| 西暦 | 紀年 | 宰相の任命・昇進・加官 | 罷免 | 執政の任命・昇進・加官 | 罷免 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1225 | 宝慶元年乙酉 | 史弥遠 | 四月己未、薛極が端明殿学士・正議大夫・簽書枢密院事となる。十一月癸亥、宣繒が参知政事から同知枢密院事に任じられる。薛極が簽書枢密院事から参知政事に任じられる。葛洪が同簽書枢密院事から簽書枢密院事に昇進する。 | ||
| 1226 | 二年丙戌 | 史弥遠 | |||
| 1227 | 三年丁亥 | 三月丙寅、史弥遠が少師・右丞相兼枢密使となり、提挙編修玉牒・提挙編修国朝会要・提挙国史実録院・提挙編修勅令を兼任し、魯国公に封じられる。史弥遠 | 九月癸未、故少保・観文殿大学士・魏国公致仕・贈太師留正に忠宣の諡号が定められる。 | 正月乙亥、宣繒は特転して正奉大夫・参知政事兼同知枢密院事となり、権監修国史日曆・同提挙編修勅令を兼任。薛極は特転して宣奉大夫・参知政事となり、同提挙編修勅令を兼任。葛洪は端明殿学士となり、特転して中奉大夫・簽書枢密院事となる。 | |
| 1228年 | 紹定元年戊子 | 史弥遠 | 六月戊申、薛極は参知政事兼同知枢密院事となる。十二月辛亥、薛極は知枢密院事兼参知政事に進む。葛洪は簽書枢密院事から参知政事に除される。袁韶は同知枢密院事に除される。鄭清之は端明殿学士となり、簽書枢密院事に除される。 | ||
| 1229年 | 二年己丑 | 史弥遠 | |||
| 1230年 | 三年庚寅 | 九月己酉、史彌遠を少師・右丞相兼樞密使・魯國公とし、食邑實封を加える。史彌遠 | 十二月甲子、袁韶を同知樞密院事から兩浙西路安撫制置使兼知臨安府に任ず。庚辰、制置使を免じ、従前の通り同知樞密院事とする。乙丑、鄭清之を參知政事兼簽書樞密院事に任ず。喬行簡を端明殿學士・同簽書樞密院事に任ず。 | ||
| 1231年 | 四年辛卯 | 史彌遠 | 十月丙辰、宰執が火災が太廟に及んだことを理由に、五度にわたり罷免を請う。詔して史彌遠を特例で奉化郡公に降格させる。 | 四月丁丑、鄭清之を兼同知樞密院事に任ず。喬行簡は従前の端明殿學士のまま、簽書樞密院事に任ず。 | 十月丙辰、火災が太廟に及んだことを理由に、薛極・鄭清之・喬行簡に詔して各々一官を降格させる。 |
| 1232年 | 五年壬辰 | 史彌遠 | 五月己丑、薛極、鄭清之、喬行簡が共に元の官職に復帰。七月丁酉、陳貴誼が礼部尚書から端明殿学士、同簽書枢密院事に任命される。 | ||
| 1233 | 六年癸巳 | 十月丙戌、史彌遠が特授で太師、左丞相、引き続き枢密使を兼務、魯国公、封邑を加増。鄭清之が特授で光禄大夫、右丞相兼枢密使、封邑を加増。史彌遠 鄭清之 | 十月丁亥、史彌遠が太師、左丞相兼枢密使、魯国公から保寧昭信軍節度使に任命され、醴泉観使を充て、会稽郡王に進封。壬辰、致仕。乙未、薨去。 | 十月丁亥、薛極が金紫光禄大夫、知枢密院事から枢密使に進む。喬行簡が簽書枢密院事から参知政事兼同知枢密院事に任命。陳貴誼が同簽書枢密院事から参知政事兼簽書枢密院事に任命。 | 十二月庚辰、薛極が観文殿大学士として紹興府を治める。 |
| 1234 | 端平元年甲午 | 鄭清之 | 六月戊寅、喬行簡が参知政事兼同知枢密院事から知枢密院事に任命された。曾従龍が資政殿大学士から参知政事に任命された。鄭性之が太中大夫兼侍読から端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。陳貴誼が兼簽書枢密院事から同知枢密院事に昇進した。 | 四月辛卯、薛極が少保となり、従前の観文殿大学士・和国公のまま致仕した。五月庚子、少師を追贈され、乙巳に死去した。十月丙戌、陳貴誼が参知政事兼同知枢密院事から本官を守って致仕を願い出た。庚寅、特旨で少保・資政殿大学士を追贈された。癸巳に死去した。 | |
| 1235 | 二年乙未 | 六月戊寅、鄭清之が光禄大夫・右丞相兼枢密使から左丞相に任命された。喬行簡が宣奉大夫・知枢密院事兼参知政事から右丞相に任命された。鄭清之 喬行簡 | 三月乙巳、曾従龍が参知政事兼同知枢密院事となった。真徳秀が翰林学士から参知政事に任命された。陳卓が正議大夫・守吏部尚書から端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。六月壬午、曾従龍が知枢密院事兼参知政事に任命された。崔与之が端明殿学士・太中大夫・広南東路経略安撫使馬歩軍都総管兼知広州から召されて参知政事に任命された。鄭性之が同知枢密院事に任命された。陳卓が従前の端明殿学士のまま、簽書枢密院事に任命された。十一月乙丑、曾従龍が枢密使に任命され、江・淮軍馬を督視した。魏了翁が端明殿学士・同簽書枢密院事に任命され、京・湖軍馬を督視した。 | 四月辛卯、真徳秀が資政殿学士・在京宮観・兼侍読に任命された。五月己亥、特旨で一官を転じ、資政殿学士・提挙佑神観・兼侍読のまま致仕した。甲辰に死去し、特旨で銀青光禄大夫を追贈された。六月己卯、葛洪が資政殿大学士・通議大夫・提挙臨安府洞霄宮に任命された。十二月、魏了翁が同簽書枢密院事・督視京湖軍馬から簽書枢密院事に任命されたが、強く辞退し、資政殿学士・湖南安撫使に改任された。 | |
