明史

卷一百六 表第七 功臣世表二

始封曾孫五世六世七世八世九世十世十一世
淇國公 丘福 建文四年六月己巳、成祖即位。九月甲申、靖難の功績第一として、奉天靖難推誠宣力武臣淇國公に封じられ、禄二千五百石、世襲。永楽六年七月甲寅に禄千石を加増。七年八月、北征で戦死。爵位を追削され、家族は嶺南に移され、除籍。          
成國公 朱能 九月甲申に封じられ、第二、勲号は前と同じ、禄二千二百石、世襲。永楽四年十月、軍中で死去。東平王を追封、諡は武烈。勇 永楽六年七月壬子に襲封、甲寅に禄千石を加増。洪熙・宣徳年間、行在軍府をたびたび統率し、累進して太保となる。正統十四年、土木で死去。平陰王を追封、諡は武愍。儀 景泰三年五月丁酉に襲封、禄二千石。天順二年正月に禄五百石を加増。七年二月、南京を守備。成化二十二年に太子太傅を加増。弘治九年三月に死去。輔 弘治九年十二月己酉に襲封。十三年七月、南京を守備し、中府を統率。正徳五年七月に太子太傅を加増。六年十月、前府を掌る。嘉靖二年九月己丑に死去。太傅を贈られ、諡は恭僖。麟 嘉靖四年三月辛酉に襲封、六月に死去。      
    鳳:嘉靖八年九月壬寅に襲封。九年、神機営坐営に就任。十五年七月己未に死去。太保を追贈され、諡は栄康。希忠:嘉靖十五年九月甲子に襲封、軍務を屡々担当し、累進して太師となる。二十六年八月に禄百石を加増。隆慶五年五月に後府を統轄。万暦元年九月に死去。十月乙未に定襄王を追封、諡は恭靖。十一年八月癸亥に王爵を追奪。時泰:万暦二年に襲封。九月に死去。応楨:万暦八年二月己亥に襲封。十四年に自殺。鼎臣:万暦二十八年三月辛亥に襲封。翌年に死去。子無し。叔の応槐が襲封。  
       応槐:万暦二十九年九月己酉に襲封、左府を統轄。三十八年五月壬申に死去。純臣:万暦三十九年三月癸卯に襲封。崇禎三年十一月戊戌に太傅を加増。九年五月己酉に京営を総督。九月庚戌に辺関を巡視。十七年三月に賊に降伏し、殺害される。  
成陽侯 張武:九月甲申に封じられる、第三位、勲号は前同、禄千五百石、世襲。永楽元年十月に死去。潞国公を追贈、諡は忠毅。子無し、除封。          
泰寧侯 陳珪:九月甲申に封じられる、第四位、勲号は前同、禄一千二百石、世襲。永楽十七年四月に死去。靖国公を追封、諡は忠襄。         
 瑜 永楽17年7月癸丑に襲封。20年、北征で機を失い、獄に下されて死す。鐘 永楽22年8月辛未に襲封。宣徳5年正月に卒す。灝 宣徳5年4月丙申に襲封。7年に卒す。       
   瀛 宣徳10年2月丁卯に襲封。正統14年、土木で没し、寧国公を追封、諡は恭愍。       
   涇 正統14年11月丁酉に襲封。天順6年10月、広西を鎮守。成化7年9月、淮安に移鎮し、漕運を総督。8年7月に卒す。桓 成化8年12月甲子に襲封、禄千石。弘治元年8月、寧夏を鎮守。7年7月壬子に卒す。璇 弘治7年11月己酉に襲封、12月に禄千石を給与。正徳元年6月に卒す。儒 正徳6年7月丁丑に襲封。嘉靖3年10月、囲子手上直を管轄。12年に卒す。子無し。叔の璉が襲封。    
     璉 嘉靖13年閏2月丙寅に襲封、禄千石。23年に卒す。     
     ? 嘉靖24年正月庚申に襲封。31年12月壬子に卒す。良弼 嘉靖41年5月己亥に襲封。45年5月に府軍前衛を掌る。萬曆4年正月に南京右府を領し、操江を提督。14年正月に前府を領す。47年6月辛巳に京営を総督。天啓元年5月戊申に少保を加授。聞禮 天啓年間に襲封。延祚 天啓年間に襲封。崇禎元年に少保を加授。  
武安侯 鄭亨 9月甲申に封じられ、第五位、勲号は前同、禄一千五百石、世襲。宣徳9年2月乙丑に卒。漳国公を追封、諡は忠毅。能 宣徳10年2月丙辰に襲封。正統7年に卒。宏 正統11年2月癸卯に襲封。成化9年に南京中府を領す。13年2月に卒。英 成化13年に襲封。弘治3年8月に耀武営に坐し、陝西を鎮守。正徳11年10月甲寅に卒。綱 正徳12年3月癸未に襲封。嘉靖28年7月辛巳に卒。崑 嘉靖28年11月乙未に襲封。萬曆8年6月丁未に卒。維忠 萬曆8年12月己亥に襲封。12年7月に府軍前衛を掌る。26年に卒。    
      維孝 万暦二十六年十一月戊戌に襲封。天啓二年に卒。之俊 天啓二年に襲封。崇禎十七年、城が陥落し、賊に殺される。   
保定侯 孟善 九月甲申に封じられる、第六位、勲号は前と同じ、禄は一千二百石、世襲。永楽十年六月甲戌に卒。滕国公を追封され、諡は忠勇。瑛 永楽十一年六月癸亥に襲封。仁宗即位、十一月に罪により爵位を剥奪され、雲南に流される。宣徳十年二月己未に召還され、京衞を授かり、世襲指揮使となる。俊 天順元年七月癸酉に承天門の災害により、詔で伯爵を授かり、禄八百石。四年六月に卒。昂 天順四年十一月戊寅に襲封。成化八年十二月に卒。子の達は引き続き指揮使を襲封。       
