宋史

志第二十九 律暦九

堯は羲和に命じて横簫を制し、星度を考察せしめ、その機衡には玉を用い、燥湿に変化せず、運動に常あり、堅久にして廃すること能わざらんことを欲した。後世に至り、銅を鋳て円儀と為し、以て天體を法とす。洛下閎が『太初曆』を造り、渾儀を用いてより、東漢の孝和帝の時に至り、太史には赤道儀あるのみにて、歳時の測候、頗る進退あり。帝、典星待詔の姚崇等に問う。皆曰く「星圖に規法あり、日月は実に黄道に従う。今其の器無きを以て、是を失う」と。永元十五年に至り、賈逵始めて黄道儀を設く。桓帝の延熹七年、張衡更に之を制し、四分を以て度と為す。其の後、陸績・王蕃・孔挺・斛蘭・梁令瓚・李淳風並びに嘗て製作す。五代乱亡し、遺法蕩然たり。真宗の祥符の初め、韓顯符が渾儀を作るも、但だ遊儀の双環が望筒を夾みて旋転し、黄道・赤道は相固して動かず。皇祐の初め、又た日官の舒易簡・于淵・周琮等に命じ、淳風・令瓚の制を参用し、黄道渾儀を改鋳し、又た漏刻・圭表を為し、詔して翰林學士の錢明逸に其の法を詳にせしめ、内侍の麥允言に其の工を総べしむ。既に成り、渾儀を翰林天文院の候台に置き、漏刻を文德殿の鐘鼓楼に置き、圭表を司天監に置く。帝、『渾儀總要』十巻を制し、前代の得失を論ず。已にして留中に出でず。今、黄道遊儀の法を具し、此に著す。

第一重、名は六合儀。

陽経双環:外周二丈三尺二寸八分、直径七尺七寸六分、幅六寸、厚さ六分。南北並び立ち、両面各に周天三百六十五度少強を列し、北極出地三十五度少強。

陰緯単環:外周・直径・幅は陽経双環に等しく、外厚二寸五分、内厚一寸九分。上に十干・十二支・八卦方位を列し、以て地形を正す。上に池沿環有りて流転し、以て平準を定む。

天常単環:外周二丈四寸六分、直径六尺八寸二分、幅・厚さ一寸二分。上に十干・十二支・四維時刻の数を列し、以て辰刻を測り、陽経・陰緯環と相固し、卵の殻幕の如し。

第二重、名は三辰儀。

璿璣双環:外周一丈九尺五寸六分、直径六尺五寸二分、幅一寸四分、厚さ一寸。両面各に均しく周天三百六十五度少強を列し、二枢を造りて両極に対す。

赤道単環:外周一丈九尺六寸八分、直径六尺五寸六分、幅一寸一分、厚さ六分。上に二十八宿距度・周天三百六十五度少強を列し、璿璣の上に附す。

黄道単環:外周一丈九尺二分、直径六尺三寸四分、幅一寸二分、厚さ一寸。上に周天三百六十五度少強を列し、均しく二十四気・七十二候・六十四卦・三百六十策に分つ。赤道より二十四度出入し、赤道と相交わり、毎歳退差一分有餘。

白道単環:外周一丈八尺六寸三分、直径六尺二寸一分、幅一寸一分、厚さ五分。上に交度を列し、黄道環の中に置き、黄道に六度入り、一交終る毎に、黄道一度半弱を退行し、皆六合の内に旋転す。

第三重、名は四遊儀。

璿枢双環:外周一丈八尺二寸一分、直径六尺七分、幅二寸、厚さ七分。両面各に周天三百六十五度少強を列し、直距を挟みて枢軸に対し、東西三辰儀の内に運転し、以て星度を格す。

