宋史

志第五 天文五

七曜

日は太陽の精にして、君主の象なり。日は一度を行き、一年にして天を一周す。日月は有道の国を行けば、則ち光明なり。君道至大なれば、則ち日色光明なり;動き時に失わざれば、則ち日は光を揚ぐ。至徳の萌やし、日月は連璧の如し。君臣道有れば、則ち日は「王」の字を含む;君天工をつとめば、則ち日は五色を備う;聖人の起こる有れば、則ち日再び中天す。人君に徳有れば、日に四彗有り、光芒四方に出づ;日に二彗有れば、一年に再び赦す。

『周禮』に視祲は十煇の法を掌る;一に曰く祲、陰陽五色の気にして、浸淫相侵す;二に曰く象、雲気形象を成す;三に曰く鑴、日旁の気日を刺す;四に曰く監、雲気日上に臨む;五に曰く闇暗、蝕及び日光脱を謂う;六に曰く瞢、光明ならず;七に曰く彌、白虹日を貫く;八に曰く序、気山の如くして日上に在り、及び冠珥背璚重疊次序して日旁に在るを謂う;九に曰く隮、暈及び虹を謂う;十に曰く想、五色形想有り。

凡そ黄気環りて日の左右に在るを抱気と為す;日に居りて上に在るを戴気・冠気と為す;日に居りて下に在るを承気・履気と為す;日に居りて下左右に在るを紐気・纓気と為す。抱気は則ち輔臣忠なり、余は皆喜び・地を得るを為し、吉なり。

一珥日の西に在れば則ち西軍勝ち、東に在れば則ち東軍勝ち、南北亦然り;兵無くとも、亦た将を拝する有り。両珥気圜にして小、日の左右に在れば、民の寿考を主る。三珥色黄白、女主喜ぶ;純白、喪を為す;赤、兵を為す;青、疾を為す;黒、水を為す。四珥は侯王を立てるを主り、子孫の喜び有り。

日に黄芒有れば、君福昌なり;黄輝多ければ、王政太平なり。日に光無ければ、兵・喪を為し、又た臣に陰謀有り。日旁の雲気白く席の如きは、兵衆戦死す;黒きは、叛臣有り;蛇の之を貫きて青きが如きは、穀多く傷つく;白きは、兵を為す;赤きは、其の下に叛有り;黄きは、臣下兵を交う;黒きは、水を為す。日始めて出づるに、黒雲気之を貫けば、三日に暴雨有り。青雲上下に在れば、兵を出すべし。赤気死蛇の如き有れば、饑・疫を為す。雑気日を刺すは皆兵を為す。

日暈、七日内に風雨無ければ、亦た兵を為す;甲乙、火を憂う;丙丁、臣下忠なり;戊己、後族盛なり;庚辛、将利なり;壬癸、臣政を専る。半暈、相に謀有り;黄きは則ち吉;黒きは災を為す。暈再重、歳豊なり;色青きは、兵を為し、穀貴し;赤きは、蝗災を為す。三重、兵起こる。四重、臣叛く。五重、兵・饑。六重、兵・喪。七重、天下亡ぶ。

日並び出づれば、諸侯謀有り、道無きもって兵を用うる者は亡ぶ。日辟ひらくは、兵寇を為す。日隕つは、下政を失う。日中に飛燕を見れば、下に主を廃する有り。日中に黒子有れば、臣主の明を蔽う。日晝昏むれば、臣君の明を蔽い、篡しい有り。赤く血の如きは、君喪え臣叛く。日夜に出づれば、兵起こり、下上を陵ぎ、大水有り。日光四散すれば、君明を失う。白虹日を貫けば、近臣乱れ、諸侯叛く。日赤く火の如きは、君亡ぶ。日牙を生ずれば、下に賊臣有り。

日食は、陰陽を蔽うを為し、食既なれば則ち大臣憂え、臣主に叛き、兵起こる。日食正旦に在れば、王者之を悪む。日珥、甲乙、日に二珥四珥有りて食し、白雲中より出ずれば、兵を主る;丙丁、黒雲、天下疫有り;戊己、青雲、兵・喪;庚辛、赤雲、天下に少主有り;壬癸、黄雲、土功有り。日食甲乙の日に在れば、四海の外を主り、占わず;丙丁、江・淮・海・岱なり;戊己、中州河・済なり;庚辛、華山以西;壬癸、常山以北。各其の下の主る所に以て之に当つ。寅卯辰木、謀を招く者は司徒しとなり。巳午未火、謀を招く者は太子なり。申酉戌金、司馬なり。亥子丑水、司空しくうなり。

月は太陰の精にして、女主の象なり、一月にして天を一周す。君明なれば、則ち度に依る;臣専なれば、則ち道を失う。或いは大臣事を用い、兵刑理を失えば、則ち乍ち南乍ち北す;或いは女主外戚権を専らにすれば、則ち或いは進み或いは退く。月色を変ずれば、殃を為す;青きは、饑;赤きは、兵・旱;黄きは、喜;黒きは、水。晝明なれば、則ち奸邪作す。月旁の瑞気、一珥、五穀登る;両珥、外兵勝つ;四珥及び戴気を生ずれば、君喜び国安し。終歳暈さずば、天下兵を偃ぐ。

晦にして西方に明らかに見ゆるを朏と曰い;朔にして東方に明らかに見ゆるを仄匿と曰う。朏なれば則ち政緩やか、仄匿なれば則ち政急なり。六日にして弦なれば、臣政を専る。七日にして弦なれば、主客に勝つ。八日にして弦なれば、天下安し。十日弦せざれば、将死し、戦勝たず。

両月並び見ゆれば、兵起こり、国乱れ、水溢る。星月中に入れば、国亡び将破る。白暈之を貫けば、下に主を廃する有り。白虹之を貫けば、大兵起こるを為す。歯を生ずれば、則ち下に叛臣有り。足を生ずれば、則ち後族政を専る。

月珥背璚、暈して珥すれば、六十日兵起こる;珥青きは、憂え;赤きは、兵;白きは、喪;黒きは、国亡ぶ;黄きは、喜。背璚有れば、臣下馳縦し、相残賊せんと欲し、和せざるの気なり。暈三重、兵起こる;四重、国亡ぶ;五重、女主憂う;六重、国政を失う;七重、下主を易う;八重、国亡ぶ;九重、兵起こり地を亡う;十重、天下更始す。

月食が上から始まれば君主が道を失い、傍らから始まれば宰相が令を失い、下から始まれば将軍が法を失う。歳星が月を犯せば、兵乱・飢饉・民の流亡あり。熒惑が犯せば、大将死し、叛臣あり、民飢う。填星が犯せば、人臣主を弑す。填星と合すれば、国に飢饉あり。月が填星を食らえば、民流亡す。一説に月が填星を犯せば、女主憂いあり、民流亡す。太白が犯し、月の右に出れば陰の国に謀あり、左に出れば陽の国に謀あり。月の下に出れば、君死し、民流亡す。

月が太白を戴けば、兵起こる。月に入れば、将死す。太白と会すれば、太子危うし。辰星が犯せば、天下に水害あり。月が辰星を食らえば、水害・飢饉あり。辰星が月に入れば、臣主に叛く。彗星が入り、あるいは犯せば、兵乱の期十二年、大飢饉あり。月を貫けば、臣主に叛く。流星が犯せば、兵乱あり。月に入りて光なきときは、亡国あり。月の上下にあれば、国乱れんとす。月が列星を犯せば、その国兵を受く。星が月を食らえば、国相死す。星が月中に見えれば、主憂いあり。

およそ月の運行は、二十九日五十三分を経て日と相会する、これを合朔という。朔日の交わりに当たり、月が黄道を行き日が月に掩われるときは日食となり、これは陰が陽に勝つことで、その変異は重く、古来聖人はこれを畏れた。もし朔に日月が同じ度にあり、月が黄道に入らなければ、会しても食らわない。月の運行が望にあり日と対沖し、月が闇虚の中に入れば、月が食らわれる、これは陽が陰に勝つことで、その変異は軽い。かつて朱熹は月食も結局は災いとなると言い、陰が退避すれば、相敵して食らうに至らないとした。いわゆる闇虚とは、日は火の外明にして、その対する所には必ず闇気あり、その大きさは日体と同じである。これが日月の交会と薄食の大略である。日食には徳を修め、月食には刑を修む、昔より人主が災いに遇い畏れ、身を側めて修行するのは、このためである。

