新唐書

巻二百二十五中 列傳第一百五十中 逆臣中

巻二百二十五中 列傳第一百五十中 逆臣中

李希烈

原文李希烈

李希烈は、燕州遼西の人である。若くして平盧軍に籍を置き、李忠臣に従い海を渡って河北で戦い功績があった。忠臣が淮西に在った時、偏裨に任じられ、光禄卿を試み、軍中ではその才能を高く評価して喧伝した。時に忠臣は放縦で政務を顧みず、隙を見て衆怒を買い、忠臣を追放して自らが命を聴くこととなった。代宗は忻王を節度副大使とし、希烈に留後事を専管させ、また滑亳節度使せつどし李勉に汴州を兼領させた。徳宗が即位すると、御史大夫を加え、即座に節度使に任じ、その軍を淮寧と名付けて寵遇した。梁崇義が反逆した時、諸道に進討を命じ、詔して希烈を南平郡王・漢南北招討処置使に進め、また諸軍都統に任じた。崇義平定の功績は多かったが、兵を擁してその地を占拠しようとし、山南節度使李承が到着したため果たせず、なお大掠して去った。功により検校尚書右僕射・同中書門下平章事となった。

原文李希烈,燕州遼西人。少籍平盧軍,從李忠臣浮海戰河北有勞。及忠臣在淮西,因署偏裨,試光祿卿,軍中藉藉高其才。會忠臣荒縱不事,得間眾怒,逐忠臣聽命。代宗詔忻王為節度副大使,使希烈專留後事,又詔滑亳節度使李勉兼領汴州。德宗立,加御史大夫,即拜節度使,名其軍曰淮寧以寵之。梁崇義之反,敕諸道進討,詔進希烈南平郡王、漢南北招討處置使,又拜諸軍都統。平崇義功多,擁兵欲有其地,會山南節度使李承至,不克,猶大掠而去。以功檢校尚書右僕射、同中書門下平章事。

李納が叛くと、検校司空兼淄青節度使としてこれを討った。希烈は三万の兵を擁して許州に駐屯し進まず、李苣を遣わして納と唇歯の関係を結ばせ、密かに汴州を奪取する計略をめぐらし、即座に李勉に檄を飛ばして通路を仮借せよと迫った。勉は適宜を量り、蓄えを陳留に出し、梁の道路を整備して待った。希烈は計略が通じぬと知り、因みに勉を罵り、勉は厳重に備えて守った。納は遊兵を遣わして希烈を導き、汴の糧道を絶たせ、勉は蔡渠を整備し、東南からの輸送を導いた。希烈は使者を遣わして河北の朱滔・田悦らと連和を約し、凶焰は盛んとなった。まもなく滔らは自ら王を称し、使者を遣わして書簡を奉り、希烈もまた自ら建興王・天下都元帥と号し、五賊は天下の半ばに株連した。

原文李納叛,以檢校司空兼淄青節度使討之。希烈擁眾三萬次許州不進,遣李苣約納為唇齒,陰計取汴州,即檄李勉假道。勉度所宜,出儲陳留,治梁除道以須。希烈計得,因謾罵勉,勉嚴備以守。納遣遊兵導希烈絕汴餉路,勉治蔡渠,引東南饋。希烈遣使者約河北朱滔、田悅等連和,凶焰熾然。俄而滔等自相王,遣使者來奉箋,希烈亦自號建興王、天下都元帥,五賊株連半天下。

建中四年正月、詔して諸節度に兵を以て犄角の勢いで攻討させ、唐漢臣・高秉哲に兵一万を率いて汝州に屯させた。未だ到らぬ内に、賊将が霧に乗じて進み、王師は退き、賊は汝州を奪い、李元平を捕らえ、兵を西に向け、東都は大いに震動し、兵士は皆河陽・崤・澠へ走った。留守鄭叔則は西苑に壁塁を築き、賊は兵を押さえて進まなかった。帝は盧杞の計を容れ、詔して太子太師顔真卿に賊を諭させ、既に出発した後、また左龍武大将軍哥舒曜を遣わしてこれを討たせた。希烈は真卿に会い、傲慢で桀々として臣礼を取らず、左右に命じて朝政を誹謗侮辱させ、即ち北は汴州を侵し、南は鄂州を略した。詔があり江西節度使嗣曹王臯にこれを撃たせ、蘄・黄両州を抜き、賊将李良・韓霜露を白巖で撃ち、二将は逃走した。

原文建中四年正月,詔諸節度以兵掎角攻討,唐漢臣、高秉哲以兵萬人屯汝州。未至,賊將乘霧進,王師還,賊取汝州,執李元平,兵西首,東都大震,士皆走河陽、崤、澠。留守鄭叔則壁西苑,賊按兵不進。帝聽盧杞計,詔太子太師顏真卿諭賊,已行,又遣左龍武大將軍哥舒曜討之。希烈見真卿,傲桀不臣,敕左右訾侮朝政,即北侵汴州,南略鄂州。有詔江西節度使嗣曹王臯擊之,拔蘄、黃兩州,擊賊將李良、韓霜露於白巖,二將走。

初め、希烈が襄陽より還った時、姚詹を留めて鄧州を守らせ、賊がまた汝州を得たため、武関の道は遮断された。帝は陜虢観察使姚明敭に上津道を整備させ、駅館を設けて南方の貢物・物資を通じさせた。希烈は董待名・韓霜露・劉敬宗・陳質・翟崇暉を遣わして州県を分掠させ、官軍は数度敗走した。曜が再び汝州を奪取すると、希烈は周曾・呂従賁・康琳を遣わして曜を防がせ、襄城に駐屯し、王玢・姚詹・韋清と謀を合わせて希烈を襲撃しようとしたが、成功せず、皆死に、清は劉洽に奔った。希烈は懼れ、蔡州に還り、上疏して罪を曾らに帰した。帝は赦さず、詔して希烈を斬る者には、四品以上はその官を得、五品以下は戸四百、民には三年の復除を賜うとした。神策将劉徳信を遣わし、節度・観察・団練の子弟兵を率いて陽翟に屯し力を合わせさせた。李勉を淮西招討使とし、曜をその副とし、荊南節度使張伯儀を淮西応援招討使とし、山南節度使賈耽と臯をその副とした。徳信が陽翟を去り汝壁に入ると、賊は陽翟を奪い、伯儀の軍を破った。曜は戦い利あらず、襄城に屯し、希烈はその勢いに頼み、衆三万を挙げて曜を包囲した。時に帝は西狩し、軍の士気は抗し得ず、城は遂に陥落し、曜は東都に奔った。希烈は残忍な性質を恃み、戦陣に臨んで人を殺し、血が前に流れても飲食自若であったため、人は畏服し、尽く死力を尽くした。襄城の勝利に乗じ、汴州を攻撃し、これを占領し、土木を運んで道路を整え、工期に満たぬことを怒り、人を駆り立てて塹壕を埋めさせ、「湿梢」と号した。勉は宋州に奔った。

原文初,希烈自襄陽還,留姚詹戍鄧州,賊又得汝,則武關梗絕。帝使陜虢觀察使姚明敭治上津道,置館通南方貢貨。希烈遣董待名、韓霜露、劉敬宗、陳質、翟崇暉分掠州縣,官軍數奔。曜復取汝州,希烈遣周曾、呂從賁、康琳拒曜,次襄城,與王玢、姚詹、韋清合謀襲希烈,不克,皆死,清奔劉洽。希烈懼,還蔡州,上疏歸罪曾等。帝不赦,詔斬希烈者,四品以上得其官,五品以下戶四百,民賜復三年。遣神策將劉德信將節度、觀察、團練子弟兵屯陽翟並力;以李勉為淮西招討使,曜副之;荊南節度使張伯儀為淮西應援招討使,山南節度使賈耽與臯副之。德信去陽翟,入汝壁,賊取陽翟,覆伯儀軍。曜戰不利,屯襄城,希列怙其壯,舉眾三萬圍曜。時帝西狩,師氣不能抗,城遂陷,曜奔東都。希烈資慘害,臨戰陣殺人,血流於前,而飲食自若也,以故人畏服,為盡死。乘襄城之捷,進攻汴州,入之,運土木治道,怒不如程,驅人填塹,號「濕梢」。勉奔宋州。