| 1236 | 三年丙申 | 九月乙亥、崔與之が参知政事から正議大夫に特転し、右丞相兼枢密使に任じられた。十一月、喬行簡が観文殿大学士・醴泉観使兼侍読から特進・左丞相兼枢密使に任じられ、粛国公に進封され封邑を加増された。鄭清之 喬行簡 崔與之 | 九月乙亥、鄭清之が左丞相兼枢密使を罷免され、観文殿大学士・醴泉観使兼侍読に任じられた。喬行簡が右丞相兼枢密使を罷免され、観文殿大学士・醴泉観使兼侍読に任じられた。十二月癸卯、特進鄭清之が従前の観文殿大学士・臨安府洞霄宮提挙を留任した。 | 七月丁卯、鄭性之が太中大夫・同知枢密院事兼権参知政事から参知政事に任じられた。李鳴復が権刑部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。九月乙亥、鄭性之が同知枢密院事を兼任した。李鳴復が参知政事を兼任した。 | 九月癸亥、宣繒が資政殿大学士・光禄大夫・臨安府洞霄宮提挙から観文殿大学士に任じられ、致仕した。 |
| 1237年 | 嘉熙元年丁酉 | 喬行簡 崔與之 | 二月癸未、鄭性之が参知政事兼同知枢密院事から知枢密院事兼参知政事に任じられた。鄒応龍が端明殿学士・簽書枢密院事兼参知政事に任じられた。李宗勉が端明殿学士・同簽書枢密院事に任じられた。八月癸巳、李鳴復が兼参知政事から参知政事に任じられた。李宗勉が同簽書枢密院事から簽書枢密院事に任じられた。 | ||
| 1238年 | 二年戊戌 | 喬行簡 崔與之 | 正月戊申、余天錫が少中大夫・試吏部尚書から端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。辛酉、史嵩之が通奉大夫・京西荊湖南北路安撫制置使から端明殿学士に任命され、引き続き京湖安撫制置使・沿江制置副使・鄂州知事を兼任し、恩例は執政と同等とされた。五月癸未、李鳴復が参知政事から知枢密院事に任命された。李宗勉が簽書枢密院事から参知政事に任命された。余天錫が同簽書枢密院事から引き続き端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。七月庚辰、趙以夫が朝奉大夫・右文殿修撰・枢密都承旨から沿海制置副使・慶元府知事・宣奉大夫・同知枢密院事に任命された。 | ||
| 1239 | 三年己亥 | 正月、喬行簡が特進・左丞相・枢密使兼任から少傅・平章軍国重事に昇進した。李宗勉が参知政事から左丞相に任命された。史嵩之が京・湖安撫制置使から右丞相に任命された。喬行簡 崔與之 李宗勉 史嵩之 | 六月庚子、崔與之が相位を強く辞退し、詔により前官のまま、特例で観文殿大学士を授けられ、致仕した。 | 正月、余天錫が簽書枢密院事から参知政事に任命された。游佀が端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。二月壬寅、余天錫が同知枢密院事を兼任した。八月戊戌、游佀が同簽書枢密院事から参知政事に任命された。許応龍が中大夫・試礼部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。林略が試右諫議大夫から端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。十一月丙子、范鍾が端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。 | 十月庚申、許応龍が簽書枢密院事を罷免された。林略が同簽書枢密院事を罷免された。 |
| 1240 | 四年庚子 | 喬行簡 李宗勉 史嵩之 | 九月癸亥、喬行簡は少傅・平章軍国重事から特授で少師・保寧軍節度使・醴泉観使となり、魯国公に進封され、封邑を加えられ、祠を奉じた。閏十二月丙寅、左丞相李宗勉が薨去。 | 閏十二月丙寅、游佀は中大夫・参知政事から知枢密院事・兼参知政事に任じられた。范鍾は中大夫・簽書枢密院事から参知政事に任じられた。徐栄叟は朝奉大夫・権礼部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。 | |
| 1241 | 淳祐元年辛丑 | 史嵩之 | 二月壬午、少師・魯国公喬行簡が薨去。 | 三月己酉、趙以夫は宣奉大夫・同知枢密院事から祠を乞うが許されず、引き続き集英殿修撰を務め、建寧府知事に差遣された。十二月庚申、資政殿大学士・通議大夫・知慶元府余天錫は本官を守り致仕を乞い、観文殿学士に任じられ、特転で両官致仕となり、丁卯に卒去。 | |
| 1242 | 二年壬寅 | 史嵩之 | 二月甲戌、范鍾が参知政事から知枢密院事兼参知政事に任命された。徐栄叟が簽書枢密院事から参知政事に任命された。趙葵に出身を賜り、同知枢密院事となった。別之傑が簽書枢密院事に任命された。五月己酉、趙葵が同知枢密院事から資政殿大学士、知潭州、湖南安撫使に任命された。六月丙寅、別之傑が簽書枢密院事から同知枢密院事兼権参知政事に任命された。高定子が端明殿学士、簽書枢密院事に任命された。杜範が端明殿学士、同簽書枢密院事に任命された。 | 二月、游佀が浙東に出帥し、まもなく奉祠した。六月癸亥、徐栄叟が資政殿大学士、提挙臨安府洞霄宮に任命された。十二月丙寅、別之傑が同知枢密院事兼権参知政事から資政殿学士、湖南安撫大使兼知潭州に任命された。趙葵が同知枢密院事から従前の資政殿大学士のまま、福建安撫使、知福州に任命された。 | |
