宋史

本紀第八 眞宗三

真宗三

大中祥符四年

四年春正月辛巳、汾陰の祀事に懈怠なる執事を罪し、原ゆるすことなからんと詔す。乙酉、後土を祀る儀を習う。丁亥、汾陰を祀らんとして、啓聖院の太宗神禦殿・普安院の元徳皇后聖容を謁す。丙申、六月六日を天書再降の日として天貺節と為すことを詔す。丁酉、天書を奉じて京師を発つ。日上に黄気匹素の如く、五色雲蓋の如く、紫気仗を翼す。庚子、右僕射・判河陽張齊賢、汜水頓に見ゆ。陳堯叟、白鹿を献ず。辛丑、幄殿を訾村に陳し、諸陵を望拝す。甲辰、慈澗頓に至り、道傍の耕民に茶荈を賜う。

二月戊申、扈駕の諸軍に緡銭を賜う。華州、芝草を献ず。東京、獄空。壬子、潼関を出で、渭河を渡り、近臣を遣わして西嶽を祠る。癸丑、河中府に次ぐ。丁巳、黄雲天書輦に随う。宝鼎県奉祗宮に次ぐ。戊午、後圃の延慶亭に登る。己未、瀵泉湧き、光燭の如し。辛酉、後土地祗を祀る。是夜、月重輪し、還りて奉祗宮に至る。紫気四塞す。開元寺に幸し、大寧宮を作る。壬戌、甘州回鶻・蒲端・三麻蘭・勿巡・蒲婆・大食国・吐蕃諸族、来貢す。天下に大赦し、常赦に原さざる者も咸く赦除す。文武官並びに秩を遷し、該叙封して祖父母に回授せんと欲する者は聴す。四品以上にて、太祖・太宗の潜藩に迨事し、或いは嘗て辺任を更め家に食禄なき者は、其の子孫を録す。宝鼎県を建てて慶成軍と為す。建隆の佐命及び公王将相の丘塚、所在に致祭す。西京分司官に実俸の三分の一を給す。法官に刑名を慎ましめ、情軽く法重き者あらば以て聞かしむ。天下に酺三日を賜う。穆清殿に群臣を大宴し、父老に酒食衣幣を賜う。『汾陰配饗銘』・『河瀆四海賛』を作る。草沢の李瀆・劉巽を召す。瀆は疾を以て辞し、巽に大理評事を授く。乙丑、酺を観る。西嶽に号を加う。夷斉祠を葺がんことを詔す。丁卯、寧王元偓に服帯・鞍馬を賜うこと有加。乙巳、華州に次ぎ、雲台観に幸す。庚午、宣沢亭に宴し、紫雲龍の如く、嶽上に起る。隠士鄭隠・李寧を召見し、茶果・束帛を賜う。辛未、閿郷県に次ぎ、道士柴又玄を召見し、無為の要を問う。壬申、虢州の父老を湖城行宮に宴す。

三月甲戌、陝州に次ぎ、草沢の魏野を召す。疾を辞して至らず。乙亥、運船の卒に時服を賜う。己卯、西京に次ぐ。庚辰、河北縁辺の工役を罷む。壬午、上清宮に幸す。甲申、崇法院に幸し、移りて呂蒙正の第に幸し、服禦・金幣を賜う。丙戌、大明殿に大宴す。丁亥、歴代帝王の祠廟を葺がんことを詔す。己丑、五鳳楼に御して酺を観る。壬辰、朝陵は西京より鞏県に至るまで楽を挙げざることを詔す。癸巳、扈従人の田稼を践むことを禁ず。甲午、西京を発つ。丙申、安陵・永昌諸陵を謁す。壬寅、列子廟に幸し、潘孝子の墓を表す。

夏四月甲辰朔、上、汾陰より至る。壬子、元偁の宮に幸して疾を視る。駙馬都尉李遵勖を責授して均州団練副使と為す。峡路鈐轄、乱を為す夷人王群体等を執る。帝其の異俗を憫み、死を免じて配隷す。丙辰、含光殿に大宴す。己未、銭を賜い種放を終南に帰す。甲子、王旦に右僕射を加え、元佐を太尉と為し、元偓を進封して相王と為す。乙丑、元偓の宮に幸して疾を視る。尚書省を葺う。王欽若に吏部尚書を加え、陳堯叟に戸部尚書を加え、馮拯に工部尚書を加う。丙寅、張齊賢を以て左僕射と為す。丁卯、許国公呂蒙正薨ず。

五月丙子、交阯郡王李公蘊に同平章事を加う。癸未、廬・宿・泗等州に麦自ら生ず。辛卯、北宅に幸して徳存の疾を視る。京兆旱し、詔してこれを振恤す。癸巳、州城に孔子廟を置かんことを詔す。乙未、五嶽の帝号を上り、『奉神述』を作る。丁酉、囚を慮し、死罪は流徒に降等し、杖以下はこれを釈す。辛丑、徳存の疾を視る。

六月丙午、太白昼見す。亳州に二龍、禹祠に見ゆ。徳存卒す。丙寅、使を遣わして江・淮南の水災を安撫し、便宜に従事することを許す。交・甘等州及び大食・蒲端・三麻蘭・勿巡国の奉使官に授くることを詔す。

秋七月壬申朔、閩・浙・荊湖・広南の歳丁銭四十五万を除く。壬午、韓国・呉国・隋国長公主を進封して衛国・楚国・越国長公主と為す。鎮・眉・昌等州地震す。己丑、先に濱・棣州の水災田租の十の三を蠲免せしが、今輸すべき七分の内更に其の半を除かんことを詔す。丙申、江・洪・筠・袁の江漲し、民田を没す。

八月乙巳、太白昼見す。丙午、南宮に幸して惟敘の疾を視る。纁田の租を除かんことを詔す。庚戌、諸王・宰相を曲宴す。癸丑、青州の孤老煢独の民に帛を賜う。惟敘卒す。丙辰、唐の長孫無忌・段秀実等の孫を録し、官を授く。丁巳、文武官に刑政得失・辺防機事を言う者あらば並びに対賜せんことを詔す。癸亥、甘州回紇可汗夜落紇、表を奉じて闕に詣る。乙丑、御制『大中祥符頌』を左承天祥符門に刻す。河、通利軍に決し、御河に合し、州城を壊し田廬を傷つく。使を遣わして粟を発しこれを振恤す。

