旧唐書 本紀第十二 徳宗上

旧唐書

本紀第十二 徳宗上

徳宗上

徳宗神武孝文皇帝は諱を適といい、代宗の長子、母はえい真皇后沈氏という。天宝元年四月癸巳、長安大内の東宮に生まれた。その年十二月、特進に拝され、奉節郡王に封ぜられた。代宗即位の年の五月、上をもって天下兵馬元帥とし、魯王に改封した。八月、雍王に改封した。時に史朝義が東都を拠とす。十月、上を遣わして諸軍を陝州に会せしめ、大いに挙兵して賊を討たしむ。十一月、賊を洛陽に破り、進んで東都を収め、河南平定す。朝義は河北に走る。諸将を分命してこれを追わしむ。俄にして賊将の李懐仙、朝義の首を斬りて献ず。河北平ぐ。元帥の功により尚書令に拝し、実封二千戸を食み、郭子儀ら八人とともに凌煙閣に図形す。広徳二年二月、皇太子に立てらる。

大暦十四年

大暦十四年五月辛酉、代宗崩ず。癸亥、太極殿に即帝位す。閏月壬申、中書舎人崔祐甫を貶して河南少尹とす。甲戌、門下侍郎・平章事常袞を貶して潮州刺史とす。崔祐甫を召して門下侍郎・同中書門下平章事とす。丙子、詔して諸州府・新羅・渤海の歳貢する鷹鷂は皆停めしむ。戊寅、詔して山南の枇杷・江南の柑橘は、歳一貢して宗廟に供すべし、その余の貢は皆停めしむ。庚寅、兵部尚書路嗣恭をもって東都留守とし、常州刺史蕭復をもって潭州刺史・湖南団練観察使とす。辛巳、邕府の歳貢する奴婢を罷む。癸未、括州を改めて処州とし、括蒼県を麗水県とす。梨園使及び伶官の冗食する者三百人を停め、留まる者は皆太常に隷せしむ。剣南の歳貢する春酒十斛を罷む。甲申、司徒・兼中書令・河中尹・霊州大都督・単于鎮北大都護充関内河東副元帥・朔方節度・関内支度塩池六城水運大使・押諸蕃部落・管内及河陽等道観察使・上柱国・汾陽郡王・山陵使・食実封一千九百戸郭子儀は、尚父の号を加うべく、太尉を守り、余官は故の如く、実封を通前二千戸に加え、月に一千五百人の糧・馬二百匹の草料を給す。朔方都虞候李懐光をもって河中尹、邠・寧・慶・晋・絳・慈・隰等州節度観察使とす。朔方右留後常謙光をもって霊州大都督、西受降城・定遠軍・天徳・塩・夏・豊節度等使とす。朔方左留後・単于副都護渾璘をもって単于大都護、振武軍・東中二受降城・鎮北及び綏・銀・麟・勝等軍州節度営田使とす。丙戌、詔して天下に禁じ、珍禽異獣を貢することを得ざらしめ、銀器は金をもって飾ることなからしむ。丁亥、詔して文単国の献ずる舞象三十二頭は、荊山の陽に放たしめ、五坊の鷹犬は皆これを放ち、宮女百余り人を出す。己丑、右羽林大将軍呉希光を検校散騎常侍・兼御史中丞とし、渭北鄜坊丹延都団練観察使を充てしむ。辛卯、河陽三城鎮遏使馬燧を検校工部尚書、兼太原尹・御史大夫・北都留守・河東節度使とす。壬辰、河東節度留後鮑防をもって京畿観察使とす。陳州刺史李芃を検校太常少卿とし、河陽三城鎮遏使とす。癸巳、寿州刺史杜亜をもって江西観察使とす。甲午、太尉子儀を冊す。開元以来、冊礼多く廃れ、天宝中に楊国忠司空を冊す。ここに至りて子儀の冊を行ふ。江西観察使杜亜をもって陝州長史とし、転運使を充てしむ。丙申、詔して兵部侍郎黎幹は害すること豺狼の若く、特進劉忠翼は義を掩ひ賊を隠す。ともに名を除き長流す。既に行く、ともに死を賜ふ。丁酉、京畿観察使鮑防をもって福州刺史・福建都団練観察使とす。戸部侍郎・判度支韓滉をもって太常卿とし、吏部尚書劉晏に度支塩鉄転運等使を判らしむ。初め、晏と滉は天下の財賦を分掌す。ここに至りて晏これを都領す。

六月己亥朔、丹鳳楼に御し、天下に大赦し、罪の軽重を問わず、咸く赦除す。内外文武三品已上は爵一級を賜ひ、四品已下は一階を加へ、致仕官は見任に同じ、百姓戸を為す者は古爵一級を賜ふ。李正己に司徒・太子太傅を加へ、崔寧・李勉に本官同平章事を加ふ。天下の進献は、事郊祀陵廟に縁りて須ふる所は、前に依りて闕くことなからしむ。余は並びに停む。諸州刺史の上佐は今後式に準じて計に入る。諸州刺史・常参官、父在りて官なきは、量りて五品致仕官を与ふ。父亡歿せるは、追贈を与ふ。至徳已来の別勅は、或いは人に因りて奏し、或いは事に臨みて頒行す。差互相同じからず。人をして疑惑せしむ。中書門下は詳定官と決し、久長に行用に堪ふるものを取りて格条に編入す。自今より更に寺観を置き及び人を度することを奏することを得ず。庚子、元子の育を宣王に封じ、次子の謨を舒王に、諶を通王に、諒を虔王に、詳を肅王に封じ、並びに開府儀同三司を加ふ。乙巳、皇弟の乃を益王に、迅を随王に封ず。丙午、先天の故事を挙げ、供奉侍衛の官に非ざる、文武六品已上の清望官より、毎日二人更直して待制し、以て顧問に備ふ。乃ち延英南薬院の故地をもって廨とす。癸丑、詔して皇族五服等已上四方に居る者は、家一人山陵に赴かしめ、県次第に食を給す。己未、揚州の毎年貢する端午日江心に鑄する鏡、幽州の貢する麝香は、皆これを罷む。辛酉、宣歙池・鄂岳沔二都団練観察使を罷む。陝虢都防禦使、その地を分ちて諸道に隷せしむ。東都京畿観察使を復置し、御史中丞をもってこれを行はしむ。壬戌、処州刺史王縉・湖州刺史第五琦を皆な太子賓客とし、睦州刺史李揆を国子祭酒とし、並びに東都に留司せしむ。中官邵光超、淮西の旌節を送る。李希烈、縑七百匹を遺る。事発す。杖六十、配流す。ここにより中官賂を受くることを敢へず。癸亥、詔して中書門下・御史臺五品已上、諸司三品已上の長官、各一人刺史県令に任く可き者を挙げ、中書門下才を量りて擬進し、犯有らば挙主に坐せしむ。秋

七月戊辰朔、日に蝕あり。礼儀使・吏部尚書顔真卿奏す:「列聖の諡号、文字繁多なり。初諡を以て定めと為すことを請う。」兵部侍郎袁傪議して云く:「陵廟の玉冊既に刻す、軽々しく改むべからず。」罷む。傪妄りに奏す、玉冊は皆初諡のみを刻するを知らざるなり。庚午、詔す:邕州の奏する金坑は、誠に国を潤すと為すも、人に利を語るは、朕が素懐に非ず。その坑は人を任せて開採せしめ、官は禁ずることを得ず。辛未、吏部侍郎房宗偃を以て御史中丞・東都畿観察使と為す。右銀台門の客省の歳に廩料万二千斛を給するを罷む。永泰以来、或いは四方の奏計未だ遣わさざる者、或いは上書言事して旨に忤う者、及び蕃客未だ報ぜざる者、常に数百人、客省に於いて食を給し、横費已に甚だし。故にこれを罷む。壬申、元載・馬璘・劉忠翼の第を毀つ。その雄侈制を逾ゆるを以てなり。癸酉、宮中の服御常貢する者千数を減ず。丁丑、廄馬を復た月華門外に随仗に置く。己卯、詔す:王公卿士は民と利を争うことを得ず。諸節度観察使の揚州に回易邸を置くを並びに罷む。庚辰、鴻臚寺に詔す:蕃客京に入るは、各本国の服を服すべし。商州の歳貢䅻膠を罷む。辛卯、天下の榷酒を罷む。丁酉、詔す:国用未だ給せず。その宣王已下開府の俸料は皆罷め給す。

八月甲辰、門下侍郎・平章事崔祐甫を以て中書侍郎・平章事と為し、道州司馬同正楊炎を以て門下侍郎・平章事と為し、懐州刺史喬琳を以て御史大夫・同平章事・京畿観察使と為す。乙巳、太常少卿韋倫を遣わして吐蕃に使せしめ、蕃俘五百人を以てこれを還し、好を修む。癸亥、詔す:人外に死亡して棺柩を以て城に還る者は禁ずること勿れ。

九月甲戌、淮西節度を以て淮寧軍と為す。辛巳、検校刑部尚書白孝徳を以て太子少傅と為す。丙戌、秘書少監邵説を吏部侍郎と為し、給事中劉乃を兵部侍郎と為し、中書舎人令狐峘を礼部侍郎と為す。

冬十月丁酉朔、吐蕃南蛮の衆を合わせて号二十万、三道より茂州・扶州・文州・黎州・雅州等を寇し、連ねて郡邑を陥す。兵四千を発して蜀を助け、大いにこれを破る。己酉、代宗を元陵に葬る。戊午、九成宮の立獣炭炉を貢ぐこと、襄州の種蔗蒻の工を貢ぐこと、皆これを罷む。散官の豢う猪三千頭を貧民に給す。

十一月辛未、鴻臚卿賈耽を以て梁州刺史・山南西道節度観察使と為す。丁丑、陜州長史杜亜を以て河中尹・河中晋絳慈隰都防禦観察使と為す。壬午、御史大夫・平章事喬琳を工部尚書と為し、知政事を罷む。剣南西川節度観察度支営田等使・検校司空・平章事・成都尹崔寧に御史大夫・京畿観察使を兼ねしむ。癸巳、崔寧に霊州大都督・単于鎮北大都護・朔方節度等使を兼ねしめ、坊州に出鎮せしむ。荊南節度使・検校礼部尚書・江陵尹兼ねる御史大夫張延賞を検校兵部尚書兼成都尹・御史大夫・剣南西川節度度支営田観察等使と為す。朔方節度虞候杜希全を以て霊州留後と為し、鄜州刺史張光晟を以て単于振武軍使・東中二受降城綏銀鄜勝等軍州留後と為し、延州刺史李建を鄜坊慶延留後と為す。楊炎素より崔寧を悪む。三鎮を授くると雖も、仍て此の三人を留後に署し、寧の権を奪う。人皆これを憤る。

十二月己亥、南選使は専達すべく、復た御史を以てこれに臨むこと勿れ。乙卯、制す:宣王某、皇太子と立つべし。丙寅晦、日に蝕あり。詔す:元日の朝会に祥瑞の事を奏することを得ず。

