新五代史

巻第八

莊宗既に魏を得、梁の将劉鄩清平を急攻す。莊宗馳せてこれを救う。兵未だ陣に及ばずして、鄩に掩はる。敬瑭十余騎を以て横槊し馳撃し、これを取りて還る。莊宗その背を拊してこれを壮とし、手ずから酥を啗わしむ。酥を啗うは夷狄の重んずる所、これにより名軍中に動く。十五年、莊宗胡柳に戦う。前鋒周德威戦死す。敬瑭左射軍を以て明宗に従い、復た梁兵を撃ち破る。明宗胡盧套・楊村に戦い、梁兵に敗る。敬瑭常に明宗を危難より脱す。

趙在礼の乱、明宗これを討つ。魏に至りて兵変す。明宗初め天子に自ら帰らんと欲し、己の反せざる所以を明らかにせんとす。敬瑭計を献じて曰く、「豈に軍外に変ありて、上将独り事無き者有らんや。且つ猶は兵家の大忌、速やかに行くに如かず。願わくは騎兵三百を得て先ず汴州を攻めん。夷門は天下の要害、これを得れば以て事を成すべし」と。明宗これを然りとし、これにぎょう騎三百を与え、黎陽を渡りて前鋒と為す。明宗遂に汴に入る。莊宗洛より後至り、入るを得ずして兵皆潰散す。莊宗西還す。明宗敬瑭を以て前鋒と為し汜水に趣かしめ、且つその散卒を収めしむ。莊宗しいせられ、明宗入りて立つ。敬瑭を拝して保義軍節度使と為し、「竭忠建策興復功臣」の号を賜い、兼ねて六軍諸えい副使とす。陝に在りて政を為すに廉を以て聞こゆ。是の時、諸侯多く法を奉ぜず、鄧州陶玘・亳州李鄴皆贓汙を以て死を論ぜらる。明宗詔書を下し廉吏普州安崇阮・洺州張万進・耀州孫岳等を褒めて以て天下に諷し、而して敬瑭を以て首と為す。

天成二年十月、汴州に幸すに従い、御営使と為り、宣武軍節度使・侍衞親軍馬歩軍都指揮使を拝し、六軍副使は旧の如し。「耀忠匡定保節功臣」と改めて賜う。三年四月、天雄に鎮を徙し、同中書門下平章事・興唐尹を拝す。五月、駙馬都尉を拝す。董璋東川に反す。行営都招討使と為り、克たずして還る。復た六軍諸衞副使を兼ぬ。河陽三城に鎮を徙す。未だ行かずして、契丹・吐渾・突厥皆入寇す。是の時、秦王従栄六軍を統ぶ。敬瑭その必ず禍に及ばんことを疑い、その副たらんことを欲せず、乃ち自ら行くことを請う。及び制出づるも、副使を落とさず、輒ち復た行くことを辞す。明宗数え大臣を責めて誰か行くべき者を問う。范延光・趙延寿等終に敬瑭を以て請う。乃ち河東節度使・大同彰国振武威塞等軍蕃漢馬歩軍総管を拝し、六軍副使を落とし、乃ち行く。

明年、明宗崩ず。愍帝即位し、中書令を加う。三月、成徳に鎮を徙す。清泰元年五月、復た太原に鎮し、来たりて京師に朝す。潞王従珂鳳翔に反す。愍帝出奔し、道にて敬瑭に遇う。敬瑭帝の従者百余を殺し、帝を衛州に幽して去る。廃帝即位し、敬瑭必ず反せんことを疑う。

天福元年五月、天平に鎮を徙す。敬瑭果たして命を受けず、その属に謂いて曰く、「先帝吾に太原を授けて老いしめんとす。今故無くして遷すは、是れ吾の反を疑うなり。且つ太原は地険にして粟多く、吾まさに内には諸鎮に檄し、外には契丹に援を求めん、可ならんや」と。桑維翰・劉知遠等共に然りと以為う。乃ち上表して廃帝の当に立つべからざるを論じ、許王従益を立てて明宗の嗣と為さんことを請う。廃帝詔を下し敬瑭の官爵を削奪し、張敬達等を命じてこれを討たしむ。敬瑭契丹に援を求む。九月、契丹耶律徳光鴈門より入り、唐兵と戦い、敬達大敗す。敬瑭夜に北門を出でて耶律徳光に見え、父子と約す。十一月丁酉、皇帝即位す。国号を晉とす。幽・涿・薊・檀・順・瀛・莫・蔚・朔・雲・応・新・媯・儒・武・寰州を以て契丹に入る。己亥、大赦し、元を改む。掌書記桑維翰を翰林学士・尚書礼部侍郎、知枢密使事と為す。閏月丙寅、翰林学士承旨・尚書戸部侍郎趙瑩を門下侍郎と為し、桑維翰を中書侍郎・同中書門下平章事、枢密使を兼ぬる。甲戌、趙徳鈞及びその子延寿唐に叛して来降す。契丹これを鏁して帰す。己卯、河陽に次ぐ。節度使萇従簡唐に叛して来降す。辛巳、太原より至る。盧文紀・姚顗罷む。甲申、大赦し、張延朗・劉延朗を殺し、房暠を赦す。十二月乙酉、河陽に如く。王従珂を追降して庶人と為す。丁亥、司空しくう馮道門下侍郎・同中書門下平章事を兼ぬ。己丑、曹州指揮使石重立その刺史鄭玩を殺す。辛卯、御札を以て直言を求む。癸巳、鎮州牙内都虞候祕瓊その節度副使李彦琦を逐う。同州裨将門鐸その将楊漢賓を殺す。庚子、天平軍節度使王建立その副使李彦贇を殺す。旱。

