明史

本紀第十 英宗前紀

英宗法天立道仁明誠敬昭文憲武至德廣孝睿皇帝、諱は祁鎮、宣宗の長子なり。母は貴妃孫氏。生後四月にして皇太子に立てられ、ここに貴妃を冊立して皇后となす。

宣徳十年

宣徳十年春正月、宣宗崩ず。壬午、皇帝の位に即く。遺詔に遵い大事は皇太后に白いて行う。天下に大赦し、明年を以て正統元年と為す。午朝を始めて罷む。丁亥、尚書蹇義卒す。辛丑、戸部尚書黄福に南京守備機務を参賛せしむ。

二月戊申、皇太后を尊びて太皇太后と為す。庚戌、皇后を尊びて皇太后と為す。辛亥、弟祁鈺を封じて郕王と為す。甲寅、諸司の冗費を罷む。

三月戊寅、教坊司の楽工三千八百余人を放つ。辛巳、山陵の夫役一万七千人を罷む。丙申、三法司に諭し、死罪は臨決に際し、三覆奏して然る後に刑を加う。

夏四月壬戌、元の学士呉澄を以て孔子廟庭に従祀す。丁卯、久旱に因り布政司・按察司二司及び府州県の官を考察す。戊辰、給事中・御史を遣わし畿南・山東・河南・淮安の蝗を捕えしむ。

