舊五代史

漢書かんじょ四: 隱帝本紀中

乾祐二年春正月乙巳朔、制を下して曰く、

朕は微軀を以て、洪緒を継ぐことを得たり。器を守り祧を承くるの重きを思い、深きに臨み薄きを履むの憂いを懐く。天道なお艱しきに属し、王室多故にして、天は重き戾を降し、国に大喪あり。奸臣は禍を楽しみて危を図り、群寇は災を幸いにして隙を伺う。力役未だ息まず、兵革まさに殷し。朕の胆を嘗め氷を履む所以は、飧を廃し寐を輟み、億兆の上に居すと雖も、九五を以て尊しとせず、漸く承平を冀い、遐邇を永安せんとす。内には則ち太后の慈訓を稟り、外には則ち多士の忠勛を仗る。股肱は謀を叶え、爪牙は力を宣ぶ。西には三叛を摧き、その背を撫でてその喉を扼ち、北には諸蕃を挫き、その臂を断ちてその脊を折る。次には則ち巴・邛の嘯聚、淮・海の猖狂、纔に矢接ぎ鋒交わるを聞くや、已に山摧け岸沮つを見る。寇難少しく息み、師徒虧けず。兼ねて園陵を修奉し、宗廟を崇建す。右は賢に左は戚に、寅を同じくして恭を協え、多事の中に大禮闕くこと無し。負荷斯の如く重く、哀感まことに深し。

今三陽和を布き、四序更に始まるに、宜しく兌澤を申べ、天休に允かに答うべし。獄を恤み刑を緩め、過を捨て罪を宥し、万物の莩甲に当たり、三面の網羅を開き、彼の発生に順い、以て和気を召すべし。乾祐二年正月一日昧爽以前、天下に見禁の罪人、十悪五逆・官典贓を犯す・毒薬を造るに合う・家を劫し人を殺す正身を除くの外、その余は並びに放つ。

河府の李守貞・鳳翔の王景崇・永興の趙思綰等は、比来国家と素より讎釁無く、偶因疑懼に因り、遂に叛違に至る。然れども彼の生靈は、朕の赤子なり。久しく孤壘に陷り、辜ならざるを念うべし。子を易え骸を析ち、溝に填り壑に委す。人の父母として、寧く軫傷せざらんや。但だ己を屈し人を愛するは、先王の厚德、垢を包み辱を含むは、列聖の美談なり。宜しく物を済すの恩を推し、以て生を好むの道を広むべし。その李守貞等は、宜しく逐処の都部署に分明に曉諭せしむべし。若し翻然として歸順せば、朕即ち初めの如く之を待ち、終始を保ち、その富貴を享けしめん。信誓を明かに申し、固より改移無し。その或は誠を推すに順わず、堅く拒命せんと欲せば、便ち時に応じ攻擊し、日を克ちて蕩平すべし。城池を收復するを俟ち、罪は元惡に止め、その余の詿誤は、一切問わず。

重ねて征討已來を念うに、勞役滋甚しく、兵猶野に在り、民未だ肩を息めず。急賦繁征、財殫力匱す。矜恤の澤、疲羸に被らざるに未だし、愁嘆の聲、幾くそ道路に盈つ。即ち邊鋒少しく弭み、國患漸く除かるるを俟ち、當に優饒を議し、冀く蘇息を得んとす。諸道の藩侯郡守等は、咸分を寄任し、共に憂勞を體す。更に宜しく彼の瘡痍を念い、倍に勤恤を加え、鄉閭の疾苦を究め、州縣の煩苛を去り、耕桑を勸課し、冤濫を省察し、共に庶政を恢め、以て憂勞に副うべし。凡百臣僚、朕が意を體すべし。

壬子、前昭義軍節度使張從恩に衣一襲、金帶・鞍馬・彩帛等を賜う。時に無名の文書を投じて從恩を誣告する者有り、故に特有是の賜有りて、以て其の心を安んず。乙卯、河府軍前奏す、今月四日夜、賊軍密かに河西寨を斫り、捕斬七百餘級。時にしょく軍大散關より來り王景崇を援け、郭威自ら兵を將いて岐下に赴かんとす。將に行かんとし、白文珂・劉詞等に戒めて曰く、「賊のぎょう勇、並びに城西に在り、慎んで儆備せよ」と。既に行き、華州に至り、川軍退敗するを聞き、且つ文珂等の賊の奔突するを憂い、遂に兼程して回る。賊城内偵知して郭威西行するを、正月四日夜、賊將王三鐵等を遣わし、驍勇千餘人を率い、流に沿いて南行し、岸を坎でて登り、三道を為して來攻す。賊軍已に王師の寨中に入る。劉詞極力之を拒ぎ、短兵既に接し、遂に之を敗る。