| 1243 | 三年癸卯 | 史嵩之 | 正月戊寅、高定子が簽書枢密院事から兼参知政事に任命された。 | 八月庚午、林略が端明殿学士、提挙臨安府洞霄宮から資政殿学士で致仕した。 | |
| 1244 | 四年甲辰 | 九月癸卯、右丞相史嵩之が休暇中のため、知樞密院事范鍾と簽書樞密院事劉伯正に日替わりで筆記を担当するよう詔を下す。丙午、史嵩之は前官のまま復職し、永国公を加封される。十二月庚午、范鍾は通議大夫・知樞密院事・兼參知政事から正奉大夫に昇進し、左丞相兼樞密使に任命される。杜範は資政殿學士・中大夫・提舉萬壽觀兼侍讀から通奉大夫に昇進し、右丞相兼樞密使に任命される。史嵩之、范鍾、杜範 | 九月癸卯、右丞相史嵩之が父弥忠の病気のため慶元府に帰省する休暇を取得し、間もなく弥忠が死去したため、職を辞す。 | 正月壬寅、李鳴復は知樞密院事から參知政事に任命される。杜範は同簽書樞密院事から同知樞密院事に昇進する。劉伯正は中大夫・刑部尚書から端明殿學士・簽書樞密院事に任命され、己未に兼權參知政事を兼任する。三月己未、金淵は端明殿學士・簽書樞密院事に任命される。十二月庚午、游佀は資政殿大學士・通議大夫・提舉萬壽觀から知樞密院事兼參知政事に任命される。劉伯正は知樞密院事兼參知政事から參知政事兼簽書樞密院事に任命される。甲戌、趙葵は資政殿大學士・通奉大夫から同知樞密院事に任命される。 | 正月丁巳、參知政事李鳴復は従前の資政殿大學士のまま、福州知事・福建路安撫使に任命される。杜範は同知樞密院事から資政殿學士・婺州知事に任命される。 |
| 1245年 | 五年乙巳 | 三月己卯、范鍾は左丞相兼樞密使に就任し、封邑を加増される。杜範は右丞相兼樞密使に就任し、封邑を加増される。十二月己卯、游佀は知樞密院事兼參知政事から宣奉大夫に昇進し、右丞相兼樞密使に任命され、封邑を加増される。史嵩之、范鍾、游佀 | 四月丙戌、右丞相杜範が死去する。十二月己卯、鄭清之は少傅・觀文殿大學士・充醴泉觀使兼侍讀・越国公から特旨で少師・奉國軍節度使に任命され、従前の醴泉觀使兼侍讀・越国公のまま、封邑を加増される。 | 正月乙卯、李性傳は太中大夫・權禮部尚書から端明殿學士・簽書樞密院事兼權參知政事に任命される。十一月乙卯、陳韡は端明殿學士・同簽書樞密院事に任命される。十二月己卯、趙葵は通奉大夫・同知樞密院事から知樞密院事兼參知政事に任命される。李性傳は端明殿學士・簽書樞密院事から同知樞密院事に任命される。陳韡は端明殿學士・同簽書樞密院事から兼參知政事を兼任する。 | 正月乙卯、劉伯正が參知政事を罷免される。十二月癸未、李性傳は官職を除かれ、郡に赴任する。 |
| 1246年 | 六年丙午 | 史嵩之 范鍾 游佀 | 二月戊辰、左丞相范鍾が再び帰郷を願い出、詔により観文殿大学士・醴泉観使兼侍読に任じられる。十二月乙未、右丞相史嵩之が本官を守り致仕する。 | 六月壬子、陳韡が同知枢密院事から参知政事兼同知枢密院事に任じられる。 | 閏四月乙未、除栄叟が死去する。 |
| 1247年 | 七年丁未 | 四月辛丑、鄭清之が少師・奉国軍節度使から醴泉観使・兼侍読・越国公を充てられ、特授で太傅・右丞相兼枢密使に任じられ、従前の越国公を保ち、封邑を加増される。 鄭清之 游佀 | 四月辛丑、游佀が右相を罷免され、観文殿大学士・醴泉観使兼侍読に任じられ、封邑は従前通り。五月戊寅、再び辞任を願い出、官を免じられ、特許で帰郷を許される。 | 四月辛丑、王伯大が通奉大夫・守刑部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。呉潜が翰林学士から端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。辛丑、趙葵が知枢密院事兼参知政事から枢密使事兼参知政事に特授され、江淮京西湖北軍馬を督視した。陳韡が兼同知枢密院事から知枢密院事・湖南安撫大使兼知潭州に任命された。五月丁巳、王伯大が簽書枢密院事から兼参知政事に任命された。壬申、呉潜が同簽書枢密院事から兼権参知政事に任命された。七月丁卯、別之傑が参知政事に任命された。鄭寀が端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。 | 三月戊辰、李韶が従前の端明殿学士・提挙万寿宮兼侍読に留任した。七月乙丑、呉潜が同簽書枢密院事を罷免され、丁丑、従前の端明殿学士・知福州・福建安撫使に留任した。八月甲申、鄭寀が同簽書枢密院事を罷免され、旧職を守り奉祠した。甲辰、参知政事高定子が死去した。 |