九月丁丑、涇原鈐轄曹瑋言う、籠竿川の熟戸蕃部、閒田を以て官に輸す。要害の地に兵を募りて居らしむることを請う。之に従う。戊子、太乙宮に幸して晴を祈る。辛卯、向敏中等を五嶽奉冊使と為す。癸巳、乾元楼に御して酺を観る。

冬十月戊申、朝元殿に御して五嶽冊を発す。丁巳、江・淮の塩酒価を定む。有司歳課を失わんことを慮る。帝曰く、「苟くも民に便なれば、歳入を何ぞ顧みんや」。

十一月庚午、占城国、獅子を貢す。丙子、服勤詞学・経明行修の貢挙人に御試す。

十二月乙巳、詔して楚州・泰州の潮害が禾稼を損なうを以て、租を復す。溺死した者には千銭・粟一斛を賜う。

この年、西涼府・夏州・豊州・交州・甘州、諸溪峒の蛮が来貢す。畿内に蝗あり。河北・陝西・剣南に饑饉あり。吉州・臨江軍の江水溢れ、民の田舎を害す。兗州に虸蚄蟲あり、災とならず。

大中祥符五年

五年正月乙亥、処州の進士周啓明に粟帛を賜う。戊寅、木氷が降る。壬午、元偁の宮に幸して疾を視る。河、棣州に決す。

二月庚戌、詔して貢挙人の公罪は贖うことを聴す。丙寅、詔して官吏に濱州・棣州の水害を受けた農民を安撫せしむ。

三月己丑、礼部挙人を御試す。丁未、峒酋の田仕瓊らが溪布を貢ぐ。庚戌、王旦ら並びに特進・功臣を加う。丁巳、濱州・棣州の民で物を城市に入れる者の税を一年間免ず。

夏四月戊申、向敏中を平章事と為す。有司、違法に茶を販売する者を許し同居の者が首告することを請う。帝、利を以て俗を敗るは国体に非ずと謂い、許さず。壬子、通州・泰州・楚州の塩亭戸の積負した丁額課塩を除く。乙丑、枢密直学士辺肅を責授して岳州団練副使と為す。

五月辛未、江・淮・両浙旱魃あり、占城稲の種を与え、民にこれを植えしむ。戊寅、修儀劉氏を進封して徳妃と為す。丁亥、棣州の租を十の三を免ず。戊子、近臣に金華殿に植えたる麦を賜う。

六月庚申、杭州の草沢林逋に粟帛を賜う。壬戌、詔して常参官に幕職・州県官を挙げて京官に充てしむ。癸亥、邵武軍の水害を受けた者に銭粟を賜う。

秋七月戊辰、保康門を作る。

八月丙申朔、日食あり。丁酉、周太祖の葬られた冠剣の地の樵採を禁ず。戊戌、張斉賢を司空しくうとして致仕せしむ。甲辰、詔して枢密直学士の員数を六員に限り置く。庚戌、淮南旱魃あり、運河の水を減らして民田に灌漑し、なお租の期限を寛め、州県が存恤できずして民を流亡せしむる者はこれを罪す。己未、五嶽観を作る。

九月辛未、張斉賢入対す。壬申、新たに作れる延安橋を観る。大相国寺・上清宮に幸す。宜春苑にて射る。癸酉、澄海三指揮を徙して嶺北の州郡に屯せしむ。戊子、王欽若・陳堯叟並びに枢密使・同平章事と為し、丁謂を戸部侍郎・参知政事と為す。庚寅、故鄆王・兗王の宮に幸す。

冬十月戊午、延恩殿の道場にて、帝、九天司命天尊の降臨を瞻る。己未、大赦天下し、致仕官に全俸を賜う。辛酉、『崇儒術論』を作り、国学に石を刻む。

閏月己巳、聖祖の尊号を上る。辛未、太廟に謝す。壬申、先天・降聖の節を立て、五日間休沐し、刑を輟む。乙亥、詔して聖祖母の懿号を上り、太廟六室の尊諡を加う。丙子、群臣、尊号を上りて崇文広武感天尊道応真佑徳上聖欽明仁孝皇帝と曰う。丁丑、舒州において獲たる瑞石を出し、文に「志公記」と曰う。戊寅、景霊宮太極観を寿丘に建つ。辛巳、建安軍にて聖像を鋳る。龍、雲中に現る。戊子、御製の配享楽章並びに二舞の名、文を『発祥流慶』と曰い、武を『降真観徳』と曰う。

十一月丙申、朝元殿にて玉皇を親祀す。甲辰、王旦に門下侍郎を加え、向敏中に中書侍郎を加え、楚王元佐に太師を加え、相王元偓に太傅を加え、舒王元偁に太保を加う。内外の官に恩を加う。玉清昭応宮使を置く。王旦を以てこれに当たらしむ。丁未、『汴水発願文』を作る。庚戌、詔して允言の朝参を允す。乙卯、珍禽異獣の献上を罷む。

十二月甲子、景福殿使を置く。戊辰、景霊宮を造営す。京師大寒、官炭四十万を売り、市価の半減をもって貧民を救済す。壬申、玄聖文宣王の諡を改め、至聖文宣王と曰う。戊寅、溪峒の張文喬ら八百人来朝す。己卯、天雄軍知事寇準、獄空を言上す。詔を下してこれを褒賞す。乙酉、泗州の飢饉を賑恤す。丙戌、詔す、天慶等の節日には、民の犯罪して情状軽き者はこれを釈放せよと。丁亥、徳妃劉氏を立てて皇后と為す。

是の歳、交州・甘州・西涼府・溪峒蛮、来貢す。京城・河北・淮南、飢饉あり、価格を下げて穀物を売り、流民を救済す。

大中祥符六年

六年春正月癸巳朔、上、朝元殿に御し朝賀を受く。司天監、五星同色を言上す。庚子、詔して配隸法十二箇条を減ず。戊申、内臣の出使して民政に預かることを禁ず。己酉、京師に酺を賜うこと五日。辛亥、衛国・楚國・越國長公主三人を進封して徐国・邠国・宿国と為す。庚申、淑儀・淑容・順儀・順容・婉儀・婉容を置き、昭儀の上に位す。司宮令を置き、尚宮の上に位す。婕妤楊氏を以て婉儀と為し、貴人戴氏を修儀と為し、美人曹氏を婕妤と為す。辛酉、詔す、宗正寺は帝籍を以て玉牒と為せと。