五月壬午、戸部言う、浙江・蘇・松の荒田の税糧二百七十七万余石を減除せんと請い、覆覈を加うることを請う。帝は覈実すれば必ず額を増して民の患いとならんとし、許さず。

六月丁未、天下に暴骸を瘞わしむ。辛酉、章皇帝を景陵に葬る。

秋七月丙子、山西の夏税の半を免ず。

八月丙午、光禄寺の膳夫四千七百余人を減ず。

九月壬辰、督漕総兵及び諸巡撫官に詔し、歳に八月を以て京に至り廷臣と議事せしむ。是の月、王振司礼監を掌る。

冬十月壬寅、使を遣わし阿台朵児只伯を諭す。辛亥、天下の衛所皆学を立つることを詔す。

十一月戊辰朔、日食あり。

十二月壬子、阿台朵児只伯が涼州鎮番を犯す。総兵官陳懋、黒山にてこれを破る。

この年、琉球中山・暹羅・日本・占城・安南・満剌加・哈密・瓦剌が朝貢す。

正統元年

正統元年春正月丙戌、銅仁の金場を罷む。庚寅、禁軍三万人を発して畿輔に屯田せしむ。

三月己巳、周旋らに進士及第・出身を賜うこと差等あり。乙亥、経筵に御す。

夏四月丁酉朔、太廟を享く。

五月丁卯、阿台朵児只伯、肅州を寇す。壬辰、提督学校官を設く。

秋八月甲戌、右都督ととく蔣貴を総兵官と充て、都督同知趙安をその副とし、師を帥いて阿台朵児只伯を討たしむ。

九月癸卯、侍郎何文淵・王佐、副都御史朱與言を遣わし、両淮・長蘆・浙江の塩課を督めしむ。欽差巡塩はここに始まる。庚申、黎利の子麟を封じて安南国王とす。

冬十一月乙卯、詔して京官三品以上は御史に堪え任ずる者を挙げ、四品及び侍従言官は知県に堪え任ずる者を挙げ、各一人とせしむ。湖広の被災税糧を免ず。

十二月丁丑、辺議の稽緩を以て、兵部尚書王驥・侍郎鄺埜を獄に下し、尋いでこれを釈す。乙酉、湖広・貴州総兵官蕭授、広西の蒙顧十六洞の賊を討ち、これを平ぐ。

この年、琉球中山・爪哇・安南・烏斯蔵・占城・瓦剌が朝貢す。宣徳時に来貢した古里・蘇門答剌等十一国の使臣を遣わして国に還らしむ。

正統二年

二年春正月甲午、宣宗の神主を太廟に祔す。己亥、大同総兵官方政・都指揮楊洪、寧夏・甘肅の兵と会し、塞を出て阿台朵児只伯を討つ。

三月甲午、囚を録す。戊午、御史金敬、大名及び河南・陝西の逃民を撫輯す。

夏四月、河南の被災田の税糧を免ず。

五月庚寅、兵部尚書王驥に甘肅の辺務を經理せしむ。壬寅、刑部尚書魏源に大同の辺務を經理せしむ。丁未、陝西平涼六府の旱災による夏税を免ず。

六月乙亥、宋の胡安国・蔡沈・真德秀を以て孔子廟庭に従祀す。庚辰、副都御史賈諒・侍郎鄭辰に河南・江北の饑を振恤せしむ。

冬十月甲子、鎮守甘肅左副総兵任礼を総兵官に充て、都督蔣貴・都督同知趙安を左・右副総兵とし、兵部侍郎柴車・僉都御史曹翼・羅亨信に軍務を参賛せしめ、阿台朵児只伯を討たしむ。兵部尚書王驥・太監王貴これを監督す。

十一月乙巳、河南の饑を振恤し、税糧を免ず。

是の年、琉球中山・撒馬児罕・暹羅・土魯番・瓦剌・哈密、貢を入る。

正統三年

三年春三月己亥、京師地震す。辛丑、陝西の饑を振恤す。

夏四月乙卯、王驥・任礼・蔣貴・趙安、阿台朵児只伯を襲撃し、大いにこれを破り、黒泉に追いて還る。癸未、大同に馬市を立つ。

六月癸酉、旱を以て中外の疑獄を讞す。乙亥、都督方政・僉事張栄、征南将軍黔国公沐晟・右都督沐昂とともに、麓川の叛蠻思任発を討つ。

秋七月癸未、礼部尚書胡濙を獄に下す。辛卯、戸部尚書劉中敷を獄に下す。尋いで俱にこれを釈す。

八月乙亥、陝西の饑を以て、雑犯死囚以下に銀を輸して罪を贖い、辺吏に送りて米に易えしむ。

九月癸巳、両畿・湖広の逋賦を蠲す。

冬十月癸丑、再び陝西の饑を振恤す。

十二月丙辰、刑部尚書魏源・右都御史陳智等を獄に下す。

この年、榜葛剌が麒麟を貢ぎ、朝廷内外で上表して賀した。琉球中山・暹羅・占城・瓦剌が入貢した。

正統四年

四年春正月壬午、方政が麓川の蛮を大寨で破り、空泥まで追撃したが、敗れて戦死した。

二月丁巳、総兵官蕭授が貴州計砂の叛く苗を平定した。

閏月辛丑、魏源・陳智らを釈放し、その官職を復し、併せて交阯を棄てた王通・馬騏の罪を赦した。

三月己酉、詔して天下を赦す。壬子、施槃らに進士及第・出身を差等を以て賜う。庚申、遼王貴烚を廃して庶人と為す。丁卯、黔国公沐晟が軍中に卒す。癸酉、南京及び在外の文武官軍の俸廩を増す。

