宋史

志第一百二十二 職官九

◎職官九 叙遷之制

羣臣の叙遷

文臣 京官より三師に至る叙遷の制

諸寺・監の主簿、秘書省校書郎、秘書省正字は、出身(科挙合格者)有りならば大理評事に転じ、出身無しならば太常寺奉禮郎に転ず。内帯館職(館閣職を帯びる者)は出身有りと同様とし、后族・両府の家(皇后の一族・宰相・枢密使の家)は太祝に転ず。

太常寺太祝、奉禮郎は、出身有りならば諸寺・監の丞に転じ、出身無しならば大理評事に転ず。内帯館職は出身有りと同様とする。

大理評事は、出身有りならば大理寺丞に転じ、第一人及第(科挙状元)は著作佐郎に転ず。出身無しならば諸寺・監の丞に転ず。内帯館職は出身有りと同様とする。后族・両府の家、審刑院詳議、刑部詳覆・詳断・検法・法直官は、光禄寺丞に転ず。

諸寺・監の丞は、出身有りならば著作佐郎に転じ、出身無しならば大理寺丞に転ず。内帯館職は出身有りと同様とする。

大理寺丞は、出身有りならば殿中丞に転じ、出身無しならば太子中舎に転ず。内帯館職は出身有りと同様とし、或いは太子中允に転ず。后族・両府の家、審刑院詳議、刑部詳覆・詳断、中書堂後官は、太子右賛善大夫に転ず。

著作佐郎は、出身有りならば秘書丞に転じ、内第一人及第は太常丞に転ず。出身無しならば太子左賛善大夫に転ず。内帯館職は出身有りと同様とする。特旨により秘書郎・著作郎・宗正丞に転ず。

太子左右賛善大夫・中舎・洗馬は殿中丞に転ず。内帯館職は太常丞に転ず。

太子中允は太常丞に転ず。特旨により秘書郎・著作郎・宗正丞に転ず。

太常・宗正・秘書丞、著作郎、秘書郎は太常博士に転ず。特旨により左・右正言、監察御史に転ず。宗正丞は、出身無しならば国子博士に転ず。

殿中丞は、出身有りならば太常博士に転じ、出身無しならば国子監博士に転ず。内帯館職は出身有りと同様とする。

太常博士・国子博士は後行員外郎に転じ、特旨により左司諫・右司諫、殿中侍御史に転じ、左正言・右正言は左司諫・右司諫に転じ、待制以上の職を帯びる者は起居舍人に転じ、監察御史は殿中侍御史に転ずる。

後行員外郎は中行員外郎に転じ、特旨により起居舍人・侍御史に転ずる。

左司諫・右司諫は起居郎・起居舍人に転じ、待制以上の職を帯びる者は吏部員外郎に転じ、殿中侍御史は侍御史に転じ、中行員外郎は前行員外郎に転ずる。

起居郎・起居舍人は兵部員外郎に転じ、待制以上の職を帯びる者は礼部郎中に転じ、侍御史は司封員外郎に転じ、前行員外郎は後行郎中に転じ、後行郎中は中行郎中に転ずる。

中行郎中は前行郎中に転ずる。

右常調で員外郎に転ずる者は右曹に転ずる。内、出身ある者は屯田員外郎より、出身なき者は虞部員外郎より、贓罪により叙復した者は水部員外郎より転ずる。

水部・司門・庫部・虞部・比部・駕部・屯田・都官・職方の各員外郎は、発運使副・転運使副、三司判官・開封府判官、侍読・侍講、天章閣侍講、崇政殿説書・開封府推官・府界提点、三司子司主判官、大理少卿、提点刑獄、提点鋳銭監、諸王府翊善・侍読・記室、中書提点五房公事堂後官を任ずる者は左曹に転ずる。内、出身ある者は祠部員外郎より、出身なき者は主客員外郎より、堂後官は膳部員外郎より転ずる。

膳部・倉部・考功・主客・金部・司勲・祠部・度支・司封の各員外郎は、発運使副・転運使副、三司判官・開封府判官を任ずる者は左名曹に転ずる。内、出身なき者は祠部・度支・司封のみに転じ、出身ある者は右名曹に転ずることを合す。これを準ず。三司副使、知雑事、修撰、修起居注、直舎人院を任ずる者は左名曹に転ずる。

工部・刑部・兵部の各郎中、

待制以上の職を帯びる者は、左右曹・右名曹より左名曹に転じ、なお一資を隔てて超転する。中行郎中は左司郎中・右司郎中に転ずる(戸部郎中は左司郎中に、刑部・度支・金部・倉部・都官・比部・司門の各郎中は右司郎中に転ずる)。

礼部・戸部・吏部の各郎中、

前行郎中は、出身ある者は太常少卿に転じ、出身なき者は司農少卿に転ずる。内、現任の左曹たるえい尉少卿は、待制以上の職を帯びる者は右諫議大夫に転ずる。

左司郎中・右司郎中は、待制以上の職を帯びる者は諫議大夫に転ずる(左司郎中は左諫議大夫に、右司郎中は右諫議大夫に転ずる)。翰林学士を帯びる者は中書舎人に転じ、衞尉少卿・司農少卿は光禄少卿に転じ、館職を帯びる者は光禄卿に転ずる。

光禄少卿は司農卿に転じ、館職を帯びる者は光禄卿に転ずる。太常少卿は光禄卿に転ずる。三司副使・修撰を任ずる者は、取旨により、司農卿は少府監に転じ、館職を帯びる者は光禄卿に転ずる。少府監は衞尉卿に転じ、館職を帯びる者は光禄卿に転ずる。

衞尉卿は光禄卿に転じ、光禄卿は秘書監に転じ、秘書監は太子賓客に転じ、中書舎人は礼部侍郎に転ずる。

諫議大夫は給事中に転じ、給事中は工部侍郎に転ず。翰林學士の職を帯びる者は礼部侍郎に転じ、太子賓客は工部侍郎に転ず。工部侍郎は刑部侍郎に転じ、両府(中書・枢密院)の者は戸部侍郎に転じ、宰相は兵部侍郎に転ず。

礼部侍郎は戸部侍郎に転じ、宰相は吏部侍郎に転ず。刑部侍郎は兵部侍郎に転じ、両府の者は吏部侍郎に転じ、宰相は礼部尚書に転ず。戸部侍郎は吏部侍郎に転じ、宰相は礼部尚書に転ず。

兵部侍郎は右丞に転じ、両府の者は左丞に転じ、宰相は礼部尚書に転ず。吏部侍郎は左丞に転じ、宰相は礼部尚書に転ず。左丞・右丞は工部尚書に転じ、両府の者は礼部尚書に転ず。工部尚書は礼部尚書に転じ、両府の者は刑部尚書に転ず。

礼部尚書は刑部尚書に転じ、両府の者は戸部尚書に転ず。刑部尚書は戸部尚書に転じ、両府の者は兵部尚書に転ず。戸部尚書は兵部尚書に転じ、両府の者は吏部尚書に転ず。兵部尚書は吏部尚書に転じ、両府の者は太子少保に転じ、宰相は右僕射に転ず。