希烈は既に汴を占拠し、僭って皇帝の位に即き、国号を楚とし、元号を武成と建てた。張鸞子・李綬・李元平を宰相とし、鄭賁を侍中とし、孫広を中書令とした。その地を分けて四節度を建て、汴州を大梁府の治所とし、安州を南関とした。石を染めて璽を作った。また上蔡・襄城で折れた車轂を獲て、瑞祥として奉じ、配下を惑わした。江淮を窺い、盛んに兵を出して襄邑を攻め、守将高翼はこれに死した。ここにおいて汴滑副都統劉洽は、曲環・李克信の軍十余万を率いて白塔で戦ったが、利あらず、洽は引き還り、士卒柏少清が轡を取って言うには、「公は小敗しただけで急に北へ退くのは、どうしたことか」と。洽は聞かず、夜に宋州に入った。

原文希烈已據汴,僭即皇帝位,國號楚,建元武成;以張鸞子、李綬、李元平為宰相,鄭賁為侍中,孫廣為中書令;披其地建四節度,以汴州為大梁府治,安州為南關。染石作璽。又於上蔡、襄城獲折車釭,奉以為瑞,惑其下。因窺江淮,盛兵攻襄邑,守將高翼死之。於是汴滑副都統劉洽,率曲環、李克信軍十餘萬戰白塔,不利,洽引還,卒柏少清攬轡曰:「公小不利遽北,奈何?」洽不聽,夜入宋州。

賊は勝利に乗じ、直ちに寧陵に迫り、舟車は続々と進み、七十里に亘った。時に洽の将高彦昭・劉昌が共に塁を守って防ぎ、賊は妖人に風を祈らせ、戦棚を焼き尽くし、城壁を削って登ろうとした。彦昭は剣を按じて城壁に乗り、兵士は感奮し、風もまた反転した。昌は衆に計って言うには、「軍法に、倍する敵とは戦わぬとある。賊は多く我は寡ない、退いて賊を驕らせ、宋より精鋭を出し、不意を衝く方が功は成る」と。彦昭は謝して言うには、「君は少々待たれよ、力を尽くさんことを請う」と。乃ち城に登り衆に誓って言うには、「中丞(劉昌)は弱きを示し、覆して取らんとされるのは、誠に善い。然れども我は守りを任じ、得失は主人(将帥)に在り。今、傷つき重き兵士は供養を要す。もし城を棄て去らば、傷つきし者は内に死し、逃ぐる者は外に死し、我が衆は尽きてしまう」と。兵士は皆泣き、且つ拝して言うには、「公がここに在らば、誰か去らん」と。昌は大いに慚じた。彦昭は家の牛を撃ちて軍を犒い、兵士は死戦し、三千の首級を斬った。洽に援けを請うと、その配下が書状を作ったが、城が危ういと書いてあるのを見て、彦昭は言うには、「君は我を軽んずるか」と。紙を取って自ら書状をしたためた。洽は書状を得て喜び言うには、「健将が西に在る、我何を憂えん」と。兵八百を選び、夜更けに入城させ、賊は知らなかった。明朝城壁に迫ると、兵士は奮って出撃し、希烈は大敗し、その旗旆を奪い、万を数える首級を斬り、敗走する敵を襄邑まで追撃し、賊の物資・糧食を収めて還った。洽はその功績を上表し、彦昭は御史大夫に任じられ、実封百五十戸を賜った。

原文賊驟勝,徑薄寧陵,舟乘銜踵進,亙七十里。時洽將高彥昭、劉昌共嬰壘以守,賊使妖人祈風,火戰棚盡,坎堞欲登。彥昭按劍乘陴,士感奮,風亦反。昌計於眾曰:「軍法,倍不戰。賊猥吾寡,不如退以驕賊,自宋出精銳,搗不意,功可成。」彥昭謝曰:「君少待,請盡力。」乃登城誓眾曰:「中丞欲示弱,覆而取之,誠善。然我為守,得失在主人,今士創重者須供養,有如棄城去,則傷者死內,逃者死外,吾眾盡矣!」士皆泣,且拜曰:「公在是,誰敢去!」昌大慚。彥昭擊家牛犒軍,士死戰,斬首三千級。請援於洽,其屬作書,言城且危,彥昭視曰:「君輕我耶?」取紙自為書。洽得書,喜曰:「健將在西,吾何憂?」選兵八百,夜艾而入,賊不知。詰旦傅城,士奮出,希烈大敗,取其旆,斬首萬計,追北至襄邑,收賊貲糧而還。洽表其功,拜彥昭御史大夫,實封百五十戶。

希烈は既に退けられ、また寿州刺史張建封も固始に屯し、その傍らに在った。希烈は懼れ、汴州に還り、崇暉に精兵を率いて陳を襲わせたが、またも洽に敗れ、三万の兵を捕虜とし、崇暉を捕らえ、進んで汴州を抜き、鄭賁・劉敬宗・張伯元・呂子巖・李達干を擒らえ、希烈は遁れて蔡に帰った。賊の戍将孫液は鄭州を挙げて降り、帝は即座に液を刺史に任じた。貞元二年、杜文朝を遣わして襄州を寇し、樊沢に破られ、文朝を捕らえられた。時に臯・建封・環及び李澄が四方からその地を攻略し、勢いは日々逼迫し、希烈は縮み上がって敢えて動けなかった。牛肉を食して病み、親将陳仙奇が密かに医者に命じて毒を盛らせて死なせた。

原文希烈既沮卻,而壽州刺史張建封亦屯固始,其旁。希烈懼,還汴州,遣崇暉以精兵襲陳,復為洽敗,俘眾三萬,執崇暉,進拔汴州,禽鄭賁、劉敬宗、張伯元、呂子巖、李達干,希烈遁歸蔡。賊戍將孫液挈鄭州降,帝即拜液為刺史。貞元二年,遣杜文朝寇襄州,為樊澤所破,獲文朝。會臯、建封、環及李澄四略其地,勢日蹙,希烈縮氣不敢搖。啖牛肉而病,親將陳仙奇陰令醫毒之以死。

初め、希烈が汴に入った時、戸曹参軍竇良の娘が美しいと聞き、強引に娶った。娘は振り返って言うには、「慎んで憂いなきように、我は賊を滅ぼすことができよう」と。後に寵愛を受け、賊と密かに謀り、彼の心を動かすことができた。かつて仙奇は忠勇にして用いるに足ると称し、その妻もまた竇姓であったので、姉妹の如く親しくして、その夫を固めんことを願い、希烈は承諾した。隙を見て仙奇の妻に言うには、「賊は強しといえども、終には必ず敗れん、いかんせん」と。竇氏は久しくして悟った。希烈の死後、その子は喪を発せず、諸将を悉く誅して自立せんと欲したが、決断できずにいた。含桃を献ずる者あり、竇氏は分けて仙奇の妻に贈ることを請い、これを許され、果物の中に蠟で封じた帛の丸を混ぜ、謀りごとを伝え出した。仙奇は大いに驚き、薛育と共に兵を率いて騒ぎながら入った。子は出て行き遍く拝して言うには、「帝号を去り、淄青の故事の如くせんことを請う」と。言い終わると、これを斬り、希烈と妻子七人の首を函に入れて天子に献じ、希烈の屍を市に晒した。帝は仙奇の忠を以て、即座に淮西節度使に任じ、百姓には二年の租税を免除した。まもなく呉少誠に殺され、詔を下して太子太保を追贈した。竇氏もまた死んだ。

