是の歳六月十三日乙丑、高祖崩じ、遺制を承けて柩前において即ち皇帝の位に即く。帝、并州に在りて未だ人望著しからず、及んで浚郊を保釐し、大いに寛裕の称有り。鄴都に従幸し、是の歳旱に遇ふ。高祖、白龍潭に雨を祈らしむるに、白龍潭心に見ゆ。是の夜、雨尺余を澍し、人皆之を異とす。是に至りて果たして大位に登る。丁卯、侍衛諸軍の将校に銭一百貫より下は五貫までを賜ひ、以て初めて即位するを示し賫ふなり。戊辰、宰臣馮道等、百僚を率ひて聴政を請ふ。凡そ三たび表を上り、之を允す。庚午、始めて崇徳殿門の偏廊に於いて聴政し、廷臣を分ち命じて以て嗣位を天地宗廟社稷に奏告せしむ。右驍衛将軍石徳超等を遣はし、先皇の御馬二匹を押し、相州の西山に往きて撲祭せしむ。北俗の礼を用ふるなり。丙子、司徒・兼侍中馮道を以て大行皇帝山陵使と為し、門下侍郎竇貞固之を副へ、太常卿崔棁を礼儀使と為し、戸部侍郎呂琦を鹵簿使と為し、御史中丞王易簡を儀仗使と為す。己卯、判四方館事朱崇節・右金吾大将軍梁言を遣はし、国信物を持して契丹に使はしむ。是の時、河南・河北・関西並びに蝗の稼を害するを奏す。
九月丁丑朔、百官は素服を着て天清殿に臨む。己卯、朝臣を分ち命じて寺観に詣り雨を禱らしむ。辛巳、兩浙節度使吳越國王錢宏佐・福建節度使王延羲に並びに食邑を加へ、仍ひ功臣の名號を改めて賜ふ。癸未、帝乾明門に御し、襄州行營都部署高行周・都監張從恩等の俘馘を献ずるを観る。有司露布を宣し訖り、安從進の男宏受等四十四人を以て市に徇し、皆之を斬る。京城の禁囚を曲赦す。甲申、班師の将校を崇徳殿に宴し、物を賜ふこと差有り。乙酉、宰臣和凝『回河頌』を上る、鞍馬器帛を賜ふ。丁亥、宋州歸徳軍節度使安彥威を以て西京留守兼河南尹と為し、襄州行營都部署・西京留守高行周を以て宋州節度使と為し、檢校太師を加ふ。戊子、襄州を降して防禦使額と為し、均・房二州を割きて鄧州に属し、泌州を升めて團練使額と為す。己丑、東京留守兼開封尹李德充を以て廣晉尹と為し、宣徽南院使・襄州行營都監張從恩を以て東京留守兼開封尹と為し、檢校太尉を加へ、前同州節度使・襄州行營副部署宋彥筠を以て鄧州威勝軍節度使と為し、檢校太尉を加ふ。山陵禮儀使、高祖の祔饗太廟の酌献楽章を撰し、之を上る。庚寅、詔して今後留守を除授するは、宜しく麻制を降すべし。癸巳、樂平公主史氏を進めて魯國大長公主と封じ、壽安長公主烏氏を進めて衛國大長公主と封じ、鄭國長公主杜氏を進めて宋國大長公主と封ず。荊南の高從誨累表して尚書令の命を譲る。己亥、故秦國長公主を追封して梁國長公主と為し、故永壽長公主を追封して岐國大長公主と為し、故延慶長公主を追封して邠國大長公主と為す。辛丑、義成軍節度使兼侍衛馬軍都指揮使李守貞を以て大行皇帝山陵一行都部署を充てる。壬寅、宣徽北院使・判三司劉遂清を以て鄭州防禦使と為し、澶州防禦使李承福を以て宣徽北院使と為す。癸卯、詔す、大行皇帝十一月十日山陵、宜しく十月一日より十一月二十日に至るまで坐せず、文武百官の朝参を放つべし。甲辰、大行皇帝の尊謚寶冊を上る、百官は素服を着て天清殿に班す。
冬十月辛亥朔、百官は素服を着て天清殿に臨む。襄州の利市廟を封じて順正王と為し、仍ひ本州に令して廟宇を修崇せしむ。癸亥、攢宮を啓き、百官は初喪の服を衣て入臨す。甲子、霊駕進発す、帝は朱鳳門外に於て遣奠の祭を行ひ、辞し畢りて還宮す。丁丑、太保盧質卒す、太子太師を贈り、謚して文忠と曰ふ。己卯、宰臣李崧母喪し、深州に帰葬す、使を遣はして之を吊祭す。庚辰、契丹、使を遣はして高祖に祭を致し、賻馬三匹・衣三襲を贈る。
