舊唐書

巻200下

巻200下

舊唐書

原文舊唐書

卷二百下

原文卷二百下

列傳第一百五十下 朱泚 黃巢 秦宗權

原文列傳第一百五十下 朱泚 黃巢 秦宗權

朱泚・黄巢・秦宗権

原文○朱泚黃巢秦宗權

朱泚

原文朱泚

朱泚は、幽州昌平の人である。曾祖父の利は、賛善大夫となり、礼部尚書を追贈された。祖父の思明は、太子洗馬となり、太子太師を追贈された。父の懐珪は、天宝初め、范陽節度使裴寛に仕えて衙前となり、折衝将軍を授けられた。安禄山・史思明が叛くと、累ねて管兵将となった。宝応年中、李懐仙が帰順すると、薊州刺史・平盧軍留後・柳城軍使に奏任された。大暦元年に卒し、累贈して左僕射となった。祖父・父の追贈は、いずれも朱泚のためである。

原文朱泚,幽州昌平人。曾祖利,贊善大夫,贈禮部尚書。祖思明,太子洗馬,贈太子太師。父懷珪,天寶初,事范陽節度使裴寬為衙前,授折沖將軍。及安祿山、史思明叛,累為管兵將。寶應中,李懷仙歸順,奏為薊州刺史、平盧軍留後、柳城軍使。大曆元年卒,累贈左僕射。祖、父之贈,皆以泚故也。

朱泚は父の資蔭により軍に従い、幼少より壮偉で、腰帯十囲、騎射武術も人に優れぬほどではなかった。外見は寛和のようであるが、内心は甚だ残忍であった。しかし財を軽んじ施しを好み、征戦のたびに得た賞賜の品は、直ちに麾下の将士に分け与えたので、これにより衆に推され、故にその凶謀を成し遂げることができた。初め李懐仙に隷属して部将となり、経略副使に改めた。朱希彩が李懐仙を殺害し、自ら節度使となると、朱泚が同姓であることを以て、甚だ委任信任した。朱希彩は政事に苛酷で、人々はその命に堪えられなかった。

原文泚以父資從軍,幼壯偉,腰帶十圍,騎射武藝亦不出人。外若寬和,中頗殘忍。然輕財好施,每征戰所得賞物,輒分與麾下將士,以是為眾所推,故得濟其凶謀。初隸李懷仙為部將,改經略副使。朱希彩既殺李懷仙,自為節度,以泚宗姓,甚委信之。希彩為政苛酷,人不堪命。

九年、就いて検校戸部尚書を加えられ、実封百戸を賜った。幽州及び河北諸鎮は、天宝末より逆乱の地となり、李懐仙・朱希彩と境を接する三節度使は、名こそ順向しているが、未だ朝謁したことがなかった。この時朱泚が率先して上表し、自ら歩騎三千人を率いて入朝することを請うた。詔して甲第を修造してこれを待たしめた。九月、朱泚は京師に至り、代宗は内殿に御して引見し、御馬二匹・戦馬十匹・金銀錦彩を甚だ厚く賜った。また器物十床・馬四十匹・絹二万匹・衣一千七百襲をその将士に賜い、宴犒の盛んなことは近時未だなかった。朱泚はまた上表し、京師に留まることを請い、これに従った。よってその弟の滔に御史大夫・幽州節度留後を兼ねさせた。なお河陽永平軍の防秋兵は、郭子儀がこれを統べ、決勝軍楊猷の兵は、李抱玉がこれを統べ、淮西鳳翔の兵は、馬璘がこれを統べ、汴宋・淄青の兵は、朱泚に統べさせた。

原文九年,就加檢校戶部尚書,賜實封百戶。幽州及河北諸鎮,自天寶末便為逆亂之地,李懷仙、朱希彩與連境三節度,名雖向順,未嘗朝謁。至是泚率先上表,請自領步騎三千人入覲,詔修甲第以待之。九月,泚至京師,代宗禦內殿引見,賜御馬兩匹、戰馬十匹、金銀錦彩甚厚。又以器物十床、馬四十匹、絹二萬匹、衣一千七百襲賜其將士,宴犒之盛,近時未有。泚又上表,請留京師,從之。因授其弟滔兼御史大夫、幽州節度留後。仍以河陽永平軍防秋兵,郭子儀統之;決勝軍楊猷兵,李抱玉統之;淮西鳳翔兵,馬璘統之;汴宋、淄青兵,俾泚統焉。

十一年八月、同平章事を加拝された。まもなく奉天行営に出鎮することを命じ、また金銀繒彩並びに内庫の弓箭を賜ってこれを寵した。十二年、検校司空しくうを加えられ、李抱玉に代わって隴右節度使となり、河西・沢潞行営兵馬事を権知した。

原文十一年八月,加拜同平章事。尋令出鎮奉天行營,復賜金銀繒彩並內庫弓箭以寵之。十二年,加檢校司空,代李抱玉為隴右節度使,權知河西、澤潞行營兵馬事。

徳宗が位を嗣ぐと、太子太師・鳳翔尹を加えられ、実封三百戸に至った。建中元年、涇州の将劉文喜が兵を阻んで乱を為すと、朱泚に四鎮北庭行軍・涇原節度使を加え、諸軍とともにこれを討たしめた。涇州が平定されると、朱泚に中書令を加え、鳳翔に還鎮させ、舒王譲をもって遥かに涇原節度を領させた。二年、朱泚に太尉を加えた。朱滔が反叛を企て、密かに人を遣わして朱泚と計議し、帛書を蠟丸の中に納め、髪髻の間に置いた。河東節度使馬燧がこれを捜索して獲り、以て上聞し、帛書及び派遣された使者を送った。朱泚は惶懼し、頓首して有司に帰罪することを乞うた。上はこれを慰めて曰く、「千里にして謀を同じくせず、卿の過ちにあらず」。三年四月、張鎰をもって朱泚に代えて鳳翔隴右節度留後とし、朱泚を京師に留め、実封一千戸に加え、一子に正員官を与え、その幽州盧龍節度・太尉・中書令は並びに元の如くとした。

原文德宗嗣位,加太子太師、鳳翔尹,實封至三百戶。建中元年,涇州將劉文喜阻兵為亂,加泚四鎮北庭行軍、涇原節度使,與諸軍討之。涇州平,加泚中書令,還鎮鳳翔,而以舒王讓遙領涇原節度。二年,加泚太尉。朱滔將反叛,陰使人與泚計議,以帛書納蠟丸中,置髮髻間。河東節度馬燧搜獲之,以聞,並送帛書及所遣使。泚惶懼,頓首乞歸罪有司。上勉之曰:「千里不同謀,非卿之過。」三年四月,以張鎰代泚為鳳翔隴右節度留後,留泚京師,加實封至一千戶,與一子正員官,其幽州盧龍節度、太尉、中書令並如故。