建中元年

建中元年春正月丁卯朔、含元殿に御し、元を建中と改む。群臣尊号を上りて聖神文武皇帝と曰う。己巳、上太清宮に朝す。庚午、太廟に謁す。辛未、郊丘に事あり。是日宮に還り、丹鳳門に御し、天下に大赦す。艱難以来、征賦の名目頗る多し。今後両税を除く外、輒ち一錢を率するは、枉法を以て論ず。常参官・諸道節度観察防禦等使・都知兵馬使・刺史・少尹・畿赤令・大理司直評事等は、授け訖ること三日の内、四方館に於いて表を上り一人を譲りて以て自ら代わる。その外官は長吏に委せてその表を附送し、中書門下に付す。毎に官闕あれば、挙多き者を以てこれを授く。王府の六品以上の官及び諸州県の有司は並びに省くべく及び諸官減ずべき者は、事を量りて廃省す。天下の子父の後を為す者に勲両転を賜う。己巳、福建観察使鮑防・湖南観察使蕭復、憲官を譲る。これに従う。兵興已来、方鎮の重任は必ず台省の長官を兼ね、以て外府の僚佐に至るも、亦台省の銜を帯ぶ。是に至りて韓滉を蘇州刺史と除き、杜亜を河中少尹とし、而して都団練観察使を領せしめ、台省の兼官を帯びず。是より諸道節度に非ずして憲官を兼ぬる者は皆譲る。甲午、詔す:「東都河南江淮山南東道等転運租庸青苗塩鉄等使・尚書左僕射晏、頃に兵車未だ息まず、権りに使名を立て、久しく元老を勤め、我が庶務を集め、心を悉くし力を瘁し、垂二十年、朕は征稅多門、郷邑凋耗するを以て、群議に聴き、思うに変更有らんとし、将に時和の理を置かんとす。宜しく有司の制を復すべし。晏の領する使は宜しく停むべく、天下の錢穀は金部・倉部に委ね、中書門下両司の郎官を揀え、格式に準じて調掌せしむ。」是月、豊州の陵陽渠を浚う。

二月丙申、黜陟使十一人を遣わして分行して天下にす。癸卯、戸部郎中韓洄を以て諫議大夫と為し、涇原節度使段秀実を以て司農卿と為す。己酉、尚書左僕射劉晏を貶して忠州刺史と為す。癸丑、昭義軍節度留後李抱真を本道節度使と為す。甲寅、史館修撰・礼部侍郎令狐峘を貶して郴州司馬と為し、右補闕柳冕を貶して巴州司戸と為す。日本国朝貢す。癸亥、朱泚に四鎮北庭行軍・涇原節度使を兼ねしむ。

三月丙寅、礼儀使奏す:東都太廟木主を闕く。造ることを請う。詔を下してこれを議す。決せず。庚午、監察御史張著、法冠を以て中丞厳郢を弾ず。陵陽渠を浚うに詔を匿して行わず。郢の官を消し、著に緋魚を賜う。辛未、左散騎常侍・翰林学士張涉を放ちて田里に帰す。甲戌、前司農卿庾準を以て江陵尹・兼御史中丞・荊南節度使と為す。癸巳、諫議大夫韓洄を以て戸部侍郎・判度支と為す。時に将に劉晏を貶せんとし、使名を罷め、尚書省本司に帰す。今又洄に命じて度支を判せしめ、金部郎中杜佑に権らしめて江淮水陸運使を勾当せしむ。一に劉晏・韓滉の則の如し。蓋し楊炎の晏を排するなり。

夏四月乙未朔ついたち(ついたち)、涇原の裨将劉文喜が城を拠りて叛く。己亥、地震す。辛未、江西観察使崔昭を命じて回紇可汗を冊命せしむ。戊申、福建観察使鮑防を以て洪州刺史・江西団練観察使となす。癸丑、上(天子)の誕生日、中外の貢を納れず、唯だ李正己・田悦各々縑三万匹を献ずるも、詔して度支に付す。妃の父王景先・駙馬高怡、金銅像を献ずるも、上曰く「何の功德かあらん。吾が為す所に非ず」と。これを退還す。壬戌、衡州刺史・嗣曹王皋を以て潭州刺史・湖南団練観察使とし、御史中丞元全柔を杭州刺史となす。

五月甲子朔。戊辰、太常少卿韋倫を太常卿とし、復た吐蕃に使わす。己卯、右金吾衛大将軍李通を黔州刺史・黔中経略招討観察塩鉄等使となす。潮州刺史常袞を福建観察使となす。涇州の将劉光国、劉文喜を殺して降り、涇州平ず。

六月甲午朔、中書侍郎・同中書門下平章事崔祐甫卒す。辛丑、奉天城を築く。試殿中監劉海賓を加えて御史中丞を兼ね、兵平郡王に封ず。海賓は涇州の将、劉文喜を殺したるを賞するなり。乙卯、京兆尹源休、回紇に使いし、武義成功可汗を冊す。

秋七月丁丑、内より出づる盂蘭盆を罷め、僧を命じて内道場と為さず。壬申、鴻臚寺の左右威遠営を以て金吾に隷す。己丑、忠州刺史劉晏に自尽を賜う。

八月甲午、振武軍使張光晟、領蕃回紇の首領突董統ら千人を殺し、駱駝・馬千余、繒錦十万匹を収む。乃ち光晟を徴して朝に帰らしめ、彭令芳を以てこれに代う。乙未、河中晋・絳観察使杜亞を睦州刺史となす。丁未、朱泚に中書令を加え、余の官使並びに故の如し。舒王謨を以て涇原節度大使とし、尚書右丞孟皞を涇州刺史・知留後となす。東僰烏蠻守、来朝貢す。丁巳、遥かに上(天子)の母沈氏を尊びて皇太后と曰う。戊午、吏部尚書顔真卿を以て太子少師とし、前の如く礼儀使に依らしむ。嗣舒王藻を改めて嗣郢王と封ず。

九月戊辰、判度支韓洄、商州の紅崖冶洛源監に十炉を置きて銭を鋳ることを奏請す。江淮の七監、毎に一千を鋳るに二千文を費やす。皆罷むるを請う。これに従う。己卯、雷す。

冬十月甲午、尚書左丞薛邕を貶して連山尉となす。贓に坐すなり。乙巳、太子少傅・昌化郡王白孝德卒す。庚寅、睦王述を以て奉迎皇太后使とし、工部尚書喬琳を副とす。

十一月辛酉朔、朝集使及び貢使、宣政殿に見ゆ。兵興已来、四方の州府、上計せず、内外朝会せざること二十五年、ここに至りて始めて旧制を復す。州府朝集する者一百七十三人、詔して毎に二人を分番して待詔せしむ。乙丑、敬暉ら五王に官を贈り、又た張九齢に司徒を、鐘紹京に太子太傅を贈る。戊寅、諸王官ある者、初めて出閣して班に就くことを令す。又た岳陽等一十県主を出嫁す。皆諸王院に在りて久しく未だ人に適さざる者、上悉く命して礼を以て出降せしむ。

十二月辛卯、韋倫使いより回り、吐蕃の宰相論欽明思ら五十五人と同しく至り、方物を献じ、好を修む。丁酉、国初以来の将相功臣房玄齢ら一百八十七人を詳定せしめ、功績に拠りて三等に分つ。

是歳、戸部の計帳、戸総じて三百八万五千七十六、賦入一千三百五万六千七十貫、塩利は此の限に在らず。

建中二年

二年春正月庚申朔。戊辰、成徳軍節度・恆定等州観察使・司空・兼太子太傅・同中書門下平章事・恆州刺史・隴西郡王李宝臣卒す。丙子、汴宋滑亳陳潁泗節度観察使・検校帶領部尚書・同平章事李勉を以て永平軍節度・汴滑陳等州観察等使とし、兵部尚書・東都留守路嗣恭を以て鄭汝陜河陽三城節度・東畿観察等使とし、宋州刺史劉洽を以て宋亳潁節度使となす。鄭州を永平軍に隷す。去年十月より雪無く、甲申に至りて方に雨雪す。丁亥、検校戸部尚書張献恭を東都留守となす。河南尹趙恵伯を以て河中尹・河中晋絳慈隰都防禦観察使とし、前鄭州刺史于頎を河南尹となす。

二月乙未、御史中丞盧杞を以て御史大夫・京畿観察使とし、桂管観察使李昌巙を以て江陵尹・兼御史大夫・荊南節度等使となす。前荊南節度使庾準を左丞となす。甲辰、容州刺史盧嶽を以て桂州防禦観察使となす。乙巳、門下侍郎楊炎を以て中書侍郎・同中書門下平章事とし、御史大夫盧杞を以て門下侍郎・同中書門下平章事となす。丙午、宋亳節度を宣武軍となす。丁未、御史中丞袁高を以て京畿観察使となす。乙卯、振武軍乱れ、其の帥彭令芳・監軍劉恵光を殺す。

三月庚申朔、汴州城を築く。初め、大歴中、李正己は淄・青・齊・海・登・萊・沂・密・徳・棣・曹・濮・徐・兗・鄆十五州の地を有し、李宝臣は恆・定・易・趙・深・冀・滄七州の地を有し、田承嗣は魏・博・相・衛・洺・貝・澶七州の地を有し、梁崇義は襄・鄧・均・房・復・郢六州の地を有し、各々兵数万を聚む。始め叛乱に因りて位を得、朝廷寵待して恩を加うるも、心猶疑貳し、皆連衡盤結して以て自ら固む。朝廷一城を増し、一池を浚えば、便ち飛語辞有り。而して諸盗城を完め甲を繕い、略々寧日無し。ここに至りて田悦初めて命を稟し、劉文喜殄除せられ、群兇震懼す。又た奏計者還り、都に賜与無く、既に帰りて、皆怨言を構う。先ず是れ汴州、城隘くして衆を容れず、これを広むるを請う。ここに至りて城を築くに、正己・田悦兵を境に移して備えと為す。故に詔して汴・宋・滑を分ちて三節度とし、京西の防秋兵九万二千人を移して関東を鎮めしむ。又た郾城に溵州を置く。辛巳、汾州刺史王翃を以て振武軍使・東中二受降城鎮北綏銀麟勝等州留後となす。万年令崔漢衡を以て殿中少監とし、吐蕃に使わす。

夏四月己酉朔、沔州を省く。庚寅、襄州の梁崇義、同中書門下平章事を兼ぬ。己亥、燕州・順化州を省く。乙卯、平琴州を並べて党州と為す。丁巳、礼部侍郎於召を貶して桂州刺史とし、御史中丞袁高を韶州長史となす。

五月丙寅の日、軍興に因りて十一分の一を税とす。己巳の日、淮寧軍節度使李希烈を以て漢南北諸道都知兵馬招撫処置等使と充て、南平王に封ず。庚寅の日、浙江西道を鎮海軍と為す。蘇州刺史韓滉に検校礼部尚書・潤州刺史を加え、鎮海軍節度使・浙江東西道観察等使を充てる。御史中丞一員を以て理匭使と為し、諫議大夫一員を以て匭使を知らしむ;給事中・中書舎人を以て監考使と為す。辛丑の日、尚父・中書令・汾陽郡王郭子儀薨ず。丙午の日、検校秘書少監鄭叔則を以て御史中丞・東都畿観察使と為す。壬子の日、懐鄭・河陽節度副使李芃を以て河陽三城・懐州節度使と為し、仍て東畿五県を割きて之に隷せしむ。

