宋史

志第二十七 律暦七

『崇天暦』は施行されて嘉祐の末に至り、英宗即位の際、殿中丞・判司天監周琮及び司天冬官正王炳、丞王棟、主簿周応祥、周安世、馬傑、霊台郎楊得言に命じて新暦を作らせ、三年にして完成した。周琮が言うには、「旧暦は気節の加時に於いて、半日後天し、五星の運行は半次差違し、日食の候は十刻の差あり」と。既にして司天中官正舒易簡と監生石道、李遘が更に家学を陳述した。ここに詔して翰林学士范鎮、諸王府侍講孫思恭、国子監直講劉攷に是非を考定させ、上は『尚書』の「辰弗集于房」と『春秋』の日食を推し、今の暦の候う所と参酌したところ、易簡、道、遘等の学ぶ所は疎闊にして用いるべからず、新書は密なり。遂に名を『明天暦』と賜い、詔して翰林学士王珪にその序を作らせ、周琮もまた義略を為してその首に冠した。今その暦法を後に記す。

調日法朔余、周天分、斗分、歳差、日度母附

暦を作るの法は、必ず先ず元を立て、元正して然る後に日法を定め、法定して然る後に周天を度り、以て分・至を定む。この三者に程あれば、則ち暦は成るべし。日とは、積余してこれを成し、度とは、積分してこれを成す。蓋し日月始めて離るるに、初行して分を生じ、積分して日となる。『四分暦』より古の六暦に至るまで、皆九百四十を以て日法と為す。率ねば日一度を行き、三百六十五日四分の一を経る、是れ周天と為す。月は十三度十九分の七を行き、二十九日余りを経て、日と相会す、是れ朔策と為す。史官は当に日月の運行を会集し、以て合朔を求むべし。

漢の太初より今に至るまで、冬至十日を差し、劉歆の『三統』の如く復た古に強いるが故に、先儒これを最も疎なりと謂う。後漢の劉洪は『四分』を考験し、天に合わざるを以て、乃ち朔余を減じ、苟くも時に合わんことを求む。是より以降、率意に加減し、以て日法を作る。宋の世に何承天は更に四十九分の二十六を強率と為し、十七分の九を弱率と為し、強弱の際に於いて日法を求む。承天の日法七百五十二は、十五強一弱を得たり。その後暦を治むる者は、承天の法に因らず、強弱の数を累ねるもの莫からず、皆日月に自然の合会の数有るを悟らず。

今稍々その失を悟り、新暦を定めて三万九千を以て日法と為し、六百二十四万を度母と為し、九千五百を斗分と為し、二万六百九十三を朔余と為す。以て上は古に稽え、下は今に験し、反覆推求すれば、若し繩準に応ず。又に二百三十万一千を以て月行の余と為す。月行十三度の余なり。

一百六十万四百四十七を以て日行の余と為す。日行周天の余なり。

乃ち日月の運行を会し、盈不足を以てこれを平らげ、盈不足を並べる、是れ一朔の法と為す。日法なり、名けて元法と曰う。

今は乃ち大月を以て不足の数を乗じ、小月を以て盈行の分を乗じ、平らげてこれを並ぶ、是れ一朔の実と為す。周天分なり。

法を以て実を約し、日月相会の数を得、皆等数を以てこれを約し、悉く今有の数を得。盈は朔虚と為し、不足は朔余と為す。

又二法相乘じて本母と為し、各母互いに乗じ、以て周天を減ずれば、余は則ち歳差ここに生ず。亦等数を以てこれを約し、即ち歳差、度母、周天実用の数を得。この一法、理極めて幽眇、所謂反覆相求め、潜遁相通じ、数に冥符有り、法に偶会有り、古の暦家皆達せざる所なり。等数を以てこれを約し、三万九千を元法と得、九千五百を斗分と得、二万六百九十三を朔余と得、六百二十四万を日度母と得、二十二億七千九百二十万四百四十七を周天分と得、八万四百四十七を歳差と得。

歳余:九千五百。古暦に曰く斗分。

古は周天三百六十五度四分度の一を以てす、是れ斗分と為す。正を中に挙げ、上は往古に稽え、下は当時に験し、反覆参求し、符に合い準に応じ、然る後に百代に施行し、不易の術と為す。その後暦を治むる者は、今の冬至の日を測り、用いて古法を校し、盈に過ぐれば、万を以て母と為し、諸気分を課し、率ね二千五百以下、二千四百二十八以上を中平の率と為す。新暦の斗分九千五百、万を以てこれを平らげ、二千四百二十五半盈を得、中平の数を得たり。而して三万九千年に冬至の小余九千五百日と成り、朔実一百一十五万一千六百九十三に満ち、年は日分に斉しく、而して気朔相会す。

歳周:一千四百二十四万四千五百。元法を以て三百六十五度を乗じ、内に斗分九千五百を入れ、これを得る、即ち一歳の日分と為す、故に歳周と曰う。若し二十四を以てこれを均すれば、十五日、余八千五百二十、秒十五を得、一気の策と為す。

朔実:一百一十五万一千六百九十三。本来は日月の運行を合わせ、盈不足を平らかにして二万六百九十三を得る。これが朔余であり、調日法術の中に備わる。

これが四象全策の余である。今、元法をもって四象全策二十九を乗じ、総べてこれを併せると、これが一朔の実となる。古い暦では百万をもって朔余の分を平らかにし、五十三万六百以下、五百七十以上を得る。これが中平の率である。新暦では百万をもって平らかにし、五十三万五百八十九を得て、中平の数となる。もし四象で均すと、七日、余り一万四千九百二十三、秒を得る。これが弦策である。

中盈・朔虚分:閏余を附す

日月は会朔を正とし、気序は斗建を中とする。故に気が進んで盈分が存する。中節両気の策を置き、一月の全策三十を以てこれを減ずる。毎に中気に至れば、即ち一万七千四十、秒十二となる。これが中盈分である。朔が退いて虚分が列なる。一月の全策三十を置き、朔策及び余を以てこれを減ずる。余り一万八千三百七となる。これが朔虚分である。中盈・朔虚分を綜べ、閏余が章となる。閏余三万五千三百四十五、秒十三。