四年十月、涇原の兵が叛き、鑾駕は奉天に幸した。叛卒らは朱泚がかつて涇州を統べたことを以て、その権を失い閑居していることを知り、怏怏として乱を思った。群寇に帥なく、朱泚の政が寛大であることを幸い、乃ち相与に謀って曰く、「朱太尉久しく空宅に囚われたり、もし迎えて主と為せば、事必ず済まん」。姚令言は乃ち百余騎を率いて晋昌里の邸に朱泚を迎えた。朱泚は馬に乗り従を擁して北に向かい、燭炬星羅のごとく、観る者万計、含元殿に入居した。明日、白華殿に移り処し、ただ太尉と称した。朝官で朱泚に謁する者は、皆鑾駕を奉迎するよう勧めたが、既に朱泚の意に合わず、皆逡巡して退いた。源休が至ると、遂に人を屏いて時を移し、言多く悖逆であった。また盛んに成敗を陳べ、符命を称述し、その僭偽を勧めたので、朱泚は甚だこれを悦んだ。また李忠臣・張光晟が相次いで至り、皆官閑に積憤し、禍乱を楽んだ。鳳翔涇原の大将張廷芝・段誠諫は潰卒三千余を率いて襄城より至った。賊朱泚は自ら衆望の集まるところと謂い、僭窃の心、ここより定まった。乃ち源休を京兆尹・判度支とし、李忠臣を皇城使とした。段秀実は久しく兵権を失っていたので、推心してこれを委ねた。遂に鋭師三千を発し、乗輿を奉迎すると言いながら、実は密かに逆謀を有していた。段秀実は劉海賓と謀りて朱泚を誅せんとし、かつ叛卒の法駕を震驚するを虞れ、乃ち潜かに賊の兵符を為し、発した兵を追い返した。六日、兵は駱驛として還った。よって劉海賓とともに朱泚に謁見し、逆順の理を陳べたが、劉海賓が靴中より匕首を取ったところ、その覚めるところとなり、遂に前に進むことができなかった。段秀実は義をもって動かしがたいことを知り、急ぎ源休の象笏を奪い、挺てて朱泚を撃ち、仍って大呼して曰く、「反虜万段すべし」。朱泚は臂を挙げて首を衛い、段秀実が格闘するに、忷々然たり。李忠臣は馳せて朱泚を助け、朱泚は元来力多く、ただその面を破ったのみで、逆徒が噪ぎ集まり、段秀実・劉海賓は遂に並びに害された。

原文四年十月,涇原兵叛,鑾駕幸奉天。叛卒等以泚嘗統涇州,知其失權廢居,怏怏思亂。群寇無帥,幸泚政寬,乃相與謀曰:「朱太尉久囚空宅,若迎而為主,事必濟矣!」姚令言乃率百餘騎迎泚于晉昌里第。泚乘馬擁從北向,燭炬星羅,觀者萬計,入居含元殿。明日,移處白華殿,但稱太尉。朝官有謁泚者,悉勸奉迎鑾駕,既不合泚意,皆逡巡而退。源休至,遂屏人移時,言多悖逆。又盛陳成敗,稱述符命,勸其僭偽,泚甚悅之。又李忠臣、張光晟繼至,咸以官閑積憤,樂於禍亂。鳳翔涇原大將張廷芝、段誠諫以潰卒三千餘自襄城而至。賊泚自謂眾望所集,僭竊之心,自此而定。乃以源休為京兆尹、判度支,李忠臣為皇城使。須秀實久失兵柄,故推心委之。遂發銳師三千,言奉迎乘輿,實陰有逆謀。秀實與劉海賓謀誅泚,且虞叛卒之震驚法駕,乃潛為賊符,追所發兵。至六日,兵及駱驛而回。因與海賓同入見泚,為陳逆順之理,而海賓於靴中取匕首,為其所覺,遂不得前。秀實知不可以義動,遽奪源休象笏,挺而擊泚,仍大呼曰:「反虜萬段!」泚舉臂衛首,秀實格拉之,忷々然。李忠臣馳肋泚,泚素多力,才破其面,逆徒噪集,秀實、海賓遂並見害。

明日、関王をもって権に社稷を主とすと声言し、士庶競いて往きてこれを観た。八日、源休・姚令言・李忠臣・張光晟ら八人が朱泚を導き白華より宣政殿に入り、僭って偽位に即き、自ら大秦皇帝と称し、元号を応天元年とし、愚智みな憤心せざるはなかった。侍衛は皆卒伍で、行列十余人に過ぎなかった。偽詔を下して曰く、「幽囚の中にあり。神器自ら至る、豈に朕の薄徳の能く経営する所ならんや」。彭偃の詞である。偽って姚令言を侍中に任じ、李忠臣を司空兼侍中とし、源休を中書侍郎・平章事・判度支とし、蒋鎮を吏部侍郎とし、樊系を礼部侍郎・礼儀使とし、許季常を京兆尹とし、洪経綸を太常少卿とし、彭偃を中書舎人とし、裴揆・崔幼貞を給事中とし、崔莫を御史中丞とし、張光晟・仇敬忠・敬釭・張宝・何望之・段誠諫・張庭芝・杜如江を節度使とし、仍ってその兄の子の遂を太子とし、遥かに弟の滔を冀王に封じた。太尉・尚書令しょうしょれい、尋いでまた皇太弟と号した。

原文明日,聲言以關王權主社稷,士庶競往觀之。八日,源休、姚令言、李忠臣、張光晟等八人導泚自白華入宣政殿,僭即偽位,自稱大秦皇帝,號應天元年,愚智莫不憤心。侍衛皆卒伍,行列不過十餘人。下偽詔曰:「幽囚之中。神器自至,豈朕薄德所能經營。」彭偃之詞也。偽署姚令言為侍中,李忠臣為司空、兼侍中,源休為中書侍郎、平章事、判度支,蔣鎮為吏部侍郎,樊系為禮部侍郎、禮儀使,許季常為京兆尹,洪經綸為太常少卿,彭偃為中書舍人,裴揆、崔幼貞為給事中,崔莫為御史中丞,張光晟、仇敬忠、敬釭、張寶、何望之、段誠諫、張庭芝、杜如江為節度使,仍以其兄子遂為太子,遙封弟滔為冀王。太尉、尚書令,尋又號皇太弟。

十日、朱泚は自ら兵を率いて奉天を侵逼し、窃んだ威儀輦輅は道途に闐溢し、蟻聚の衆軍勢頗る盛んたり。姚令言を元帥とし、張光晟を副とし、李忠臣を京兆尹・皇城留守とし、中書省に居中させた。尋いで蒋鎮を門下侍郎とし、李子平を諫議大夫兼平章事とした。朱泚の軍は城下に合し、渾瑊・韓遊瑰がこれを防ぎ、朱泚の衆は大敗し、死者万計に及んだ。朱泚は軍を収めて奉天の東三里に下営し、大いに攻具を修めた。明日、朱泚はまた兵を分けて乾陵に営し下瞰すると、城内大いに震動した。

原文十日,泚自領兵侵逼奉天,竊威儀輦輅,闐溢道途,蟻聚之眾軍勢頗盛;以姚令言為元帥,張光晟為副。以李忠臣為京兆尹、皇城留守,居中書省。尋以蔣鎮為門下侍郎,李子平為諫議大夫兼平章事。泚軍合於城下,渾瑊、韓遊瑰禦之,泚眾大敗,死者萬計。泚收軍於奉天東三里下營,大修攻具。明日,泚又分兵營於乾陵下瞰,城內大震。

十一月三日、杜希全が朱泚の軍勢と漠穀で戦い、官軍は不利となり、これより朱泚はますます驕慢で大規模となった。王師は城壁に乗って戦い、人は百倍の勇気を奮い、賊軍は多く敗れて損害を受けた。あるいは野外に出て戦えば、官軍はまた利益を得た。朱泚はそこで大いに百姓を駆り立てて塹壕を埋めさせ、夜に攻城し、城中は奇計を設けてこれに応じたので、賊軍は退却縮小した。西明寺の僧法堅は巧妙な思慮があり、朱泚のために雲梯を造った。十五日の辰の刻、雲梯が城の東北隅に臨むと、城内は震駭した。渾瑊は侯仲莊に命じて大坑を設け、地道でこれを陥落させた。また火を放ってその雲梯を焼き、東風が起こり、我が軍を吹き、衆は甚だ危うかった。やがて風が戻り、賊軍を吹き、渾瑊は薪を増やし油を注ぎ、万の鼓が一斉に鳴り響き、風に吹かれて共に燃え盛り、須臾にして雲梯は凶徒どもと共に灰燼かいじんと化した。城中の三つの門から悉く兵を出し、王師はまた勝利し、その夜兵は再び出て攻撃し、朱泚の軍勢は大敗した。李懐光が五万人を率いて来援し、河北より至ると、朱泚の軍勢は惶恐し、ここにおいて大いに潰え、長い包囲は遂に解かれた。衆庶は、李懐光が三日遅ければ城は危うかったであろうと言った。