十一月庚寅、高祖皇帝を顯陵に葬る。壬辰、湖南奏す、前洪州節度使馬希振卒す。戊戌、詔して宰臣等を分ちて寺廟に詣り雪を祈らしむ。庚子、高祖の神主を太廟に祔す。辛丑、金吾衛大將軍・権判三司董遇を以て三司使と為す。詔す、「州郡の稅鹽、過稅は斤に七錢、住稅は斤に十錢、州府の鹽院並びに省司は人を差して勾當す。」是れより先、諸州府は蠶鹽を除く外、每年海鹽の界分に約す鹽價錢一千七萬貫を収む。高祖は所在の禁法を以て、抵犯する者衆しと為すを以て、遂に鹽禁を開き、商を通ずるを許し、州郡に令して人戸の食鹽錢を配征せしむ。上戸は千文、下戸は二百、五等に分つ。時に亦た之に便す。是に至りて賦を掌る者は財利を増さんと欲し、前法を驟に変ずるに難しと為す。乃ち其の関市の征を重くす。蓋し其の興販を絶ちて官に利を帰せんと欲するなり。其の後鹽禁は故の如く、鹽錢も亦た征し、今に至るまで弊と為す焉。是の日、詔す、「天地宗廟社稷及び諸祠祭等、訪聞するに所司の承管、多く精潔ならず。宜しく三司に令して一年の禮料物色を預支し、太廟に於て庫を置き収貯すべし。宗正丞を差して主掌せしめ、監察使を委して監當せしむ。祭器祭服等未だ備はらざる者は修制すべし。」
十二月辛酉、威武軍節度副使・充福建管內諸軍都指揮使王亞澄を以て威武軍副大使と為し、節度事を知らしむ。詔して曰く、「諸道州府、大祭祀・冬至・寒食・立春・立夏・雨雪未晴に遇う毎に、極刑を行うべからず。もし已に断下したる文案有らば、次日及び雨雪定後の後を取って施行すべし」と。乙丑、前鄧州節度使安審暉を以て左羽林統軍と為し、前延州節度使丁審琪を以て右羽林統軍と為し、前金州節度使潘環を以て左神武統軍と為し、前華州節度使皇甫立を以て左金吾衛上將軍と為し、右龍武統軍劉遂凝を以て左驍衛上將軍と為し、前貝州節度使馬萬を以て右驍衛上將軍と為し、左龍武大將軍張彦澤を以て右武衛上將軍と為す。丙寅、宰臣馮道・滑州節度使兼侍衛馬軍都指揮使李守貞・河陽節度使皇甫遇・西京留守安彦威・廣晉尹李德充、並びに爵邑を加えらる。山陵充奉の労によるなり。己巳、回鶻進奉使密裏等各々懷化歸德大將軍・將軍郎將を授けられ、蕃に還す。庚午、故洪州節度使馬希振を追封して齊國公と為す。辛未、故中吳建武等軍節度使・彭城郡王錢元尞を追封して廣陵郡王と為す。丙子、于闐・回鶻皆遣使して方物を貢ぐ。
天福八年春正月辛巳、盜唐の坤陵を発す。莊宗の母曹太后の陵なり。河南府上言す、「逃戸凡そ五千三百八十七、餓死者之に兼ぬ」と。詔して曰く、「諸道以て廩粟を以て饑民を賑ひ、民に積粟有る者は、均分して借便し、以て貧民を済はしむべし」と。時に州郡蝗旱有り、百姓流亡し、餓死者千万を以て計ふ。東都の人士僧道、車駕の復た東京に幸するを請ふ。後唐莊宗德妃伊氏、契丹より自ら遣使して馬を貢ぐ。庚寅、沙州留後曹元深に檢校太傅を加へ、沙州歸義軍節度使を充てしむ。癸巳、禁軍一萬人並びに家口を発して東京に赴かしむ。乙巳、于闐・回鶻入朝使劉再成等並びに懷化大將軍・將軍郎將を授けられ、蕃に還す。
