舊五代史

晉書しんじょ五: 高祖こうそ本紀五

天福五年春正月丁卯朔、帝は崇元殿に御し朝賀を受け、仗衛は定式の如し。徳音を降す。「天福三年末までの公私の債欠は、一切これを除放す。」壬申、しょく人が西鄙を寇す。群盗の張達・任康ら清水徳鉄の城を劫いてこれに応ず。癸酉、湖南より奏す、閩人が王昶を殺し、その族を夷し、王延羲民の欲に因りてこれを定むと。甲戌、宣徽使楊彦詢を遣わし契丹に使わす。辛巳、皇子開封尹・鄭王重貴に検校太尉を加う。己丑、回鶻可汗仁美使いを遣わし良馬白玉を貢ぎ、冊命を謝す。庚寅、二王の後たる前右賛善大夫・襲酅国公楊延寿を以て太子左諭徳と為し、三恪たる汝州襄城県令・襲介国公宇文頡に食邑三千戸を加う。辛卯、絳州を昇めて防禦州と為す。癸巳、左神武統軍陸思鐸を以て右羽林統軍と為し、隴州防禦使何福進を以て右神武統軍と為す。甲午、太常少卿裴羽奏す。「唐の荘宗皇后劉氏を追謚して神閔敬皇后と為し、明宗皇后曹氏を追謚して和武憲皇后と為し、閔帝魯国夫人孔氏を追謚して閔哀皇后と為さんことを請う。」これに従う。丙申、河中節度使安審信奏す。「軍校の康従受・李崇・孫大裕・張崇・于千ら、部を以て兵を為して乱を起こす。尋いでこれを平らげ、死者五百人。」

二月丁酉朔、沙州帰義軍節度使曹義金卒す。太師を贈り、その子元徳を以てその位を襲わしむ。乙巳、御史中丞竇貞固奏す。「国忌の日、宰臣は炉に跪き香を焚き、文武百僚は列坐す。窃かに礼例を惟うに、未だ安からざる所有り。今、宰臣は旧に仍りて炉に跪き、百僚は班序に依りて立たんことを請わんと欲す。」詔してこれを可とす。仍いで行香の後に僧百人に飯を施し、永く定制と為す。庚戌、北京留守安彦威来朝す。帝慰接すること甚だ厚く、上樽の酒を賜う。壬子、中書門下平章事を昇めて正二品と為す。丁巳、青州節度使・東平王王建立来朝す。己未、中書門下侍郎を以て清望正三品と為し、諫議大夫・御史中丞を以て清望正四品と為す。

三月丁卯朔、右散騎常侍さんきじょうじ張允を改めて礼部侍郎と為す。辛未、宋州帰徳軍節度使・侍衛親軍馬歩軍都指揮使劉知遠に特進を加え、鄴都留守・広晋尹に改め、軍を典すること旧に如し。兗州節度使李従温を以て徐州節度使と為し、北京留守安彦威を以て宋州節度使と為す。壬申、詔して朝臣の父母を覲省するは、天成の例に依り茶薬を頒賜す。癸酉、青州節度使王建立を以て昭義軍節度使と為し、韓王に進封す。仍いで遼・沁の二州を割きて昭義の属郡と為す。建立は本より遼州の人なるを以て、その衣錦の美を成さんとす。晋州節度使李徳充を以て北京留守と為し、潞州節度使皇甫遇を以て晋州節度使と為す。是の日、容州節度使馬存卒す。甲戌、給事中李光廷を以て左散騎常侍と為し、亳州団練使李式を以て給事中と為す。乙亥、相州節度使桑維翰に検校司徒しとを加え、兗州節度使に改む。許州節度使杜重威を鄆州節度使に改め、河中節度使安審信を許州節度使に改む。丁丑、長安ちょうあん公主、駙馬都尉楊承祚に出降す。戊寅、詔す。「中書門下五品已上の官、両省に上事するに、宰臣の押角の礼。及び第挙人と主司の選勝筵宴、及び中書舎人の靸鞋にて挙人に接見すること。兼ねて兵部・礼部が人を引いて過堂する日の幕次の酒食会客、悉くこれを廃すべし。」己卯、前枢密使劉処譲を以て相州節度使と為す。辛巳、湖南、牙将劉を遣わし兵を領いて溪峒の群蛮を大破し、溪・錦・奨の三州を収む。丁亥、秦州節度使康福を以て河中節度使と為し、徐州節度使侯益を以て秦州節度使と為す。庚寅、明徳楼に御し、昭義軍節度使王建立を餞送し、玉斧・蜀馬を賜う。甲午、詔す。吏部の三銓は、四時に選擬官を聴きて旋奏し、団甲の限に在らざらしむ。