| 1248年 | 八年戊申 | 九月庚午、太傅・右丞相兼枢密使・越国公鄭清之が明堂礼成により、食邑一千戸、食実封四百戸を加増された。鄭清之 | 五月己巳、趙葵が枢密使兼参知政事・督視江淮京西湖北軍馬兼知建康軍府事から宣奉大夫に特授され、従前の枢密使兼参知政事・督視江淮京西湖北軍馬兼知建康府事・兼管内勧農使兼行宮留守・江南東路安撫使馬歩軍都総管・長沙郡開国公に留任し、封邑を加増された。七月辛亥、王伯大が簽書枢密院事から参知政事に任命された。応〈亻繇〉が翰林学士・中奉大夫から同知枢密院事に任命された。謝方叔が朝散大夫・試給事中から端明殿学士・簽書枢密院事に任命された。史宅之が正奉大夫・守吏部尚書から端明殿学士・同簽書枢密院事に任命された。九月庚午、枢密使兼参知政事・督視江淮京西湖北軍馬趙葵が明堂礼成により、食邑一千戸、食実邑四百戸を加増された。十月乙亥、応〈亻繇〉と謝方叔がともに兼参知政事に任命された。 | 七月癸酉、王伯大が資政殿学士として建寧府を治めた。十月甲戌、参知政事別之傑が帰田を乞い、乙亥、資政殿大学士・知紹興府に任命された。 | |
| 1249年 | 九年己酉 | 閏二月甲辰、鄭清之が太傅・右丞相兼枢密使・越国公から太師左丞相兼枢密使に特授され、魏国公に進封され、封邑を加増された。趙葵が枢密使兼参知政事から金紫光禄大夫・右丞相兼枢密使に特授され、封邑を加増された。鄭清之 趙葵 | 正月己巳、前左丞相范鍾が薨去。 | 閏二月甲辰、応〈亻繇〉と謝方叔がともに参知政事に就任。史宅之が同簽書樞密院事から同知樞密院事に任命。十二月乙巳、呉潜が同簽書樞密院事から同知樞密院事兼参知政事に任命。徐清叟が朝請大夫・試礼部尚書から同知樞密院事兼参知政事に任命。 | 正月丁卯、前簽書樞密院事許応龍が死去。閏二月甲辰、陳韡が観文殿学士・福建安撫大使として福州知事に就任。呉淵が端明殿学士・沿江制置使・江東安撫使として建康府知事兼行宮留守に就任。五月甲午、前同簽書樞密院事鄭寀が死去。十一月庚辰、参知政事応〈亻繇〉が帰郷を願い出て、資政殿学士・平江府知事に任命。十二月壬子、同知樞密院事史宅之が死去。 |
| 1250 | 十年庚戌 | 鄭清之 趙葵 | 三月戊子、右丞相兼樞密使趙葵が相位を辞し、特授で観文殿大学士・醴泉観使・侍読を兼ね、引き続き朝請に奉じ、前同様金紫光禄大夫、封邑は従前通り。十一月壬申、特進を加え、従前の観文殿大学士のまま、潭州判官・湖南安撫大使に就任。戊寅、信国公に進封し、封邑を加増。 | 三月庚寅、賈似道が端明学士・両淮制置大使・淮東安撫使・揚州知事に任命。五月丙寅、呉淵が資政殿学士に任命され、従前の職務のまま、執政恩数を受ける。五月、呉潜が同知樞密院事から資政殿学士に任命され、沿江を統帥。 | |
| 1251 | 十一年辛亥 | 四月己酉、鄭清之は前のまま太傅・左丞相兼樞密使兼修國史日曆・魏國公とし、封邑を加増。十月戊戌、さらに封邑を加増。十一月甲辰、齊國公に進封。十一月甲寅、謝方叔は知樞密院事から正奉大夫を授かり、左丞相兼樞密使に任じ、前のまま永康郡開國公とし、封邑を加増。吳潛は參知政事から宣奉大夫・右丞相兼樞密使を授かり、前のまま金陵郡開國公とし、封邑を加増。鄭清之、謝方叔、吳潛 | 十一月庚戌、太傅・左丞相・齊國公鄭清之が薨去。 | 三月戊寅、謝方叔は中大夫・參知政事から知樞密院事兼參知政事に任じる。吳潛は太中大夫・同知樞密院事から參知政事に任じる。徐清叟は朝請大夫・簽書樞密院事から中大夫・同知樞密院事に任じる。四月己酉、謝方叔は特授で通議大夫となり、前のまま知樞密院事兼參知政事・永康郡開國公とする。十月丁酉、謝方叔は通議大夫・知樞密院事兼參知政事・永康郡開國公に任じる。十二月丙辰、董槐を召して簽書樞密院事に任じる。 | |
| 1252年 | 十二年壬子 | 謝方叔、吳潛 | 十一月庚寅、右丞相吳潛を罷免。十二月乙卯、觀文殿大學士・提舉江州太平興國宮に任じる。 | 十月癸丑、徐清叟は同知樞密院事から參知政事に任じる。董槐は簽書樞密院事から同知樞密院事に任じる。 | |
| 1253年 | 寶祐元年癸丑 | 謝方叔 | 七月庚子、董槐が同知枢密院事から兼権参知政事に任命された。 | 三月丙申、前参知政事別之傑が死去し、四月戊申に少師を追贈された。七月壬午、前参知政事王伯大が死去した。十二月、前参知政事劉伯正が死去した。 | |
| 1254 | 二年甲寅 | 九月戊辰、左丞相謝方叔が明堂礼成により封邑を加増され、十月丙戌に銀青光禄大夫を特授され、封邑を加増された。まもなく金紫光禄大夫を授かり、恵国公に進封され、さらに封邑を加増された。謝方叔 | 十一月甲寅、趙葵が前特進・観文殿大学士・醴泉観使を依前とし、奉朝請を免じられ、信国公に封邑を加増された。呉潜が前観文殿大学士・宣奉大夫・臨安府洞霄宮提挙・金陵郡開国公を依前とし、封邑を加増された。 | 五月乙丑、徐清叟が参知政事から知枢密院事兼参知政事に任命された。董槐が同知枢密院事から参知政事に任命された。李曾伯が参知政事に任命され、蜀郡を統帥した。賈似道が銀青光禄大夫・同知枢密院事・両淮制置大使兼淮南東西路安撫使・揚州軍州事知事兼管内勧農営田屯田等使・臨海郡開国公に任命され、封邑を加増された。十月丙戌、徐清叟が正議大夫を特授され、前知枢密院事兼参知政事・普寧郡開国公を依前とし、封邑を加増された。董槐が通奉大夫を特授され、前参知政事・定遠郡開国公を依前とし、封邑を加増された。癸巳、賈似道が詔により前官職任を依前とし、さらに封邑を加増された。 | |