横簫望筒:長さ五尺七寸、外は方形、内は円形、中に望孔を通し、直径六分、日輪に周り、璿枢直距の中に在り、南北に遊仰せしめ、以て辰宿を窺い、至らざる所無し。

十字水準槽:長さ九尺四寸八分、首幅一尺二寸七分、身幅九寸二分、高さ七尺。水槽の幅一寸、深さ八分、四本の柱は各長さ六尺七寸八分、水槽の末端に立てて天體を補助し、すべて銅で作られている。これにより七曜の遠近と盈縮を測り、昼夜の長短を知る効果がある。その測った二十八宿の距度は、後に記す。周天の星の入宿と去極が主る吉凶については、『天文志』に詳しく載せている。

角十二度、亢九度、氐十六度、房五度、心四度、尾十九度、箕十度、斗二十五度、牛七度、女十一度、虚十度、危十六度、室十七度、壁九度、奎十六度、婁十二度、胃十五度、昴十一度、畢十八度、觜一度、参十度、井三十四度、鬼二度、柳十四度、星七度、張十八度、翼十八度、軫十七度。

皇祐漏刻

黄帝が漏水を観察し、器物を作って法則を取って以来、三代はこれに因って官を命じ、挈壺氏がその職務であった。後の製作者は、下漏、浮漏、輪漏、或いは権衡を用い、製作は一様でない。宋には旧来より刻漏及び水を以て権衡とするものがあり、文德殿の東廡に置かれていた。景祐三年、再び考定を加えたが、水の流れに遅速があり、有司の請により、平水壺一つ、渴烏二つ、昼夜箭二十一を増設した。しかし常に四時の日出に基づいて卯正一刻を伝え、また毎時正に既に一刻を伝え、八刻に至れば既に次時を伝え、即ち二時の初めと終わりが互いに半ばほど侵す状態であった。皇祐初年、詔して舒易簡、于淵、周琮に改めて造らせた。その方法は平水重壺を用いて水勢を均等に調節し、遅速がないようにする。昼夜に百刻を分かつ。冬至は昼漏四十刻、夜漏六十刻。夏至は昼漏六十刻、夜漏四十刻。春秋の二分は昼夜各五十刻。日の出前二刻半を曉とし、日の入り後二刻半を昏とし、夜の五刻を減じて昼漏に加え、これを昏旦漏刻という。すべて気に随って増減する。冬至と夏至の間、昼夜の長短は凡そ二十刻の差があり、一刻差ごとに別の箭とし、冬至を互いにその首とし、凡そ四十一箭ある。昼には朝、禺、中、晡、夕があり、夜には甲、乙、丙、丁、戊があり、昏旦には星中があり、各箭ごとにその数は異なる。凡そ黄道の昇降差が二度四十分あれば、暦に随って増減し箭を改める。毎時初めに一刻から四刻六分の一を行って時正とし、終わり八刻六分の二で次時に交わる。今、二十四気、昼夜の日出日入の辰刻、昏曉中星を列挙し、参考に備える。

皇祐圭表

天地陰陽の體を観察し、位を正し方を辨じ、時を定め閏を考うるには、圭表に近いものはない。宋の何承天が初めて表を立てて日影を候い、十年の間に、冬至が旧来用いていた『景初暦』より常に三日遅れることを知った。また唐の一行が『大衍暦』を造り、圭表を用いて測り、旧暦の気節が常に一日遅れることを知った。今の司天監の圭表は、石晉の時の天文参謀趙延乂が建てたもので、表は既に傾き、圭も沈み陥没し、天度に対して正すところがない。皇祐初年、詔して周琮、于淵、舒易簡に改めて制させ、古法を考証し、八尺の銅表を立て、厚さ二寸、幅四寸、下に石圭一丈三尺を連ね、以て冬至の影の長さの数を尽くし、表面に双水溝を設けて平准とし、溝の両側に尺寸分數を刻み、また二十四気の岳台における景で得た尺寸を刻み、司天監に置いた。三年間候うと、気節が旧暦より半日遅れることを知った。これにより書三巻を成し、『岳台晷景新書』と命じ、前代の測候の是非と歩算の法を論じているのが頗る詳しい。既に上奏すると、詔して翰林學士范鎮に序を為させて記させた。周琮は、二十四気で得た尺寸は、顕徳の『欽天暦』の王樸の算より密であるという。今、気の盈縮を載せ、採用に備える。