原文十一月三日,杜希全與泚眾戰于漠穀,官軍不利,自是泚益驕大。王師乘城而戰,人百其勇,賊多敗恤。或出野戰,官軍又獲利焉。泚乃大驅百姓填塹,夜攻城,城中設奇以應之,賊乃退縮。西明寺僧法堅有巧思,為泚造雲梯。十五日辰時,梯臨城東北隅,城內震駭。渾瑊使侯仲莊設大坑,為地道陷之。又縱火焚其梯,東風起,吹我軍,眾頗危。俄而風回,吹賊軍,瑊益薪潑油,萬鼓齊震,風吹俱熾,須臾雲梯與凶黨同為灰燼。城中三門悉出兵,王師又捷,其夜兵復出攻,泚眾敗績。李懷光以五萬人來援,自河北至,泚眾惶駭,因而大潰,長圍遂解焉。眾庶以懷光三日不至,城則危矣。

三十日の夜、朱泚は京城に逃げ至った。時に姚令言は城中に戦格と拋楼を造り、各坊ごとに団結させ、人心は大いに異なっていた。朱泚が奉天より戻ると、これを悉く撤去させ、言うには「攻戦は我に計略がある」と。これ以前は毎三五日ごとに、すなわち人を偽って城外より来たるようにさせ、周りを走り回って号令して言うには「奉天は既に陥落した!」と。百姓これを聞き、涙を流さぬ者はなく、道路は寂として物音がしなかった。時に台省の吏人が入るも、十数人に過ぎず、郎官は六七人であったが、また例年通りに挙選を行わせ、初めは数十人が状を陳べたが、旬日で皆退けられた。朱泚は自らその宅を潜龍宮と号し、内庫の珍貨瑰宝を悉く移してこれを満たした。識者は言う「『易』に『潜龍用いる勿れ』と称する。これは敗亡の兆しである」と。間もなく、百姓がその珍宝を掠奪し、朱泚はこれを禁止できなかった。

原文三十日夜,泚走至京城。時姚令言於城中造戰格拋樓,每坊團結,人心大異。泚自奉天回,乃悉令去之,曰:「攻戰吾自有計。」前此每三五日,即使人偽自城外來,周走號令曰:「奉天已破!」百姓聞之,莫不飲泣,道路闃寂。時有入臺省吏人,不過十數輩,郎官六七人,而亦令依常年舉選,初有數十人陳狀,旬日亦皆摒退。泚自號其宅曰潛龍宮,悉移內庫珍貨瑰寶以實之。識者曰:「《易》稱『潛龍勿用』,此敗徵也。」無幾,百姓剽奪其珍寶,泚不能禁止。

明年正月一日、朱泚は偽りの国号を漢と改め、天皇元年と称した。二月、李懐光は既に叛逆を図り、使者を遣わして朱泚と和を通じた。鑾駕は梁・洋に幸し、これより衣冠の潜匿していた者は、出て偽官を受ける者が十七八に及んだ。李懐光は初め朱泚と往来して通好甚だ密接で、銭穀金帛を以って互いに饋遺した。朱泚は書を送り、これを兄として事え、約して言うには「関中を削平すれば、山河を割拠し、永く隣国とならん」と。李懐光が決計して背叛し、乗輿を逼って遷幸させると、朱泚は偽詔書を下し、李懐光を臣礼をもって遇し、なお兵馬を徴発した。李懐光は既に売り渡されたことを知り、慚怒憤恥し、遂に衆を率いて河中に遁れ帰った。

原文明年正月一日,泚改偽國號曰漢,稱天皇元年。二月,李懷光既圖叛逆,遣使與泚通和。鑾駕幸梁、洋,自此衣冠之潛匿者,出受偽官十七八焉。懷光初與泚往復通好甚密,以錢穀金帛互相饋遺。泚與書,事之如兄,約云:「削平關中,當割據山河,永為鄰國。」及懷光決計背叛,逼乘輿遷幸,泚乃下偽詔書,待懷光以臣禮,仍徵兵馬。懷光既為所賣,慚怒憤恥,遂領眾遁歸河中。

三月、李晟・駱元光・尚可孤の軍勢は、悉く城東において累次朱泚の軍勢を破った。四月、朱泚は韓旻・宋帰朝・張庭芝らを遣わして武功を寇し、渾瑊が衆及び吐蕃の論莽羅と共に宋帰朝を大破し、逆党一万余人を武亭川にて殺した。

原文三月,李晟、駱元光、尚可孤之眾,悉於城東累敗泚眾。四月,泚使韓旻、宋歸朝、張庭芝等寇武功,渾瑊以眾及吐蕃論莽羅大敗歸朝,殺逆党萬餘人于武亭川。

五月、朱泚はまた仇敬忠を遣わして藍田を寇し、尚可孤がこれを撃ち、朱泚の軍勢を大破し、敬忠を擒えて斬った。李晟・駱元光・尚可孤は遂に全軍を挙げて斉しく進み、李晟は光泰門に屯し、逆徒が官軍を拒ぐも、王師は累次勝利した。二十八日、官軍は禁苑に入り、京師を収復し、逆党は大いに潰えた。

原文五月,泚又使仇敬忠寇藍田,尚可孤擊之,大破泚眾,擒敬忠斬之。李晟、駱元光、尚可孤遂悉師齊進,晟屯光泰門,逆徒拒官軍,王師累捷。二十八日,官軍入苑,收復京師,逆黨大潰。

朱泚は姚令言・張庭芝・源休・李子平・朱遂と共に数千人を率いて西に逃走し、その余党は或いは奔り竄り、或いは来降した。朱泚の軍勢は路に沿って潰散し、遂に涇州に奔り、僅か百余騎となった。田希鑒は門を閉ざし城壁に登り、朱泚は人を遣わして田希鑒に謂うには「我は汝に節度使を与えた。何故恩に背くのか」と。田希鑒はそこで人をして城上より朱泚の送った旌節を外に投げ捨てさせ、続いて火に投じて焼かせた。朱泚はそこで数里を過ぎ、旅舎にて休息した。朱泚の将梁庭芬が涇州に入り田希鑒を説いて言うには「公は先日馮河清を殺して背叛した。今は帰順したとはいえ、国家は必ず久しく容れず、公は他日禍を受けることを免れぬ。如何なることか門を開いて朱公を迎え入れ、共に大事を成さん」と。田希鑒はこれを然りとす。梁庭芬はそこで追い及んで朱泚にこれを言うと、朱泚は大いに喜び、梁庭芬をして却って涇州に往かせた。梁庭芬は自らに尚書・平章事を授けるよう請うたが、朱泚は従わなかった。梁庭芬は既に宰相を求めて得られず、再び涇州には往かず、朱泚に従って甯州彭原県西城屯に至り、再び朱泚の腹心朱惟孝と共に朱泚を射た。朱泚は逃走し、古い窖の中に墜ちた。朱泚の左右の韓旻・薛綸・高幽嵓・武震・朱進卿・董希芝が共に朱泚を斬り、宋膺に首を伝えて献上させた。朱泚の死時の年は四十三。姚令言は涇州に投じ、源休・李子平は鳳翔に逃走し、尋ねて共に斬り獲られた。宋帰朝は武功に敗れ、李懐光に降り、興元に送られて斬られた。ただ朱遂は獲られず、伝えられるところでは野人に殺されたという。或いは朱泚の婿の偽金吾将軍馬悦と共に党項部落に潜走し、数月にして幽州に達したという。