夏四月丙申朔、群臣を永福殿に宴す。戊戌、曹州防禦使石暉卒す。帝の従弟なり。礼官奏す。「天子、五服の内親にして本服周たる者の為には、三哭して止む。」これに従う。己亥、洛陽らくよう・京兆の苑囿瓜果を進むるを罷む。労人を憫れむなり。壬寅、右僕射致仕の裴皞卒す。太子太保を贈る。丙午、詔して曰く。「承旨とは、時君の旨を承く。近侍の重臣にあらざれば、以て朕の旨を稟け、予の言を宣ぶるなし。是を以て大朝会には宰臣承旨し、草制詔には学士承旨す。若し区別無くば、何を以て等威を表さん。翰林承旨を除く外、殿前承旨は宜しく殿直と改むべし。密院承旨は宜しく承宣と改むべし。御史台・三司・閣門・客省の所有る承旨は、並びに別にその名を定めしむべし。」庚戌、滄州節度使馬全節を以て安州節度使と為す。礼部侍郎張允奏し、明経・童子科を廃せんことを請う。これに従う。因りて詔し、宏詞・抜萃・明算・道挙・百篇等の科を並びにこれを停む。

五月癸酉、宋州より瑞麦両岐を貢ぐ。甲申、前徐州節度使萇従簡を以て右金吾衛上将軍と為す。丙戌、安州節度使李金全叛す。詔して新たに安州節度使を授かる馬全節に、洛・汴・汝・鄭・単・宋・陳・蔡・曹・濮の十州の兵を以てこれを討たしむ。前鄜州節度使安審暉を以て副と為し、内客省使李守貞を以て都監と為す。仍いで供奉官劉彦瑶を遣わし詔を奉じて以て金全に諭さしむ。麾下の齊謙に命じ詔を以て淮夷に送らしむ。雲夢の人齊峴、謙を斬り、その詔を闕に帰す。辛卯、昭義節度使韓王王建立薨ず。朝を輟むこと二日、尚書令しょうしょれいを贈る。壬寅、少府監致仕の尹玉羽卒す。癸卯、淮南、李承裕を使わし李金全に代わる。金全南に走り、承裕は淮兵二千を以てその城を守る。甲辰、馬全節、応山県より大化鎮に進軍す。戊申、鄂州の賊軍と安陸の南に陣し、三戦して後にこれを克つ。首級三千を斬り、千余人を生擒す。供奉官安友謙、鋒に登り力戦し、奮いて身を顧みず。全節その忠勇を賞し、捷書を献ぜしめんと馳せしむるに、路にて暍死す。是の日、李金全の官爵を削奪す。丁巳、淮夷の偽校李承裕、衆を率いて城中の資貨を掠めて遁ぐ。馬全節城に入りその遺民を撫す。安審暉に兵を率いさせて承裕を逐わしめ、これを擒えて斬る。その偽都監杜光鄴及び淮南軍五百余人を執し、露布を作り闕下に献ず。帝曰く「此輩何の罪かある」と、皆厚く給して放還す。癸亥、道士崇真大師張薦明に号を通元先生と賜う。是の時帝は『道德経』を好み、嘗て薦明を召してその義を講説せしむ。帝悦び、故に是の命有り。尋いで薦明に『道』『徳』の二経を以て上印版に彫らしめ、学士和凝に別に新序を撰ましめ、巻首に冠し、以て天下に頒行せしむ。