吏部尚書は太子少保に転じ、宰相は左僕射に転ず。太子少保は太子少傅に転じ、右僕射は左僕射に転ず。太子少傅は太子少師に転ず。

左僕射は司空しくうに転じ、司空は司徒しとに転ず。太子少師は太子太保に転じ、司徒は太保に転ず。

太子太保は太子太傅に転じ、太子太傅は太子太師に転じ、太子太師は太保に転じ、太保は太傅に転ず。

太傅は太尉に転じ、太尉は太師に転ず。

太師・太傅・太保を三師と謂い、太尉・司徒・司空を三公と謂う。凡そ除授するには、則ち司徒より太保に遷り、太傅より太尉に遷る。檢校もまた之の如し。治平三年、翰林學士賈黯奏す、「近頃、皇子の封拜に、並びに檢校太傅を除す。臣が官儀を按ずるに、後魏以来、太師・太傅・太保を以て三師と為し、太尉・司徒・司空を以て三公と為し、国朝之に因る。『六典』に曰く、『三師は訓導の官なり』と。蓋し天子の師法する所なり。今、皇太子が師・傅の名を官に冠するは、義に於いて安からず、此に甚しきは莫し。蓋し前世の因循に由り、釐正を失えり。臣愚かに謂う、今より皇子及び宗室の卑者に官を除するは、並びに師傅の名を帯ぶべからず、其の叙遷に随い三公の官を改授すべしと。」詔して、「将来に俟ち、因りて改正を加えん。」と。此より、皇子及び宗室の卑行は、遂に三師の官を除さず。

宋初、臺・省・寺・監の官はなお多く本司に蒞り、亦おのおの員額・資考の制有り。各おの曹署の閑劇に著して月限と為し、考満すれば則ち遷し、慶恩には止だ階・勲・爵・邑を転ずるのみ。建隆二年、始めて右監門衞將軍魏仁滌を以て右神武將軍と為し、水部員外郎朱洞を都官員外郎と為し、監察御史李鑄を殿中侍御史と為す。仁滌等が麹蘖を掌り、関征を領する外に羨有るを以てなり。是より、歳満叙遷の典を廃す。是れ以後、多く外に於いて事を掌り、諸司互いに他官を以て之を領す。正官有りと雖も、別に詔を受けざれば亦本司の務を領せず。又、官其の名有りて而も除さざる者甚だ衆く、皆定員無く、月限無く、資品を計らず、官に任ずる者は但だ常に其の俸を食するのみ。時に議して近職を以て貴しと為し、中外又差遣を以て軽重を別つ。

武臣三班借職より節度使に至る叙遷の制

三班借職以下にも、亦磨勘転官の法有り。未だ真命を受けざるに縁り、今具録せず。

三班借職は三班奉職に転じ、三班奉職は右班殿直に転ず。

右班殿直は左班殿直に転じ、左班殿直は右侍禁に転じ、右侍禁は左侍禁に転じ、左侍禁は西頭供奉官に転ず。

西頭供奉官は東頭供奉官に転じ、東頭供奉官は内殿崇班に転じ、内殿崇班は内殿承制に転ず。

内殿承制より供備庫使に転じ、戦功あれば礼賓副使に転ずる。特旨により東西染院・西京作坊副使となり、戦功あれば、いずれもかつて官を転じて酬奨を受けたことを謂う。

供備庫使より西京左蔵庫副使に転じ、戦功あれば如京副使に転ずる。

礼賓副使より崇儀副使に転じ、戦功あれば洛苑副使に転ずる。

西染院副使より如京副使に転じ、戦功あれば内園副使に転ずる。

東染院副使より洛苑副使に転じ、戦功あれば文思副使に転ずる。

西染院使より如京使に転じ、戦功あれば内園使に転ずる。

東染院使より洛苑使に転じ、戦功あれば文思使に転ずる。

西京作坊使より文思使に転じ、戦功あれば莊宅使に転ずる。

西京左蔵庫使より文思使に転じ、戦功あれば西作坊使に転ずる。

崇儀使より六宅使に転じ、戦功あれば西作坊使に転ずる。

如京使より莊宅使に転じ、戦功あれば東作坊使に転ずる。

洛苑使より西作坊使に転じ、戦功あれば左蔵庫使に転ずる。

内園使より東作坊使に転じ、戦功あれば内蔵庫使に転ずる。

文思使より左蔵庫使に転じ、戦功あれば右騏驥使に転ずる。

六宅使より内蔵庫使に転じ、戦功あれば左騏驥使に転ずる。

莊宅使は右騏驥使に転じ、戦功あれば宮苑使に転ず。

西作坊使は左騏驥使に転じ、戦功あれば宮苑使に転ず。

東作坊使は宮苑使に転ず。

左藏使、内藏使、左右騏驥使、宮苑使は並びに皇城使に転ず。

皇城使は遙郡刺史に転ず。凡そ已上の使・副は、皇城使が東班に属するを除き、余は並びに西班なり。その東班の翰林以下十九司の使・副は、現任の官及び遷転の法有りと雖も、並びに伎術官を授く。

遙郡刺史は遙郡團練使に転じ、特旨により正刺史に転ず。

遙郡團練使は遙郡防禦使に転じ、特旨により正團練使に転ず。

刺史は團練使に転ず。

團練使、遙郡防禦使は防禦使に転ず。

防禦使は觀察使に転ず。

觀察使は節度觀察留後に転ず。

節度觀察留後は節度使に転ず。

節度使武臣の通事舍人より横班に転ずる例

通事舍人は西上閤門副使に転ず。その東上閤門副使は、特恩に非ざれば遷さず。

東・西上閤門副使は引進副使に転ず。

引進副使は客省副使に転ずる。

客省副使は西上閤門使に転ずる。

西上閤門使は東上閤門使に転ずる。

東上閤門使は四方館使に転ずる。

四方館使は引進使に転ずる。

引進使は客省使に転ずる。

客省使

右は内客省使より閤門使に至るまでを横班と謂い、皇城使以下二十名を東班と謂い、洛苑使以下二十名を西班と謂う。初めは猶ほ正官を以て充てる者ありしも、其の後は但だ検校官を以て之を行い、或いは観察使・防禦使・団練使・刺史を領す。景祐元年に詔して曰く、「副使は自今より正使に改正し、本額の下五資を以て之に遷すべし」と。旧に定員無し。慶暦四年に詔して曰く、「客省・引進・四方館使各一人、東・西上閤門使合わせて四人、閤門・引進・客省副使合わせて六人、閤門通事舍人八人」と。治平二年、枢密院奏して曰く、「嘉祐三年の詔に『軍職に非ざる者は当に罷むべく、横行歳満は当に遷すべく、及び戦功殊績有るも、皆な正任を除くことを得ず。当に遷すときは、則ち州名を改め、或いは検校官・勲・封・食邑を加う』と。詔を降す以来、正任刺史以上は升進の望絶ゆ。今や藩要の州郡を知り、或いは路分総管に因り、もし再び州名を改め、或いは検校官・勲・封・食邑を加うること已に十年に及ぶ者は、官を遷し、節度観察留後に至るを止むべし。又、客省・引進・四方館は旧に使三員を置き、東・西上閤門は旧に使四員を置けり、今並びに増して六員と為す。閤門・引進・客省は旧制副使六員、今並びに増して八員と為す。閤門旧の通事舍人八員、今増して十員と為す。凡そ増置する所は、須らく見任官当に遷すべき及び闕有るを以て乃ち補うべし。其の皇城使改官及び七年、もし曾て辺任を歴り、本路監司総管五人已上共に薦むる者有らば、遙郡刺史より遙郡防禦使に至るまでを除かんと欲す」と。詔して曰く、「自今皇城・宮苑副使当に磨勘すべき者は、各々本班使額の自下より五資を升し諸司使に改むべし。其の左蔵庫副使已上より因りて酬獎及び非次に改官する者は、旧の如くに聴す。余は皆な枢密院の請に従う」と。初め、英宗執政に謂ひて曰く、「諸司副使改めて使に転ずるは、当に供備庫使より始むべし。今対行に五資を升すること、太だ優なり」と。是に於て合議して条を奏し、而して此の例を為せり。