| 1255 | 三年乙卯 | 八月乙丑、董槐は通奉大夫・参知政事から特授で宣奉大夫・右丞相兼枢密使となり、従前の濠梁郡開国公を維持し、封邑を加増された。謝方叔 董槐 | 四月甲戌、趙葵は従前の特進・観文殿大学士・信国公から特授で荊湖南路安撫大使・判潭州事となった。七月丙辰、左丞相謝方叔は朱応元に弾劾され、八月乙丑に罷免され、特授で観文殿大学士・提挙臨安府洞霄宮となり、従前の金紫光禄大夫・恵国公を維持し、封邑は従前通りとした。景定二年七月戊寅、常挺の上言により追って恩数が剥奪された。八月辛未、趙葵は従前の官職のまま沿江制置使に任じられ、八月戊子、従前の特進・観文殿大学士・醴泉観使・信国公となり、奉朝請を免除された。 | 三月辛巳、呉淵が夔路策応大使を兼ねた。六月丙子、王埜は通奉大夫・守礼部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。程元鳳は中大夫・権工部尚書から端明殿学士・同簽書枢密院事に任じられた。賈似道は銀青光禄大夫・同知枢密院事から特授で金紫光禄大夫となり、封邑を加増された。八月乙丑、程元鳳は従前の端明殿学士のまま、簽書枢密院事に任じられた。蔡抗は太中大夫・守尚書工部侍郎から端明殿学士・同簽書枢密院事に任じられた。呉淵は従前の官職のまま京湖屯田大使を兼ねた。 | 七月丙辰、知枢密院事徐清叟は朱応元に弾劾され、八月乙丑、資政殿大学士・提挙隆興府玉隆万寿宮に任じられ、九月丙午、従前の官職のまま提挙臨安府洞霄宮となった。六月辛卯、王埜は簽書枢密院事を罷免された。八月丙子、前知枢密院事鄭性之が参知政事を兼ねて死去した。庚寅、応〈亻繇〉は丁大全に弾劾され、職を奪われ祠官を罷免され、致仕を命じられ、辛卯に死去した。 |
| 1256 | 四年丙辰 | 七月乙卯、程元鳳は参知政事から特授で通奉大夫・右丞相兼枢密使となり、新安郡開国公に進封され、封邑を加増された。董槐 程元鳳 | 六月癸未、右丞相董槐は丁大全に弾劾され、詔により程元鳳・蔡抗が時暫的に輪番で当筆を務めた。七月癸巳、董槐は特授で観文殿大学士・提挙臨安府洞霄宮となり、景定二年正月己卯、従前の観文殿大学士・宣奉大夫・福建路安撫大使・濠梁郡開国公のまま致仕した。 | 四月癸未、賈似道は同知枢密院事から参知政事に任じられ、従前の両淮制置大使兼淮東西安撫使兼知揚州を維持した。程元鳳は簽書枢密院事から参知政事に任じられた。蔡抗は同簽書枢密院事から同知枢密院事に任じられ、七月乙卯、参知政事に任じられた。張磻は権刑部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられ、十一月癸丑、同知枢密院事に任じられた。丁大全は侍御史兼侍読から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。馬天驥は中奉大夫・試尚書礼部侍郎から同簽書枢密院事に任じられた。 | 四月己丑、徐清叟・王埜はともに職を奪われ祠官を罷免された。十二月庚申、参知政事蔡抗は擅自に去国し、林存に弾劾され、職を罷免され祠官を与えられた。 |
| 1257年 | 五年丁巳 | 程元鳳 | 正月丁亥、趙葵を少保・寧遠軍節度使・京湖宣撫大使・判江陵府兼夔路策応大使に任ず。丁酉、衛国公に進封し、封邑を加増。二月辛酉、湖広総領を兼務。 | 正月丁亥、賈似道を金紫光禄大夫・参知政事から知枢密院事に任じ、従前の両淮制置大使・両淮宣撫使兼知揚州を留任。呉淵を観文殿学士・正奉大夫から参知政事に任ず。二月戊午、賈似道を両淮安撫制置大使を兼務。八月庚子、張磻を同知枢密院事から参知政事に任ず。丁大全を簽書枢密院事から同知枢密院事に進め、権参知政事を兼務。十月丁酉、林存を試尚書吏部侍郎から端明殿学士・簽書枢密院事に任ず。 | 正月甲辰、呉淵を光禄大夫・守参知政事致仕に特授、辛亥に卒去。十月己丑、張磻を三官特転、守参知政事致仕に特授、翌日に卒去。 |
| 1258年 | 六年戊午 | 四月丁未、丁大全を参知政事から正奉大夫・右丞相兼枢密使に特授、従前の丹陽郡開国公を留任し、封邑を加増。程元鳳、丁大全。 | 二月辛巳、趙葵を従前の少保・寧遠軍節度使・判福州・福建路安撫大使・馬歩軍都総管に留任。四月甲辰、従前の少保・寧遠軍節度使・衛国公から醴泉観使兼侍読に任ず。四月甲辰、右丞相程元鳳が辞職を申し出、詔により丁大全・林存が時暫輪日当筆を務める。丁未、元鳳を観文殿大学士・判福州・福建安撫大使に特授、従前の金紫光禄大夫・新安郡開国公・封邑を留任。六月乙未、程元鳳が観文殿大学士・判福州の辞免を申し出、詔により従前の観文殿大学士・提挙臨安府洞霄宮に留任。 | 正月辛亥、丁大全が同知樞密院事から參知政事兼同知樞密院事に任命された。林存が簽書樞密院事から兼權參知政事に任命された。四月丁未、林存が同知樞密院事兼權參知政事に任命された。朱熠が端明殿學士、簽書樞密院事となり、十一月壬戌、同知樞密院事兼權參知政事に進んだ。饒虎臣が尚書禮部侍郎から端明殿學士、簽書樞密院事に任命された。賈似道が知樞密院事から樞密使、兩淮宣撫大使に進んだ。辛未、朱熠は元の職のまま、特授で中大夫となった。 | 十一月丁巳、林存が資政殿學士として建寧府を治めた。 |