原文始,希烈入汴,聞戶曹參軍竇良女美,強取之。女顧曰:「慎無戚,我能滅賊」後有寵,與賊秘謀,能轉移之。嘗稱仙奇忠勇可用,而妻亦竇姓,願如姒胃者,以固其夫,希烈許諾。乘間往謂仙奇妻曰:「賊雖強,終必敗,云何?」竇久而寤。及希烈死,子不發喪,欲悉誅諸將乃自立,未決。有獻含桃者,竇請分遺仙奇妻,聽之,因蠟帛丸雜果中,出所謀。仙奇大驚,與薛育率兵噪而入。子出遍拜曰:「請去帝號,如淄青故事。」語已,斬之,函希烈並妻子七首獻天子,屍希烈於市。帝以仙奇忠,即拜淮西節度使,百姓給復二年。俄為吳少誠所殺,有詔贈太子太保。竇亦死。

朱泚

原文朱泚

朱泚は、幽州昌平の人である。父の懐珪は、安禄山・史思明の二賊に仕え、偽って柳城使を置いた。

原文朱泚,幽州昌平人。父懷珪,事安、史二賊,偽置柳城使。

泚は体躯壮偉、腰腹十圍、外見は寛和ながら、内心は実に陰険であった。若くして父の蔭を推され、軍中に籍を置き、弟の滔と共に李懐仙の部将となった。財を軽んじ施しを好み、戦いで得たものは必ず麾下の士卒に分け与え、その心を動かし、ひそかに凶悪な徳を蓄えた。朱希彩が節度使となると、大いに信任を委ねられた。

原文泚資壯偉,腰腹十圍,外寬和,中實很刻。少推父蔭,籍軍中,與弟滔並為李懷仙部將。輕財好施,凡戰所得,必分麾下士,以動其心,陰儲凶德。朱希彩為節度使,頗委信之。

大暦七年、希彩が部下に殺され、衆は帰属する者なく、泚は外に屯していたが、滔は牙兵を主管し、特に狡猾であったので、ひそかに数十人を諫めて軍門で大呼させ、「帥は朱公でなければならぬ」と言わせた。衆は驚き呆れ、共に泚のもとに赴き、留後を知ることを推し、使者を京師に遣わして命を聴かせた。詔があり、検校左散騎常侍とし、即座に盧龍節度留後に任じた。まもなく節度使に遷り、懐寧郡王に封じられ、実封二百戸を賜った。泚は上書して謝し、滔に兵を率いさせ西に防秋させた。代宗は喜び、手詔を下して褒め称えた。

原文大曆七年,希彩為下所殺,眾未有屬,泚方外屯,而滔主牙兵,尤狡譎,乃潛諗數十人大呼軍門曰:「帥非朱公莫可!」眾愕眙,因共詣泚,推知留後,遣使至京師聽命。有詔檢校左散騎常侍,即拜盧龍節度留後。俄遷節度使,封懷寧郡王,實封戶二百。泚上書謝,遣滔將兵西防秋。代宗悅,手詔褒美。

三年を経て、入朝を求めた。幽州が初めて逆を為して以来、懐仙より、外は臣順するも、朝謁せず、泚は諸鎮に率先し、騎兵三千を率いて自ら入衛し、詔を下して邸宅を造営して待たせた。出発後、病に罹り、或いは帰還を勧めたが、泚は言うには、「我が屍を輿に乗せても、なお京師に至らん」と。将吏は敢えて言わなかった。当時四方に事なく、天子は奇数の日に朝政を視た。泚は偶数の日に至り、内殿で謁見し、乗輿馬二頭・戦馬十頭・金彩を甚だ厚く賜り、士卒将校にも皆賜物があり、宴と賜物は盛大であった。泚の来朝中、滔は後務を摂り、次第に泚の勢力を削いだ。泚は自ら権を失い、滔に売られたことを知り、志を得ず、京師に留まることを請うた。帝は滔に節度留後を授け、防秋兵を分けて各々統率させた:河陽・永平の兵は郭子儀がこれを主とし、決勝・楊猷の兵は李抱玉がこれを主とし、淮西・鳳翔の兵は馬璘がこれを主とし、汴宋・淄青の兵は泚がこれを主とした。同中書門下平章事に進み、奉天に出屯し、禁中の兵を賜って寵遇とした。検校司空に遷り、李抱玉に代わって隴右節度副大使となり、なお河西・沢潞行営兵馬事を知った。翌年、遂寧王に徙封された。徳宗が立つと、鳳翔に鎮を改め、封戸三百に進封された。

原文居三年,求入朝。自幽州首為逆,懷仙以來,雖外臣順,然不朝謁,而泚倡諸鎮,以騎三千身入衛,有詔起第以待。既行,屬疾,或勸還,泚曰:「輿吾屍,猶至京師。」將吏乃不敢言。時四方無事,天子觭日視朝。泚以偶日至,見內殿,賜乘輿馬二、戰馬十、金彩甚厚,士校皆有賜,宴賫隆渥。泚之來,滔攝後務,稍稍翦落泚牙角。泚自知失權,為滔所賣,不得志,乃請留京師。帝因授滔節度留後,乃分防秋兵,使各有統:河陽、永平兵,郭子儀主之;決勝、楊猷兵,李抱玉主之;淮西、鳳翔兵,馬璘主之;汴宋、淄青兵,泚主之。進同中書門下平章事,出屯奉天,賜禁中兵以為寵。遷檢校司空,代李抱玉為隴右節度副大使,仍知河西、澤潞行營兵馬事。明年,徙王遂寧。德宗立,改鎮鳳翔,進封戶三百。

建中初年、李懐光に段秀実を代わって涇原節度使を兼ねさせ、原州に徙屯させた。懐光が先に工事を監督し、泚と崔寧が兵を率いて続いて進んだ。涇原の士卒は平素より懐光の暴虐を聞き、相率いて恐れ騒ぎ、劉文喜が衆を劫いて乱を起こし、秀実の留任を請い、また泚に属することを求めた。詔を下して泚に懐光を代わらせた。文喜は兵二万を合わせて城に乗り、裨将ひしょう劉海賓を遣わして事を陳べさせた。海賓は請うて言うには、「文喜に節を与え給え、臣はその首を斬らん」と。帝は言うには、「汝は誠に忠なり、然れども我が節は得べからず」と。帰還させ、泚と懐光に攻撃を命じ、帝は太官の脯醢を減じて軍に給した。文喜はなお壁を閉ざして吐蕃とばんに救援を求めた。吐蕃の軍が起こると、泚と懐光はこれを避けんとしたが、別将韓游瓌は言うには、「戎が来たらば、涇原の人必ず変ず、誰か反賊のために身を虜に没せんとする者あらん、少しく待たれよ」と。まもなく吐蕃の遊騎が城外で高らかに涇原の人を招くと、衆は言うには、「初め我らは文喜のために節度を求めしが、天子が討伐すれば罪に帰す、安んぞ赭色で顔を塗り異俗とならんや」と。海賓は果たしてその徒と共に文喜を殺し、泚の軍に入った。泚は一人も殺さず、これにより涇原の人は彼を徳とした。詔を下して中書令を加え、還屯し、太尉に進拝された。