原文泚與姚令言、張庭芝、源休、李子平、朱遂以數千人西走,其餘黨或奔竄,或來降。泚眾緣路潰散,乃奔涇州,才百餘騎。田希鑒閉門登陴,泚令謂鑒曰:「我與爾節度,何故背恩?」希鑒乃使人自城上擲泚所送旌節于外,續又投火焚之。泚遂過數里,息於逆旅。泚將梁庭芬入涇州說田希鑒曰:「公比日殺馮河清背叛,今雖歸順,國家必不能久容,公他日不免受禍。何如開門納朱公,與共成大事!」希鑒以為然。庭芬乃追及泚言之,泚大悅,使庭芬卻往涇州。庭芬請授己尚書、平章事,泚不從。梁庭芬既求宰相不得,不復往涇州,從泚至甯州彭原縣西城屯,復與泚心腹朱惟孝共射泚。泚走,墜故窖中。泚左右韓旻、薛綸、高幽嵓、武震、朱進卿、董希芝共斬泚,使宋膺傳首以獻。泚死時年四十三。姚令言投涇州,源休、李子平走鳳翔,尋並斬獲。宋歸朝之敗武功,降于李懷光,送興元斬之。唯不獲朱遂,傳為野人所殺,或云與泚婿偽金吾將軍馬悅潛走党項部落,數月得達幽州。

朱泚の僭逆において、宦官の朱重曜は甚だ親密に用いられ事を為し、朱泚は毎度これを兄と呼んだ。時に賊中において臘月に大雨があり、偽星官が朱泚に謂うには「宗中の年長者を以ってその災変を禳うべし」と。朱泚はそこで朱重曜を毒殺し、王礼を以って葬った。京師が平定されると、またその屍を出して斬った。姚令言は自ら伝がある。

原文泚之僭逆,宦豎朱重曜頗親密用事,泚每呼之為兄。時賊中以臘月大雨,偽星官謂泚曰:「當以宗中年長者禳其災變。」泚乃毒殺重曜,而以王禮葬焉。及京師平,亦出其屍而斬之。姚令言自有傳。

黄巢

原文黃巢

黄巢は、曹州冤句の人で、本来は塩の販売を業としていた。乾符年中、凶荒が連年し、人は飢えて盗賊となり、河南は特に甚だしかった。初め、里人の王仙芝・尚君長が盗賊を集め、濮陽に起こり、城邑を攻め掠め、曹・濮及び鄆州を陥とした。先に謡言があり「金色の蛤蟆争って眼を努め、曹州を翻せば天下反す」と。王仙芝の盗賊が起こると、時の議論はこれを畏れた。左金吾衛上将軍斉克譲が兗州節度使となり、本軍を以って王仙芝を討った。王仙芝は懼れ、衆を率いて陳・許・襄・鄧を歴り、少長を問わず皆これを虜にし、衆は三十万と号した。三年七月、江陵を陥とした。十月、また将徐君莒を遣わして洪州を陥とした。時に王仙芝は表を奉って符節を請うたが、允されなかった。神策統軍使宋威を荊南節度招討使とし、中使楊復光を監軍とした。楊復光は判官呉彦宏を遣わして朝廷が罪を釈し、別に官爵を加えることを諭すと、王仙芝は尚君長・蔡温球・楚彦威に命じて相次いで闕に詣でて罪を請わせ、且つ恩命を求めた。時に宋威は楊復光の功を害し、共に擒えて闕に送り、勅により狗脊嶺にて斬った。賊は怒り、精鋭を悉くして官軍を撃ち、宋威の軍は大敗し、楊復光はその余衆を収めて統率した。朝廷は王鐸を代わりに招討とした。五年八月、亳州を収復し、王仙芝の首を斬って闕下に献じた。

原文黃巢,曹州冤句人,本以販鹽為事。乾符中,仍歲凶荒,人饑為盜,河南尤甚。初,里人王仙芝、尚君長聚盜,起于濮陽,攻剽城邑,陷曹、濮及鄆州。先有謠言云:「金色蛤蟆爭努眼,翻卻曹州天下反。」及仙芝盜起,時議畏之。左金吾衛上將軍齊克讓為兗州節度使,以本軍討仙芝。仙芝懼,引眾曆陳、許、襄、鄧,無少長皆虜之,眾號三十萬。三年七月,陷江陵。十月,又遣將徐君莒陷洪州。時仙芝表請符節,不允。以神策統軍使宋威為荊南節度招討使,中使楊復光為監軍。復光遣判官吳彥宏諭以朝廷釋罪,別加官爵,仙芝乃令尚君長、蔡溫球、楚彥威相次詣闕請罪,且求恩命。時宋威害復光之功,並擒送闕,敕於狗脊嶺斬之。賊怒,悉精銳擊官軍,威軍大敗,復光收其餘眾以統之。朝廷以王鐸代為招討。五年八月,收復亳州,斬仙芝首獻于闕下。

先に、尚君長の弟尚譲は兄が使を奉じて誅殺されたのを見て、部衆を率いて嵖岈山に入った。黄巢・黄揆の兄弟八人は、盗賊数千を率いて尚譲に依った。一月余りで、衆は数万に至った。汝州を陥とし、刺史王鐐を虜にし、また関東を掠めた。官軍が討伐を加えるも、屡々これに敗れ、その衆は十余万となった。尚譲はそこで群盗と共に黄巢を推して王とし、沖天大将軍と号し、なお官属を置き、藩鎮はこれを制することができなかった。時に天下は承平の日が久しく、人は兵を知らなかった。僖宗は幼主として臨朝し、号令は臣下より出た。南衙北司は互いに矛盾し、以って九流は濁乱し、時に朋党多く、小人の才が勝ち、君子の道は消え、賢豪は忌み憤み、草沢に退いた。一朝変有るや、天下は離心した。黄巢の起こりに、人士はこれに従って附いた。或いは黄巢が四方に檄を馳せ、章奏を論列するに、皆朝政の弊を指目し、蓋し士の不逞の者の言辞であった。黄巢の徒党は既に盛んとなり、王仙芝と形援を為した。王仙芝が敗れると、東に亳州を攻めて下さず、乃ち沂州を襲い破ってこれを拠った。王仙芝の余党は悉くこれに附いた。

原文先是,君長弟讓以兄奉使見誅,率部眾入嵖岈山。黃巢、黃揆昆仲八人,率盜數千依讓。月餘,眾至數萬。陷汝州,虜刺史王鐐,又掠關東。官軍加討,屢為所敗,其眾十餘萬。尚讓乃與群盜推巢為王,號沖天大將軍,仍署官屬,籓鎮不能制。時天下承平日久,人不知兵。僖宗以幼主臨朝,號令出於臣下。南衙北司,迭相矛盾,以至九流濁亂,時多朋黨,小人才勝,君子道消,賢豪忌憤,退之草澤。既一朝有變,天下離心。巢之起也,人士從而附之。或巢馳檄四方,章奏論列,皆指目朝政之弊,蓋士不逞者之辭也。巢徒党既盛,與仙芝為形援。及仙芝敗,東攻亳州不下,乃襲破沂州據之。仙芝餘黨悉附焉。

時に王鐸は招討の権を帯びながらも、攻取に緩やかであった。時に高駢は淮南に鎮し、表を奉って賊の招討を請い、これを許され、都統を加える議があった。黄巢は淮を渡り、偽って高駢に降った。高駢は将張璘を遣わし、兵を率いて天長鎮で降を受けた。黄巢は張璘を擒らえて殺し、その衆を虜にした。やがて南に湖・湘を陥し、遂に交・広を占拠した。越州観察使崔璆に託して奏し、天平軍節度を乞うたが、朝議は允さなかった。また官を除くことを乞うた。時に宰臣鄭畋と枢密使楊復恭が奏し、同正員将軍を授けんことを請わんとした。盧携がその議を駁し、率府率を授け、もし受けざれば、高駢をして討たしめんことを請うた。黄巢が詔を見て、大いに執政を詬り、また自ら表して安南都護・広州節度を乞うたが、これも允されなかった。然れども黄巢は士衆が烏合であるを以て、南海の地を拠り、永く窠穴と為し、坐して朝命を邀わんと欲した。