歳星は東方に配し、春に配し、木に配する。人の五常においては仁、五事においては貌である。舎を超えて前進するのを贏とし、退くのを縮という。色が光明潤沢であれば、君寿にして民富む。また福を主り、大司農を主り、五穀を主る。石申が言うには、歳星の所在する国は伐つべからず、例えば歳が卯にあれば、東征すべからず。甘德が言うには、去る所の国は凶、之く所の国は吉、退行すれば凶災となる。泰山・徐青兗及び角・亢・氐・房・心・尾・箕を主る。君令順わざれば、歳星退行す。陰に入れば内事、陽に入れば外事。陰道を行けば水害、陽道を行けば旱魃。星大なれば喜びあり、小なれば牛馬多く死に、疾疫あり。初め見えて小さく日ごとに大となる時は、居る国に利あり。初め出でて大きく日ごとに小さくなる時は、国耗える。『荊州占』によれば、歳星の色黒きは喪、黄きは歳豊、白きは兵乱、青きは獄多し。君暴なれば色赤し。熒惑と相犯すれば、大戦あり。方寸を去るを犯といい、戦えば客勝つ。火を食らえば国亡ぶ。辺を侵すを食という。守れば賊となる。居りて去らざるを守という。火に触れば国乱る。両体ともに動き直なるを触という。合い闘えば、飢饉・旱魃あり。離れて復合し、合いて復離するを闘という。填星と相犯し、退きて填を犯せば、太子叛く。東すべきに反して西するを退という。填星と合すれば、内乱あり、民飢う。芒角相及び光同じきを合という。填星を守れば、その下の城敗る。太白と相犯せば、大臣罷められ、女主喪う。太白に触れば、四辺侵し来たる。太白を守れば、四序調わず。合い闘えば、大将死す。辰星と相犯せば、太子憂いあり。辰に触れば、主憂いあり。守れば、賊を憂う。合すれば、君臣和す。昼に見えれば、臣強し。他の星が犯せば、主安からず。客星が犯し守れば、主憂いあり。流星が犯し、色蒼黒ければ、大農死す。赤ければ、飢饉・疫病あり。黄ければ、歳豊なり。これに抵れば、臣主に叛く。

熒惑は南方に配し、夏に配し、火に配する。人の五常においては礼、五事においては視である。晋灼が言うには、「常に十月に太微に入り、制を受けて出で、列宿を行き、無道を司り、出入常ならず。」二歳で天を一周する。出れば兵あり、入れば兵散ず。逆行一舎二舎は不祥とし、舎する国に乱・賊・疾・喪・饑・兵あり。あるいは環繞勾巳し、芒角・動揺・変色し、乍前乍後すれば、殃い愈甚だし。退行一舎すれば、天下に火災あり。五舎すれば、大臣叛く。『星経』に曰く、「霍山・揚・荊・交州を主り、また輿鬼・柳・七星を主る。」また大鴻臚を主り、また司空を主るとも言い、司馬となり、楚・吳・越以南を主り、天下君臣の過失を司る。東行すれば兵東方に聚まり、西行すれば兵西方に聚まる。天下安んずれば則ち行疾し。歳星と相犯すれば、主、太子を冊立し、赦あり。歳星に触れば、子あり。これを守れば、太子危うし。填星と相犯すれば、兵大いに起こる。填星に入れば、将乱れんとす。これに触れば、刀兵あり。これを守れば、内賊あり、太子危うし。太白と相犯すれば、主亡び、兵起こる。北を守れば太子憂い、南を守れば庶子憂い。環繞すれば、偏将死す。辰星と相犯すれば、兵敗る。辰星と相会すれば、春は旱魃、秋は兵乱、冬は喪あり。これを守れば、太子憂い、赦あり。他の星と相犯すれば、兵起こる。祅星が犯せば、兵乱・火災となる。

填星は中央に配し、季夏に配し、土に配する。人の五常においては信、五事においては思である。常に甲辰元始の歳より填は一宿を行き、二十八歳で天を一周する。四星皆失すれば、填これがために動く。居る所の国は吉、女子に福あり、伐つべからず。これを去れば、地を失う。天子信を失すれば、則ち填大いに動く。盈なれば則ち舎を超え、徳盈なれば則ち福を加え、刑盈なれば則ち復せず。縮なれば則ち舎に退き常に及ばず、徳宿なれば則ち戚迫し、刑縮なれば則ち育たず。『星経』に曰く、「嵩山・州を主り、また東井を主る。」中道を行けば、則ち陰陽調和す。退行一舎は水害、二舎は海溢河決。天を経て退行すれば、天下政を更め、地動く。巫咸が言うには、光明なれば歳熟す。大いに明るければ主昌んず。小暗ければ主憂いあり。春青く、夏赤ければ、女主喜ぶ。春色蒼なれば、歳大いに熟す。色赤ければ饑饉あり。芒あれば兵乱あり。歳星と相犯し相闘えば、内乱あり。合すれば、則ち野に兵あり。熒惑と相犯すれば、兵乱・喪あり。合すれば、則ち兵乱となり、内乱となり、大人これを忌む。太白と相犯すれば、内兵あり、大戦あり。一説に王者地を失う。太微に合すれば、国に大兵あり。一説に国亡ぶ。辰星が犯せば、兵乱・旱魃あり。祅星が犯せば、下臣上を謀る。流星が犯せば、則ち民多く事あり。月と相犯せば、兵乱あり。

太白星は西方に配当され、秋を司り、金行に属す。人間の五常においては義に、五事においては言に配する。常に正月甲寅の日に火とともに東方に晨出し、二百四十日で没する。没して四十日後にまた西方に出で、二百四十日で没する。没して三十五日後に再び東方に出る。出る時は寅・戌の方角、没する時は丑・未の方角である。一年で天を一周する。太陽が南に在る時に太白がその南に居れば、太陽が北に在る時に太白がその北に居れば、これを贏と謂い、侯王安からず、兵を用いるには進めば吉、退けば凶なり。太陽が南に在る時に太白がその北に居れば、太陽が北に在る時に太白がその南に居れば、これを縮と謂い、侯王憂い有り、兵を用いるには退けば吉、進めば凶なり。『星経』に曰く、「華陰山・梁州・雍州・益州を主り、また奎・婁・胃・昴・畢・觜・参の宿を主る」と。西方に出でて行を失えば、外国敗る。東方に出でて行を失えば、中国敗る。もし天をわたれば、天下革あらたまり、民主をあらたむ、これを乱紀と謂い、人衆流亡す。昼に見え、日と明を争えば、強国弱まり、女主昌さかんに成る。また曰く、大臣を主る。巫咸曰く、光明としてかげ見ゆれば、戦勝し、歳熟す。状炎然として上れば、兵起る。光張蓋の如くして、其の下に立王有り。凡そ歳星と相犯すれば、兵敗れて地を失う。熒惑を犯せば、客敗れて主勝つ。填星を犯せば、太子安からず、地を失う。辰星を犯せば、兵を主る。月に入れば、主死し、其の下に兵有り。月角を犯せば、兵起り、左に在れば則ち中国勝ち、右に在れば則ち外国勝つ。見るべくして見えざれば、地を失い軍破る。他星犯せば、其の事急なり。祅星犯せば、辺城に戦有り。客星犯せば、兵将の死を主る。凡そ太白午位に至り、日を避けて伏す、もし行きて未に至れば、即ち天を経するに至り、其の災異重し。