二年春正月癸亥、安遠軍節度使盧文進叛きて呉に降る。丁卯、天雄軍節度使范延光、齊州防禦使祕瓊を殺す。戊寅、兵部侍郎李崧、中書侍郎・同中書門下平章事・樞密使と為る。唐の宗室の子を公に封じ、及び隋の酅公を二王の後と為し、周の介公を以て三恪に備ふ。

二月丁酉、契丹、皇太子解里を使はして来る。三月庚辰、汴州に如く。夏四月丁亥、囚を赦し、民の租賦を蠲す。趙瑩、契丹に使す。辛卯、宣武軍節度使楊光遠、助國錢を進む。契丹、宮苑使李可興を使はして来る。五月壬戌、御札を以て直言を求む。丁丑、祖考を追尊して皇帝と為し、妣を皇后と為す。高祖璟、謚して孝安と曰ひ、廟號を靖祖とす。祖妣秦氏、謚して孝安元と曰ふ。曾祖郴、謚して孝簡と曰ひ、廟號を肅祖とす。祖妣安氏、謚して孝簡恭と曰ふ。祖昱、謚して孝平と曰ひ、廟號を睿祖とす。祖妣來氏、謚して孝平獻と曰ふ。考紹雍、謚して孝元と曰ひ、廟號を獻祖とす。妣何氏、謚して孝元懿と曰ふ。六月癸未、契丹、夷離畢を使はして来る。天雄軍節度使范延光反す。丁酉、箭を義成軍節度使符彥饒に傳ふ。丁未、楊光遠、魏府四面行營都部署と為る。東都巡檢張從賓反し、留守判官李遐之に死す。奉國都指揮使侯益・護聖都指揮使杜重威之を討つ。從賓、河陽を寇し、皇子重信を殺す。河南を寇し、皇子重乂を殺す。

秋七月、從賓、汜水關を陷し、巡檢使宋廷浩を殺す。壬子、右衞大將軍尹暉叛きて呉に奔らんとす、克せず、誅に伏す。右監門衞大將軍婁繼英叛きて張從賓に降る。義成軍亂れ、戍將侍衞馬步軍都指揮使白奉進を殺す。甲寅、戍將奉國指揮使馬萬、符彥饒を執へて京師に歸す。之を赤岡に殺せしむ。乙卯、楊光遠、魏府行營都招討使と為る。辛酉、杜重威、汜水關を克つ。壬申、楊光遠、博州を克つ。丙子、安州屯防指揮使王暉其の節度使周瓌を殺す。右衞大將軍李金全之を討つ。

八月丙申、靜難軍節度使安叔千、添都馬を進む。乙巳、死罪に非ざる囚及び張從賓・符彥饒・王暉の餘黨を赦す。九月、楊光遠、粟を進む。冬十月辛巳、甲兵を造るを禁ず。

六年春正月戊寅、唐叔虞を興安王に封じ、臺駘を昌寧公に封ず。二月戊申、買宴錢を停む。三月、民の二年より四年以前の稅を除く。時に斂重くして民堪へざるを見る。夏四月己未、契丹使述括來る。五月、吐渾の首領白承福來る。秋七月壬午、突厥使薛同海來る。八月壬辰、鄴都に如く、開封尹鄭王重貴東京を留守し、宣徽南院使張從恩東京內外兵馬都監とす。壬寅、大赦す。甲寅、光祿卿張澄契丹に使す。九月乙亥、前安國軍節度使楊彥詢契丹に使す。丁丑、吐渾使白可久來る。河、中都に決し、沓河に入る。冬十月、河、滑・濮・鄆・澶州に決す。山南東道節度使安從進反す。十一月丁丑、西京留守高行周を南面軍前都部署として以て之を討たしむ。十二月丙戌朔、鄭王重貴を廣晉尹とし、徙めて齊王に封ず。先鋒都指揮使郭金海及び安從進と唐州に戰ひ、之を敗る。成德軍節度使安重榮反す。天平節度使杜重威を鎮州行營招討使とす。丙申、契丹遣使來る。戊戌、杜重威及び安重榮と宗城に戰ひ、之を敗る。

七年春正月丁巳、鎮州を克ち、安重榮誅せられ、廣晉を赦す。庚午、契丹使達剌來る。三月、歸德軍節度使安彥威滑州に於て決河を塞ぐ。閏月、天興蝗麥を食ふ。夏五月乙巳、皇太妃劉氏を太后と尊む。高祖の生母なり。六月丙辰、吐渾使念醜漢來る。乙丑、皇帝保昌殿に崩ず。年五十一。