秋七月戊子の朔日、詔して曰く、「二庭四鎮は、西夏五十七蕃・十姓部落を統任し、国朝以来、率職を奉じて相守る。関・隴の失守より此れ、東西阻絶し、忠義の徒、血を泣いて相守り、封略を慎固し、礼教を奉遵するは、皆な侯伯守将の交修共理する所の致す所なり。伊西・北庭節度観察使李元忠は北庭大都護と為すべく、四鎮節度留後郭昕は安西大都護・四鎮節度観察使と為すべし。」と。河・隴の虜に陷りてより、伊西・北庭は蕃戎に隔てられ、間者李嗣業・荔非元礼・孫志直・馬璘の輩皆な遥かに其の節度使の名を領す。初め、李元忠・郭昕は伊西北庭の留後と為り、隔絶の後、存亡を知らず、是に至りて使いを遣わし回紇諸蕃を歴て入奏し、方に音信を知る。上之を嘉す。其の伊西・北庭の将士の官を叙するに、仍て七資を超す。庚申の日、中書侍郎・平章事楊炎を以て左僕射と為し、前永平軍節度使張鎰を以て中書侍郎・同中書門下平章事と為す。司空・淮陽郡王侯希逸卒す。丁丑の日、河中尹関播を以て給事中と為し、同州刺史李承を以て河中尹・晋絳都防禦観察使と為す。辛巳の日、邠寧節度使李懐光を以て霊州大都督・単于鎮北大都護・朔方節度使を兼ねしむ。鄜坊・丹延観察留後李建徽を以て坊州刺史・鄜坊丹延都団練観察使と為す。壬午の日、幽州隴右節度使・中書令朱泚を以て太尉と為す。田悦、臨洺を攻寇し、守将張伾城を守る。

八月辛卯の日、平盧淄青節度観察使・司徒・太子太保・同中書門下平章事李正己卒す。庚戌の日、中書舎人衛晏を以て御史中丞・京畿観察使と為す。壬子の日、淮寧軍節度使李希烈、襄陽を攻め、梁崇義を誅し、其の同悪三十余人を斬る。

九月辛酉の日、易州刺史張孝忠を以て恒州刺史と為し、成徳軍節度観察使を充てる。壬戌の日、李希烈に同中書門下平章事を加う。癸亥の日、兵部尚書・翼国公路嗣恭卒す。甲子の日、晋絳観察使李承を以て襄州刺史・山南東道節度観察等使と為す。戊辰の日、杭州刺史元全柔を以て黔中経略招討観察等使と為す。

冬十月乙酉の日、尚書左僕射楊炎、崖州司馬に貶せられ、尋で死を賜う。戊申の日、宣武軍節度使劉洽に御史大夫を加う。徐州刺史李洧、其の帥李納を棄て、州を以て来降す。

十一月辛未の日、宣武節度劉洽と神策将曲環、徐州に於いて李納の衆を大破す。己巳の日、詔して曰く、「成徳軍節度都知兵馬使・恒州刺史・襲隴西郡王李惟岳は、其の父宝臣王室に忠労有るに因り、惟岳父業を隳墜し、国恩を蔑棄し、縗絰の中に在りて、戎務を擅に掌る。外に兇党を結び、益々奸謀を固くす。不孝不忠、原野に肆すべし。爾が在身の官爵を削る。」と。乙亥の日、戸部侍郎・判度支韓洄を蜀州刺史に貶し、江淮転運使・度支郎中杜佑を以て代わりに度支・戸部事を判ぜしむ。丁丑の日、陜州長史李斉を以て河中尹と為し、河中晋絳防禦観察使を充てる;商州刺史姚明揚を以て陜州長史・本州防禦・陸運使と為す;権塩鉄使・戸部郎中包佶を以て江淮水陸運使を充てる。李納の将海州刺史王涉、州を以て降る。

十二月庚寅の日、河中節度使馬燧に検校左僕射を、沢潞節度使李抱真に検校兵部尚書を授け、田悦を破るの功を賞す。丙申の日、太子賓客王縉卒す。

建中三年

三年春正月乙卯の朔日。丙寅の日、幽州節度使朱滔・張孝忠、束鹿に於いて李惟岳の兵を破る。辛未の日、詔して供御及び太子諸王の常膳は有司宜しく之を減省すべしとす。是に於いて宰臣上言し、堂厨百官の月俸を減じ、三分を以て一を省きて軍を助けんことを請う。之に従う。庚辰の日、皇叔僖を追封して宋王と為し、皇弟選を贈って荊王と為す。

閏月丙申の日、文宣王三十七代の孫斉賢を以て兗州司功と為し、文宣公を襲封せしむ。辛丑の日、具員簿を復置す。甲辰の日、成徳軍兵馬使王武俊、李惟岳を殺し、首を京師に伝う。庚戌の日、馬燧・李芃、洹水に於いて田悦の兵を破り、魏州を進攻す。

二月戊午の日、惟岳の将定州刺史楊政義、州を以て降る。朱滔に検校司徒を加え、張孝忠を以て検校兵部尚書・易定滄三州節度使と為し、検校太子賓客王武俊を以て検校秘書監・恒州刺史・恒冀都団練観察使と為し、康日知を趙州刺史・深趙都団練観察使と為す。

三月丁亥の日、故衛尉卿顔杲卿に司徒を、故常山太守袁履謙に左散騎常侍を、故許州長史龐堅に右散騎常侍を、故鞏県主簿蔣清に礼部侍郎を贈る。故驍衛将軍・代国公安金蔵に兵部尚書を贈り、其の子承恩に廬州長史を授く。乙未の日、徐州刺史李洧を以て徐・沂・海団練観察使と為す。戊戌の日、田悦・洺州刺史田昂、城を以て降る。嶺南節度使張伯儀を以て検校兵部尚書と為し、江陵尹・御史大夫・荊南節度等使を兼ねしむ;容管経略使元琇を以て広州刺史・嶺南節度使と為す。丙午の日、京兆尹盧惎を撫州長史に貶す。

夏四月、李納の守将たる德州の李士真、棣州の李長卿は皆城を以て降る。庚申、先に吐蕃に陥ちし僧尼将士八百人、吐蕃より還る。壬戌、朱滔を通義郡王に封ず。朱滔・王武俊は田悦と合従して叛を為す。太常博士韋都賓・陳京、軍興に因り庸調給せずとし、京城の富商の銭を借らんことを請う。大率、商毎に万貫を留め、余は並びに官に入る。一二十の大商ならずば、則ち国用済まんと。判度支杜佑曰く、「今諸道兵を用うるに、月費度支銭一百余万貫、若し五百万貫を得ば、才た数ヶ月を支給すべし」と。甲子、京兆尹・長安万年令に詔し、京畿の富商を大索せしむ。刑法峻厳、長安令薛蘋は校を荷い車に乗り、坊市に於いて搜索す。人は鞭笞に勝えず、乃ち自縊に至る。京師囂然として、盗賊を被るが如し。搜括既に畢り、其の所得を計るに才た八十万貫、少尹韋禛は又僦櫃質庫の法を取って拷索す、才た二百万に及ぶ。丁丑、彭王傅徐浩卒す。太子少師を贈る。戊寅、中書侍郎・平章事張鎰を以て鳳翔尹・隴右節度使を兼ね、朱泚に代う。泚に実封五百戸を加え、竇氏の名園・涇水上の腴田及び錦彩金銀器を賜い、以て其の意を安んず。時に滔叛く故なり。壬午、御史大夫嚴郢を費州長史に貶し、左巡使・殿中侍御史鄭詹を杖殺す。郢は歳余にして卒す。

五月丙戌、両税・塩榷銭を増す。両税は毎貫二百を増し、塩は毎斗一百を増す。丁亥、太子詹事邵説を帰州刺史に貶す。貶所に卒す。辛卯、朔方節度使李懷光に詔し、神策及び朔方軍を率いて東討せしむ。丙申、詔して曰く、「故伊西北庭節度使楊休明・故河西節度使周鼎・故西州刺史李琇璋・故瓜州刺史張銑等、方鎮に寄せて崇く、時に殷憂に属し、固く西陲を守り、以て戎虜に抗す。身を異域に歿し、多年を歴る。茲に迨るまで、旅櫬方た旋る。誠に深く追悼すべし。宜しく寵贈を加え、以て幽泉を賁すべし。休明は司徒を贈る可く、鼎は太保を贈り、琇璋は戸部尚書を贈り、銑は兵部侍郎を贈る」と。皆隴右の牧守、至德已来吐蕃に陥ちて歿する者なり。是に至り西蕃和を通じ、方た帰葬を得たり。丁酉、河東節度使・検校左僕射馬燧に同平章事を加え、澤潞李抱真に検校右僕射を、河陽李芃に検校兵部尚書を、神策営招討使李晟に右散騎常侍を加う。田悦を破るの功を賞するなり。乙巳、戸部侍郎・判度支杜佑を蘇州刺史に貶し、中書舍人趙贊を以て戸部侍郎・判度支と為す。辛亥、易定節度に義武軍の名を賜う。

六月丁巳、尚書左丞庾準卒す。甲子、京師地震す。左散騎常侍李涵を以て入回紇吊祭使と為し、京兆少尹源休を光祿卿と為す。戊寅、前衢州刺史趙涓を尚書左丞と為し、右庶子柳載を右丞と為す。辛未、朱滔・王武俊兵田悦を救い、魏州の北に至る。是の日李懷光兵も亦至る。馬燧・抱真・李芃等軍容を盛んにし、懷光を迓う。朱滔等其の掩襲を慮り、遽かに兵を出す。懷光之と連篋山の西に接戦す。王師利あらず、各営壘に還る。賊乃ち河を壅ぎ水を決し、我が糧道を絶つ。

秋七月甲申、前振武軍使王翃を京兆尹と為し、兵部郎中楊真を御史中丞・京畿観察使と為す。商戸を括率し、人情安からず。癸巳、詔し已に収納して庫に入るるを除く外、一切停め、已に貯納する者は仍て簿歴を明らかに置き、各文牒を与え、後元の数に準じて却って還す。甲午、前同州刺史蕭復を兵部侍郎と為す。庚子、馬燧・李懷光・李抱真・李芃等四節度の兵退きて魏橋を保つ。朱滔・王武俊・田悦の衆も亦魏橋の東南に屯し、官軍と河を隔てて対壘す。五月より雨なく、甲辰始めて雨ふる。宣武節度李勉を検校司徒と為し、懷寧李希烈を検校司空と為し、邠寧李懷光に同平章事を、李芃に開陽郡王を封ず。

八月丁未、初めて汴東西水陸運両税塩鉄事を分置す。戸部侍郎・判度支趙贊の奏に従うなり。戊午、太子賓客第五琦位に卒す。辛酉、涇原節度留後姚令言を以て涇原節度使と為す。戊辰、江淮塩鉄使・太常少卿包佶を以て汴東水陸運両税塩鉄使と為す。己巳、剣南西川節度使張延賞に検校吏部尚書を加う。甲戌、大理少卿崔縦を以て汴西水陸運両税塩鉄使と為す。丁丑、礼儀使・太子少師顔真卿を太子太師と為す。庚辰、徐・海・沂都団練使李洧卒す。江淮に訛言有り、毛人人のを捕え、其の心を食うと。人情大いに恐る。