同安侯 火真 九月甲申に封じられる、第七位、勲禄は張武と同じ。七年八月に北征で戦死し、除封。          
鎮遠侯 顧成 九月甲申に封じられる、第八位、加号は奉天翊運推誠宣力武臣、禄襲は張武と同じ。十二年五月丁酉に卒。夏国公を追封され、諡は武毅。興祖 永楽十三年二月甲午に襲封、正統十四年九月に爵位を削られる。景泰三年五月甲午に伯に復封。天順元年七月に侯爵に復爵。七年閏七月に卒。淳は天順八年四月丁酉に襲封し、禄は千石。成化九年三月に卒去。      
    溥は淳の従弟。成化九年七月癸丑に襲封し、支庶のため禄を減じ、八百石に止まる。弘治二年に湖広を鎮守。五年に太子太保を加え、前府を領す。十六年六月に卒去。諡は襄恪。仕隆は弘治十七年閏四月丁卯に襲封。正德四年八月に囲子手上直を領す。十六年に湖広を鎮守。嘉靖二年に太子太傅を加え、中府を領す。七年三月乙亥に卒去。諡は栄靖。寰は嘉靖七年に襲封。十年三月に紅盔将軍侍衞を領す。十七年四月に淮安を鎮守し、漕運を総督。二十九年七月に両広を鎮守。隆慶五年二月辛亥に京営を総べる。万暦七年六月に少保を加えられる。九年十二月甲午に卒去。諡は栄僖。承光は寰の従子。万暦十年四月丙申に襲封。十四年二月、前府僉書となる。二十六年九月己亥に卒去。大理は万暦中に襲封。二十四年正月に紅盔将軍を管す。天啓二年に太子太保を加えられる。肇迹は天啓中に襲封。崇禎元年七月に左府僉書となる。三年九月甲辰に少師を加えられる。十四年正月に南京右府を領し、操江を提督。十七年、城が陥落し、賊に死す。 
靖安侯 王忠は九月甲申に封じられ、第九位、勲号は丘福と同じ、禄は千石。永楽七年八月に北征し戦没。子がなく、除封。          
武城侯 王聰は九月甲申に封じられ、第十位、勲禄は張武と同じ。永楽七年八月に北征し、戦没。漳国公を追封され、諡は威毅。瑛は永楽7年12月戊戌に襲封。死去し、除封。         
永康侯徐忠は9月甲申に封じられ、第11位、勲号は前と同じ、禄は千一百石、世襲。永楽11年8月庚午に死去。蔡国公を追封され、諡は忠烈。安は永楽16年8月癸巳に襲封。成化17年12月に死去。錡は成化18年3月辛卯に襲封。弘治3年4月、五軍営坐営。8年4月に紅盔将軍宿衛を管轄。15年3月に死去。溥は弘治末に襲封。正徳4年4月に死去。      
    源は溥の庶兄。正徳8年3月壬申に襲封。嘉靖33年に死去。喬松は嘉靖34年5月甲辰に襲封。45年5月に南京右府を領す。隆慶5年5月に操江を提督。万暦10年に死去。文煒は万暦11年に襲封。19年に前府を領す。37年6月己未に死去。応坤は万暦37年11月壬寅に襲封。40年閏11月甲申に京営を総督。43年9月壬辰に死去。錫胤 天啓元年十月壬申に襲封。崇禎二年に卒去。叔父の応垣が襲封。  
       応垣 崇禎三年九月己酉に襲封。錫登 崇禎年間に襲封。十七年、城が陥落し、賊に殺害される。  
隆平侯 張信 九月甲申に封じられる、第十二位、勲号は前と同じ、禄千石、世襲伯。永楽二十二年九月丙申に世襲侯を授与。正統七年五月に卒去。鄖国公を追封、諡は恭僖。淳 正統八年に襲封。十年十一月に卒去。福 正統十二年閏四月に襲封。天順二年三月に卒去。弟の祐が襲封。       
   祐 天順二年十一月甲辰に襲封。成化年間に南京軍府を繰り返し統率。十七年三月に卒去。       
  禄 鋋の孫。正徳三年十一月丁酉に襲封。四年七月丁酉に卒去。瑋 正德十三年に襲封。嘉靖二十三年三月甲辰に罪により爵位を削られる。      
    桐 嘉靖三十七年十一月癸未に襲封。四十四年二月に湖広を鎮守。萬曆三年四月癸巳に卒す。炳 萬曆三年に襲封。四十五年に卒す。國彥 萬曆四十六年閏四月戊辰に襲封。拱薇 襲封の年は不詳。崇禎三年九月甲辰に太子太傅を加えられる。七年四月に南京中府の僉書となる。十一年に戦死。 
安平侯 李遠 九月甲申に封じられる、第十三、勳號は前と同じ、歳祿は千石。永楽七年八月に北征し、戦死。莒國公を追贈され、諡は忠壯。安 永楽七年十二月戊戌に伯を襲封。宣德二年に交阯征討で軍律を失い爵位を奪われる。天順元年に再び襲封。         
成安侯 郭亮 九月甲申に封じられる、第十四、勳號は前と同じ、祿は千二百石、世襲伯爵。永楽二十一年三月庚寅に卒す。興國公を追封され、諡は忠壯。晟 永楽22年8月辛未に侯を襲封し、禄は千石。正統14年8月に中府を領す。天順2年8月に卒す。         
 昂 天順3年2月乙丑に伯を襲封。6年に南京後府を領す。成化2年閏2月に卒す。鑛 成化6年正月辛丑に襲封。弘治5年11月に卒す。寧 弘治6年に襲封。正徳6年2月に紅盔将軍を管す。10年6月、南京前府。嘉靖元年12月庚子に卒す。瓚 寧の従子。嘉靖2年2月己卯に襲封。18年正月庚寅、揚威営坐営。応乾 嘉靖28年6月庚戌に襲封。万暦14年に卒す。邦柱 万暦14年に襲封。    