消息に従って自ら至り、盈虚を以て名づく。

紀法:六十。《易》の乾象の爻は九、坤象の爻は六、震・坎・艮の象の爻は皆七、巽・離・兌の象の爻は皆八。八卦の数を綜べると凡そ六十、また六旬の数である。紀とは終わりなり、数が八卦に終わる故に紀を以て名づく。

天正冬至:大余五十七、小余一万七千。先ず立冬の晷景を測り、次に立春の晷景を測り、近い者を取り通計し、半ばして、距至泛日とする。乃ち晷数を以て相減じ、余る者を法に乗じ、その日の晷差に満てて一とし、差刻とする。乃ち差刻を以て冬至を求め、その前の晷が多いならば則ち減とし、少なければ則ち加とする。夏至を求める者はこれに反す。

距至泛日に加減して、定日とする。仍って半日の刻を加え、前の距日辰より命じ、算外とすれば、即ち二至の加時の日辰及び刻分の所在となる。このように推求すれば、則ち加時と日晷と相協う。今、積歳四百一年を須つ。治平元年甲辰歳、気積年なり。

則ち冬至の大余・小余は今と適会す。

天正経朔:大余三十四、小余三万一千。閏余八十八万三千九百九十。

これは日月の交食の加時の早晚を検括してこれを定め、損益は夜半後にあり、戊戌の日を得て、方程を以て約してこれを斉う。今、積歳七十一万一千七百六十一を須つ。治平元年甲辰歳、朔積年なり。

則ち経朔の大余・小余は今有の数と、閏余を偕えて相会す。

日度歳差:八万四百四十七。《書》は正南の星を挙げて四方を正す。蓋し先王は時を明らかにして人に授け、天に奉じて物を育む。然るに先儒の述ぶるところ、互いに同異有り。虞喜云く、「堯の時、冬至に日短く星昴なり。今二千七百余年、乃ち東壁の中に在り。則ち知る、毎歳漸差の至る所を。」また何承天云く、「《堯典》:'日永く星火、以て仲夏を正す;宵中に星虚、以て仲秋を正す。'今、中星を以てこれを校ぶるに、差ること二十七八度。即ち堯の時、冬至、日に須女十度に在り。」故に祖沖之が《大明暦》を修め、始めて歳差を立て、率四十五年九月に一度を退く。虞鄺・劉孝孫等これに因り、各々増損有り、以て新法を創む。もし虞喜の験に従えば、昴中ならば則ち五十余年に日一度を退く。もし承天の験に依れば、火中ならばまた百年に及ばずして日一度を退く。後の《皇極》は両暦の率を綜べて中を取らんと要す。故に七十五年にして一度を退く。これはその意を通じてその微を尽くさず。今は則ち別に新率を調べ、歳差を改めて立て、大率七十七年七月、日一度を退く。上元を虚九に命ず。以て上は往古を覆い、下は今に逮ぶべし。帝堯以来、循環して考験すれば、新暦の歳差は皆その中を得て、最も親近なり。

周天分:二十二億七千九百二十万四百四十七。本来は日月の運行を斉え、会合朔を得る。調日法に在り。

上は仲康の房・宿の交を考し、下は薑岌の月食の沖を験す。三十年の間、もし準縄に応ずれば、則ち新暦の周天は自然冥符の数有り、最も密近なり。

日躔盈縮定差:張胄玄は損益率を盈縮數と称し、劉孝孫は盈縮數を朏朒積と為し、『皇極』には陟降率・遲疾數あり、『麟德』は先後・盈縮數と曰い、『大衍』は損益・朏朒積と曰い、『崇天』は損益・盈縮積と曰う。古曆の平朔の日に当たりて、月或いは東方に朝覿し、夕に西方に見ゆれば、則ち史官これを朏朒と謂う。今、日行の盈縮する所、月行の遲疾する所を以て、皆これを損益し、或いは其の日を進退して、以て定朔と為せば、則ち舒亟の度は、乃ち勢數の然らしむる所にして、失政の致す所に非ざるなり。新曆は七千一を以て盈縮の極と為し、其の数は月離と相錯し、而して損益・盈縮を名と為せば、則ち文約にして義見る。

升降分:『皇極』の躔衰に陟降率あり、『麟徳』は日景差・陟降率・日晷景消息を以て之を為し、義軌漏に通ず。南至の後、日行漸く升り、極に近く去る、故に晷短くして万物皆盛なり;北至の後、日行漸く降り、極に遠く去る、故に晷長くして万物浸く衰う。『大衍』以下、皆『麟徳』に従う。今曆は日行の升降を消息し、積みて盈縮と為す。

赤道宿:漢の百二年に曆を造るを議し、乃ち東西を定め、晷儀を立て、漏刻を下し、以て二十八宿の四方に相距るを追い、赤道宿度は則ち其の法なり。其の赤道は、斗二十六度及び分、牛八度、女十二度、虚十度、危十七度、室十六度、壁九度、奎十六度、婁十二度、胃十四度、昴十一度、畢十六度、觜二度、参九度、井三十三度、鬼四度、柳十五度、星七度、張十八度、翼十八度、軫十七度、角十二度、亢九度、氐十五度、房五度、心五度、尾十八度、箕十一度、自ら後相承して之を用う。唐の初めに至り、李淳風渾儀を造り、亦た改むる所無し。開元中、浮屠一行『大衍曆』を作り、詔して梁令瓚に黄道遊儀を作らしめ、測り知るに畢・觜・参及び輿鬼の四宿の赤道宿度、旧と同じからず。畢十七度、觜一度、参十度、鬼三度。

一行の後より、因りて相沿襲し、下りて五代に更え、増損する所無し。仁宗皇祐の初めに至り、始めて詔有りて黄道渾儀を造り、銅を鑄して之を為す。自ら後赤道宿度を測験するに、又た一十四宿一行の測る所と同からず。斗二十五度、牛七度、女十一度、危十六度、室十七度、胃十五度、畢十八度、井三十四度、鬼二度、柳十四度、氐十六度、心六度、尾十九度、箕十度。