小雪、皇祐元年己丑十月十九日戊寅

新表による測影長一丈一尺三寸五分、王朴の算による影長一丈一尺三寸九分、新法による算影長一丈一尺三寸四分小分四十八。

二年庚寅十月二十九日癸未、雲陰のため測れず。

三年辛卯十月十日戊子

新表による測影長一丈一尺三寸、王朴の算による影長一丈一尺四寸七分、新法による算影長一丈一尺二寸九分小分九十八。

大雪、元年己丑十一月四日癸巳。雲陰のため測れず。

二年庚寅十一月十五日戊戌

新表による測影長一丈二尺四寸五分半、王朴の算による影長一丈二尺四寸五分、新法による算影長一丈二尺四寸四分小分二十五。

冬至、元年己丑十一月十九日戊申

新表の測影長は一丈二尺八寸五分、王朴の算影長は一丈二尺八寸六分、新法の算影長は一丈二尺八寸五分。

二年庚寅十一月三十日癸丑

新表の測影長は一丈二尺八寸四分、王朴の算影長は一丈二尺八寸六分、新法の算影長は一丈二尺八寸五分。

三年辛卯十一月十二日己未、雲陰のため測れず。

小寒、元年己丑十二月四日癸亥

新表の測影長は一丈二尺四寸、王朴の算影長は一丈二尺四寸八分、新法の算影長は一丈二尺四寸小分十五。

二年庚寅閏十一月十五日戊辰、雲陰のため測れず。

三年辛卯十一月二十七日甲戌

新表の測影長は一丈二尺三寸七分、王朴の算影長は一丈二尺四寸八分小分二十六。

大寒、元年己丑十二月十九日戊寅、雲陰のため測れず。

二年庚寅十二月一日甲申

新表の測影長は一丈一尺一寸七分、王朴の算影長は一丈一尺四寸四分、新法の算影長は一丈一尺一寸八分小分四十。

三年辛卯十二月十二日己丑、雲陰のため測れず。

立春、二年庚寅正月六日甲午、雲陰のため測れず。

三年辛卯十二月十六日己亥、雲陰のため測れず。

四年壬辰十二月二十七日甲辰

新表による測量の影の長さは九尺六寸七分半、王朴の算法による影の長さは一丈一寸五分、新法による算法の影の長さは一丈六寸八分小分七

雨水、二年庚寅正月二十一日己酉、雲陰のため測量せず

三年辛卯正月二日甲寅

新表による測量の影の長さは八尺一寸半分、王朴の算法による影の長さは八尺五寸、新法による算法の影の長さは八尺九寸小分七十六

四年壬辰正月十二日己未

新表による測量の影の長さは八尺一寸二分半、王朴の算法による影の長さは八尺六寸一分、新法による算法の影の長さは八尺一寸二分小分一十八

驚蟄、二年庚寅二月七日甲子

新表による測量の影の長さは六尺六寸三分、王朴の算法による影の長さは六尺八寸五分、新法による算法の影の長さは六尺六寸三分小分三十九

三年辛卯正月十七日己巳

新表による測量の影の長さは六尺六寸五分、王朴の算法による影の長さは六尺八寸五分、新法による算法の影の長さは六尺六寸五分小分六十八

四年壬辰正月二十八日乙亥、雲陰のため測量せず

春分、二年庚寅二月二十三日己卯

新表による測量の影の長さは五尺三寸五分、王朴の算法による影の長さは五尺二寸七分、新法による算法の影の長さは五尺三寸四分小分七十七

三年辛卯二月四日乙酉、雲陰のため測量せず

四年壬辰二月十四日庚寅

新表の測影長は五尺三寸一分、王朴の算影長は五尺二寸七分、新法の算影長は五尺三寸小分七十二。

清明、二年庚寅三月八日乙未

新表の測影長は四尺二寸、王朴の算影長は三尺八寸九分、新法の算影長は四尺一寸八分小分六十一。

三年辛卯二月十九日庚子、雲陰にして測らず。

四年壬辰二月二十九日乙巳

新表の測影長は四尺二寸二分、王朴の算影長は三尺九寸六分、新法の算影長は四尺二寸一分小分八十五。

穀雨、二年庚寅三月二十三日庚戌、雲陰にして測らず。