      邦相 万暦17年4月癸卯に襲封。36年5月戊戌に卒す。祚延 万暦38年2月庚午に襲封。40年に卒す。   
       祚久 万暦40年12月辛亥に襲封。天啓元年に卒す。   
      邦棟 天啓元年(1621年)8月癸酉に襲封。崇禎3年(1630年)9月甲辰に少保を加えられる。祚永 崇禎年間に襲封。14年(1641年)6月に南京前府を領す。   
思恩侯 房寛 9月甲申に封じられる(第15位)。禄800石。世襲指揮使。永楽7年(1409年)11月に卒去。          
興安伯 徐祥 9月甲申に封じられる(第16位)。奉天翊衛宣力武臣の号を加えられる。禄1000石。世襲都督僥事。永楽2年(1404年)5月に卒去。亨 永楽2年(1404年)に伯を襲封。正統9年(1444年)に寇討伐の功により侯に進封され、禄100石を加えられる。天順4年(1460年)2月に卒去。諡は武襄。賢 天順4年(1460年)に伯を襲封。成化5年(1469年)11月に卒去。盛 成化16年(1480年)11月甲申に襲封。弘治3年(1490年)8月、神機営左掖管操を務める。13年(1500年)6月に三千営管操を領す。17年(1504年)2月に卒去。良 盛の甥。正徳3年(1508年)12月壬午に襲封。嘉靖12年(1533年)に卒去。勲 嘉靖13年(1534年)8月丁酉に襲封。14年(1535年)に卒去。夢暘 嘉靖20年5月庚戌に襲封。萬曆4年2月辛未に前府を領す。31年12月卒。汝誠継栄 萬曆31年に襲封。33年4月己巳卒。子無し。叔の汝孝が襲封。 
        汝孝 萬曆37年9月癸未に襲封。崇禎初年に太子太保を加えられる。継本 襲封年不詳。治安 崇禎末年に襲封。17年に賊に殺される。
武康伯 徐理 9月甲申に封じられる、第17位、勲禄は徐祥と同じ。永楽6年2月卒。楨 永楽7年10月壬子に伯を襲封。正統9年6月卒。勇 景泰4年2月己丑に襲封、同年卒。子無し。除封。        
襄城伯 李濬 9月甲申に封じられる、第18位、勲禄は前と同じ、世襲指揮同知、後に侯に進封。永楽3年11月卒。隆は永楽四年九月己巳に伯を襲封。正統十二年に卒去。珍は正統十三年十二月甲戌に襲封。十四年に土木で戦死。侯を追贈され、諡は悼僖。        
  瑾は景泰元年六月庚子に襲封。成化四年八月己巳に都掌蠻平定の功で侯に進封。二十二年十月に太保を加官。弘治二年三月に卒去。芮国公を追封され、諡は壮武。黼は弘治二年九月己巳に伯を襲封。三年四月に幼官営で罪を得る。八年三月に揚威営で罪を得る。十一年五月壬寅に卒去。鄌は隆の孫、黼の従兄。弘治十一年八月戊子に襲封。十三年八月に右府を管轄。正德四年七月に卒去。全礼は正德四年十二月癸卯に襲封。十六年九月癸亥に南京前府を管轄し、操江を兼督。嘉靖十八年に卒去。太子少保を追贈され、諡は恭敏。応臣は嘉靖二十年二月乙丑に襲封。万暦十年に卒去。成功は承功とも作る。万暦十年に襲封。二十九年七月己巳に南京右府を管轄し、操江を兼務。三十六年十一月甲戌に卒去。祭葬を賜る。守錡は万暦三十八年二月癸亥に襲封。崇禎元年十一月辛未に京営を総督。国楨は崇禎三年に襲封。十六年十二月己巳に太子太保を加官し、京営を総督。翌年、城が陥落し、賊に捕らえられ殺害される。 
栄国公 張玉 東昌で戦死し、成祖即位後、追封され、諡は忠顕。洪熙元年三月に河間王を追封され、諡を忠武に改める。英国公 輔 九月甲申に信安伯に封ぜられ、第十九位、勲号・禄襲は徐祥と同じ。永楽三年十一月癸巳に新城侯に進封され、禄一千五百石、世襲。六年七月癸丑に安南の功により英国公に封ぜられ、禄三千石、世襲。二十一年に太師を加えられる。正統十四年に土木で没す。定興王を追封され、諡は忠烈。懋 景泰元年五月戊辰に襲封。成化年間に軍府を屡々領し、累進して太保に加えられる。正徳十年三月に卒す。寧陽王を追封され、諡は恭靖。崙 正徳十年十月癸酉に襲封。十二年九月に奮武営管操に坐す。嘉靖十四年六月乙卯に卒す。太保を贈られ、諡は荘和。溶 嘉靖十四年十一月甲申に襲封。四十四年十二月に左府を領し、太子太保を加えられる。万暦二年に少保を加えられる。元功 万暦十年三月甲申に襲封。二十四年十一月庚子に卒す。    
      元徳 万暦二十四年に襲封。二十六年五月に卒す。維賢 万暦二十六年十一月甲辰に襲封。三十七年十一月丁未に後府を領し、累進して少傅兼太子太保に加えられる。天啓三年七月に太保を加えられる。崇禎三年十一月戊戌に太師を加えられる。之極 崇禎十年正月戊申に見える。襲封の年は考証なし。世澤 崇禎十六年に襲封。城が陥落し、殺害された。世次は考証されていない。 