原文時王鐸雖銜招討之權,緩於攻取。時高駢鎮淮南,表請招討賊,許之,議加都統。巢乃渡淮,偽降於駢。駢遣將張璘率兵受降於天長鎮。巢擒璘殺之,因虜其眾。尋南陷湖、湘,遂據交、廣。托越州觀察使崔璆奏乞天平軍節度,朝議不允。又乞除官,時宰臣鄭畋與樞密使楊復恭奏,欲請授同正員將軍。盧攜駁其議,請授率府率,如其不受,請以高駢討之。及巢見詔,大詬執政,又自表乞安南都護、廣州節度,亦不允。然巢以士眾烏合,欲據南海之地,永為窠穴,坐邀朝命。

この年、春より夏に及び、その衆に大疫が起こり、死者は十の三四に及んだ。衆が北に帰り、大利を図らんことを勧めて請うた。黄巢は已むを得ず、広明元年、北に五嶺を逾え、湖・湘・江・浙を犯し、進んで広陵に逼り、高駢は門を閉じて自ら固く守り、過ぐる所の鎮戍は、風に望んで賊に降った。九月、淮を渡る。十一月十七日、洛陽らくようを陥し、留守劉允章が分司官を率いてこれを迎えた。続いて陝・虢を攻め、潼関に逼り、華州を陥し、将奮鈐を留めてこれを守らせた。河中節度使李都は詐って賊に表を進めた。朝廷は田令孜に神策・博野等の軍十万を率いて潼関を守らせた。時に禁軍は皆長安ちょうあんの富族で、世々両軍に籍し、豊かに給し厚く賜い、高車大馬を以て権豪に事え、少より長に至るまで、戦陣を知らなかった。初めて科集を聞き、父子聚りて哭き、出征を憚った。各々両市に於て万計の値を出し、傭雇の負販屠沽及び病坊の窮人を雇い、戦士と為し、刀を操り戟を載せて、䥞鋭を知らなかった。また宦官を将帥に任じ、駆りて関を守らせた。関の左に谷あり、行人を通ずるを得、平時は税を捉え、人の出入りを禁じ、これを禁穀と謂う。賊の至るに及んで、官軍はただ潼関を守り、禁谷を防がず、谷は既に官禁なれば、賊の逾ゆるを得ざると思った。尚譲・林言が前鋒を率いて禁谷より入り、潼関を夾攻した。官軍は大いに潰え、博野都は径ちに京師に還り、西市を燔掠した。

原文是歲自春及夏,其眾大疫,死者十三四。眾勸請北歸,以圖大利。巢不得已,廣明元年,北逾五嶺,犯湖、湘、江、浙,進逼廣陵,高駢閉門自固,所過鎮戍,望風降賊。九月,渡淮。十一月十七日,陷洛陽,留守劉允章率分司官迎之。繼攻陝、虢,逼潼關,陷華州,留將奮鈐守之。河中節度使李都詐進表於賊。朝廷以田令孜率神策、博野等軍十萬守潼關。時禁軍皆長安富族,世籍兩軍,豐給厚賜,高車大馬,以事權豪,自少迄長,不知戰陣。初聞科集,父子聚哭,憚於出征。各于兩市出值萬計,傭雇負販屠沽及病坊窮人,以為戰士,操刀載戟,不知䥞銳。復任宦官為將帥,驅以守關。關之左有谷,可通行人,平時捉稅,禁人出入,謂之禁穀。及賊至,官軍但守潼關,不防禁谷,以為穀既官禁,賊無得而逾也。尚讓、林言率前鋒由禁谷而入,夾攻潼關。官軍大潰,博野都徑還京師,燔掠西市。

十二月三日、僖宗は夜に開遠門より出で、駱谷に趨き、諸王官属相次いで奔命した。観軍容使田令孜・王若儔が禁軍を収合し扈従した。四日、賊は昭応に至り、金吾大将軍張直方が在京の両班を率いて賊を灞上に迎えた。五日、賊は京師を陥した。

原文十二月三日,僖宗夜自開遠門出,趨駱谷,諸王官屬相次奔命。觀軍容使田令孜、王若儔收合禁軍扈從。四日,賊至昭應,金吾大將軍張直方率在京兩班迎賊灞上。五日,賊陷京師。

時に黄巢の衆は累年盗を為し、行伍その富に勝えず、路に窮民に遇えば、争って行き施し遺した。春明門に入るや、坊市聚りて観、尚譲が市人を慰暁して曰く「黄王は生霊の為に、李家の汝輩を恤わざるに似ず、ただ各々家を安んぜよ」と。黄巢の賊衆は競って物を投げて人に遺した。十三日、賊の黄巢は位を僭し、国号を大斉とし、年号を金統と称し、仍って楼に御して赦を宣し、且つ符命を陳べて曰く「唐帝朕の起義を知り、元を改めて広明と為す。文字を以てこれを言えば、唐は已に天分無し。『唐』の『醜』『口』を去りて『黄』を安ずるは、天意黄を唐の下に令す、乃ち黄家の日月なり。土徳は金を生ず、予は金を以て王と為す、宜しく年を改めて金統と為すべし」と。賊は旧宰相を捜訪して獲ず、以前の浙東観察使崔璆・楊希古・尚譲・趙章を四相と為し、孟楷・蓋洪を左右軍中尉と為し、費伝古を枢密使と為し、王璠を京兆尹と為し、許建・朱実・劉塘を軍庫使と為し、朱温・張言・彭攢・季逵を諸衛大将軍・四面游奕使と為した。また驍ぎょう勇にして形体魁梧なる者五百人を選び、功臣と曰う。その甥林言を軍使と為し、控鶴に比した。

原文時巢眾累年為盜,行伍不勝其富,遇窮民于路,爭行施遺。既入春明門,坊市聚觀,尚讓慰曉市人曰:「黃王為生靈,不似李家不恤汝輩,但各安家。」巢賊眾競投物遺人。十三日,賊巢僭位,國號大齊,年稱金統,仍御樓宣赦,且陳符命曰:「唐帝知朕起義,改元廣明,以文字言之,唐已無天分矣。『唐』去『醜』、『口』而安『黃』,天意令黃在唐下,乃黃家日月也。土德生金,予以金王,宜改年為金統。」賊搜訪舊宰相不獲,以前浙東觀察使崔璆、楊希古、尚讓、趙章為四相,孟楷、蓋洪為左右軍中尉,費傳古為樞密使,王璠為京兆尹,許建、朱實、劉塘為軍庫使,朱溫、張言、彭攢、季逵為諸衛大將軍、四面游奕使。又選驍勇形體魁梧者五百人,曰功臣。令其甥林言為軍使,比之控鶴。

中和元年二月、尚譲が鳳翔を寇し、鄭畋が出師してこれを禦ぎ、龍尾坡にて賊を大いに破り、鄭畋は乃ち檄を馳せて天下の藩鎮に告げ諭した。四月、涇原行軍唐弘夫の師は渭北に屯し、河中王重栄の師は沙苑に屯し、易定王処存の師は渭橋に屯し、鄜延拓拔思恭の師は武功に屯し、鳳翔鄭畋の師は盩至に屯した。六月、邠寧朱玫の師は興平に屯し、忠武の師三千は武功に屯した。この年諸侯の勤王の師は、四面俱に会した。十二月、宰相王鐸が荊・襄の師を率いて行在より至り、鄭畋の帳下の小校竇玫なる者は、驍勇無敵で、毎夜敢死の士百人を率い、直ちに京師に入り、諸門に火を放ちて燔き、級を斬って還り、賊人は悚駭した。

原文中和元年二月,尚讓寇鳳翔,鄭畋出師禦之,大敗賊于龍尾坡,畋乃馳檄告喻天下籓鎮。四月,涇原行軍唐弘夫之師屯渭北,河中王重榮之師屯沙苑,易定王處存之師屯渭橋,鄜延拓拔思恭之師屯武功,鳳翔鄭畋之師屯盩至。六月,邠寧朱玫之師屯興平,忠武之師三千屯武功。是歲諸侯勤王之師,四面俱會。十二月,宰相王鐸率荊、襄之師自行在至,鄭畋帳下小校竇玫者,驍勇無敵,每夜率敢死之士百人,直入京師,放火燔諸門,斬級而還,賊人悚駭。