| 1259 | 開慶元年己未 | 十月壬申、吳潛が銀青光祿大夫、醴泉觀使、兼侍讀、崇國公、特進、左丞相兼樞密使から相國公に進封され、封邑が加増された。丙子、慶國公に改封された。賈似道が金紫光祿大夫、樞密使から特進、右丞相兼樞密使に任命され、従前の京西湖南北四川宣撫大使、都大提舉兩淮兵甲、總領湖廣江西京西財賦、湖北京西軍馬錢糧、專一報發御前軍馬文字、兼提領措置屯田、判江陵軍府事兼管內勸農營田使のまま、茂國公に進封され、封邑が加増された。十二月壬子、吳潛が許國公に改封され、賈似道が肅國公に改封された。 丁大全 吳潛 賈似道 | 九月辛酉、趙葵が従前の特進、觀文殿大學士、衞國公、判慶元府、沿海制置大使のまま。十月壬申、丁大全が右丞相を罷免され、觀文殿大學士、光祿大夫、判鎮江府に任命され、従前の丹陽郡開國公のまま、封邑が加増された。景定三年七月戊寅、常挺の言により、彰州團練副使に責授され、貴州に安置された。癸酉、趙葵が従前の特進、觀文殿大學士のまま特授で沿江江東宣撫大使となり、建康府に置司し、隆興府饒州江州徽州兩界の防拓調遣を任責し、時暫的に建康府判、行宮留守、衞國公を兼ねた。八月戊子、吳潛が従前の觀文殿大學士、判寧國府、特進、崇國公のまま。九月丙寅、従前の觀文殿大學士、銀青光祿大夫のまま特授で醴泉觀使、兼侍讀、崇國公となった。 | 正月丁卯、賈似道が従前の金紫光祿大夫、樞密使から京西湖南北四川宣撫大使、都大提舉兩淮兵甲、總領湖廣京西財賦湖北京西軍馬錢糧、專一報發御前軍馬文字、兼提領措置屯田兼知江陵軍府事兼管內勸農營田使、臨海郡開國公に改除され、封邑は従前のまま。六月辛巳、朱熠が同知樞密院事から參知政事に任命された。饒虎臣が簽書樞密院事から同知樞密院事に任命された。九月庚申、戴慶炣が端明殿學士、簽書樞密院事に任命された。十一月壬寅、朱熠が參知政事から兼權知樞密院事となった。饒虎臣、戴慶炣はともに兼權參知政事となった。 | 正月乙丑、林存が資政殿學士として建寧府を治め、二月丁亥、従前の資政殿學士、提舉臨安府洞霄宮のまま。七月庚戌、蔡抗が參知政事から致仕し、癸亥に卒した。 |
| 1260 | 景定元年庚申 | 四月癸丑、賈似道は特別に少師を授けられ、従前の通り右丞相兼樞密使を務め、衛國公に進封され、封邑が加増された。七月庚寅、太子少師を兼ねる。 吳潛 賈似道 | 四月己酉、吳潛は右相を罷免され、觀文殿大學士・提舉臨安府洞霄宮に任じられた。五月戊辰、趙葵は従前のまま少保を務め、兩淮宣撫大使・判揚州に任じられ、魯國公に進封された。八月壬寅、程元鳳は従前のまま觀文殿大學士を務め、淮浙發運使・判平江府に任じられた。翌年十一月己未、特進・醴泉觀使兼侍讀を授けられ、従前のまま觀文殿大學士・新安郡開國公を務め、封邑は従前の通り。 | 四月癸丑、朱熠は兼權知樞密院事から知樞密院事兼參知政事に任じられた。饒虎臣は兼權參知政事から參知政事に任じられた。戴慶炣は兼權參知政事から同知樞密院事兼參知政事に任じられた。皮龍榮は端明殿學士・簽書樞密院事に任じられた。五月癸未、皮龍榮は簽書樞密院事から兼權參知政事に任じられた。沈炎は端明殿學士・同簽書樞密院事に任じられた。 | 五月戊辰、饒虎臣は參知政事を罷免され、戊子、資政殿學士として臨安府洞霄宮を提舉した。八月庚辰、前參知政事戴慶炣が死去。六月戊申、前簽書王埜が死去。九月甲午、厲文翁は従前のまま端明殿學士・提舉臨安府洞霄宮を務める。 |
| 1261年 | 二年辛酉 | 正月己卯、賈似道は太保・右丞相から進書により太傅に加えられた。 賈似道 | 三月癸未、知樞密院事朱熠・簽書樞密院事皮龍榮・同簽書樞密院事沈炎は進書により各々二官を転じた。四月乙未、皮龍榮は簽書樞密院事から參知政事に任じられた。沈炎は同簽書樞密院事から同知樞密院事兼權參知政事に任じられた。何夢然は試右諫議大夫から簽書樞密院事に任じられた。八月乙巳、江萬里は通奉大夫・守吏部尚書から端明殿學士・同簽書樞密院事に任じられた。十月丙午、何夢然は簽書樞密院事から中大夫を授けられ、同知樞密院事兼參知政事に任じられた。十二月甲午、皮龍榮は參知政事から兼權知樞密院事に任じられた。何夢然は同簽書樞密院事から參知政事に任じられた。馬光祖は觀文殿學士から同知樞密院事に任じられ、従前のまま戶部財用提領兼知臨安府・浙西安撫使兼太子賓客を務める。 | 三月戊子、朱熠は知樞密院事を罷免され、觀文殿學士として建寧府を知った。七月壬申、福建安撫大使陳韡が死去。十月丙辰、沈炎は資政殿學士・提舉臨安府洞霄宮に任じられた。十二月壬辰、江萬里は光純父により弾劾され、壬寅、従前のまま端明殿學士・提舉臨安府洞霄宮を務める。 | |
| 1262年 | 三年壬戌 | 賈似道 | 六月己亥、董槐は従前の観文殿大学士のまま特進として致仕した。 | 三月乙丑、孫附鳳は右諫議大夫兼侍講から簽書樞密院事兼太子賓客に任じられ、六月庚寅に兼権参知政事を兼任した。楊棟は通奉大夫・試礼部尚書から端明殿学士・同簽書樞密院事兼太子賓客に任じられた。十月甲子、楊棟は従前の端明殿学士のまま簽書樞密院事兼権参知政事・兼太子賓客に任じられた。葉夢鼎は試吏部尚書から端明殿学士・同簽書樞密院事兼太子賓客に任じられた。 | 二月、皮龍榮は知樞密院事から資政殿学士として湖南安撫使となった。九月戊辰、資政殿学士沈炎が死去した。十月辛未、徐清叟は宣奉大夫・守観文殿学士として致仕し、十一月丙申に死去した。 |
| 1263 | 四年癸亥 | 賈似道 | 三月庚子、何夢然は参知政事から兼権知樞密院事に任じられ、九月甲午に知樞密院事兼参知政事となった。楊棟は簽書樞密院事から同知樞密院事兼権参知政事となった。葉夢鼎は同簽書樞密院事から簽書樞密院事となった。 | 六月丁巳、馬光祖は従前の観文殿学士のまま、臨安府洞霄宮の提挙となった。 | |