二月戊辰、酺を観る。己亥、泰州言上す、海陵の草中に聖米生じ、飢饉を救済すべしと。

三月丁未、詔す、沙門島の流人にして罪軽き者は近地に移徙せよと。乙卯、建安軍にて玉皇・聖祖・太祖・太宗の尊像を鋳造し成る。丁謂を以て迎奉使と為す。

夏四月庚辰、詔す、淮南は飢民に粥を与えよ、麦の登熟するに及んで止めよと。壬午、太白昼に見ゆ。癸未、元偁宮に幸して疾を視る。丙戌、詔す、諸州の死罪にして疑わしき者は詳審して聞上せよと。

五月壬辰、詔す、伎術官にして未だ朝班に昇らず特賜にて緋紫を賜わる者は魚袋を佩びざれと。甲辰、聖像至る。丙午、詔す、聖像の経過する郡邑は、繫囚の死罪を減じ、流罪以下はこれを釈放せよと。建安軍を真州に昇格す。乙卯、聖像を謁し、玉清宮に奉安す。丁巳、使を遣わし諸陵に奏告す。

六月壬戌、惟和卒す。趙州に黒龍現る。丁卯、寿丘、紫莖金芝を献ず。癸酉、保安軍に雨、河溢れ、兵民溺死す。使を遣わしこれを賑恤す。丙子、詔す、翰林学士陳彭年らに『三司編勅』を刪定せしむ。丁丑、諸州の黄帝祠廟を崇飾す。

秋七月癸巳、上清宮道場、香合の中に龍を獲る。己亥、中書門下表を上り、元徳皇后の祔廟を請う。庚子、配祔の礼を行ふ。癸卯、詔す、天下農器に税を課すこと勿れと。己酉、亳州の官吏父老三千三百人、闕に詣で太清宮を謁することを請う。

八月庚申、詔す、来春親しく亳州太清宮を謁すべしと。辛酉、丁謂を以て奉祀経度制置使と為す。丙寅、太清宮五里内の樵采を禁ず。庚午、太上老君に混元上徳皇帝の号を加ふ。礼儀院を置く。

九月庚寅、元偁宮に幸して疾を視る。丁酉、玉宸殿に出で、占城稲を植え百官に示す。

冬十月辛酉、元徳皇后、廟に祔す。甲子、亳州太清宮の枯檜、再生す。真源県の菽麦、再び実る。癸酉、玉清昭応宮を謁す。己卯、『歩虚詞』を作り道門に付す。壬午、降聖節、賜会すること先天節の儀の如し。

十一月辛亥、元偁宮に幸して疾を視る。癸丑、御史台に『九経』・諸史を賜う。甲寅、亳州判事丁謂、芝草三万七千本を献ず。乙卯、亀茲、使を遣わし来貢す。

十二月戊午朔、日食あり。庚申、涇原鈐轄曹瑋言上す、兵を発して原州界の撥藏族の命に違う者を討ち、捕獲甚だ衆しと。回鶻、使を遣わし来貢す。己巳、天書扶侍使趙安仁ら、奉天書車輅・鼓吹・儀仗を上る。壬申、天書を朝元殿に献じ、遂に玉清昭応宮及び太廟に告ぐ。乙亥、開宝寺・上清宮に幸す。己卯、太一宮に幸す。戎・瀘の蛮寇、平ず。

この年、西蕃・高州蠻・亀茲が来貢した。

大中祥符七年

七年春正月辛丑、囚徒を慮う。壬寅、車駕天書を奉じて京師を発す。丙午、奉元宮に次ぐ。判亳州丁謂、白鹿一頭、芝九万五千本を献ず。戊申、王旦、混元上徳皇帝の冊宝を上る。己酉、太清宮を朝謁す。天書輅に升り、雨雪たちまち霽れ、法駕進み継ぎ、佳気望みに満つ。この夜、月重輪す。先天観・広霊洞霄宮に幸す。亳州及び車駕の経過したる所の流罪以下の罪を曲赦す。亳州を集慶軍節度に升め、歳賦の十の二を減ず。奉元宮を明道宮と改む。太史、含誉星の見ゆると言う。庚戌、均慶楼に御し、酺を賜うこと三日。壬子、詔す、過ぐる所の頓遞にて民田を侵す者は、復を給すること二年とす。丙辰、南京帰徳殿を建つ。境内及び京畿車駕の過ぐる所の流罪以下の罪を赦す。太祖幕府の元勳僚旧を追贈し、常参官にて事に逮る者を録し並びに秩を進め、子孫に授けんと欲する者は聴す。鴻慶宮を作る。

二月戊午、襄邑県に次ぐ。皇子来朝す。庚申、夏州趙徳明、使いを行闕に詣らせて朝貢す。辛酉、亳州より至る。丙寅、詔す、天地壇に非ざる執事、輒く臨む者は斬ると。辛未、太廟を饗す。壬申、天地に恭謝し、天下に大赦す。乙亥、益州大鉄銭を鋳る。

三月、淯井監を城す。癸巳、雄州甲仗庫火災す。甲午、制を以て宰相王旦・向敏中・楚王元佐・相王元偓・舒王元偁・栄王元儼に枢密使・同平章事を加う。乙未、翔鸞閣に宴す。辛丑、粟を発して儀州の饑を振るう。諸州観察使の刺史を兼ぬるを復す。甲辰、元偁の宮に幸して疾を視る。丁未、皇子を慶国公に封ず。青州の民趙嵩、百十歳、詔してこれを存問す。

夏四月丁巳、西涼府廝鐸督、使いを遣わして来貢す。己未、淮南諸州の民租の十の二を賜う。癸亥、河南府獄空し、鳩その戸に巣くい、二雛を生ず。甲子、帰義軍留後曹賢順を帰義軍節度使と為す。丙子、舒王元偁薨ず。

五月壬辰、王旦を兗州景霊宮朝修使と為す。乙未、また天書刻玉使と為す。涇原路、葉施族の大首領豔般、族を率いて帰順すと言う。

六月乙卯、文字に黄帝の名号故事を用いて斥くるを禁ず。丙辰、眉州通判董栄、賄を受け獄を鬻ぎ、長安ちょうあん知県王文亀、酒に酔い刑を濫る、並びに荒裔に投ず。戊午、州県官吏に罪を決するに法を逾ゆるを戒む。壬申、婉儀楊氏を淑妃に封ず。乙亥、枢密使王欽若を罷めて吏部尚書と為し、陳堯叟を戸部尚書と為す。寇準を以て枢密使・同平章事と為す。丙子、詔す、棣州水を経て、流民帰業する者は復を給すること三年とす。

