵県から流入する。

興国州は元の興国路で、湖広行省に属した。太祖甲辰年(1364年)二月に府となった。洪武九年(1376年)四月に州に降格し、州治の永興県を廃して編入し、武昌府に属した。北に銀山があり、西に黄姑山があり、いずれもかつて銀を産した。南に太平山があり、九宮山に接する。東に大坡山があり、茶を産する。東北に大江(長江)が流れる。東に富池湖があり、富水ともいい、北流して江に注ぎ、富池鎮巡検司がある。また東北に黄顙口鎮巡検司がある。西北は府治から三百八十里である。二県を管轄する。

大冶は州の西北にある。北に鉄山があり、また白雉山があり、銅鉱を産する。また東に囲炉山があり、鉄を産する。また西南に銅緑山があり、かつて銅を産した。大江(長江)が北を流れる。道士洑巡検司がある。

通山は州の西やや南にある。東南に九宮山があり、宝石河がここから発し、下流で富水に合流する。東に黄泥壠巡検司がある。

漢陽府

漢陽府は元では湖広行省に属した。洪武九年(1376年)四月に州に降格し、武昌府に属した。十三年(1380年)五月に再び府となり、湖広布政司に属し、まもなく河南に属した。二十四年(1391年)六月に湖広に戻された。二県を管轄する。西北は布政司(武昌府)まで、江を隔ててわずか七里である。

漢陽(倚郭県)。洪武九年(1376年)四月に廃止された。十三年(1380年)五月に再設置された。大別山が城の東北にあり、一名を翼際山、また魯山という。漢水が漢川県から流入し、かつては山の南の襄河口を経て江に入った。成化(1465-1487年)の初め、県西の郭師口の上で決壊し、東へ向かい山の北から大江(長江)に注ぐようになった。これが現在の漢口であり、漢口巡検司がある。大江(長江)は巴陵県の西北から洞庭湖の水を受け、府境に流入し、ここで漢水と合流する。また西南に沔水があり、これは漢水の支流で、再び漢水に合流して江に入る。また沌水があり、大江の支流で、沔陽州から流入し、再び大江に入り、これを沌口といい、沌口巡検司がある。また弇水があり、大江南岸にあり、弇口で江に入る。また北に灄水があり、これも漢水の支流で、淪水が流れ合い、下流は大江に注ぐ。また西に太白湖があり、江北の諸水が多くここに集まる。西に蔡店鎮、西南に新灘鎮の二つの巡検司がある。また西南に百人磯鎮巡検司があったが、後に東江脳に移転した。

漢川は府の西やや北にある。元では漢陽路に属した。洪武九年(1376年)四月に武昌府に属するよう改められた。十三年(1380年)五月に再び漢陽府に属した。南に小別山があり、一名を甑山といい、また陽臺山がある。西南に漢水が流れる。東に溳水があり、雲夢県から流れてきて、南へ漢水に入り、これを溳口という。北に劉家塥巡検司がある。

黄州府

黄州府は元の黄州路で、河南江北行省に属した。太祖甲辰年(1364年)に府となり、湖広行省に属した。洪武九年(1376年)に湖広布政司に属し、まもなく河南に改属した。二十四年(1391年)六月に再び湖広に属した。一州八県を管轄する。西南は布政司(武昌府)まで百八十里である。

黄岡(倚郭県)。南に旧城がある。洪武初年に現在の治所に移転した。南は大江(長江)に臨み、西北岸に赤鼻磯がある(嘉魚の赤壁ではない)。西に三江口があり、その上流の水が三派に分かれ、ここで合流する。中に新生洲があり、また崢嶸洲がある。東に巴河があり、西に挙水があり、いずれも江に入る。江辺の西に陽邏鎮、北に団風鎮、また西北に中和鎮の三つの巡検司がある。また鹿城関があり、大活関がある。また東北に陰山関がある。

麻城は府の北にある。東に亀峯山があり、挙水がここから発し、黄岡県に流入する。東南に長河があり、また南に県前河が流れ入り、下流は江西に注ぐ。双城鎮、鵝籠鎮、東北に虎頭関の三つの巡検司がある。また西北に木陵関があり、木陵山上にある。東北に陰山関があり、陰山上にある。また北に黄土関があり、木陵、虎頭、白沙、大城と合わせて五関という。また西に岐亭鎮があり、嘉靖五年(1526年)に城を築いた。

黄陂は府の西にある。東南は大江(長江)に臨み、武湖が西から流れてきて江に入り、武口といい、また沙武口、沙洑口ともいう。また西に灄水があり、漢陽から流れてきて江に入り、灄口という。北に大城潭鎮巡検司がある。また北に白沙関があり、これは麻城の五関の一つである。

黄安は府の西北にある。嘉靖四十二年(1563年)、麻城県の姜家畈を以て設置し、黄岡・黄陂の二県の地を分けて合わせた。東に三角山があり、蘄水・羅田・蘄州の境に接する。また東流河があり、下流は団風口から江に入る。西に西河があり、また双河があり、合流して灄口から流れ出て漢水に入る。また北に双山関巡検司がある。西北に金扃関があり、金山関ともいい、河南羅山県との境である。

蘄水は府の東やや南にある。元では蘄州路に属した。洪武九年(1376年)四月に蘄州に属した。十一年(1378年)十月に府に改属した。西南は大江(長江)に臨む。南に浠水があり、源は英山県に発し、県境を流れて西南で江に入る。また東に蘭溪があり、東南流して浠水に入る。また北に巴水があり、源は県の板石山に発し、黄岡県界に流入する。蘭溪鎮、巴河鎮の二つの巡検司がある。

羅田は府の東北にある。元では蘄州路に属した。洪武九年(1376年)四月に蘄州に属した。十一年(1378年)十月に府に改属した。東南に浠水が流れる。西北に平湖水がある。南に官渡河があり、県前河ともいい、平湖水がここに流入し、下流は黄岡県の巴河に合流して大江に入る。東北に多雲鎮巡検司があり、また栗子関があり、また上岐嶺、中岐嶺、下岐嶺などの関がある。西北にまた平湖関がある。

蘄州は元の蘄州路であり、河南江北行省に属した。太祖甲辰年に府となった。洪武九年四月に州に降格し、州治の蘄春県を省いて合併し、当府に属した。正統十年、荊王府が江西建昌からここに遷った。東北に百家冶山があり、蘄竹を産する。南は江に臨む。東北に蘄水があり、大浮山より出で、州の北を経て赤東湖に匯わり、西南に流れ、蘄水県の界に接し、大江に注ぐ。西に茅山鎮、北に大同鎮の二つの巡検司がある。西は府治より二百十里。領する県は二。

広済は州の東北にある。南は江に臨み、江中に中洲がある。崇禎末に治所をここに遷したが、まもなく旧地に戻った。また武山湖・馬口湖があり、いずれも大江に通じる。南に武家穴鎮、西南に馬口鎮の二つの巡検司がある。

黄梅は州の東北にある。東南に鉱山があり、かつて鉄を産した。大江は南にあり、江濱に太子洑がある。また南に県前河があり、小池口より江に入る。西南に新開口鎮巡検司があり、たびたび江に崩壊し、内陸に移転した。また南に靖江觜鎮巡検司がある。

承天府

承天府は元の安陸府であり、荊湖北道宣慰司に属した。太祖乙巳年に湖広行省に属した。洪武九年四月に州に降格し、直隸湖広布政司に属した。二十四年六月に河南に改属したが、まもなく戻って属した。弘治四年、興王府が徳安府よりここに遷った。嘉靖十年、州を承天府に昇格させた。十八年、ここに興都留守司を建てた。領する州は二、県は五。東南は布政司治より五百七十里。

鍾祥は倚郭である。洪武二十四年に郢王府を建て、永楽十二年に除かれた。二十二年に梁王府を建て、正統六年に除かれた。元は長寿県といい、元末に廃された。洪武三年に再び置かれた。九年四月に省いて州に合併した。嘉靖十年八月に再び置き、名を改めた。東に〓両木山があり、一名を青泥山という。北に松林山があり、興献王の陵寢がここにある。嘉靖十年に純徳山の名を賜り、ここに顕陵県を置いた。明末、県は廃された。西は漢水に臨む。北に直河があり、随州より流入し、滶水が流れて合う。また豊楽水があり、また東に臼水があり、いずれも漢水に注ぐ。

京山は府の東にある。南に県河があり、下流は景陵県に至り、漢江に入る。また東北に撞河があり、随州より流入し、漢川県に至り漢江に入る。これを富水ともいう。

潜江は府の東南にある。元は中興路に属した。洪武十年八月に来属した。北に漢水がある。西北に潜水があり、すなわち漢水の分流で、県の東南を経て漢水に入る。また東南に深江があり、また南に恩江があり、いずれも漢水の支流である。西南に沱水があり、江水の分流で、県の南を経て、重湖がこれを取り巻き、また東は漢水に匯わる。

荊門州は元は長林県を治所とし、荊湖北道宣慰司に属した。洪武九年四月に県に改め、長林県を省いて合併し、荊州府に属した。十三年五月に再び州となり、なお荊州府に属した。嘉靖十年八月に来属した。東南に章山があり、すなわち内方山である。漢水はその東を流れ、また沔水ともいう。また西に権水があり、東南に直江があり、一名を直河といい、また陽水があり、一名を建水といい、いずれもここに流入する。南に荊門守禦千戸所がある。北に宜陽守禦千戸所がある。東南に建陽鎮・新城鎮、西北に仙居口、北に楽仙橋の四つの巡検司がある。東北は府治より九十里。領する県は一。

当陽は州の西にある。元は荊門州に属した。洪武九年に荊州府に改属した。十年五月に省いて荊門県に合併した。十三年五月に再び置き、なお州に属した。東南に方城があり、洪武初年に治所をここに移した。十三年に旧地に戻した。南に玉泉山があり、玉泉水がここより出る。北に沮水があり、源は房県に出で、県の東南を流れ、榕渡と合し、漳水と会い、下流は枝江県に至り、大江に入る。北に漳河口巡検司がある。

沔陽州は元の沔陽府であり、荊湖北道宣慰司に属した。洪武九年四月に州に降格し、州治の玉沙県を省いて合併し、直隸湖広布政司に属し、まもなく直隸河南に属した。二十四年六月に戻って直隸湖広に属した。嘉靖十年十二月に来属した。東南に黄蓬山があり、その下に黄蓬湖がある。南に大江がある。北に漢水がある。東に太白湖があり、州西の十四の湖の水はすべてここに匯わり、漢陽県の沌口より大江に入る。また南に長夏河があり、江水の支流で、また夏水ともいう。西北に襄水があり、漢水の支流で、州東北の瀦口に至り合流し、東は沔水に入る。東に沙鎮、西南に茅鎮の二つの巡検司がある。西北は府治より三百二十五里。領する県は一。

景陵は州の西北にある。南に沔水がある。西南に楊水があり、北は沔水に注ぎ、これを楊口といい、また中夏口ともいい、また楊林口ともいう。また中水があり、楊水に流れ合い、これを中口という。東に乾鎮巡検司がある。

徳安府

徳安府は元は荊湖北道宣慰司に属した。洪武元年十月に湖広行省に属した。九年四月に州に降格し、黄州府に属した。十一月に武昌府に属した。十三年五月に再び府となり、湖広布政司に属した。二十四年六月に河南に改属したが、まもなく戻って属した。領する州は一、県は五。東南は布政司治より四百里。

安陸は倚郭である。成化二十三年に興王府を建てた。弘治四年に安陸州に遷った。八年に岐王府を建て、十四年に除かれた。正徳元年、寿王府が四川保寧府よりここに遷り、嘉靖二十四年に除かれた。四十年に景王府を建て、四十四年に除かれた。洪武初年、県は省かれた。十三年五月に再び置いた。東に章山があり、すなわち豫章山である。溳水は城西にあり、俗に府河と称し、また石潼河ともいい、また西に漳水がここに入り、これを漳口という。南に高核鎮巡検司があり、後に随州の合河店に移転した。