原文建中初,以李懷光代段秀實兼節度涇原,徙屯原州。懷光前督作,泚與崔寧領兵繼進。涇士素聞懷光暴,相恟懼,劉文喜因劫眾以亂,請留秀實,又求屬泚。詔泚代懷光。文喜合兵二萬乘城,使裨將劉海賓入陳事。海賓請:「假文喜節,臣當斬其首。」帝曰:「爾誠忠,然我節不可得。」遣還,詔泚、懷光攻之,帝為減太官脯醢給軍。文喜猶閉壁求救於吐蕃。吐蕃師興,泚、懷光欲避之,別將韓游瓌曰:「戎若來,涇人必變,誰肯為反賊沒身於虜者,少須之。」俄吐蕃遊騎外高招涇人,眾曰:「始吾屬為文喜求節度,天子致討則歸罪,安能以赭衊面為異俗乎!」海賓果與其徒殺文喜,入泚軍,泚一無所戮,由是涇人德之。詔加中書令,還屯,進拜太尉。

滔が田悦と合して叛き、ひそかに人を遣わして泚と連絡したが、河東の馬燧がその書状を獲た。帝は泚を召してこれを示すと、泚は惶恐して死を請うた。帝は慰めて言うには、「千里を隔てて謀を同じくせず、卿何ぞ謝せん」と。張鎰に鳳翔節度使を代わらせ、泚を京師に還し、実封千戸を加え、朝請せず、中人をして邸を監視させた。

原文滔合田悅叛,陰遣人與泚相聞,河東馬燧獲其書,帝召泚示之,泚惶懼請死。帝勉曰:「千里不同謀,卿何謝?」更以張鎰節度鳳翔,還泚京師,加實封千戶,不朝請,中人監第。

李希烈が襄城で哥舒曜を囲んだ。詔を下して涇原節度使姚令言に鎮兵五千を督して東に曜を救援させ、宮闕の下を過ぎ、軍は浐水に駐屯した。京兆尹王翃が吏に軍の供給をさせたが、粗飯と野菜の肴であり、衆は怒って食おうとせず、群れ騒いで言うには、「我らは父母妻子を棄てて先に敵に死せんとす、而るに乃ち此れを食わしむ、安んぞ身を持して白刃を蹈まんや?今瓊林・大盈の庫の宝財は山の如し、尚何の往くところかあらん」と。乃ち甲を尽くし旗を反して鼓を打った。帝は聞き、中人に持たせて賜物を往かせ、人ごとに縑二匹を与えた。士卒はますます悖逆し、中人を射て、中人は返り走った。当時令言は尚、禁中で兵を論じていたが、変事が上ると、馳せて長楽阪に至り、兵の還るに遇い、弓を引き満たして令言に向けた。令言は大呼して言うには、「東に引き行け、富貴取るべし、何ぞ滅族の事を為すに失計せん」と。衆は令言を劫いて西に行かせた。帝はまた使者を遣わして開諭させたが、賊は既に通化門に陣し、使者を殺した。帝は普王と学士姜公輔に金彩を載せて慰撫させた。賊は丹鳳門に迫り、詔を下して六軍を集めたが、至る者無し。先に、関東・河北の戦い利あらず、禁兵は悉く東に向かい、衛士は内空しく、神策軍使白志貞は市人を籍に兵に隷属させ、その居肆を許し、私的に庸銭を取って自らに入れたので、急迫しても皆至らなかった。

原文李希烈圍哥舒曜於襄城,詔涇原節度使姚令言督鎮兵五千東救曜,過闕下,師次浐水,京兆尹王翃使吏供軍,糲飯菜肴,眾怒不肯食,群噪曰:「吾等棄父母妻子前死敵,而乃食此,庸能持身蹈白刃耶?今瓊林、大盈庫寶訾如山,尚何往?」乃盡甲反旗而鼓。帝聞,命中人持賜往,人二縑。士愈悖,射中人,中人返走。時令言尚論兵禁中,既上變,乃馳至長樂阪,遇兵還,引滿向令言。令言大呼曰:「引而東,富貴可取,何失計為滅族事?」眾劫令言以西行。帝復遣使者開諭,賊已陣通化門,殺使者。帝遣普王與學士姜公輔載金彩慰撫。賊薄丹鳳門,詔集六軍,無至者。先是,關東、河北戰不利,禁兵悉東,衛士內空,而神策軍使白誌貞籍市人隸兵,聽其居肆,私取庸自入,故遽迫皆不至。

帝は苑の北門を出で、羽衛は僅か数十、普王が前導し、皇太子・王韋二妃・唐安公主及び中人百余騎が従い、右龍武軍使令狐建が数百人で殿した。夜に咸陽に至り、飯を数匙食して去った。賊は既に諸門を厳しく守り、士人は薄衣で頭を覆って出で、廬杞・関播・李竦は皆垣を越えて走り、劉従一・趙贊・王翃・陸贄・呉通微等と共に帝に咸陽で追い及んだ。郭曙は童奴数十人を率いて苑中で狩りをしていたが、蹕を聞き、道左で謁し、帝はこれを労い、従うことを懇願し、これを許した。夜明け近くに奉天に至り、吏は惶恐して門で謁した。渾瑊は数十騎を率いて夾城より北内に入り、兵を集めて賊を撃たんとしたが、乗輿の出でたるを聞き、遂に奉天に奔った。ここにおいて人は帝の所在を知らず、三日を過ぎて、諸王群臣は次第に間道より至った。

原文帝出苑北門,羽衛才數十,普王前導,皇太子、王韋二妃、唐安公主及中人百餘騎以從,右龍武軍使令狐建以數百人殿。夜至咸陽,飯數匕而去。賊已嚴何諸門,士人羸衣冒出,廬杞、關播、李竦皆逾垣走,與劉從一、趙贊、王翃、陸贄、吳通微等追及帝咸陽。郭曙與童奴數十獵苑中,聞蹕,謁道左,帝勞之,懇乞從,許之。遲曉至奉天,吏惶懼謁於門。渾瑊以數十騎自夾城入北內,裒兵欲擊賊,聞乘輿出,遂奔奉天。於是人未知帝所在,逾三日,諸王群臣稍稍自間道至。

初めに、令言は五門に陣し、衛兵が出ず、遂に含元殿に突入し、周りに呼びて曰く、「天子出ず、今日共に富貴を取るべし」と。騒ぎて進み、宜春苑を掠め、諸宮に入る。奸人乱に乗じて内府に窃かに入り資宝を盗み、終夜絶えず。道路に更に剽掠し、居人は厳兵して自ら保つ。賊に属する所なく、久しからんことを畏れ、泚が昔涇に在りて恩有り、且つ権を失いて久しく、庸(凡庸の者)乱を思うにより、乃ち相謀りて曰く、「太尉(朱泚)方に囚錮せられたり、若し之を迎えれば、事済むべし」と。令言百余騎を率いて泚に見え、泚偽りて譲りて答えず、使者を留めて飲ませ、以て衆心を観る。夜数百騎復た往き、泚偽りならざるを知り、乃ち徒を擁して闕下に向かい、炬火街に竟き、観る者万を以て数う。前殿に宿り、六軍を総べる。明日令を下して曰く、「国家東方に事有り、涇人難に赴く、朝章に習わず、乗輿を驚かす、百官三日を並べて行在に赴き、留まる者は本司を守り、令に違う者は誅す」と。逆徒白華殿に居す。或る者泚に天子を迎えんことを説くも、泚顧み望みて愕然たり。光禄卿源休至り、間を請い、臣たらざることを教え、詭りて符命を称す、泚悦ぶ。張光晟・李忠臣皆新たに職を失い怨望す、亦之を成すを勧む。鳳翔大将張廷芝・涇将段誠諫潰兵三千を引きて襄城より来たり、泚自ら人助けを得たりと謂い、逆志堅決なり。因りて休を京兆尹・判度支に署し、忠臣を皇城使とす。又段秀実軍を失い、怨み有らんことを疑い、之を起し、謀りを委ぬ。秀実劉海賓と憤り、挺を発して賊を撃ち、忠臣泚を護り、僅かに面を破るるのみにて、死せずに得たり。