九月丁亥、李洧の部将高承宗を徐州刺史・徐海沂都団練使と為す。判度支趙贊上言し、両都・江陵・成都・鎩汴・蘇・洪等州の為に常平軽重本銭を署せんことを請う。上は百万貫に至り、下は十万貫に至り、斛斗匹段絲麻を収貯し、貴ければ則ち下価を以て出売し、賤ければ則ち估を加えて収糴し、軽重を権めて以て民に利せんと。之に従う。贊乃ち諸道の津要に吏を置き商貨に税し、毎貫二十文を税し、竹木茶漆は皆什一に一を税し、以て常平の本に充つ。己亥夜、猛獣宜陽里に入り、二人を傷つく。詰朝之を獲る。

冬十月辛亥、湖南観察使嗣曹王皋を洪州刺史・江西節度使と為す。丙辰、吏部侍郎関播を中書侍郎・同平章事と為す。都官員外郎樊澤吐蕃に使いして回り、蕃相尚結贊と約し来年正月の望日清水に会盟せんと。丙子、粛王詳薨ず。

十一月己卯、山南西道節度使賈耽を検校工部尚書・襄州刺史・御史大夫・山南東道節度使を兼ねしめ、興鳳団練使厳震を梁州刺史・山南西道節度使と為す。甲午、前山南東道節度使李承を潭州刺史・湖南観察使と為す。是の月、朱滔・田悦・王武俊魏県の軍壘に於いて各相推奨し、僭って王号を称す。滔は大冀王と称し、武俊は趙王と称し、悦は魏王と称す。又李納を勧めて斉王と称せしむ。僭って官名を署すること国初の親王行臺の制の如し。丁丑、李希烈自ら天下都元帥・太尉・建興王と称し、朱滔等四盗と膠固して逆を為す。

建中四年

四年春正月戊寅朔。丁亥、鳳翔節度使張鎰と吐蕃宰相尚結贊清水に於いて同盟す。庚寅、李希烈汝州を陥とし、州将李元平を執り去る。東都震駭す。甲午、顔真卿を遣わし李希烈軍を宣慰せしむ。戊戌、龍武大将軍哥舒曜を東都畿汝節度使と為し、鳳翔・邠寧・涇原等の軍を率い、東して希烈を討たしむ。丙午、福建観察使常袞卒す。

二月戊申、河陽三城に河陽軍節度を置く。乙卯、哥舒曜汝州を収む。丁丑、工部侍郎蔣鎮を以て禮儀使に充つ。

三月己卯、沔州を復置す。癸未、左散騎常侍孟皞を以て福建都團練觀察使と為す。辛卯、嗣曹王皋李希烈の将陳質の衆を撃ち、之を破り、黄州を収復す。丁酉、荊南張伯儀賊と戦い、敗績す。嗣曹王蘄州を収復す。

夏四月庚申、永平宣武河陽等軍節度都統・檢校司待・平章事李勉を以て淮西招討使と為し、襄陽帥賈耽・江西嗣曹王等之を副と為す。甲子、京師地震し、黄白の毛生じ、長さ尺餘。丙子、哥舒曜軍を進めて潁橋に至り、大いに雷震し、人の死者十の三四、乃ち退きて襄城を保つ。

五月辛巳の夜、京師地震す。乙酉、潁王璬薨ず。乙巳、滑・濮二州の黄河清む。滑州に馬角を生ず。

六月庚戌、初めて屋間架・除陌錢に税す。時に馬燧・李懷光・李抱真・李芃は魏縣に屯し、李晟は易定に屯し、李勉・陳少游・哥舒曜は懷汝の間に屯し、神策諸軍皆賊境に臨む。凡そ諸道の軍の出境するは、度支に仰ぎ給し、之を食出界糧と謂い、月に錢一百三十萬貫を費やす。判度支趙贊法を巧みにして聚斂すれども、終に給する能わず。是に至りて又屋に税し、所由の吏筆を秉り算を持ち、人の廬舎に入りて抄計し、峻法を以て之を繩す。愁嘆の聲、天下に遍し。

秋七月甲申、國子祭酒李揆を以て禮部侍郎と為し、其の爵を復す。甲午、揆を以て左僕射・兼御史大夫と為し、入吐蕃會盟使と為す。

八月丁未、李希烈衆三萬を率い哥舒曜を襄城に攻む。湖南觀察使李承卒す。

九月戊寅、龍汝州の城濠に見ゆ。丙戌、李勉の将唐漢臣・劉德信師を扈澗に喪う。汴軍此より振わず、東都危急なり。

冬十月丙午、詔して涇原節度使姚令言に涇原の師を率い哥舒曜を救わしむ。丁未、涇原軍京城を出で、滻水に至り、戈を倒し謀叛す。姚令言禁ずる能わず。上繒彩二車を載せしめ、晉王を遣わし往きて之を慰諭せしむ。亂兵已に丹鳳闕下に陳し、神策軍を促して之を拒がしむ。一人至る者無し。太子諸王妃主百餘人と苑北門を出づ。右龍武軍使令狐建方に軍中に射を教う。難を聞き、射士を聚めて四百人を得、扈從す。其の夕咸陽に至り、飯數匕にして過ぐ。戊申、奉天に至る。己酉、元帥都虞候渾瑊子弟家屬を以て至る。乃ち瑊を行在都虞候と為し、神策軍使白志貞を行在都知兵馬使と為し、令狐建を中軍鼓角使と為し、金吾將軍侯仲莊を奉天防城使と為す。亂兵既に京城を剽し、白華に屯す。乃ち晉昌里に於いて朱泚を迎えて帥と為し、太尉と称し、含元殿に居す。上奉天の隘きを以て、鳳翔に幸わんと欲す。壬子、鳳翔軍亂れ、節度使張鎰を殺す。乃ち止む。癸丑、李希烈襄城を陥とす。哥舒曜洛陽に走る。乙卯、檢校司空崔寧に薨ずるを賜う。丁巳、吏部尚書蕭復・刑部侍郎劉從一・諫議大夫姜公輔を以て並びに本官のまま同中書門下平章事と為す。邠寧節度韓游瑰と論惟明兵三千を率いて至る。纔に奉天に入るや、賊軍亦至る。乃ち出でて之を拒ぐ。王師利せず。賊勝に乗じて門を攻む。卯より午に至るまで、殺傷殆ど半ば。會うに草車門外に在り。渾瑊之を焚かしむるを令す。賊衆遂に退く。癸巳、泚賊三面より城を攻む。渾瑊力戦して之を御い、方に退く。大将呂希倩之に死す。賊丁未より城を攻め、己巳に至る二十餘日、矢石絶えず。

十一月乙亥、隴右節度判官・隴州留後・殿中侍御史韋皋を以て隴州刺史・兼御史大夫・奉義軍節度使と為す。靈武留後杜希全・鹽州刺史戴休顔・夏州刺史時常春兵六千を合して来援す。漠谷に至り、賊に敗られて退く。賊是より城を攻むること愈急なり。矢石雨の如く下り、薨傷する者衆し。人心危蹙す。上渾瑊と対泣す。朱泚乾陵に據りて楽を作し、下りて城中を瞰し、詞多く侮慢なり。戊子、賊雲橋を造り、東北隅を攻む。兵仗及ばず。城中憂恐し、相顧みて色を失う。渾瑊預め地道を為す。雲橋城に傅わるに及び、脚陥ちて進むを得ず。瑊之を焚かしむるを命ず。風回り焰転じ、橋焚けて賊退く。朔方節度李懷光兵馬使張韶を遣わし表を奉る。大軍将に至らんとすと言う。乃ち韶を舁かしめて城を巡らしめ、叫呼歡聲地を動かす。賊之を測らず、疑懼して攻めを緩む。癸巳、懷光軍醴泉に次ぐ。是の夜賊囲みを解きて去る。神策将李晟定州より師を率いて難に赴き、軍を渭橋にす。甲午、商州都虞候王仙鶴を以て権に商州防禦使と為す。

十二月壬戌、門下侍郎・平章事盧杞を貶して新州司馬と為し、行在都知兵馬使白志貞を貶して恩州司馬と為し、戶部侍郎・判度支趙贊を貶して播州司馬と為す。癸亥、京兆少尹裴腆を以て判度支と為す。甲子、湖南觀察留後趙憬を以て湖南觀察使と為す。乙丑、祠部員外郎陸贄を以て考功郎中と為し、金部員外郎吳通微を以て職方郎中と為し、翰林學士並びに故の如し。侍御史吳通玄を以て起居舍人と為し、翰林學士に充つ。己巳、河中尹李齊運を以て宗正卿と為す。庚午、李希烈汴州を陥とす。右庶子崔縱を以て京兆尹と為す。癸酉、中書侍郎・平章事關播を以て刑部尚書と為し、司封郎中杜黄裳を以て給事中と為す。給事中孔巢父に命じ淄青を宣慰せしめ、華州刺史董晉に河北を宣慰せしむ。

興元元年

興元元年春正月癸酉朔、上奉天行宮に在りて朝賀を受く。詔して曰く。

政治を立て教化を興すには、必ず誠意を推し及ぼすことが必要であり、己を忘れて人を救うには、過ちを改めることを惜しまない。朕は大業を受け継ぎ、万邦を君臨したが、宗廟を守り損ない、草莽の地に身を置くこととなった。徳に従うことを思わなかったことは、誠に過ぎ去ったことを追うことはできないが、永く過ちを思う言葉は、将来に回復することを期するものである。その意義を明らかに徴し、天下に示す。朕は徳が継がれぬことを恐れ、敢えて怠り荒れることはなかった。しかし、深宮の中で育ち、国を治める務めに暗く、積み重なった習慣に溺れやすく、安泰に居て危険を忘れた。農作業の艱難を知らず、征戍の労苦を憐れまなかった。そのため恩沢は下まで行き届かず、下情は上に通じず、事は塞がれ隔てられ、人々は疑いと隔たりを抱いた。なお己を省みることを知らず、ついに兵を興すこととなり、四方から兵を徴発し、千里を隔てて糧秣を輸送した。車を徴発し馬を登録して、遠近は騒然となり、旅人は物資を持ち、家にいる者は見送り、衆庶は労苦に疲れ果てた。力役は止まず、田畑は多く荒れた。暴虐な法令は誅求よりも峻烈で、疲弊した民は機織りで空しくなり、溝壑に転がり死に、郷里を離れ去り、邑里は丘墟と化し、人煙は断絶した。天は上で譴責したが朕は悟らず、人は下で怨んだが朕は知らなかった。次第に乱の階梯を辿り、変事は都邑で起こり、賊臣が隙に乗じ、逆をほしいままにして天にまで及んだが、かつて畏れることも恥じることもなく、敢えて凌辱と逼迫を行った。万物は秩序を失い、九廟は震驚し、上は祖宗に累を及ぼし、下は蒸庶に負うところとなった。痛心して顔を赤らめ、罪はまことに朕にある。永く言うに慚愧悼惜し、泉谷に墜ちるが如し。天地が祐を降し、人神が謀を協せしめ、将相が誠を尽くし、爪牙が力を宣べたおかげで、群盗はこれ屏除され、皇維は再び張られることとなった。遠大な図を弘めようとすれば、必ず新たな令を布かなければならない。朕は朝に起きて夕べに戒め、ただ以前の過ちを省みる。先に公卿百官が虚美を加え、『聖神文武』の号を、蒙昧で寡聞な朕の身に被せようとしたが、固く辞して得ず、群議に従った。昨日内省したところ、まことに驚くべきことであった。今後より、中外の書奏に『聖神文武』の号を言うことを得ず。今、上元の暦を統べ、新年に祥瑞が発するに当たり、紀年の号を改め、宥しの沢を敷くべきである。天下に大赦を行い、建中五年を改めて興元元年とすべし。李希烈、田悦、王武俊、李納は、皆勲旧を以て、藩維を守り継いでいるが、朕が扶け御する方途を誤り、彼らの疑懼を招いた。すべては上にその道を失い、下にその災いを被ったことによる。一切共に洗い清め、その爵位を復し、初めの如く待遇し、なお即ち使者を遣わして宣諭すべし。朱滔は朱泚に連座したが、路遠く必ずや同謀ではない。旧勲を永く思い、広く寛大に扱うことを務め、もし能く順を交わして事を弁ずれば、これも維新に与からしむべし。朱泚は天常を反易し、名器を盗み窃り、陵寢を暴かに犯し、言うに忍びず、祖宗に罪を得た。朕は敢えて赦さない。朱泚を除くほかは、皆原宥に従う。奉天に赴き並びに進んで京城を収めんとする将士は、皆『奉天定難功臣』の名を賜い、身に過犯あれば罪三等を減じ、子孫に過犯あれば罪二等を減ず。先の税である除陌銭・間架銭等の銭、竹木茶漆等の税は、皆停止する。奉天を赤県に昇格させる。