雲夢は府の東南にあり、西南に溳水がある。東に興安鎮巡檢司があったが、後に廃された。

応城は府の西南にあり、洪武九年四月に黄州府に属した。十年五月に雲夢県に併合されたが、十三年五月に再び設置された。西北に西河があり、下流は漢水に注ぐ。また、峙山鎮巡檢司も西北にある。

孝感は府の東南にあり、洪武九年四月に黄州府に属した。十年五月に徳安州に併合されたが、十三年五月に再び設置された。北に澴水があり、下流は漢水に注ぐ。南に淪河があり、溳河から分流して漢陽に至り、灄水と合流して長江に入る。北に小河溪、東南に馬溪河の二つの巡檢司がある。

随州は洪武二年正月に州治の随県を併合した。九年四月に県に降格し、黄州府に属した。十年五月に応山県に併合されたが、十三年五月に再び州に昇格した。西に大溪山があり、溳水がここから発し、下流は漢川県で漢水に注ぐ。また西に大洪山があり、漳水がここから発する。西北に溠水があり、源は栲栳山に発し、また㵐水がここに流入する。また南に浪水があり、源は大猿山に発し、下流はいずれも溳水に注ぐ。また西北に合河店、東北に出山鎮の二つの巡檢司がある。東南は府まで百八十里。属県一を領す。

応山は州の東にある。洪武初年に廃されたが、十三年五月に再び設置された。西に雞頭山があり、澴水がここから発する。西南に溳水がある。東に白泉河があり、澴水と合流して孝感県界に入る。西北に杏遮関巡檢司があり、すなわち平靖関で、義陽三関の一つである。また西南に平裏市巡檢司がある。また東北に武陽関があり、一名を武勝関、また礼山関ともいい、これも義陽三関の一つである。

岳州府

岳州府は元の岳州路で、湖広行省に属した。太祖甲辰年に府となった。洪武九年四月に州に降格し、直隷布政司に属した。十四年正月に再び府となった。州一、県七を領す。東北は布政司まで五百里。

巴陵は倚郭である。洪武九年四月に廃されたが、十四年に再び設置された。西南に巴丘山がある。また君山があり、洞庭湖の中にある。大江は西北にある。洞庭湖は上流で湘水と澧水の二水を受け、西南から来て合流し、これを三江口という。湖の南に青草湖があり、また西を赤沙湖といい、これらを三湖という。沅・漸・元・辰・敘・酉・澧・澬・湘の九水は皆ここに合流するため、また九江とも名づける。東南に㴩湖があり、また翁湖ともいう。南に鹿角巡檢司がある。

臨湘は府の東北にある。東南に龍窖山があり、臨湘・通城・當陽・蒲圻の四県に跨る。西南に城陵磯があり、また道人磯があり、いずれも大江に臨み、城陵磯巡檢司がある。また南に土門鎮、東北に鴨欄磯の二つの巡檢司がある。

華容は府の西北にある。東に東山があり、また石門山がある。大江は北にある。また華容河があり、大江から分流し、南は洞庭湖に達する。南に澧水があり、東流して洞庭湖に入る。西南に赤沙湖があり、洞庭湖に接する。南に明山古樓巡檢司がある。また東北に黄家穴巡檢司があり、後に塔市に移転した。北に北河渡巡檢司があったが、後に廃された。

平江は府の東南にある。元は平江州で、洪武三年に県に降格した。北に永寧山がある。東北に幕阜山がある。東に汨水があり、西南に流れ、昌水が北から流入する。東北に長壽巡檢司がある。

澧州は元の澧州路で、湖広行省に属した。太祖甲辰年に府となった。九年四月に州に降格し、州治の澧陽県を併合して、常徳府に属した。三十年三月に当府に属した。元の元貞末年に新城に治所を移したが、洪武五年に旧治に戻した。東に関山がある。西南に大浮山があり、石門・武陵・桃源の三県に跨る。南に澧水があり、一名を蘭江、また繡水ともいう。その東に澹水があり、北に涔水があり、いずれもここに流入する。東に嘉山鎮巡檢司がある。東は府まで二百七十里。属県三を領す。

安郷は州の東南にある。西に澧水があり、一名を長河という。北に涔水がある。

石門は州の西にある。南に澧水がある。西北に渫水があり、また添平河ともいい、添平所から南流してここに入る。

慈利は州の西やや南にある。元は慈利州で、洪武二年に県に降格した。西南に天門山があり、檳榔洞があり、瑶族との境界である。また西に崇山がある。また歴山があり、澧水がここから発し、下流は華容県で洞庭湖に入る。また西に漊水があり、源は四川巫山県に発し、東流して諸々の渓澗の水を合わせ、県の西で澧水に合流し、また後江ともいう。西南に永定衛があり、洪武年中に設置され、二十三年八月に永順宣慰司の芋岸坪に移転した。西北に龍伏関、東南に後平関・黒崇関があり、これを永定三関という。所属に大庸守禦千戸所があり、もとは大庸衛で、衛の西にあり、洪武九年四月に設置され、三十一年に所に改められた。茅岡長官司があり、衛の東北にあり、正統年中に永定衛が設置した。北に九溪衛があり、洪武二十三年六月に設置され、九淵・野牛・三江口・閘口の四関がある。所属に守禦添平千戸所があり、衛の北にあり、洪武二年に設置された。守禦安福千戸所があり、衛の西北にあり、洪武二十三年九月に設置された。守禦麻寮千戸所があり、衛の北にあり、洪武四年に設置された。桑植安撫司があり、もとは桑植・荒溪等処宣撫司で、衛の西北にあり、太祖丙午年二月に設置されたが、後に廃され、永楽四年十一月に改めて設置された。

荊州府

荊州府は元の中興路であり、荊湖北道に属した。太祖甲辰年九月に荊州府と改め、湖広行省に属した。呉元年十月にここに湖広分省を置いたが、まもなく廃止した。九年に湖広布政司に属し、まもなく河南に改属した。二十四年に還属した。二州、十一県を領する。東は布政司まで千二百十里。

江陵(倚郭)。洪武十一年正月に湘王府を建て、建文元年四月に除かれた。永楽元年、遼王府が遼東広寧からここに遷り、隆慶二年十月に除かれた。万暦二十九年十月に恵王府を建てた。南は江に臨む。東南に夏水があり、沔陽州に至って沔水に合流するため、沔水は夏水の名をも兼ねる。また陽水があり、東北は景陵県に至り、沔水に入る。また東北に三海があり、沮水・漳水の合流する所である。北に柞溪がある。また東に霊溪があり、零水ともいい、南は江に入り、これを零口という。東北に龍彎市、東南に沙頭市、南に郝穴口、西南に虎渡口の四つの巡検司がある。

公安(府の東南)。東北に旧城がある。現在の治所は崇禎元年に遷った所である。北は江に臨み、西北に油河がそこに流入し、これを油口といい、油口巡検司がある。東北に夏水がある。

石首(府の東南)。元末は楚望山の北に治所を置き、洪武年間に繡林山の左に移したが、これは宋の時の旧治所である。北は江に臨み、江中に石首山がある。また東に焦山があり、下に港があって洞庭湖に通じる。調絃口巡検司がある。

監利(府の東やや南)。南は江に臨む。東南に魯洑江があり、夏水ともいい、大江から分流し、下流は沔陽州で沔水に入る。また西に涌水があり、南は江に入り、これを涌口という。また東に瓦子湾、西に窯所、南に白螺磯、北に毛家口、また分塩所の五つの巡検司がある。

松滋(府の西南)。西南に巴山がある。北は大江に臨む。南に紅崖子巡検司がある。また西坪塞巡検司があったが、後に廃止された。

枝江(府の西)。洪武十年五月に松滋県に併合された。十三年五月に再び設置された。北は大江に臨み、江中に百里洲があり、江水はここを経て分かれるため、枝江という。北に沮水があり、南は江に入り、これを沮口という。

夷陵州は元の峽州路であり、荊湖北道宣慰司に属した。太祖甲辰年に府となった。九月に州に降格し、湖広行省に直隷した。九年四月に州名を夷陵と改め、州治の夷陵県を併合し、来属した。大江は南にある。西北に関があり、下牢関といい、江を挟んで険要である。また西陵・明月・黄牛の三峡があり、峡中に使君・虎頭・狼尾・鹿角などの灘があり、いずれも江流の最も険しい所である。西北に赤谿があり、東は大江に合流する。南に南津口巡検司がある。また東に金竹坪巡検司があったが、後に廃止された。また西に西津関がある。東北に白虎関がある。東は府まで三百四十里。三県を領する。

長陽(州の西南)。東南に清江がある。西に旧関堡、西南に蹇家園、南に漁洋関の三つの巡検司がある。南に古捍関がある。西に梅子八関がある。

宜都(州の東南)。西北に荊門山があり、下は大江に臨み、その対岸は虎牙山である。また西に清江があり、東流して大江に合流し、清江口巡検司がある。また西北に古江関、東北に普通鎮の二つの巡検司がある。

遠安(州の東北)。旧治は亭子山の下にあった。成化四年に東荘坪に遷った。崇禎十三年にまた鳳凰山の麓に遷り、すなわち現在の治所である。東北に沮水がある。

帰州は元は秭帰県に治所を置き、湖広行省に直隷した。洪武九年四月に州を廃して秭帰県に併合し、夷陵州に属した。十年二月に県名を長寧と改めた。十三年五月に再び県を帰州に改めた。旧治は江北にあり、後に白沙南浦に治した。洪武初年に丹陽に治所を移した。四年に長寧に移し、江南の楚王臺の下にあった。嘉靖四十年に再び江北の旧治に還った。東に馬肝・白狗・空舲などの峡がある。大江は州の北にあり、峡中を経て、夷陵界に入る。その西に叱灘・蓮花灘・新灘があり、いずれも江に臨む。西北に牛口巡検司があり、後に巴東県利洲に遷った。東南に南邏口巡検司があり、後に新灘に遷った。東は府まで五百二十里。二県を領する。

興山(州の西北)。洪武九年に夷陵州に改属し、後に還属した。正統九年三月に州に併合された。弘治三年五月に再び設置された。南に香溪があり、県前河ともいい、南流して江に入る。東北に高鶏寨巡検司がある。また東に桑林坪巡検司があったが、後に廃止された。また北に猫児関があり、鄖陽・襄陽に通じる。

巴東(州の西)。元は帰州に属した。洪武九年に夷陵州に改属した。隆慶四年に還属した。北は大江に臨み、四川巫山県から流入し、東は門扇・東奔・破石を経て、これを巴東三峡といい、下流は黄梅県に至り南直隷宿松県界に入る。また南に清江があり、一名夷水といい、四川建始県から流入し、下流は大江に入る。また北に塩井がある。西南に連天関巡検司がある。南に野山関巡検司があり、もとは石柱に治所を置いたが、隆慶四年に改名した。

襄陽府

襄陽府は元の襄陽路にして、河南江北行省に属す。太祖甲辰年(1364年)に府と為し、湖広行省に属す。九年(1376年)に湖広布政司に属す。二十四年(1391年)六月に河南に改属す。未だ幾ばくもせず、還って湖広に属す。州一、県六を領す。東南、布政司まで六百八十里。