秋七月辛丑、交州李公蘊、鶴柘蠻を破り、捷を献ず。癸卯、太白昼に見ゆ。甲辰、同州観察使王嗣宗・内客省使曹利用を並びに枢密副使と為す。

八月甲寅、景霊宮使を置き、向敏中を以てこれに当たらしむ。乙卯、江・淮・両浙被災の民租を除く。丁巳、楊光習、擅に兵を領いて砦を出で、また軍中に司馬張従吉を謀殺せんとすと誣うるに坐し、鄧州に配隷す。乙丑、河東沿辺の将士に皮裘氈襪を給す。甲戌、河、澶州に決す。丁丑、内臣を命じて太祖・太宗の聖像を鴻慶宮に奉安せしむ。辛巳、詔す、嶺南の戍兵、代還の日、人ごとに装銭五百を給す。

九月丙戌、含誉星再び見ゆ。辛卯、玉皇の聖号を上り尊みて太上開天執符御歴含真体道玉皇大天帝と曰う。戊戌、服勤詞学・経明行修の挙人に御試す。辛丑、五嶽観に幸す。

冬十一月乙酉、濱州にて河溢す。玉清昭応宮成る。詔して諸路の繫囚の罪流以下の一等を減ず。己丑、王旦に司空・修宮使を加う。壬辰、乾元門に御して酺を観る。

十二月癸丑朔、日当に食らうべくして虧けず。丙辰、詔す、王欽若等五人、各々京朝・幕職・州県官にて刑典に詳練し、時務に暁け、辺寄に任ずる者二人を挙げしむ。丁巳、詔す、川・峡・閩・広の転運・提点刑獄官、属吏に貪墨惨刻なる者を察せしむ。己未、元符観を作る。庚申、契丹の使蕭延寧等、辞して帰国す。辛酉、楚王元佐に尚書令しょうしょれいを加え、相王元偓に太尉を加え、栄王元儼に中書令を兼ねさせ、忠武軍節度使魏咸信に同平章事を加え、余は並びに秩を進む。涇原路、籠竿城を築かんことを請う。

この年、夏州・西涼府・高麗・女真が来貢した。淮南・江・浙饑え、その租を除く。天下の戸九百五万五千七百二十九、口二千百九十七万六千九百六十五。

大中祥符八年

八年春正月壬午朔、玉清昭應宮に謁し、表を奉りて玉皇大天帝の聖號を尊上することを告げ、刻玉の天書を寶符閣に奉安し、還りて崇德殿に御し賀を受け、天下を赦し、十惡・枉法贓及び既に人を殺したる者を除きて皆これを除く。文武の官三歳に滿つる者は、有司考課して以て聞かしむ。乙酉、詔して環州緣邊の卒に人ごとに薪水錢を賜ふ。庚寅、清衛二指揮を置きて宮觀に奉ぜしむ。乙未、皇女入道す。戊戌、棣州城を徙す。庚戌、詔して王欽若等に供奉官より殿直に至る武幹ある者一人を舉げしむ。

二月、泗州の周憲百五歳、詔して束帛を賜ふ。甲寅、宗正寺火災あり。丙辰、唃廝囉・立遵名馬を貢ぐ。丙寅、元佐を以て天策上將軍・興元牧と爲し、劍履上殿を賜ひ、詔書に名を稱せず。丁卯、使を遣はし淮・浙路を巡撫す。癸酉、雨を祈る。丙子、詔して進士六舉・諸科九舉の者に奏名を許す。庚辰、大雨。

三月乙酉、元偓の宮に幸して疾を視る。戊戌、宗室を宴し、苑中にて射る。壬寅、禮部貢舉人を御試す。

夏四月辛酉、宰相に《五臣論》を賜ふ。壬戌、寇准を武勝軍節度使・同平章事と爲し、王欽若・陳堯叟並びに樞密使・同平章事と爲す。戊辰、德彝卒す。壬申、榮王元儼の宮火災あり、殿閣內庫に延燒す。癸酉、詔して直言を求む。丁謂を大內修葺使と命ず。戊寅、王膺應詔言事乖繆に坐し貶せらる。

五月壬午、榮王元儼武信軍節度使を罷め、降封して端王と爲す。庚寅、熒惑軒轅を犯す。壬辰、內侍省黃門を廢す。金飾の服器を禁ず。庚子、宮人一百八十四人を放つ。

六月己酉朔、日食あり。辛未、詔して諸州に《御制七條》を刻石せしむ。乙亥、惟忠卒す。

閏月己卯、天下を赦す。庚辰、王欽若《彤管懿範》を上る。

七月丙辰、諸州の牛疫を以て牛稅を一年免ず。戊午、王嗣宗を大同軍節度使と爲す。丙寅、相王元偓の新宮に幸す。宮城の火災を以て、詔して諸王に宮を外に徙さしむ。丙子、瑞聖園に幸して稼を觀、水心殿にて宴射す。

八月己卯、大理少卿閻允恭・開封判官韓允枉獄に坐し除名。戊戌、詔して京兆・河中府・陝・同・華・虢等州に貧民に麥種を貸す。

九月、注輦國土物・珍珠の衫帽を貢ぐ。甲寅、唃廝囉眾數十萬を聚め、平夏人を討ちて以て自效せんことを請ふ。丁卯、宗室を宴し、後苑にて射る。己巳、注輦使に袍服・牲酒を賜ふ。

冬十月乙巳、王欽若《聖祖先天紀》を上る。戊申、回鶻の呵羅等來貢す。

十一月辛酉、相王元偓兼中書令を加へ、端王元儼進封して彭王と爲す。癸亥、高麗使東女真と同しく來貢す。

十二月戊寅、皇子冠す。丁亥、侍禁楊承吉西蕃に使して還り、地理圖を以て進む。辛卯、皇子慶國公封ぜられ壽春郡王と爲す。

是歲、占城・宗哥族及び西蕃の首領來貢す。坊州大雨、河溢る。陝西饑ふ。

大中祥符九年

九年春正月丙辰、会霊観使を置き、丁謂を以てこれに任じ、刑部尚書を加える。壬申、張士遜・崔遵度を寿春郡王友とす。

二月丁亥、王旦ら『両朝国史』を上る。戊子、旦に司徒しとを守らせ、修史官以下は官位を進め、賜物に差等あり。甲午、詔して皇子の学ぶ所を資善堂と名づく。延州蕃部飢え、辺穀を以て貸与す。

三月丙午、雷州の無名商税銭を除く。秦州曹瑋、蕃境を撫捍して得宜なり、詔してこれを嘉す。己酉、王欽若『宝文統録』を上る。辛酉、西蕃宗哥族の李立遵を保順軍節度使とす。壬戌、詔して官を挙ぐるには必ず廉能を択べし。癸亥、修玉牒官を置く。乙丑、著作佐郎高清、贓賄の罪に坐し脊を杖ち、沙門島に配す。