辰星は北方に配当され、冬を司り、水行に属す。人間の五常においては智に、五事においては聴に配する。常に二月春分に奎・婁に現れ、五月夏至に東井に現れ、八月秋分に角・亢に現れ、十一月冬至に牽牛に現れる。出る時は辰・戌の方角、没する時は丑・未の方角、二旬で没する。晨には東方にうかがい、夕には西方に候うのである。一年で天を一周する。出早ければ月食となり、出遅ければ彗星及び天祅となる。一時出でざれば、其の時和せず。四時出でざれば、天下大いに饑う。『星経』に曰く、「常山・冀州・へい州・幽州を主り、また斗・牛・女・虚・危・室・壁の宿を主る」と。また曰く、燕・趙・代を主り、廷尉を主り、以て宰相の象に比す。石申曰く、色黄ばめば五穀熟す。黒ければ水となる。蒼白ければ喪となる。凡そ歳星と相犯すれば、皇后謀有り。熒惑犯せば、太子を妨ぐ。填星犯せば、兵敗る。太白も亦た然り。芒角相及んで光同じきを合と曰い、他星の光曜相逮およぶを害と為す。客星・太陰・流星相犯せば、内患を主る。

凡そ五星:歳星の色は青く、参宿の左肩に比す。熒惑の色は赤く、心宿の大星に比す。填星の色は黄く、参宿の右肩に比す。太白の色は白く、狼星に比す。辰星の色は黒く、奎宿の大星に比す。其の常色を得て四時に応ずれば則ち吉、常を変じて凶となる。

木星と土星合すれば内乱となり、饑饉となる。水星と合すれば変謀して事を更む。火星と合すれば饑饉となり、旱魃となる。金星と合すれば白衣の会となり、合して闘えば、国に内乱有り、野に破軍有り、水害となる。太白南に在り、歳星北に在れば、名づけて牝牡と曰い、年穀大いに熟す。太白北に在り、歳星南に在れば、其の年或いは有り或いは無し。火星と金星合すればやくとなり、喪となり、事を挙げ兵を用うるべからず、軍に従えば軍の憂いとなる。之を離れば、軍退く。太白の陰より出でれば、地を分つ。其の陽より出でれば、偏将戦う。土星と合すれば憂いとなり、孽卿を主る。水星と合すれば北軍となり、兵を用い事を挙ぐれば大いに敗る。一に曰く、火星と水星合すればさいとなり、事を挙げ兵を用うるべからず。土星と水星合すれば壅沮ようそとなり、事を挙げ兵を用うるべからず、覆軍有り。一に曰く、変謀して事を更む、必ず旱魃となる。金星と合すれば疾疫となり、白衣の会となり、内兵となり、国は地を亡ぼす。木星と合すれば国饑う。水星と金星合すれば変謀となり、兵事・憂いとなる。

木星・火星・土星・金星が水星と闘えば、皆な戦となり、兵は外に在らず、皆な内乱となる。

三つの星合すれば、是を驚立絶行と謂い、其の国外内に兵と喪有り、百姓饑乏し、侯王を改め立てる。四つの星合すれば、是を大湯と謂い、其の国に兵・喪並び起り、君子憂え、小人流る。五星若し合すれば、是を易行と謂い、徳有れば慶を受け、王者を改め立て、四方を奄有し、子孫蕃昌す。徳亡ければ殃を受け、其の国家を離れ、其の宗廟を滅ぼし、百姓離去し、四方に満つ。五星皆な大なれば、其の事も亦た大なり。皆な小なれば、事も亦た小なり。五星俱に見えれば、其の年必ず悪し。

凡そ五星が列宿と方寸を去るを犯と為し、居して去らざるを守と為し、両体俱に動きて直なるを触と曰い、離れて復合し、合して復離るるを闘と曰い、当に東すべきに反って西するを退と曰い、芒角相及んで同舎するを合と曰う。凡そ五星東行するを順と為し、西行するを逆と曰い、順なれば則ち疾く、逆なれば則ち遅し。通じて之をひきいれば、終に東行に帰す。東せず西せざるを留と曰い、日に相近ちかづきて見えざるを伏と曰い、伏して日と同度なるを合と曰う。

凡そ金星・水星の二星は、行速やかにして天を経せず、始め日と合する後、行速やかにして日に先立ち、夕方西方に見ゆ。日前を去ることやや遠ざかり、夕時に南方に近づかんと欲すれば則ち漸く遅く、遅き極まれば則ち留まり、留まって日に近づけば、則ち逆行して日と合す。日の後に在りて、晨に東方に見ゆ。逆極まれば則ち留まり、留まりて後遅く、遅き極まって日を去ること稍遠ざかり、旦時に南方に近づかんと欲すれば、則ち遠行して以て日を追い、晨に東方に伏し、復た日と合度す。此れ五星の合見・遅疾・順逆・留行の大端なり。

凡そ五星の運行、古法:周天の数、例えば歳星は十二年一周天と謂うは、乃ち約数なるのみ。晋灼謂う、太歳四仲に在れば則ち三宿を行い、四孟・四季に在れば則ち二宿を行う、故に十二年にして周行二十八宿すと。其の説も亦た非なり。夫れ二十八宿は、度に広狭有り、而して歳星の運行は自ら盈縮有り、豈に十二年一周にして差忒無からんや。唐の一行始めて言う、歳星は商・周より春秋季年に至るまで、率ね百二十余年にして一次を超え、因りて以て常と為すと。春秋の乱世を以てすれば則ち其の行速やかに、時平なれば則ち其の行遅しと為し、其の説尤も迂遠なり。既にして乃ち後率前率の術を以て之を求めれば、則ち其の説自ら悖る。今の紹興暦法に、歳星は每年一百四十五分を行く、是れ每年一次を行くの外に一分余有り、積みて一百四十四年にして一次を剰す。然らば則ち先儒の説安んぞ信ぜんや。余の四星の運行、固より逆順無しと雖も、中間亦た豈に差忒無からんや。一行復た詳しく言わざるは、蓋し亦た之を知ればなり。

景星

景星は徳星であり、一に瑞星という。半月の如く、晦朔(月末・月初)に生じ、大きく中空である。その名称はそれぞれ異なる。周伯というものは、その色黄にして煌煌然としており、見える国は大いに栄える。含譽というものは、光耀彗星に似て、喜びあれば含譽として射る。格澤というものは、形状炎火の如く、下大きく上鋭く、色黄白にして地上より起こり、見れば種を播かずして獲る。帰邪というものは、二つの赤い彗星が上に向かい、蓋あり。天保星というものは、音あり、炬火が地に下るが如く、野鶏の鳴くが如し。皆、五行の沖和の気より生ずるものである。その王蓬芮、玄保、昭明、昏昌、旬始、司危、菟昌、地維臧光の類も、皆瑞星と為す。然れども前志は王蓬芮以下の星を妖星と為す。また奇星は、古より考うる所なく、仁宗・英宗の時に見えたる故、景星の末に附すという。

彗星と孛星

彗星は、小なるもの数寸、長なるものは或いは天をく。見れば兵起こり、大水あり、旧を除き新を布く兆しなり。その体に光なく、日にいて光と為す。故に夕に見れば東を指し、晨に見れば西を指す。光芒の及ぶ所は災いと為る。五色あり、各々五行の本精の生ずる所に依る。

孛星は、彗星の属なり。偏に指すを彗といい、芒気四方に出づるを孛という。孛とは、孛孛然として、常ならざる悪気の生ずる所なり。大乱を主り、大兵を主り、災いは彗星より甚だし。旄頭星は、『玉冊』に云う、亦彗星の属なりと。

客星

客星に五あり:周伯、老子、王蓬絮、国皇、温星これなり。周伯は、大にして黄、煌煌然としており、見える国には、兵喪、饑饉、民庶流亡あり。老子は、明大にして純白、出ずれば饑饉と為り、凶と為り、善と為り、悪と為り、喜と為り、怒と為る。王蓬絮は、形状粉絮の如く、拂拂然としており、見ればその国に兵起こり、白衣の会あり。国皇は、大にして黄白、芒角あり、兵起こり、水災を主り、人主これを悪む。温星は、色白、形状風の動揺するが如く、常に四隅に出づ。皆兵を主る。この五星は五緯の間に錯出し、その見るに期なく、その行くに度なく、各々その在る所の分野に以てこれを占う。また四隅に各々三星あり:東南を盗星といい、大盗を主る;西南を種陵といい、出ずれば穀貴し;西北を天狗といい、見れば天下大いに饑う;東北を女帛といい、大喪あるを主る。