宗室、率府副率より侍中に至るまでの叙遷の制

太子右内率府副率は太子右監門率府率に転ずる。

太子右監門率府率は右千牛衞将軍に転ずる。

右千牛衞将軍は右監門衞大将軍に転ずる。

右監門衞大将軍は遙郡刺史に転ずる。

遙郡刺史は遙郡団練使に転ずる。諸王の後を継ぎ、現に国公に封ぜられ及び特旨有るは、即ち正刺史に転ずる。

遙郡団練使は遙郡防禦使に転ずる。諸王の後を継ぎ、現に国公に封ぜられ及び特旨有るは、即ち正団練使に転ずる。

刺史は団練使に転じ、団練使は防禦使に転ず。

防禦使は観察使に転ず。

観察使は節度観察留後に転ず。

節度観察留後は節度使に転じ、特旨により左・右衛上将軍に転ず。

左・右衛上将軍・節度使は節度使同中書門下平章事に転ず。

節度使同中書門下平章事は節度使兼侍中に転ず。

節度使兼侍中。

内臣は皇城使より特恩により遷転する例は磨勘に該当し、並びに臨時に用例を用い、旨を取って改転す。

皇城使は昭宣使に転ず。国朝にも外官で昭宣使となる者あり。

昭宣使は宣政使に転ず。

宣政使は宣慶使に転ず。

宣慶使は景福殿使に転ず。

景福殿使は延福宮使に転ず。

延福宮使は、凡そ昭宣使以上の五使に転ぜざる者は、並びに遙郡に転ず。

入内・内侍省内臣の叙遷の制。

祗候班には転官の法はあるが、近年は遷転する者なく、ただ叙官する者は一級を一官に当てる、内侍省も同じ。

北班内品は後苑散内品に転ずる。

後苑散内品は後苑勾当事内品に転ずる。

後苑勾当事内品は後苑内品に転ずる。

後苑内品は把門内品に転ずる。

把門内品は入内内品に転ずる。

入内内品は貼祗候内品に転ずる。

貼祗候内品は祗候小内品に転ずる。

祗候小内品は祗候内品に転ずる。

祗候内品は祗候高班内品に転ずる。

祗候高班内品は祗候高品に転ずる。

祗候高品は祗候殿頭に転ずる。

祗候殿頭は右は責降及び責降人の保引によるものなり。

内侍班は黄門に転ずる。

黄門は高班に転ずる。

高班より高品に転ず。

高品より殿頭に転ず。

内侍殿頭より内西頭供奉官に転ず。

内西頭供奉官より内東頭供奉官に転ず。

内東頭供奉官(東頭供奉官以上は転官、外官に依る)。

内侍省内臣叙遷之制

祗候班、後苑散内品より散内品に転ず。

散内品より北班内品に転ず。

北班内品より後苑勾當事内品に転ず。

後苑勾當事内品より後苑内品に転ず。

把門内品、後苑内品より内品に転ず。

内品より貼祗候内品に転ず。

貼祗候内品より祗候内品に転ず。

祗候内品より祗候高班内品に転ず。

祗候高班内品より祗候高品に転ず。

祗候高品。

右は責降及び責降人の保引に係るものなり。また非責降の由を奏薦して除する者もあり。入内内侍省同じ。

内侍班の黄門は高班に転ず。高班は高品に転ず。

高品は殿頭に転ず。

殿頭は内西頭供奉官に転ず。

内西頭供奉官は内東頭供奉官に転ず。

内東頭供奉官・東頭供奉官以上は転官、外官の例に依る。

右、宋初以来、内侍は未だ磨勘転官せず、唯功有るに乃ち遷す。景祐中に至り、詔す「内臣入仕三十年、累ねて勤労有り、十年を経て未だ嘗て遷さざる者は、奏して旨を聴く」と。猶ほ磨勘の定格無し。慶暦以後、其の制漸く隳つ。黄門に労有るは十五年を減ずるに至り、而して入仕纔に五七年にして労有りて高品以上に至る者あり、両省因りて十年磨勘の例を著し、而して減年復た其の中に在り。嘉祐六年、枢密院始めて厘革を議す。乃ち詔す「内臣入仕並びに三十年磨勘す。已に磨勘する者は、其の労を以て減年を得る者は五年を過ぐるを得ず」と。

選人の京官を選ぶの制

出身有る者

判・司・簿・尉は、七考にして大理寺丞を除す。七考に及ばざれば、光禄寺丞。五考に及ばざれば、大理評事。三考に及ばざれば、奉礼郎。

初等職官、知令・録は、六考にして大理寺丞を除す。六考に及ばざれば、光禄寺丞。三考に及ばざれば、大理評事。

両使職官、知令・録は、六考にして著作佐郎を除す。六考に及ばざれば、大理寺丞。三考に及ばざれば、光禄寺丞。

支・掌・防・団判官は、六考にして太子中允を除す。六考に及ばざれば、著作佐郎。

節・察判官は、六考にして太常丞を除す。六考に及ばざれば、太子中允。

出身(科挙合格等)なしの場合

判官・司理・主簿・県尉の職を七考(考課回数)満たせば、衞尉寺丞に任ず。七考に満たなければ、大理評事に任ず。五考に満たなければ、奉禮郎に任ず。三考に満たなければ、守將作監主簿に任ず。

初等職官、知県・録事参軍の職を六考満たせば、衞尉寺丞に任ず。六考に満たなければ、大理評事に任ず。三考に満たなければ、奉禮郎に任ず。

兩使職官、知県・録事参軍の職を六考満たせば、大理寺丞に任ず。六考に満たなければ、衞尉寺丞に任ず。三考に満たなければ、大理評事に任ず。

支使・掌書記・防禦判官・團練判官の職を六考満たせば、著作佐郎に任ず。六考に満たなければ、大理寺丞に任ず。

節度判官・觀察判官の職を六考満たせば、太子中允に任ず。六考に満たなければ、著作佐郎に任ず。

流内銓

出身(科挙合格等)ありの場合

進士・明経科合格者は、望州の判官・司理、次いで畿県の主簿・県尉に任ずる。《九経》科合格者は、緊州の判官・司理、望県の主簿・県尉に任ずる。

諸科(《五經》、《三禮》、《三史》、《三傳》――今はこの科はないが、現に各色の人がいる)・明法科合格者は、上州の判官・司理、緊県の主簿・県尉に任ずる。學究科・武挙科で班行(武階)を得て文資に換授された者は、中州の判官・司理、上県の主簿・県尉に任ずる。