蓋し古今の人、八尺の圓器を以て、以て天體を盡さんと欲すれば、決して其の難きを知る。又況んや圖本の指す所の距星、傳習に差有り、故に今の赤道宿度古と同からず。漢の太初後より唐の開元曆を治むるの初めに至るまで、凡そ八百年の間、悉く更易無し。今と雖も測験旧と同からず、亦た歳月未だ久しからず。新曆両つ其の数を備え、淳風の旧に従うの意の如し。

月度轉分:『洪範傳』に曰く、「晦にして月西方に見ゆるを朏と謂う。月未だ合朔せず、日の後に在り;今、日の前に在り、太だ疾しきなり。朏は、人君舒緩・臣下驕盈專權の象なり。朔にして月東方に見ゆるを側匿と謂う。合朔すれば則ち月と日合す、今、日の後に在り、太だ遲しきなり。側匿は、人君嚴急・臣下危殆恐懼の象なり。」盈なれば則ち進み、縮なれば則ち退く、躔離九道、三旬に周合し、其の變行を考うるに、自ら常數有り。『傳』に稱する、人君に舒疾の變有りと、未だ月に遲速の常有るに達せず。後漢の劉洪粗く其の旨を通ず。爾後曆を治むる者多く旧法に循い、皆遲疾の分を考え、平會の朔を増損し、月後定めて日に追い及ぶの際を得て定朔を生ず。加時の早晚に至りては、或いは速く或いは遲きは、皆轉分の強弱の致す所なり。旧曆轉分を課するに、九分の五を以て強率と為し、一百一分の五十六を以て弱率と為し、乃ち強弱の際に於いて秒を求む。新曆轉分二百九十八億八千二百二十四萬二千二百五十一、一百萬を以て之を平らにすれば、二十七日五十五萬四千六百二十六を得、最も中平の数を得たり。旧曆日餘を置きて朏朒の数を求め、衰次倫ならず。今其の度に従いて遲疾漸有り、月の課験、稍く天度に符す。

轉度母:轉法・會周を附す。

本より朔分を周天に並べるを以て、是を會周と為す。一朔の月の常度なり、名づけて周本母と曰う。

其の朔差を去るを轉終と為す、朔差は乃ち終外の数なり。

各等数を以て之を約すれば、即ち實用の数を得。乃ち等数を以て本母を約して轉度母と為す、齊数なり。

又等数を以て月分を約して轉法と為す、亦た名づけて轉日法と曰う。

轉法を以て轉終を約すれば、轉日及び餘を得。本曆此の数を創立するは、皆古曆の未だ有らざる所なり。約して八千一百一十二萬を轉度母と為し、二百九十八億八千二百二十四萬二千二百五十一を轉終分と為し、三百二十億二千五百一十二萬九千二百五十一を會周と為し、一十億八千四百四十七萬三千を轉法と為し、二十一億四千二百八十八萬七千を朔差と為す。

月離遲疾定差:『皇極』に加減限・朏朒積有り、『麟徳』は増減率・遲疾積と曰い、『大衍』は損益率・朏朒積と曰い、『崇天』も亦た損益率・朏朒積と曰う。所謂、日平行に及ばざれば則ち之を損し、平行を過ぐれば則ち之を益すは、陽に従うの義なり;月平行に及ばざれば則ち之を益し、平行を過ぐれば則ち之を損すは、陰を禦うの道なり。陰陽相錯して損益・遲疾を以て名と為す。新曆は一萬四千八百一十九を以て遲疾の極と為し、而して五度八分を得、其の数は躔と相錯し、以て合食加時の早晚を知るべし。

進朔:進朔の法、『麟徳』に興る。自ら後諸曆、因りて法を立て、互いに同じからず。仮令仲夏月朔月行極めて疾しきの時、合朔は当に亥正に於いてすべし、若し進朔せざれば、則ち晨にして月東方に見ゆ;若し『大衍』に従わば、当に戌初に進朔すべく、則ち朔日の夕、月西方に生ず。新曆は朔日の餘を察し、月行の徐疾を験し、法率を變えて立て、加時に参験し、常に定朔小餘を視る:秋分後四分法の三已上なる者は、一日を進む;春分後定朔晨分春分の日の如く差ある者は、之を三約し、以て四分之二を減ず;定朔小餘此の数已上なる者は、亦た進み、来日を以て朔と為す。俾ち迴圈して度に合い、月朔晨に見えず;交會差無く、明必ず朔夕に藏る。加時午中に在れば、則ち晦日の晨二日の夕と同じく、皆月見に合す;加時酉中に在れば、則ち晦日の晨尚ほ見え、二日の夕未だ生ぜず;加時子中に在れば、則ち晦日の晨見えず、二日の夕以て生ず。晦朔を定め、乃ち月見の晨夕知るべし;小余を課し、則ち加時の早晏失うこと無し。坦然として惑わず、類に觸れて之を明らかにせしむ。

消息数:漏刻に因りて名を立て、その義は晷景に通ず。『麟徳』暦の差を屈伸率と曰う。天の昼夜は、『易』の進退の象なり。冬至に一陽爻生じて晷道漸く昇り、夜漏益々減ずるは、君子の道の長ずる象なり、故に息と曰う。夏至に一陰爻生じて晷道漸く降り、夜漏益々増すは、君子の道の消ゆる象なり、故に消と曰う。表景は陽と沖たるもの、晦に従う者なり、故に夜漏の長短と同ず。今、屈伸を以て太陰の行を象り、刻差を消息数と曰う。黄道の極を去るは、日の行に南北有るが故に、晷漏に長短有り。然れども景差の徐疾同じからざるは、句股之れを然らしむるなり。景直ちに晷中に在れば則ち差遅く、句股の数と斉しければ則ち差急なり、北極の高下に随い、遇う所同じからず。其の黄道去極の度数と日景・漏刻・昏晩中星と反覆相求め、消息率を用い、日景を歩みて黄道を稽え、黄道に因りて漏刻を生じ、以て中星を正す。四術旋相ひて中と為り、以て九服の変に合わしむ。約にして知り易く、簡にして従い易し。