二月丙子、詔す、「諸道州府、所征の乾祐元年夏秋苗畝上紐征の白米稈草已納の外は、並びに放つ」と。是の日旦、黑霧四塞す。丁丑夕、大風。乙酉、前房州刺史李筠夫を以て鴻臚卿と為す。戊子、前右監門將軍喬達、及び其の兄契丹偽命の客省使榮等皆棄市す。達は李守貞の妹婿なり、故に皆之を誅す。庚寅、徐州巡檢使成德欽奏す、峒吾鎮に至りて淮賊に遇い、之を破り、五百人を殺し、一百二十人を生擒すと。戊戌、大雨霖。庚子、詔して左諫議大夫賈緯等に高祖こうそ實錄を修撰せしむ。

三月丙辰、北京衙内指揮使劉鈞を以て汾州防禦使と為す。

夏四月丙子、荊南節度行軍司馬・武泰軍節度留後王保義を以て檢校太尉と為し、武泰軍節度使を領せしめ、行軍は故の如し。丁丑、潁州紫兔・白兔を獻ず。是の月、幽・定・滄・貝・深・冀等州地震す。辛巳、太白天を經る。辛丑、道宮に幸して雨を禱る。

五月甲辰朔、故湖南節度使・檢校太尉・兼中書令・扶風郡公・贈太師馬希聲を追封して衡陽王と為す。戊申、前邠州節度使安審約を以て左神武統軍と為し、前洛京副留守袁鳷を以て右神武統軍と為す。乙卯、河府軍前奏す、今月九日、河中節度副使周光遜賊の河西寨を棄て、將士一千一百三十人と來奔すと。己未、右監門大將軍許遷上言す、奉使して博州博平縣界に至り、蝝生れ彌亘數里するを睹る。一夕並びに化して蝶と為り飛び去ると。辛酉、兗・鄆・齊三州蝝生ずるを奏す。乙丑、永興趙思綰牙將劉成を遣わし闕に詣りて降を乞う。制して趙思綰を華州節度留後・檢校太保に授け、永興城內都指揮使常彦卿を以て虢州刺史と為す。丁卯、宋州奏す、蝗草を抱いて死すと。己巳、湖南奏す、蠻賀州を寇し、大將軍徐進を遣わし兵を率いて之を援け、風陽山下に戰い、蠻獠を大敗し、首五千級を斬ると。

六月癸酉朔、日食有り。兗州奏す、蝗二萬斛を捕え、魏・博・宿三州蝗草を抱いて死すと。乙亥、潁州白鹿を獻ず。戊寅、安州節度使楊信奏す、亡父光遠、神道碑を賜わるを蒙る。鐫勒畢りて、故無く中斷すと。詔して別に石を斷ち鐫勒せしむ。己卯、滑・濮・澶・漕・兗・淄・青・齊・宿・懷・相・衛・博・陳等州蝗有るを奏す。分命中使して所在の川澤山林の神に致祭せしむ。開封府・滑・曹等州蝗甚だしく、使を遣わして之を捕わしむ。壬午、月心星を犯す。辛卯、回鶻使を遣わし方物を貢ぐ。丙申、商州乾元縣を改めて乾祐縣と為し、京兆府に隷す。是の月、邠・寧・澤・潞・涇・延・鄜・坊・晉・絳等州旱す。