三年辛卯三月四日乙卯

新表の測影長は三尺三寸、王朴の算影長は二尺九寸六分、新法の算影長は三尺二寸九分小分八十六。

四年壬辰三月十五日庚申

新表の測影長は三尺三寸一分半、王朴の算影長は三尺一寸、新法の算影長は三尺三寸一分小分一十六。

立夏、二年庚寅四月九日乙丑

新表の測影長は二尺五寸七分、王朴の算影長は二尺三寸、新法の算影長は二尺五寸六分小分二十八。

三年辛卯三月十九日庚午

新表による測影の長さは二尺五寸七分半、王朴の算法による影長は二尺三寸、新法による算法の影長は二尺五寸七分小分四十二。

四年壬辰三月三十日乙亥

新表による測影の長さは二尺五寸八分半、王朴の算法による影長は二尺三寸四分、新法による算法の影長は二尺五寸八分小分四十四。

小満、二年庚寅四月二十四日庚辰

新表による測影の長さは二尺三分、王朴の算法による影長は一尺八寸六分、新法による算法の影長は二尺三分小分五十一。

三年辛卯四月五日乙酉

新表による測影の長さは二尺三分半、王朴の算法による影長は一尺八寸六分、新法による算法の影長は二尺三分小分五十一。

四年壬辰四月十六日辛卯、雲陰のため測れず。

芒種、二年庚寅五月九日乙未

新表による測影の長さは一尺六寸九分、王朴の算法による影長は一尺六寸、新法による算法の影長は一尺六寸半分小分九十七。

三年辛卯四月二十一日辛丑

新表による測影の長さは一尺六寸七分、王朴の算法による影長は一尺五寸九分、新法による算法の影長は一尺六寸七分小分八十四。

四年壬辰五月二日丙午

新表による測影の長さは一尺六寸八分半、王朴の算法による影長は一尺六寸、新法による算法の影長は一尺六寸八分小分二十。

夏至、二年庚寅五月二十五日辛亥

新表の測影長は一尺五寸七分半、王朴の算影長は一尺五寸一分、新法の算影長は一尺五寸七分。

三年辛卯五月七日丙辰、雲陰のため測れず。

四年壬辰五月十七日辛酉、

新表の測影長は一尺五寸七分、王朴の算影長は一尺五寸一分、新法の算影長は一尺五寸七分。

小暑、二年庚寅六月十一日丙寅、雲陰のため測れず。

三年辛卯五月二十二日辛未、

新表の測影長は一尺六寸九分半、王朴の算影長は一尺六寸、新法の算影長は一尺六寸九分小分七十五。

四年壬辰六月三日丙子、雲陰のため測れず。

大暑、二年庚寅六月二十六日辛巳、

新表の測影長は二尺四寸、王朴の算影長は一尺八寸五分、新法の算影長は二尺四分小分九十七。

三年辛卯六月七日丙戌。

新表の測影長は二尺二分太、王朴の算影長は一尺八寸五分、新法の算影長は二尺四分小分二十四。

四年壬辰六月十九日壬辰、

新表の測影長は二尺五分、王朴の算影長は一尺八寸七分、新法の算影長は二尺六分小分五十三。

立秋、二年庚寅七月十一日丙申、

新表の測影長は二尺五寸九分、王朴の算影長は二尺二寸九分、新法の算影長は二尺五寸九分小分五十一。

三年辛卯六月二十三日壬寅

新表の測影長は二尺六寸一分半、王朴の算影長は二尺三寸三分、新法の算影長は二尺六寸二分小分七十三。

処暑、二年庚寅七月二十七日壬子、雲陰のため測れず。

三年辛卯七月九日丁巳

新表の測影長は三尺三寸六分、王朴の算影長は三尺、新法の算影長は三尺三寸六分小分六十五。

四年壬辰七月十九日壬戌、雲陰のため測れず。

白露、二年庚寅八月十三日丁卯、雲陰のため測れず。

三年辛卯七月二十四日壬申、雲陰のため測れず。

四年壬辰八月五日丁丑、雲陰のため測れず。

秋分、二年庚寅八月二十八日壬午、雲陰のため測れず。

三年辛卯八月九日丁亥