流星

流星は、天使なり。上より降るを流といい、東西に横行するも亦流という。流星に八あり、天使、天暉、天雁、天保、地雁、梁星、営頭、天狗という。流星の天使と為るものは、祥あり妖あり、天暉・天雁と為り、夜に隕ちて天保と為れば、則ち祥;若し夜に隕ちて地雁・梁星と為り、昼に隕ちて営頭と為れば、則ち妖。流星の大なるものを奔星といい、夜に隕ちて天狗と為れば、その妖大なり。下より升るを飛という。飛星に五あり、亦妖祥の分あり、飛星化して天刑と為れば祥;降石、頓頑、解銜、大滑と為れば、則ち妖と為る。

妖星

妖星は、五行乖戾の気なり。五星の精、散じて妖星と為り、形状同じからず、殃いを為すは則ち一なり。各々その見ゆる日期・分野・形色に以て、兵・饑・水・旱・乱・亡を占う。星長さ三尺より五尺は、期百日、等しくしてこれを上り、一丈に至れば期一年、三丈に至れば期三年、五丈に至れば期五年、十丈に至れば期七年、十丈已上は、九年を出でず。蓋し妖星は長大なれば則ち期遠くして殃深く、短小なれば則ち期近くして殃浅し。

天攙星は乃ち歳星の精にして、奮争を主る。天槍は彗星の如く、西方に出づ、長さ二三尺、名を天槍といい、国を破るを主る。天猾は乱を招くを主る。天棓は西方に出づ、長さ数丈、国乱を主る。蚩尤旗は彗星に類して後に曲がり、兵を主る。天冲は人の状の如く、蒼衣赤首、動かず、下の上を謀るを主り、国を滅ぼす。国皇は大にして赤く、地を去ること三丈、炬火の如く、内寇を主る。及登は夷分を主り、恣虐を主り、旦に見れば主弱し。昭明は太白の如く、光芒行かず、兵・喪を主る。司危は、『天官書』に太白の如しとあり、目あり、地を去ることばかり六丈、大にして白く、その下に兵あり、強を撃つを主る。五残は辰星の如く、地を去ること六七丈、その下に兵あり、奔亡を主る。六賊は地を去ること六丈、大にして赤く、光あり、その方に出ずるに非ざれば、下に兵・喪あり。獄漢は青中に赤表し、下に三彗あり、地を去ること可り六丈、大にして赤く、しばしば動く。大賁は邪を滅ぼし暴兵を主る。燭星は邪を滅ぼすを主る。絀流は伏逃を主る。茀星・昴・孛星は災いを主る。旬始は北斗の旁に出づ、雄鶏の如く、見れば更に主を易う。撃咎は大兵を主り、反する者あり、大いに乱る。天杵は䍧羊を主る。天柎は殃を撃つを主る。伏霊は見れば世乱る。天敗は闘冲を主る。司奸は怪を見るを主る。天狗は毛あり、旁に短彗あり、下は狗の形の如く、見れば兵饑あり。天残は貪残を主る。卒起は謀反あり、驚き亡ぶを主る。枉矢は色黒く、蛇行し、これを望めば毛目のあるが如く、長さ数匹のもの、見れば兵起こり、女を破り君臣憂い、上下乱る。拂枢は時を制するを主る。滅宝は乱を伐つを主る。繞綎は乱孳を主る。驚理は相屠るを主る。大奮祀は邪を招くを主る。

天鋒は彗星の象、形矛鋒に似て、見れば兵起こり、乱臣あり。昭星に三彗あり、兵出で、大盗成らず、又邪を滅ぼすを主る。蓬星は二斗器の如く大、色白、東南方に出づ、東北は旱を主り、或いは大水あり。長庚星は一匹の布の天に著くが如く、見れば兵起こる。四填は大にして赤く、可り二丈、兵と為る。地維臧光星は月の如く、始めて出で、大にして赤く、地を去ること二丈、東南は旱;西北は兵;東北に出づれば大水。老子星は色白く、善と為り悪と為り、饑と為り凶と為り、喜と為り怒と為る。営頭星は雲ありて壞山の墜つるが如く、その墜つる所の下に覆軍流血あり。積陵は西南に出づ、長さ三丈、兵を主り、小饑あり。昏昌は西北に出づ、気青赤色、中赤く外青く、国政易わるを主る。莘星は西北に出づ、環の如き状、大なれば則ち諸侯地を失う。白星は瓜を削るが如く、男喪を主る。菟昌は赤青これを環らし、水を主り、天下改易す。濛星は赤く牙旗の如く、長短四面にあり、西南最も多く、乱の象なり。長星は西方に出づ。

歳星の精は、化して天棓・天槍・天猾・天冲・国皇・及登、蒼彗と為る。火星の精は、化して昭旦・蚩尤の旗・昭明・司危・天欃、赤彗と為る。土星の精は、化して五残・六賊・獄漢・大賁・昭星・絀流・茀星・旬始・蚩尤、虹蜺・撃咎、黄彗と為る。太白の精は、化して天杵・天柎・伏霊・天敗・司奸・天狗・天残・卒起、白彗と為る。辰星の精は、化して枉矢・破女・拂枢・滅宝・繞綎・驚理・大奮祀、黒彗と為る。

また月の傍らの妖星も、それぞれ生じる所がある。天槍・天荊・真若・天㨬・天樓・天垣は、歳星の生ずる所であり、甲寅の日に現れ、その傍らに二つの青い方形がある。天陰・晉若・官張・天惑・天雀・赤若・蚩尤は、熒惑の生ずる所であり、丙寅の日に出で、その傍らに二つの赤い方形がある。天上・天伐・縱星・天樞・天翟・天沸・荊彗は、填星の生ずる所であり、戊寅の日に出で、その傍らに二つの黄色い方形がある。若星・帚星・若彗・竹彗・牆星・権星・白雚は、太白の生ずる所であり、庚寅の日に出で、その傍らに二つの白い方形がある。天美・莒天毚・天社・天林・天庥・天蒿・端下は、辰星の生ずる所であり、壬寅の日に出で、その傍らに二つの黒い方形があり、現れると水害・旱害・兵乱・喪事・飢饉・乱れとなる。

雲気

『周礼』保章氏に「五雲の物をもって吉凶を辨じ、水旱降豊荒の祲象(を観る)」とある。それ故に魯の僖公は冬至の日に観台に登って望み、漢の明帝は霊台に昇って元気を望み、時律を吹き、物の変化を観た。古くは分至(二分二至)に啓閉(立春立夏・立秋立冬)を司り必ず記し、雲物を備えたためである。後世に至って、その法は次第に備わる。瑞気には慶雲・昌光の類があり、妖気には虹蜺・牂雲の類があり、もって天子の符応を候い、歳事の豊凶を験し、賢者の出処を明らかにし、戦陣の勝負を占うのである。

日食

建隆元年五月己亥朔、日に食あり。二年四月癸巳朔、日に食あり。

乾徳三年二月壬寅朔、日当に食すべしとすれども食せず。五年六月戊午朔、日に食あり。

開宝元年十二月己酉朔、日に食あり。三年四月辛酉朔、日に食あり。四年十月癸亥朔、日に食あり。五年九月丁巳朔、日に食あり。七年二月庚辰朔、日に食あり。八年七月辛未朔、日に食あり。

太平興国二年十一月丁亥朔、日に食あり、既(皆既食)なり。六年九月乙未朔、日に食あり。七年三月癸巳朔、日に食あり。八年二月戊子朔、日に食あり。

雍熙二年十二月庚子朔、日に食あり。三年六月戊戌朔、日に食あり。

淳化二年閏二月辛未朔、日に食あり。三年二月乙丑朔、日に食あり。四年二月己未朔、日に食あり。八月丙辰朔、日に食あり。五年十二月戊寅朔、日に食あり、雲陰のため見えず。

咸平元年五月戊午朔、日に食あり。十月丙戌朔、日に食あり。二年九月庚辰朔、日に食あり。三年三月戊寅朔、日に食あり。五年七月甲午朔、日に食あり。

景德元年十二月庚辰朔、日に食あり。三年五月壬寅朔、日に食あり、雲陰のため見えず。四年五月丙申朔、日に食あり、陰雨のため見えず。

大中祥符二年三月丙辰朔、日に食あり、陰雨のため見えず。五年八月丙申朔、日に食あり。六年十二月戊午朔、日に食あり。七年十二月癸丑朔、日当に食すべしとすれども食せず。八年六月己酉朔、日に食あり。