出身(科挙合格等)なしの場合

太廟齋郎(旧制の室長も同じ)は、中下州の判官・司理、中県の主簿・県尉に任ずる。

郊社齋郎(旧制の掌坐も同じ)・試銜(無官位の白衣で銓選に送られ官に注される者)・司士・文学・参軍・長史・司馬・助教で正官を得た者、並びに班行(武階)が試験により文資に換えられた者は、下州の判官・司理、中下県の主簿・県尉に任ずる。

三色人

攝官は小県の主簿・県尉に任ずる。進納(財物を献じて官を得る)により試銜を授かった者は、下州の判官・司理、中下県の主簿・県尉に任ずる。太廟齋郎を授かった者は、中州の判官・司理、中県の主簿・県尉に任ずる。流外官は下県の主簿・県尉に任ずる。以上はすべて、地望(任地の等級)を超えたり折衷したりして注授することを許す。

循資常調

判・司・簿・尉は、出身(科挙合格者)は二任四考、無出身は二任五考、摂官は判・司を三任七考を経て、いずれも録事参軍に任じられる。ただし挙主四人、あるいは合使挙主二人を有する者は、いずれも県令を通注することを許される。流外出身は四任十考を経て、録事参軍に入る。うち、駆使官・沿堂五院の者は、大郡の判・司、大県の簿・尉にのみ注す。進納出身は三任七考、曾て省試に下第した者は二任五考を経て、下州の令・録に入り、なお監当を差す。

酬獎

判・司・簿・尉は、初任で循資一資して知令・録に入り、次任で二考以上を経て正令・録に入る。知令・録は循資一資して初等職官に入り、正令録は両使職官に入る。

初等職官は循資一資して両使職官に入り、二資して支・掌・防・団判官に入り、三資して節・察判官に入る。

恩例

判・司・簿・尉が、祖父の五路及び広・桂の知州で安撫使を帯びた者、並びに成都府・梓州及び川・広の転運使・提刑等の恩例を用いて陳乞する場合、循資して試銜知県に入り、なお監当を差す。

奏薦

判・司・簿・尉。

職官を挙げる場合、出身者は四考・挙主三人を有すれば、初等職官に移り、なお知県を差す。出身者は四考、無出身者は六考を経て初等職官に注す。出身者は六考、無出身者は七考を経て両使職官に注す。

県令を挙げる場合、出身者は三考、無出身者は四考、摂官出身者は六考・挙主三人を有し、進納出身者は六考・挙主四人を有し、流外出身者は三任七考・挙主六人を有すれば、いずれも県令に移る。うち、流外人は録事参軍に入る。

令・録が挙人として入る場合、任内に京官挙主二人を有すれば、循資して両使職官・知県となる。

初等職官・知県が挙人として入る場合、任内に京官職挙主二人を有すれば、循資して両使職官となり、もし知県を望む者は聴す。

磨勘

判・司・簿・尉は七考、知令・録・職官は六考を経て、京官挙主五人(うち一人は転運使・副使または提刑)を有すれば、いずれも磨勘引見を受け、合入京朝官に転ずる。

両使職官・知県は挙人出身の者、並びに挙薦により循例任用された者、任内に京官の挙主二人を有する者は、磨勘(考査)を経て引見し、合入京官に転ずる。

令・録は流外出身、挙人出身の者、任内に班行の挙主三人を有する者は、磨勘を経て引見し、班行に改換する。

差摂(臨時任用)

長史・文学は進士に二度挙げられ、諸科に三度挙げられた者、特恩により摂官に与る。

以上、広南東路の長史・文学は挙人と、半分ずつ差摂する。西路の長史・文学は七分、挙人は二分、特恩摂官は一分。

試補(試験による補充)

正額及び額外の摂官は並びに公案を試験し、合格者の名次の高下により差摂する。内、試験に不中及び試験を受けること能わざる者は、並びに試験合格者の下位に置く。

解発(任期満了による解任・発遣)

入額人は一任実に満四年にして解発する。もし監当・監税を差す場合は、即ち二年をもって一任とし、両摂を理(算入)し、並びに解発して銓選に赴かせる。海北の摂官を海南に差遣するは、一年を減ずる。公罪を犯せば摂任を二年延長し、監当が課利を虧少し半月の俸を罰せられる者は、一任を添摂し、一月の俸を罰せられる者は両任を添摂する。

流外出官(流外官からの出官)

尚書省書令史、都省二十四司、礼部貢院、吏部流内銓、官誥院は七選、都省敕庫、兵部甲庫は八選、諸司驅使官、都省散官は十九選、貢院散官は十八選:並びに正名に補せられた後に算入し、或いは酬奨により、一等を減じて主簿・県尉に出る。

門下省白院令史は七選、画頭・書院・甲庫令史賛者は八選、並びに正名に補せられた後に算入する。驅使官は九選、勒留官を授かった後に算入する:並びに主簿・県尉に出る。

中書省白院令史は七選、甲庫令史は八選、並びに正名に補せられた後に算入する。驅使官は九選、勒留を授かった後に算入し、並びに主簿・県尉に出る。学士院録事は正名に補せられた後に算入し、三年にして奉職に出る。孔目官は大礼に遇えば、上から一名を出し、大礼に遇わざれば七選。驅使官は大礼に遇えば、上から三人並びに主簿・県尉に出し、恩に遇わざれば十選、並びに勒留官を授かった後に算入する。

御史臺令史は七選して正名に補し、驅使官は九選して勒留官を授かり、並びに主簿・県尉に出る。引賛官は正名に補せられた後、大礼に遇えば録事参軍に出る。刑罰の試験に中った人を主推に充てるは、五年にして奉職に出る。書史は五年にして借職に出る。諸処より取到した人を主推に充てるは、八年にして借職に出る。書史は三班差使に出る。

三司三部都孔目官は三年にして西頭供奉官に出る。前行・後行は入仕三十年已上、大礼に遇えば、上から各二人を出し、前行は奉職に出、後行は借職に出る。子司勾覆・開拆官は五年にして左・右班殿直に出、前行・後行は二人を出す。同三部衙司都押衙は三年にして奉職に出、衙佐は三年にして借職に出る。通引官行首司は五年にして奉職に出る:並びに正名に補せられた後に算入する。

開封府の孔目官は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、五年で右班殿直に任官する。左知客押衙は六年、通引官左番行首は七年で奉職に任官し、いずれも正名に補せられた後に勤務年数を勘定する。支計官・勾覆官・開拆官・接押官は奉職に任官し、諸司の行首前行は借職に任官する。いずれも大礼に際し、入仕して三十年以上経過した者三名を任官させる。