朝臣を分命して諸道に宣諭させる。奉天行営都団練使楊恵元を検校工部尚書とする。丙戌、吏部侍郎蕭復を門下侍郎・同平章事とし、吏部侍郎盧翰を兵部侍郎・同平章事とする。戊子、宰臣蕭復を山南・荊南・湖南・江西・鄂岳・浙江東西・福建等の道に往かせて宣慰させる。己丑、京兆尹裴腆を戸部侍郎・判度支とする。丙申、山南東道行軍司馬樊沢を襄州刺史・山南東道節度使とし、渾瑊を行在都知兵馬使とする。前趙州観察使康日知を兼同州刺史とし、奉誠軍節度使を充てる。辛丑、詔して六軍各々統軍一員を置き、秩は従二品とする。左右常侍各々一員を加え、太子賓客四員を加える。

二月戊寅、詔して故司農卿張掖王段秀実に太尉を贈り、諡して忠烈と曰い、実封五百戸を賜う。滑州兵馬使賈隠林に左僕射を贈り、滑州刺史李澄を兼汴州刺史・汴滑節度使とする。この日、李晟は咸陽より兵を移して東渭橋に至る。李懐光を避けたのである。李晟は李懐光の反状既に明らかなりとして、上に蜀に幸することを請うた。王武俊は順を効し、中書門下平章事を加えられ、兼幽州節度使とし、朱滔を討たしむ。吐蕃は使いを遣わして来朝し、兵を以て国を助け逆を討たんことを請う。乃ち御史大夫於頎をして吐蕃に入りてこれを宣諭せしむ。甲子、李懐光に太尉を加え、なお鉄券を賜い、三たびの死罪を赦す。李懐光怒って曰く、「凡そ人臣の反逆するは、乃ち鉄券を賜う。今李懐光に賜うは、是れ必ず反するなり」と。乃ちこれを地に投げつけた。上は翰林学士陸贄をしてこれを諭さしめた。この日、人心恐れ駭いた。李懐光は楊恵元・李建徽の将いる兵を奪い、楊恵元は害された。丁卯、車駕梁州に幸す。戴休顔を留めて奉天を守らせ、御史中丞齊映を沿路置頓使とする。李晟は大いに兵賦を集め、収復を以て己が任とす。李懐光これを患い、軍を涇陽に移し、朱泚と連なり、共に李晟を滅ぼさんと欲す。李晟は卑しい言葉と厚い意を以て、書を致してこれを諭し、その感悟を冀う。李懐光は頗る慚愧と恐懼を増した。

三月甲申、秘書監崔漢衡を上都留守とし、右散騎常侍於頎を京兆尹とする。この日、李懐光は営を焼き、走って河中に帰る。その将孟涉・段威勇等千人は李晟に奔り帰る。丙戌、前饒州刺史杜佑を広州刺史・嶺南節度使とし、神策節度使李晟に京畿渭北鄜坊丹延節度観察使を兼ねさせる。庚寅、車駕城固に次ぐ。唐安公主薨ず。上の愛女なり、悼惜すること甚だし。壬申、梁州に至る。丁丑、宣武節度使劉洽に平章事を加えて冊す。己亥、行在都知兵馬使渾瑊を検校左僕射・同平章事・霊州大都督とし、朔方節度使・邠寧振武永平奉天行営副元帥を充てる。この日、詔して李懐光に太子太保を授け、その余の官職は並びに罷む。涇州乱る。牙将田希鑒その帥馮河清を殺し、自ら留後と称す。

四月辛丑朔。時に将士春衣未だ給せず、上はなお夾服を着す。漢中は早く暑く、左右暑服を御することを請う。上曰く、「将士未だ冬服を易えず、独り春衫を御すべきか」と。俄にして貢物継ぎて至り、先ず諸軍に給して而して後に之を御す。壬寅、詔して奉天に随従した将士に並びに『元従功臣』の号を賜う。邠寧兵馬使韓游瑰を邠寧節度使とする。尚書左丞趙涓卒す。己巳、陜虢防遏使唐朝臣を河中尹・河中同晋絳節度使とし、御史大夫李齊運に京兆尹を兼ねさせる。魏博行軍司馬田緒その帥田悦を殺す。詔して田悦に太尉を贈り、田緒を魏州長史・魏博節度観察使とする。甲寅、諫議大夫・平章事姜公輔を左庶子とし、剣南節度使張延賞に平章事を加え、前山南東道節度使賈耽を工部尚書とする。甲子、入蕃使・左僕射李揆鳳州に卒す。乙丑、渾瑊と吐蕃の将論莽羅の衆、賊将韓旻の衆を武功に破り、首級一万を斬る。丙寅、李納に平章事を加う。丁卯、義王玭薨ず。

五月、淮南節度使陳少游は検校司徒を加えられ、東川節度使李叔明は太子太傅を加えられ、鎮海軍韓滉は検校右僕射を加えられた。癸酉の日、涇王侹が薨去した。徐沂海団練使高承宗が卒去し、その子明應に徐州の事を知らしめた。丙子の日、李抱真・王武俊が朱滔を経城の東南で破り、三萬級を斬首し、偽相朱良祐・李俊を生け捕りにして献上した。朱滔は幽州に遁走して帰った。癸未の日、岳州李兼・黔南元全柔・桂管盧岳に御史大夫を加え、盧岳には中丞を加えた。庚寅の日、李納が上章して命を稟り、ここに李正己に太尉を追贈した。壬辰の日、商州尚可孤が賊を藍田で破った。乙未の日、安西四鎮節度使郭昕・北庭都護李元忠に左右僕射を加えた。この夜、李晟は渭北より軍を移して光泰門外に駐した。賊が来て迫ると、我が軍は争って進撃し、これを大いに破り、光泰門に追い詰め、斬首数千を数え、賊党は慟哭して白華に入った。戊辰の日、光泰門外に陣を列ねた。騎将史萬頃を神麚村に遣わし、苑の墻を二百余歩開けさせると、賊は柵を立ててこれを防いだ。我が軍は柵を争い、雲の合い電の撃つが如く、賊と血戦し、賊党は大いに敗れ、白華まで追撃し、朱泚・姚令言は万余人を率いて遁走した。李晟は京城を収復した。この日、渾瑊と戴休顏もまた賊三千を咸陽で破り、韓游瑰は朱泚を経州に追った。

六月庚子朔、恒州を大都督府に昇格させた。癸卯の日、神策兵馬使楊惠元に右僕射を追贈した。この日、李晟が『収京城露布』を上奏し、帝はこれを見て、涙が襟を濡らした。涇州田希鑒が姚令言を斬り、幽州軍士韓旻が彭原で朱泚を斬り、ともに首を行在に伝えた。乙巳の日、吏部侍郎班宏を京に入らせて宣諭させた。己酉の日、李晟に司徒・兼中書令を加え、実封一千戸とした。駱元光・尚可孤に検校左右僕射を加え、ともに実封五百戸とした。涇州将田希鑒を涇州刺史・涇原節度使とした。癸丑の日、詔して梁州を興元府とし、南鄭県を赤畿とし、官名品制は京兆・河南に準じ、百姓には二年の復除を与え、現任官員には二階を加え、耆老には版授を与え、南鄭県令には緋を賜った。興元尹嚴震に検校右僕射を加え、実封一百戸を賜った。渾瑊に侍中を加え、実封八百戸とした。韓游瑰に検校左僕射を加え、実封四百戸とした。戴休顏に検校右僕射を加え、実封二百戸とした。考功郎中・知制誥陸贄、司封郎中・知刺誥吉中孚をともに諫議大夫とした。水部員外郎顧少連を礼部郎中とした。ともに前の如く翰林学士を充てた。行在左右廂兵馬使令狐建・時常春にともに散騎常侍を加えた。丙辰の日、偽相李忠臣を斬り、その家を籍没した。李晟が奏上して、賊の偽署を受け同悪として法に抵る者の家から没収した財物・牛馬・奴婢を、軍士に賞与することを請うた。これに従った。戊午の日、車駕は京に還り、興元を発った。この日大雨であったが、斜谷に入ると晴れ上がり、従官将士は喜んで天の助けと為した。

秋七月丙子、車駕は鳳翔府に駐った。詔して管内の今年の秋税を免除した。耆寿侍老八十歳以上には、各々版授刺史を与え、紫を賜い、その他には版授上佐を与え、緋を賜った。府・県の置頓官は、考満の日に選を放った。偽署を受けた官喬琳・蔣鎮・張光晟・李通・蔣金監を誅した。朱泚が郡王・王子・王孫七十七人を馬璘の宅で害したので、丁丑の日、所司に命じて兇礼を具えさせ、浄域寺で収殮させた。庚辰の日、詔した。