原文初,令言陣五門,衛兵不出,遂突入含元殿,周呼曰:「天子出矣,今日共可取富貴!」噪而進,掠宜春苑,入諸宮。奸人因亂竊入內府盜貲寶,終夜不絕。道路更剽掠,居人嚴兵自保。賊無屬,畏不能久,以泚昔在涇有恩,且失權久,庸思亂,乃相謀曰:「太尉方囚錮,若迎之,事可濟。」令言率百餘騎見泚,泚偽讓不答,留使者飲,以觀眾心。夜數百騎復往,泚知不偽,乃擁徒向闕下,炬火竟街,觀者以萬計。舍前殿,總六軍。明日下令曰:「國家有事東方,涇人赴難,不習朝章,驚乘輿,百官三日並赴行在,留者守本司,違令誅。」逆徒居白華殿。或說泚迎天子,泚顧望愕然。光祿卿源休至,請間,教以不臣,詭稱符命,泚悅。張光晟、李忠臣皆新失職怨望,亦勸成之。鳳翔大將張廷芝、涇將段誠諫引潰兵三千自襄城來,泚自謂得人助,逆誌堅決。因署休京兆尹、判度支,忠臣皇城使。又以段秀實失軍,疑有怨,起之,委以謀。秀實與劉海賓憤,發挺擊賊,忠臣護泚,才破面,得不死。

明日、大いに旗章金石を廷に陳べ、伝言して宗室の王を立てて国を監せしむとす、士庶競いて往き観、泚僭りて皇帝の位に即くこと宣政殿に於いて、号して大秦とし、元を応天と建つ。侍衛皆卒伍、諸臣位に在る者纔かに十余り、太常卿樊系を逼りて冊と為さしむ、冊成り、仰いで薬して死す。泚詔を下し「幽囚の中に、神器自ら至る」と称し、以て命を受けたるを示す。即ち令言を侍中・関内副元帥に拝し、忠臣を司空兼侍中とし、休を中書侍郎とし、蔣鎮を門下侍郎とし、並びに同中書門下平章事とす。蔣諫を以て御史中丞とし、敬釭を御史大夫とし、許季常を京兆尹とし、洪経綸を太常少卿とし、彭偃を中書舎人とし、裴揆・崔幼真を給事中とし、廷芝・光晟・誠諫・崔宣・張宝・何望之・杜如江等並びに偽りて節度使に署す。兄の子遂を以て太子とし、滔を以て冀王・太尉・尚書令とし、号して皇太弟とす。

原文明日,大陳旗章金石於廷,傳言立宗室王監國,士庶競往觀,泚僭即皇帝位於宣政殿,號大秦,建元應天。侍衛皆卒伍,諸臣在位者才十餘,逼太常卿樊系為冊,冊成,仰藥死。泚下詔稱「幽囚之中,神器自至」,以示受命。即拜令言侍中、關內副元帥,忠臣司空兼侍中,休中書侍郎,蔣鎮門下侍郎,並同中書門下平章事。以蔣諫為御史中丞,敬釭御史大夫,許季常京兆尹,洪經綸太常少卿,彭偃中書舍人,裴揆、崔幼真給事中,廷芝、光晟、誠諫、崔宣、張寶、何望之、杜如江等並偽署節度使。以兄子遂為太子,以滔為冀王、太尉、尚書令,號皇太弟。

帝高重傑をして梁山に屯して賊を禦がしむ、賊将李日月之を殺す、帝屍を拊して哭すること哀しみを尽くし、蒲を結びて首と為し以て葬る。泚首を得、亦群賊を集めて哭して曰く、「忠臣なり」と。亦三品の礼を以て葬る。泚既に勝ち、則ち都人に令して曰く、「奉天の残党は終日を待たずして平らぐべし」と。日月鋭く甚だしく、自ら前に比ぶるもの無しと謂い、乃ち陵廟を焼き、御物を鹵す、帝之を患う。渾瑊兵を漠谷に伏せ、数十騎を引きて跳び攻めて長安に至る、泚大いに驚き、榻前に踣る。瑊引き退く、日月尾き追い、伏兵に遇い闘い、日月を射て殺す。泚悵恨す。其の母哭せず、罵りて曰く、「奚奴(賤しき奴)、天子に負いて何事をか為さん。死すること且つ晩し」と。

原文帝使高重傑屯梁山禦賊,賊將李日月殺之,帝拊屍哭盡哀,結蒲為首以葬。泚得首,亦集群賊哭曰:「忠臣也!」亦用三品葬焉。泚既勝,則令都人曰:「奉天殘黨不終日當平。」日月銳甚,自謂無前,乃燒陵廟,鹵御物,帝患之。渾瑊伏兵漠谷,引數十騎跳攻長安,泚大驚,踣榻前。瑊引卻,日月尾追,遇伏鬥,射日月殺之。泚悵恨。其母不哭,罵曰:「奚奴,天子負而何事?死且晚!」

泚自ら将いて奉天を逼り、窃かに乗輿の物を以て自ら侈る。令言を上将とし、光晟之に副え、忠臣を留守とし、蔣鍊・李子平を以て宰相とす。ここに於いて瑊韓游瓌を率いて泚を禦ぎ、泚大いに敗れ、死する者万を以て数え、三里を退きて宿る。攻具を修め、廬室を毀ちて楼車百尺と為し、下りて城中を覘う。会うに杜希全兵を以て漠谷に敗れ、賊益々張る。又劉徳信・高秉哲汝州より沙苑の馬五百を取って昭応に壁し、思子陵の西に戦い、三たび賊に敗れ、東渭橋に次ぎ、遊弈軍を出して以て都城を逼る。忠臣兵数え衄りて救いを請う、泚乃ち急ぎ城を攻め、民を駆りて塹を埋め、雲梁を造り、壮士を上に居らせ、将に堞に傅らんとす、守る者震駭す。渾瑊乃ち侯仲荘・韓澄をして地道を穴らしめ、梁陥ち、火を放ちて之を焚き、城上膏を揮えば流ること数百歩、衆乱れて囂ぎ、城中兵出で、皇太子戦いを督し、賊大いに敗る。然れども賊其の衆を恃み、遂に長囲し、百の弩を以て城中を射り、幄坐する者に及ばざること三步。城益々急なり、帝群臣を召して曰く、「朕宗廟に負う、固く守るべし。公等家賊中に在り、先ず降りて以て親族を完うすべし」と。衆涙下りて曰く、「臣等死すとも二心無し」と。帝亦太息噓欷す。城囲まるること凡そ三旬六日にして、李懐光兵五万を以て至り、賊を魯店に敗り、遂に城下に戦い、辰より昏に至り、賊潰ゆ。帝下りて戦いを観、詔を伝えて曰く、「賊衆も亦朕が赤子なり、多く殺す勿れ」と。聞く者感激す。是の夜、泚引き去る。初め、帝奉天に至り、或る者言う賊既に泚を立てたり、必ず来たりて攻めんと、守具を治めんことを請う。宰相廬杞曰く、「泚は大臣なり、奈何ぞ其の反を疑わん」と。泚城を囲むに及び、帝卒に其の言を詰めず。

原文泚自將逼奉天,竊乘輿物自侈。以令言為上將,光晟副之,忠臣留守,以蔣鍊、李子平為宰相。於是瑊率韓游瓌禦泚,泚大敗,死者萬計,退三里而舍。修攻具,毀廬室為樓車百尺,下覘城中。會杜希全以兵敗漠谷,賊益張。又劉德信、高秉哲自汝州取沙苑馬五百壁昭應,戰思子陵西,三敗賊,次東渭橋,出遊弈軍以逼都城。忠臣兵數衄請救,泚乃急攻城,驅民填塹,造雲梁,令壯士居上,將傅堞,守者震駭。渾瑊乃使侯仲莊、韓澄穴地道,梁陷,縱火焚之,城上揮膏流數百步,眾亂而囂,城中兵出,皇太子督戰,賊大敗。然賊負其眾,遂長圍,以百弮弩射城中,不及幄坐者三步。城益急,帝召群臣曰:「朕負宗廟,宜固守。公等家在賊,可先降,以完親族。」眾泣下曰:「臣等死無貳。」帝亦太息噓欷。城圍凡三旬有六日,而李懷光以兵五萬至,敗賊於魯店,遂戰城下,自辰止昏,賊潰。帝下觀戰,傳詔曰:「賊眾亦朕赤子,勿多殺!」聞者感激。是夜,泚引去。初,帝至奉天,或言賊已立泚,必來攻,請治守具。宰相廬杞曰:「泚,大臣,奈何疑其反?」及泚圍城,帝卒不詰其言。