殿前司の孔目官は五年で右侍禁に任官し、通引官行首は三年で奉職に任官する。いずれも正名に補せられた後に勤務年数を勘定する。

馬歩軍司の孔目官は五年で右班殿直に任官し、通引官行首は三年で借職に任官する。いずれも正名に補せられた後に勤務年数を勘定する。

入内・内侍両省の前・後行は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、三年で奉職に任官する。

大宗正司の勾押官は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、三年で借職に任官する。

三班院の勾押官は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、五年で奉職に任官する。

審官院の令史は勒留官に授けられた後に勤務年数を勘定し、七年で主簿・県尉に任官する。

九寺の府史は、太常寺・大理寺は七選、宗正寺・光禄寺・太府寺・太僕寺・衛尉寺・鴻臚寺・司農寺は十選、驅使官は十九選、宗正司の楷書は八選。いずれも正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、主簿・県尉に任官する。

諸監の都水監勾押官は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、三年で奉職に任官する。少府監・将作監の府史は十選、国子監は八選、司天監の礼生・暦生は選考を経て、少府監・将作監の驅使官は十九選。いずれも正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、主簿・県尉に任官する。

群牧司の都勾押官は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、三年で奉職に任官する。

客省の行首は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し三年、勾押官は五年で、いずれも奉職に任官する。承受及び驅使官は勒留官に授けられた後に勤務年数を勘定し、七選で主簿・県尉に任官する。

四方館の書令史は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し八選、表奏官・驅使官は勒留官に授けられた後に勤務年数を勘定し九選で、いずれも主簿・県尉に任官する。

閤門の行首は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、三年で右侍禁に任官する。承受は勒留官に授けられた後に勤務年数を勘定し、七選で主簿・県尉に任官する。

太常礼院の礼直官は副礼直官に補せられた後、六度大礼を経て、西頭供奉官に任官する。礼生は正名に補せられた後に勤務年数を勘定し、六選で主簿・県尉に任官する。

審刑院は本院の書令史に充てられた後に勤務年数を勘定し、六選で主簿・県尉に任官する。

秘書殿中省の令史・楷書はともに正名に補した後に勤務年数を計算し、八選で主簿・県尉に任じられる。

起居院の楷書は八選、驅使官は十九選で、ともに正名に補した後に勤務年数を計算し、主簿・県尉に任じられる。

崇文院の孔目官は正名に補した後に勤務年数を計算し、大礼の際に奉職に任じられる。

三館の孔目官・四庫の書直官は八選、楷書は七選、書直・書庫・表奏官は九選、守當官は十選で、いずれも勒留官を授かった後に勤務年数を計算する。楷書は正名に補した後に勤務年数を計算し、ともに主簿・県尉に任じられる。

秘閣の典書・楷書はともに正名に補した後に勤務年数を計算し、七選で主簿・県尉に任じられる。

軍頭引見司の勾押官は正名に補した後に勤務年数を計算し、五年で右班殿直に任じられる。

皇城司の勾押官は正名に補した後に勤務年数を計算し、三年で奉職に任じられる。

内東門司の押司官は正名に補した後に勤務年数を計算し、三年で借職に任じられる。

管勾往來國信所の勾押官は正名に補した後に勤務年数を計算し、三年で奉職に任じられる。

翰林司の専知官は三年の任期が満了すると、大将となり、奉職に任じられる。

内蔵庫の専知官は三年の任期が満了すると、借職に任じられる。

御薬院の押司官は正名に補した後に勤務年数を計算し、三年で借職に任じられる。

御書院の待詔は五年で左班殿直に、書藝は十年で右班殿直に、御書祗候は十五年で借職に任じられ、いずれも正名に補した後に勤務年数を計算する。

進奏院の進奏官は正名に補した後に勤務年数を計算し、十五年のうちに大礼があり、過失・罪がなければ、上位五人が出職する。過失・罪があっても洗雪され、かつ決責を受けたことがあれば、借職に任じられる。人数に定限はない。

御厨の勾押官は正名に補した後に勤務年数を計算し、三年で出職する。

金吾街司・仗司の孔目官、表奏、勾押、驅使官は、いずれも正名に補した後に勤務年数を勘案し、十九選を経て主簿・県尉に任じられる。

文臣が右職(武官)に換える制度

秘書監は防禦使に換える。

大卿・監は團練使に換える。

秘書少監、太常少卿、光祿少卿は刺史に換える。

少卿・監は皇城使・遙郡刺史に換える。

帯職の郎中は閤門使に換える。前行の郎中は宮苑使に換える。

中行の郎中は内蔵庫使に換える。

後行の郎中は莊宅使に換える。

帯職の前行員外郎と前行員外郎はいずれも洛苑使に換える。

帯職の中行員外郎、起居舍人、侍御史、中行員外郎はいずれも西京作坊使に換える。

帯職の後行員外郎、左司諫・右司諫、殿中侍御史、後行員外郎はいずれも供備庫使に換える。以上はいずれも遙郡刺史を帯びる。

帯職の博士、左正言・右正言、監察御史は閤門副使に換える。

太常博士は内蔵庫副使に換える。

國子博士は左蔵庫副使に換える。

太常丞は莊宅副使に換官し、

秘書丞は六宅副使に換官する。

殿中丞、著作郎は文思副使に換官する。

太子中允は禮賓副使に換官する。

太子左右賛善大夫、中舍、洗馬は供備庫副使に換官する。

秘書郎、著作佐郎は内殿承旨に換官する。

大理寺丞は内殿崇班に換官する。

諸司監丞、節度・觀察判官は東頭供奉官に換官する。

大理評事、節度掌書記、觀察支使は西頭供奉官に換官する。

太常寺太祝、奉禮郎は左侍禁に換官する。

初等職官、知県令・録事參軍でかつ両使職官、防禦・團練判官、県令・録事參軍で三考に満たない者は左班殿直に換官する。

初等職官、知県令・録事參軍で三考に満たない者は右班殿直に換官する。

判官、司理、主簿、県尉は三班奉職に換官する。

試銜齋郎および判官、司理、主簿、県尉で三考に満たない者は三班借職に換官し、以上の京官で太常丞に至り帯職する者は、一資を加えて換官する。

右の文官が右職に換官する者は、流外・進納および私罪で情状重く並びに贓罪を犯した者を除き、年齢四十以下はすべて試みに右職に換官することを許す。三班使臣は補換して三年、差使して五年に至り、初めて試みに換官することを許す。以上の者はすべて京朝官または使臣二人を召して委保させる。その文臣の待制、武臣の觀察使以上で元より官を換えようとする者は、旨を取る。

紹興年間に試換の令を復修し、淳熙年間に尚左・尚右・待左・侍右の換官の格を増広し、列挙して記し、以て新式を示す。若し中大夫以下の文臣の換官は、仍って政和の旧制に従うものは、記さず。