襄陽(倚郭)。正統元年(1436年)、襄王府が長沙より此に遷る。南に虎頭山あり、又峴山あり。東南に鹿門山あり。又西に隆中山あり。漢水は城北に在り、亦た襄江と曰う。白河は城東北に在り、唐河と合し、南に漢水に入る。之を白河口と謂い、亦た三州口と曰う。又西北に青泥河あり、南に浮河あり、西南に檀溪あり、下流皆漢水に入る。北に樊城あり、樊城関巡検司あり、後に県東北の柳樹頭に移す。又東北に双溝口巡検司あり。又西に油坊灘巡検司あり、嘉靖十九年(1540年)に県西北の北泰山廟鎮に移す。

宜城(府の東南)。東に漢水あり。西に蠻水あり、亦た夷水と曰い、源は房県に出で、流れて県界に至り、漢水に入る。其の支流を長渠と曰う。又沶水あり、漢中より流入し、蠻水に合し、之を沶口と謂う。又疏水あり、県東北に在り、南漳県より流入し、漢水に注ぎ、之を疏口と謂う。

南漳(府の西南)。西北に荊山あり。南に蠻水あり、又沮水あり、又漳河あり、当陽県に流入し、沮水に合す。東に方家堰、西南に金廂坪の二巡検司あり。又西に七里頭巡検司あり、後に保康県の常平堡に移す。

棗陽(府の東北)。洪武十年(1377年)五月に省きて宜城県に併入す。後に復た置く。東南に白水あり、南に濜水流れて之に合し、西に沔水に流る。此れ県内の白水なり。又西南に滾河あり、襄陽の白河に流入す。東北に鹿頭店巡検司あり。

谷城(府の西やや北)。東北に漢水あり、又均水流れて之に入る。之を均口と謂う。又築水あり、県治の東南を経て、漢水に注ぎ、曰く築口。西に石花街巡検司あり。

光化(府の西北)。洪武十年(1377年)に省きて谷城県に併入す。十三年(1380年)五月に復た置く。旧治は西に在り。隆慶末(1572年)、阜城衛に改めて建つ。即ち今の治なり。東に馬窟山あり。北に漢水あり。東に白河あり、即ち氵肓水にして、河南新野県より流入す。泌河流れて之に合す。西北に左旗営巡検司あり、万暦中(1573-1620年)、県の旧城に徙す。

均州。洪武二年(1369年)七月に州治武当県を省きて併入す。南に武当山あり、永楽中(1403-1424年)、尊んで太嶽太和山と為す。山に二十七峯、三十六巖、二十四澗あり。北に漢江あり、一名滄浪水。東北に均水あり、河南淅川県より流入す。又東南に黒虎廟巡検司あり。東南、府まで三百九十里。

鄖陽府

鄖陽府は成化十二年(1476年)十二月に置く。県七を領す。又此に湖広行都指揮使司を置く。衛所は皆実土無し。東南、布政司まで千二百里。

鄖(倚郭)。元は均州に属す。成化十二年(1476年)に鄖陽府を置き、此を治所とす。漢水は南に在り。東南に龍門山あり、龍門河は此より出で、下流漢水に入る。西北に青桐関あり。東北に雷峯、椏鎮の二巡検司あり。

房(府の南やや西)。元は房州にして、襄陽路に属す。洪武十年(1377年)五月に州治房陵県を省きて併入し、又州を降じて県と為し、仍た襄陽府に属す。成化十二年(1476年)十二月に来属す。西南に景山あり、一名雁山、沮水は此より出で、遠安県界に流入す。又南に粉水あり、亦た彭水と曰い、又築水あり、俱に谷城県に流入し、漢水に注ぐ。西南に板橋山巡検司あり、後に県東南の博磨坪に移す。

竹山(府の西南)。元は房州に属す。洪武十年(1377年)五月に省きて房県に併入す。十三年(1380年)五月に復た置き、襄陽府に属す。成化十二年(1476年)十二月に来属す。東に方城山あり。西に築山あり、築水は此より出で、房県界に流入す。又上庸山あり、上庸水の出づる所、南に孔陽水と合し、下流漢水に入る。又南に堵水あり、源は陝西平利県界に出で、東に漢水に流入す。西北に黄茅関、吉陽関の二巡検司あり。

竹溪(府の西南)。本は竹山県の尹店巡検司なり、成化十二年(1476年)十二月に県を改めて置き、而して巡検司を県東の県河鎮に移す。尋いで又巡検司を白土関に遷す。南に竹溪河あり。

上津府の西北。洪武初年に設置し、襄陽府に属した。十年五月に廃止して鄖陽に併合。十三年五月に再設置し、依然として襄陽府に属した。成化十二年十二月に当府に属す。西に十八盤山あり、また吉水あり、西南に流れて漢水に入る。俗に夾河と謂う。南に江口鎮巡検司あり。

鄖西府の西北。成化十二年十二月、鄖県の南門保を以て設置。南に漢江あり、陝西白河県より流入し、下流は漢陽県に至って江に入る。

保康府の東南。弘治十年十一月、房県の潭頭坪を以て設置。北に粉水あり、東南に常平堡あり、嘉靖十九年、南漳県の七里頭巡検司をここに移す。

長沙府

長沙府は元の天臨路、湖南道宣慰司に属す。太祖甲辰年に潭州府となる。洪武五年六月、長沙と改名す。州一、県十一を領す。東北、布政司まで八百八十里。

長沙倚郭。治所は西北。洪武三年四月、潭王府を建つ。二十三年に除く。永楽元年、谷王府が北直隷宣府よりここに遷る。十五年に除く。二十二年、襄王府を建つ。正統元年、襄陽に遷す。天順元年三月、吉王府を建つ。県の旧治は城外にあり、洪武初年、城中に移す。十八年、再び北門外に移す。万暦二十四年、朝宗門内に移す。西に湘水あり、源は広西興安県に出で、境内に流入し、瀟水・烝水と合して北流し、府城をめぐり、東北に出でて湘陰県に至り、青草湖に達し、洞庭湖に注ぐ。行くこと二千五百余里。北に瀏陽水あり、西流して湘水に入る。これを瀏口と謂う。また麻溪あり、湘水に入る。これを麻溪口と謂う。また西北に喬口巡検司あり、喬江と澬江の合流する所なり。

善化倚郭。治所は東南。旧治は城外にあり、洪武四年、城中に移す。十年五月、廃止して長沙県に併合。十三年五月、再設置し、治所は南門外にあり。成化十八年、なお城中に移す。西南に嶽麓山あり、湘江その東麓をめぐる。また靳江あり、湘江に入る。西に橘洲あり、湘江の中に在り。南に暮雲市巡検司あり。

湘陰府の北。元は湘陰州。洪武初年に降格して県となる。北に黄陵山あり。西に湘水あり、北は青草湖に達す。これを湘口と謂う。湖は県の北にあり、洞庭と連なり、また重湖とも曰う。南に哀江あり。また北に汨羅江あり、汨水は平江県より流入し、分流して羅水となり、屈潭に会し、西流して湘水に注ぐ。これを汨羅口と謂う。西北に営田巡検司あり。

湘潭府の西南。元は湘潭州。洪武三年三月、降格して県となる。東に昭山あり、下に昭潭あり。西に湘水あり、西南に涓水あり、これに入る。南に下灄市巡検司あり。

瀏陽府の東。元は瀏陽州。洪武二年、降格して県となる。北に道吾山あり。東北に大光山あり。また大囲山あり、瀏水ここに出で、県南を経て長沙県界に入る。これを瀏陽水と曰う。東南に渠城界・梅子園の二巡検司あり。また翟家寨巡検司あり、後に廃す。

醴陵府の東南。元は醴陵州。洪武二年、降格して県となる。南に淥水あり、また漉水とも曰い、西北に流れて湘水に注ぐ。淥口巡検司あり。

寧郷府の西。西に大潙山あり。北に澬江あり、源は綏寧県に出で、ここを経て沅江県界に入り、洞庭湖に注ぐ。

益陽府の西北。元は益陽州。洪武初年に降格して県となる。西南に澬江あり、また益水とも曰う。東に喬江あり、澬江の分流なり、下流は再び澬江に合す。

湘郷府の西南。元は湘郷州。太祖甲辰年に降格して県となる。西に龍山あり、漣水ここに出で、県の東南を経て、下流は湘水に入る。また西に湄水あり、南に豊溪水あり、ともに漣水に入る。西南に武障市巡検司あり。また永豊市・虞磨市の二巡検司あり、後に廃す。

攸府の南やや東。元は攸州。洪武三年三月、降格して県となる。南に司空しくう山あり。東に攸水あり、江西安福県より流入す。東南に洣水あり、流れ合して、下流は衡山県に至り、湘水に入る。南に鳳嶺巡検司あり、後に廃す。

安化府の西に在る。東に浮泥山有り、大峯山有り。西北に辰山有り、西に澬江有り。又南に善溪有り、武陵県より流れて澬江に注ぐ。

茶陵州は元は湖南道に直隸す。太祖甲辰年に降って県と為る。成化十八年十月復た州と為る。西に云陽山有り。西北に洣水有り、酃県より流入す。又東南に茶水有り、源は江西永新県の景陽山に出で、西流して来たりて合し、北に攸県の攸水に入る。東に視渡口巡検司有り。北、府より四百五十里を距る。

常徳府

常徳府は元は常徳路、湖広行省に属す。太祖甲辰年に府と為る。県四を領す。東北、布政司より一千五十里を距る。

武陵は倚郭す。弘治四年八月栄王府を建つ。東南に善徳山有り。南に沅水有り、又朗水有り、之に流入し、之を郎口と謂う。又東北に漸水有り、即ち鼎水なり、九溪衛より流入す。

桃源は府の西に在る。元は桃源州。洪武二年に降って県と為る。西に壺頭山有り、武陵・沅陵の界に接す。南に沅水有り、東に朗溪有り、西南に泥溪有り、俱に之に流入す。又西南に高都巡検司有り。又南に白馬巡検司有り、本名は蘇溪、県東の後春村に治す、尋いで徙り、名を更め、後廃す。

龍陽は府の東微南に在る。元は龍陽州。洪武三年三月降って県と為る。旧治は東に在り、今の治は景泰元年十二月に徙る所なり。東に軍山有り。北に沅水有り、東北に鼎水有り、之に流入し、之を鼎口と謂い、鼎港口巡検司有り。又東南に赤沙湖有り、一名蠡湖。又西北に小江口巡検司有り。

沅江は府の東南に在る。元は龍陽州に属す。洪武三年州廃し、来属す。十年五月省きて龍陽県に併入す。十三年五月復た置く。西南に沅水有り。又澬水・澧水有り、並びに県境に流入し、県東北に至り洞庭湖に入る。

衡州府

衡州府は元は衡州路、湖南道宣慰司に属す。太祖甲辰年に府と為る。州一、県九を領す。東北、布政司より一千三百里を距る。

衡陽は倚郭す。弘治十二年、雍王府は四川保寧府より此に遷る、正徳二年除く。万暦二十九年十月桂王府を建つ。南に回雁峯有り、北に岣嶁峯有り。衡山の峯七十二、県に在る者凡そ七、而して二峯最も著し。東に湘水有り、又蒸水有り、西南より流れて之に入り、之を蒸口と謂う。又東北に耒水有り、湘に注ぎ、之を耒口と謂う。又東に酃湖有り。又東に新城県有り、元末に置く。洪武十年五月省きて新城市と為し、江東巡検司此に治す。西南に松柏市巡検司有り。

衡山は府の東北に在る。元は天臨路に属す。洪武年間に改めて属す。西に衡山有り、七十二峯・十洞・十五嶽・三十八泉・二十五溪・九池・九潭・九井有り、而して峯の最大なる者は祝融・紫蓋・雲密・石廩・天柱と曰い、惟だ祝融最も高し。東に湘江有り。東南に茶陵江有り、即ち洣水なり、攸県より攸水を合わせて境内に流入し、湘に注ぎ、茶陵口と曰う。東に草市、東南に雷家埠の二巡検司有り。