夏四月庚辰、周伯星見ゆ。丙申、天下に酺を賜う。延州蕃族の飢えを振恤す。庚子、陳堯叟の第に幸して疾を視る。壬寅、唐の相元稹の七世孫を台州司馬とす。

五月乙巳、邠寧環慶部署王守斌言う、夏州蕃騎千五百来たり慶州を寇し、内属蕃部これを撃ち走らす。癸丑、南宮に幸し惟憲の疾を視る。甲寅、惟憲卒す。乙卯、毛屍等三族蕃官馮移埋、属を率いて来帰す、詔してこれを撫す。丙辰、詔して天下の繫囚、死罪は等を減じ、流以下はこれを釈す。丁巳、向敏中を宮観慶成使とす。甲子、左天廏草場火災。庚午、太白昼に見ゆ。

六月戊寅、会霊観に幸し、祝禧殿に宴す。癸未、京畿蝗。

秋七月、撫水蛮宜州を寇し、広南西路便宜を以て掩撃を請う、これを許す。丁未、京師新城を増築す。丙辰、開封府祥符県に蝗あり、草に附きて死するもの数里。戊午、京城の工役を停む。癸亥、畿内の蝗を以て、詔を下して郡県を戒む。甲子、詔して京城の楽を一月禁ず。丁卯、太乙宮・天清寺に幸す。

八月壬申、秦州知事曹瑋言う、伏羌砦蕃部廝雞波、宗哥族と連結して乱を為す、兵を以てその族帳を夷す。丙子、江・淮発運司に令し、上供米五十万を留め以て饑年に備う。磁・華・瀛・博等州蝗、災と為さず。丙戌、玉皇聖号冊文を制す。陳堯叟を右僕射とす。戊子、旱を以て、秋宴を罷む。壬辰、群臣尊号冊宝を受くることを請い、表五たび上る、これに従う。

九月癸卯、雄・の河溢る。甲辰、丁謂を平江軍節度使とす。丙午、陳彭年・王曾・張知白並びに参知政事とす。丁未、曹瑋言う、宗哥唃廝囉・蕃部馬波叱臘・魚角蟬等伏羌砦を寇し、これを撃ち破り、首千余級を斬る。庚戌、雨降らざるを以て、重陽宴を罷む。利州水、棧閣を漂う。甲寅、雨降る。諸路に督い蝗を捕えしむ。丁巳、詔して旱蝗雨を得たるを以て、宜しく稼に務め事を省き及び諸営造を罷むべし。戊午、諸路の瑞物を貢ぐことを禁ず。戊辰、青州の飛蝗海に赴きて死し、海岸に積もること百余里。己巳、詔して民に私廩を出だし貧乏を振恤する者あれば、三千石より八千石に至るまで、助教・文学・上佐の秩を第に授く。

冬十月己卯、王欽若表を上りて『翊聖保徳真君伝』を上る。壬申、詔して馮拯ら各殿直以上の武幹なる者一人を挙げしむ。壬辰、直龍図閣を置く。

十一月、会霊観に甘露降る。乙巳、詔して河・陝諸路州に禁軍五百人を簡ぶ。丁未、河西節度使石普、妄りに災異を言うに坐し、名を除き賀州に流す。丁卯、唐の裴度の孫坦を鄭州助教とす。

是歳、西蕃宗哥族・邛部山后蛮・夏州・甘州来貢す。諸州に霜隕りて稼を害し及び水災ある者、使を遣わし振恤し、その租を除く。

天禧元年

天禧元年春正月辛丑朔、元を改む。玉清昭応宮に詣でて薦献し、玉皇大天帝の宝冊・袞服を上る。壬寅、聖祖の宝冊を上る。己酉、太廟の諡冊を上る。庚戌、六室を享く。辛亥、南郊にて天地に謝し、大赦し、天安殿に御して冊号を受く。乙卯、宰相天書を天安殿に読み、遂に玉清昭応宮に幸し、『欽承宝訓述』を作りて群臣に示す。壬戌、詔して四月の旦日を天祥節とす。丙寅、王旦を命じて兗州太極観奉上册宝使とす。

二月庚午、詔して災を振恤し、州郡の常平倉を発す。壬申、正陽門に御し酺を観る。丁丑、諫官・御史各六員を置き、毎月一員事を奏し、急務あれば時に非ざる入対を聴す。戊寅、王旦に太保・中書侍郎・平章事を加え、向敏中に吏部尚書を加う。楚王元佐、雍州牧を領す。相王元偓に尚書令兼中書令を加え、徐王に進封す。彭王元儼に太保を加う。寿春郡王禎、中書令を兼ぬ。王欽若に右僕射を加え、趙徳明に太傅を加え、中外の官並びに恩を加う。辛巳、京朝官の改秩及び考ある者を考課す。壬午、宗室の子の官を授くるの制を定む。庚寅、李公蘊を進めて南平王と封ず。秦州神武軍、宗歌族・馬波叱臘等を野呉穀に破り、人馬多く獲る。己亥、陳彭年卒す。

三月辛丑の日、雨が降らないため、四海に祈った。壬寅の日、雨が降らず、上巳の宴を罷めた。庚申の日、潮州の未納塩三百七十万余りを免除した。辛酉の日、粥を作って懐州・衛州の流民を救済せよと命じた。

夏四月庚辰の日、陳堯叟が卒去した。戊子の日、邵州の野竹に実が生じ、飢えた者に食わせた。

五月戊戌の日、流民を慰撫するよう各地に詔した。戊申の日、王旦を太尉・侍中とし、五日ごとに中書に入るようにしたが、王旦は懇願して辞退し拝命しなかった。己酉の日、熒惑星が太微垣を犯した。乙卯の日、歳貢の鷹犬を放免した。己未の日、太祖の御影を西京応天院に奉安し、向敏中を礼儀使とした。諸路で蝗が苗を食い、内臣を分遣して捕獲させ、また使者を派遣して安撫するよう命じた。