李懷光はかつて職任により、頗る幹能を著わし、朕が嗣位の初め、まず抜擢を加え、心膂として託し、節旄を授けた。近年河朔が寧かでないので、征討を命じ、将相を兼ねて任じ、恩は丘山の極みに至った。朱泚が猖狂を極め、京邑を擾乱した時、懷光は軍を回して難に赴き、宗社を再び寧んじ、朕が身を保佑し、その功は甚だ茂っていた。故に元帥・河中の権、太尉・中書の秩、さらに実封を加え、宗親に及び、人臣の栄え、誰がこれに比し得ようか。朕が懷光に厚くないのではない、朕が懷光に報い崇くないのではない。賊寇未だ除かず、猜嫌已に構えられ、朱泚の奸兇の説を受け、張佋の罔惑の言を聴き、曾て沈思せず、遂に疑阻を生じ、逆孽と交通し、忠良を残害した。朕は推誠を志とし、事は皆覆い隠し、礼遇は転じて厚くし、委任は益々隆くした。懷光は全く図を改めず、愈々不軌を深くした。将士を慰問する勅書を、懷光は宣することを許さず、三軍は皆城を収めんと欲したが、懷光は出ることを許さなかった。自ら云うには、已に朱泚と定約し、更に国家に事えることはできないと。朕は眇身をもって、鴻業を承け、大計を全うせんと務め、山南に移幸し、倉皇の間、危険を備歴した。その罪状に拠れば、情実難く容れるべきであるが、然しながら解圍奉天の功は小さからず、昨また男の璀を遣わして罪を謝し、束身して朝に帰ることを請うた。朕はその過ちを知る心を憫れみ、その難に赴いた功効を念い、功をもって罪を贖わしめ、務めて優恩に在らしめんとした。今、給事中孔巢父に先に授けた懷光の太子太保の勅牒を持たせ、河中に往かせて宣諭させ、三日の内に便ち懷光とともに上都に赴かしめ、もし家口を同行せんと欲すれば、また懷光の自便に聴す。朕は必ずや終始を保全し、初めの如く寵待する。朔方の将士は、嘗て大功を立て、子儀が再び京城を収めたのは、皆この軍の功効である。昨、遠く河朔より、奉天に難に赴き、逆賊は威を畏れ、風に望んで奔遁した。永くその労績を言えば、朕は暫しも忘れない。将士は各々忠謀を竭くし、中ば迫協に遭った。朕は毎に念い及ぶごとに、痛心自ら咎む。此の者君臣阻隔するは、只だ懷光一人の為である。懷光が既に入朝を請うた以上、尚おその罪を捨てんとする。況んや諸将士は並びに功臣である。各々宜しく坦然とし、更に憂慮することなかれ。先に賜った官封は、一切旧の如し。

壬午の日、興元より至った。時に渾瑊・韓游瑰・戴休顏はその衆を以て扈従し、李晟・駱元光・尚可孤はその衆を以て奉迎し、歩騎十余万、旌旗連亘数十里、都民僧道、歓呼感泣した。李晟は三橋で謁見し、自ら城収めの遅かった咎を陳べ、地に伏して罪を請うたが、帝は慰労してこれを遣わした。丁亥の日、河中宣慰使孔巢父・中官啖守盈はともに懷光に害された。辛卯の日、丹鳳楼に御し、大赦天下した。李晟に永崇里の邸宅と女楽八人を賜った。甲午の日、宰臣諸将に命じて李晟を新たに賜った邸宅に送り入らせた。教坊の楽、京兆府の供帳食饌、鼓吹導従、京城はこれを栄観と為した。

八月辛丑の日、詔して所司に命じて贈太尉段秀實の碑を立て廟を建てさせた。淄青節度使は従前の通り陸海運を帯び、新羅渤海両蕃等使を押すこととし、宜しく李納をしてこれを兼ねさせよと命じた。癸卯の日、司徒・中書令・合川郡王李晟に鳳翔尹を兼ねさせ、鳳翔隴右節度等使・涇原四鎮北庭行営兵馬副元帥を充て、西平郡王に改封した。河東保寧軍節度使・太原尹・北都留守・検校司徒・平章事・北平郡王馬燧を奉誠軍晉絳慈隰節度行営兵馬副元帥とした。霊塩節度使・侍中・霊州大都督を兼ねる楼煩郡王渾瑊を河中尹・晉絳節度使・河中同陜虢等州及び管内行営兵馬副元帥とし、咸寧郡王に改封した。時にまさに渾瑊と馬燧に命じて各々出師し李懐光を討たせようとしたためである。甲辰の日、金吾大将軍杜希全を霊州大都督・西受降城天徳軍霊塩相夏節度営田等使とした。同絳節度使唐朝臣を鄜坊丹延等州節度使とした。保義軍節度使・鳳翔尹李楚琳を金吾大将軍とした。奉義軍節度使・隴州刺史韋皋を左金吾衛大将軍とした。戊申の日、奉天行営節度戴休顔を左龍武統軍とした。己酉の日、延王玢・随王迅・西平長公主が薨じたため、朝を廃した。己未の日、前湖州刺史袁高を給事中とした。

九月庚午の日、宗正卿李琬卒す。渾瑊に大寧里の邸宅を賜い、併せて女楽五人を賜う。詔して宰臣諸将に命じ、楽を賜い饋贈すること、李晟が邸宅に入った時の故事の如くせよとした。壬午の日、故右僕射致仕李涵に太子太保を追贈した。乙亥の日、王武俊に検校司徒を加え、李抱真に検校司空を加え、併せて実封五百戸を賜い、朱滔を破った功を賞した。甲申の日、前嶺南節度使元琇を戸部侍郎・判度支とした。丁亥の日、上、顧みて宰臣に謂いて曰く、「今大盗は除かれたとはいえ、時に猶多難である。宜しく延納を広くし、以て下情を通ぜしむべし。近日諫官に論奏する者皆無し。今より毎正衙及び延英に坐する日、常に朝臣三兩人をして時政の得失を奏せしめ、庶幾くは弘益あらんことを」と。是の秋、螟蝗野を蔽い、草木遺すところ無し。

冬十月乙丑の日、馬燧、絳州を収む。戊辰の日、中官竇文場・王希遷をして左右神策軍都知兵馬使を監せしむ。閏月庚午の日、詔して曰く、「朕、万方に臨御して君道を失い、兵革止まず、今に至るまで五年。衆庶の労を閔み、征伐の事を悔いる。而るに李希烈は義を蔑み徳を棄て、道に反し人を虐げる。朕、彼の生霊の塗炭に陥るを哀しむ。敬って物を拯わんことを存し、身を屈するを憚らず。故に歳首に特ち新令を布き、其の殊死を赦し、至誠を以て待つ。使臣纔に郊圻に及ぶや、巨猾已に其の僭窃を聞く。酷烈滋に甚だしく、吞噬厭うこと無し。将相大臣、皆憤激を懐き、継いで章疏を陳べ、固より討除を請う。朕、行う所の天誅は、本より人害を去らんとするもの、兵戈既に接すれば、玉石分ち難し。勲臣を言念すれば、横に脅制に遭い、改革を思えども、其の路由無し。汚れを受けて終身に終わり、冤みを銜んで没代に至り、胥れに淪びて逞うし、誠に痛傷すべし。豈に孽は一夫より自るも、而して毒は万姓に流れんや。人の父母となるもの、寧く愧懷せざらんや!宜しく諸道節度使に命じ明らかに行い曉諭せしめ、罪は元兇に止め、脅制の徒は一切問わざれ」と。唐朝臣、永楽県を収めしむと奏す。癸酉の日、右龍武大将軍李観を涇州刺史・涇原節度使とする。乙亥の日、詔して宋亳・淄青・澤潞・河東・恆冀・幽・易定・魏博等八節度には、螟蝗害を為し、蒸民饑饉す、毎節度に米五万石を賜い、河陽・東畿には各三万石を賜う。所司般運し、楚州に於いて分付せよと。丁丑の日、李晟、涇州に至り、節度使田希鑒を誅す。馮河清を殺した罪による。戊子の日、李希烈の将李澄、滑州を以て国に帰す。甲午の日、李澄を汴州刺史・汴滑節度使とし、武威郡王に封ず。神策行営節度使・検校尚書右僕射・馮翊郡王尚可孤卒す。

十一月癸卯の日、宋亳節度使劉洽、曲環と共に李希烈の衆を陳州に破り、三万級を俘斬し、賊将翟崇暉を生擒して献ず。戊午の日、劉洽、李希烈の衆を大破し、其の偽相鄭賁等五人を擒えて献ず。李希烈、蔡州に遁れ帰る。汴州平ぐ。乙丑の日、宰相蕭復、三たび章を上り罷免を乞う。許す。

十二月乙亥の日、淮南節度使・検校司空・平章事陳少游卒す。蕭定に太子太師を追贈す。寿州刺史張建封を濠寿都団練使とする。庚辰の日、刑部侍郎杜亜を揚州長史・淮南節度使とする。戊子の日、吏部郎中崔造を給事中とする。辛卯の日、諫議大夫陸贄を中書舎人とし、前の如く翰林学士に依る。詔して翰林学士の朝服班序は、宜しく諸司官知制誥の例に同じくすべし。

貞元元年

貞元元年正月丁酉朔、含元殿に御し朝賀を受け、礼畢、制を宣して大いに天下を赦し、元を改めて貞元とす。戊戌の日、大風雪、寒し。去秋螟蝗、冬旱、是に至り雪、寒甚だしく、民饑え凍えて死する者路に踣す。丁未の日、饒州刺史盧を福州刺史・福建允察使とする。癸丑の日、始めて太子太師・魯郡公顔真卿が李希烈に害せられたことを聞く。司徒を追贈し、五日間朝を廃し、謚して文忠と曰う。乃ち特ち其の子頵・碩等に官を授く。壬戌の日、吉州長史盧杞を澧州別駕とす。尋いで卒す。

二月丙寅朔、工部尚書賈耽・侍郎劉太真を分遣し東都・両河に往き宣慰せしむ。河南・河北饑え、米一斗千銭。癸未の日、李抱真・厳震来朝す。寒食節、上、諸将と内殿にて撃鞠す。丙戌の日、検校秘書監金良相を検校太尉・使持節・大都督・鶏林州刺史・寧海軍使とし、新羅王を襲封せしむ。辛卯の日、大雨。

三月丙申朔、蜀州刺史韓洄を兵部侍郎とす。汴東水陸運等使・左庶子包佶を刑部侍郎とす。辛丑の日、戸部侍郎・判度支元琇に諸道水陸運使を兼ねしむ。丁未の日、李希烈、南陽を陥とし、守将黄金嶽を殺す。甲寅の日、詔して宰臣に宣諭し御史に、今後上封弾奏するは、人自ら陳論し、群署して章疏すべからずと。戊午の日、宣武帥劉洽に検校司空を加う。汴滑節度使李澄を普く滑州刺史とし、鄭滑節度使を充てしむ。李納に司空を加う。

夏四月乙丑朔、普王誼、舒王に改封す。癸酉の日、鄂岳観察使李謙を洪州刺史・西都団練観察使とする。江陵度支院火災を失い、租賦銭穀百余万を焼く。時に関東大饑し、賦調入らず、是により国用益々窘し。関中饑民、蝗虫を蒸して之を食う。汴帥劉洽に名を賜いて玄佐とす。

五月癸卯の日、分ちて朝臣に命じ群神に禱りて雨を祈らしむ。蝗、海より至り、飛びて天を蔽い、下る毎に則ち草木及び畜毛復た孑遺無し。穀価騰踊す。辛酉の日、河陽都知兵馬使雍希顔を河陽懐都団練使とする。

六月丙子、兵部侍郎韓洄を以て京兆尹と為す。辛巳、劉玄佐に汴州史を兼ねしむ。壬午、工部尚書賈耽を以て御史大夫・東都留守・都畿汝州防御刺使を兼ねしめ、汴州刺史薛玨を以て河南尹と為す。辛卯、左金吾衛大將軍韋皋を以て檢校戶部尚書、兼成都尹・御史大夫・劍南西川節度觀察使と為す。國子祭酒董晉を以て左金吾衛大將軍と為す。幽州の朱滔卒す。司徒を贈る。