新昌伯 唐雲 九月甲申に封じられ、第二十位、勲禄は徐祥と同じ、世襲指揮使。永楽元年七月に死去。          
崇安侯 譚淵 夾河で戦死し、成祖が即位後、追封された。諡は壮節。新寧伯 忠 九月甲申に封じられ、禄千石。宣徳八年五月に死去。璟 宣徳十年二月丁卯に襲封。正統十四年六月に死去。裕 正統十四年十月丁巳に襲封。景泰三年三月に死去。       
   祐 天順元年六月癸巳に襲封。成化十七年に前府を領し、たびたび軍職を典し、太保を加えられた。正徳四年七月に五軍営を管轄。嘉靖四年に死去。諡は莊僖。綸 嘉靖四年閏十二月甲戌に襲封。十一年三月に南京前府を領す。二十七年に死去。功承 嘉靖二十七年八月辛未に襲封。三十六年十二月に南京左府を領す。隆慶元年二月丙午に死去。国佐 隆慶元年七月戊午に襲封。万暦二十七年六月甲申に死去。懋勛:万暦27年8月乙酉に襲封。天啓3年に死去。弘業:天啓年間に襲封。崇禎末年に賊に殺害される。  
応城伯 孫巖:9月甲申に封じられる(第21位)。勲禄は徐祥と同じ。永楽16年6月に死去。侯に追封され、諡は威武。亨:永楽18年正月に伯を襲封。永楽21年正月に死去。英:永楽21年2月己巳に襲封。翌年2月に死去。        
 傑:永楽22年9月戊子に襲封。宣徳5年に罪により投獄されるが、後に復権。景泰2年12月に死去。継先:景泰3年に襲封。弘治3年8月に五軍営囲子手を管轄。弘治16年9月に死去。鉞:弘治16年11月壬子に襲封。嘉靖18年に死去。岱:永爵:嘉靖19年10月壬午に襲封。嘉靖35年2月甲子に死去。文棟:嘉靖三十五年九月庚午に襲封。三十九年八月に中府の僉書を務める。萬曆十四年正月に南京後府を統領。十七年に死去。允恭:萬曆十七年六月庚辰に襲封。二十八年六月甲申に死去。廷勳:萬曆三十三年十月丙辰に襲封。崇禎三年九月甲申に少保を加えられる。十七年に賊により死去。  
富昌伯 房勝:九月甲申に封じられ、勲禄は前例に同じ、世襲の指揮使。永楽四年十月に死去。          
忻城伯 趙彝:九月甲申に封じられ、第二十三位、勲号と禄襲は徐祥と同じ。宣徳元年正月に死去、諡は武毅。榮:宣徳元年七月戊午に襲封。正統十四年七月に前府を統領。天順元年に南京軍府を管理。成化三年六月に死去。溥:成化四年七月丙戌に襲封。弘治十七年閏四月に死去。槿:溥の甥。弘治十八年九月甲申に襲封。正徳十三年正月に死去。武:正徳十三年十二月辛卯に襲封。嘉靖三十五年五月丁亥に死去。祖胤:嘉靖三十七年四月癸未に襲封。四十年に死去。     
     祖征:嘉靖四十二年九月癸卯に襲封。萬曆元年乙未に祿を奪われる。五年に卒す。泰修:萬曆六年に襲封。十一年十月、南京左府僉書となる。十四年正月に中府に改める。二十五年七月甲午に卒す。世新:萬曆二十六年九月丁酉に襲封。四十四年正月戊子に京營を総べる。之龍:泰昌元年九月丁亥に襲封。崇禎十六年十二月癸酉に南京を守備。大清兵が江南を下り、降る。  
雲陽伯 陳旭:九月甲申に封じられ、第二十四位、勲号・祿襲は前と同じ。永樂六年七月に祿五百石を加える。八年三月に卒す。子なく、除かれる。          
廣恩伯 劉才:九月甲申に封じられ、祿九百石、世襲指揮同知。宣德五年三月に卒す。          
忠誠伯 茹瑺:推戴の功により封じられ、奉天翊運守正文臣の号を加え、祿千石。後に、事に坐して獄に下り死す。          
順昌伯 王佐:推戴の功により封じられ、勲祿は徐祥と同じ、世襲指揮使。三年八月に罪ありて獄に下り死す。          
平江伯 陳瑄:推戴の功により封じられ、勲号・祿襲は前と同じ。永樂二十二年十一月に世伯を賜う。宣德八年十月に卒す。侯を追封され、諡は恭襄。佐:宣德十年二月丙辰に襲封。正統初年に卒す。豫は正統2年4月癸未に襲爵。14年11月に侯に進封。景泰4年に臨清を鎮守。5年11月に南京守備。天順7年9月に卒去。成化6年2月に黟国公を追贈、諡は莊敏。銳は天順8年10月丁酉に伯を襲爵。成化6年2月に両広を鎮守。8年に淮揚に改鎮。弘治元年閏正月に神機営を提督。8年に治河の功で太保を加え、累進して太傅に。15年12月に卒去。熊は弘治16年10月己末に襲爵。正徳元年5月に後府を領す。4年12月戊戌に劉瑾に逆らい爵位を削られ、海南に流刑。瑾が敗れると爵位を回復。6年12月庚子に卒去。垚は幼少で禄を給され、まもなく卒去。熊の系統は絶える。従子の圭が襲爵。     
     圭は嘉靖元年正月甲午に襲爵。22年6月に両広を鎮守。29年12月丙戌に後府を領す。33年4月に太子太傅を加え、錦衣衞を掌る。12月己丑に卒去。太傅を追贈、諡は武襄。王謨は嘉靖34年3月甲辰に襲爵。39年9月に両広を鎮守。隆慶4年10月に淮安を鎮守。万暦2年11月、前府僉書となり、まもなく卒去。胤兆は万暦4年5月に紅盔将軍を管し、侍衞として入直。啟は一説に啟嗣。万暦32年7月丁丑に襲爵。37年3月乙巳、前府僉書。治安は崇禎元年5月戊寅に侯襲を優給、その他は記録なし。 