夏五月庚戌、右都督沐昂を征南将軍と為し、総兵官を充て、思任発を討たしむ。丁卯、中外の囚を録す。

六月乙未、京師地震す。丁酉、京畿の水災を以て天地に祭告し、群臣に修省を諭す。戊戌、詔を下して寛卹し、直言を求む。

秋七月庚戌、両畿・山東・江西・河南の被災した税糧を免ず。壬申、冗官を汰す。

八月戊戌、沿海の備倭官を増設す。己亥、京師地震す。

冬十二月丁丑、都督同知李安を総兵官に充て、僉都御史王翺に軍務を参賛せしめ、松潘祈命簇の叛く番を討たしむ。

この年、琉球・占城・安南・瓦剌・榜葛剌・満剌加・哈密が入貢した。

正統五年

五年春正月己未、南郊にて天地を大祀す。

二月乙亥、侍講学士馬愉・侍講曹鼐を内閣に入れ機務に預からしむ。甲申、僉都御史張純・大理少卿李畛に畿内の流民を振撫せしむ。

三月戊申、北京の宮殿を建てる。

夏四月壬申、山西の未納租税を免除する。丙戌、祈命簇の番族を降す。

五月、麓川を征討し、参将張栄が芒市にて敗れる。

六月丁丑、両畿の被災田の税糧を免除する。戊寅、囚徒を記録する。

秋七月辛丑、刑部侍郎何文淵らを派遣して天下を分巡させ、備荒の政を修める。壬寅、楊栄卒す。

八月乙未、各辺境に荒政を修め行うことを命ずる。

九月壬寅、雲南の未納租税を免除する。

冬十一月壬寅、浙江の飢饉を賑済する。壬子、蘇州・松江・常州・鎮江・嘉興・湖州の水災による税糧を免除する。丁巳、広西の僧楊行祥が建文帝と偽称し、械にて京師に送られ、錦衣衛の獄に幽閉されて死す。乙丑、沐昂が師宗の叛蛮を討ち平らぐ。

十二月壬午、南畿・浙江・山東・河南の被災税糧を免除する。

この年、占城・琉球中山・哈密・烏斯藏が入貢す。

正統六年

六年春正月己亥朔、日食あるべきも見えず、礼官が表を奉って賀することを請うが、許さず。庚戌、南郊にて天地を大祀す。乙卯、莊浪の地が屡々震動するを以て、躬ら郊廟を祀り、使者を遣わして西方の嶽鎮を祭る。麓川征討を大挙し、定西伯蔣貴を平蛮将軍とし、都督同知李安・僉事劉聚を副とし、兵部尚書王驥に軍務を総督せしむ。

三月庚子、兵部侍郎于謙を獄に下す。

夏四月甲午、災異を以て使者を遣わし天下の疑獄を省みる。

五月甲寅、刑部侍郎何文淵・大理卿王文に在京の刑獄を記録せしめ、巡撫侍郎周忱・刑科給事中郭瑾に南京の刑獄を記録せしむ。于謙を釈放して大理少卿とす。

秋七月丁未、浙江・湖広の飢饉を賑恤す。

冬十月丁丑、戸部尚書劉中敷、侍郎呉璽・陳瑺をして長安ちょうあん門に荷校せしめ、旬余にして釈放し職に還らしむ。庚寅、畿内の被災税糧を免ず。

十一月甲午朔、乾清・坤寧の二宮、奉天・華蓋・謹身の三殿成る。大赦を行ふ。北京に都を定め、文武諸司を行在と称せず。癸卯、王驥麓川の上江寨を抜く。癸丑、河南・山東及び鳳陽等府の被災税糧を免ず。