諸の訓武郎より進武校尉こういに至る者、未だ贓私罪及び笞刑の経決を犯さずして文資に換えんことを願う者は、聴す。保官二員を召し、家状を具え保状二本を連ね、登聞鼓院に詣り投進し試みを乞う。外任の人は替罷を候ち就試す。文資の武に換わる者は聴す。此に準じ、即ち小使臣を授けられた後未だ三年に及ばず、進武校尉を授けられた後未だ五年に及ばず、三省・枢密院の書令史以下使臣・進武校尉を授けられた者、若しくは保甲及び武芸を試み並びに進納・流外の出身は、此の令を用いず。諸の武臣の文資に試換するは、『易』・『詩』・『周礼』・『礼記』に於いて各一経を専とし、仍って『論語』・『孟子』を兼ねる。元より詩賦を試み及び法官の条に依り断案・『刑統』の大義を試みんことを願う者は、聴す。

換官

尚右、訓武・修武郎は宣教郎に換う。侍左、承直郎は従義郎に換う。文林・従政郎の職官・知県を奏挙するは同じ。忠翊郎に換え、未だ三考に満たざれば成忠郎。従事・修職は成忠郎に換え、未だ三考に満たざれば保義郎。迪功郎は成節郎に換え、未だ三考に満たざれば承信郎。将仕郎は承信郎に換う。侍右、従義郎は宣義郎に換う。秉義郎は承事郎に換う。忠訓郎は承奉郎に換う。忠翊郎は承務郎に換う。成忠郎は従事郎に換う。保義郎は修職郎に換う。承節・承信郎は迪功郎に換う。進武校尉・進義校尉は将仕郎に換う。蔭補の使臣に換わる。承奉郎は忠翊郎に換う。承務郎は成忠郎に換う。文林郎は保義郎に換う。従事・従政・迪功・通事郎は成節郎に換う。登仕・将仕郎は承信郎に換う。

文散官

文散官二十九階:

開府儀同三司(従一)、特進(正二)、光禄大夫(従二)、

金紫光禄大夫(正三)、銀青光禄大夫(従三)、正奉大夫(正四上階)、

中奉大夫(正四)、太中大夫(従四上階)、中大夫(従四)、

中散大夫(正五上)、朝奉大夫(正五)、朝散大夫(従五上)、

朝請大夫(従五)、朝奉郎(正六上)、承直郎(正六)、

奉直郎(従六上)、通直郎(従六)、朝請郎(正七上)、

宣徳郎(正七)、朝散郎(従七上)、宣奉郎(従七)、

給事郎(正八上)、承事郎(正八)、承奉郎(従八上)、

承務郎(従八)、儒林郎(正九上)、登仕郎(正九)

文林郎(従九品上)、将仕郎(従九品)。

右は朝官の階、勲が高く、恩遇により八大夫を加う。

武散官

武散官三十一:

驃騎大將軍(従一品)、輔國大將軍(正二品上)、鎭國大將軍(正二品)。

冠軍大將軍(正三品上)、懷化大將軍(正三品)、雲麾將軍(従三品上)。

歸德將軍(従三品)、忠武將軍(正四品上)、壯武將軍(正四品)。

宣威將軍(従四品上)、明威將軍(従四品)、定遠將軍(正五品上)。

寧遠將軍(正五品)、遊騎將軍(従五品上)、遊撃將軍(従五品)。

昭武校尉(正六品上)、昭武副尉(正六品)、振威校尉(従六品上)。

振威副尉(従六品)、致果校尉(正七品上)、致果副尉(正七品)。

翊麾校尉(従七品上)、翊麾副尉(従七品)、宣節校尉(正八品上)。

宣節副尉(正八品)、禦武校尉(従八品上)、禦武副尉(従八品)。

仁勇校尉(正九品上)、仁勇副尉(正九品)、陪戎校尉(従九品上)。

陪戎副尉(従九品)。

右文散官の階においては恩典により一階を加え、郎階においては京朝官に五階を加え、選人に一階を加え、武散官の冠軍大將軍・使相・節度使が起復し、遊撃將軍に改めて授けられる場合も、中書主事・諸司の吏人が加授される場合も、累加の法はなく、その他は常に授けられるものではない。以上の文武官三品以上は紫の服を着用し、五品以上は緋の服を着用し、九品以上は緑の服を着用する。

『元豊寄祿格』は階をもって官に代え、唐代及び本朝の旧制を雑取し、開府儀同三司より将仕郎に至るまで、二十四階と定め、崇寧の初め、刑部尚書鄧洵武の請いに因り、また選人の七階を換えた。大観の初めにまた宣奉・正奉・中奉・奉直等の階を増し、政和の末にまた従政・修職・迪功を改め、寄祿の格は始めて完備した。開府より迪功に至るまで凡そ三十七階。

文官

新官 旧官

開府儀同三司 使相(節度使が侍中・中書令を兼ね、或いは同平章事たるを謂う)

特進 左・右僕射

金紫光禄大夫 吏部尚書

銀青光禄大夫 五曹尚書

光禄大夫 左・右丞

宣奉大夫(大観新置)

正奉大夫(大観新置)

正議大夫 六曹侍郎

通奉大夫(大観新置)

通議大夫 給事中

太中大夫 左・右諫議大夫

中大夫は秘書監に相当する。

中奉大夫は大観年間に新たに設置された。

中散大夫は光禄卿から少府監に相当する。

朝議大夫は太常卿・少卿、左司郎中・右司郎中に相当する。

奉直大夫は大観年間に新たに設置された。

朝請大夫は前行の郎中に相当する。

朝散大夫は中行の郎中に相当する。

朝奉大夫は後行の郎中に相当する。

朝請郎は前行の員外郎、侍御史に相当する。

朝散郎は中行の員外郎、起居舍人に相当する。

朝奉郎は後行の員外郎、左司諫・右司諫に相当する。

承議郎は左正言・右正言、太常博士・国子博士に相当する。

奉議郎は太常丞・秘書丞・殿中丞、著作郎に相当する。

通直郎は太子中允・賛善大夫・洗馬に相当する。

宣教郎(元豊時は「宣徳郎」、政和年間に宣徳門を避諱して改称)は著作佐郎、大理寺丞に相当する。

宣義郎(光禄衛尉寺、将作監丞)

承事郎(大理評事)

承奉郎(太祝奉禮郎)

承務郎(校書郎、正字、将作監主簿)

承直郎(留守、節度、観察判官)

儒林郎(節度、観察掌書記、支使、防禦、団練判官)

文林郎(留守、節度、観察推官、軍、監判官)

從事郎(承直より此の四階に至るまで、並びに崇寧初年に換官。防禦、団練推官、監判官)

従政郎(崇寧の通仕郎、政和に再び換官。録事参軍、県令)

修職郎(崇寧の登仕郎、政和に再び換官。知録事参軍、知県令)

迪功郎(崇寧の将仕郎、政和に再び換官。軍巡判官、司理、司法、司戸、主簿、尉)

国朝の武選は、内客省より閤門使・副に至るまでを横班とし、皇城より供備庫使に至るまでを諸司正使とし、副を諸司副使とし、内殿承制より三班借職に至るまでを使臣とす。元豊には未だ及ばず、政和二年、乃ち詔して新名に易ふ。正使を大夫とし、副使を郎とし、横班十二階の使・副も亦然り。六年、及び宣正、履正,協忠,翊衞,親衞の大夫郎を増置し、凡そ十階、通じて横班と為す。太尉より下班祗応に至るまで、凡そ五十二階。