六月壬申の日、西京の囚人を赦し、死罪は一等を減じ、流罪以下は釈放した。父老で八十歳の者には茶と絹帛を賜い、その課役を免除した。戊寅の日、升州の後湖の租銭五十万余りを免除し、民に灌漑用の田とすることを許した。陝西・江・淮南の蝗は、いずれも自然に死んだと報告された。庚辰の日、盗賊が後漢高祖こうその陵を発掘し、法律に照らして処断し、併せて守土の官吏を弾劾した。内侍の王克讓を派遣して礼をもって改葬させ、知制誥の劉筠に祭告させた。これにより、前代の帝王陵寢での薪刈りを禁ずるよう州県に申し渡すことを詔した。乙酉の日、大食国の蕃客の税を半減した。亀茲国の使者張復延らが玉勒の鞍馬を貢ぎ、その代価を支給するよう命じた。己丑の日、王旦が崇政殿で応対した。

秋七月丁未の日、長雨のため朝参を免除した。己未の日、魏咸信の邸宅に行幸し病状を見舞った。甲子の日、魏咸信が卒去した。

八月庚午の日、王欽若を左僕射兼中書侍郎・平章事とした。壬申の日、向敏中に右僕射兼門下侍郎を加えた。王旦が便殿で応対した。丙子の日、京城の禁囲の草地を民に耕作・放牧させることを許すと詔した。丁丑の日、狨の捕獲を禁じた。戊寅の日、牛税を一年免除した。

九月癸卯の日、参知政事の王曾を礼部侍郎とし、李迪を参知政事とし、馬知節を枢密院事とし、曹利用・任中正・周起をいずれも同知枢密院事とした。丙午の日、王旦の邸宅に行幸し病状を見舞った。戊申の日、蝗害のため秋宴を罷めた。己酉の日、王旦が薨去した。甲寅の日、汴渠で転覆・水死した者を救出した者には賞を与え、あるいは水死した者が貧しければ官銭で給付すると詔した。丁未の日、衛士に騎射を教習した。

冬十月辛未の日、閣門に対し、今後審官院・三班院・流内銓が後殿で公事を引見するのは一日に二司を超えないよう詔した。壬申の日、諸州に対し、季節外れの災害を報告しない者は罪に処すと諭した。己卯の日、京東の上供物を廃止した。辛卯の日、寿春郡王及びその王友張士遜らに詩を賜った。

十一月己亥の日、曲宴の日には後殿での政務を停止すると詔した。辛丑の日、曹瑋が鬼留家族を平定した。壬寅の日、淮・浙・荊湖に放生池を設け、漁労・採集を禁ずると詔した。乙卯の日、太一宮に行幸し、大雪が降った。帝は宰相に言った、「雪は確かに豊作の兆しではあるが、民力がまだ充実せず、播種を失うことを憂う。卿らは努めて勧農に励み、地利を遺すことなかれ」。壬戌の日、契丹の使者耶律准が承天節を祝賀に来朝した。高麗の使者徐訥が女真の首領を率いて崇政殿で応対し、方物を献上した。

十二月丙寅の日、京城は雪寒であり、貧民に粥を給し、併せて死者を埋葬した。乙亥の日、京城の工事労役を罷めた。丙子の日、厳寒のため朝参を免除した。丁丑の日、未納の負債を免除し、囚人を釈放した。己卯の日、女真国の人々が帰国するに当たり、旅装の費用を給付した。高麗の使者徐訥に瑞聖園で賜射を行った。辛卯の日、陝西の辺境沿いで穀物を売る者には算を課さないと詔した。壬辰の日、使者を派遣して汴河沿いに流屍を収容埋葬させた。

この年、三仏斉・亀茲国が来貢した。諸路で蝗害があり、民は飢えた。鎮戎軍で風雹が農作物を害したため、詔して倉を開いて救済し、租賦を免除し、種子と食糧を貸し与えた。

天禧二年

二年春正月乙未の日、真遊殿に芝草が生えた。壬寅の日、河北・京東の飢饉を救済した。辛亥の日、寿春郡王に『恤民歌』を賜った。戊午の日、王欽若らが『天禧大礼記』四十巻を上進した。己未の日、使者を派遣して京東の官吏に飢民を安撫するよう諭し、また諸路に粥で救済するよう命じた。

二月丙寅の日、甘州が来貢した。丁卯の日、寿春郡王に太保を加え、升王に進封した。近臣に常参官で御史に堪えうる者を推挙するよう詔した。庚午の日、右正言の劉燁が今後言事する者は殿上に昇ることを許すよう請い、これに従った。庚辰の日、京西の飢饉を救済した。乙酉の日、徐王元偓の宮に行幸し病状を見舞った。

三月辛丑の日、京城を修築した。丙辰の日、先に貧民に貸し与えた糧種の回収を停止した。

夏四月戊子、飛山雄武教場に幸し、従臣将士を宴し賜う。庚寅、天下を赦し、死罪は一等を減じ、流罪以下はこれを釈す。

閏月、辰州は下溪州蛮を討ち、首六十余級を斬り、千余人を降す。己亥、詔して戸部尚書馮拯等に幕職・令録の京官に堪えうる者各二人を挙げしむ。癸卯、馬知節を彰徳軍留後とす。丁未、霊泉京師に出で、これを飲む者疾を癒す。祥源観を作る。壬子、徐王元偓の宮に幸して疾を視る。

五月壬戌、詔して長吏に孝弟力田の者を恤わしむ。甲子、徐王元偓薨ず。丁卯、下溪州蛮彭儒猛の罪を釈す。丙戌、西京に訛言あり、妖帽の如く、夜に飛び、民甚だ恐る。

六月壬辰、詔して三班使臣経七年の者を考課し秩を遷す。己亥、詔して諸州の上佐・文学・参軍謫降十年の者、郷に還るを聴す。乙巳、訛言帽妖京師に至ると、民夜に叫噪し暁に達す。詔して嘗て邪法を為したる者耿概等を捕え市に棄つ。辛亥、彗星北斗魁に出ず。

秋七月壬申、星変を以て天下を赦し、流罪以下の罪は等を減じ、左降官羈管十年以上の者は放ちて京師に還し、京朝官丁憂七年未だ改秩せざる者は以て聞かしむ。丁亥、彗星没す。

八月庚寅、群臣皇太子を立てんことを請う、従う。壬寅、下溪州彭儒猛、掠めし漢人の生口・器甲等を納む。詔して袍帯を賜う。甲辰、皇子升王を立てて皇太子とす。天下に大赦し、宗室に恩を加え、群臣に勲一転を賜う。戊申、黎州山后両林百蛮都王李阿善、使いを遣わして来貢す。壬子、彭王元儼を進めて通王と封ず。李迪を以て太子賓客を兼ねしむ。癸丑、『元良箴』を作り皇太子に賜う。甲寅、楚王元佐に興元牧を加え、徐国長公主を進めて福国と封じ、邠国長公主を進めて建国と封じ、宿国長公主を進めて鄂国と封ず。乙卯、詔して畎索河水を金水河に入る。丙辰、徳雍・徳文・惟政を並びに諸州防禦使とし、允成・允升・允寧を並びに諸州団練使とす。