耒陽は府の東南に在る。元は耒陽州、湖南道に直隸す。洪武三年三月降って県と為る。耒水は北に在り。東に侯計山有り、肥水は是より出で、西南に耒水に入る。又西南に羅渡巡検司有り。

常寧は府の南に在る。元は常寧州、湖南道に直隸す。洪武三年三月降って県と為る。西北に湘水有り、東に舂陵水有り、之に合す。

安仁は府の東微北に在る。西に楊梅峯有り。南に小江水有り、郴州より流入し、西北に流れて衡山県に至り、洣水に合す。南に安平、北に潭湖の二巡検司有り。

酃県は府の東にある。洣水は県の東にあり、源は洣泉に発し、西には云秋水が流れてこれに合する。

桂陽州は元の桂陽路で、平陽県を治所とし、湖南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。九年四月に降格して県となり、平陽県を併合した。十三年五月に昇格して州となった。西に大湊山がある。南に晋嶺山がある。北に潭流嶺がある。いずれもかつて銀・鉛の砂鉱を産した。西に藍山がある。西北に舂陵水があり、また西に巋水が流れてこれに合する。北に泗州寨、南に牛橋鎮の二つの巡検司がある。西北は府まで三百里。領する県は三つ。

臨武県は州の南にある。西北に舜峯山がある。西に西山があり、武水はここに発し、宜章県を経て章水に合する。東北に両路口巡検司がある。また東に赤土巡検司があったが、後に廃された。

藍山県は州の西南にある。旧治は県の北にあったが、洪武元年にここに移転し、郴州に属した。二年に当州に属した。南に黄檗山がある。東南に華陰山がある。西南に九疑山があり、山に杞林峯があり、巋水はここに発し、舜水ともいい、北流して舂陵水に合する。また西に守禦寧溪千戸所があり、洪武二十九年三月に設置された。東に毛俊鎮、北に乾溪鎮、西南に大橋鎮の三つの巡検司がある。また西に小山堡、張家陂の二つの巡検司があったが、後に廃された。

嘉禾県は州の西南にある。崇禎十二年に桂陽州の倉禾堡を以て設置し、臨武県の地を分けて増補した。東南に巋水があり、藍山県から流入し、北に石門山を経て、さらに東北に流れて州界に入る。

永州府

永州府は元の永州路で、湖南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。一州七県を領する。東北は布政司まで千八百二十里。

零陵県は倚郭である。北に湘水があり、城西を経て、瀟水が南から来てこれに合し、これを湘口といい、湘口関がある。また南に永水があり、源は県西南の永山に発し、北流して湘水に入る。北に黄楊堡巡検司があり、もとは高溪市で、隆慶元年に治所を移転し、改称した。

祁陽県は府の東北にある。旧治は県の西にあったが、景泰元年十二月に現在の治所に移転した。北に祁山があり、上に黄羆鎮がある。西北に四望山がある。西に湘水がある。また城北に祁水があり、源は邵陽県に発し、東北流してこれに入る。南に浯溪があり、下流も湘水に入る。また東に帰陽市、東南に白水市、西北に水隆太平市の三つの巡検司がある。また東北に湘江市巡検司があったが、後に県東北の排山に移転した。

東安県は府の西北にある。八十四渡山が県の東にある。また東南に湘水があり、広西全州から流入する。また盧洪江があり、源は県北の九龍巌に発し、城東を経て、下流は湘水に入る。盧洪市巡検司がある。また結陂市巡検司があったが、後に廃された。

道州

道州は元の道州路で、湖南宣慰司に属した。洪武元年に府となった。九年四月に再び降格して州となり、州治の営道県を併合し、当府に属した。西に営山があり、営水はここに発し、泥江に至り、江華県の沲水と合する。東に瀟江があり、青口に至り、沲水と合する。また西に濂溪があり、源は州西の安定山下に発し、東北に流れて宜水と合し、これを龍灘といい、下流はいずれも湘水に入る。北は府まで百五十里。領する県は四つ。

寧遠県は州の東やや北にある。南に九疑山があり、衡州・永州・郴州・道州の間に介在する。山に硃明峯があり、瀟水はここに発する。また南に舜源水があり、北流して江華県の沲・瀟の二水と合し、三江口となる。南に九疑・魯観巡検司があり、九疑・魯観の二つの峒口にある。

江華県は州の南にある。東南に旧城がある。現在の治所はもと寧遠衛右千戸所で、洪武二十八年に設置された。天順六年に県治を移して同地に治めた。西に白芒嶺があり、すなわち萌渚嶺で、五嶺の第四嶺である。東に沲水があり、源は九疑山の石城・娥皇の二峯に発し、下流は瀟水と合する。また東南に砅水があり、源は九疑山の女英峯に発し、流れて沲水と合する。また東に守禦錦田千戸所があり、洪武二十九年に設置された。また錦田巡検司がある。また西南に錦岡巡検司があり、また濤墟市巡検司があったが、後に寧遠県の九疑・魯観に移転した。

永明県は州の西やや南にある。北に永明嶺があり、すなわち都龐嶺で、五嶺の第三嶺である。南に遨水があり、広西富川県から流入し、下流は瀟水に注ぐ。東南に枇杷守禦千戸所、西南に桃川守禦千戸所があり、いずれも洪武二十九年に設置された。また桃川市巡検司がある。また西南に白麪墟巡検司がある。

新田州は州の東北にあり、崇禎十二年、寧遠県の新田堡を以て設置された。西北に舂陵山があり、寧遠県との境をなし、舂陵水はここより発し、下流は常寧県に至り、湘水に合流する。東南に白麪寨巡検司がある。

宝慶府

宝慶府は元の宝慶路であり、湖南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。州一、県四を領する。東北、布政司より千二百五十里。

邵陽県は倚郭である。南に高霞山があり、東に烝水がある。また北に澬水があり、邵水は東より流れてこれに合する。五十三灘があり、また四十八灘があり、いずれも澬水の経るところである。西北に龍回巡検司がある。また北に巨口関がある。東北に白馬関がある。

新化県は府の北にある。南に上梅山があり、その下梅山は安化県の境にある。東南に澬水がある。西南に長鄄巡検司があったが、まもなく廃止された。また北に蘇溪巡検司がある。

城歩県は府の西南にある。もとは武岡州の城歩巡検司であった。弘治十七年に県を置き、綏寧県の地を分けてこれを補い、巡検司を県の東北の茅坪鋪に移した。まもなくまた山口に移し、後に廃止された。東南に羅漢山があり、また巫水があり、下流は澬水に入る。

武岡州は元の武岡路であり、湖南道宣慰司に属した。洪武元年に府となった。九年四月に州に降格し、州治の武岡県を廃して編入し、当府に属した。永楽二十二年、岷王府が雲南よりここに遷った。北に武岡山がある。南に云山がある。また澬水がある。西南に都樑水があり、東北より流れてこれに入る。北に蓼溪隘・峽口鎮、南に石門隘、東に紫陽関の四巡検司がある。東に石羊関がある。東、府より二百八十里。県一を領する。

新寧県は州の東南にある。旧治は県の東にあった。景泰二年に沙洲原に移した。南に夫夷水があり、北流して都樑水に合する。東南に靖位、西に新寨の二巡検司がある。

辰州府

辰州府は元の辰州路であり、湖広行省に属した。太祖甲辰年に府となった。州一、県六を領する。東北、布政司より千七百里。

沅陵県は倚郭である。西北に大酉山・小酉山がある。東に壺頭山がある。西南に沅水があり、辰水は東北より流れてこれに入る。また東に百曳・高涌・九磯・清浪などの灘がある。また酉水は西北にあり、東南して沅水に入る。東に大刺、西北に明溪、また会溪、東北に池蓬の四巡検司がある。また高巖巡検司があったが、後に廃止された。

盧溪県は府の西やや南にある。南に沅水がある。西に武溪があり、すなわち潕溪で、下流は沅水に合する。また西に鎮溪軍民千戸所があり、洪武三十年二月に設置された。また南に溪洞巡検司がある。また西に河溪、西南に院場坪の二巡検司があったが、後に廃止された。

辰渓県は府の西南にある。東南に五城山がある。西北に沅水がある。西に辰水がある。また東に渡口鎮、南に晉市鎮の二巡検司があったが、後に廃止された。

漵浦県は府の東南にある。東に紅旗洞がある。西に漵水があり、下流は沅水に入る。南に龍潭、東北に鎮寧の二巡検司がある。

沅州

沅州は元の沅州路、直隸湖広行省に属す。太祖甲辰年に府となる。九年四月に州に降格し、州治の盧陽県を省いて併合し、当府に属す。北に明山あり。南に沅江あり、その源は四川遵義県に発し、下流は沅江県に至り、洞庭湖に入る。西に舞水あり、即ち無水なり、沅水に流入す。西に晃州巡檢司あり。また西南に西関渡口巡檢司あり、後に廃す。東北、府より二百七十里。領する県二。

黔陽は州の東南。東南に羅公山あり。南に雙石崖あり、一名を屏風崖という。景泰年中、此処に寨を築き戍を置き、安江雙崖城と名づく。北に沅水あり。また東に洪江、西に郎江、南に黔江あり、俱に此れに流入す。東に安江巡檢司あり。また西に託口寨あり。東に洪江寨あり。

麻陽は州の北少しく西。東に包茅山あり。西に蠟爾山あり、保靖司及び四川・貴州と界し、山下に在る諸苗蠻は凡そ七十四寨。南に辰水あり、貴州銅仁府より流入す。西に錦水あり、下流は辰州に入る。東北に巖門巡檢司あり。

郴州

郴州は元の郴州路、湖南道宣慰司に属す。洪武元年に府となる。九年四月に州に降格し、州治の郴陽県を省いて併合し、直隸布政司に属す。南に黄岑山あり、宜章県と界し、また騎田嶺とも曰い、五嶺の第二嶺なり、その支嶺を摺嶺という。また東北に云秋山あり、霊阝県と界し、雲秋水ここより出づ。東に郴水あり、黄岑山に発源し、桂陽県の耒水に流れ合い、下流は湘水に入る。また西南に桂水あり、下流は耒水に合す。西南に石陂巡檢司あり。領する県五。北、布政司より千八百八十里。

永興は州の北少しく西。東南に土富山あり、旧に銀井あり。西に高亭山あり。東に郴水あり、また白豹水あり、西南より此れに流入し、之を森口という。西に高亭、北に安福の二巡檢司あり。

宜章は州の南。西南に莽山あり。東に漏天山あり。北に章水あり、支流を小章水といい、源は俱に黄岑山より出づ、武水西より来たりて合し、下流は江西崇義県界に入る。東に赤石、南に白沙の二巡檢司あり。

興寧は州の東北。南に耒水あり、東南に資興水あり流れて合す。東に州門巡檢司あり。東南に滁口巡檢司あり、後に西南の黄家摐に移す。

桂陽は州の西南。南に耒山あり、耒水ここより出づ、西北にて郴水に会す。また東に孤山水あり、江西崇義県に流入し、贛水に達す。東に守禦広安千戸所あり、洪武二十九年三月に置き、後に廃す。宣徳八年六月に復た置く。東に益将、西に鎮安、南に長楽山口、北に濠村の四巡檢司あり。

桂東は州の東。西北に小桂山あり、桂水ここより出づ、南に漚江来たりて合す。また南に高分嶺巡檢司あり。

靖州

靖州は元の靖州路、直隸湖広行省に属す。太祖乙巳年七月に靖州軍民安撫司となる。元年に州に降格す。三年に府に昇格す。九年四月に復た州に降格し、州治の永平県を省いて併合し、直隸布政司に属す。南に侍郎山あり、広西融県と分界す。東に渠水あり、下流は会同県の郎江に合して沅水に入る。西に零溪巡檢司あり。領する県四。東北、布政司より千八百五十里。