秋七月甲子朔、安州を降格して防禦使の額とし、申州を許州に隷属させる。丙寅、安州節度使馬全節に検校太尉を加え、昭義軍節度使に改める。前鄜州節度使安審暉に検校太傅を加え、威勝軍節度使とする。丁卯、湖南より奏上す:天策府歩騎将張少敵に兵五万、楼船百艘を率いさせ、嶽陽に駐屯させ、将に淮夷を進討せんとす、と。甲戌、宣徽使楊彥詢に検校太傅を加え、安國軍節度使を充てる。乙亥、戸部尚書致仕鄭韜光卒す、右僕射を贈る。戊寅、福州の王延羲、商人に間道を使わせて表を貢ぎ自らを述ぶ。戊子、宿州より奏上す、淮東鎮より移牒ありて云う:本国より上国皇帝に奏書す、曰く「久しく景慕を増し、光塵を会する莫し、但だ戦国の規を循り、敢えて睦鄰の道に預からん。一昨安州に故あり、難を脱して相い帰す、辺校功を貪り、便に乗じて壘を据う。況んや機宜の孰れにか在るや、顧みれば茫昧にして申し難し。否臧皆な凶なり、乃ち大《易》の明義なり;進取止まず、亦た聖人の厚顔なり。適た暑雨稍々頻なるに属し、江波甚だ漲る、指揮未だ到らず、事実已に違う。今者猥く睿諮を沐し、曲く宸旨を形し、其の俘獲を帰し、英仁を示す。其の軍法朝章の如きは、彼此不可なり;名を揚げ徳を建つるは、曲直相懸けたり。好生を認むと雖も、敢えて命を聞かず。其の杜光鄴等五百七人は、已に却って淮北を過ぎしむるを令す。」帝復書して曰く「昨者災安陸に生じ、釁漢陽に接し、三伏の炎蒸に当たり、両朝の師旅を動かす。豈に期せんや辺帥、上謀を稟けず、洎びて城池を復し、備ねて本末を知る。尋いで已に諸の俘執を捨て、彼の郷閭に還し、惟だ效命の人を念うのみならず、兼ねて亦た善鄰の道を敦くす。今来旨を承け、将に朝章を正さんとす。宥罪の文を循るを希い、以て崇仁の美を広むるを用いん。其の杜光鄴等を再び帰復せしむるを令す。」尋いで使を遣わし光鄴等を桐墟にて淮を渡らしむ。淮中に棹船あり、甲士之を拒ぎ、南去果たさず。詔して光鄴等を京師に帰らしめ、職秩を授く、其の戎士五百人を立てて顕義都と為す。

八月丁酉、帝西郊にて稼を観る。己亥、詳定院先に詔を奉じて詳定せし冬正朝会の礼節・楽章・二舞の行列等の事を上る、事は《楽志》に具す。庚子、前金州防禦使田武を以て金州懐徳軍節度使と為す。辛丑、復・郢の二郡を昇格して防禦使の額と為す。戊午、左龍武統軍相裏金卒す、朝を一日廃し、太師を贈る。己未、太子太師致仕範延光河陽にて卒す、朝を二日廃し、太師を贈る。丁卯、宰臣李崧に集賢殿大学士を加え、翰林学士承旨・戸部侍郎和凝を以て中書侍郎・平章事と為す。丙子、翰林学士院を廃し、其の公事並びに中書舎人に帰す。丁丑、翰林学士・中書舎人李慎儀を以て右散騎常侍と為し、翰林学士・左右補闕李浣を以て吏部員外郎と為し、右散騎常侍趙元輔を以て太子賓客と為し、太子賓客韓惲を以て兵部尚書と為し、右諫議大夫段希堯を以て萊州刺史と為す。甲申、西京留守楊光遠に守太尉・兼中書令を加え、平盧軍節度使を充て、東平王に封ず。戊子、東京上源驛を改めて都亭驛と為す。