二月庚戌、御劄を以て今月十一日車駕東京に還るを取る。沿路の州府、行宮を修飾するを用ひず。食宿頓遞、並びに官物を以て供給す。文武臣僚、公事有りて合に駕に随ふべきを除く外、並びに先づ次に進発す。侍衛親軍使景延廣を以て御營使を充てしむ。癸丑、廣晉尹李德充を以て權鄴都留守と為す。己未、車駕鄴都を発し、都下の禁囚を曲赦す。甲子、封丘に次ぐ。文武百官行宮に見ゆ。乙丑、東京に至る。甲戌、東京留守張從恩を以て權鄴都留守と為し、皇弟檢校司徒重睿を以て檢校太保・開封尹と為す。年幼にして未だ出閣せず、左散騎常侍邊蔚を差して府事を知府せしむ。丁丑、前太僕卿薛仁謙を以て衛尉卿と為す。河中の逃戸凡そ七千七百五十九。是の時天下饑饉し、穀價翔踴し、人多く餓殍す。右金吾衛上將軍劉處讓卒す。太尉を贈る。
三月己卯朔、中書令・監修國史趙瑩を以て晉昌軍節度使と為し、晉昌軍節度使桑維翰を以て侍中・監修國史と為す。辛巳、左散騎常侍盧重を以て秘書監と為し、東京副留守羅周嶽を以て右散騎常侍と為す。癸未、青州節度使・東平王楊光遠を進封して壽王と為し、北京留守劉知遠・恒州節度使杜威並びに兼中書令を加ふ。乙酉、鄜州節度使符彦卿を以て河陽節度使と為し、權鄴都留守・前開封尹張從恩を以て鄴都留守・廣晉尹と為し、右羽林統軍丁審琪を以て鄜州節度使と為す。丁亥、天策上將軍・湖南節度使・楚王馬希範に守尚書令・兼中書令を加ふ。己丑、桂州節度使馬希杲は前の如く檢校太尉・兼侍中に依り、兼ねて朗州軍州事を知る。朗州武平軍節度使馬希萼に檢校太尉を加へ、爵邑を進封す。武平軍節度副使・岳州團練使馬希瞻を以て檢校太尉と為し、盧州昭信軍節度使を領せしむ。武安軍節度副使・永州團練使馬希廣を以て檢校太尉と為し、洪州鎮南軍節度使を領せしむ。皆楚王馬希範の弟なり。庚寅、宣徽北院使李承福を以て右武衛大將軍と為し、宣徽南院使を充てしむ。前鄭州防禦使劉繼勛を以て左千牛衛大將軍と為し、宣徽北院使を充てしむ。國子祭酒兼戶部侍郎田敏、印本『五經』の書を以て上進し、帛五十段を賜ふ。甲午、白烏有りて作坊の桐樹に棲む。作坊使周務掠め捕へて之を進む。辛丑、引進使・太府卿孟承誨をして契丹に使はしむ。詔して京百司の攝官親公事及び五年に至る者は、初官を授くべしと。癸卯、左諫議大夫司徒詡を以て給事中と為し、左司郎中王仁裕を以て右諫議大夫と為し、前鴻臚卿王均を以て少府監と為す。
夏四月戊申朔、日食有り。庚戌、許州節度使趙在禮を以て徐州節度使と為し、徐州節度使李從溫を以て許州節度使と為す。己巳、中書門下奏す、「請ふらくは六月二十七日降誕日を以て啟聖節と為さん」と。之に従ふ。是の月、河南・河北・關西諸州旱蝗有り、分ちて使臣を命じ之を捕はしむ。
六月庚戌、螟蝗害を為すを以て、詔して侍衛馬歩軍都指揮使李守貞をして臯門に往き祭告せしめ、仍て諸司使梁進超等七人を遣わし分ちて開封府界に往きて之を捕らしむ。乙卯、左羽林統軍安審暉を以て潞州節度使と為す。宿州奏す、飛蝗草を抱きて幹死すと。丙辰、貝州奏す、逃戸凡そ三千七百と。供奉官衛延韜を遣わし嵩山に詣り龍を投じて雨を祈らしむ。戊午、西京留守馬從斌を以て左監門衛上將軍と為す。開封府界飛蝗自ら死す。庚申、河南府奏す、飛蝗大いに下り、遍く山野に満ち、草苗木葉之を食み皆尽き、人多く餓死すと。禮部侍郎吳承範卒す。丙寅、将に皇太后を冊せんとす、尚書左丞王易簡を遣わし天地に奏告す。陜州奏す、蝗飛びて界に入り、五稼及び竹木の葉を傷み食し、逃戸凡そ八千一百と。丁卯、給事中符蒙を以て禮部侍郎と為し、左諫議大夫裴坦を以て給事中と為す。辛未、内外臣僚二十八人を遣わし分ちて諸道州府に往き粟麥を率借せしむ。時に使臣旨に希ひ、法を立て甚だ峻し。民間碓硙を泥封し、其の数を隠す者は皆之を斃す、是に由りて人聊生せず、物情胥怨す。是の月、諸州郡大蝗有り、至る所草木皆尽きたり。