閏月甲戌、再び劉中敷・呉璽・陳瑺を獄に下す。年を踰えて、中敷を釈放して民と為し、璽・瑺を辺に戍らしむ。

十二月、王驥麓川を克つ。思任發孟養に走る。丁未、師を班す。左副総兵李安余賊を高黎貢山に攻めて、敗績す。

是の年、占城・瓦剌・哈密貢を入る。

正統七年

七年春正月甲戌、南郊に於いて天地を大祀す。

二月庚申、天寿山に如く。

三月甲子、宮に還る。乙亥、陝西の屯糧を十の五を免ず。戊寅、劉儼等に進士及第・出身を賜ひ差有り。

夏四月甲午、陝西の飢饉を賑恤す。是の月、山西・河南・山東の被災税糧を免ず。

五月壬申、麓川平定の功を論じ、蔣貴を侯に進封し、王驥を靖遠伯とす。戊寅、皇后錢氏を立つ。丁亥、倭大嵩所を陥す。

六月壬子、戸部侍郎焦宏浙江に備倭す。

秋七月丙寅、陝西の飢民を賑恤し、民の鬻ぎし子女を贖ふ。

八月壬寅、復た王驥に命じて雲南軍務を総督せしむ。

九月甲戌、陝西より嘉禾を進め、礼臣賀表を請うも、許さず。

冬十月壬辰、兀良哈、広寧を犯す。乙巳、太皇太后崩ず。

十二月、誠孝昭皇后を献陵に葬る。

是の年、占城・瓦剌・哈密・琉球中山・安南・爪哇・土魯番・烏斯藏、貢を入れる。

正統八年

八年春正月丁卯、南郊にて天地を大祀す。

二月己丑、南京の冗官を汰す。戊戌、淮王瞻墺来朝す。丙午、荊王瞻堈来朝す。

夏五月己巳、再び平蛮将軍蒋貴・王驥に命じ師を帥いて麓川の思任発の子思機発を征せしむ。戊寅、雷、奉天殿の鴟吻を震わす。修省を勅す。壬午、大赦す。

六月丁亥、侍講劉球十事を陳ず。錦衣衛の獄に下す。太監王振、指揮馬順に使いて之を殺さしむ。甲辰、大理少卿薛瑄を獄に下す。

秋七月戊午、祭酒李時勉、国子監門にて枷を荷うこと三日。九月甲子、思機発降を請う。

冬十一月、宣宗の廃后胡氏卒す。

十二月癸未、山東復業の民の税糧を二年免ず。丙戌、駙馬都尉焦敬、長安右門にて枷を荷う。

是の年、占城・安南・瓦剌・哈密・爪哇、貢を入れる。

正統九年

九年春正月甲寅、右都御史王文、延安・寧夏の辺を巡る。辛酉、南郊にて天地を大祀す。辛未、成国公朱勇、興安伯徐亨、都督馬亮・陳懷、太監僧保・曹吉祥・劉永誠・但住と同く分道して兀良哈を討つ。

二月丙午、王驥が思機發を撃退し、その妻子を捕虜として献上した。王驥を召還した。

三月辛亥朔、新たに太学が完成し、先師孔子に釈奠を行った。甲子、朱勇らの軍が帰還した。楊士奇が卒去した。乙丑、兀良哈征討の功を叙し、陳懷を平郷伯に封じ、馬亮を招遠伯に封じた。成国公朱勇らはそれぞれ官位を進めた。

夏四月丙戌、翰林学士陳循を文淵閣に直らせ、機務に参与させた。丁亥、沙州及び赤斤蒙古の飢饉を救済した。

五月己未、法司に命じて在京の刑獄を記録させ、刑部侍郎馬昂に南京の刑獄を記録させた。

六月壬午、湖広・貴州の蛮族の飢饉を救済した。

秋七月己酉、駙馬都尉石璟を獄に下した。処州の賊葉宗留が福安の銀鉱を盗み、福建参議竺淵を殺害した。癸丑、河南の被災地の税糧を免除した。

閏月戊寅、福建・浙江の銀場を再び開いた。甲申、暴き出された骸骨を埋葬した。壬寅、雷が奉先殿の鴟吻を震わせた。

八月庚戌、陝西の被災地の税糧を免除し、民が売り払った子女を贖い戻した。甲戌、辺将に瓦剌の也先に備えるよう勅した。

九月丁亥、靖遠伯王驥・右都御史陳鎰に西北辺境の守備を管理させた。

冬十月丙午朔、日食があった。庚午、兀良哈が馬を貢ぎ、罪を謝した。

この年、両畿・山東・河南・浙江・湖広で大水があり、江河は皆溢れた。暹羅・琉球中山・瓦剌・安南・烏斯蔵・満剌加が入貢した。

正統十年

十年春正月丙戌、南郊で天地を大祀した。戊子、智勇の士を挙げるよう詔した。

二月丁巳、京師で地震があった。己未、陝西の未納租税を免除した。丙寅、兀良哈が馬を貢ぎ、辺境を犯した者の罪を許してくれるよう請うたが、許さなかった。壬申、天寿山に行幸した。