冬十月丁酉、制す:天下兵馬元帥・鎮海鎮東浙江東西等道節度使・中書令・呉越王錢元瓘に守中書令を加え、天下兵馬都元帥を充てる。戊戌、戸部尚書姚顗卒す、朝を一日廃し、右僕射を贈る。癸卯、湖南より上言す:福建の王延羲弟延政と互いに干戈を起こし、内相侵伐す、と。甲辰、萊州を昇格して防禦使の額と為し、汝州防禦使楊承貴を以て之を領せしむ。新たに授かる萊州刺史段希堯を以て懐州刺史と為す。丁未、契丹使実裏来聘し、馬百匹及び玉鞍・狐裘等を致す。己酉、永福殿にて群臣を宴し、帛を賜うこと差有り。癸丑、詔す「今後窃盗贓満五匹の者は処死し、三匹已上の者は杖を決して配流し、盗を以て論ずる者は律文に準じて処分すべし。」又詔す「過格選人等は、吏部南曹に赴き召保を許し、正身なる者を委ね一資を降して官に註すべし。」

十一月壬戌、遙領遂州武信軍節度使・鎮海軍衙内統軍・検校太傅・同平章事陸仁璋卒す、太子太傅を贈る。甲子、滑州節度使景延広に検校太傅を加え、陜州保義軍節度使に改む。鄭州防禦使・駙馬都尉史匡翰を以て義成軍節度使と為す。戊辰、曹州防禦使石赟に検校太保を加え、河陽三城節度使を充てる。庚午、翰林学士・戸部侍郎張昭遠を以て兵部侍郎と為す。丙子、冬至、帝崇元殿に御し朝賀を受け、始めて二舞を用う。帝觴を挙ぐれば、《元同之楽》を奏し;登歌すれば、《文同之楽》を奏し;食を挙ぐれば、文舞《昭徳之舞》を歌い、武舞《成功之舞》を奏す。典礼久しく廃絶し、是に至りて復興し、観者之を悦ぶ。丁丑、呉越国進奉使陳元亮《冬日観仗詩》一首を進む、帝之を覧めて善しと称し、服馬器幣を賜う。癸未、德州長河県を移す、大水の故なり。甲申、制して閩国王王延羲に検校太師・兼中書令・福州威武軍節度使を授け、閩国王に封ず。両浙西南面安撫使錢元懿を以て検校太尉・兼中書令と為し、遙領広州清海軍節度使とす。又恩州団練使錢鐸を以て検校太尉・同平章事と為し、遙領楚州順化軍節度使とす。丁亥、衛州黎陽県を割きて滑州に隷属せしむ。

十二月壬辰朔、遙領洮州保順軍節度使・検校太尉・兼侍中・判湖州軍州事鮑君福卒す、太傅を贈る。丙申、詔す:故静海軍兼東南面安撫制置使・検校太傅・温州刺史錢宏巽に太子太傅を贈り、故呉越両軍節度副使・検校太尉錢宏僔に太子太師を贈る。

天福六年春正月辛酉朔、帝は崇元殿に御して朝賀を受け、仗衛は定式の如し。刑部員外郎李象が『二舞賦』を上る。帝はこれを覧て嘉し、史冊に編ぜしむ。甲子、同州指揮使成殷が乱を謀るも、事泄れて誅せらる。時に節度使宋彥筠は下を禦ぐに恩なく、既に貪にして且つ鄙なり。故に殷は子の彥璋と共に陰かに部下を構えて乱を為さんとす。会に告ぐる者有り、遂に其の党を滅ぼす。乙丑、青州奏す、海凍ること百余里。丙寅、供奉官張澄等を遣わし兵二千を領せしめ、並・鎮・忻・代の四州山谷の吐渾を発し、旧地に還らしむ。先に、吐渾は契丹の虐を苦しみ、鎮州の安重榮の誘召を受け、叛して南遷し、常山・太原の二境に入る。帝は契丹を歓好の国とす、故にこれを帰遣す。戊辰、詔す「応に諸州に属州銭無き処は、今後冬至・寒食・端午・天和節及び諸色の謝賀に、進貢すべからず」。壬申、左司郎中趙上交を以て諫議大夫と為す。戊寅、唐叔虞を興安王に封じ、臺駘神を昌寧公と為し、給事中張彖・戸部郎中張守素を差し就きて冊礼を行わしむ。又詔す、嶽鎮海瀆等の廟宇は並びに崇飾を令し、仍樵采を禁ず。丙戌、故皇第二叔検校司徒萬友に太師を贈り、皇第三叔検校司空しくう萬銓に太尉を贈り、皇兄故検校左僕射敬儒に太傅を贈る。