九月丁卯、皇太子を冊す。庚午、詔して外戍諸軍の物を全く給す。庚辰、乾元門に御し酺を観る。

冬十月庚子、玉宸殿に御し、近臣を召して占城稲の刈りを観、遂に安福殿に宴す。

十二月辛丑、張旻を武寧軍節度使・同平章事とす。

是歳、占城国・甘州・溪峒・黎州山后蛮来貢す。陝西旱し、これを振恤す。江陰軍に蝻あり、災と為さず。

天禧三年

三年春正月癸亥、貢挙人郭稹等崇政殿に見ゆ。稹は喪に冒して挙に赴く。命じて典謁にこれを詰ましむ。即ち咎を引き、三挙を殿す。

二月乙未、河南府地震す。

三月戊午朔、日食あり。呂夷簡を遣わして陝・亳の民の訛言を体訪せしむ。丙寅、礼部貢挙人を御試す。癸未、翰林学士・工部尚書錢惟演等、挙を知りて実を失うに坐し、一官を降す。甲申、潁州に石隕ちて泉出で、これを飲めば疾を癒す。

夏四月甲午、西上閤門使高継勳、馬を市して直を虧くに坐し官を削らる。

五月丁巳の日、大食国が来朝して貢物を献じた。乙丑の日、左諫議大夫の戚綸が上を誹謗した罪に坐し、岳州副使に貶せられた。辛未の日、囚徒をりょした。

六月癸未の日、淮南の漕渠を浚渫し、三堰を廃した。甲午の日、王欽若を太子太保とした。黄河が滑州で決壊した。戊戌の日、寇準を中書侍郎兼吏部尚書・平章事とし、丁謂を吏部尚書・参知政事とした。滑州の決壊した黄河が、澶・濮・鄆・齊・徐の地域に氾濫した。溺死者を救い、その家族をじゅんする使者を派遣した。

秋七月壬申の日、曹璨が卒した。群臣が表を奉って尊号を上った。その号は「体元御極感天尊道応真宝運文徳武功上聖欽明仁孝皇帝」という。

八月丁亥の日、天下に大赦を行った。道・釈の童行を普度した。滑州に龍が現れ、黄河が決壊した。辛卯の日、太白星が昼間に見えた。己亥の日、慶州の逃亡した熟戸の委乞らが帰順してきた。庚戌の日、使者を派遣して京東西路・河北路の水害を撫恤した。

九月乙丑の日、慶州の骨咩・大門などの族が帰順した。辛巳の日、中官を派遣して、溺死した高麗の貢使を存問した。

冬十一月己巳の日、景霊宮に謁した。庚午の日、太廟を饗した。辛未の日、圜丘で天地を祀り、天下に大赦を行った。二任五考で責罰のない者を選び、身・言・書・判を試みた。丁丑の日、天安殿に御して尊号の冊を受けられた。

十二月丙戌の日、富州の蛮酋の向光沢が表を奉って土地を納めようとしたが、詔してこれを退けた。辛卯の日、向敏中に左僕射・中書侍郎兼礼部尚書・平章事を加え、寇準に右僕射を加え、通王元儼を進めて涇王に封じ、曹利用・丁謂をともに枢密使とし、百官に恩を加えた。癸巳の日、任中正・周起をともに枢密副使とした。

この年、高麗・女真が来朝して貢物を献じた。江・浙および利州路が飢饉となり、詔してこれをしんした。

天禧四年

四年春正月乙丑の日、華州観察使の曹瑋を鎮国軍留後・僉枢密院事とした。丙寅の日、揚州の運河を開いた。己巳の日、元符観に幸した。庚午の日、処士の魏野に著作郎を追贈し、その家に粟帛を賜った。

二月、帝が御不ごふよとなられた。癸未の日、使者を派遣して淮南・江・浙・利州の飢民を安撫した。滑州の決壊した黄河が塞がった。辛丑の日、唐・鄧八州の常平倉を開いて貧民を賑した。

三月戊午の日、淄州の民が飢えたため、牛と糧を貸し与えた。甲子の日、蕃部に粟を賑給した。庚午の日、詔して川峡の致仕官が本貫に還ることをゆるした。癸酉の日、川・広の挙人に定額に拘束されないことを命じた。己亥の日、益・梓の飢民を賑した。己卯の日、向敏中が薨じた。

夏四月丁亥の日、大風が吹き、昼間が暗くなった。庚寅の日、江南転運使を東路・西路に分けた。丙申の日、前定陶県尉の麻士瑤を青州で杖殺した。

五月丁巳の日、粟を発して秦・隴を賑した。

六月丙申の日、寇準を太子太傅・萊国公とした。黄河が滑州で決壊した。壬寅の日、礼部が奏上した挙人九十三人を御試した。

秋七月丁巳、太白昼に見ゆ。辛酉、京城大雨、水廬舎の大半を壊す。丙寅、李迪を以て吏部侍郎兼太子少傅・平章事と為し、馮拯を枢密使・吏部尚書・同平章事と為す。霖雨の営舎を壊すを以て、諸軍に緡銭を賜う。庚午、丁謂を以て平章事と為し、曹利用を同平章事と為す。癸酉、入内副都知周懷政誅に伏す。丁丑、太子太傅寇准太常卿に降授せられ、翰林学士盛度・枢密直学士王曙並びに職を罷む。

八月、永興軍都巡検使朱能中使を殺し叛く。乙酉、任中正・王曾を並びに参知政事と為す。詔して利・夔路に常平倉を置かしむ。丙戌、朱能自殺す。壬寅、寇準道州司馬に貶せらる。甲辰、諸軍に器幣を賜う。入内押班鄭志誠朱能と交わるに坐し、両任を削り、房州に配隷せらる。

九月己酉、近臣張知白・晁迥・楽黄目等を分遣し各々常参官を挙げしめ、諸路転運及び勧農使に各々京官・知県に堪ふる者二人を挙げしめ、知制誥・知雑御史・直龍図閣に各々御史に堪ふる者一人を挙げしむ。丙辰、始めて崇徳殿に御して事を視、朱能の党を治め、死・流する者数十人。己未、久雨、朝を放つ。壬戌、給事中朱巽・工部郎中梅詢朱能の奸を察せざるに坐し官を謫せらる。丁卯、天下を赦す。己巳、使を遣わし永興軍を安撫せしむ。壬申、京城に酺を賜う。