会同は州の東北。西に沅水あり、また西南に郎水あり、貴州黎平府より流入し、また東に雄溪あり、一名を洪江といい、下流は俱に沅水に入る。南に若水巡檢司あり。

通道は州の南。洪武十年五月に省きて州に併合す。十三年五月に復た置く。北に福湖山あり。西に渠水あり、西北に播揚河あり、貴州黎平府より流れて合す。播揚巡檢司あり。また西南に収溪寨巡檢司あり。

綏寧は州の東。元は武岡路に属す。洪武元年は武岡府に属す。三年に来たりて属す。東に雙溪あり、即ち城歩県巫水の下流なり。東北に青坡巡檢司あり、後に武陽に移す。西南に臨口巡檢司あり。

天柱州は西北に在り。本来は天柱守禦千戶所で、洪武二十五年五月に設置された。萬曆二十五年に縣に改め、綏寧・會同の二縣の地を分けてこれを補った。崇禎十年に東の龍塘に遷り、龍塘縣と称した。後に東の雷寨に遷り縣とした。後に旧治に還り、元の名に復した。東に沅水が在る。西北に屯鎮汶溪後千戶所が在り、洪武二十三年に設置された。東に鎮遠巡檢司が在り、後に上新市に移転し、また江東巡檢司が在る。

施州衛軍民指揮使司

施州衛軍民指揮使司は元の施州で、四川行省夔州路に属した。洪武初年に廃止された。十四年五月に再び設置し、夔州府に属した。六月に施州衛軍民指揮使司を兼ねて設置し、四川都司に属した。十二月に湖廣都司に属した。後に州は廃止され、衛のみが残った。北に都亭山が在る。東に連珠山が在り、五峯關はその山下に在る。また東南に東門山が在る。東北に清江が在り、四川黔江縣より流入し、一名を夷水、また黔江とも曰い、衛境内の諸水は皆これに入り、下流は宜都縣に至り大江に入る。一つの所を領し、四つの宣撫司、九つの安撫司、十三の長官司、五つの蠻夷官司を領する。東北、布政司より千七百里。

大田軍民千戶所は洪武二十三年閏四月に散毛宣撫司の大水田を以て設置された。東に小關山が在る。西南に萬頃湖が在り、酉陽と境を接する。また南に深溪關が在る。北に硝場が在り、硝を産する。東北、衛より二百二十里。

施南宣撫司は元の施南道宣慰司である。洪武四年十二月にこれを因襲し、後に廃止された。十六年十一月に再び設置し、施州衛に属した。二十七年後に再び廃止された。永樂二年五月に長官司に改置し、大田軍民千戶所に属した。四年三月に宣撫司に昇格し、依然として衛に属した。東に旧治が在る。後に夾壁龍孔に遷り、即ち今の治所である。西に前江が在り、七藥山に発源し、西南に流れて後江と合し、四川彭水縣界に入る。北、衛より百里。五つの安撫司を領する:

東鄉五路安撫司は元の東鄉五路軍民府である。洪武四年十二月に長官司に改置し、後に安撫司に昇格した。三つの長官司、二つの蠻夷官司を領する。

搖把峒長官司は元の又把峒安撫司で、後に廃止された。宣德三年五月に改置した。

上愛茶峒長官司

下愛茶峒長官司。二つの長官司は共に元の容美洞の地である。至大二年に懷德府を設置し、四川南道宣慰司に属した。至順二年正月に宣撫司に昇格した。至正年中に軍民宣慰司に昇格した。太祖甲辰年六月に軍民宣撫司に改め、後に廃止された。宣德三年五月に改置した。

鎮遠蠻夷官司は宣德三年五月に設置された。

隆奉蠻夷官司は元の隆奉宣撫司である。洪武四年十二月に長官司に改め、後に廃止された。宣德三年五月に官司に改置した。

忠路安撫司は明玉珍の忠路宣撫司である。洪武四年に安撫司に改め、二十三年に廃止された。永樂五年に再び設置し、一つの長官司を領する。

劍南長官司は宣德三年五月に設置された。

忠孝安撫司は元より設置された。洪武四年十二月に長官司に改置し、間もなく元に復した。二十三年に廃止された。永樂五年に再び設置した。

金峒安撫司は元より設置された。洪武四年十二月に長官司に改めた。永樂五年に元に復した。宣德三年五月に一つの蠻夷官司を領した。隆慶五年正月に峒長に降格した。

西坪蛮夷官司は宣徳三年五月に設置。

中峒安撫司は嘉靖初年に設置。

散毛宣撫司は元の至元三十年四月に散毛洞蛮夷官を設置。三十一年五月に府に昇格し、四川行省に属す。至正六年七月に散毛誓厓等処軍民宣慰司と改める。明玉珍は散毛宣慰使司都元帥と改める。洪武七年五月に散毛沿辺宣慰司と改め、四川重慶衛に属す。二十三年に廃止。永楽二年五月に散毛長官司を設置し、大田軍民千戸所に属す。四年三月に宣撫司に昇格し、施州衛に属す。南に白水河あり、一名を酉溪と云い、忠建宣撫司より流入し、また東南に流れて永順司の界に入る。東北、衛より二百五十里。安撫司二を領す。

龍潭安撫司は元の龍潭宣撫司。明玉珍は長官司と改める。洪武八年十二月に龍潭安撫司と改め、四川重慶衛に属す。二十三年に廃止。永楽四年三月に復置し、来属す。南に清江あり。

大旺安撫司は明玉珍の大旺宣撫司。洪武八年十二月にこれに因り、四川に属す。永楽五年に改置し、蛮夷官司二を領す。

東流蛮夷官司は洪武八年十二月に東流安撫司を設置し、四川に属し、後に廃止。宣徳三年五月に改置し、来属す。

臈壁峒蛮夷官司は宣徳三年五月に設置。

忠建宣撫司は元の忠建軍民都元帥府。明玉珍これに因る。洪武五年正月に長官司と改める。六年に宣撫司に昇格。二十七年四月に安撫司と改め、まもなく廃止。永楽四年に宣撫司を復置し、施州衛に属す。南に白水河あり、源は将軍山より出で、西南に流れ、車東河が容美司より来たりてこれに合す。北、衛より二百五十里。安撫司二を領す。

忠峒安撫司は元の湖南鎮辺宣慰司。明玉珍は沿辺溪洞宣撫司と改める。洪武五年正月に沿辺溪洞長官司と改め、後に廃止。永楽四年に改置。西南に酉溪あり。

高羅安撫司は元の高羅宣撫司。明玉珍は安撫司と改める。洪武六年に廃止。永楽四年三月に復置。長官司一を領す。

思南長官司は成化以後に設置。

容美宣撫司は元の容美等処宣撫司、四川行省に属す。太祖丙午年二月これに因る。呉元年正月に黄沙・靖安・麻寮等処軍民宣撫司と改める。洪武五年二月に改めて長官司を置く。七年十一月に宣慰司に昇格し、後に廃止。永楽四年に宣撫司を復置し、施州衛に属す。西南に山河あり、即ち漊水の上源にして、東に流れて九溪衛の界に入る。西北、衛より二百十里。長官司五を領す。

盤順長官司は元の元統二年正月に盤順府を設置。至正十五年四月に軍民安撫司に昇格。洪武五年三月に長官司と改める。

椒山瑪瑙長官司・五峯石寶長官司・石樑下峒長官司・水盡源通塔平長官司の四長官司は、いずれも洪武七年十一月に設置し、十四年に廃止。永楽五年に復置。

木冊長官司は元の木冊安撫司。明玉珍は長官司と改める。洪武四年に廃止。永楽四年三月に復置し、高羅安撫司に属す。宣徳九年六月に直隸施州衛となる。

鎮南長官司は、元代に宣化鎮南五路軍民府を置き、まもなく湖南鎮辺毛嶺峒宣慰司と改めた。明玉珍が鎮南宣撫司と改めた。太祖丙午年(1366年)二月にこれに因り、まもなく廃止した。洪武八年(1375年)二月に復置し、施州衛に属した。二十三年(1390年)に再び廃止した。永楽五年(1407年)に改めて設置し、直隸施州衛に属した。酉溪がある。

唐崖長官司は、元代に唐崖軍民千戸所を置いた。明玉珍が安撫司と改めた。洪武七年(1374年)四月に長官司と改め、後に廃止した。永楽四年(1406年)三月に復置し、直隸施州衛に属した。南に黔水があり、これは清江の上流である。

永順軍民宣慰使司は、元代至元年間に永順路を置き、後に永順保靖南渭安撫司と改めた。至大三年(1310年)四月に永順等処軍民安撫司と改めた。至正十一年(1351年)四月に宣撫司に昇格し、四川行省に属した。洪武二年(1369年)に州となった。十二月に永順軍民安撫司を置いた。六年(1373年)十二月に軍民宣慰使司に昇格し、湖広行省に属し、まもなく都司に改属した。西南に水溪があり、これは酉水で、下流は沅陵県界に入る。三州、六長官司を領した。東北は布政司まで二千里。

南渭州は、宣慰司の西にある。元代は新添葛蛮安撫司に属し、後に廃止した。洪武二年(1369年)に復置し、改属した。

施溶州は、宣慰司の東南にある。元代は会溪施溶等処長官司で、思州軍民安撫司に属し、後に廃止した。洪武二年(1369年)に改めて設置し、来属した。

上溪州は、宣慰司の西にある。洪武二年(1369年)に設置した。

臈惹洞長官司、麦著黄洞長官司、驢遅洞長官司、施溶溪長官司の四長官司は、元代ともに思州軍民安撫司に属した。洪武三年(1370年)に改属した。

白崖洞長官司は、元代は新添葛蛮安撫司に属した。洪武三年(1370年)に改属した。

田家洞長官司は、洪武三年(1370年)に設置した。

保靖州軍民宣慰使司は、元代の保靖州で、新添葛蛮安撫司に属した。太祖丙午年(1366年)二月に保靖州軍民安撫司を置いた。洪武元年(1368年)九月に宣慰司と改めた。六年(1373年)十二月に軍民宣慰使司に昇格し、直隸湖広行省に属し、まもなく都司に改属した。北に北河があり、酉陽司から流入し、東は永順司界に入る。また峒河があり、下流は盧渓県の武渓と合流する。二長官司を領した。東北は布政司まで千九百七十里。

五寨長官司は、宣慰司の南にある。元代に設置し、洪武七年(1374年)六月にこれに因った。

筸子坪長官司は、宣慰司の南にある。太祖甲辰年(1364年)六月に竿子坪洞元帥府を置き、後に廃止した。永楽三年(1405年)七月に改めて設置した。

浙江等処承宣布政使司

浙江は『禹貢』にいう揚州の域である。元代に江浙等処行中書省を置き、治所を杭州路に置いた。また分けて浙東道宣慰使司を置き、治所を慶元路に置いた。これに属した。太祖戊戌年(1358年)十二月に中書分省を置き、治所を寧越府に置いた。癸卯年(1363年)二月に治所を厳州府に移した。丙午年(1366年)十二月に分省を罷め、浙江等処行中書省を置き、治所を杭州府に置いた。洪武三年(1370年)十二月に杭州都衛を置き、行中書省と同治した。八年(1375年)十月に都衛を浙江都指揮使司と改めた。九年(1376年)六月に行中書省を承宣布政使司と改めた。十一府、一属州、七十五県を領し、里数は一万八百九十九。西は開化に至り、江南と境を接する。南は平陽に至り、福建と境を接する。北は太湖に至り、江南と境を接する。東は海に至る。南京まで九百里、京師まで三千二百里。洪武二十六年(1393年)の編戸は二百十三万八千二百二十五、口は千四十八万七千五百六十七。弘治四年(1491年)の戸は百五十万三千百二十四、口は五百三十万五千八百四十三。万暦六年(1578年)の戸は百五十四万二千四百八、口は五百十五万三千五。