秋七月甲午朔、河東節度使馬燧河中行営より来朝す。庚子、大風樹を抜く。辛丑、左散騎常侍李泌を以て陜州長史・陜虢都防禦觀察陸運使と為す。丙午、鎮海軍・浙江東西道節度使韓滉を以て檢校尚書左僕射・同平章事・江淮轉運使と為し、河南尹薛玨を以て河南水陸運使と為す。戊申、馬燧行営に還る。辛亥、檢校工部尚書王士真を加えて德棣都團練觀察使と為す。壬子、前涿州刺史・兼御史中丞劉怦を以て幽州長史・御史大夫・幽州盧龍節度副大使、兼知節度管理度支營田觀察・押奚契丹經略盧龍等軍使と為す。丁巳、左散騎常侍柳渾を以て兵部侍郎と為す。庚申、諫議大夫高參を以て中書舍人と為す。關中蝗草木を食ひ盡くし、旱甚だしく、灞水將に竭きんとし、井多く水無し。有司度支の錢穀を計るに、纔かに七旬を支ふる可し。甲子、詔す、「夫れ人事下に失すれば、則ち天變上に形はる。咎徵の作るは、必ず由然有り。頃より已來、災沴仍て集り、雨澤降らず、三時に綿歷し、蟲蝗繼て臻り、千里に彌亙す。菽粟翔貴し、稼穡枯瘁し、嗷嗷たる蒸人、田畝に聚り泣く。言を此に及ぼすに、實に痛傷を切にす。遍く百神を祈るも、曾て應ふることを獲ず。方に悟るに禱祠は災を救ふの術に非ず、言詞は譴を謝するの誠に非ざるを。憂心火の如く焚け、深く自ら刻責す。得毋れ刑法舛繆し、忠良鬱湮し、暴賦未だ蠲かれず、勞師息むこと靡きか。事或は益無くして重ねて煩費を為し、任或は當たらずして横肆に侵蟊す。一も茲に在れば、足らく以て和氣を傷つく。其の所以を本づくれば、罪實に予に在り。萬姓何の辜ぞ、重ねて饑殍に罹る。出次貶食し、節用緩刑し、側身增修して、以て天戒を謹むべき所なり。朕自今より視朝して正殿に御せず、有司の供膳並びに宜しく減省すべし、不急の務は一切停罷す。諸軍將士を除く外、糧を食ふ應の人諸色の用度は、本司本使の長官商量して減罷し、以て兇荒を救へ。歳の豐登を俟ちて、即ち舊に復せしむべし。」甲子、李懷光の大將尉圭焦籬堡を以て降る。丁卯、懷光の將徐庭光長春宮の兵六千人を以て降る。甲戌、朔方の大將牛名俊李懷光を斬り、首を闕下に傅ふ。馬燧河中を收復す。丁丑、始めて雨ふる。己卯、詔す、「朕誠信未だ著はらず、撫御宜しきを失ひ、致す所功臣誅戮に陷る。之を克敵と謂ふも、能く心に愧ぢざらんや!然れども懷光一家を以て、法に於て舍つる無し。其の昔將相に居り、嘗て腹心に寄せしを念ふ。罪は刑書に掛かるといへども、功は已に王府に藏る。干紀の跡を以てすれば、固より身を滅すに合す。難に赴ける勲を以てすれば、宜しく後有るべき所なり。宜しく懷光の男一人を以て嗣と為し、莊宅各一區を賜ふべし。仍て懷光の尸首を還し、其の收葬に任すべし。懷光の妻・諸兒女は澧州に遞送し、李皋に委ね逐便安置せしめ、存立を得しむべし。其の出嫁の女・諸親は並びに釋放す。賊に陷れる將士は、一切並びに洗雪す。河中・絳の百姓は、復を一年給す。北平王馬燧・咸寧王渾瑊には並びに一子五品正員官を與ふ。燧は侍中とす可く、瑊は檢校司空とす可し。駱元光・韓游瑰・唐朝臣には各實封二百戶を賜ひ、一子六品正員官を與ふ。昨の河中行營の將士には、共に二十萬端匹を賜ひ以て宴賞に充て、本道に歸り放つ。」新たに除する中書侍郎・平章事張延賞を尚書左僕射と為す。時に宰相劉從一病み、詔して延賞を徵す。李晟延賞と隙有り、鳳翔より表を上りて之を論ず。延賞鎮西川を罷めて還り、行きて興元に至り、左僕射に改めて授く。戊子、前河陽節度使・檢校尚書左僕射・開陽郡王李芃卒す。

九月己亥、幽州節度劉怦病み、請ふに子濟を以て軍州事を權知せしむるを。之に從ふ。癸卯、牛名俊を以て丹州刺史と為す。御史大夫崔縱奏す、「制に準ひて内外の官員を勘會し、商量して並省停減し、詳議して聞奏せしむる者に伏す。兵戎未だ息まず、仕進頗る多し。官に在る者は既に序遷に合ひ、功有る者は又褒賞を頒つ。比來選集に至る毎に、闕に據りて人を留むるを免れず、嘗て遺才を嘆き、仍て怨望を招く。況んや恩詔有りて功勞を甄錄し、諸道優を敘し、人數甚だ廣く、處置を見須すべく、稽留す可からず。今若し吏員を停減せば、實に事に未だ便ならざるを恐る。唯だ優を承くる者官無くして授く可からず、抑又敘進する者路無くして容る可からざるのみに非ず、本便人を冀ひしに、翻て怨を斂むるを成す。事仍て舊貫に依り、以て時宜に適ひ、更に事平を待ちて、然る後に經度すべし。」制之に從ふ。乙巳、上正殿に御し、賢良方正・能直言極諫等三科の舉人を策す。辛亥、宰相劉從一疾を以て任を辭し、戶部尚書を授く。庚申、劉從一卒す。幽州節度使劉怦卒す。辛巳、權知幽州盧龍軍府事劉濟を以て幽州長史・兼御史大夫・幽州盧龍節度觀察・押奚契丹兩蕃等使と為す。丙戌、渾瑊河中来朝す。

十一月癸巳朔、山南嚴震来朝す。癸卯、上親しく圓丘に於て昊天上帝を祀る。時に河中の渾瑊・澤潞の李抱真・山南の嚴震・同華の駱元光・邠寧の韓游瑰・鄜坊の唐朝臣・奉誠の康日知等の大將侍祠す。郊壇畢りて、宮に還り、丹鳳樓に御し、大赦天下す。丁丑、詔して文武常參官に共に錢七百萬貫を賜ふ。歳兇にして穀貴く、衣冠窘乏する故なり。

十二月戊辰、詔す、延英に視事する日、常參官七人をして引對せしめ、時政の得失を陳べしむ。是より群官互ひに進み、理道に達せざる者有り。因りて多く詆訐し、事宜に適はず。上亦優容して之を遣す。

貞元二年

二年春正月壬辰朔、歳の饑饉により元会を罷む、礼なり。丙申、詔して民の饑饉を以て、御膳の費を半減し、宮人の月に共する糧米都一千五百石、飛龍馬の料を半減す;台郎御史と兼官とを出して畿赤の令と為す。庚子、大雪、平地尺余。壬寅、散騎常侍劉滋・給事中崔造・中書舎人齊映を以て並びに本官を守り、同中書門下平章事と為す。門下侍郎・平章事盧翰を太子賓客と為す。丁未、礼部侍郎鮑防を以て京兆尹と為し、京兆尹韓洄を刑部侍郎と為し、国子祭酒包佶に礼部貢挙を掌らしむ。江陵少尹李復を以て容州刺史・本管経略使と為す。癸丑、御史大夫崔縦を吏部侍郎と為す。諫議大夫・知制誥・翰林学士吉中孚を戸部侍郎・判度支両税と為し、元琇に諸道塩鉄・搉酒を判らしむ。詔して宰相齊映に兵部を判らしめ、李勉に刑部を判らしめ、劉滋に吏部・礼部を判らしめ、崔造に戸部・工部を判らしむ。甲寅、詔して天下の両税銭物は、本道観察使・刺史に委ねて人を差し上都に送らしむ;其の先に置く諸道水陸転運使及び度支巡院・江淮転運等使は並びに停む。時に崔造専政し、銭穀を改易し、職事多く隳敗す;造尋いで憂病を以て第に帰る。

二月癸亥、山南樊沢、希烈の将杜文朝の衆五千を破りたるを奏し、文朝を擒えて以て献ず。乙丑、鹿含元殿に入る、衛士之を執る。甲戌、戸部侍郎元琇を尚書左丞と為し、京兆少尹李竦を戸部侍郎・判塩鉄搉酒と為す。

三月壬寅、滑州李澄、鄭州に於いて希烈の衆を破りたるを奏す。乙巳、司農卿李模を以て黔中観察使と為す。

四月丙寅、淮西李希烈其の牙将陳仙奇に為にCGせられ、並びに其の妻子を誅す、仙奇淮西を以て帰順す。戊辰、前黔中観察使元全柔を以て湖南観察使と為す。辛巳、陜州観察使李泌、盧氏山の冶瑟瑟を出すを奏し、請う禁じて以て貢奉に充てんと。上曰く「瑟瑟は中土に産せず、有れば則ち民と之を共にす、人を任せて採取せしむ」と。甲申、詔して淮西牙将陳仙奇を蔡州刺史・淮西節度使と為し、都統劉玄佐・李澄・曲環・李皋・賈耽・張建封各に一子の正員官を与ふ、淮・蔡を平げたる功を賞するなり。丁未、剣南東川節度使李叔明を以て太子太傅と為し、東川兵馬使王叔邕を梓州刺史・剣南東川節度使と為す。

五月丙申、癸巳より大雨茲日に至る、饑民夏麦の登らんことを俟つに、又此の霖澍有り、人心甚だ恐る、米復た千銭。丁酉、伊西北庭節度留後楊襲古を以て北庭大都護・伊西北庭節度度支営田瀚海等使と為す。己亥、百僚上に請う常膳を復せんことを;是の時民久しく饑困し、新麦を食すること過多にして、死者甚だ衆し。伊西北庭節度使李元忠卒す、司空を贈る。辛酉、大風雨、街陌水深さ数尺、人溺死する者有り。癸未、横海軍使・滄州刺史程日華卒す、其の子懐直を以て権に軍州事を知らしむ。

秋七月戊子、黔中観察使の理所復た黔州に在り。辛卯、開州別駕白志貞を以て果州刺史と為す。乙未、福建観察盧惎卒す。己酉、虔王諒を以て申光・随・蔡節度大使と為し、淮西兵馬使呉少誠を蔡州刺史・知節度留後と為し、東都留守賈耽に東都畿唐・汝・鄧都防禦観察使を加え、隴右行営節度使曲環を以て陳許節度使と為す。戊午、鄜坊節度唐朝臣を以て単于大都護・振武綏銀節度使と為し、右金吾大将軍論惟明を鄜州刺史・鄜坊都防禦観察使と為す。己巳、金吾大将軍董晋を以て尚書右丞と為す。庚辰、右散騎常侍蔣沇卒す。丙戌、吐蕃涇・隴・邠・寧を寇す、諸鎮守壁を閉ざして自ら固くし、京師戒厳す。河中節度駱元光を遣わして咸陽に鎮ましむ。

