周書
卷二十四 列傳第十六 盧辯
盧辯は字を景宣といい、范陽郡涿県の人である。代々儒学を家業とした。父の靖は太常丞であった。
辯は若くして学問を好み、経書典籍に広く通じ、秀才に挙げられ、太学博士となった。大戴礼に解釈・注釈がなかったため、辯はこれに注を施した。その兄の景裕は当時の碩学の儒者であったが、辯に言うには、「昔、侍中 (鄭玄) が小戴礼に注したが、今、汝が大戴礼に注す。前人の業績を継ぐことができよう」と。
帝 (孝武帝) が関中に入った時、事は突然に起こり、辯は家に帰る暇もなく、単騎で従った。ある者が辯に問うて言うには、「家に別れを告げることができたか」と。辯は言う、「門外の治 (朝廷の政務) においては、義をもって恩を断つ。また何を告げる必要があろうか」と。孝武帝が長安に至ると、給事黄門侍郎に任じられ、著作を領した。太祖 (宇文泰) は辯に儒術があるとして、大いに礼遇し、朝廷の重大な議事があると、常に召して顧問とした。趙青雀の乱の時、魏の太子は渭水の北に出て駐まった。辯はその時従っていたが、また家人にも告げなかった。その志を固くし敢然と決断する様は、皆この類であった。まもなく太常卿・太子少傅に除された。魏の太子及び諸王らは、皆束脩の礼を行い、辯に師事して学業を受けた。范陽公に爵位を進められ、少師に転じた。
魏末の離乱以来、孝武帝が西遷してから、朝廷の制度や礼儀の度合いは、すっかり廃れ失われていた。辯は時勢に合わせて適切な措置を講じ、全て軌範に合うものとした。性質として記憶力が強く物事を暗黙に理解し、大事を決断することができた。凡そ創設制定したことは、それを処置して疑わなかった。累遷して尚書右僕射となった。世宗 (明帝) が即位すると、位を進めて大將軍となった。帝は嘗て諸公と共にその邸宅に行幸し、儒者としての栄誉とされた。出向して宜州刺史となった。薨去し、太祖の廟庭に配祀された。子に慎がいる。
初め、太祖は周官 (周礼の官制) を行おうとし、蘇綽に専らその事を掌らせた。間もなくして綽が卒すると、乃ち辯に完成させた。ここにおいて周礼に依って六官を建て、公・卿・大夫・士を置き、併せて朝儀を撰び整え、車服や器用は多く古礼に依り、漢・魏の法を改めた。事は全て施行された。今、辯の述作した六官を篇に著して記す。天官府 (冢宰等の諸職を管轄) 、地官府 ( 司徒 等の諸職を領す) 、春官府 (宗伯等の諸職を領す) 、夏官府 (司馬等の諸職を領す) 、秋官府 (司寇等の諸職を領す) 、冬官府 ( 司空 等の諸職を領す) 。史書には具に記載されているが、文が多いのでここには記さない。
辯の述作した六官は、太祖が魏の恭帝の三年に始めてその施行を命じた。これ以降、代々増減があった。宣帝が嗣位すると、事を古に師とせず、官員の班位や品階を随意に変革した。例えば初めて四輔官を置き、及び六府諸司に中大夫を復置し、併せて御正・内史に上大夫を増置するなどは、外史に記載されている。その他は朝に出した制度が夕に改まり、詳しく記録することができなかった。当時は周礼を行っていたが、内外の諸職には、また秦漢等の官制を兼用していた。今、その名号及び命数 (官品に相当) を略挙し、左に附す。紀伝内に更に他の官がありながらここに記載しないものも、また史書の欠文である。
柱國大將軍、大將軍。 (右は正九命。)
驃騎・車騎等大將軍、開府儀同三司、雍州牧。 (右は九命。)
驃騎・車騎等將軍、左・右光祿大夫、戸三万以上の州刺史。 (右は正八命。)