定国公 徐増寿は徐達の次子。建文末に燕に通じた罪で誅殺。成祖が即位後、武陽侯を追封、諡は忠愍。永楽2年に公に進封、世襲。景昌 永楽二年六月己亥に襲封、禄二千五百石。二十二年に罪により禄を停止。洪熙元年に復帰。正統二年六月に卒。顕忠 正統三年十月丁巳に襲封。十三年四月に卒。永寧 景泰六年二月乙亥に襲封。成化二年に制書誤毀の罪で閑住。弘治十七年正月に卒。世英光祚 弘治十七年五月壬寅に襲封。正徳十五年十一月に中府を領す。嘉靖五年に太師を加えられる。八月に卒。諡は栄僖。延徳 嘉靖八年十一月癸卯に襲封。三十年正月庚子に中府を領す。隆慶元年十二月壬辰に卒。文璧 隆慶二年三月甲戌に襲封。五年三月に右府を領し太師を加えられる。万暦十一年九月に少保兼太子太保を加えられる。三十年六月に卒。諡は康恵。廷輔希?北白十? 万暦三十年十二月癸卯に襲封。崇禎三年に卒。允禎 崇禎三年に襲封。十六年に太子太保を加えられる。翌年、城が陥落し賊に殺される。
永春侯 王寧 太祖の娘・懐慶公主を娶る。建文年間に燕王(後の成祖)と通じた罪で投獄される。成祖が即位すると、奉天翊運推誠効義武臣に封じられ、禄千石、世襲を許される。永楽六年に罪を得て投獄される。後に赦免される。永楽九年九月に死去。世襲停止。          
広平侯 袁容 成祖の娘・永安公主を娶る。永楽元年五月甲申に功績により封じられ、禄千五百石、世襲を許される。宣徳三年十二月に死去。沂国公を追封され、諡は忠穆。袁禎 宣徳年間に襲封するが、まもなく死去。袁輅 袁禎の甥。成化二十二年十月丁未に襲封し、禄千石。弘治三年七月に死去。世襲停止。        
 袁瑄 天順元年七月に承天門の火災を機に侯爵を再授与される。成化十四年十一月に死去。         
 袁琇 成化十五年に襲封。         
富陽侯 李譲 成祖の娘・永平公主を娶る。永楽元年五月甲申に功績により封じられ、禄千石、世襲を許される。永楽二年八月乙未に死去。景国公を追封され、諡は恭敏。李茂芳 永楽二年に襲封。仁宗が即位すると、旧来の嫌疑により爵位を剥奪される。李輿 天順元年七月に伯爵を襲封。成化十五年八月に死去し、除籍。        
豊城侯 李彬 永楽元年五月丁亥に封じられ、勲号は丘福と同じ、禄千石、世襲を許される。永楽六年七月癸酉に禄五百石を加増される。永楽二十年正月に死去。茂国公を贈られ、諡は剛毅。賢は永楽二十一年二月己巳に襲封。宣徳八年五月に行在前府を領す。正統二年二月に大同を鎮守。十一年十二月に南京中府を領す。景泰元年五月に南京を守備。二年十一月壬寅に卒去。成化十年三月に豊国公を追封、諡は忠憲。勇は景泰四年に襲封。成化十四年十月に太子太保を加授。十八年九月に卒去。璽は成化十九年九月壬辰に襲封、禄は千石。弘治元年九月に囲子手官軍侍衛を領す。十七年に前禄を加授。正徳二年閏正月に卒去。       
   旻は璽の庶兄。正徳三年六月庚辰に襲封。十五年十二月に南京を協守。嘉靖二年に太子太傅を加授。六年十月に両広を鎮守。十年六月己巳に卒去。諡は武襄。熙は旻の従子。嘉靖十年十月甲午に襲封。二十一年七月に湖広を鎮守。二十九年十二月丙戌に前府を領す。三十一年八月戊寅に京営を総督。明年二月甲戌に卒去。儒は熙の従子。嘉靖三十六年二月乙巳に襲封、禄は五百石。隆慶四年五月丁丑に卒去。環は万暦元年正月甲辰に襲封。十九年正月、前府僉書。二十年八月に右府を領す。九月に操江を提督。二十九年に卒去。承祚は万暦三十年七月乙巳に襲封。崇禎元年に魏党に附して獄に下り、烟瘴に戍す。開先は崇禎三年に襲封。十七年三月に賊に死す。  
涇国公陳亨は成祖が入立し、追封。諡は襄敏。寧陽侯 懋 永楽元年(1403年)5月丁亥、父の亨の帰順の功績を兼ねて論じ、寧陽伯に封じられ、勲号は李彬と同じ、禄は千石、世襲。永楽7年(1409年)12月壬子に侯に進封され、禄は三千石に加増。洪熙元年(1425年)に世襲侯を授かる。宣徳10年(1435年)6月に寧夏を鎮守し、甘粛に移る。正統4年(1439年)10月に太保を加えられる。天順7年(1463年)7月に死去。濬国公を追封され、諡は武靖。輔 成化22年(1486年)2月己丑に襲封、禄千石。弘治元年(1488年)6月に罪により投獄。弘治8年(1495年)に死去。子なし。       
  潤 天順7年(1463年)12月戊戌に襲封。成化3年(1467年)6月に死去。        