新表の測影長は五尺三寸八分、王朴の算影長は五尺二寸一分、新法の算影長は五尺三寸八分小分六十九。

四年壬辰八月二十日壬辰、雲陰のため測れず。

寒露、二年庚寅九月十三日丁酉、雲陰のため測れず。

三年辛卯九月二十四日壬寅

新表の測影長は六尺六寸七分、王朴の算影長は六尺八分、新法の算影長は六尺六寸七分小分八十八。

四年壬辰九月六日戊申

新表の測影長は六尺七寸三分半、王朴の算影長は六尺九寸一分、新法の算影長は六尺七寸四分小分八十四。

霜降、二年庚寅九月二十八日壬子

新表の測影長は八尺一寸六分、王朴の算影長は八尺四寸五分、新法の算影長は八尺一寸四分小分七十。

三年辛卯九月十日戊午、雲陰のため測れず。

四年壬辰九月二十一日癸亥

新表の測影長は八尺二寸、王朴の算影長は八尺五寸六分、新法の算影長は八尺一寸九分小分六十六。

立冬、二年庚寅十月十四日戊辰

新表の測影長は九尺八寸半分、王朴の算影長は一丈一寸、新法の算影長は九尺八寸一分小分二十五。

三年辛卯九月二十五日癸酉

新表の測影長は九尺七寸九分、王朴の算影長は一丈一寸、新法の算影長は九尺七寸八分小分六十三。

四年壬辰十月六日戊寅

新表の測影長は九尺七寸六分、王朴の算影長は一丈一寸、新法の算影長は九尺七寸六分小分一十。

測影を正して時刻の早晚を定む

後漢の熹平三年、『四分暦』の志に立冬の中気の影の長さ一丈、立春の中気の影の長さ九尺六寸とある。冬至の南極を尋ねれば、日影最も長し。二気の冬至より去る日数既に同じければ、則ち中気の影応に等しかるべし。然るに前は長く後は短く、頓に四寸差あり。此れ暦の影、冬至を後天せしむるの験なり。二気の中気の影、日の差九分半弱、進退均しく調い、略く盈縮無し。率を以て之を計へば、二気各二日十二刻退き、則ち晷影の数、立冬は更に短く、立春は更に長く、並びに二寸差ひ、二気の中気の影倶に九尺八寸長し。即ち立冬・立春の正日なり。此を以て之を推せば、暦の冬至を置くこと後天すること亦二日十二刻なり。熹平三年、時の暦は丁丑冬至、加時正に日中に在り。二日十二刻を以て之を減じ、定めて乙亥冬至とし、加時は夜半後二十八刻に在り。『宋志』に大明五年十月十日、影一丈七寸七分半。十一月二十五日、影一丈八寸一分太。二十六日、一丈七寸五分強。其中を折り取れば、則ち中天の冬至応に十一月三日に在るを求めて其の早晚を求む。後二日の影相減ずるを令すれば、則ち一日の差率なり。之を倍して法と為す。前二日減じ、百刻を以て之を乗じ、実と為す。法を以て実を除し、冬至の加時は夜半後三十一刻に在るを得。『元嘉暦』の後一日、天数の正なり。量りて弥年を検すれば、則ち加減均しく同じ。異歳相課すれば、則ち遠近応率なり。二家の説を観るに、略して通ぜず。熹平は乃ち其中を要取して、至前・至後の余を失ふ。大明は則ち左右の率にして、実と為し法と為すの数を失ふ。夫れ景を較へ気を定むるは、暦家最も急務なり。古を観て較験するに、只だ冬至前後数日の間に止まり、以て加時の早晚を定む。且つ影の差行は、二至の前後当たり、進退微芒の間に在り。又日は変行有り、盈縮稍く異なり。若し之を以て准と為さば、則ち加時相背く。又晋・漢の暦術は、多く前後測りたる晷を以て其中を要取す。此も亦半日を差し過ぐ。今比歳較験するに、立冬・立春に影寸を移し過ぐ。若し加時を較取せば、則ち宜しく其の相近き者を以て通計し、之を半して距至の泛日と為すべし。乃ち其の晷数を相減じ、余る者を法に乗じ、其の日の晷差に満てて一と為し、刻と為す。乃ち差刻を以て冬至を求め、其の前の晷を視、多ければ則ち減と為し、少なければ則ち加と為す。夏至を求めば之に返す。