天禧三年三月戊午朔、日に食あり。五年七月甲戌朔、日に食あり。

乾興元年七月甲子朔、日食幾くんと盡きんとす。

天聖二年五月丁亥朔、日食すべきも食せず。四年十月甲戌朔、日食す。六年三月丙申朔、日食す。七年八月丁亥朔、日食す。

明道二年六月甲午朔、日食す。

景祐三年四月己酉朔、日食すべきも食せず。

寶元元年正月戊戌朔、日食す。

康定元年正月丙辰朔、日食す。

慶曆二年六月癸酉朔、日食す。三年五月丁卯朔、日食す。四年十一月戊午朔、日食すべきも食せず。五年四月丁亥朔、日食す、雲陰にして見えず。六年三月辛巳朔、日食す。

皇祐元年正月甲午朔、日食す。四年十一月壬寅朔、日食す。五年十月丙申朔、日食す。

至和元年四月甲午朔、日食す。

嘉祐元年八月庚戌朔、日食す。三年八月己亥朔、日食す。四年正月丙申朔、日食す。六年六月壬子朔、日食す、雲陰にして見えず。

熙寧元年正月甲戌朔、日食す。二年七月乙丑朔、日食す、雲陰にして見えず。六年四月甲戌朔、日食す、雲陰にして見えず。八年八月庚寅朔、日食す、雲陰にして見えず。

元豐元年六月癸卯朔、日食すべきも食せず。三年十一月己丑朔、日食す。四年十一月癸未朔、日食すべきも食せず。五年四月壬子朔、日食す、雲陰にして見えず。六年九月癸卯朔、日食す。

元祐二年七月庚戌朔、日食す、陰雨にして見えず。六年五月己未朔、日食す。

紹聖元年三月壬申朔、日食す。二年二月丁卯朔、日食すべきも食せず。四年六月癸未朔、日食す、雲陰にして見えず。

元符三年四月丁酉朔、日食す。

建中靖國元年四月辛卯朔、日食す、雲陰にして見えず。

大観元年十一月壬子朔、日に食あり。二年五月庚戌朔、日に食あり。四年九月丙寅朔、日に食あり。

政和三年三月壬子朔、日に食あり。五年七月戊辰朔、日に食あり。

重和元年五月壬午朔、日に食あり。

宣和元年四月丙子朔、日に食あり。五年八月辛巳朔、日に食あり、陰雲見えず。

建炎三年九月丙午朔、亢宿にて日食す。

紹興五年正月乙巳朔、女宿にて日食す。七年二月癸巳朔、室宿にて日食す(是の年は金の天会十五年に当たるも、『金史』は日食を書せず)。八年より十二年まで、日食多くは夜にあり、史官蒙蔽して書せず。十三年十二月癸未朔、牛宿にて日食す、陰雲見えず。十五年六月乙亥朔、井宿にて日食す。十七年十月辛卯朔、氐宿にて日食す(是の年は金の皇統七年なり、『金史』は日食を書せず)。十八年四月戊子朔、日に食あり、陰雲見えず。十九年三月癸未朔、日に食あり、陰雲見えず。二十四年五月癸丑朔、日に食あり、陰雲見えず。二十五年五月丁未朔、日に食あり、陰雲見えず。二十八年三月辛酉朔、日に食あり、陰雲見えず。三十年八月丙午朔、翼宿にて日食す。三十一年正月甲戌朔、太史言う、日当に食すべしと而も食せず。三十二年正月戊辰朔、女宿にて日食す。

隆興元年六月庚申朔、井宿にて日食す。二年六月甲寅朔、日に食あり、陰雲見えず。

乾道五年八月甲申朔、翼宿にて日食す、陰雲見えず。九年五月壬辰朔、井宿にて日食す、陰雲見えず。

淳熙元年十一月甲申朔、尾宿にて日食す、陰雲見えず。三年三月丙午朔、日に食あり、陰雲見えず。四年九月丁酉朔、日に食あり、陰雲見えず。十年十一月壬戌朔、心宿にて日食す。十五年八月甲子朔、翼宿にて日食す。十六年二月辛酉朔、日に食あり、陰雲見えず。

慶元元年三月丙戌朔、婁宿にて日食す。四年正月己亥朔、日に食あり、陰雲見えず。五年正月癸巳朔、日に食あり、陰雲見えず。六年六月乙酉朔、日に食あり、陰雲見えず(是の年は金の承安五年なり、『金史』は日食を書せず)。

嘉泰二年五月甲辰朔、畢宿にて日食す。三年四月己亥朔、日に食あり(『金史』は書せず)。

開禧二年二月壬子朔、日当に食すべしと、太史言う、虧分見えずと。

嘉定三年六月丁巳朔、日に食あり。四年十一月己酉朔、日当に食すべしと、太史言う、虧分見えずと(『金史』は書せず)。

七年九月壬戌朔、角宿にて日食す。九年二月甲申朔、室宿にて日食す。十年七月丙子朔、張宿にて日食す。十一年七月庚午朔、日に食あり。十四年五月甲申朔、畢宿にて日食す。十六年九月庚子朔、軫宿にて日食す。

宝慶三年六月戊申朔、日に食あり。

紹定元年六月壬寅の朔、日に食あり。六年九月壬寅の朔、日に食あり、陰雲のため見えず。

端平二年二月甲子の朔、日食すべしと雖も虧けず。

嘉熙元年十二月戊寅の朔、日に食あり。

淳祐二年九月庚辰の朔、日に食あり。三年三月丁丑の朔、日に食あり。五年七月癸巳の朔、日に食あり。六年正月辛卯の朔、日に食あり。九年四月壬寅の朔、日に食あり。十二年二月乙卯の朔、日に食あり。

寶祐元年二月己酉の朔、日に食あり。

景定元年三月戊辰の朔、日に食あり。二年三月壬戌の朔、日に食あり。

咸淳元年正月辛未の朔、日に食あり。三年五月丁亥の朔、日に食あり。四年十月戊寅の朔、日に食あり。六年三月庚子の朔、日に食あり。七年八月壬辰の朔、日に食あり。八年八月丙戌の朔、日に食あり。

德祐元年六月庚子の朔、日食し、既に、星見え、雞鶩皆歸す。明年、宋亡ぶ。

日變

周顯德七年正月癸卯、日既に出で、其の下復た一日有りて相掩い、黑光摩蕩すること久し。

開寶七年正月丙戌、日中に黑子二つ有り。

景德元年十二月甲辰、日に二影有り、三日の状の如し。三年九月戊申、日赭の如く赤し。四年四月甲申、日光無し。

寶元二年十二月庚申、日朱の如く赤く、二刻を踰えて復す。

慶曆八年正月乙未、日赤くして光無し。

熙甯十年二月辛卯、日中に黑子李の如く有り、乙巳に至りて散ず。

元豊元年閏正月庚子、日の内に李の如き黒子あり、二月戊午に至りて散ず。十二月丙午、日の内に李の大なる如き黒子あり、丁巳に至りて散ず。二年二月甲寅、日の内に李の如き黒子あり、癸亥に至りて散ず。

崇寧二年五月癸卯、日淡赤にして光なし。三年十月壬辰、日の内に棗の大なる如き黒子あり。

政和二年四月辛卯、日の内に黒子あり、乍二乍三、栗の大なるが如し。八年十一月辛亥、日の内に李の大なる如き黒子あり。

宣和二年正月己未、日濛濛として光なし。五月己酉、日の内に棗の大なる如き黒子あり。三年十二月辛卯、日の内に李の大なる如き黒子あり。四年二月癸巳、日濛濛として光なし。

靖康元年閏十一月庚申、日赤くして火の如く、光なし。

建炎三年三月己卯、日の内に黒子あり、壬寅に至りて始めて消ゆ。

紹興元年二月己卯、日の内に李の大なる如き黒子あり、三日にして乃ち伏す。六年十月壬戌、日の内に李の大なる如き黒子あり、十一月丙寅に至りて始めて消ゆ。七年二月庚子、日の内に李の大なる如き黒子あり、旬日にして始めて消ゆ。四月戊申、日の内に黒子あり、五月に至りて乃ち消ゆ。八年二月辛酉、日の内に黒子あり。十月乙亥、日の内に黒子あり。十五年六月丙午、日の内に黒気往来す。丁未、日の内に黒子あり、日光なし。