時に京畿の百姓は皆山谷に砦し、累年耕耘を廃し、賊は空城に坐し、賦輸入る所無く、穀食騰踴し、米一斗三十千。官軍は皆山砦の百姓を執り、賊に鬻いで食と為し、人数十万を獲た。朝士は皆往来して同・華に至り、或いは餅を売るを業と為し、因って河中に奔った。宰相崔沆・豆盧瓚は扈従に及ばず、別墅に匿れたが、所由の搜索厳急なるを以て、乃ち微行して永寧里の張直方の家に入った。朝貴は張直方の豪を恃み、多くこれに依った。既にして或る者賊に告げて云く「直方謀反し、亡命を納る」と。賊はその第を攻め、張直方は族誅され、崔沆・豆盧瓚数百人皆害に遇った。ここより賊は始めて酷虐となり、居人を族滅した。使を遣わして命を伝え、故相駙馬都尉于琮をその第に召した。于琮曰く「吾は唐室の大臣、黄家の草昧を佐うべからず、加之老疾なり」と。賊怒り、誅すを令した。広徳公主は賊と号咷して謂いて曰く「予は即ち天子の女、復た存すべからず、相公と俱に死すべし」と。この日並びに害に遇った。

原文時京畿百姓皆砦于山谷,累年廢耕耘,賊坐空城,賦輸無入,穀食騰踴,米斗三十千。官軍皆執山砦百姓,鬻于賊為食,人獲數十萬。朝士皆往來同、華,或以賣餅為業,因奔於河中。宰相崔沆、豆盧瓚扈從不及,匿之別墅,所由搜索嚴急,乃微行入永甯里張直方之家。朝貴怙直方之豪,多依之。既而或告賊云:「直方謀反,納亡命。」賊攻其第,直方族誅,沆、瓚數百人皆遇害。自是賊始酷虐,族滅居人。遣使傳命召故相駙馬都尉于琮於其第。琮曰:「吾唐室大臣,不可佐黃家草昧,加之老疾。」賊怒,令誅之。廣德公主並賊號咷而謂曰:「予即天子女,不宜復存,可與相公俱死。」是日並遇害。

二年、王処存が忠武の師を合し、賊将尚譲を敗り、勝に乗じて京師に入ったが、賊は遁去した。王処存は備えを為さず、この夜復た賊寇の襲を受け、官軍利あらず。賊は坊市の百姓が王師を迎えたるを怒り、乃ち城を洗うを下令し、丈夫丁壮は殺戮殆んど尽き、流血渠を成した。九月、賊将同州刺史朱温が王重栄に降る。十一月、李克用が代北の師を率い、夏陽より河を渡り、沙苑に屯した。

原文二年,王處存合忠武之師,敗賊將尚讓,乘勝入京師,賊遁去。處存不為備,是夜復為賊寇襲,官軍不利。賊怒坊市百姓迎王師,乃下令洗城,丈夫丁壯,殺戮殆盡,流血成渠。九月,賊將同州刺史朱溫降重榮。十一月,李克用率代北之師,自夏陽渡河,屯沙苑。

三年正月、沙苑にて黄揆を敗り、進んで乾坑に営す。二月、賊将林言・趙章・尚譲が衆十万を率いて華州を援く。李克用が河中・易定・忠武の師を合し、梁田坡に戦い、賊軍を大いに破り、俘斬数万、勝に乗じて華州を攻め、塁柵を以てこれを環した。李克用の騎軍は渭北に在り、薛志勤・康君立に令して毎夜京師に突入し、積聚を燔き、級を俘えて旋らしめた。黄揆は華州を棄て、官軍城を収む。四月八日、李克用が忠武騎将龐従と合し、渭南にて賊に遇い、決戦三たび捷ち、賊軍を大いに破る。十日夜、賊の黄巢は散走す。詰旦、李克用は光泰門より入り、京師を収む。黄巢の賊は藍田・七盤路より出で、東に関東に走る。天下兵馬都監押楊復光が露布を以て捷を行在に献じ、賊を破る事状を陳べて曰く。

原文三年正月,敗黃揆于沙苑,進營乾坑。二月,賊將林言、趙章、尚讓率眾十萬援華州。克用合河中、易定、忠武之師,戰于梁田坡,大敗賊軍,俘斬數萬,乘勝攻華州,塹柵以環之。克用騎軍在渭北,令薛志勤、康君立每夜突入京師,燔積聚,俘級而旋。黃揆棄華州,官軍收城。四月八日,克用合忠武騎將龐從遇賊于渭南,決戰三捷,大敗賊軍。十日夜,賊巢散走。詰旦,克用由光泰門入,收京師。巢賊出藍田、七盤路,東走關東。天下兵馬都監押楊復光露布獻捷於行在,陳破賊事狀曰:

近ごろ妖賊が霧の市に起こり、盗賊が叢祠に嘯き、而るに岳牧藩侯は、盗賊を備えるに謹まず。大同の運は常に奸を容るべしと謂い、無事の秋は其の悪を長ずるに縦すと謂う。賊首黄巢は、因って窟穴を充盈し、萑蒲に蔓延し、我が蒸黎を駆り、其の凶逆に徇う。鉏鶴を展べて鋒刃と成し、耕牛を殺して燔砲を恣にし、魑魅は昼に行き、虺蜴は夜に噬ぜいむ。南海失守より以来、湖外喪師し、虎を養いて災深く、梟を馴らして逆大なり、物害さざる無く、悪為さざる無し、豺狼は朝市の憂を貽し、瘡磐は腹心の痛に及ぶ。遂に毒万姓に流れ、盗両京を汚すに至る。衣冠は塗炭の悲を銜み、郡邑は丘墟の歎を起こす。万方共に怒り、十道斉に攻め、九廟の威霊に伏し、積年の凶醜を殄する。

原文頃者妖興霧市,盜嘯叢祠,而岳牧籓侯,備盜不謹。謂大同之運,常可容奸;謂無事之秋,縱其長惡。賊首黃巢,因得充盈窟穴,蔓延萑蒲,驅我蒸黎,徇其凶逆。展鉏鶴以成鋒刃,殺耕牛以恣燔砲,魑魅晝行,虺蜴夜噬。自南海失守,湖外喪師,養虎災深,馴梟逆大,物無不害,惡靡不為,豺狼貽朝市之憂,瘡磐及腹心之痛。遂至毒流萬姓,盜汙兩京。衣冠銜塗炭之悲,郡邑起丘墟之歎。萬方共怒,十道齊攻,伏九廟之威靈,殄積年之凶醜。

河中節度使王重栄は神に壮烈の資を授かり、天に機謀を付され、功名を立てんことを誓い、家国を安んぜんことを志す。屯田して敵を待ち、率土当たりて衝に当たり、百姓十万余りを収め、賊党三万余人を降すに至る。法は持重に当たり、功遂に晩成し、久しく原野の刑を稽え、未だ雷霆の怒りを快くせず。同・華を収むるより以来、京師に逼近し、夕烽は国門に高く照り、遊騎は灞岸に俯臨す。既に四隅断絶し、百計奔衝するを知るや、窮鳥籠に触るるが如く、飛蛾燭に赴くに似たり。

原文河中節度使王重榮神資壯烈,天付機謀,誓立功名,志安家國。至於屯田待敵,率士當沖,收百姓十萬餘家,降賊党三萬餘眾。法當持重,功遂晚成,久稽原野之刑,未快雷霆之怒。自收同、華,逼近京師,夕烽高照于國門,遊騎俯臨於灞岸。既知四隅斷絕,百計奔沖,如窮鳥觸籠,似飛蛾赴燭。

雁門節度使李克用は神に将略を伝え、天に忠貞を付され、機謀と武藝と皆優れ、臣節と本心と相称す。賊を殺すは手刃に非ざる無く、陣に入るは率い以身を先にす、雄才と謂うべく、飛将の名を得たり。本軍を統べて南下し、臣と力を同じくして前駆し、寝餐に在りと雖も、寇孽を忘れず。