冬十月戊寅、命じて唐制に依り、双日に事を視ざらしむ。壬午、正陽門に幸して酺を観る。帝自ら不豫にして、漸く臨幸少なく、此に至り人情大いに悦ぶ。壬辰、王欽若を資政殿大学士と為す。甲辰、水災州県の秋租を減ず。丙午、皇子・宗室・近臣を玉宸殿に召し稲を観せしめ、宴を賜う。

十一月戊午、近臣を龍図閣に召し御製文詞を観せしむ。帝曰く、「朕聴覧の暇、翰墨を以て自ら娯しむ。垂範に足らずと雖も、亦た平生此に游心す」と。宰臣丁謂鏤板して宣布せんことを請う。庚申、内より御製七百二十二巻を出だし宰臣に付す。丙寅、丁謂に門下侍郎兼太子太傅を加え、李迪に中書侍郎兼尚書左丞を加え、前の如く少傅と為す。迪・謂帝の前に於いて忿争す。戊辰、謂を罷めて戸部尚書と為し、迪を戸部侍郎と為す。任中正・王曾・銭惟演並びに太子賓客を兼ね、張士遜・林特並びに太子詹事を兼ね、晏殊を太子左庶子と為す。己巳、詔して謂をして中書に赴き事を視せしむること旧の如くせしむ。庚午、詔して自今より軍国大事を除き仍って旧の如く親決し、余は皆皇太子に委ね宰相・枢密使等と参議して之を行わしむ。太子表を上り陳して譲るも、允さず。丁謂を以て太子少師を兼ね、馮拯を少傅を兼ね、曹利用を少保を兼ねしむ。辛未、詔して自今より群臣五日に長春殿に起居し、余は隻日に承明殿に朝を視しむ。甲戌、丁謂等天章閣を作り御集を奉安せんことを請う。

十二月乙酉、皇太子親政す。詔して内臣の旨を伝うるは覆奏を須うべし。丁亥、亀茲・甘州回鶻使いを遣わし来貢す。己丑、王欽若に司空を加う。庚寅、資善堂に事を議し、張景宗に命じて皇太子に侍らしむ。丁酉、王欽若を山南東道節度使・同平章事と為す。

閏月丁卯、唃廝囉を以て辺患と為すに因り、詔して陳堯咨等を巡撫せしむ。庚午、京城穀貴し、直を減じて常平倉を発す。乙亥、帝不豫、力疾して承明殿に御し、手書を宰相に賜い、儲貳を輔導すべきの意を諭す。

是歳、京西・陝西・江・淮・荊湖諸州稔る。

天禧五年

五年春正月己丑、帝疾癒え、出でて啓聖院に幸す。癸巳、詔して天下の死罪を降し、流以下を釈す。乙未、使いを遣わし京東の水災を撫す。丁酉、張士遜を枢密副使と為す。己亥、近臣を承明殿に宴す。

二月甲寅、審刑院天下に断獄無しと言う。丙寅、天下に酺を賜う。庚午、孔子四十七世の孫聖祐を以て文宣公を襲封せしむ。

三月辛巳、正陽門に御して酺を観る。辛丑、京東・西水災、民に租の十の五を賜う。壬寅、丁謂に司空を加え、馮拯に左僕射を加え、曹利用に右僕射を加え、任中正を工部尚書と為す。

夏四月丙辰、客星軒轅に出づ。

五月乙亥、囚を慮し、天下の死罪を降す。

六月丙午、太白昼に見ゆ。

秋七月甲戌朔、日に食あり。戊寅、新たに景霊宮万寿殿を作る。

八月壬戌、熒惑南斗を犯す。

九月戊寅、唃廝囉降を請う。

冬十月癸卯、京東西・淮・浙の災害を受けた民の租を蠲免す。壬子、漢・唐の故事に依り、五日毎に朝を受け、慶会に遇えば、皇太子押班す。

十一月戊子、王欽若、山南東道節度使として闕に擅かに赴いたことを坐し、司農卿に降格し、南京に分司す。

是歳、高麗使いを遣わして来貢す。京東・河北・両川・荊湖稔る。

乾興元年

乾興元年春正月辛未朔、元を改む。丁亥、東華門に御して燈を観る。戊戌、秀州水災の民租を蠲免す。

二月庚子、天下に大赦す。癸卯、尊号を上りて応天尊道欽明仁孝皇帝と曰う。詔して蘇・湖・秀州の民の饑えたるに、廩粟を貸す。甲辰、制して丁謂を晋国公に封じ、馮拯を魏国公に封じ、曹利用を韓国公に封ず。庚戌、詔して徐州貧民を振恤す。甲寅、宰相に寝殿に対す。帝不豫増劇し、山川神祇に祷る。戊午、帝大漸し、遺詔して皇太子に柩前において即皇帝位せしむ。皇后を尊びて皇太后と為し、軍国事を権に処分せしめ、淑妃を皇太妃と為す。帝この日延慶殿に崩ず、年五十五、在位二十六年。十月己酉、永定陵に葬る。己未、太廟に祔す。天聖二年十一月、尊諡を上りて文明武定章聖元孝皇帝と曰い、廟号を真宗とす。慶暦七年、諡を加えて膺符稽古神功譲徳文明武定章聖元孝皇帝とす。

紀讚

贊に曰く、真宗は英悟の主なり。其の初め践位するや、相臣李沆其の聡明を慮り、必ず多く作為有らんとし、数え災異を奏して其の侈心を杜がんとす。蓋し見る所有り。澶洲既に盟り、封禅の事作り、祥瑞遝臻し、天書屡降り、導迎奠安し、一国の君臣病狂の如く然る。吁、怪しむ可し。他日『遼史』を修し、契丹の故俗を見て而る後に宋史の微言を推求す。宋は太宗幽州の敗より、兵を言うを悪む。契丹其の主を天と称し、其の後を地と称し、一歳に天を祭ること其の幾たびを知らず、猟して手ずから飛雁を接ぎ、鴇自ら地に投ずるも、皆天賜と称し、祭告して誇耀す。意うらくは宋の諸臣、契丹の習を知るに因り、又其の君に兵を厭うの意有るを見て、遂に神道設教の言を進め、仮に是を以て敵人の聴聞を動かさんと欲し、庶幾くは其の窺覦の志を潜かに消すに足らんか。然れども本を修めて以て敵を制するを思わず、又尤を效す。計また末なり。仁宗天書を以て山陵に殉葬す。嗚呼賢なるかな。