乾道五年正月甲申、日色黄白、昏霧四塞す。

淳熙十二年正月癸巳、日の内に黒子を生じ、棗の如く大なり。戊戌より庚戌に至るまで、日の内に皆黒子あり。十三年五月庚辰、日の内に黒子を生じ、棗の如く大なり。

紹熙四年十一月辛未、日の内に黒子あり、庚辰に至りて始めて消ゆ。

慶元六年八月乙未、日の内に棗の大なる如き黒子あり、庚子に至りて始めて消ゆ。十二月乙酉、又生じ、乙巳に至りて始めて消ゆ。

嘉泰二年十二月甲戌、日の内に黒子を生じ、棗の如く大なり。丙戌、始めて消ゆ。四年正月癸未、開禧元年四月辛丑、日の内に皆棗の大なる如き黒子あり。

嘉熙二年十月己巳、日の内に黒子あり。

徳祐二年二月丁酉朔、日の内に黒子あり、鵝卵の相蕩がるが如し。

日煇気

建隆元年より開宝末に至るまで、冠気七、珥百、抱気七、承気六、赤黄気三、黄白気三、青気二、纓一、暈百五十六、半暈四十五、重暈五十九、重半暈七、交暈十八、背気二百三十一、紐気戟気三を数う。

太平興国より至道末に至るまで、冠気十八、戴気三、抱気十三、珥七十七、承気三、赤黄気璚気一、青気三、暈五十九、半暈二十三、重暈十二、交暈三、背気四十四、紐気三、戟気一、直気十五を数う。

咸平元年より乾興末に至るまで、重輪二十四、彗一、五色気一、冠気二百六十六、珥四十一、戴気百九十七、抱気五十七、承気百八十四、直気七十七、光気一、黄気九、赤黄気四、紫気五、赤黄交気二、赤黄緑碧気二、青赤気二十一、黄白気一、黒気二、白気五、纓三、戟気一、紐気二、背気二百九十九、暈千二百三十一、半暈六百五十三、重暈二十七、交暈十三を数う。

天聖元年より嘉祐末に至るまで、日黄曜有光一、煇気十九、龍鳳雲一、慶雲二、五色雲八、紫黄雲五、赤黄雲一、紫雲二、青黄紫暈八百五十五、周暈二十六、重暈十六、交暈五、連環暈一、珥八百四十七、冠気百四十、戴気二百五十六、承気百、重承気一、抱気十八、負気一、背気百七、格気二、直気五、白虹貫日四、白気如繩貫日並暈一を数う。

治平元年より四年に至るまで、五色雲八、煇気一、暈百二十八、周暈三、重暈十二、交暈二、珥八十九、冠気十一、戴気三十九、承気五、背気三十三、白虹貫日一、白虹貫珥一を数う。

治平以後より元豊末に至るまで、日暈千三百五十六、周暈二百七十七、重暈七十四、交暈四十九、連環暈一、珥八百八十二、冠気四十二、戴気二百七十一、承気五十、抱気二、背気二百四十六、直気二、戟気一、纓気五、璚気一、白虹貫日九、貫珥三、五色雲二十六を数う。

元豊八年三月五日より元符三年正月十二日に至るまで、暈五百二十八、周暈二百五十七、重暈六十八、交暈六十七、五色気暈二、珥五百五十六、冠気六十一、戴気百五十、承気三十三、背気百七十四、直気三、戟気四、纓気一、格気五、白虹貫日十六、貫珥一、五色雲十二を数う。

元符三年正月より靖康二年四月に至るまで、日暈九、暈戴三、半暈一、暈珥背一、半暈重背一、暈纓一、珥背三、珥十三、暈珥七、冠気七、暈背四、戴気六、承気二、抱気四、背気十七、五色気暈一、直気四、環気戴気二、戟気一、履気二、半暈重履一、半暈再重一を数う。

建炎三年春、明年二月辛丑、白虹日を貫く。四年十一月癸卯、日に背気生ず。

紹興元年正月壬戌、日に背気生ず。二年四月壬申、五月戊寅、日に皆戴気生ず。閏四月丙申、日に背気生ず。三年二月乙卯、日に戴気生ず。六月甲申朔、日に背気生ず。四年正月壬子、日に承気生ず。三月壬戌、軫に日暈す。甲子、また婁に暈す。辛未、また胃に暈す、是の日、日に抱気生ず。五月甲戌、日に背気生ず。六月壬辰、井に日暈す。五年正月庚申、日に戴気有り。六年二月丙寅、婁に日暈す。三月戊寅、張に日暈す。丁亥、また胃に暈す。四月己亥、日に戴気生ず。庚子、復た生じ、仍て承気有り。十一月庚寅、日の左右に珥並びに背気生ず。癸巳、日にまた背気生ず。七年二月辛丑、氛気日を翳す。八年二月辛巳、白虹日を貫く。二十一年閏四月壬申、日に赤黄暈周匝して生ず。二十七年二月壬寅、白虹日を貫く。二十八年二月戊申、日に赤黄暈周匝して生ず。二十九年正月癸酉、日連暈し、上に青赤黄色の戴気生じ、日の左右に珥生ず。三十一年四月戊辰、日に赤黄暈周匝して生ず。六月辛酉、日の上暈外に赤黄色生じ、背気有り。七月辛卯、日の上暈外に背気生ず。

隆興二年二月壬申、日に赤黄色の暈生じ、日の左右に青赤黄の珥生ず。癸未、日に赤黄色の暈周匝して生ず。三月庚戌、日に赤黄色の暈周匝して生ず。六月甲子、日に戟気有り。七月甲申朔、日に赤黄暈生じて匝せず、上に重暈生じ、また背気及び青珥生ず。丁亥、日に重暈生じ、上に青赤黄色の背気生ず。癸卯、日に赤黄暈生じて匝せず、暈外に背気生じ、赤黄色にして、両頭外に向かって曲がる。

乾道元年六月丁未、日暈周匝し、下暈外に格気生じ、日の下に横たわる。二年二月庚辰、日の左に赤黄色の直気長さ丈余生じ、及び半暈背気。三年三月丁巳、婁に日暈し、外に赤黄の承気生ず。四月辛卯、日暈し、赤黄色周匝す。五月戊戌朔、日赤黄暈周匝す。甲辰、日の下暈外に青赤黄の承気有り。六月丙子、日赤黄暈周匝す。四年六月丁巳、日赤黄暈周匝す。五年正月己巳、日に黄色の戴気承気生ず。六年三月丁丑、日暈して匝せず、下に承気生ず。閏五月壬辰、日半暈再重し、戴気承気生ず。丁酉、日の左に珥生ず。八年六月辛丑、日暈して匝せず、左右に珥生ず。壬寅、日暈周匝す。丁未、日暈して匝せず、外に承気生じ、日の下に暈す。九年二月丙子、奎に日暈す。

淳熙元年三月辛丑、胃宿に日暈が現れた。二年七月甲辰、日が背気を生じた。三年二月庚子、日暈は周囲を囲まず、外側に日半暈が二重に現れた。四年二月戊子、日暈は周囲を囲まず、日の上に連なる暈から戴気が生じ、日の下の暈の外に承気が生じた。五年三月癸卯、四月乙酉、六月庚辰、いずれも日暈が周囲を囲んだ。十二月乙未、日に二つの珥が生じ、一つは戴気であった。六年二月癸丑、日半暈が二重に現れた。六月己丑、日暈が周囲を囲んだ。十二月辛亥、日暈の外に戴気が生じた。八年正月己酉、日に戴気が生じ、後に日の左に青・赤・黄の珥が生じた。閏三月丙申、日暈が周囲を囲んだ。七月己卯、日半暈の外に背気が生じた。十一年正月戊申、日半暈が二重に現れた。十三年五月己卯、日暈が周囲を囲んだ。十五年二月己卯、黄色い日半暈が周囲を囲んだ。六月丙申、日の上に青・赤・黄色の背気が生じた。十六年三月壬寅、日半暈が二重に現れた。