三月丙子、宮中に還った。庚辰、思機發が入貢して罪を謝した。庚寅、商輅らに進士及第・進士出身をそれぞれ賜った。

夏四月甲辰朔、日に食あり。庚申、詔して所在の有司に逃民の復業及び流移して食に就く者を飼わしむ。

六月乙丑、陝西の饑を振恤し、田租の三分の二を免ず。

秋七月乙未、河南・懐慶の倉粟を減糶し、山・陝の饑を済う。

八月癸丑、湖広の旱災による秋糧を免ず。丙辰、蘇・松・嘉・湖の十四府州の水災による秋糧を免ず。

冬十月戊辰、侍読学士苗衷を兵部侍郎と為し、侍講学士高穀を工部侍郎と為し、並びに内閣に入り機務に預かる。

十二月丙辰、緬甸、思任発を獲て、その首を斬り京師に送る。壬戌、河南の粟を輸して陝西の饑を振恤す。広西総兵官安遠侯柳溥、慶遠の叛蛮を討ち平らぐ。

是の年、琉球中山・哈密・亦力把里・安南・占城・満剌加・錫蘭山・撒馬児罕・烏斯蔵、貢を入れる。

正統十一年

十一年春正月己卯、南郊にて天地を大祀す。庚辰、太監王振等の弟姪に錦衣衛官を世襲せしむ。

二月辛酉、異気華蓋・奉天殿に見え、官を遣わし天地に祭告す。癸亥、詔して刑獄を恤む。

三月戊辰、戸部尚書王佐・刑部尚書金濂・右都御史陳鎰等を錦衣衛獄に下し、尋いで釈す。壬申、御史柳華、福建・浙江・江西の兵を督し鉱賊を討つ。癸酉、天寿山に如く。庚辰、宮に還る。

夏六月丙辰、京師地震す。

秋七月癸酉、市廛の税鈔を増す。庚辰、楊溥卒す。

八月戊戌、湖広の被災した秋糧を免ず。庚申、吏部尚書王直等を獄に下し、尋いで釈す。

九月辛巳、広西の瑶叛き、化州知州茅自得を執り、千戸汪義を殺す。

冬十月甲寅、給事中・御史を派遣し、諸辺の軍士に分けて賜与する。

十一月壬申、殊死以下の罪を減ずる。

この年、琉球中山・暹羅・安南・爪哇・回回哈密・占城・亦力把里・撒馬兒罕・烏斯藏が入貢する。

正統十二年

十二年春正月癸酉、南郊にて天地を大祀す。

三月癸亥、天寿山に至る。庚午、宮に還る。丙子、杭・嘉・湖の被災秋糧を免ず。

夏四月丁巳、蘇・松・常・鎮の被災秋糧を免ず。

五月己亥、大理少卿張驥が済寧及び淮・揚の饑饉を振恤す。

秋七月甲辰、各辺に勅して軍を練り瓦剌に備えしむ。

八月庚申朔、日食あり。

九月乙未、馬愉卒す。

この年、琉球中山・安南・占城・瓦剌・爪哇・哈密・暹羅が入貢する。

正統十三年

十三年春正月丁酉、南郊にて天地を大祀す。

三月戊子、詔して孟養宣慰司を責め思機発を献ぜしむ。壬寅、彭時らに進士及第・出身を賜うこと差あり。王驥は仍って軍務を総督し、都督同知宮聚を平蛮将軍と為し、総兵官を充て、師を帥いて思機発を討たしむ。

夏四月、浙江・江西・湖廣の被災地の秋糧を免ず。

五月丙戌、使者を遣わして山東の蝗を捕らしむ。甲辰、刑部侍郎丁鉉をして河南・山東の災民を撫輯せしむ。

秋七月乙酉、河が大名で決壊し、三百余里を水没させ、使者を遣わして蠲免と救済を行わしむ。己酉、河が河南で決壊し、曹・濮・東昌を水没させ、寿張の沙湾を潰決させ、運河の水路を損なう。工部侍郎王永和これを治めしむ。

八月乙卯、福建の賊鄧茂七乱を起こす。甲戌、御史丁瑄にこれを捕らえしむ。

冬十一月丙戌、寧陽侯陳懋を総兵官とし、保定伯梁珤・平江伯陳を副とし、太監曹吉祥・王瑾に火器を提督せしめ、刑部尚書金濂に軍務を参賛せしめ、鄧茂七を討たしむ。甲辰、処州の賊が金華諸県を流劫す。庚戌、永康侯徐安に山東の倭寇に備えしむ。