| 1264年 | 五年甲子、度宗が十月丁卯に即位 | 賈似道 | 五月辛卯、楊棟が同知樞密院事から參知政事に任命。葉夢鼎が簽書樞密院事から同知樞密院事兼權參知政事に任命。姚希得が簽書樞密院事に任命され、太子賓客を兼務。八月乙丑、權參知政事に任命。十一月乙未、葉夢鼎が同知樞密院事から參知政事に任命。姚希得が簽書から同知樞密院事兼參知政事に昇進。 | ||
| 1265年 | 咸淳元年乙丑 | 四月甲寅、賈似道が太師に任命され、引き続き右丞相兼樞密使、魏國公を務める。賈似道 | 三月壬午、太傅、右丞相、兼樞密使、魏國公賈似道が理宗欑宮總護使に任命。五月丙戌、前太師のまま鎮東軍節度使充侍讀、魏國公に任命され、引き続き奉朝請を務める。 | 正月癸巳、姚希得が正議大夫から特授で光祿大夫に任命され、引き続き同知樞密院事兼權參知政事を務める。葉夢鼎が宣奉大夫から特授で銀青光祿大夫に任命され、引き続き參知政事を務める。二月丁未、姚希得が同知樞密院事から參知政事に任命。江萬里が簽書樞密院事から同知樞密院事に昇進。戊申、楊棟が引き続き元の職で知慶元府兼沿海制置使を務める。壬戌、王爚が引き続き端明殿學士で簽書樞密院事に任命。閏五月癸丑、江萬里が同知樞密院事から參知政事に任命。王爚が簽書樞密院事から同知樞密院事兼權參知政事に昇進。馬廷鸞が權禮部尚書から端明殿學士、簽書樞密院事に任命。十月壬午、楊棟が詔により元の官職に復帰。十一月辛丑、留夢炎が權禮部尚書から端明殿學士、簽書樞密院事に任命。 | 正月丁丑、皮龍榮と楊棟が引き続き元の職で臨安府洞霄宮を提舉。 |
| 1266年 | 二年丙寅 | 賈似道 | 十一月己亥、趙葵が観文殿大学士から少師・武安軍節度使に任じられ、致仕した。 | 五月甲寅、王爚が同知枢密院事から参知政事に任じられた。留夢炎が簽書枢密院事から同知枢密院事に進んだ。包恢が守刑部尚書から端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。 | 正月癸丑、江萬里が祠を乞い、湖南安撫使兼知潭州に任じられた。四月壬午、姚希得が資政殿学士で臨安府洞霄宮を提挙した。丁亥、王爚が病により同知枢密院事を免じられた。 |
| 1267年 | 三年丁卯 | 正月戊戌、太師・右丞相賈似道が特転で両官を授かり、二月乙丑、太師に任じられ、特授で平章軍国重事となり、一月に三度経筵に赴き、三日に一度朝参し、都堂で政事を治めた。三月壬辰、程元鳳が少保観文殿大学士から少傅・右丞相兼枢密使に任じられ、吉国公に進封され、封邑を加えられた。八月辛未、葉夢鼎が金紫光禄大夫・参知政事から特進・右丞相兼枢密使に任じられた。賈似道、程元鳳、葉夢鼎 | 三月丁未、程元鳳が監察御史陳宜中に弾劾され、右丞相を罷免され、従前の少保・観文殿大学士・醴泉観使に戻った。 | 正月壬辰、王爚が同知樞密院事から知樞密院事兼參知政事に進む。留夢炎が同知樞密院事兼參知政事となる。葉夢鼎が知慶元軍府事から參知政事に任じられる。常挺が吏部尚書から端明殿學士、簽書樞密院事に任じられる。戊戌、王爚が知樞密院事から特授で光祿大夫となり、職任は前のまま、さらに封邑を加えられる。留夢炎が參知政事から特授で通議大夫となり、職任は前のまま、信安郡開國公に進封される。常挺が簽書樞密院事から特授で通奉大夫となり、職任は前のまま、さらに封邑を加えられる。六月壬戌、馬光祖が沿江制置大使から參知政事に任じられる。八月辛未、留夢炎が參知政事から樞密使に任じられる。壬申、常挺が簽書樞密院事から同知樞密院事兼權參知政事に進み、十一月庚戌、參知政事に任じられる。馬廷鸞が簽書樞密院事から同知樞密院事に進む。 | 六月己巳、姚希得が依舊職資政殿學士、特與で宮観致仕となる。辛未、楊棟が仍舊資政殿學士、特與で宮観致仕となる。己卯、王爚が資政殿學士、知慶元府兼沿海制置使に任じられる。厲文翁が資政殿大學士、朝請大夫で七官を贈られて致仕となる。 |
| 1268 | 四年戊辰 | 八月壬寅、太師平章軍國重事賈似道、右丞相兼樞密使葉夢鼎が各々二秩進む。 賈似道 葉夢鼎 | 四月庚寅、馬廷鸞が兼權參知政事に任じられる。 | 正月乙巳、留夢炎が観文殿學士、知潭州、湖南安撫使、起居郎兼侍講に任じられる。十一月壬戌、常挺が資政殿學士で致仕となり、丁未、曾少保。十二月丙戌、包恢が資政殿學士で致仕となる。 | |
| 1269 | 五年己巳 | 三月戊辰、江萬里が參知政事から一秩進み、左丞相兼樞密使に任じられる。馬廷鸞が參知政事から一秩進み、右丞相兼樞密使に任じられる。 賈似道 葉夢鼎 江萬里 馬廷鸞 | 正月癸亥、葉夢鼎が右相を罷免され、以前の少保のまま特授で観文殿大学士に任じられ、福州軍州事を判じ、管内勧農使・福建路安撫大使・馬歩軍都総管を兼ね、信国公に進封された。三月庚戌、程元鳳が少保・観文殿大学士を守り、致仕した。 | 正月甲子、馬廷鸞が同知枢密院事から参知政事に任じられ、同知枢密院事を兼ねた。甲戌、江萬里が湖南安撫使から参知政事に任じられた。三月己巳、馬光祖が参知政事から知枢密院事に任じられ、参知政事を兼ねた。 | 五月己酉、馬光祖が以前のまま観文殿学士・提挙臨安府洞霄宮に任じられた。 |