征東・征西・征南・征北・中軍・鎮軍・撫軍等將軍、左・右金紫光祿大夫、大 都督 、戸二万以上の州刺史、京兆尹。 (右は八命。)
平東・平西・平南・平北・前・後將軍、左・右將軍、左・右銀青光祿大夫、帥 都督 、戸一万以上の州刺史、柱國大將軍府長史・司馬・司錄。 (右は正七命。)
冠軍・輔國等將軍、太中・中散等大夫、 都督 、戸五千以上の州刺史、戸一万五千以上の郡守。 (右は七命。)
鎮遠・建忠等將軍、諫議・誠議等大夫、別將、開府長史・司馬・司錄、戸五千未満以下の州刺史、戸一万以上の郡守、大呼藥。 (右は正六命。)
中堅・寧朔等將軍、左・右中郎將、儀同府・正八命州の長史・司馬・司錄、戸五千以上の郡守、小呼藥。 (右は六命。)
寧遠・揚烈 (伏波) 等將軍、左・右員外常侍、統軍、驃騎車騎府・八命州の長史・司馬・司錄、柱國大將軍府中郎掾属、戸一千以上の郡守、長安・萬年県令。 (右は正五命。)
伏波将軍、軽車将軍 (等) の将軍;奉車都尉、奉騎都尉等の都尉;四征将軍・中軍将軍・鎮軍将軍・撫軍将軍の府、正七命の州の長史、司馬、司録;開府府の中郎掾属;戸数千に満たない郡の太守;戸数七千以上の県の令;正八命の州の呼薬。〈右は五命。〉
宣威将軍、明威将軍等の将軍;武賁給事、冗従給事等の給事;儀同府の中郎掾属;柱国大将軍府の列曹参軍;四平将軍・前将軍・後将軍・左将軍・右将軍の府、七命の州の長史、司馬、司録;正八命の州の別駕;戸数四千以上の県の令;八命の州の呼薬。〈右は正四命。〉
襄威将軍、厲威将軍;給事中;奉朝請;軍主;開府府の列曹参軍;冠軍将軍府・輔国将軍府、正六命の州の長史、司馬、司録;正七命の州の別駕;正八命の州の治中;七命の郡の丞;戸数二千以上の県の令;正七命の州の呼薬。〈右は四命。〉
威烈将軍、討寇将軍、左員外侍郎、右員外侍郎、幢主、儀同府・正八命の州の列曹参軍、柱国府参軍、鎮遠将軍府・建忠将軍府・中堅将軍府・寧朔将軍府の長史・司馬、正六命の州の別駕、正七命の州の治中、正六命の郡の丞、戸数五百以上の県の令、七命の州の呼薬。〈右は正三命。〉
蕩寇将軍、蕩難将軍、武騎常侍・侍郎、開府府参軍、驃騎将軍府・車騎将軍府、八命の州の列曹参軍、寧遠将軍府・揚烈将軍府・伏波将軍府・軽車将軍府の長史、正六命の州の治中、六命の郡の丞、戸数五百に満たない県の令、戍主、正六命の州の呼薬。〈右は三命。〉
殄寇将軍、殄難将軍、彊弩司馬・積弩司馬、四征将軍・中軍将軍・鎮軍将軍・撫軍将軍の府、正七命の州の列曹参軍、正五命の郡の丞。〈右は正二命。〉
掃寇将軍、掃難将軍、武騎司馬・武威司馬、四平将軍・前将軍・後将軍・左将軍・右将軍の府、七命の州の列曹参軍、戍副、五命の郡の丞。〈右は二命。〉
曠野将軍、横野将軍、殿中司馬・員外司馬の二司馬、冠軍将軍府・輔国将軍府、正六命の州の列曹参軍。〈右は正一命。〉
武威将軍、武牙将軍、淮海都尉・山林都尉の二都尉、鎮遠将軍府・建忠将軍府・中堅将軍府・寧朔将軍府・寧遠将軍府・揚烈将軍府・伏波将軍府・軽車将軍府の列曹参軍。〈右は一命。〉
周の制度:郡県五等の爵を封ずる者は、皆「開国」を加える;柱国大将軍・開府・儀同を授かる者は、並びに使持節・大 都督 を加える;その開府にはまた驃騎大将軍・侍中を加え;その儀同にはまた車騎大将軍・ 散騎常侍 を加える;その総管・刺史を授かる者は、則ち使持節・諸軍事を加える。これを常例とす。大象元年、詔して総管・刺史及び兵を行なう者は、持節を加持し、その余は悉くこれを罷む。建徳四年、上柱国大将軍を増置し、儀同三司を改めて儀同大将軍とす。