十二月庚午、広東の瑶賊乱を起こす。

この年、琉球中山・安南・占城入貢す。瓦剌の貢使三千人、賞が例のごとくならず、ここに釁を構う。

正統十四年

十四年春正月甲午、南郊にて天地を大祀す。乙巳、浙江・福建の銀課を免ず。

二月丁巳、御史丁瑄・指揮劉福、鄧茂七を延平にて撃ち斬る。己巳、王驥、思機発を金沙江にて破り、またこれを鬼哭山に破り、班師す。辛未、指揮僉事徐恭を総兵官とし、処州の賊葉宗留を討たしめ、工部尚書石璞に軍務を参賛せしむ。

三月戊子、天寿山に詣づ。癸巳、宮に還る。

夏四月庚戌、処州の賊崇安を犯し、都指揮呉剛を殺す。壬戌、湖廣・貴州の苗賊大いに起こり、王驥にこれを討たしむ。乙丑、御史十三人を遣わし、中官とともに福建・浙江の銀課を督せしむ。

五月丙戌、陳懋、沙県の賊を撃破す。壬辰、旱魃あり、太監金英、法司とともに囚を録す。己亥、侍読学士張益を文淵閣に直らしめ、機務に預からしむ。庚子、巡按福建御史汪澄を棄市に処し、併せて前巡按御史柴文顯を殺す。

六月庚戌、靖州の苗が辰溪を犯し、都指揮高亮戦死す。丙辰、南京の謹身殿その他の殿、災あり。甲子、修省す。詔して河南・山西の班軍で番休の者をことごとく大同・宣府に赴かしむ。乙丑、西寧侯宋瑛に大同の兵馬を総督せしむ。己巳、天下に赦す。戊寅、平郷伯陳懐・駙馬都尉井源・都督王貴・呉克勤・太監林寿に分かれて京軍を大同・宣府にて練兵せしめ、瓦剌に備えしむ。

秋七月己丑、瓦剌の也先、大同を寇し、参将呉浩戦死す。親征の詔を下す。吏部尚書王直、群臣を率いて諫むも、聴かず。癸巳、郕王に居守を命ず。この日、西寧侯宋瑛・武進伯朱冕、瓦剌と陽和にて戦い、敗没す。甲午、京師を発つ。乙未、龍虎臺に次ぐ。軍中夜驚く。丁酉、居庸関に次ぐ。辛丑、宣府に次ぐ。群臣たびたび駐蹕を請うも、許さず。丙午、陽和に次ぐ。

八月戊申、大同に駐屯す。鎮守太監郭敬諫めて、軍を返すことを議す。己酉、広寧伯劉安を総兵官と為し、大同を鎮守せしむ。庚戌、軍還る。丁巳、宣府に駐屯す。庚申、ワラ(瓦剌)の兵大いに至り、恭順侯呉克忠・都督呉克勤戦死し、成国公朱勇・永順伯薛綬これを救わんとし、鷂児嶺に至り伏兵に遇い、全軍尽く覆没す。辛酉、土木に駐屯し、包囲さる。壬戌、軍潰え、死者数十万。英国公張輔、泰寧侯陳瀛、駙馬都尉井源、平郷伯陳懐、襄城伯李珍、遂安伯陳塤、修武伯沈栄、都督梁成・王貴、尚書王佐・鄺埜、学士曹鼐・張益、侍郎丁鉉・王永和、副都御史鄧棨等、皆死し、帝北に狩す(捕らえられる)。甲子、京師敗報を聞き、群臣朝に聚まりて哭す。侍講徐珵南遷を請うも、兵部侍郎于謙不可とす。乙丑、皇太后命じて郕王に国を監せしむ。戊辰、帝大同に至る。己巳、皇太后命じて皇子見深を立てて皇太子と為す。辛未、帝威寧海子に至る。甲戌、黒河に至る。

九月癸未、郕王即位し、遥かに帝を尊びて太上皇帝と為す。