二月辛卯、詔す「天下の郡県、天和節を以て屠殺を禁じ、輒く刑獄を滞すべからず」。壬辰、浮橋を徳勝口に置く。甲午、詔す「諸衛上將軍の月俸、旧三十千、今五十千に増せしむ」。戊戌、三恪汝州襄城県令・襲介国公宇文頡を以て太子率更令と為す。己亥、戸部侍郎張昭遠・起居郎賈緯・秘書少監趙熙・吏部郎中鄭受益・左司員外郎李為光等に詔し、唐史を同修せしめ、仍宰臣趙瑩を以て監修せしむ。壬寅、三白渠制置使張彖を以て給事中と為す。戊申、詔す、侯伯来朝し、君臣相見し、賞宴貢奉するは、今後宜しく停むべし。起居郎賈緯、撰する所の『唐年補録』六十五巻を以て上る。帝之を覧て嘉嘆し、器幣を賜い、仍史館に付す。癸丑、長安公主薨ず。帝の長女なり、笄年にして駙馬楊承祚に降嫁す。帝悼惜すること甚だしく、視朝を二日輟め、秦国公主を追贈す。

三月甲子、河中節度使康福、許国公に進封さる。乙丑、左ぎょう衛上將軍李承約卒す。癸酉、詔す、天福四年終以前に、百姓の欠く所の夏秋租税は、一切除放す。

夏四月庚寅朔、湖南奏す、溪州刺史彭士愁・五溪酋長等降を乞い、已に銅柱を溪州に立て、誓状を其の上に鑄し、『五溪銅柱図』を以て上る。丙申、詔す、顕義指揮使劉康の部下の兵五百人を放ちて淮海に還らしむ。即ち安州の俘なり。己亥、虞部郎中・知制誥楊昭儉、中書舎人に遷る。戸部侍郎王松、御史中丞に改む。礼部郎中馮玉、司門郎中・知制誥に改む。辛丑、宰臣監修国史趙瑩奏す「詔を奉り張昭遠等五人を差し唐史を同修せしむ。内起居郎賈緯は憂に丁し官を去る。請う刑部侍郎呂琦・侍御史尹拙を以て同に編修に与らしむ」。又奏す「史館の闕く所の唐朝実録、請う下敕して購求せしむ」。並びに之に従う。壬寅、戸部員外郎・知制誥盧価を以て虞部郎中・知制誥と為し、昭義節度副使陳元を以て光禄卿致仕せしむ。乙巳、斉・魯の民饑う。詔し兗・鄆・青の三州に廩を発して賑貸せしむ。

五月庚申朔、前邢州節度使丁審琪を以て延州節度使と為し、延州節度使劉景厳を以て邠州節度使と為す。故皇子杲に冊して太尉を贈り、陳王に進封す。庚午、涇州奏す、雨雹し、川水大いに溢れ、州郡鎮戍二十四城を壊す。甲戌、北京牙将劉従を遣わし、吐渾大首領白承福・念龐裏・赫連功德を以て来朝せしむ。邢州上言す、吐渾族帳を鎮州封部に移す。

六月丙申、前衛尉卿趙延乂を以て司天監と為す。丁酉、詔す「今後藩侯郡守、凡そ善政有らば、倅貳官に委ね条件を聞奏せしめ、百姓官吏等は遠く京闕に詣るべからず」。壬寅、右領衛上將軍李頃卒す。太師を贈る。甲辰、迦葉弥陀国の僧〓室哩、仏牙を以て海を泛して至る。丙午、高麗国王王建に開府儀同三司・検校太師を加え、食邑一万戸を賜う。戊午、鎮州節度使安重榮、契丹使拽剌を執り、軽騎を遣わし幽州南境の民を掠め、博野に処す。仍表を貢し及び書を天下に馳せ、契丹が天子を援け父事の礼を為すも、貪傲厭くこと無く、中国を困耗するを述べ、已に甲兵を繕治し、将に決戦せんとす。帝諭を発して之を止む。重榮跋扈愈甚だしく、是より襄州節度使安従進と潜かに相構謀して不軌を為す。