泚の帰るや、令言方に攻具を治め、忠臣坊毎に団結せしむ、人皆厭い苦しむ。泚悉く之を止めて曰く、「攻守我自ら弁ず」と。賊嘗て士をして馳せ入らしめて曰く、「奉天陥つ」と。百姓相顧みて泣き、市に人を留めず、台省の吏落落たり、郎官一二のみ。

原文泚之歸,令言方治攻具,忠臣坊坊團結,人皆厭苦。泚悉止之曰:「攻守我自辦。」賊嘗令士馳入曰:「奉天陷矣!」百姓相顧泣,市無留人,臺省吏落落,郎官一二而已。

李懐光九子沢に壁し、李晟白馬津より来たり、東渭橋に営し、尚可孤襄・鄧の兵五千を以て藍田に次ぎ、駱元光昭応を守り、馬燧子の匯をして兵三千を以て中渭橋に屯せしむ。

原文李懷光壁九子澤,李晟自白馬津來,營東渭橋,尚可孤以襄、鄧兵五千次藍田,駱元光守昭應,馬燧使子匯以兵三千屯中渭橋。

初め、奉天囲まるること久しく、食且に尽き、蘆を以て帝の馬に秣し、太官の糲米止むること二斛こく。囲み解け、父老争い壺餐餅餌を上り、剣南節度使張延賞帛数十馱を献じ、諸方貢物踵きて来たり、因りて大いに軍中に賜い、詔して殿中侍御史万俟著に金・商の道を治めしめ、権りて転輸を通ぜしむ。群臣家城に在る者は、賊猶俸を給し、中人朱重曜賊に謀りて曰く、「其の家を執りて以て士大夫を招かば、来らざる者之を夷すべし」と。孫知古謬りて曰く、「陛下柔を以て人を服せしむ、若し其の妻子を夷せば、是れ向化の意を絶つなり。且つ義士身を殺すも、何ぞ家を顧みん」と。乃ち止む。

原文始,奉天圍久,食且盡,以蘆秣帝馬,太官糲米止二斛。圍解,父老爭上壺餐餅餌,劍南節度使張延賞獻帛數十馱,諸方貢物踵來,因大賜軍中,詔殿中侍御史万俟著治金、商道,權通轉輸。群臣家在城者,賊猶給俸,中人朱重曜為賊謀曰:「執其家以招士大夫,不來者夷之。」孫知古謬曰:「陛下以柔服人,若夷其妻子,是絕向化意。且義士殺身,何顧於家?」乃止。

興元元年、泚本封遂寧なるを以て、漢の地なり、更めて号して漢とし、元を天皇と改む。或る者曰く、「王師潜かに京城四隅の垣を壊して以て入らんと欲す」と。泚懼れ、詔して金吾に士を衢に布かしめ、吏五炬を儲けて以て夜を防がしめ、城隅百歩に率い一楼を建て、非常を候望せしむ。凡そ祠房廟廬皆帷甲し、戒めて曰く、「軍来らば則ち四面に撃て」と。太倉の糧竭き、賊吏を督して観寺の余米万斛を索め、鞭撲流離し、士漸く饑え、而して神策六軍行在に従う及び哥舒曜・李晟の兵は皆家稟絶えず、或る者停給を請うも、泚曰く、「士外に在りて、弱稚食を絶てば則ち死す、豈に吾が心ならんや」と。即ち厚く居人に斂む。許季常曰く、「一旦急有らば、請う中人公侯三千族を籍し之を族せん。資足る」と。或る者泚に謂いて曰く、「陛下既に命を受けたり、而して唐の九廟諸陵を存するは、宜しからず」と。泚曰く、「朕嘗て北面して唐に事えたり、胡ぞ此れを忍びん」と。又曰く、「官多く缺く、請う才を択びて之を授け、兵を以て脅し、辞するを得ざらしめん」と。泚曰く、「強いて授くれば則ち人懼る、但だ仕えんと欲する者に之を与う、安んぞ戸を叩きて官を拝せんや」と。奉天より下したる赦令、凡そ賊の偽官を受くる者は、賊破るるの日悉く貸して問わず、官軍密に榜して諸道にす。

原文興元元年,泚以本封遂寧,漢地也,更號漢,改元天皇。或曰:「王師欲潛壞京城四隅垣以入。」泚懼,詔金吾布士於衢,吏儲五炬以防夜,城隅率百步建一樓,候望非常。凡祠房廟廬皆帷甲,戒曰:「軍來則四面擊。」太倉糧竭,賊督吏索觀寺餘米萬斛,鞭撲流離,士浸饑,而神策六軍從行在及哥舒曜、李晟兵皆家稟不絕,或請停給,泚曰:「士在外,而弱稚絕食則死,豈吾心哉!」即厚斂居人。許季常曰:「一旦有急,請籍中人公侯三千族之。貲足矣。」或謂泚:「陛下既受命,而存唐九廟諸陵,不宜。」泚曰:「朕嘗北面事唐,胡忍此!」又曰:「官多缺,請擇才授之,脅以兵,使不得辭。」泚曰:「強授則人懼,但欲仕者與之,安能叩戶拜官邪?」奉天所下赦令,凡受賊偽官者,破賊日悉貸不問,官軍密榜諸道。

朱泚は未央宮に宿営していたが、涇原の兵士らは互いに謀って朱泚を殺そうとし、朱泚はこれを知ると、直ちに他の場所へ移り、兵士らの謀議ぼうぎも止んだ。

原文泚方宿未央,涇原士相與謀殺泚,泚知之,輒徙它處,眾謀亦止。

光晟と李懐光は対陣していた。李希倩は精鋭騎兵五百騎でこれを攻撃することを請うたが、光晟は許さず、言うには「西軍は今まさに強盛であり、軽率に戦って敗北を取るべきではない」と。日が暮れて両軍は退いた。李希倩が朱泚に謁見して言うには「光晟には異心があり、西軍を見て戦おうとしません。臣に彼を撃たせてください」と。許されなかった。光晟を斬ることを請うたが、またも許されず、朱泚は言うには「彼は良将である。戦わないのは、まだ時機でないと知っているからであろう」と。李希倩は怒って言うには「臣は心を尽くして君に仕えているのに、信じられない。どうか腰と首を賜り、淮西に帰りたい」と。朱泚は承諾し、馬十頭と絹織物百匹を与えて言うには「これを持って東へ帰れ」と。李希倩は恥じ入り、再び入って言うには「臣は愚かで狭量であり、罪は死に当たります。どうか軍前で死なせてください」と。朱泚はまたこれを許した。光晟が朱泚に会い、「臣は反逆しようとは思いません」と言い、再拝したので、朱泚は慰労して励ました。

原文光晟與懷光對壁,李希倩請以精騎五百犯之,光晟不許,曰:「西軍方強,不可輕以取敗。」日暮,兩軍退。希倩謁泚曰:「光晟有他誌,視西軍不戰,臣請擊之。」不許。請斬光晟,又不許,曰:「彼善將,所以不戰,蓋知未可乎!」希倩怒曰:「臣盡心以事君,不見信,願乞要領歸淮西。」泚許諾,以馬十匹、繒錦百,曰:「以此東歸。」希倩慚,復入曰:「臣愚褊,罪當死,願死軍前。」泚又許之。光晟見泚曰:「臣不敢反。」因再拜,泚慰勉之。