原文雁門節度使李克用神傳將略,天付忠貞,機謀與武藝皆優,臣節共本心相稱。殺賊無非手刃,入陣率以身先,可謂雄才,得名飛將。自統本軍南下,與臣同力前驅,雖在寢餐,不忘寇孽。

今月八日、衙隊前鋒楊守宗・河中騎将白志遷・横野軍使満存・躡雲都將丁行存・朝邑鎮将康師貞・忠武黄頭軍使龐從等三十都を遣わし、李克用に随い光泰門より先ず京師に入り、凶寇を力摧す。又、河中將劉讓・王環・冀君武・孫珙、忠武将喬從遇、鄭滑将韓從威、荊南将申屠悰、滄州将賈滔、易定将張仲慶、寿州将張行方、天徳将顧彦朗、左神策弩手甄君楚・公孫佐、横衝軍使楊守亮、躡雲都將高周彝、忠順都將胡真、絳州監軍毛宣伯・聶弘裕等七十都を遣わして継進せしむ。賊尚ほ堅陣を為し、来たりて官軍に抗す。雁門李克用は驍雄を率励し、金革を整斉し、叫噪して声将に瓦を動かし、喑嗚して気沙を吞まんと欲し、戈矛を寛く列ね、羅網を密に張る。ここに於いて軍を麾して背撃し、騎を分かち横衝し、日明らかにして剣躍り飛輪し、風急にして旗開き走電す。賊を浪の如くせば便ち流を塞ぐべく、賊を山の如くせば亦た角を折るを須いん。蹂踐すれば則ち横屍地に入り、騰淩すれば則ち積血塵と成る。即墨の牛を煩わさず、昆陽の象を駕するが若し。楊守宗等は斉に駆けて直入し、勢を合して夾攻し、卯より申に至り、群凶大いに潰る。望春宮前より蹙殺し、昇陽殿下に至り攻囲し、戈濫りに揮わず、矢虚しく発すること無し。其の賊一時に奔走し、南に商山に入る。徒らに漏刃の生を延ばし、佇みて飲頭の器と作らんとす。

原文今月八日,遣衙隊前鋒楊守宗、河中騎將白志遷、橫野軍使滿存、躡雲都將丁行存、朝邑鎮將康師貞、忠武黃頭軍使龐從等三十都,隨李克用自光泰門先入京師,力摧凶寇。又遣河中將劉讓、王環、冀君武、孫珙,忠武將喬從遇,鄭滑將韓從威,荊南將申屠悰,滄州將賈滔,易定將張仲慶,壽州將張行方,天德將顧彥朗,左神策弩手甄君楚、公孫佐,橫沖軍使楊守亮,躡雲都將高周彝,忠順都將胡真,絳州監軍毛宣伯、聶弘裕等七十都繼進。賊尚為堅陣,來抗官軍。雁門李克用率勵驍雄,整齊金革,叫噪而聲將動瓦,喑嗚而氣欲吞沙,寬列戈矛,密張羅網。於是麾軍背擊,分騎橫沖,日明而劍躍飛輪,風急而旗開走電。使賊如浪,便可塞流;使賊如山,亦須折角。蹂踐則橫屍入地,騰淩則積血成塵,不煩即墨之牛,若駕昆陽之象。楊守宗等齊驅直入,合勢夾攻,從卯至申,群凶大潰。自望春宮前蹙殺,至昇陽殿下攻圍,戈不濫揮,矢無虛發。其賊一時奔走,南入商山,徒延漏刃之生,佇作飲頭之器。

京闕を平らげて収むるより以来、二面皆大功を立て、若し敵を破り凶を摧くは、李克用実に其の首に居る。其の余の将佐は、同じく馳駆に效す。兼ねて臣の部領する万余人は、数歳風を櫛り雨を沐う。既に茲に平蕩し、並びに録して聞かしむ。

原文自收平京闕,二面皆立大功,若破敵摧凶,李克用實居其首。其餘將佐,同效驅馳。兼臣所部領萬餘人,數歲櫛風沐雨。既茲平蕩,並錄以聞。

五月、巢賊の先鋒将孟楷、蔡州を攻む。節度使秦宗権、兵を以て逆戦すも、賊に敗れらる。城を攻むること急なり、宗権乃ち賊に臣を称す。遂に陳・許を攻め、溵水に営す。陳州刺史趙犨、迎戦して賊の先鋒を敗り、孟楷を生擒し、之を斬る。黄巢素より楷を寵し、之を悲惜す。乃ち衆を悉くして陳州を攻め、城北五里に営し、宮闕の制を為し、八仙営と曰う。ここに於いて唐・鄧・許・汝・孟・洛・鄭・汴・曹・濮・徐・兗数十州より、畢く其の毒に罹る。賊陳郡を囲むこと百日、関東仍歳耕稼無く、人餓えて牆壁の間に倚り、賊人を俘えて食い、日に数千を殺す。賊に舂磨砦有り、巨碓数百を為し、生きたる人を臼に納れて之を砕き、骨を合して食らう。其の流毒是の如し。

原文五月,巢賊先鋒將孟楷攻蔡州,節度使秦宗權以兵逆戰,為賊所敗。攻城急,宗權乃稱臣於賊。遂攻陳、許,營于溵水。陳州刺史趙犨迎戰,敗賊前鋒,生擒孟楷,斬之。黃巢素寵楷,悲惜之。乃悉眾攻陳州,營於城北五里,為宮闕之制,曰八仙營。於是自唐、鄧、許、汝、孟、洛、鄭、汴、曹、濮、徐、兗數十州,畢罹其毒。賊圍陳郡百日,關東仍歲無耕稼,人餓倚牆壁間,賊俘人而食,日殺數千。賊有舂磨砦,為巨碓數百,生納人於臼碎之,合骨而食,其流毒若是。

趙犨、太原に援を求む。四年二月、李克用、山西諸軍を率い、蒲・陝より河を済い、関東諸侯と会し、陳州に赴援す。三月、諸侯の師復た集う。四月、官軍、賊を太康に敗り、俘斬万計、其の四壁を抜く。又、賊将黄鄴を西華に敗り、其の壁を抜く。巢賊大いに恐れ、軍を収めて故陽里に営す。官軍進みて之を攻む。五月、大雨震雷有り、平地水深さ三尺、賊の壘を壊し、賊自ら離散し、復た尉氏に聚まり、中牟を逼る。翌日、汴水の北に営す。是の日、復た大雨震電有り、溝塍漲流す。賊分かれて汴州を寇す。李克用、鄭州より軍を引き襲撃し、之を大いに敗る。賊将李用・楊景を獲る。残衆は胙県・冤句に保つ。官軍追討すれども、賊保つ所無し。其の将李讜・楊能・霍存・葛従周・張帰厚・張帰霸は、各々部下を率いて大梁に降る。尚譲は部下万人を率いて時溥に帰す。賊自ら猜間し、相い営中に殺し、残る所千人、中夜遁去す。克用、追撃して済陰に至りて還る。賊は兗・鄆の界に散ず。黄巢、泰山に入る。徐帥時溥、将張友を遣わし尚譲の衆と之を掩捕せしむ。狼虎谷に至り、巢の将林言、巢及び二弟鄴・揆等七人の首を斬り、並びに妻子を皆徐州に送る。是の月賊平ぐ。

原文趙犨求援於太原。四年二月,李克用率山西諸軍,由蒲、陝濟河,會關東諸侯,赴援陳州。三月,諸侯之師復集。四月,官軍敗賊于太康,俘斬萬計,拔其四壁。又敗賊將黃鄴于西華,拔其壁。巢賊大恐,收軍營于故陽里,官軍進攻之。五月,大雨震雷,平地水深三尺,壞賊壘,賊自離散,復聚于尉氏,逼中牟。翌日,營汴水北。是日,復大雨震電,溝塍漲流。賊分寇汴州,李克用自鄭州引軍襲擊,大敗之,獲賊將李用、楊景。殘眾保胙縣、冤句,官軍追討,賊無所保。其將李讜、楊能、霍存、葛從周、張歸厚、張歸霸各率部下降于大梁,尚讓率部下萬人歸時薄。賊自相猜間,相殺于營中,所殘者千人,中夜遁去。克用追擊至濟陰而還。賊散於兗、鄆界。黃巢入泰山,徐帥時薄遣將張友與尚讓之眾掩捕之。至狼虎穀,巢將林言斬巢及二弟鄴、揆等七人首,並妻子皆送徐州。是月賊平。