| 1270年 | 庚午の六年 | 賈似道、江萬里、馬廷鸞 | 正月丙寅、江萬里が鮑度に弾劾され、左相を罷免された。戊辰、観文殿学士として福州を知り、福建安撫使に任じられた。 | 正月丙寅、陳宗礼が端明殿学士・簽書枢密院事に任じられた。趙順孫が吏部侍郎から端明殿学士・同簽書枢密院事に任じられた。十月甲申、陳宗礼と趙順孫がともに権参知政事を兼ねた。 | 十一月乙未、陳宗礼が資政殿学士に進み、参知政事を守り兼ねて致仕した。 |
| 1271年 | 七年辛未 | 賈似道 馬廷鸞 | 十二月己亥、謝方叔は特別に元の官職を叙復され、惠國公として致仕した。 | 正月壬申、楊棟は観文殿学士に昇進して致仕した。 | |
| 1272 | 八年壬申 | 十二月甲寅、葉夢鼎は少保・観文殿学士から少傅・右丞相・枢密使を兼任するが、たびたび辞退して就任しなかった。賈似道 馬廷鸞 | 十一月乙卯、馬廷鸞は右相を罷免され、観文殿学士・饒州知事となる。己未、饒州知事を免じ、観文殿学士・鄱陽郡公として洞霄宮を提挙する。九年十二月甲子、浙東安撫使・紹興府知事となる。 | 三月丙子、趙順孫は同知枢密院事兼参知政事から中大夫を授かる。六月丁酉、章鑑は権吏部尚書から端明殿学士・同簽書枢密院事となる。十月丁未、権参知政事を兼任する。 | 五月己巳、王爚は観文殿学士・万寿観提挙・侍読を兼任する。十二月丁未、留夢炎は台臣の言により職を奪われ祠を罷免される。 |
| 1273年 | 九年癸酉 | 賈似道 | 九月辛巳、章鑑が同簽書から簽書樞密院事に任命される。陳宜中が兼權吏部尚書から端明殿學士、同簽書樞密院事に任命される。 | ||
| 1274年 | 十年甲戌七月癸未、瀛國公即位 | 十一月丙戌、王爚が知樞密院事から二階進み、左丞相兼樞密使に任命される。章鑑が同知樞密院事から二階進み、右丞相兼樞密使に任命される。十二月癸亥、賈似道が従前のまま起復太師、平章軍國重事、魏國公、都督諸路軍馬に任命される。賈似道、王爚、章鑑 | 正月戊子、江萬里が病を理由に辞任を願い出、詔により従前のまま觀文殿大學士、提舉洞霄宮に任命される。 | 十月乙丑、章鑑が簽書から同知樞密院事兼權參知政事に進む。陳宜中が同簽書から簽書樞密院事、兼權參知政事に任命される。 | 二月己酉、趙順孫が同簽書から福建安撫使に任命される。正月己丑、留夢炎が知潭州兼湖南安撫使に任命され、四月辛亥、従前のまま觀文殿學士、知潭州兼湖南安撫使に任命される。 |
| 1275年 | 徳祐元年(乙亥) | 3月乙亥、王爚が観文殿学士から左丞相兼枢密使に任命される。丙子、陳宜中が知枢密院事から特進・右丞相兼枢密使に任命される。己卯、ともに諸路軍馬を都督する。4月丙辰、王爚に詔があり、文彦博の故事に倣い、朝参起居以外は拝礼を免除される。6月甲寅、平章軍国重事に任命され、月に2回経筵に赴き、5日に1回朝参する。陳宜中は左丞相兼枢密使・諸路兵馬都督となる。留夢炎が右丞相兼枢密使・諸路兵馬都督に任命され、10月丁未、左丞相となる。陳宜中が観文殿大学士から右丞相兼枢密使に任命される。賈似道、王爚、陳宜中、留夢炎 | 2月庚午、陳宜中が似道の誅殺を請い、詔により平章・都督を罷免し、祠官となる。3月丙子、章鑑が右相を罷免され、祠官となる。戊戌、祠官を罷免される。6月庚戌、帰田里に放逐される。7月壬辰、王爚が醴泉観使に罷免される。9月己巳、陳宜中が観文殿大学士・醴泉観使・兼侍読に任命される。11月乙未、左丞相留夢炎が逃亡する。丙午、使者を遣わして召還する。12月戊申、王爚が薨去する。 | 正月乙酉、陳宜中が簽書枢密院事から同知枢密院事兼参知政事に進む。2月己巳、知枢密院事兼参知政事に任命される。曾淵子が同知枢密院事・両浙安撫制置大使兼知臨安府に任命される。文及翁が試尚書礼部侍郎から簽書枢密院事に任命される。倪普が同簽書枢密院事に任命される。2月丁未、姚希得が参知政事に任命される。3月丙申、陳合が同簽書枢密院事に任命される。4月壬子、高斯得が簽書枢密院事兼権参知政事に任命される。4月丁卯、李庭芝が参知政事に任命される。7月乙未、陳文龍が簽書枢密院事兼権参知政事に任命される。11月庚午、同知枢密院事兼権参知政事に任命される。黄鏞が同簽書枢密院事に任命される。12月庚子、呉堅が簽書枢密院事に任命される。黄鏞が兼権参知政事に任命される。癸卯、陳文龍が参知政事兼権知枢密院事に任命される。謝堂に同進士出身を賜り、同知枢密院事に任命される。 | 3月庚寅、曾淵子が同知枢密院事から両浙転運副使に任命される。4月己未、文及翁・倪普が一官を削られ、執政恩数を奪われる。 |
| 1276年 | 2年(丙子) | 正月辛未、呉堅が簽書から左丞相兼枢密使に任命される。乙酉、文天祥が知臨安府から右丞相兼枢密使に任命される。陳宜中、呉堅、文天祥 | 正月甲申、右丞相陳宜中が逃亡する。 | 正月庚午、黄鏞が同簽書から参知政事に任命された。辛未、常楙が参知政事に任命された。丁丑、夏士林が簽書樞密院事に任命された。己卯、全允堅が太尉を加えられ、参知政事に任命された。乙酉、家鉉翁が進士出身を賜り、簽書樞密院事に任命された。賈餘慶が簽書樞密院事、知臨安府に任命された。 | 正月庚午、参知政事陳文龍が逃亡した。謝堂が両浙鎮撫大使に任命された。己卯、参知政事常楙が逃亡した。庚申、簽書夏士林が逃亡した。 |