六十四卦:十二月卦は孟氏に出で、七十二候は『周書』に原る。後に宋景業、劉洪の伝うる卦に因り、李淳風、旧暦元図に据う。皆未だ陰陽の賾を睹ず。開元中に至り、浮屠一行、揚子雲の『太玄経』を考へ、其の数を錯綜し、周公の三統を索隠し、時訓を糾正し、其の変通を参じ、爻象に著す。『易』象に深達せざれば、孰か能く此に造らんや。今の修むる所は、一行の旧義に循い、周策分率に至っては、数に随い遷変す。夫れ六十卦、常度全次の交に直る者は、諸侯の卦なり。竟に六日三千四百八、十六秒にして大夫之を受く。次に九卿之を受く。次に三公之を受く。次に天子之を受く。五六相錯じ、復た常月の次に協う。凡そ九三上九に応ずれば、則ち天微然として以て静かなり。六三上六に応ずれば、則ち地鬱然として以て定まる。九三上六に応ずれば即ち温く、六三上九に応ずれば即ち寒し。上爻陽なる者は風、陰なる者は雨。各其の直る所の爻を視、刊すべからざる象を察して、五等と君辟の得失・過与不及を知る。七十二候、李業興以来『麟徳』に至るまで、凡そ七家の暦、皆鶏始乳を以て立春初候と為し、東風解凍を次候と為し、其の余は以て次を承く。『周書』と相校するに、二十余日、舛訛益々甚だし。而して一行古義に改め従う。今も亦た『周書』を以て正と為す。

嶽台日晷:岳台とは、今の京師嶽台坊、地は浚儀と曰い、古に近き候景の所なり。『尚書・洛誥』に東土と称するは是れなり。『礼』玉人の職に「土圭長さ尺有五寸、以て日に致す」と。此れ即ち日に常数有るなり。司徒しとの職、圭を以て日晷を正す。「日至の景、尺有五寸、之を地中と謂う」。此れ即ち是れ地土中、日景を致して土圭と等しきなり。然れども表長さ八尺は、『周髀』に見ゆ。夫れ天に常運有り、地に常中有り、暦に正象有り、表に定数有り。日至と曰うは、其の此に至るを明らかにするなり。景尺有五寸圭と等しき者は、是れ其の景晷の真効なり。然れども夏至の日尺有五寸の景は、八尺の表に因らずして将に何を以てか得ん。故に経に夏至日景を見るは、表に定数有るを明らかにするなり。新暦周歳の中晷長短は、皆八尺の表を以て測候し、得る所を中晷常数と名づく。交会日月、天に象を成し、以て尊卑の序を弁ず。日は君道なり。月は臣道なり。謫食の変は、皆人事と相応ず。若し人君徳を修めて以て之を禳はば、則ち或は当に食すべくして食せず。故に太陰変行有りて以て日を避くれば、則ち食せず。五星日下に潜り、太陰の侮を禦ぎて扶救すれば、則ち食せず。交数に渉りて浅く、或は陽暦に在り、日光著しく盛んにして、陰気衰微なれば、則ち食せず。徳の休明にして小眚有れば、天之れ為に隠し、是を以て光微かに之を蔽い、交りと雖も而も食を見ず。此の四者は、皆徳感の繇りて致す所なり。『大衍暦議』に按ずるに、開元十二年七月戊午朔、当に食すべし。時に交阯より朔方に至るまで、同日度景測候の際、晶明にして雲無くして食せず。暦を以て之を推すに、其の日入交七百八十四分、当に八分半を食すべし。十三年、天正南至、東封の礼畢り、還りて梁・宋に次す。史官言う、「十二月庚戌朔、当に食すべし」と。帝曰く、「予方に先後の職を修めんとす。謫天に見ゆるは、是れ朕の不敏、以て上帝の休に対揚する無きなり」と。是に於て膳を徹し素服を以て之を俟つ。而して卒に食せず。位に在るの臣慶びを称えざる莫く、以て徳の天を動かす、終日を俟たずと謂う。暦を以て之を推すに、是の月入交二度弱、当に十五分の十三を食すべし。而るに陽光自若として、纖毫の変無し。算術乖舛と雖も、是の如くならざるべし。凡そ暦を治むるの道は、分を定むる最も微なり。故に毫釐を損益すれども、未だ其の正を得ざれば、則ち上り『春秋』以来の日月交食の載を考うるに、必ず差有る所あり。仮令暦を治むる者、開元の二食に因りて交限を変じ以て之に従わば、則ち協う所甚だ少なく、而して差失過多なり。此に由りて之を明らかにす。『詩』に云う、「此の日にして微なり」と。乃ち天の常数に非ざるなり。旧暦直ちに月行の入交を求む。今は則ち先ず交初の所在を課し、然る後に月行と更に相表裏し、務めて精数を通ぜんとす。

四正食差:正交は累壁の如く、漸く減ずれば則ち差有り。内に在れば食分多く、外に在れば食分少なし。交浅ければ則ち間遙かに、交深ければ則ち相薄し。観る所の地又偏り、食する所の時亦別なり。苟も地中に非ざれば、皆所在に随いて漸く異なり。縦え交分正しく等同しく南方に在るとも、冬は食すれば則ち多く、夏は食すれば乃ち少なし。仮に冬夏を均うすとも、早晚又殊なり。南北に処れば則ち高く、東西に居れば則ち下し。視るに斜正有り、理均しきを得ず。月陽暦に在り、古今の交食を校験するに、虧く所其の半を過ぎず。合せて四正食差を置けば、則ち斜正は卯酉の間に於て、損益は子午の位に於てし、務めて親密に従い、以て精微を考う。