官軍は龍首堨と香積堨の二つの堰を破壊し、その流れを決壊させたので、城中の水は絶えた。朱泚は数百人を徴用してこれを修復させた。東へ出て灞水で王師と戦い、大敗して逃げ戻り、都の城門を閉ざし、兵士らは皆甲冑を着けて待機したが、久しくしてようやく解かれた。李子平は攻城兵器を修造して李懐光を襲撃することを請い、苑中の六街の大木を取って衝車とし、工事の労役は甚だ苦しく、人々は耐えられなかった。また住民の夜行を禁じ、三人以上が集まって飲食することを許さず、上下ともに恐れおののいた。賊が用いたのは盧龍軍・神策軍・団練兵のみであり、涇原軍は驕慢で制御できず、ただ獲得したものを守るだけで、出戦しなかった。故に朱泚はしばしば敗北し、憂慮は甚だしく、逃亡しようとした。術者らは争って言うには「陛下は宮中を出るべきではありません。たとえ西軍が入ってきても、自然に変事が起こるでしょう」と。朱泚はこれを根拠に自ら安心した。

原文官軍壞龍首、香積二堨,以決其流,城中水絕,泚役數百人治之。東出灞水,與王師戰,大奔還,闔都門,士皆甲以待,久乃罷。李子平請修攻具襲懷光,取苑中六街大木為沖車,程役苦甚,人不堪。又禁居人夜行,三人以上不得聚飲食,上下惴恐。賊所用唯盧龍、神策、團練兵,而涇原軍驕不可制,但完守所獲,不出戰,故泚數北,憂甚,欲出走。術家爭曰:「陛下當不出宮,雖西軍入,且自有變。」泚據以自安。

時に李懐光は帝に対して二心を抱き、朱泚が平定されることを望まず、軍を押さえて形勢を観望していた。帝は咸陽に行幸しようとし、諸将に賊を捕らえるよう促したが、李懐光は醜悪な言葉を吐いた。そこで詔を下して戴休顔に奉天を守らせ、尚可孤に灞上を守らせ、駱元光に渭橋を守らせた。帝は梁州へ巡狩し、渭陽に滞在し、嘆息して言うには「朕のこの行いは、永嘉の事(西晋の懐帝が匈奴に捕らえられた事件)となるであろうか」と。渾瑊は言うには「大難に臨んで畏れないのは、聖人の勇です。陛下はなぜそのような過言をなさるのですか」と。李懐光は遂に朱泚と連和した。京師では帝がさらに西へ行かれたことを知り、二つの叛逆者が膠着して固く結びつき、乱が成るであろうと言い、出て賊の官職を受けた者が十八人いた。初め、朱泚は多額の金を出し、李懐光を兄として仕え、関中を平定した後、土地を割いて隣国となることを約束した。故に李懐光は決然と反逆し、併せて陽恵元・李建徽の軍を併せた。朱泚は李懐光の反逆が明白であると知ると、直ちに詔を賜って臣下の礼で待遇し、その兵を督して入衛させようとした。李懐光は欺かれたことを恥じ、その軍を率いて河中を保った。朱泚は数度にわたり人を遣わして涇原の馮河清を誘ったが、河清は従わなかった。またその将の田希鑒と結び、遂に河清を害して賊に応じた。朱泚は直ちに彼を河清の代わりに任じ、吐蕃と結ばせた。

原文會李懷光貳於帝不欲泚平,按軍觀望。帝欲幸咸陽,趣諸將捕賊,懷光出醜言,乃詔戴休顏守奉天,尚可孤守灞上,駱元光守渭橋。進狩梁州,次渭陽,太息曰:「朕是行,將有永嘉事乎?」渾瑊曰:「臨大難無畏者,聖人勇也。陛下何言之過?」懷光遂與泚連和。京師知帝益西,二叛膠固,謂亂且成,出受賊官者十八。始,泚多出金,兄事懷光,約平關中,割地為鄰國,故懷光決反,因並陽惠元、李建徽軍。泚知懷光反明白,即賜詔待以臣禮,督其兵入衛。懷光慚見欺,引其軍保河中。泚數遣人誘涇原馮河清,河清不從,又結其將田希鑒,遂害河清以應賊,泚即以代河清,使結吐蕃。

李晟らの兵は次第に強くなり、兵士らはますます帰附した。また渾瑊が武亭川で賊将の韓旻・宋帰朝を撃破し、斬首およそ一万級、宋帰朝は李懐光のもとへ逃げた。李晟は渾瑊・駱元光・尚可孤を率いて全軍で賊を攻撃し、李晟は光泰門に迫り、賊将の張廷芝・李希倩を破り、賊は門を棄てて泣きながら白華に退いて守った。李晟は軍を引き返し、三日留まった後、再び戦い、大いにこれを破り、ついで分かれて進撃した。朱泚の将の段誠が草むらに潜んでいたが、王伉に捕らえられた。姚令言・張廷芝は李晟と遭遇し、十度戦って皆敗北し、遂に白華に至った。

原文李晟等兵浸強,士益附,而渾瑊又擊破賊將韓旻、宋歸朝於武亭川,斬計萬級,歸朝奔懷光。晟率渾瑊、駱元光、尚可孤悉師攻賊,晟薄光泰門,敗賊將張廷芝、李希倩,賊棄門哭保白華。晟引軍還,居三日復戰,大敗之,乃分道入。泚將段誠伏莽中,為王伉所禽。姚令言、張廷芝與晟遇,十斗皆北,遂至白華。

初め、張光晟は精兵を率いて九曲に陣を構え、東渭橋から十里の地点にあり、密かに李晟に降伏を約束していた。李晟が攻め入ると、光晟は朱泚らに逃亡を勧めた。故に朱泚は姚令言・張廷芝・源休・李子平・朱遂を伴い、残軍を率いて西へ逃走し、光晟は護衛して彼らを送り出し、ついで李晟のもとに赴いて降伏した。

原文始,張光晟以精兵壁九曲,距東渭橋十里,密約降於晟。晟之入,光晟勸泚等出奔,故泚挾令言、廷芝、休、子平、朱遂引殘軍西走,光晟衛出之,因詣晟降。

朱泚は道に迷い、里人に尋ねた。答えて言うには「朱太尉ですか」と。源休が言うには「漢皇帝だ」と。里人は言うには「天網は恢恢、逃げてどこへ行くというのか」と。朱泚は怒って彼を殺そうとしたが、里人は逃げ去った。朱泚が涇州の長武城に至ると、田希鑒がこれを拒んだ。朱泚は言うには「そなたの節鉞は私が授けたものだ。どうして私を拒むのか」と。その門に火を放つと、田希鑒は節鉞を炎の中に投げて言うには「そなたの節鉞を返す」と。朱泚は全軍で泣き、城中の人々はその子弟を見ると、また泣いた。宋膺が言うには「わしの妻が泣いたら、斬るぞ」と。兵士らは泣き止んだ。朱泚はさらに宿屋に移り、梁廷芬を遣わして田希鑒に会わせて言わせた。「公は一節度使を殺した。唐の天子は必ず容赦しないだろう。どうして朱公を受け入れて大事を成さないのか」と。田希鑒は密かに承諾した。梁廷芬が出て報告すると、朱泚は喜んだ。梁廷芬が宰相の地位を求めたが得られず、ついで再び入らなかった。朱泚にはなお范陽の兵卒三千人が残っており、北へ驛馬関へ逃走した。寧州刺史の夏侯英は門を開いて陣を敷いて待っていたので、朱泚は入ることができず、彭原西城を保った。梁廷芬と朱泚の腹心の朱惟孝が夜、朱泚を射ると、彼は穴蔵に落ちた。韓旻・薛綸・高幽巖・武震・朱進卿・董希芝が共に朱泚を斬り、宋膺にその首を伝えて献上させた。朱泚の死は四十三歳であった。姚令言は涇州へ逃走し、源休・李子平は鳳翔へ逃走したが、皆斬首された。朱泚の婿の金吾将軍馬悦は党項へ逃げ、幽州に入ることができた。朱重曜は、朱泚に最も親しく仕え、朱泚は兄と呼んでいた。時に厳冬の大雨にあたり、朱泚は変事を鎮めようと、朱重曜に毒を飲ませて殺し、王礼をもって葬った。賊が平定されると、その屍を引き出してさらし首にした。李希倩ら諸将は皆順次に誅滅された。

