宋史

表第六 宗室世系一 太祖燕王房

昔し帝王の天下を有するや、同姓を衆建して蕃屏を樹つるに及ばざるは莫く、国を有するを得ざる者は、則ち亦た土田を授け、其の宗氏を帥いしめ、其の族分を輯めしむ。故に別を継ぐの宗は、百世遷らず。豈に其の崇奨に頼り、維持して以て抜くべからざるの基を成すのみならんや。蓋し親を親しむの仁は、国の大経、理固然なり。周官に、宗伯は三族の別を掌り、以て親疎を弁じ、是に於いて昭穆を叙して礼法の降殺行わる。此れ世系の謹まざるべからざる所以なり。後世封建廃れて宗法壊れ、帝王の裔至っては或いは民に雑じ、伍に淪ちて皂隸と為る、甚だ歎ずべし。宋の太祖太宗魏王の子孫は蕃衍盛大と謂うべし。支子以下各一字を以て其の昭穆を別ち、而して宗正の掌る所、牒有り、籍有り、録有り、図有り、譜有り、以て其の系を叙し、而して其の服属の遠近を第し、其の男女婚姻及び官爵叙遷を刑し、而して其の功罪生死の年月を著す。封国の制は古に復すべからざるも、宗法の厳なること恩礼の厚きこと亦た概見すべし。然れども靖康の変、往々兵難に淪徙死亡し、南渡の存する所十に二三無く、而して国の枝葉日を以て悴し。今載籍の旧に因り、其の原委を考へ、宗室世系表を作る。

太祖四子、長は滕王德秀、次は燕王德昭、次は舒王德林、次は秦王德芳。德秀、德林は後無し。

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