五星立率:五星の行も、亦た日に因りて率を立て、以て尊卑の義を示す。日は四時を周り、照らさざる無きは、君道なり。星は列宿を分けて行くは、臣道なり。陰陽の進退、此に於て儀刑を取る。是を以て陽に当たりて進み、陰に当たりて退くは、皆其の常を得、故に之を加減す。古の推歩は、悉く皆順行なり。秦に至りて方に金・火の逆数有り。

『大衍』に曰く、「木星の行は諸星と稍異なり。商・周の際、率一百二十年にして一次を超ゆ。戦国の時に至り、其の行浸く急なり。中平の後に逮り、八十四年にして一次を超ゆ。此れより後、以て常率と為す」と。其の行や、初め日と合し、一十八日行四度、乃ち晨に東方に見ゆ。而して順行一百八日、計り行くこと二十二度強、而して留すること二十七日。乃ち退行四十六日半、退行五度強、日と相望む。旋て日を退き、又四十六日半、退行五度強、復た留すること二十七日。而して順行一百八日、行くこと十八度強、乃ち夕に西方に伏す。又十八日行四度、復た日と合す。

火星の運行は、初め太陽と合し、七十日間に五十二度行き、乃ち東方に晨見す。而して順行二百八十日、計二百一十六度半弱行き、而して十一日留まる。乃ち退行二十九日、九度退き、太陽と相望す。旋日して退き、又二十九日、九度退き、復十一日留まる。而して順行二百八十日、一百六十四度半弱行き、而して西方に夕伏す。又七十日、五十二度行き、復太陽と合す。

土星の運行は、初め太陽と合し、二十一日に二度半行き、乃ち東方に晨見す。順行八十四日、計九度半強行き、而して三十五日留まる。乃ち退行四十九日、三度半退き、太陽と相望す。乃ち旋日して退き、又四十九日、三度少退き、復三十五日留まる。又順行八十四日、七度強行き、而して西方に夕伏す。又二十一日、二度半行き、復太陽と合す。

金星の運行は、初め太陽と合し、五十八日半に四十九度太行き、而して西方に夕見す。乃ち順行二百三十一日、計二百五十一度半行き、而して七日留まる。乃ち退行九日、四度半退き、而して西方に夕伏す。又六日半、四度太退き、太陽と再合す。又六日半、四度太退き、而して東方に晨見す。又退行九日、逆行四度半し、而して復七日留まる。而して復順行二百三十一日、二百五十一度半行き、乃ち東方に晨伏す。又三十八日半、四十九度太行き、復太陽と会す。

水星の運行は、初め太陽と合し、十五日に三十三度行き、乃ち西方に夕見す。而して順行三十日、計六十六度行き、而して二日留まり、乃ち西方に夕伏す。而して退行十日、八度退き、太陽と再合す。又退行十日、八度退き、乃ち東方に晨見し、而して復三日留まる。又順行三十三日、三十三度行き、而して東方に晨伏す。又十五日、三十三度行き、太陽と復会す。

一行が云う、「五星の伏・見・留・逆の効、表・裏・盈・縮の行は、皆時に繋がり、政に験される。小失すれば小変し、大失すれば大変す。事微なれば象微なり、事章なれば象章なり。蓋し皇天譴を降して以て人主を警悟せしむ。又は或いは算者は象に昧く、占者は数に迷い、五星の失行を見て、悉く之を曆の舛なりと謂い、数と象を相参するに、両つながら其の実を喪う。凡そ校験の道は、必ず古今の注記を稽へ、上下を相距せしめ、反覆相求め、苟くも独り常に異なれば、則ち失行知るべし」と。

星行の盈縮:五星の差行は、惟だ火(星)尤も甚だし。乃ち南に狼坐を侵し、北に匏瓜に入り、変化超越し、独り常に異なる有り、是を以て日行の分、自ら盈縮有り。此れ乃ち天度の広狭相等しからず、気序の升降差有るに由る。今の升降の分を考へ、積もりて盈縮の数と為す。凡そ五星の入気加減は、張子信に興り、以後方士各自増損し、以て親密を求む。而して『開元曆』は別に四象六爻と為し、均しく以て進退す。今は則ち別に盈縮を立て、旧と異なる。

五星の見伏は、皆日度を以て規と為す。日度の運は、既に進退常ならず。星行の差も亦随って増損す。是を以て五星の見伏は、先ず日度の行を考ふ。今は則ち日行の盈縮を審らかにし、星躔の進退を究め、五星の見伏、率皆密近す。旧説に、水星晨応に見るも見えざるは雨水後・穀雨前に在り、夕応に見るも見えざるは処暑後・霜降前に在りと。又云う、五星卯酉の南に在れば則ち見遅く・伏早く、卯酉の北に在れば則ち見早く・伏遅しと。蓋し天勢之を然らしむるなり。

歩気朔術

演紀上元甲子の歳、治平元年甲辰より距ること、歳積七十一万一千七百六十、算外。上は往古を験し、毎年一算を減じ、下は将来を算し、毎年一算を加う。

元法:三万九千。

歳周:一千四百二十四万四千五百。

朔実:一百一十五万一千六百九十三。

歳周:三百六十五日、余九千五百。

朔策:二十九、余二万六百九十三。

望策:十四、余二万九千八百四十六半。

弦策:七、余り一万四千九百二十三、秒四半。

気策:十五、余り八千五百二十、秒十五。

中盈分:一万七千四十一、秒十二。

朔虚分:一万八千三百七。

閏限:百十一万六千三百四十四、秒六。

歳閏:四十二万四千百八十四。

月閏:三万五千三百四十八、秒十二。

没限:三万四百七十九、秒三。

紀法:六十。

秒母:十八。

天正冬至を求む:求めんとする積年を置き、歳周を以て之を乗じ、天正冬至気積分と為す。元法に満てば之を除して積日と為し、満たざるは小余と為す。日、紀法に盈てば之を去り、尽きざれば、甲子に命じ、算外し、即ち求めんとする年前の天正冬至の日辰及び余を得。