紹熙元年五月庚辰、日半暈が二重に現れた。六月甲申、赤黄色の日暈が周囲を囲んで生じた。二年二月壬寅、日に戴気が生じ、青・赤・黄色であった。三月辛未、青・赤・黄色の日暈が周囲を囲んで生じた。四月癸未、日に戴気が生じた。七月庚申、日暈の外に背気が生じた。壬戌、日に背気があった。四年二月癸亥、日暈が周囲を囲んだ。十一月辛巳、日暈の外に背気が生じた。五年四月乙卯、日暈が周囲を囲んだ。六月丙午、日の上の暈の外に背気が生じた。

慶元元年正月丙辰、白虹が日を貫いた。二月辛巳、日の上の暈の外に青・赤・黄の背気が生じた。四月己未、日に赤黄色の格気が生じた。二年五月己丑、日に背気が生じ、その色は青黄であった。

嘉泰元年六月辛卯、日暈が周囲を囲んだ。

嘉定四年七月己卯巳初刻、赤黄色の日暈があり周囲を囲まず、酉初刻の後に至り、日の上の暈の外に青・赤・黄の背気が生じた。六年四月己卯、赤黄色の日暈が周囲を囲んだ。七年三月壬申、赤黄色の日暈が生じ、外に青・赤・黄の承気があり、後に暈が周囲を囲んだ。十一年二月丙辰、赤黄色の日暈があり、白虹が日を貫いた。丙寅、日に戴気があった。十五年二月己亥、婁宿に日暈が現れ、周囲を囲み、承気があった。十七年六月辛卯、日に背気が生じた。

寶慶三年十二月己酉、日の傍に珥のような気があった。

紹定三年二月丙申、日に背気があった。四年七月己丑、日に承気が生じた。五年三月丁酉、日に抱気と承気が生じた。

端平元年四月甲申、赤い日暈が生じた。六月戊子、赤黄色の日暈が生じ、上下に格気があった。二年六月戊寅、日に承気があった。三年二月辛亥、日暈が周囲を囲んだ。

嘉熙元年二月己酉、日暈が周囲を囲んだ。三月癸亥、七月壬申、日に背気があった。四年二月丙申朔、日に背気が生じた。辛丑、白虹が日を貫いた。

淳祐元年二月戊寅、午後に日暈が現れた。三年七月甲午、日に格気が生じた。五年五月戊申、赤黄色の日暈が生じ、外に背気があった。六月甲子、日暈が周囲を囲んだ。六年三月癸巳、日暈が周囲を囲み、珥気が生じた。四月丁丑、日暈が周囲を囲んだ。七年二月戊申、日暈が周囲を囲んだ。八年六月己酉、井宿に日暈が現れ、赤黄色で、周囲を囲んだ。

寶祐元年正月戊戌、日に戴気が生じた。二年二月辛酉、日暈が周囲を囲んだ。四年三月乙卯、日暈が周囲を囲んだ。

景定四年四月戊辰、赤黄色の日暈が生じた。五年三月己丑、婁宿に日暈が現れ、周囲を囲み、赤黄色で、午の刻から申の刻まで続いた。六月庚午、赤黄色の日暈が生じた。九月己丑、日に格気が生じた。

咸淳元年六月壬午、日に承気が生じた。七年春三月辛巳、日暈が現れ、赤黄色で、周囲を囲んだ。

月食

開寶元年十一月庚寅、月食があった。二年十月戊子、月食があった。三年四月乙酉、月食があった。五年八月壬寅、月食があった。七年八月庚寅、月は食すべきところ食さなかった。

太平興国二年六月甲辰、月食、つきし。十一月壬寅、月食。三年十月丙寅、月食、雲陰のため見えず。五年八月乙卯、月食、既。

雍熙元年正月丙寅、月食。二年七月戊午、月当食せざるも食せず。四年五月丁丑、月食。

端拱二年三月丁酉、月当食せざるも食せず。

淳化元年正月庚寅、月食。二年八月壬午、月食、既。三年正月癸卯、月食。八月丙子、月食、雲陰のため見えず。五年六月乙未、月食。十二月癸巳、月食、既。

至道元年六月己丑、月食、雲陰のため見えず。十二月丁亥、月食。二年十月辛亥、月食。

咸平元年十月庚子、月食。二年九月乙未、月食。三年二月壬戌、月食。八月庚申、月食。四年八月甲寅、月食。五年正月辛亥、月食。七月戊申、月食。六年正月甲辰、月食。七月壬寅、月食。

景德元年十一月乙丑、月食。二年五月壬戌、月食。十月庚寅、月食。三年十一月癸丑、月食。四年五月辛亥、月食、雲陰のため見えず。九月戊寅、月当食せざるも食せず。

大中祥符元年九月癸酉、月食。二年九月丁卯、月当食せざるも食せず。三年閏二月甲子、月食。五年正月甲申、月食、陰翳のため見えず。七月庚辰、月食。十二月丁丑、月食。八年十月辛卯、月食。九年四月己丑、月食、雲陰のため見えず。

天禧元年四月壬午、月食。十月庚辰、月食。三年二月壬寅、月食。四年八月癸巳、月食。

天聖二年五月壬寅、月当食せざるも食せず。四年五月戊午、月食。

慶暦二年六月丁亥、月食。五年四月庚子、月食。九月戊戌、月食。六年九月壬辰、月食。

皇祐二年七月庚子、月食。四年十一月丙辰、月食。五年十月辛亥、月食。

至和二年九月庚午、月食。

嘉祐元年八月甲子、月食、既。二年二月壬戌、月食。八月戊午、月食。三年閏十二月辛巳、月食。四年六月戊寅、月食。十二月己亥、月食、既。五年十二月己巳、月食。七年十月己丑、月食。八年十月癸未、月食、既。

治平元年四月庚辰、月食。四年二月甲午、月食。

熙寧元年七月乙酉、月食す。二年閏十一月丁未、月食す。三年五月乙巳、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。四年五月己亥、月食す。十一月丙戌、月食す。六年三月戊午、月食す。九月乙卯、月食す。七年九月己酉、月食し、既す。九年正月壬申、月食す、雲陰にして見えず。十年正月丙寅、月食す。七月癸亥、月食す、雲陰にして見えず。

元豐元年正月庚申、月食すべしと當るも、雲障あり。六月戊午、月食す。二年六月壬子、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。三年十月甲戌、月食す、雲陰にして見えず。四年四月辛未、月食し、既す。十月己巳、月食す。五年十月癸亥、月食す。六年八月丁亥、月食すべしと當るも食せず。七年二月乙酉、月食す、雲陰にして見えず。八月辛巳、月食す、雲陰にして見えず。八年八月丙子、月食し、既す。

元祐元年十二月戊戌、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。三年六月庚寅、月食し、既す。十二月丁亥、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。四年五月甲申、月食す、雲陰にして見えず。五年五月戊寅、月食す、雲陰にして見えず。六年四月癸卯、月食す、雲陰にして見えず。七年三月戊戌、月食し、既す。八年九月己丑、月食す、雲陰にして見えず。

紹聖三年七月癸卯、月食す、雲陰にして見えず。四年正月庚子、月食す、雲陰にして見えず。

元符元年五月壬戌、月食すべしと當るも食せず。二年五月丙辰、月食し、既す。十月甲寅、月食し、既す。三年十月戊申、月食す。

崇寧二年二月甲子、月食し、既す。八月辛酉、月食し、既す。三年二月己未、月食す。八月丙辰、月食す。四年十二月戊寅、月食す。五年六月乙亥、月食す。十二月壬申、月食し、既す。

大觀三年十月丙戌、月食す。四年四月甲申、月食し、既す。九月庚辰、月食し、既す。

政和元年三月戊寅、月食す。九月甲戌、月食す。三年二月丁酉、月食す。十月甲午、月食す。四年正月辛卯、月食し、既す。六年十一月乙巳、月食す。七年十一月乙亥、月食す。

重和元年五月丙甲、月食す。

宣和二年三月丙辰、月食す。六年正月癸亥、月食す。十二月戊午、月食し、既す。

建炎三年二月壬午、月軫に食す。

紹興元年八月己卯、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。二年二月丙子、月未だ闕くべからざるに闕けり、體食の如く、色黄白なり。