武官

新官 旧官

太尉(政和新置。太尉は本秦の主兵官なり、遂に武階の首と定む)

通侍大夫、内客省使。

正侍大夫、延福宮使。

宣正大夫。

履正大夫。

協忠大夫、以上は政和年間に新たに設置された。

中侍大夫、景福殿使。

中亮大夫、客省使。

中衞大夫、引進使。

翊衞大夫。

親衞大夫。

拱衞大夫、以上は政和年間に増設された。

左武大夫、東上閤門使。

右武大夫、西上閤門使。

正侍郎。

宣正郎。

履正郎

協忠郎

中侍郎はともに政和年間に増設された。

中亮郎は客省副使に相当する。

中衞郎は引進副使に相当する。

翊衞郎

拱衞郎はともに政和年間に増設された。

左武郎は東上閤門副使に相当する。

右武郎は西上閤門副使に相当する。

武功大夫は皇城使に相当する。

武顯大夫は宮苑使、左右騏驥使、内藏庫使に相当する。

武顯大夫は左藏庫使、東西作坊使に相当する。

武節大夫は莊宅使、六宅使、文思使に相当する。

武略大夫は内園使、洛苑使、如京使、崇儀使に相当する。

武經大夫は西京左藏庫使に相当する。

武義大夫は西京作坊使、東西染院使、禮賓使に相当す。

武翼大夫は供備庫使に相当す。

武功郎は皇城副使に相当す。

武德郎は宮苑副使、左右騏驥副使、内藏庫副使に相当す。

武德郎は左藏庫副使、東西作坊副使に相当す。

武節郎は莊宅副使、六宅副使、文思副使に相当す。

武略郎は内園副使、洛苑副使、如京副使、崇儀副使に相当す。

武經郎は西京左藏庫副使に相当す。

武義郎は西京作坊副使、東西染院副使、禮賓副使に相当す。

武翼郎は供備庫副使に相当す。

敦武郎は内殿承制に相当す。

修武郎は内殿崇班に相当す。

從義郎は東頭供奉官に相当す。

秉義郎は西頭供奉官に相当す。

忠訓郎は左侍禁に相当す。

忠翊郎(右侍禁)

成忠郎(左班殿直)

保義郎(右班殿直)

承節郎(三班奉職)

承信郎(三班借職)

下班祗應(殿侍)

内侍官の名称

元豊の官制制定に際し、内侍官の名称を併せて改易しようとする請議があったが、神宗は言った、「祖宗がこの名称を定めたのには深い意味がある。軽々しく議論すべきであろうか」。政和二年になって、ようやく改めることとなった。全部で十二階ある。

新官(旧官)

供奉官(内東頭供奉官)

左侍禁(内西頭供奉官)

右侍禁(殿頭)

左班殿直(高品)

右班殿直(高班)

黄門(黄門)

祗候侍禁、祗候殿頭

祗候殿直、祗候高品

祗候黄門、祗候高班、内品

内品

祗候内品

貼祗候内品以上の三つの名目は、従前のまま改めず。

医官

政和初年、武階を改易した後、遂に医官の名称を改め、凡そ十四階有り。

新官、旧官

和安大夫・成和大夫・成安大夫・成全大夫(旧:軍器庫使)

保和大夫(旧:西綾錦使)

保安大夫(旧:榷易使)

翰林良医(旧:翰林医官使)

和安郎・成和郎・成安郎・成全郎(旧:軍器庫副使)

保和郎(旧:西綾錦副使)

保安郎、権易副使。

翰林医正、翰林医官副使。

凡そ職事官を除するには、寄禄官の品の高下を以て準とす:高く一品已上は行と為し、下一品は守と為し、下二品已下は試と為し、品同じき者は然らず。紹聖三年、戸部侍郎呉居厚言う:「神宗の官制に、凡そ台・省・寺・監の制、行・守・試の三等の別有り。元祐中、冗費を裁減し、而して職事官に行を帯ぶる者は第に虚名を存するのみなり、請う有司に付して旧制を講復せしむ。」之に従う。四年、翰林学士蔣之奇言う:「所謂る試は、則ち正官に非ざるなり。今尚書・侍郎皆正官なり、而して之を試と謂うは、之を失えり。若し其の階卑しきを以てすれば、則ち之を守と謂う可きなり。臣請う、凡そ正官と為る者は皆試を改めて守と為さん。」崇寧中、吏部選人の差遣を授くるに、亦た資序の高下を用いて行・守・試の三等と為す。政和三年、詔して選人の在京職事官は、品序に依り行・守・試を帯ぶるも、其の外任は則ち然らずとす。宣和以後、官高くして仍って旧職なる者を領と謂い、官卑しくして職高き者を視と謂う。故に庶官視従官、従官視執政、執政視宰相有り。凡そ道官も亦た文階に視すと云う。

爵。

爵一十二。

王、嗣王、郡王。

国公、郡公、開国公。

開国郡公、開国県公、開国侯。

開国伯、開国子、開国男。

右は封爵、皇子・兄弟の国に封ずるを親王と謂う。親王の子嫡を承くる者は嗣王と為し、宗室近親の承襲、特旨する者は郡王に封じ、恩に遇い及び宗室祖宗の後承襲及び特旨する者は国公に封ず。其の余の宗室近親は並びに郡公に封ず。其の開国公・侯・伯・子・男は皆食邑に随う:二千戸已上は公に封じ、一千戸已上は侯に封じ、七百戸已上は伯に封じ、五百戸已上は子に封じ、三百戸已上は男に封ず。見任・前任の宰相は食邑・実封共に万戸。嗣王、開国郡公、県公は後封ぜず。

勲。

勲一十二。

上柱国、柱国、上護軍。

護軍、上軽車都尉、軽車都尉。

上騎都尉、騎都尉、ぎょう騎尉。

飛騎尉、雲騎尉、武騎尉

右の騎都尉以上は、両府並びに武臣の正任以上は恩赦により二階加転し、文武の朝官は一階加転する。武騎尉以上は、京官は一階加転し、朝官は未だ驍騎尉に至らざるも、恩赦を経れば亦た便ち騎都尉を加う。

功臣

推忠、佐理、協謀、同徳

守正、亮節、翊戴、賛治

崇仁、保運、経邦

右は中書・枢密の臣僚に賜う。宰相は初め六字を加え、その他の官は初め四字を加え、その次は並びに両字を加う。旧に功臣ある者は改めて賜う。

推忠、保徳、翊戴、守正

亮節、同徳、佐運、崇仁

協恭、賛治、宣徳、純誠

保節、保順、忠亮、竭誠

奉化、效順、順化

右は皇子・皇親・文武臣僚・外臣に賜う。初めは四字を加え、次は両字を加う。

拱衞、翊衞、衞聖、保順

忠勇、拱極、䕶聖、奉慶

果毅・肅衞

右は諸班直・将校・兵士・禁軍に賜う。初めて二字を加えるときは、またこれに同じくする。

検校官

検校官十九種:

太師・太尉・太傅

太保・司徒・司空

左僕射・右僕射・吏部尚書

兵部尚書・戸部尚書・刑部尚書

禮部尚書・工部尚書・左散騎常侍さんきじょうじ

右散騎常侍・太子賔客・國子祭酒

水部員外郎

右のごとし。皇子が初めて官を授けられるときは太尉を加え、初めて枢密使・使相を授けられ、およびかつて宰相・枢密使を歴任した者が節度使に除される場合は太傅を加え、初めて宣徽使・節度使に除される場合は太保を加える。宗室が初めて使相に除される場合は尚書左僕射を加え、特旨により除され、かつ諸司使以上に換授される場合は工部尚書を加え、諸司副使には右散騎常侍を加える。通事舎人・内殿崇班以上に除される場合、初めて授けられるときは太子賓客を加える。副率以上および三班並びに吏職・蕃官の軍員で、恩典に該る者は國子祭酒を加える。四廂都指揮使は司徒に止まり、諸軍都指揮使・忠佐馬歩都軍頭は司空に止まり、軍班都虞候・忠佐副都軍頭以上は左・右僕射に止まり、諸軍指揮使は吏部尚書に止まる。その官が止まるとき、恩典に遇えばあるいは階・爵・功臣を加える。

憲官

憲官四種:

御史大夫・侍御史・殿中侍御史・監察御史

右通事舍人、内殿崇班以上の者は、初めて任官する際に御史大夫を兼ねる。宗室の副率以上の者は、初めて軍頭等を授かる際に、恩赦を経て監察御史を兼ね、その他の者は恩赦を経て順次遷入する。

試みの官秩

大理司直、大理評事、秘書省校書郎

正字、寺監主簿、助教

右の幕職は、初めて授かる際には試みに秘書省校書郎とし、再任して両使推官に至れば、試みに大理評事とする。掌書記、支使、防禦、團練判官は試みに大理司直・評事とし、さらに加官すれば監察御史を兼ねる。また、官服を解いて初任する際に試みに大理評事・校書郎・正字・寺監主簿・助教とする者もあり、これを試銜という。選集に参加する資格があり、同出身の例に同じ。

紹興以後の階官

元豊の新制は階をもって官に代え、二十四階に定めた。崇寧・大観・政和の間に相継いで潤色された。紹興において元祐の法を施行し、左右に分置した。文臣は左とし、その他の者は右とした。淳熙の初め、宗室の善俊が建言したことにより、階官はともに「左」「右」の字を除いた。今、任子・雑流は、ただ通直郎・奉直・中散の二大夫への紐転のみは従来通りである。もし貼職を帯びれば、資を超える。開府から迪功に至るまで、順序を後に記す。

文階

開府儀同三司

特進

金紫光禄大夫、銀青光禄大夫

光禄大夫、宣奉大夫(大観年間新置)

正奉大夫、正議大夫

通奉大夫(大観年間新置)、通議大夫

太中大夫(以上は旧来、侍従官であった)、中大夫

中奉大夫(大観年間新設)、中散大夫

朝議大夫以上は卿・監に属す。奉直大夫(大観年間新設)

朝請大夫、朝散大夫

朝奉大夫以上は正郎に属す。朝請郎

朝散郎、朝奉郎以上は員外郎に属す

承議郎、奉議郎

通直郎、宣教郎

宣義郎、承事郎

承奉郎、承務郎以上は京官に属す

右の官は四年ごとに一転し、無出身の者は資ごとに転じ、有出身の者は資を超えて転ず。奉議郎に至るまでは資ごとに転じ、朝議大夫に至っては止法あり、なお七年ごとに一転す。内、奉直・中散の二大夫は、有出身の者は転ぜず

承直郎、儒林郎

文林郎、從事郎以上(崇寧年間新設)

從政郎、脩職郎

迪功郎以上(政和年間に更定。並びに選人が挙状及び功賞により改官するもの)

通仕郎、登仕郎

将仕郎以上は奏補に係り、未だ出身せざる官人

武階

武階には旧来、横行正使・横行副使あり、諸司正使・諸司副使あり、使臣あり。政和年間に新たな名称に改め、正使を大夫とし、副使を郎とし、横行正使・副使もまた然り。ここにおいて郎が大夫の上に位する事態が生じた。紹興年間に至り、始めてその序列を整正す。

太尉

通侍大夫 正侍大夫

宣正大夫(政和年間新置) 履正大夫(政和年間新置)

協忠大夫(政和年間新置) 中侍大夫

中亮大夫 中衛大夫

翊衛大夫 親衛大夫

拱衛大夫(翊衛大夫より此に至るまで、並びに政和年間新置)

左武大夫 右武大夫(以上、横行十三階を為す)

右は並びに政和年間新置。内、通侍大夫は旧来は内客省使なり。国朝未だ嘗て人を除かず。武階に易えてより、通侍に遷さざるは初めの意に沿うなり。転じて中侍に至れば、磨勘無く、特旨を以て除す。

武功大夫 武德大夫

武顯大夫 武節大夫

武略大夫 武經大夫

武義大夫・武翼大夫以上は、旧来の諸司正使に当たり、八階である。

正侍郎・宣正郎

履正郎・協忠郎

忠侍郎(正侍よりここまで、いずれも政和年間に新設)・忠亮郎

忠衞郎・翊衞郎

親衞郎・拱衞郎(翊衞よりここまで、いずれも政和年間に新設)

左武郎・右武郎(以上は、旧来は横行副使であり、政和年間に更新・増益して合わせて十二階となった)

右の正侍より右武に至るまでは、旧来は右武大夫の下、武功大夫の上にあったが、今は紹興年間の釐正に従って記す。

武功郎・武徳郎

武顯郎・武節郎

武略郎・武經郎

武義郎・武翼郎(以上は、旧来の諸司副使、八階)

訓武郎・脩武郎(以上は、大使臣である)

從義郎・秉節郎

忠訓郎・忠翊郎

成忠郎、保義郎

承節郎、承信郎以上、これらを小使臣とす

右は並びに五年一転、武功大夫に至り、止法あり。

進武校尉、進義校尉

下班祗應、進武副尉

進義副尉、守闕進義副使

進勇副尉、守闕進勇副以上は品なし、二校尉は吏部に参じ、下班は兵部に参じ、以下は並びに刑部に参ず。

内侍官十二階、並びに政和の旧制。

醫官

醫官は政和に既に武階を改め、而して醫官も亦更に定む、紹興之に因り、特だ其の額を損ず。旧額は和安大夫より良醫に至るまで二十員、紹興は五員を置く;和安郎より醫官に至るまで三十員、四員を置く;醫效十員、二員を置く;醫痊十員、一員を置く;醫愈より祗候、大方脈に至るまで一百五十員、十五員を置く:

和安、成和、成安、成全大夫

保和大夫、保安大夫

翰林良醫、和安、成和、成安、成全郎

保和郎、保安郎

翰林醫正、翰林醫官

翰林醫效、翰林醫痊

翰林醫愈、翰林醫證

翰林醫診、翰林醫候

翰林醫學

右は醫正に至るまで、十四階、並びに政和の制なり、餘は續いて増やされたるものなり。