次気を求む:天正冬至の大余・小余を置き、気策を以て之を加へ、即ち次気の大余・小余を得。若し秒、秒母に盈てば小余に従ひ、小余、元法に満てば大余に従ひ、大余、紀法に満てば即ち之を去る。

大余を甲子に命じ、算外し、即ち次気の日辰及び余。余気は累ねて之を求む。

天正経朔を求む:天正冬至気積分を置き、朔実に満てば之を去りて積月と為し、尽きざるは閏余と為す。元法に盈てば日と為し、盈たざるは余と為す。以て天正冬至の大余・小余を減じ、天正経朔の大余・小余と為す。大余、減ずるに足らざれば、紀法を加へ、小余、減ずるに足らざれば、大余を退け、元法を加へて以て之を減ず。

大余を甲子に命じ、算外し、即ち求めんとする年前の天正経朔の日辰及び余を得。

弦・望および次朔の経日を求む:天正経朔の大餘・小餘を置き、弦策を累次に加へ、前に命ずるが如くす、即ち弦・望及び次朔の経日の日辰及び餘を得。

没日を求む:没有するの気の小餘を置く、二十四気の小餘、没限已上に在る者は、没有するの気と為す。

秒母を以て之を乗じ、其の秒之に従ふ。

用て七十一萬二千二百二十五を減じ、余を一萬二百二十五を以て除して没日と為し、満たざるを除と為す。没日を以て其の気の大餘に加へ、甲子に命じ、算外、即ち其の気の没日の日辰。

減日を求む:減有する経朔の小餘を置く、経朔の小餘、朔虚分に満たざる者は、減有するの朔と為す。

三十を以て之を乗じ、朔虚分に満て減日と為し、満たざるを餘と為す。減日を以て経朔の大餘に加へ、甲子に命じ、算外、即ち其の月の減日の日辰。

発斂術を歩む

候策:五、餘二千八百四十、秒五。

卦策:六、餘三千四百八、秒六。

土王策:三、餘一千七百四、秒三。

辰法:三千二百五十。

刻法:三百九十。

半辰法:一千六百二十五。

秒母:一十八。

七十二候を求む:各中節の大餘・小餘を置きて之に命じ、初候と為す;候策を以て之を加へ、次候と為す;又之を加へ、末候と為す。各甲子に命じ、算外、即ち其の候の日辰を得。

六十四卦を求む:各々中気の大餘・小餘に因りて之を命じ、公卦の用事日と為す;卦策を以て之に加へ、即ち次卦の用事日なり;土王策を以て諸侯の卦に加へ、十有二節の初の外卦用事日を得。

五行の用事日を求む:各々四立の節の大餘・小餘に因りて之を命じ、即ち春木・夏火・秋金・冬水の首めて用事する日なり;土王策を以て四季中気の大餘・小餘を減じ、甲子を命じ、算外、即ち其の月の土始めて用事する日なり。

発斂の加時を求む:各々小餘を置き、辰法を満てば之を除して辰数と為し、満たざる者は、刻法にて一たびを刻と為し、又満たざるを分と為す。辰数を子正より命じ、算外、即ち求めし加時の辰時を得。若し半辰の数を以て加へて之を命ずれば、即ち辰初後に入る刻数を得。

発斂の経朔より去るを求む:天正経朔の閏餘を置き、月閏を累次之に加へ、即ち每月の閏餘なり;元法を満てば之を除して閏日と為し、尽きざるを小餘と為し、即ち其の月中気の経朔より去る日及び餘秒を得。其の閏餘閏限を満てば、即ち閏を置くことを為し、月内中気無きを以て定と為す。

卦候の経朔より去るを求む:各々卦策・候策及び餘秒を以て累次之を加減し、中気前は減じ、中気後は加ふ。即ち各々卦・候の経朔より去る日及び餘秒を得。

歩日躔術

日度母:六百二十四萬。

周天分:二十二億七千九百二十萬四百四十七。

周天:三百六十五度。餘一百六十四萬四百四十七、約分二千五百六十四、秒八十二。

歳差:八萬四百四十七。

二至限:一百八十二度。餘二萬四千二百五十、約分六千二百一十八。

一象度:九十一。餘一萬二千一百二十五、約分三千一百九。

朔弦望の盈縮度に入るを求む:二至の限度及び餘を置き、天正閏日及び餘を以て之を減じ、餘を天正経朔の縮度に入る及び餘と為す;弦策を以て累次之に加へ、二至の限度及び餘を満てば之を去り、則ち盈は縮に入り、縮は盈に入りて互ひに之を得。即ち弦・望及び次経朔日の盈縮度に入る及び餘を得。其の餘を一萬を以て乗じ、元法を以て除し、即ち約分を得。

朔弦望の盈縮差及び定差を求む:各々朔・弦・望の盈縮度に入る及び約分を置き、象度分以下に在る者は初に在ると為し;已上なる者は、覆へ二至限を減じ、餘を末に在ると為す。初・末の度分を上に置き、二至を下に列べ、上を以て下を減じ、餘を下を以て上に乗じ、積数と為す;四千一百三十五を満てば之を除して度と為し、満たざれば、退除して分と為し、盈縮差度及び分と命ず。若し四百を以て積数を乗じ、五百六十七を満てば之を除し、盈縮定差と為す。若し立成を用ふる者は、其の度の損益率を以て度を乗じ除し、元法を満てば一たびと為し、所得を以て其の度下の盈縮積を損益し、定差度と為す;其の損益初・末分を二日に分つ者は、各々其の初・末に随ひて以て乗除す。其の後皆此の例の如し。

定気日を求む:冬・夏の二至は、盈縮の端にして、常を以て定と為す。餘者は其の気の得る所の盈縮差度及び分を以て、盈は減じ縮は加へ常気日及び約分に、即ち其の気の定日及び分と為す。