七月甲戌、月室に食し、既す。三年七月戊辰、月危に食す。四年十二月庚寅、月井に食す。五年十一月乙酉、月井に食し、既す。六年五月辛巳、月南斗に食す。十一月己卯、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。八年三月辛丑、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。九月丁酉、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。九年九月壬辰、月胃に食し、既す。十二年七月丙午、月食す、雲陰にして見えず。十三年六月庚子、月食し、既す。十二月戊戌、月食すべしと當るも、雲陰にして見えず。十四年六月甲午、月女に食す。十五年五月己未、月食すべしと當るも、陰雲にして見えず。十六年四月甲寅、月食す。二十一年二月丙辰望、月食すべしと當るも、陰雲にして見えず。二十五年五月壬戌望、月食すべしと當るも、山色を以て遮映し、虧分を見えず。二十七年九月丁丑、月食す。三十年正月甲午望、月食すべしと當るも、陰雲之を蔽ふ。

隆興二年五月己亥、月食すべしと當るも、陰雲之を蔽ふ。

乾道元年四月甲午、月食すべしと當るも、陰雲之を蔽ふ。四年二月丁未、月食し、既す。五年二月辛丑、月食すべしと當るも、陰雲にして見えず。六年十一月辛酉、月食すべしと當るも、陰雲にして見えず。八年六月壬子、月食すべしと當るも、陰雲にして見えず。

淳熙元年四月壬申、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。二年四月丙寅、月は房宿にて食し、既(既食)となる。九月癸亥、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。三年三月庚申、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。五年二月己卯、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。六年正月甲戌、月食し、既となる。八年十一月丁亥、月食す。九年十一月辛巳、月食す。十年五月己卯、月食す。十二年三月戊戌、月食す。九月乙未、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。十三年三月壬辰、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。八月庚寅、月食し、既となる。十四年八月甲申、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。十六年十二月辛丑、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。

紹熙元年六月丁酉、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。十一月乙未、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。二年六月壬辰、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。三年四月乙巳、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。五年九月癸卯、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。

慶元二年八月壬戌、月食す。三年七月己未、月食し、既となる。四年七月庚戌、月食す。六年五月庚午、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。

嘉泰二年五月己未、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。三年三月癸未、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。

開禧元年三月壬申、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。閏八月己巳、月は食すべきところ、陰雲のため見えず。三年正月壬辰、月食す。七月戊子、月食す。

嘉定元年二月丙戌、月は食すべきところ、陰雨のため見えず。十二月庚辰、月食す。二年六月丁丑、月食す。三年十一月己亥、月食す。五年十月戊子、月食す。七年二月庚戌、月食す。八月丁未、月食す。八年八月辛丑、月食し、既となる。九年二月己亥、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。閏七月乙未、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。十年十二月戊午、月食す。十一年六月乙卯、月食す。十二月壬子、月食し、既となる。十二年五月庚戌、月は食すべきところ、既となるべきも、雲陰のため見えず。十一月丙午、月食す。十三年五月甲辰、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。十四年十月丙寅、月食す。十五年三月癸亥、月は氐宿にて食すべきところ、既となるべきも、雲陰のため見えず。十六年三月丁巳、月は食すべきところ、雲陰のため見えず。

寶慶元年正月丁丑、月食す。七月癸酉、月食す、陰雨のため見えず。二年七月戊辰、月食す、陰雨のため見えず。

紹定元年十一月甲申、月食す。二年十一月己卯、月食す。四年四月庚午、月食す。五年三月乙未、月食す。六年二月庚寅、月食す。

端平二年十二月癸卯、月食す。三年十二月丁酉、月食す。

嘉熙元年六月乙未、月食す。三年四月甲寅、月食す。四年四月戊申、月食す。

淳祐元年九月庚子、月食す。四年十月癸丑、月食す。五年七月戊申、月食す。七年五月丁卯、月食す。八年十月己丑、月食す。十一年三月乙亥、月食す。九月壬申、月食す。十二年八月丙寅、月食す。

寶祐二年閏六月丙戌、月食す。三年十二月丁丑、月食す。五年十月丁酉、月食す。六年四月癸巳、月食す。十月辛卯、月食す。

開慶元年四月戊子、月食す。十月乙酉、月食す。

景定二年七月甲戌、月食す。

咸淳二年六月丁丑、月食す。十一月甲辰、月食す。四年七月癸亥、月食す。五年九月丁巳、月食す。六年三月乙卯、月食す。九月辛亥、月食す。九年正月戊辰、月食す。十二月壬戌、月食す。

月の変異

天禧四年四月乙酉(西暦1020年5月)、西南の方角に二つの月が重なって現れた。

月の煇気

建隆元年から開宝末年に至るまで、珥が十九回、煇気が十三回、暈が二十九回、重暈が一回、半暈が十四回、交暈が二回、紐気が二回あった。

太平興国元年から至道末年に至るまで、冠気が一回、珥が六回、煇気が五回、赤気が二回、抱気が一回、暈が八回、半暈が三回、背気が一回あった。

咸平元年から乾興末年に至るまで、重輪が三回、珥が百二十回、冠気が十二回、暈気が十二回、承気が八回、抱気が三回、戴気が九回、赤黄気が十七回、五色気が十一回、青赤気が二回、黄紅気が一回、暈が三百九十四回、五色重暈が二十回、背気が一回あった。

天聖元年から嘉祐末年に至るまで、揚光が一回、光芒気が一回、紅光煇気が一回、煇気が五回、五色煇気が一回、暈が二百五十七回、周暈が三十三回、交暈が四回、連環暈が一回、珥が七十二回、冠気が五回、戴気が十三回、承気が五回、背気が一回、白虹貫月が一回、黄虹貫月が二回あった。

治平元年から四年に至るまで、五色煇気が一回、五色暈気が一回、暈が五十一回、珥が十五回、冠気が一回、戴気が四回、背気が二回あった。治平四年から元豊末年に至るまで、五色煇気が十一回、五色暈気が六回、暈が四百二十三回、周暈が二百四十七回、交暈が二回、珥が百三十四回、冠気が七回、戴気が五十回、承気が五回、背気が十回、白虹貫月が五回、貫珥が一回あった。

元豊八年三月五日から元符三年正月十二日に至るまで、五色暈気が九回、暈が八十九回、周暈が二百五十一回、重暈が一回、交暈が三回、珥が百三回、冠気が七回、戴気が二十七回、背気が八回、白虹貫月が二回、貫珥が一回あった。

元符三年正月から靖康二年四月に至るまで、暈が五回、暈珥が二回、五色暈が五回、珥が二回、暈冠が一回、交暈が一回、重暈が一回、白虹貫月が一回、五色雲が一回あった。

建炎四年十月己卯(西暦1130年11月)、暈が生じて五色となった。

紹興二年四月壬申(西暦1132年5月)、軫宿に暈が生じた。五月乙亥(同6月)、暈が生じて五色となった。四年六月壬午(西暦1134年7月)、暈が生じて珥を伴った。五年正月戊午(西暦1135年2月)、東井宿に暈が生じた。

乾道元年三月丁巳(西暦1165年4月)、暈が周囲を囲み、太微垣の西扇星に付着した。三年五月壬午(西暦1167年6月)、黄白色の暈が生じ、左右に珥があった。四年三月壬寅(西暦1168年4月)、黄白色の暈が周囲を囲んで生じた。五年二月庚子(西暦1169年3月)、黄白色の暈が周囲を囲んだ。

嘉泰三年七月壬午(西暦1203年8月)、白虹が半暈の如く月を貫いた。

淳祐六年閏四月辛丑(西暦1246年6月)、暈が五重となった。十月辛丑(同11月)、珥が生じた。八年二月戊子(西暦1248年3月)、暈が生じて黄白色となった。

宝祐四年三月乙卯、四月庚午、景定三年十月甲子、十二月辛酉、四年二月戊午、かさ皆周匝しゅうそうす。

徳祐二年正月己卯、東井とうせいに暈す。