距至の泛日に加減し、定日と為す。仍て半日の刻を加へ、前の距日の辰より命じ、算外、即ち二至の加時の日辰及び刻分なり。此くの如く推求すれば、則ち二至の加時の早晚験ふ可し。

皇祐岳台の晷景法

『大衍』の載する日及び『崇天』の定差の率に按ずるに、号して通密と雖も、然れども上下交応の理を尽くす能はず、則ち晷度契に合する由無し。今新法を立て、上は盈縮の行に符し、下は句股の数に参らしめ、算する所の尺寸天に測験して、先後無からしむ。其の術曰く、二至後の日数を計り、乃ち二至の約余を減去し、仍て半日の分を加ふ。即ち求めざる日の午中の積数なり。而して之を置きて進退の差分を求めむ。進退の差分を求むる者は、中積の数を置く。一象九十一日三十二分以下の如きは前と為す。一象以上の如きは、返って二至限一百八十二日六十一分を減じ、余りは後と為す。前後の度を上に置き、二百を下に列す。上を以て下を減じ、余りを下に乗じ、四千一百三十五に満てて之を除して分と為し、満たざれば退除して小分と為す。冬至後なれば即ち進差と為し、夏至後なれば即ち退差と為す。

仍て初・末の二限を列す。初・末限に入るを求むる者は、求めざる日の午中の積数を置く。日の冬至後初限・夏至後末限の数四十五日六十二分以下なれば、即ち求めざる所の初限に在ると為す。若し已上に在るが如きは、乃ち返って二至限を減じ、余り即ち求めざる所の末限に入ると為す。其の冬至後末限・夏至後初限は、一百三十七日を率と為す。

用て午中の晷数を求む。午中の晷数を求むる者は、求めざる所を視る。若し冬至後初限・夏至後末限に入るが如きは、限に入る日を以て一千九百三十七半を減じ、余りを泛差と為す。仍て限日の分を以て其の進退差に乗じ、五因百約し、用て泛差を減じ、定差と為す。乃ち限に入る日分自ら相乘じ、以て定差に乗じ、一百万に満てて尺と為し、満たざれば寸・分及び小分と為し、以て冬至の常晷一丈二尺八寸五分を減じ、余り其の日の午中の晷数と為す。若し求めざる所の冬至後末限・夏至後初限に入るが如きは、乃ち三約して限に入る日分を以て四百八十五少を減じ、余りを泛差と為す。仍て進退差を以て極数を減じ、余る者若し春分後・秋分前に在れば、直に四約し、以て泛差に加へ、定差と為す。若し春分前・秋分後に在れば、乃ち二分を去る日数及び分を以て之に乗じ、六百に満てて一と為し、以て泛差を減じ、余りを定差と為す。用て限に入る日分自ら相乘じ、以て定差に乗じ、一百万に満てて尺と為し、満たざれば寸・分及び小分と為し、以て夏至の常晷一尺五寸七分に加ふ。即ち其の日の午中の晷数と為す。若し周歳暦を用ゐば、直に其の日の晷景の損益差分を以て其の日の午中の余に乗じ、法に満てて之を約し、乃ち其の下の晷数を損益す。即ち其の日の午中の定晷なり。

此くの如く推求すれば、則ち上下通応の理、句股斜射の原、皆視験す可し。乃ち岳台の晷景周歳の算数を具す。