原文泚失道,問野人,答曰:「朱太尉邪?」休曰:「漢皇帝。」曰:「天網恢恢,走將安所?」泚怒,欲殺之,乃亡去。泚至涇州長武城,田希鑒拒之,泚曰:「子之節吾所授,奈何拒我?」火其門,希鑒擲節焰中曰:「歸汝節!」泚舉軍哭,城中人望見其子弟,亦哭。宋膺曰:「某妻哭,斬矣!」眾止哭。泚更舍逆旅,遣梁廷芬入見希鑒曰:「公殺一節度,唐天子必不容,何不納朱公成大事?」希鑒陰可。廷芬出報,泚悅。廷芬請宰相不得,乃不復入。泚猶餘范陽卒三千,北走驛馬關,寧州刺史夏侯英開門陣而待,泚不敢入,因保彭原西城。廷芬與泚腹心朱惟孝夜射泚,墜窖中,韓旻、薛綸、高幽巖、武震、朱進卿、董希芝共斬泚,使宋膺傳首以獻。泚死年四十三。令言走涇州,休、子平走鳳翔,皆斬首。泚婿金吾將軍馬悅走党項,得入幽州。朱重曜者,事泚最親近,泚呼為兄。會窮冬大雨,泚欲禳變,鴆殺重曜,以王禮葬。賊平,出其屍膊之。李希倩等諸將皆以次夷滅。

初め、源休は京兆尹として回紇かいこつに使いし、帰還しようとした時、盧杞はその弁舌を恐れ、主君の恩寵を結びつける能力があるのを慮り、太原に滞在した際、彼を光禄卿に上奏した。源休は恨みを抱き、故に朱泚を導いて僭号を称させ、兵糧を調達し、百官を任命し、事柄は全て彼に諮問した。当時、その叛逆は朱泚よりも甚だしいと評され、大臣を脅迫して辱め、宗室の子孫をほとんど殺し尽くし、王師が不利になるたびに、喜びを顔色に表した。姚令言と共に朱泚を勧めて奉天を包囲させ、昼夜賊のために謀り、二人は争って自らを蕭何に比した。源休は姚令言を顧みて言うには「秦の業を成す者で、我に並ぶ者はいない。私は蕭何を見る。そなたは曹参たるべし」と。直ちに図籍を収集し、府庫に貯蔵し、蕭何に倣ったので、人々は皆笑って「火迫酇侯」と呼んだ。本籍は相州の人である。

原文初,源休為京兆尹,使回紇,將還,盧杞畏其辯,能結主恩,次太原,奏為光祿卿。休怨望,故導泚僭號,為調兵食,署拜百官,事一咨之。時訂其逆甚於泚,脅辱大臣,多殺宗室子孫幾於盡,每王師不利,喜見眉宇。與姚令言勸泚圍奉天,晝夜為賊謀,二人爭自比蕭何。休顧令言曰:「成秦之業,無輩我者。我視蕭何,子當曹參可矣。」即收圖籍,貯府庫,效何者,人皆笑謂為「火迫酇侯」。本相州人。

姚令言は、河中の人である。初め応募して、涇原節度使馬璘の幕府に属した。孟臯が留後となった時、その謹厳で将帥の任に堪えると上表し、ついで節度使となった。朱泚を擁して乱を起こすと、頗る力を尽くした。

原文令言者,河中人。始應募,隸涇原節度使馬璘府。孟臯之為留後,表其謹肅任將帥,遂為節度使。既挾泚亂,頗盡力。

彭偃は、出世に鋭く、自ら宰相に抑えられたと思い、鬱々として満足せず、朱泚の乱の際、農家に匿われた。用いられると、辞令は全て彼の手から出たので、その言辞は特に背理で傲慢であった。

原文彭偃,銳於進,自謂為宰相所抑,鬱鬱不慊。泚亂,匿田家;既得用,辭令一出其手,故辭尤誖慢。

李晟は張光晟の才能を愛し、上表してその死罪を赦し、軍中に置くことを請うた。駱元光は怒って言うには「私は反逆者と同席することはできない」と。衣を払って立ち去ったので、李晟はついに彼を殺した。李懐光は宋帰朝を捕らえて朝廷に献じ、斬首した。ただ李日月の母のみが赦された。朱泚が敗れる前、その邸宅を潜龍宮と号し、珍宝を移して満たした。人々は「潜龍用いられず」と言い、滅亡の兆しであった。

原文李晟愛張光晟才,表丐原死,置軍中。駱元光怒曰:「吾不能與反虜同坐。」拂衣去,晟乃殺之。李懷光以宋歸朝獻諸朝,斬之。唯李日月母得貸。泚未敗,號其第為潛龍宮,徙珍寶實之,人謂「潛龍勿用」,亡兆也。

李晟は田希鑒の叛逆を憎み、事に因りて之を誅せんと欲す。時に吐蕃涇州を寇す。李晟方に涇原を帥ひし故、希鑒救ひを請ふ。李晟史萬歳を遣はし、騎兵三千を以て往かしめ、李晟に行邊せんことを請ふ。希鑒来謁す。其の妻李は、父として李晟に事へ、李晟屡宴に入る。将に師を還さんとし、好んで希鑒に謂ひて曰く、「吾久しく此に留まる。諸将皆故人なり。吾酒を置きて以て別れんと欲す。過ぎて営に飲まん。」希鑒等営に詣る。酒未だ行はれず。李晟曰く、「諸君相過ぐるに、宜しく自ら姓名爵里を通ずべし。」諸将次を以て言ふ。罪無き者は坐して自ら如し。罪有る者は李晟質し責む。一卒引き出だし、斬りて之を瘞む。希鑒李晟の下に坐す。未だ当に死すべきを知らず。李晟顧みて曰く、「田郎罪無きを得ず。」左右執へて下す。李晟曰く、「天子蒙塵す。乃ち節度使を殺し、賊の節を受けたり。今日何の面目有りて我を見るや。」希鑒対ふる能はず。李晟曰く、「田郎老いたり。床に坐して対を置け。」乃ち幕中に縊し、李観を以て代はり節度使と為す。

原文晟惡田希鑒之逆,欲因事誅之。會吐蕃寇涇州,晟方帥涇原,故希鑒請救,晟遣史萬歲以騎兵三千往,請晟行邊。希鑒來謁,其妻李,父事晟,晟屢入宴,將還師,好謂希鑒曰:「吾久留此,諸將皆故人,吾欲置酒以別,可過營飲也。」希鑒等詣營,酒未行,晟曰:「諸君相過,宜自通姓名爵里。」諸將以次言,無罪者坐自如,有罪者晟質責,一卒引出,斬而瘞之。希鑒坐晟下,未知當死,晟顧曰:「田郎不得無罪。」左右執以下,晟曰:「天子蒙塵,乃殺節度使,受賊節,今日何面目見我乎?」希鑒不能對。晟曰:「田郎老矣,坐於床置對。」乃縊幕中,以李觀代為節度使。