九月、詔す「左右金吾及び十六衛将軍、故事皆勛臣を択び、方隅に出鎮し、侍従に入居す。天宝の艱難の後より、衛兵は雖だ廃闕すれども、将軍の品秩は猶ほ高し。此れ誠に文武勛臣の出入転遷の地、宜しく禄秩を増し、以て優崇を示すべし。並びに宜しく料銭及び随身糧課を加給し、仍り故事を挙げ、武班朝参を置き、其の廊下食も亦た宜しく加給すべし。其の十六衛各に上将軍一人を置き、秩従二品;左右金吾上将軍、俸料は六統軍に次ぎて支給す。理に致らんと欲すれば、必ず兼才を藉り、文武遞遷し、全く限隔せず。今より内外文武の官缺くれば、文武班中に才望を量り相参して叙用すべし。仍り故事に依り、本衛に衛兵を量り置く。所司条件を以て聞せよ」と。丁酉、義成軍節度・鄭滑観察等使・検校尚書左僕射・滑州刺史・武威郡王李澄卒す。東都畿・唐・鄧・汝等防禦観察使賈耽を以て検校尚書右僕射と為し、滑州刺史・義成軍節度・鄭滑等州観察使を兼ぬ。戊戌、吏部侍郎崔縦を以て検校礼部尚書・東都留守・東都畿唐鄧汝防禦観察使と為す。己亥、左右衛上将軍・大将軍に勅し並びに衛内に宿す。乙巳、吐蕃好畤を寇し、京師戒厳す。李晟の部将王佖、汧陽城に於いて吐蕃を撃ち、其の中軍を敗る。辛亥、鳳翔を寇し、李晟師を出して之を御す、一夕にして退く。

冬十月壬午、関内・河中・河南等道の秋夏両税・青苗等銭は、悉く粟麦に折納し、兼ねて估を加えて収糴し以て民に便ならしむ、之に従ふ。是の月、李晟吐蕃の摧沙堡を破る。

十一月甲午、淑妃王氏を冊して皇后と為す。乙未、両浙節度使韓滉来朝す。丁酉、皇后王氏を冊す。是の日後に崩ず、謚して昭德と曰ふ。辛丑、吐蕃塩州を陥す。壬寅、劉玄佐・曲環・鄂岳盧玄卿並びに来朝す。

十二月丁巳、韓滉に度支・諸道塩鉄転運使を兼ねしむ。吐蕃夏州を陥し、又銀州を陥す。庚申、給事中・同平章事崔造を右庶子と為す。尚書右丞・度支元琇を貶して雷州司戸と為す、韓滉の誣奏に為り、人以為く罪に非ずと、諫官屡之を論ず。辛未、鳳翔李晟来朝す。壬申、京城畿内の搉酒、毎斗搉銭一百五十文、酒戸の差役を蠲免す、度支の奏に従ふなり。

貞元三年

三年春正月丙戌朔。壬寅、左僕射張延賞を以て同中書門下平章事と為す。乙巳、禮部侍郎薛播卒す。辛亥、戶部侍郎李竦を以て鄂岳觀察使と為す。壬子、兵部侍郎柳渾を以て同中書門下平章事と為す。劉滋は本官を守り、政事を知るを罷む。中書舍人・平章事齊映は夔州刺史に貶せらる。戊寅、度支鹽鐵轉運使・鎮海軍節度・浙江東西道觀察等使・檢校左僕射・同中書門下平章事・晉國公韓滉卒す。太傅を贈る。果州刺史白志貞を以て潤州刺史・兼御史大夫・浙西觀察使と為し、宣州刺史皇甫政を以て越州刺史・浙東觀察使と為す。

三月庚寅、詔して今年の朝集使は停むべしとす。丙午、鳳翔隴右元帥副兵馬使吳詵を福建觀察使と為し、鳳翔都虞候邢君牙を鳳翔尹・本府團練使と為す。丁未、制す。鳳翔隴右涇原四鎮北庭管內兵馬副元帥・鳳翔隴右道節度使・奉天靖難功臣・司徒兼中書令・鳳翔尹・上柱國・西平郡王・食實封一千五百戶李晟は太尉兼中書令と為すべしと。庚戌、晟の甥元帥兵馬使王佖を右威衛上將軍と為す。辛亥、河東の馬燧來朝す。時に蕃相尚結贊、大將論頰熱を使わし、卑辭厚意を以て馬燧に告げ、両国の同盟和好を請う。上は其の誠ならざるを疑い、允さず。故に燧自ら論頰熱を将いて入朝し、盛んに蕃相の盟を請うは信を保つべしとを言う。上乃ち之に従い、平涼に於いて盟を許す。

夏四月庚申、詔す。「蕃寇は退けりと雖も、疆理は猶虞るべし。辺を安んずるの策は、必ず良算有らん。宜しく常参官をして各々辺事を陳べしめ、見る所に随い封じて進め以て聞かしむべし。」入蕃使崔翰奏す。蕃中に於いて給役者を誘問し、蕃国の人馬の真数を求めしに、云う凡そ五萬九千餘人、馬八萬六千匹、戦う可き者は僅かに三萬人、餘は悉く老幼なりと。庚午、麟德殿に御し、『定難楽曲』を試す。馬燧の献ずる所なり。

五月丁亥、侍中渾瑊を以て吐蕃清水會盟使と為し、兵部尚書崔漢衡を之に副わす。瑊は駱元光と師二萬を率いて会盟の所に往く。丁酉、左丞暢悅を以て湖南觀察使と為す。戊戌、左右神策・左右龍武各々將軍一員を加う。丙午、嶺南節度使杜佑を以て尚書右丞と為し、容管經略使李復を以て廣州刺史・嶺南節度使と為す。蕃相尚結贊、会盟の所を原州の土梨樹に改むるを請う。神策将馬有麟奏す。「土梨は地多く険厄にして、恐らくは蕃軍の隠伏せん。平涼川に如かず。其の地は坦平にして、又涇州に近し。」乃ち平涼川に盟を改む。

十月、東都・河南・江陵・汴州・揚州大水有り、民の廬舍を漂う。

閏月乙卯、國子司業裴胄を以て潭州刺史・湖南觀察使と為す。戊午、陜虢の李泌瑞麥を献ず。一莖五穗なり。庚申、詔して州縣の官員を省く。上州は上佐・錄事・參軍・司戶・司士各一員を留め、中州は上佐・錄事・參軍・司戶・司兵各一員を留め、下州は上佐・錄事・司戶各一員を留む。京兆河南両府の司錄・判司及び四赤の丞・簿・尉は量りて一半を留め、諸赤畿縣は令・丞・尉各一員を留む。時に宰相張延賞、官を減じ俸料を収めて以て吐蕃を討つ軍を助けんことを請う故なり。壬戌、日に黒暈有り、辰より申に及びて方に散ず。癸亥、荊南節度使・檢校戶部尚書・嗣曹王皋を以て襄州刺史・山南東道節度・襄鄧郢安隨唐等州觀察使と為し、山南東道節度使樊澤を以て江陵尹・荊南節度使と為す。辛未、侍中渾瑊と吐蕃宰相尚結贊と平涼に於いて同盟す。蕃兵に劫せられ、瑊狼狽として遁れて免るるを得、崔漢衡已下将吏陷沒する者六十餘人。癸酉、使を遣わし書を齎して以て結贊を譲る。蕃界受けず。戊寅、枉矢虚危に墜つ。辛巳、少府監盧嶽を以て陜虢觀察使と為す。是の月、太白晝に見ゆ。凡そ四十餘日。

六月丙戌、檢校司徒・侍中馬燧を以て司徒兼侍中と為す。吐蕃の盟に賛して失策し兵柄を罷むるなり。陜虢觀察使李泌を以て中書侍郎・平章事と為す。左龍武將軍李自良を以て檢校工部尚書・太原尹・河東節度使と為す。乙巳、浙西觀察使白志貞卒す。是の月、吐蕃鹽・夏二州の居民を駆り、其の州城を焚きて去る。

七月甲寅、渾瑊盟所より来たり、素服して罪を待つ。之を釈す。乙卯、詔す。「朕頃に師を興し辺を備うるに縁り、資用給わず。遂に権に官を減ずるを議し、以て事を集むるに務む。近く聞く、官を授けらるる者は皆已に牒に随いて之に任じ、老を扶け幼を携え、室を尽くして而行く。俸祿未だ請わず、帰還する所無し。衣冠の弊、流寓して何に依らん。其れ先に敕して減ぜし官員は、並びに宜しく旧に仍るべし。」初め既に員を減ずるや、内外張延賞を怨み咨う。李泌初めて相に入り、乃ち官を諷して之を論ぜしめ、乃ち此の詔を下す。丙辰、平涼に陷蕃したる官員崔漢衡已下各々一子に正員官を与う。左羽林大將軍韓潭を以て夏州刺史・夏綏銀等州節度使と為す。壬申、駱元光に姓を賜いて李元諒と曰わしむ。尚書左僕射・同中書門下平章事張延賞薨ず。太保を贈る。癸酉、吏部小選を復置す。

八月辛巳朔、日蝕有り。丁亥、陷蕃したる兵部尚書崔漢衡還るを得。己丑、兵部侍郎・平章事柳渾を以て散騎常侍と為し、政事を知るを罷む。壬申、給事中王緯を以て潤州刺史・浙西觀察使と為し、常州刺史劉贊を以て宣州刺史・宣歙池觀察使と為す。戊戌、前門下侍郎・平章事蕭復を太子左庶子に貶し、饒州に安置す。宗人の位・佩・儒・偲・鼎等、郜國長公主の奸蠱の事に連坐するに坐す。戊辰、吐蕃寒を犯す。諸軍戒厳す。

九月丁巳、吐蕃大いに汧陽・呉山・華亭界の民庶を掠め、安化峽西に徙す。庚申、左庶子崔造卒す。癸亥、回紇可汗、使合闕將軍を遣わし我に婚を請う。咸安公主を以て之に降嫁するを許す。丙寅、吐蕃華亭を陷す。又涇州の連雲堡を陷す。甲戌、吐蕃退く。邠・涇・隴等州の民戸を俘掠すること殆んど尽くす。是より以降、蕃寇常に涇・隴に至る。

冬十月、吐蕃原州城を修し、之に屯據す。丁亥、太子太傅李叔明卒す。丙戌、神策将魏循上言す。「射生将韓欽緒等十餘人、資敬寺の妖僧李廣弘と同謀して不軌を図る。廣弘自ら言う、人主と為るべしと。十月十日を約して大挙し、已に将相の名目を署置す。」詔して之を捕え劾す。連坐して死する者百餘人。欽緒は游瑰の子なり。特に之を赦す。是の月、復た魚書を降して刺史の務を停む。

十一月丁丑、湖南観察使趙憬を給事中とする。この夜、京師に地震三たびあり、鳥の巣散落す。壬申、商人の口馬兵械を以て党項に市することを禁ず。辛丑、鄜坊節度使論惟明卒す。この歳、玄英観を大明宮北垣に作る。