杭州府

杭州府は元の杭州路で、江浙行省に属した。太祖丙午年十一月に府となった。九県を管轄する。

銭塘県は府治に倚る。洪武三年四月に呉王府を建てた。十一年正月に周王に改封され、河南開封府に遷された。南に鳳凰山があり、秦望山がある。西南に霊隠山がある。南に銭塘江があり、また浙江ともいい、三つの源がある。新安江といい、南直隷の歙県より出る。信安江といい、開化県より出る。東陽江といい、東陽県より出る。これらが合流して東に流れ銭塘江となり、会稽県の三江海口に至って海に入る。西に西湖があり、源は武林泉より出る。また北に運河があり、秀水県の北に至り、南直隷の運河に接続する。また安溪があり、すなわち苕溪で、余杭県より流入し、下流は烏程県の東北に至り、太湖に注ぐ。

仁和県は府治に倚る。東北に皋亭山があり、臨平山があり、その下に臨平湖があったが、後に埋まった。北に北新関があり、成化年間にここに戸部分司を設けた。また塘棲鎮がある。

海寧県は府の東やや北にある。元は海寧州であった。洪武二年に降格して県となった。南は海に臨み、捍海塘がある。西南に赭山があり、蕭山県の龕山と相対し、浙江がその間を流れ、東は大海に接し、これを海門という。東南に石墩鎮巡検司があり、もとは県の東北の硤石鎮に置かれたが、後にここに移転し、名を改めた。西南に赭山鎮巡検司があり、もとは県の西の陳橋の北に置かれたが、まもなく赭山に移転し名を改め、さらに文堂山上に移転し、もとの名に戻した。また西北に長安ちょうあん鎮がある。

富陽県は府の西にある。東に観山がある。西南に湖洑山がある。東南は富春江に臨み、すなわち銭塘江である。西南に東梓巡検司があったが、後に廃止された。

余杭県は府の西北にある。西南に大滌山がある。西北に径山がある。南に苕溪があり、源は於潜県の天目山より出る。東北に石瀬巡検司があったが、後に廃止された。

臨安県は府の西にある。旧治は県の西の西墅鎮にあった。洪武初年に現在の地に移転した。もとは呉越の衣錦軍である。西に天目山があり、また東天目ともいい、於潜県の境内にあるものを西天目という。西北に南溪があり、すなわち東苕溪で、源は天目山より出て、県の南を流れ、また新溪ともいう。

於潜県は府の西にある。北に天目山があり、浮溪がここより出る。県の南は紫溪となり、下流は桐廬県に至り浙江に入る。

新城県は府の西南にある。西に葛溪があり、また東北に松溪があってこれに合流し、峴口に至り浙江に入る。

昌化県は府の西にある。東南に柳相山がある。南に銅坑山がある。西北に千頃山がある。西に昱嶺があり、上に関がある。また西北に黄華嶺があり、上にも関がある。東南に柳溪があり、東流して於潜県の紫溪に合流する。また双溪があり、県治の南より流れ出て柳溪に入る。西に手甗嶺巡検司があり、県の西南の株柳村に移転し、さらに県の西の湛村に移転し、さらに楊家塘に移転したが、もとの名のままである。

厳州府

厳州府は元の建徳路で、江浙行省に属した。太祖戊戌年三月に建安府となり、まもなく建徳府と称した。壬寅年二月に厳州府と改称した。六県を管轄する。東北は布政司まで二百七十里。

建徳県は府治に倚る。北に烏龍山がある。西に銅官山がある。また新安江が淳安県より流入し、城の南を経て、東陽江が西南より来てこれに合流する。また東北に胥溪があり、流れて来て江に入り、これを胥口といい、また建徳江ともいう。東に管界巡検司がある。

桐廬県は府の東北にある。西に富春山があり、一名を厳陵山という。桐江が南にあり、すなわち浙江で、また睦江ともいう。建徳県より流入し、富春山の釣台の下を経て七里瀬といい、さらに東に流れて桐君山の下を経て桐江という。桐溪が県の東北より流入してこれに合流し、これを桐江口といい、その上流はすなわち分水県の天目溪である。桐江巡検司があり、後に桐君山に移転し、さらに窄渓埠に移転した。

淳安県は府の西にある。南に雲濛山がある。西に都督ととく山があり、また威平洞があり、また青渓洞ともいい、また幫源洞ともいう。南に新安江があり、南直隷の歙県より流入し、また青渓ともいう。西に街口巡検司、また永平巡検司、南に港口巡検司の三つがあったが、後に廃止された。東に錦渓関があり、嘉靖年間に置かれた。

遂安府は府の西やや南にあり。西に武強溪があり、雙溪が合流して三渡口と称し、城南を経て東北に流れ、淳安の青溪に注ぐ。南に鳳林巡檢司があったが、後に廃された。

壽昌府は府の西南にあり。東南に巖峒山がある。西に壽昌溪があり、東北に流れて建德縣に至り、新安江に入る。南に常樂溪があり、東南に流れて蘭溪縣に至り、東陽江に入る。西に社田、西南に上梅の二巡檢司がある。

分水府は府の東北にあり。東に天目溪があり、上流は即ち於潛縣の紫溪及び昌化縣の柳溪であり、下流は桐廬縣の桐溪となる。また東南に前溪があり、淳安縣より流入し、東に流れて天目溪に入る。東に吳村巡檢司があったが、後に廃された。

嘉興府

嘉興府は元の嘉興路で、江浙行省に属した。太祖丙午年十一月に府とし、直隸京師とした。十四年十一月に浙江に改めて隷属させた。七縣を領す。西南は布政司まで百七十五里。

嘉興倚郭。南に南湖があり、鴛鴦湖とも称し、運河に合流する。また長水塘があり、西南は海寧に接し、東北は海鹽縣の界に接する。また東に雙溪があり、東に出て華亭塘となり、南直松江府の漕舟はここより運河に入る。

秀水倚郭。宣德五年三月に嘉興縣の地を分けて設置。西に運河があり、北は聞家湖を経て、南直吳江縣の運河に達する。東北に杉青閘、また王江涇の二巡檢司がある。

嘉善府の東。もと嘉興縣魏塘鎮巡檢司で、宣德五年三月に縣に改めた。南に華亭塘河、東に魏塘河、東北に清風涇があり、皆合流する。西北に分湖があり、南直吳江縣と分界する。また北に章練塘水があり、これも華亭塘河に合流し、華亭縣の泖湖に達する。東北に風涇、西北に陶莊の二巡檢司があったが、廃された。

崇德府の西南。元の崇德州。洪武二年に縣に降格。西北に運河があり、德清縣より流入する。東南に語溪があり、一名を語兒中涇、また沙渚塘と称す。また東北に石門塘水があり、東南は運河に接し、北は歸安の烏鎮に達する。

桐鄉府の西やや南。宣德五年三月に崇德縣の鳳鳴郷を以て設置。北に運河があり、崇德縣と接界する。また爛溪があり、北は吳江縣の鶯脰湖に達し、西は湖州府潯溪に達する。北に皁林鎮巡檢司がある。

平湖府の東。宣德五年三月に海鹽縣の當塗鎮を以て設置。東南に故邑山がある。南に雅山があり、俗に瓦山と称す。また當湖は縣治の東にあり、下流は海鹽澉浦口より海に入る。その西は市西河で、嘉興縣より流入し、當湖に入る。その分流で南に出るものは、縣東南の乍浦より海に入り、北に出るものは、縣東北の蘆瀝浦より海に入る。浦の傍に蘆瀝鹽場がある。また北に東泖があり、即ち華亭三泖の上流である。東に白沙灣巡檢司があり、広陳墅に治し、後に縣東南の獨山に遷る。また東南に乍浦鎮巡檢司があり、後に樑莊に遷り、仍って旧名を用いる。

海鹽府の東南。元の海鹽州。洪武二年に縣に降格。南に秦駐山があり、また長牆山がある。西南に鳳凰山がある。東北に湯山があり、また獨山があり、旧ここに鹽場を置いた。東は海に臨み、防海塘があり、洪武初年に石で築き、南北四千八百丈に及ぶ。また東・西・南の三海口があり、西海口は縣の東北にあり、特に要衝である。東北に呂港があり、港口に鹽場がある。西南に鮑郎市があり、鹽課司がある。東北に守禦乍浦千戶所、東南に澉浦守禦千戶所があり、共に洪武十九年十月に設置。城東に海口巡檢司があり、後に砂腰村に移り、南に澉浦巡檢司があり、後に秦駐山に遷り、共に仍って旧名を用いる。

湖州府

湖州府は元の湖州路で、江浙行省に属した。太祖丙午年十一月に府とし、直隸京師とした。十四年十一月に浙江に改めて隷属させた。一州、六縣を領す。南は布政司まで百九十里。

烏程倚郭。北に卞山があり、弁山とも称す。西南に石城山がある。南に峴山があり、本名は顯山。西南に銅山があり、一名を銅峴山と称す。北に太湖があり、南直蘇・常二府の界に接する。東北に大錢湖口・小梅湖口の二口があり、府境内の諸水は皆ここより太湖に入る。また西に苕溪があり、源は孝豐天目の陰に発し、毘山下を流れ、大錢湖口より出る。また南に餘不溪があり、即ち杭州境内の苕溪で、德清縣より流れて府南を経て玉湖に匯り、再び東北に出て苕水に匯り、霅溪とも称す。東に後潘村巡檢司があり、後に南潯鎮に遷り、仍って旧名を用いる。東北に大錢湖口巡檢司がある。

帰安は倚郭。南に金蓋山あり、また何山とも称す。また衡山あり。東に升山あり、また烏山とも曰い、一名を欧余山とす。また運河は城東にあり、源は苕溪・余不溪の二水に発し、分流して運河となり、東北に経て南潯鎮に至り、呉江県界に入り、嘉興の運河に合す。また南に荻塘あり、また荻港とも曰い、東北は運河に接続す。その枝流は東南に烏鎮に出で、桐郷の爛溪に合す。また東に潯溪あり、すなわち余不溪の支流なり、流れて南潯を経る。東南に璉市巡検司あり。また西南に上沃埠巡検司あり、後に廃す。

長興は府の西北。元は長興州。太祖丁酉年三月に長官州と改名し、壬寅年に復た長興と曰う。洪武二年に降じて県と為す。西北に顧渚山あり、茶を産し、一名を西顧山、一名を呉望山とす。東北に太湖あり、南直宜興県と中流を分かちて界と為す。西に箬溪あり、下流は太湖に入る。西南に荊溪あり、東南は苕溪に入る。東北に皋塘、西南に四安の二巡検司あり。また西に合溪、南に和平の二巡検司あり、廃す。

徳清は府の南少東。東北に敢三山あり。東南に運河あり、余不溪あり、また霅溪とも曰い、すなわち苕溪の別名なり。東北に新市鎮巡検司あり。また東に下塘巡検司あり、後に五柳港口に遷る。また東に荷葉浦巡検司あり、廃す。

武康は府の西南。東に封山あり、一名を防風山とす。また禺山あり。西南に覆舟山あり。南に前溪あり、東北に後溪流れてこれに入り、下流は徳清の余不溪に入る。

安吉州

安吉州は元の安吉県。正徳元年十一月に升めて州と為す。西南に故城あり。洪武年間に今の治所に徙る。東南に白陽山あり、旧は錫を産す。西に苕溪あり。また龍溪あり、すなわち苕溪の支流なり。東南に独松関巡検司あり、また遞鋪巡検司あり、廃す。東北、府より二十里。領する県一:

孝豊は州の西南。成化二十三年に安吉県の地を分ちて置き、府に属す。正徳二年に改めて州に属す。南に天目山あり、天目山巡検司あり。また西南は金石山と為り、すなわち天目の最高処なり。また南に苕溪あり、天目山より出で、これ苕溪の別源なり。また西に松坑巡検司あり。

紹興府

紹興府は元の紹興路、浙東道宣慰司に属す。太祖丙午年十二月に府と為す。領する県八。西北、布政司より百三十八里。

山陰は倚郭。南に会稽山あり、その支山は雲門山と為り、また法華山あり。西南は蘭亭山と為る。西北に塗山あり。北は海に浜し、三江口あり。三江とは、一に浙江と曰い、一に銭清江と曰い、すなわち浦陽江の下流、その上源は浦江県より流入し、県西の銭清鎮に至り、銭清江と曰う。一に曹娥江と曰い、すなわち剡溪の下流、その上源は嵊県より流入し、東に折れて北に流れ、府東の曹娥廟を経て、曹娥江と為り、また西に折れて北に流れ、銭清江・浙江と会して海に入る。また西に運河あり、蕭山県より流入し、また東南に逕て会稽県に至り、また東は上虞県界に入る。また南に鑑湖あり、長さ十四五里、俗に白塔洋と曰い、若耶溪これに合す。また北に白水湖あり、旁ら運河に通ず。北に三江守禦千戸所あり、浮山の陽に在り、洪武二十年二月に置く。また三江巡検司あり、浮山桃松荘に在り。また西北に白洋巡検司あり。

会稽は倚郭。東南は会稽山と為り、その東は宛委・秦望・天柱の諸山に接す。また東に銀山・錫山あり、旧は銀砂及び錫を産す。東南に若耶山あり。東に曹娥江あり。東南に平水溪あり、南は剡溪に合す。東北に瀝海守禦千戸所あり、洪武二十年二月に置く。また黄家堰巡検司あり、尋いで瀝海所の西に遷り、後に上虞県界の纂風鎮に遷り、仍って旧名とす。

蕭山は府の西北。西南に虎爪山あり、東南に龕山あり、倶に下は浙江に臨む。龕山の傍らに小山あり、亀子山と曰い、浙江は県西より東北に流れ、その中より出で、東は大海に接し、また海門とも曰う。東南に峡山あり、銭清江その中を経て、復た北に折れて東に流れ、山陰県界に入る。城西に運河あり、東は銭清江に接す。また湘湖あり。西南に漁浦巡検司あり。また西に西興あり、また西陵とも曰い、銭塘に往く者はここより江を渡る。

諸暨は府の西南。元は諸暨州。太祖己亥年正月に諸全州と改む。丙午年十二月に降じて諸暨県と為す。西南に新城あり、五指山下に在り、太祖癸卯年、李文忠の築く所。西に長山あり、また五泄山あり。南に句乗山あり。また浣江あり、すなわち浦陽江、また青弋江とも曰う。また西南に長清関、西に陽塘関の二巡検司あり、廃す。

余姚は府の東北。元は余姚州。洪武初め、降じて県と為す。南に新城あり、県城と江を隔てて対峙し、姚江その中を経る。南に四明山あり、北は海に浜す。姚江は源を県西南の太平山に発し、一名を舜江、西北に流れて上虞県に至り、乃ち東北に出で、県南を経る。また東は慈溪の前江と為る。東北に燭溪湖あり、流を引いて東横河と為す。西に牟山湖あり、流を引いて西横河と為し、倶に姚江に注ぐ。また西北に臨山衛あり、洪武二十年二月に置く。東北に三山守禦千戸所あり、一名を滸山、また洪武二十年二月に置く。また東北に三山巡検司あり、金家山上に治し、尋いで破山に遷る。北に眉山巡検司あり、眉山寨に治し、尋いで県西北の湖海頭に遷る。また廟山巡検司あり、廟山寨に治し、尋いで上虞県界の中源堰に遷り、仍って旧名とす。

上虞は府の東。西北に夏蓋山あり、北は海に枕し、南は夏蓋湖に臨む。西南に東山あり。東に覆卮山あり、嵊県界に接す。また東に通明江あり、すなわち姚江の上流。また運河あり、県治の前に在り。また西北に白馬湖あり、北は夏蓋湖に接し、それに相連なるものに上妃湖あり、また上陂湖とも曰い、流を引いて五夫湖と為し、東北は余姚の西横河に達す。また西に梁湖巡検司あり、本は梁湖に治し、尋いで百官市に遷り、仍って旧名とす。

嵊県は府の東南に在る。東に丹池山が在る。東北に嵊山が在る。北に〓雩山が在り、また清風嶺が在る。西に太白山が在る。南に剡溪が在り、源は天台諸山に発し、下流は曹娥江となる。西に長楽鎮、西北に管解寨の二つの巡検司が在るが、廃された。

新昌県は府の東南に在る。東に沃州山が在る。東南に天姥山が在る。また東に東溪が在り、源は天台山に発し、西北に流れて嵊県の界に入る。南に彩霞鎮、また豊楽、また善政の三つの巡検司が在ったが、後に廃された。

寧波府

寧波府は元の慶元路で、浙東道宣慰司に属した。太祖呉元年十二月に明州府となった。洪武十四年二月に寧波と改めた。五県を領する。西北は布政司まで三百六十里。

鄞県は倚郭である。東に鄮山が在る。西南に四明山が在り、周囲八百余里。東に灌頂山が在り、旧くは鉄を産した。東南に阿育王山が在り、太白・天童等の諸山が在る。東北は海に臨む。鄞江が在り、一名を甬江という。東南に奉化江が在り、西北に慈溪が在り、皆流れ合わさって鄞江となる。西南に小江湖が在り、また西に広徳湖が在り、東に東銭湖が在り、皆水を引いて鄞江に流入する。北に龍山守禦千戸所が在り、洪武十九年十一月に置かれた。東に甬東巡検司が在り、甬東隅に治し、後に定海県東南の竹山海口に遷り、仍って旧名を用いた。また岱山・螺峯の二つの巡検司が在ったが、後に廃された。

慈谿県は府の西北に在る。元は慈谿といった。永楽十六年に「谿」を「溪」と改めた。西南に車廄山が在る。東北は海に臨む。南に慈溪が在り、一名を前江といい、即ち姚江の下流で、藍溪・文溪等の諸水が皆流れ合わさる。西北に鳴鶴塩課司が在る。また観海衛も西北に在り、洪武十九年一月に置かれた。また松浦巡検司が在り、浦東に治し、まもなく浦西に遷った。また向頭巡検司が在り、向頭寨に治し、まもなく洋浦に遷り、廃されたが、後に復した。

奉化県は府の南に在る。元は奉化州であった。洪武二年に降格して県となった。南に蓬島山が在り、また天門山が在る。西北に雪竇山が在る。北に奉化江が在り、また北渡江ともいい、また剡溪ともいう。東に市河が在り、東北に趙河が在り、皆南に流れて奉化江に入る。東に塔山、東南に鮚琦の二つの巡検司が在る。また公棠・連山・柵〓虚・東宿の四つの巡検司が在ったが、廃された。

定海県は府の東北に在る。東に候濤山が在り、一名を招宝山といい、上に威遠城が在り、山麓に靖海城が在り、共に嘉靖三十九年に置かれた。東北は皆海に臨む。海の中に舟山・金塘山・蛟門山が在り、また普陀落伽山が在り、大謝・小謝山が在る。南に大浹江が在り、その上流は即ち鄞江で、分流して小浹江となり、共に海に入る。南に清泉等の塩場が在る。また東北に定海衛が在り、本来は定海守禦千戸所で、洪武十四年四月に置かれ、二十年二月に衛に昇格した。東南に穿山後千戸所が在り、洪武二十七年九月に置かれた。また霩衢守禦千戸所・大嵩守禦千戸所が在り、共に洪武十九年十一月に置かれた。また舟山中中千戸所・舟山中左千戸所が在り、本来は元の昌国州で、洪武二年に降格して県となり、二十年六月に県が廃され、改めて置かれた。南に上岸太平嶴・西に管界寨の二つの巡検司が在る。また西北に施公山・南に長山の二つの巡検司が在ったが、後に廃された。また南に霞嶼巡検司が在り、本来は崎頭といい、正統年間に改名し、後に廃された。また舟山の東南に宝陀・西北に岑港、また舟山の東に岱山・西南に螺峯の四つの巡検司が在ったが、後に廃された。

象山県は府の東南に在る。南に石壇山が在り、また壇頭山ともいう。東・南・北の三面は皆海に臨む。その南に三萼山が在り、一名を三仙島といい、共に海中に在る。南に玉泉塩場が在る。また西南に昌国衛が在り、本来は昌国守禦千戸所で、洪武十二年十月に舟山に置かれ、十七年九月に衛と改められた。二十年に県南の天門山に移り、二十七年に県西南の後門山に遷った。また山の西南に石浦守御前・後二千戸所が在り、共に洪武二十年に置かれた。西北に銭倉守禦千戸所が在り、洪武十九年十一月に置かれた。西に爵溪守禦千戸所が在り、洪武三十年十二月に置かれた。北に陳山巡検司が在り、陳山に治し、まもなく県東南に遷った。西に爵溪巡検司が在り、姜嶼渡に治を遷した。南に石浦巡検司が在り、青山頭に治を遷した。また東に趙嶴巡検司が在り、寧海県より此処に遷った。皆仍って旧名を用いた。

台州府

台州府は元の台州路で、浙東道宣慰司に属した。洪武初年に府となった。六県を領する。西北は布政司まで四百四十里。

臨海県は倚郭である。西南に括蒼山が在り、一名を真隠山という。また東南に海門山が在り、金鰲山が在り、皆海に臨む。南に澄江が在り、一名を霊江といい、天台・仙居等の諸山の水が流れ合い、黄岩県に至って海に入る。また大海が東に在り、中に芙蓉山・高麗頭山が在る。また杜瀆塩場が在る。また海門衛も県の江に在り、洪武二十年二月に置かれた。その北は前千戸所で、洪武二十八年に置かれた。東北に桃渚前千戸所が在り、洪武二十年九月に置かれた。東に蛟湖巡検司が在り、海口の陶嶼に治を遷した。また連盤巡検司が在り、海口の長沙に治を遷した。共に仍って旧名を用いた。

黄岩県は府の東南に在る。元は黄岩州であった。洪武三年三月に降格して県となった。南に委羽山が在る。東に大海が在る。西北に永寧江が在り、即ち澄江の下流である。東南に塩場が在り、また長浦巡検司が在る。

天台県は府の西南に在る。西に天台山が在る。北に赤城山が在り、また石橋山が在り、皆天台山の支脈で、その絶頂を華頂峯という。また西南に始豊溪が在り、即ち澄江の上源である。また東に楢溪が在り、鉄を産する。その東は甬溪である。また西に胡竇巡検司が在ったが、廃された。

仙居県は府の西南に在る。西北に蒼嶺が在り、即ち括蒼山である。また永安溪が在り、下流もまた澄江に合流する。また西南に曹溪が在り、東に彭溪が在り、共に流れて永安溪に合流する。西に田寺巡検司が在ったが、後に廃された。

寧海は府の東北にあり。北に天門山あり。西北に龍鬚山あり、旧は銅鉄を産す。東は海に濱す。東北に鄞江あり、象山縣と界を接す。南に海遊溪あり、寧和溪あり、また東溪あり、東に鉄砂あり、これを冶して鉄となし、皆導流して海に入る。また梅嶴鎮あり、旧に鉄場あり。また南に健跳千戸所あり、洪武二十年九月に置く。東に越溪、また長亭、北に鉄場、南に曼嶴、東南に竇嶴の五巡検司あり。