  瑛 晟の子の輔が幼いため、瑛が代わりに襲封。 継祖 正徳元年(1506年)4月に襲封。嘉靖11年(1532年)2月に南京左府を領す。嘉靖28年(1549年)3月丁酉に神機営五千下を掌る。嘉靖35年(1556年)6月乙未に死去。維藩 嘉靖37年(1558年)正月戊寅に襲封。隆慶2年(1568年)8月壬午に死去。大紀 隆慶2年(1568年)11月庚申に襲封。隆慶5年(1571年)10月甲辰に中府を領す。翌年に死去。応詔 万暦10年(1582年)3月甲申に襲封。万暦31年(1603年)3月に前府を領す。万暦38年(1610年)6月に京営を総督。万暦48年(1620年)に死去。光裕 泰昌元年(1620年)9月戊子に襲封。崇禎元年(1628年)7月甲申に左府を領す。崇禎2年(1629年)に太子太保を加えられる。  
金郷侯 王真 成祖が即位すると、追封され、諡は忠壮、勲位は前と同じ。洪熙元年三月に寧国公に進封。成山侯 通 永楽元年五月丁亥に武義伯に封じられ、禄千石、世襲。十一年五月に成山侯に進封。仁宗即位時、後府を領し、太子太保を加えられ、禄は二千二百石に増加、世襲侯を許される。正統四年閏二月に罪により爵位削除。十四年に都督僉事として起用。景泰三年四月に死去。琮 天順元年七月壬午に成山伯の爵位を回復。五年に遼東を鎮守。六年に陝西を鎮守。八年に召還。成化三年に南京後府を領し、操江を兼務。五年五月に死去。鏞 成化十年十二月丁未に襲爵。弘治年間に累進して太子太傅を加えられる。嘉靖四年五月辛巳に死去。洪 嘉靖四年六月に襲爵。十一月に団子手上直を掌る。二十四年十月に死去。維熊 嘉靖二十五年四月辛卯に襲爵。隆慶四年十月乙卯に死去。応龍 隆慶五年四月丙申に襲爵。万暦二十三年七月辛巳に死去。允忠 万暦二十四年二月癸丑に襲爵。二十九年五月戊戌に南京を守り、中府を領す。三十七年四月己未に死去。国柱 万暦三十七年十二月庚申に襲爵。天啓元年六月甲申に南京左府を領す。二年六月甲申に太子太保を加えられる。道寧 崇禎四年九月乙亥に襲爵。九年八月に死去。 
         道允 崇禎十年に襲封。 
清遠伯 王友 永楽元年五月丁亥に封じられ、禄千石。六年七月癸丑に安南の功績により世侯に進み、禄五百石を加増。十二年九月に誹謗の罪で爵位を削られ、除籍。          
栄昌伯 陳賢 永楽元年五月丁亥に封じられ、禄千石、世襲。十三年十一月に卒去。智 永楽十四年八月己巳に襲封。宣徳元年四月丙寅に爵位を削られ、除籍。         
安郷伯 張興 永楽元年五月丁亥に封じられ、禄・襲封は前例に同じ。五年正月に卒去。勇 興の兄の子。永楽年間に襲封。安 永楽十五年九月庚申に襲封。宣徳十年五月丙寅に左府を領す。正統十一年四月に広東を鎮守。十四年九月に任中で卒去。        
  寧 景泰三年に襲封。弘治五年十一月に卒去。        
  恂 弘治六年に襲封。十一年二月に南京前府を領し、操江を督す。正徳二年正月に卒去。坤 正徳二年十二月乙未に襲封。六年三月、三千営の管操を務める。嘉靖三十三年二月戊戌に卒去。鐸:嘉靖三十三年五月壬戌に襲封。四十年四月辛亥に卒去。      
    鋐:嘉靖四十年十二月己巳に襲封。萬曆三年八月に前府を領す。十七年に卒去。世恩光燦:崇禎末に賊に死す。以上二世、襲年は考証なし。    
遂安伯 陳志:永樂元年五月丁亥に封じられ、禄・襲は前と同じ。八年五月に卒去。英:永樂八年九月壬辰に襲封。宣德二年四月に永平を鎮守。七年正月に卒去。塤:正統十一年二月丙寅に襲封。十四年八月に土木で没す。諡は榮懷。       
   韶:正統十四年に襲封。成化三年に事に坐して遼東に謫され、翌年に復す。弘治元年九月に三千営を領す。二年三月に右府を領し、累加して少保に至る。十七年二月に卒去。 鏸:弘治十七年五月戊戌に襲封。正德五年三月に紅盔將軍を管す。嘉靖元年四月に操江を提督し、屡々軍府を典す。十四年五月に団営を提督し、累加して太子太保となる。十八年二月に留守となる。澍:隆慶六年に襲封。万暦四年二月、紅盔将軍を管轄し入直。瑋:万暦二十八年十二月癸巳に襲封。崇禎元年に卒。秉衡:襲封年は考証なし。  
        長衡:崇禎十四年に襲封。  
永新伯 許誠:一説に成。永楽三年十月丙子、奸を発して封じられ、禄千石、世襲指揮使。十六年二月に卒。          
西寧侯 宋晟:永楽三年十一月癸巳、征西の功により封じられ、禄千一百石、世襲。五年七月に卒。琥:永楽六年七月壬子に襲封。洪熙元年正月に爵を削られる。         
 瑛:洪熙元年に襲封。宣徳十年正月に行在前府を領す。正統十四年七月癸巳、陽和で戦没。鄆国公を追封、諡は忠順。傑:景泰元年正月壬辰に襲封。誠:景泰六年九月戊戌に襲封。七年二月に右府を領す。天順元年二月に甘粛を鎮守、同年に卒。       