赤道宿度

斗宿:二十六度

牛宿:八度

女宿:十二度

虚宿:十度及び分

危宿:十七度

室宿:十六度

壁宿:九度

北方七宿九十八度。余り一百六十万四百四十七、約分二千五百六十四。

奎宿:十六度

婁宿:十二度

胃宿:十四度

昴宿:十一度

畢宿:十七度

觜宿:一度

参宿:十度

西方七宿八十一度

井宿:三十三度

鬼宿:三度

柳宿:十五度

星宿:七度

張宿:十八度

翼宿:十八度

軫宿:十七度

南方七宿一百一十一度

角宿:十二度

亢宿:九度

氐宿:十五度

房宿:五度

心宿:五度

尾宿:十八度

箕宿:十一度

東方七宿七十五度。

前記は皆赤道の度分であるが、『大衍暦』以下は、儀器を用いて測定し、これを常数とした。赤道とは、常道であり、天の半ばを縦横に貫き、黄道を規制する。

天正冬至の赤道日度を求めるには:歳差に求める積年を乗じ、周天分で割って剰余を除き、余りを周天分から減じ、残りを度母で除する。一度を一度とし、余りは度に満たない分とする。余りを一万倍し、度母で割って約分とする。

赤道虚宿六度を起点として除き、宿に満たないところまで除いたものが、求める年の天正冬至加時の赤道日躔の所在する宿度及び分である。

夏至の赤道加時日度を求めるには:天正冬至加時の赤道日度を置き、二至の限度及び分を加え、赤道宿度で割って剰余を除けば、即ち夏至加時の赤道日度を得る。もし二至の昏後夜半の赤道日度を求めるには、各々二至の日の約余を一万分から減じ、余りを二至加時の赤道日度に加えれば、即ち二至初日の昏後夜半の赤道日度となる。毎日一度を加え、赤道宿度で割って剰余を除けば、即ち毎日の昏後夜半の赤道日度を得る。

赤道宿積度を求めるには:冬至加時の赤道宿全度を置き、冬至の赤道加時日度を減じ、余りを距後度及び分とする。赤道宿度を累次加えれば、即ち各々その赤道の宿積度及び分を得る。

赤道宿積度の初限・末限への入りを求めるには、各々赤道宿積度及び分を置き、九十一度三十一分で割って剰余を除き、余りが四十五度六十五分半以下であれば(分は日を母とする)、初限にあるとする。

以上であれば、九十一度三十一分から減じ、余りを入末限度及び分とする。

二十八宿の黄道度を求めるには:各々赤道宿の初・末限度及び分を置き、一百一十一度三十七分から減じ、余りに初・末限度及び分を乗じ、一位進め、一万で割る。得たる所を、黄赤道差度及び分と称する。至後・分前では減じ、分後・至前では加え、皆赤道宿積度及び分に加減し、その宿の黄道積度及び分とする。前宿の黄道積度をその宿の黄道積度から減じ、その宿の黄道度及び分とする。その分は近くに太・半・少に配する。

黄道宿度

斗宿:二十三度半

牛宿:七度半

女宿:十一度半

虚宿:十度少、秒六十四。

危宿:十七度太。

室宿:十七度少。

壁宿:九度太。

北方七宿の総度分は九十七度半、秒六十四。

奎宿:十七度太。

婁宿:十二度太。

胃宿:十四度半。

昴宿:十度太。

畢宿:十六度。

觜宿:一度。

參宿:九度少。

西方七宿の総度分は八十二度。

井宿:三十度。

鬼宿:二度太。

柳宿:十四度少

星宿:七度

張宿:十八度太

翼宿:十九度半

軫宿:十八度太

南方七宿の総度は一百一十一度。

角宿:十三度

亢宿:九度半

氐宿:十五度半

房宿:五度

心宿:四度

朔・弦・望の盈縮差及び定差を求める:各々朔・弦・望の入る盈縮度及び約分を置く。もし象度分以下にある者は初に在ると為す。已上にある者は、覆して二至限を減じ、余りを末に在ると為す。初・末の度分を上に置き、二至を下に列べ、上を以て下を減じ、余りを下に乗じ上を以てし、積数と為す。四千一百三十五に満てばこれを除して度と為し、満たざれば、退除して分と為し、命じて盈縮差度及び分と曰う。もし四百を以て積数を乗じ、五百六十七に満てばこれを除し、盈縮定差と為す。もし立成を用いる者は、其の度の損益率に度除を乗じ、元法に満てば一とし、所得を以て其の度下の盈縮積を損益し、定差度と為す。其の損益の初・末分が二日に分かれる者は、各々其の初・末に随って以て乗除す。其の後皆此の例の如し。

定気の日を求める:冬・夏の二至は、盈縮の端なり、常を以て定と為す。余りの者は其の気の得る所の盈縮差度及び分を以て、盈れば減じ縮まば加え、常気の日及び約分に加え、即ち其の気の定日及び分と為す。

赤道宿度

斗宿:二十六度

牛宿:八度

女宿:十二度

虚宿:十度及び分

危宿:十七度

室宿:十六度

壁宿:九度

北方七宿、九十八度。余り一百六十万四百四十七、約分二千五百六十四。

奎宿:十六度

婁宿:十二度

胃宿:十四度

昴宿:十一度

畢宿:十七度

觜宿:一度

參宿:十度

西方七宿、八十一度。

井宿:三十三度

鬼宿:三度

柳宿:十五度

星宿:七度

張宿:十八度

翼宿:十八度

軫宿:十七度

南方七宿の総計は一百一十一度。

角宿:十二度

亢宿:九度

氐宿:十五度

房宿:五度

心宿:五度

尾宿:十八度

箕宿:十一度

東方七宿七十五度。

前のものは皆赤道度であり、『大衍暦』以降は、儀器を用いて測定し、これを常数とした。赤道とは、常道であり、天の半ばを縦横に貫き、黄道を規制するものである。

天正冬至の赤道日度を求めるには:歳差に求める積年を乗じ、満周天分を去り、尽きざるものは、用いて周天分を減じ、余りを度母で除する。一度を度とし、満たざるを余りとする。余りを一万乗し、度母を退けて除し、約分とする。