秋七月辛亥、湖南が奏上し、長沙県の東界を分けて龍喜県とすることを請う。これを許す。丙辰、枢密使郭威が奏上し、河府の羅城を収復し、李守貞は子城に退いて守る。丁巳、永興都部署郭従義が奏上す、「新たに華州留後に任ぜられた趙思綰は、今月三日に華州留後に任ぜられ、詔に準じて赴任すべきところ、三度行期を移し、なお牙兵に給するため鎧甲を求め、これを与えたが、ついに路に従わず。九日の夕、部曲の曹彦進が告げるに、思綰は十一日の夜に同悪五百人とともに南山に奔り蜀に入らんとす。この日、詰旦(明け方)に再び上路を促すと、夜を待って途に進むと言う。臣はただちに王峻とともに城に入り、兵を分けて四門を守らせ、その趙思綰の部下の軍は、各々すでに帯びたるものを執り、ついに牙署に至り、趙思綰が至ればこれを執らせ、一行の徒党とともに処置を終えたり。」甲子、枢密使郭威が奏上し、河中府を収復し、逆賊李守貞は自ら焼き死す。丙寅、権涼州留後折逋嘉施を河西軍節度留後とする。兗州が奏上し、蝗を二万斛捕らう。丁卯、前洺州団練使武漢球卒す。戊辰、永興軍節度使兼兵馬都部署郭従義に同平章事を加え、華州節度使に移す。郭従義が奏上し、前巡検使喬守温、供奉官王益、時知化、任継勲等を処斬す。守温は高祖の命を受けて京兆を巡検し、時に王益が鳳翔より趙思綰等を押送して闕に赴く、京兆に至り、守温は郊外にて王益を迎え、思綰等が突然乱を起こし、ついにその城を占拠す。郭従義が兵を率いて攻討するに及び、守温に役夫の部署を命ず。守温に愛姫ありて賊城に陥ち、思綰に録せられ、城を収むるに及び、従義は思綰の婢僕をことごとく得、守温その愛姫を求め、従義はこれと与うるも、意にうらむところあり、ついに前罪を発し、密かに郭威に啓し、これを除くことを請い、王益等とともに誅せらる。兗州が奏上し、蝗を四万斛捕らう。壬午、西京留台侍御史趙礪が弾奏す、太子太保王延、太子洗馬張季凝等は、去年五月以後より、毎度請仮(休暇)を称し、ともに拝起に任ぜずと。詔す、延等は宜しく本官をもって致仕すべし。甲申、陝州節度使・充河中一行兵馬都部署白文珂を西京留守とし、兼侍中を加う。潞州節度使・充河中一行副都署常思に検校太師を加う。右散騎常侍さんきじょうじ盧撰を戸部侍郎致仕とする。辛卯、右拾遺高守瓊上言す、「仕官の年未だ三十に満たざる者は、県令を除授せざることを請う。」詔す、「今後より諸色の選人、年七十に及ぶ者は、宜しく優散官に註すべし。年少にして未だ資考を歴せざる者は、県令に註擬すべからず。」癸巳、翰林学士・工部尚書張沆を礼部尚書とする。沆は先人の葬を卜し、内署に例なくして仮を乞う、すなわち上章して解職を請い、もって葬事に赴かんとす。ついに職を落としてこれを遣わす。乙未、宣徽南院使・永興行営兵馬都監王峻、宣徽北院使・河府行営兵馬都監呉虔裕、ともに検校太傅を加う。