   天順2年3月壬寅に襲爵。成化8年12月に死去。成化11年2月戊子に襲爵。正徳2年閏正月に南京協守兼右府を領す。15年に辞任。正徳16年9月己酉に襲爵。嘉靖元年4月に五軍営を領す。5年11月に紅盔将軍を管し入直。9年3月に奮武営管操に就く。34年5月乙未に死去。嘉靖34年10月乙亥に襲爵。44年2月に中府を領す。嘉靖45年5月己亥に襲爵。閏10月甲午に死去。万暦年間に襲爵。20年9月に紅盔将軍を管す。25年10月乙亥に死去。万暦34年7月辛巳に襲爵。天啓7年に死去。別名は広夏。荘烈帝即位の際、12月丁酉に襲爵。3年9月甲辰に太子太保を加えられる。
          崇禎11年に襲爵。賊により死去。
柳升 永楽6年7月癸丑に安南の功により安遠伯に封ぜられ、禄千石、世襲。8年8月壬寅に侯に進封、禄五百石を加増。20年に世襲侯を賜る。宣徳2年9月に交阯で敗死。正統年間に融国公を追封、諡は襄愍。溥:宣徳10年(1435年)2月辛未に襲爵。正統元年(1436年)12月に中府を統領。3年(1438年)6月に広西を鎮守。14年(1449年)12月に神機営を統領。景泰5年(1454年)に再び広西を鎮守。天順元年(1457年)4月に右府を統領。5年(1461年)3月に卒去、諡は武肅。承慶景:天順5年(1461年)12月辛巳に襲爵。成化末年(1487年頃)に両広を鎮守。弘治7年(1494年)12月に罪により爵位を削奪。12年(1499年)に復爵。13年(1500年)6月に三千営を統領。15年(1502年)2月に卒去。文:弘治16年(1503年)正月己未に襲爵。正徳初年(1506年頃)に両広を鎮守し、後に湖広に移鎮、召還される。嘉靖11年(1532年)12月己亥に卒去。珣:嘉靖12年(1533年)4月丙戌に襲爵、禄は千石。13年(1534年)12月に両広を鎮守。18年(1539年)に禄を30石加増、少保を加授。22年(1543年)3月甲戌に卒去。太保を追贈、諡は武襄。震:嘉靖24年(1545年)正月丁亥に襲爵。29年(1550年)5月乙丑に南京を協守。隆慶5年(1571年)10月丙午に南京左府を統領。万暦11年(1583年)10月、南京中府僉書。懋勛祚昌:天啓元年(1621年)正月に襲爵。崇禎3年(1630年)9月甲辰に太子太師を加授。紹宗:崇禎7年(1634年)4月癸亥に甘粛を鎮守。以上の三世は、諸書では安遠伯と称するのみで、襲爵・卒去の詳細は不詳。 
建平伯 高士文:交阯で戦死し、追封され、禄は千三百石、世襲。福は永楽六年に襲封。二十二年九月に卒去。遠は洪熙元年二月戊申に襲封。正統十四年六月に前府を領す。成化十三年六月に召還。弘治元年七月に卒去。霳は弘治七年二月庚辰に襲封。十一年三月丁巳に五軍営管操を領す。嘉靖初年に卒去。子無く、除封。       
  進は弘治二年三月辛酉に襲封。六年十月に卒去。        
寧遠侯何福は永楽七年九月庚午に北征の功で封じられ、禄千石。翌年八月に罪により自殺し、除封。          
恭順伯吳允誠は本名把都帖木兒。永楽十年正月戊子に北征の功で封じられ、禄一千二百石、世襲。十五年四月に卒去。邠国公を贈られる。恭順侯克忠は永楽十六年二月戊申に襲封。洪熙元年に侯に進封、世襲。正統十四年八月庚申に宣府で戦没。瑾は正統十四年十月丙辰に襲封。天順五年七月庚子に曹欽の難で死去。涼国公を贈られ、諡は武壮。鑑は天順六年二月壬申に襲封。正徳元年十二月に卒去。世興は正徳二年四月丁丑に襲封。四年六月に三千営を掌る。嘉靖二十七年二月甲寅に襲爵。三十九年四月に左府を領す。四十二年二月に両広を鎮守。隆慶四年正月甲戌に京営を総督。萬曆二年十月に南京中府を領す。二十七年に卒。萬曆二十七年十一月丙午に襲爵。三十二年六月、右府僉書として紅盔将軍上直を管轄。三十七年九月に中府を領す。崇禎四年に卒。崇禎四年に襲爵。   
       襲爵の詳細は不明。崇禎十六年十二月庚午に卒。   
広寧伯 劉榮 永楽十七年九月壬子に封じられ、禄千二百石、世襲。十八年四月に卒。諡は忠武、侯に追進。永楽十八年十二月に襲爵。宣徳九年二月に卒。         
 宣徳十年二月丙辰に襲爵。正統十四年八月に大同を守備。景帝即位時に下獄。景泰三年五月に復職。天順元年二月に侯に進封、禄三百石を加増、右府を領し、累進して太子太傅となり、卒。追封で嶧国公、諡は忠僖。淮の子、安の甥。成化十二年六月庚寅に襲爵。十六年に卒。        
  成化十六年四月丙辰に襲爵。弘治二年九月に卒。弘治二年十二月丙申に襲爵。十二年二月に紅盔将軍上直を管轄。正徳四年十一月に後府を領す。嘉靖元年十二月壬午に卒。泰:嘉靖二年(1523年)二月己丑に襲封。四年(1525年)八月に練武営に坐す。九年(1530年)十一月丁亥に操江提督となり、軍職を歴任。世宗南巡の際、中府を領して居守。二十六年(1547年)八月甲辰に卒。諡は康順。允中:嘉靖三十一年(1552年)に襲封。三十九年(1560年)八月に中府僉書。四十五年(1566年)四月に前府を領す。嗣德:襲封年不詳。萬曆十一年(1583年)五月に紅盔將軍を管轄。十四年(1586年)二月、左府僉書。十八年(1590年)十一月壬寅に卒。子無し。叔の允正が襲封。    