秦宗権

原文秦宗權

秦宗権は、許州の人、郡の牙将たり。広明元年十月、巢賊淮を渡りて北す。十一月、忠武軍乱れ、其の帥薛能を逐う。是の月、朝廷別校周岌を授けて許帥と為す。初め軍城未だ変ぜざるに、宗権は調発に因り蔡州に至り、府軍の乱るるを聞き、乃ち蔡州の兵を閲集し、難に赴かんと欲す。俄に府主の殂するを聞き、周岌未だ至らず、巢賊充斥し、日々郡城を寇す。宗権乃ち士衆を督励し、城に登りて拒守す。岌の至るに及び、即ち郡事を典せしむ。天子蜀しょくに幸す。姑く寇を翦るを務とし、上蔡に勁兵万人有り。宗権即ち監軍楊復光と同議して勤王し、師を出して賊を破り、蔡牧を之に授け、仍って節度の号を置く。

原文秦宗權者,許州人,為郡牙將。廣明元年|880年十月,巢賊渡淮而北。十一月,忠武軍亂,逐其帥薛能。是月,朝廷授別校周岌為許帥。初軍城未變,宗權因調發至蔡州,聞府軍亂,乃閱集蔡州之兵,欲赴難。俄聞府主殂,周岌未至,巢賊充斥,日寇郡城,宗權乃督勵士眾,登城拒守。洎岌至,即令典郡事。天子幸蜀,姑務翦寇,上蔡有勁兵萬人,宗權即與監軍楊復光同議勤王,出師破賊,以蔡牧授之,仍置節度之號。

【評論】

原文【評論】

史臣曰く、我が唐の命を受くるや、器を安きに置き、千年惟だ永く、百蛮響化し、万国来王す。但だ否泰の恒無きを以て、故に夷険の一ならず。三百算祀、二十帝王。時に竊邑叛君の臣、危きに乗じて徼幸の輩有りと雖も、才を興して兵革すれば、即ち誅夷に就く。其の間沸騰し、大盗三たび発す。安禄山・朱泚・黄巢是れなり。

原文史臣曰:我唐之受命也,置器于安,千年惟永,百蠻響化,萬國來王。但否泰之無恆,故夷險之不一。三百算祀,二十帝王。雖時有竊邑叛君之臣。乘危徼幸之輩,莫不才興兵革,即就誅夷。其間沸騰,大盜三發,安祿山、朱泚、黃巢是也。

夫れ社稷を謀りて危うくし、将に君親を害せんとす。轘裂瀦宮も、未だ其の罪を塞がず。故に多談を俟たず。然れども盗の起こる所は、必ず其の来る有り。且つ天時に問う無く、宜しく人事に之を決すべし。

原文夫謀危社稷,將害君親,轘裂瀦宮,未塞其罪,故不俟于多談也。然盜之所起,必有其來,且無問于天時,宜決之於人事。

禄山の母は巫者たり、身は牙郎たり。偶々微かなる辺功を立てるに縁り、遂に大いに寵用を加えられ、馬牧を総知し、特く兵権を委ぬ。天子の独尊を愛し、国忠の相忌むと与にす。故に義を以て事を制し、礼を以て心を制する能わず。遂に闕に向かうの兵を称し、非望の福を期す。此れ乱を為す所以なり。

原文祿山母為巫者,身是牙郎,偶緣微立邊功,遂至大加寵用,總知馬牧,特委兵權。愛天子之獨尊,與國忠之相忌,故不能以義制事,以禮制心,遂稱向闕之兵,以期非望之福,此所以為亂也!

朱泚の家は本来漁陽にあり、性質は凶悪狡猾にして、耳には簒さん奪さんだつのことを常に聞き、心には忠貞のことを本としていた。弟が乱の端を開き、身は京邑に留まるや、少しでも意にかなわぬことがあれば、別に異図を抱いた。ただ荒鶏の鳴くのを喜び、和鑾の動くのを幸いとし、幽州の帥がかつて乱によって得たことを縁として、神器は徼求すべきものと謂ったのである。

原文朱泚家本漁陽,性惟凶狡,耳習聞於篡奪,心本之于忠貞。暨弟為亂階,身留京邑,小不如意,別懷異圖。但樂荒雞之鳴,唯幸和鑾之動,緣幽帥之嘗因亂得,謂神器之可以徼求。

黄巢は亹茸たる微賤の人、萑蒲たる賤類にして、饑饉の歳に因り、王仙芝・尚譲の跡を踏み、志は奪攘に在り、謀は遠大にあらず。一旦江表に長駆し、径に関中に入り、五輅の塵を蒙るを見て、宝命は我に在りと謂ったのである。

原文黃巢亹茸微人,萑蒲賤類,因饑饉之歲,躡王、尚之蹤,志在奪攘,謀非遠大。一旦長驅江表,徑入關中,見五輅之蒙塵,謂寶命之在我。

もし玄宗が九齢(張九齢)の言葉を採り、三令の威を行い、さもなくば安禄山の名位を高からず、委任を適所に得させたならば、群黎は必ずしも塗炭に陥らず、万乗(天子)も必ずしも岷・峨を越えなかったであろう。

原文必若玄宗采九齡之語,行三令之威,不然使祿山名位不高,委任得所,則群黎未必陷於塗炭,萬乘未必越於岷,峨。

徳宗が垢を含み瑕を匿し、兵を佳とせず勇を尚ばず、さもなくば李承の言を取り、希烈に叛を伐たせることを委ねず、さもなくば公輔(姜公輔)の諫を取り、早く朱泚を行かせたならば、このようにすれば必ずしも涇原の乱兵あり、必ずしも奉天の危急あるには及ばなかったであろう。

原文德宗能含垢匿瑕,不佳兵尚勇,不然則取李承之言,不委希烈伐叛,不然則取公輔之諫,早令朱泚就行,如此則未必有涇原之亂兵,未必有奉天之危急!

僖宗が人の疾苦を知り、彼の困窮を恵み、さもなくば鄭畋の謀に従い、群偷の罪を赦したならば、このようにすれば黄巢は必ずしも順を犯す能わず、鑾禦は必ずしも省方を須いなかったであろう。

原文僖宗能知人疾苦,惠彼困窮,不然則從鄭畋之謀,赦群偷之罪,如此則黃巢不必能犯順,鑾禦未必須省方。

毫釐を差せば、千里を失う。蛇に螫されても腕を断たず、蟻の穴によって堤を壊す。後の帝王、以て殷鑒と足る。

原文蓋差之毫釐,失之千里。蛇螫不能斷腕,蟻穴所以壞堤。後之帝王,足為殷鑒!

史朝義・秦宗権は彼の乱離に乗じ、暴虐を肆に行い、我が郡邑を虔劉し、我が衣裳を僭窃し、終には滅亡したが、害を為すこと斯くの如く甚だしく、これもまた沴気の余りである。

原文史朝義、秦宗權乘彼亂離,肆行暴虐,虔劉我郡邑,僭竊我衣裳,終雖滅亡,為害斯甚,茲亦沴氣之餘也。

賛に曰く、天地否閉し、反逆常を乱る。禄山闕を犯し、朱泚皇を称す。賊巢陵突し、群豎披攘す。其の所以を征するは、慢蔵に存す。

原文贊曰:天地否閉,反逆亂常。祿山犯闕,朱泚稱皇。賊巢陵突,群豎披攘。征其所以,存乎慢藏!