九月乙己、枢密使郭威に検校太師・兼侍中を加え、宋州節度使兼侍衛親軍都指揮使史宏肇に兼中書令を加う。初め、郭威が河中を平らげて帰り、朝廷恩を加うることを議す。威奏して曰く、「臣が出兵して以来、輦轂の下に犬吠の憂いなく、臣をして専一にその事を得しめ、軍旅の聚まる所、資糧乏しからず。これ皆な中に居る大臣の鎮撫謀画の功なり。臣安んぞ敢えて独りその美をほしいままにせんや。」帝然りとす。ここにおいて宏肇と宰相・枢密使・三司使、次第に恩を加う。既にして諸大臣、恩の被る所は皆な朝廷の親近の臣にして、宗室の劉信及び青州の劉銖等は皆な国家の元勛、必ずや不平の意あらん、かつ外には諸侯が朝廷の親近に私す有るを慮る。ここにおいて四方の侯伯に及び、普く恩を加うることを議す。丙午、西京留守判官時彦澄・推官姜蟾・少尹崔淑、ともに居官を免ぜらる。府に随わずして罷職したるに坐し、留台侍御史趙礪の弾する所となる。己酉、右千牛上将軍孫漢赟を絳州刺史とする。礼部尚書・判吏部尚書銓事王松、見任を停む。子の仁宝が李守貞に従事したるに坐す。尋いでその第に卒す。辛亥、宰臣竇貞固に守司徒しとを加え、蘇逢吉に守司空しくうを加え、蘇禹珪に左僕射を加え、楊邠に右僕射を加え、前に依りて兼枢密使とす。太子太師致仕皇甫立卒す。癸丑、三司使王章に邑封を加う。乙卯、鄴都の高行周に守太師を加え、襄州の安審琦に守太傅を加え、兗州府の符彦卿に守太保を加え、北京の劉崇に兼中書令を加う。丁巳、澶州の李洪信を移鎮して陝州とし、侍衛馬軍都指揮使・遂州節度使李洪義を澶州節度使とする。己未、許州の劉信に兼侍中を加え、開封尹侯益を進めて魯国公に封じ、鄆州の慕容彦超・青州の劉銖にともに兼侍中を加う。湖南の馬希広が奏上し、八月十八日に朗州の馬希萼の衆を大破す。辛酉、霊州の馮暉・夏州の李彜殷にともに兼中書令を加う。右武衛将軍石懿・左武衛将軍石訓、ともに任を停む。懿等は八月中秋に、晋の五廟を享け、倡婦をして斎宮に宿らしむ。鴻臚寺これを劾す。故にこの責有り。癸亥、鎮州の武行徳・鳳翔の趙暉にともに検校太師を加う。鄴都・磁・相・邢・洺等州が奏上し、霖雨禾稼を害す。西京が奏上し、洛水岸に溢る。乙丑、晋州の王晏・同州の張彦赟・邠州の侯章・涇州の史懿・滄州の王景・延州の高允権にともに検校太師を加う。

冬十月庚午朔、契丹寇す。この日、定州の孫方簡・徐州の劉赟にともに同平章事を加え、利州節度使宋延渥を滑州節度使とする。甲戌、皇弟興元節度使勛に検校太師を加う。丙子、相州の郭謹・貝州の王継宏・邢州の薛懐譲にともに検校太尉を加う。庚辰、安州の楊信・鄧州の劉重進に検校太師を加え、河陽の李暉に検校太傅を加う。壬午、両浙の銭宏俶に守尚書令しょうしょれいを加え、湖南の馬希広に守太尉を加う。癸未、監修国史蘇逢吉・史官賈緯、撰する所の『高祖実録』二十巻を上る。丙戌、荊南の高保融に検校太師・兼侍中を加う。殿前都部署・江州防禦使李建を遂州節度使とし、充侍衛馬軍都指揮使とす。奉国左廂都指揮使・永州防禦使王殷を夔州節度使とし、充侍衛歩軍都指揮使とす。契丹、貝州の高老鎮を陥し、南は鄴都の北境に至り、また西北は南宮・堂陽に至り、吏民を殺掠す。数州の地、大いにその苦しみを受け、藩郡の守将は関を閉じて自ら固む。枢密使郭威を遣わして師を率い辺を巡らしめ、なお宣徽使王峻に軍事に参預せしむ。庚寅、府州の折従阮を進めて岐国公に封じ、豊州の郭勲を進めて虢国公に封ず。

十一月壬寅、鄜州留後の王饒に検校太傅を加える。癸丑、呉越国王錢宏俶の母吳氏を順徳太夫人とする。時に議する者曰く、「封贈の制、婦人に国邑の号あり、死して乃ち諡あり、后妃・公主もまた然り。唐の則天は女主にして、我より古を作す、乃ち生けるに則天の号あり、韋庶人に順聖の号あり、礼を知る者は之を非とす。近代、梁氏は張宗奭の妻に号を賜いて賢懿と曰い、又た庄惠と改む。今、呉氏を以て順徳と為す、皆な古の道に非ざるなり」と。乙卯、大府卿の劉皞を宗正卿と為す。

十二月庚午朔、湖南より奏す、静江軍節度使の馬希贍、今年十月十八日に卒すと。朝を廃すること二日。辛未、日暈三重。戊寅、司徒・門下侍郎・平章事の竇貞固奏し、晋朝実録の修撰を請う。詔して史官の賈緯・竇儼・王伸等に修撰せしむ。礼部尚書の張沆を以て復た翰林学士と為す。壬午、皇帝の二十一姉永寧公主、秦国長公主に進封す。潁州より奏す、淮賊を正陽にて破ると。