赤道虚宿六度より起算してこれを去り、満たざる宿に至れば、即ち求める年の天正冬至加時の赤道日躔の所在する宿度及び分である。

夏至の赤道加時日度を求めるには:天正冬至加時の赤道日度を置き、二至の限度及び分をこれに加え、赤道宿度を満たして去れば、即ち夏至加時の赤道日度を得る。もし二至の昏後夜半の赤道日度を求めるには、各々二至の日の約余を一万分より減じ、余りを以て二至加時の赤道日度に加えれば、即ち二至初日の昏後夜半の赤道日度となる。毎日一度を加え、赤道宿度を満たして去れば、即ち毎日の昏後夜半の赤道日度を得る。

赤道宿積度を求めるには:冬至加時の赤道宿全度を置き、冬至の赤道加時日度を以てこれを減じ、余りを距後度及び分とする。赤道宿度を累次加えれば、即ち各々赤道のその宿の積度及び分を得る。

赤道宿積度の初限・末限への入りを求めるには、各々赤道宿積度及び分を置き、九十一度三十一分を満たして去り、余りが四十五度六十五分半以下(分は日を母とする)であれば、

初限にあるものとする。以上であれば、用いて九十一度三十一分を減じ、余りを入末限度及び分とする。

二十八宿の黄道度を求めるには:各々赤道宿の初・末限度及び分を置き、用いて一百一十一度三十七分を減じ、余りに初・末限度及び分を乗じ、一位を進め、一万を以て約する。得たるところを、黄赤道差度及び分と命ず。至後・分前においては減じ、分後・至前においては加え、皆赤道宿積度及び分に加減し、その宿の黄道積度及び分とする。前宿の黄道積度を以てその宿の黄道積度を減じ、その宿の黄道度及び分とする。その分は近くに就いて太・半・少とする。

黄道宿度

斗宿:二十三半

牛宿:七半

女宿:十一半

虚宿:十少、秒六十四

危宿:十七太

室宿:十七度少

壁宿:九度太

北方七宿は九十七度半、秒六十四。

奎宿:十七度太

婁宿:十二度太

胃宿:十四度半

昴宿:十度太

畢宿:十六度

觜宿:一度

參宿:九度少

西方七宿は八十二度。

井宿:三十度

鬼宿:二度太

柳宿:十四度少

星宿:七度

張宿:十八度太

翼宿:十九度半

軫宿:十八度太

南方七宿の総度は一百一十一度。

角宿:十三度

亢宿:九度半

氐宿:十五度半

房宿:五度

心宿:四度

尾宿:十七度

箕宿:十度

東方七宿の総度は七十四度太。

七曜はこの黄道宿度に循って運行するが、現行の暦法に準じて変定する。もし上って往古を考証し、下って将来を検証するには、歳差に拠り、一度移動するごとに、法に従って当時の宿度に変じて、然る後に日・月・五星の運行を推歩し、その守犯を知ることができる。

天正冬至加時の黄道日度を求めるには、冬至加時の赤道日度及び分を以て、一百一十一度三十七分を減じ、余りに冬至加時の赤道日度及び分を乗じ、一位進め、一万で割って度と為す。満たざるは分と為し、これを黄赤道差と命ず。用いて冬至の赤道日度及び分を減じ、即ち求め得る年の天正冬至加時の黄道日度及び分と為す。

冬至の日の晨前夜半の日度を求めるには、一万分を置き、その日の升分を以て之に加え、以て冬至の約余を乗じ、一万で割り、得る所を以て冬至加時の黄道日度を減じ、即ち冬至の日の晨前夜半の黄道日度及び分と為す。

各月の定朔の日の晨前夜半における黄道の日度を求む:その朔の冬至よりの日数を置き、その度の下の盈縮積度を以て盈は加へ縮は減じ、余りを以て天正冬至の晨前夜半の日度に加へ、之を命ずれば、即ち其の月の定朔の日の晨前夜半における日躔の所在する宿次なり。

毎日の晨前夜半における黄道の日度を求む:各其の定朔の日の晨前夜半の黄道日度を置き、毎日一度を加へ、其の日の升降分を以て升は加へ降は減じ、黄道宿度に満てば之を去り、即ち各毎日の晨前夜半における黄道日躔の所在する宿度及び分を得。若し次年冬至の小余法に満つるは、升分の極数を以て之に加ふ。

尾:十七度

箕:十度

東方七宿七十四度太。

七曜此の黄道宿度に循ふは、今の暦に准じて変定す。若し上は往古を考へ、下は将来を験せんと欲せば、歳差に据り、一度を移る毎に、乃ち法に依りて当時の宿度に変従し、然る後に日・月・五星を歩み、其の守犯を知るべし。

天正冬至加時の黄道日度を求む:冬至加時の赤道日度及び分を以て、一百一十一度三十七分を減じ、余りを冬至加時の赤道日度及び分に乗じ、一位を進め、一万を以て約して度と為す;満たざるは分と為し、之を黄赤道差と命ず;用ひて冬至赤道日度及び分を減じ、即ち求めんとする年の天正冬至加時の黄道日度及び分と為す。

冬至の日の晨前夜半の日度を求む:一万分を置き、其の日の升分を以て之に加へ、以て冬至の約余を乗じ、一万を以て約し、所得を以て冬至加時の黄道日度を減じ、即ち冬至の日の晨前夜半の黄道日度及び分と為す。

各月の定朔の日の晨前夜半における黄道の日度を求む:その朔の冬至よりの日数を置き、その度の下の盈縮積度を以て盈は加へ縮は減じ、余りを以て天正冬至の晨前夜半の日度に加へ、之を命ずれば、即ち其の月の定朔の日の晨前夜半における日躔の所在する宿次なり。

毎日の晨前夜半における黄道の日度を求む:各其の定朔の日の晨前夜半の黄道日度を置き、毎日一度を加へ、其の日の升降分を以て升は加へ降は減じ、黄道宿度に満てば之を去り、即ち各毎日の晨前夜半における黄道日躔の所在する宿度及び分を得。若し次年冬至の小余法に満つるは、升分の極数を以て之に加ふ。