     允正:萬曆十九年(1591年)に襲封。三十三年(1605年)六月己巳に卒。嗣爵:萬曆三十八年(1610年)九月戊申に襲封。四十一年(1613年)十一月乙丑に紅盔將軍上直を管轄。    
      嗣恩:崇禎十二年(1639年)に襲封。    
安陽侯 郭義:永樂十八年(1420年)十二月甲寅に封じられ、禄千一百石、奉天靖難武臣の号を加え、世襲指揮使。十九年(1421年)正月に卒。          
陽武侯 薛祿:永樂十八年(1420年)十二月甲寅に封じられ、勲号は前同、禄千五百石、三代皆侯爵に封じ、誥券を賜る。仁宗即位後、太子太保を加え、世襲侯爵を許し、辺境巡視を命じ、歳禄五百石を加える。宣德五年(1430年)に卒。追封鄞国公、諡は忠武。詵:宣德七年(1432年)八月壬子に襲封。十年(1435年)五月に前府を領す。正統四年(1439年)五月に卒。琮 景泰4年2月壬子に襲封。成化4年4月に卒。倫 成化12年7月丙辰に襲封、禄千石。弘治3年、神機営右哨。正徳16年9月、鼓勇営に坐す。翰 一に瀚と作す。嘉靖9年3月丙辰に襲封。19年12月壬午、紅盔将軍上直を管す。鋹 翰の従子。万暦5年9月戊辰に襲封。    
      鉦 襲封年不詳。万暦19年正月、前府僉事に任ず。濂 襲封年不詳。崇禎3年9月甲辰、太子太師を加う。京師陥落、賊に死す。   
恵安伯 金玉 薛祿と同日に封ぜられ、禄八百石、世指揮使。永楽19年に卒。          
永順伯 薛斌 薛祿と同日に封ぜられ、禄九百石、世指揮使。永楽19年9月丁未に卒。綬 永楽22年8月辛未、父の功を念い伯を襲封。正統14年8月庚申、鷂児嶺で戦没、侯を追封、諡は武毅。輔 景泰元年7月丁卯に襲封。成化12年正月に卒。勲は成化12年6月己丑に襲封。弘治4年10月に五軍営左掖に配属。正徳3年12月に五千営に配属。4年10月に南京前府提督操江を統率。6年6月に死去。       
武進伯朱栄は永楽20年9月辛未に北征の功績で封じられ、禄千二百石、世襲。洪熙元年7月に死去。侯を追封され、諡は忠靖。冕は洪熙元年10月乙酉に襲封し、行在左府を統率。宣徳2年に右府に改任。正統4年2月に大同を鎮守。14年7月癸巳に陽和で戦死。侯を追封され、諡は忠??。瑛は正統14年に襲封。天順4年12月に死去。雲は天順5年5月丙午に襲封。成化9年12月に死去。       
   霖は成化10年3月己酉に襲封。弘治2年9月に死去。潔は弘治3年2月戊申に襲封し、3月に歳禄八百石を支給。正徳3年正月に死去。本は正徳3年4月甲申に襲封。12年10月に死去。子なし。叔の江が襲封。     
    江は正徳13年3月丁卯に襲封。嘉靖12年5月に死去。      
    海は嘉靖18年9月戊申に襲封。21年5月に紅盔将軍上直を管轄。27年8月癸亥に死去。承勳 嘉靖三十七年三月乙卯に襲封。世雍 隆慶六年に襲封。萬曆十四年正月、後府僉書となり、引き続き紅盔将軍を管轄。子なし。天爵 世系は不詳。萬曆二十七年八月戊子に襲封。三十九年に卒去。自洪 別名は自弘。萬曆四十年十月壬午に襲封。崇禎三年九月甲辰に太傅を加えられる。  
安順伯 薛貴 初名は脱火赤、朱榮と同日に封じられ、禄九百石、世襲指揮使。洪熙元年に世襲伯を授かる。宣徳元年七月庚申に侯に進封、禄三百石を加増。五年二月に卒去。濱国公を追封、諡は忠壮。弟の可可帖木児が指揮使を襲封。忠 別名は貴の甥。天順元年七月に伯を襲封。六年十二月に卒去。珤 別名は珤龍。天順七年四月丁卯に襲封。弘治三年二月に卒去。子の昂は引き続き指揮使を襲封。       
忠勇王 金忠 本名は也先土干。永楽二十一年に部属を率いて帰順し封じられ、姓名を賜る。宣徳四年二月に累進して太保を加えられる。六年八月に卒去。          
栄国公 姚広孝 永楽十六年三月に追封、推誠輔国協力宣謀文臣の号を加えられ、諡は恭靖。          
景城伯 馬榮 永楽8年に追封、諡は壮武。          
新泰伯 張欽 永楽15年2月に追封、諡は剛勇。          
萊陽伯 周長 永楽15年2月に追封、諡は忠毅。          
成武伯 陳亨 別名は午。永楽16年3月に追封、諡は忠勇。          
平陰伯 朱崇 永楽20年2月に追封、諡は武襄。          
保昌伯 程寬 永楽20年正月に追封、諡は忠威。          

右は永楽朝の姚広孝以下、皆北平に従い、功績により追贈された者。