太平は府の東南にあり。成化五年十二月、黄岩縣の太平郷を以て置き、楽清の地を分かちてこれを益す。南に大雷山あり。西北に王城山あり。西南に霊山あり、玉環山に接す。東南は海に濱し、大閭洋と曰い、中に鬆門・石塘・大陳等の山あり。また東に遷江あり、一名新建河、縣北に至り官塘河と曰い、北は黄岩縣に抵り、東は海に入る。東に鬆門衛あり、本は鬆門千戸所、洪武十九年十二月に置き、二十年六月に衛に昇る。東北に新河千戸所あり、洪武十九年十二月に置く。南に隘頑千戸所あり、西南に楚門千戸所あり、皆洪武二十年二月に置く。また東に盤馬、西に二山、また蒲岐の三巡検司あり。南に沙角巡検司あり、本は岐頭山下に治し、後に今の治に遷る。西南に小鹿巡検司あり、楚門所の横山後に遷りて治す。西に温嶺巡検司あり、廃す。

金華府

金華府は元の婺州路、浙東宣慰司に属す。太祖戊戌年十二月に甯越府と為す。庚子年正月に金華府と曰う。縣八を領す。東北、布政司より四百五十里を距る。

金華は倚郭なり。北に金華山あり。南に銅山あり、旧は銅を産す。城南に東陽江あり、また婺港と曰い、東陽縣より流れて此を経る。また南溪あり、縉雲縣より来たりてこれに合す、これを雙溪と謂い、また縠溪と曰い、合流して蘭溪に至りて信安江に会す。

蘭谿は府の西にあり。元は蘭谿州。洪武三年三月に降りて縣と為す。東に銅山あり、旧は銅を産す。西南に蘭溪あり、即ち彀溪なり、また大溪と曰い、一は衢州の衢港より、一は金華の婺港より、西南の蘭陰山下に会し、北は厳州界に入る。西北に平渡巡検司あり。北に霊泉郷・龍巖郷の二巡検司あり、廃す。

東陽は府の東にあり。東南に大盆山あり、東陽江ここより出で、縣北を経る、これを北溪と謂い、また東溪と曰う。西南に畫溪あり、下流して義烏縣に至りてこれに入る。東に永寧巡検司あり。また東南に瑞山・玉山あり。南に興賢・仁壽の二巡検司あり、廃す。

義烏は府の東やや北にあり。南に烏傷溪あり、即ち東陽江なり。西に智者同義郷、南に雙林明義郷、北に龍祈鎮の三巡検司あり、廃す。

永康は府の東南にあり。東南に銅山あり、旧は銅を産す。南に南溪あり、また永康溪と曰う。また東に孝義寨、南に義豊郷、東南に合徳郷の三巡検司あり、後に廃す。

武義は府の南やや東にあり。東北に永康溪あり、また茭道市あり。西に苦竹市あり。また北に白溪口市あり。

蒲江は府の東北にあり。西に深嫋山あり、蒲陽江ここより出で、東流して諸曁縣界に入る。東に楊家埠巡検司あり、後に廃す。

湯溪は府の西南にあり。成化七年正月、蘭溪・金華・龍遊・遂昌の四縣の地を分かちて置く。南に銀嶺あり。西北に縠江あり、即ち信安江なり。

衢州府

衢州府は元の衢州路、浙東道宣慰司に属す。太祖己亥年九月に龍遊府と為す。丙午年に衢州府と為す。縣五を領す。東北、布政司より五百六十里を距る。

西安は倚郭なり。永楽二十二年に越王府を建て、宣徳二年に除く。西に巖山あり。南に爛柯山あり、また爵豆山あり、旧は銀を出す。また西北に銅山あり、旧は銅・錫・鉛を出す。城の西南に衢江あり、その上源を大溪と曰い、江山縣より流入す。また西溪あり、また信安溪と曰い、開化縣より発源し、流れて此に至り大溪と合す、これを雙港口と曰う。また東に定陽溪あり、一名東溪、遂昌縣より流入し、衢江に合す。西南に厳剝、東南に板固の二巡検司あり。

龍遊は府の東にあり。東に龍丘山あり。北に梅嶺あり。また縠溪あり、すなわち衢江なり、一名盈川溪、また南に霊溪あり、遂昌県より流れて県南の霊山下を経て、また東北に流れてこれに入る。東に湖頭鎮巡検司あり。また北に水北、南に霊山の二巡検司あり、廃す。

常山は府の西にあり。三衢山あり。東に常山あり、すなわち信安嶺なり。北に金川あり、一名馬金溪、開化県より流入す。東に文溪あり、江山県より流入し、金川に合して、信安溪の上源となる。北に下坑、東南に鎮平の二巡検司あり、廃す。

江山は府の西にあり。東南に江郎山あり、仙霞嶺あり、仙霞関はその上にあり。城東に大溪あり、仙霞嶺の水の匯するところなり。また西に文溪あり。南に東山巡検司あり、もと仙霞嶺の下に治し、後に嶺上に遷す。また小竿嶺巡検司あり、廃す。

開化は府の西北にあり。金溪は城東にあり、その源は一つは馬金嶺より出で、一つは百際嶺より出で、城北に至り合流して南に流れ、すなわち金川の上源なり。北に金竹嶺巡検司あり。また西に雲臺、北に低阪、また馬金、南に華埠の四巡検司あり、廃す。

処州府

処州府は元の処州路にして、浙東道宣慰司に属す。太祖己亥年十一月安南府と為し、尋いで処州府と曰う。県十を領す。北布政司に距ること七百三十里。

麗水は倚郭なり。大溪は城南にあり、一名洄溪、龍泉県より流れて此れを経て、下流永嘉県に至り、海に入る。また東に好溪あり、本名は悪溪、東南大溪に達す。

青田は府の東南にあり。西に大・小連雲山あり。南に南田山あり。また南溪あり、すなわち大溪なり、また青溪と曰い、麗水県より流入す。西南に小溪流れ合す。南に淡洋巡検司あり、また北に黄壇巡検司あり、廃す。

縉雲は府の北にあり。東に仙都山あり、また縉雲山と名づく。また管渓官山あり。西南に馮公嶺あり、一名木合嶺、一名桃花隘。また東に好溪あり、源は県東北の大盆山より出で、管渓は東より流れて合す。また北に南源渓あり、また南渓と曰い、下流永康渓と為り、東陽江に入る。

松陽は府の西にあり。北に竹〓客嶺あり。西に松渓あり、南に竹渓流入し、下流麗水県に至り、大溪に入る。また西南に浄居巡検司あり、廃す。

遂昌は府の西にあり。南に双渓あり、二源あり、県南に至り合流す。また東に流れて西明山の南を経て、二つに分かれる。その一つは龍泉県の大溪に入り、その一つは東渓と為り、松陽県に入り、松渓と為る。北に馬歩巡検司あり。

龍泉は府の西南にあり。南に匡山あり、建渓の水ここより出づ。南に大溪あり、源は台湖山より出で、また霊渓あり、県北より流れて合し、東に雲和県の界に入る。南に慶元巡検司あり、査田市に治す。

慶元は府の西南にあり。洪武三年三月省す。十三年十一月復た置く。西南に松源水あり、南に流れて福建に入り、松渓県の松渓と為る。

雲和は府の西南にあり。景泰二年麗水県の地を分けて置く。南に大溪あり、西に黄渓流入し、東に麗水県の界に入る。また西に七赤渡あり。東に石塘隘あり。

宣平は府の北にあり。もと麗水県の鮑村巡検司なり。景泰三年県と改め、而して巡検司を県の後陶に徙し、仍って故の名とす、尋いで廃す。西北に礱坑山あり、旧く銀を産す。南に玉巌山あり、また会高山あり、鉱を産す。また南に虎蹐渓あり、麗水県の大溪に流れ会す。

景寧府の南に在る。景泰五年に青田県を分割して設置された。南に敕木山が在る。東に礦坑嶺が在る。西に彪溪が在り、東北に大匯灘が在り、下流はいずれも青田県の大溪に注ぐ。北に沐溪巡検司が在り、県南の大漈に移転してもなお旧名を用いた。また西に盧山巡検司が在ったが、後に廃された。東に龍首関が在り、また龍匯関・白鹿関が在る。いずれも嘉靖年間に設置された。

温州府

温州府は元の温州路で、浙東道宣慰司に属した。洪武初年に府となった。五県を管轄する。西北は布政司まで八百九十里。

永嘉(倚郭)。西に岷岡山が在り、また鉄場嶺が在る。南に大羅山が在る。東は海に臨む。また永寧江が城北に在り、一名を甌江、また永嘉江と云い、蒼山・括蒼山等の諸溪が合流して府界に入り、さらに東流して海に注ぐ。江中に孤嶼山が在り、北岸の羅浮と相望む。また西北に安溪が在り、東北に楠溪が在り、いずれも甌江に注ぐ。城の西南にはまた会昌湖が在る。東に寧村守禦千戸所が在り、洪武二十年二月に設置された。東南に中界山巡検司が在り、後に県東の永昌堡に移転した。

瑞安府の南に在る。元は瑞安州であった。洪武二年に降格して県となった。正徳六年五月に県城を旧城の西に移し、海から三丈五尺離れ、潮害を避けた。西に陶山が在る。北に帆遊山が在る。城南に安陽江が在り、源は福建省政和県及び青田県の境界を発し、合流して此処に至り、瑞安江、また飛雲江と称し、渡し場に飛雲関が在り、東は海口に接する。また県東の海岸中に鳳凰等の諸山が在る。また県東北に海安守禦千戸所が、県東南に沙園守禦千戸所が在り、いずれも洪武二十年二月に設置された。東に東山巡検司が在り、本来は梅頭と称し、梅頭寨に治所を置いたが、後に移転し、改称した。

楽清府の東北に在る。東に北雁蕩山が在る。南は海に臨み、玉環山が在り、海中にある。また西北に荊溪が在る。また県治の傍らに東・西の二溪が在る。西南に館頭江が在る。西に象浦河が在り、東北に石馬港が在り、下流はいずれも海に達する。長林塩場が在る。また西に盤石衛が在り、洪武二十年二月に設置された。東に盤石守禦後千戸所が在り、成化五年に設置された。東北に蒲岐守禦千戸所が在り、これも洪武二十年二月に設置された。西に館頭巡検司が在り、県西南の岐頭寨に治所を移した。後に復した。東南に北監巡検司が在り、玉環山下に治所を置いたが、まもなく県東北の蔡嶴に移転し、さらに県東の白沙嶺に移り、また鶚頭に移り、さらに窯嶴山下に移ったが、なお旧名を用いた。

平陽府の西南に在る。元は平陽州であった。洪武三年に降格して県となった。西南に南雁蕩山が在り、玉蒼山が在る。また東南の海中に大巖頭山が在り、南麂山が在る。また西に前倉江が在り、また横陽江とも称し、東南に流れて江口関を経て海に注ぐ。南に天富南塩場が在る。また南に金郷衛が在り、蒲門守禦千戸所が在り、東北に壮士守禦千戸所が在り、いずれも洪武二十年二月に設置された。東南に舥艚及び斗門の二巡検司が在る。南に江口巡検司が在り、下埠に治所を置いたが、後に渡頭に移転した。また東に仙口巡検司が在り、県南の麦城山に移転したが、なお旧名を用いた。また東南に亀峯巡検司が在ったが、廃された。

泰順府の西南に在る。景泰三年に瑞安県の羅洋鎮を以て設置し、平陽県の地を分割してこれを補った。南に分水山が在り、上に関が在り、浙江・福建の分界点である。また西に白溪が在り、下流は福建省寧徳県に至って海に入る。また東に仙居溪が在り、瑞安県境に流れ入って海に注ぐ。北に池村巡検司が在る。南に三冠巡検司が在り、本来は洋望と称したが、後に改称した。東南に鴉陽巡検司が在ったが、後に廃された。また羅陽第一関が県東に在る。