周書

巻001

卷一 帝紀第一 文帝上

太祖文皇帝は宇文氏に姓し、諱は泰、字は黒獺、代の武川の人である。その祖先は炎帝神農氏より出で、黄帝に滅ぼされ、子孫は朔野に遁居した。葛烏菟という者あり、雄武にして算略多く、鮮卑はこれを慕い、主として奉じ、遂に十二部落を総べ、代々大人となった。その後、普回という者あり、狩猟の際に玉璽三紐を得、文に「皇帝璽」とあり、普回は心に異とし、天授と為す。その俗、天を宇と謂い、君を文と謂う。因って宇文国と号し、併せて氏と為す。

原文 太祖文皇帝姓宇文氏,諱泰,字黑獺,代武川人也。其先出自炎帝神農氏,為黃帝所滅,子孫遯居朔野。有葛烏菟者,雄武多算略,鮮卑慕之,奉以為主,遂總十二部落,世為大人。其後曰普回,因狩得玉璽三紐,有文曰皇帝璽,普回心異之,以為天授。其俗謂天曰宇,謂君曰文,因號宇文國,并以為氏焉。

普回の子莫那、陰山より南に徙り、始めて遼西に居す。是を献侯と曰い、魏の舅生の国と為る。九世にして侯豆帰に至り、慕容晃に滅ぼされる。その子陵は燕に仕え、駙馬都尉に拝され、玄菟公に封ぜられる。魏の道武帝、中山を攻めんとす。陵は慕容宝に従いこれを防ぐ。宝敗れ、陵は甲騎五百を率いて魏に帰し、都牧主に拝され、安定侯の爵を賜う。天興初年、豪傑を代都に徙す。陵は例に随い武川に遷る。陵は系を生み、系は韜を生む。並びに武略を以て称せらる。韜は肱を生む。

原文 普回子莫那,自陰山南徙,始居遼西,是曰獻侯,為魏舅生之國。九世至侯豆歸,為慕容晃所滅。其子陵仕燕,拜駙馬都尉,封玄菟公。魏道武將攻中山,陵從慕容寶禦之。寶敗,陵率甲騎五百歸魏,拜都牧主,賜爵安定侯。天興初,徙豪傑於代都,陵隨例遷武川焉。陵生系,系生韜,並以武略稱。韜生肱。

肱は任侠あり気幹あり。正光末年、沃野鎮の人破六汗抜陵乱を起こし、遠近多くこれに応ず。その偽署の王衛可孤は徒党最も盛ん。肱は乃ち郷里を糾合して可孤を斬り、その衆は乃ち散ず。後に中山に地を避け、遂に鮮于修礼に陥る。修礼は肱に令してその部衆を還統せしむ。後に定州軍に破られ、陣に歿す。武成初年、追尊して徳皇帝と曰う。

原文 肱任有俠有氣幹。正光末,沃野鎮人破六汗拔陵作亂,遠近多應之。其偽署王衞可孤徒黨最盛,肱乃糺合鄉里斬可孤,其眾乃散。後避地中山,遂陷於鮮于修禮。修禮令肱還統其部眾。後為定州軍所破,歿於陣。武成初,追尊曰德皇帝。

太祖は徳皇帝の少子なり。母は王氏と曰う。孕むこと五月、夜に子を抱いて天に昇る夢を見る。纔に至らずして止む。覚めて徳皇帝に告ぐ。徳皇帝喜びて曰く、「天に至らずとも、貴きこと亦極まれり」と。生まれて黒気あり蓋の如く、下ってその身を覆う。長ずるに及び、身長八尺、方顙広額、美鬚髯、髪長く地に委ね、手を垂れて膝を過ぎ、背に黒子あり、宛転として龍盤の形の若く、面に紫光あり、人望んで畏敬す。少より大度あり、家人の生業に事えず、財を軽んじ施しを好み、賢士大夫と交結す。

原文 太祖,德皇帝之少子也。母曰王氏,孕五月,夜夢抱子昇天,纔不至而止。寤而告德皇帝,德皇帝喜曰:「雖不至天,貴亦極矣。」生而有黑氣如蓋,下覆其身。及長,身長八尺,方顙廣額,美鬚髯,髮長委地,垂手過膝,背有黑子,宛轉若龍盤之形,面有紫光,人望而敬畏之。少有大度,不事家人生業,輕財好施,以交結賢士大夫。

少くして徳皇帝に従い鮮于修礼の軍に在り。葛栄、修礼を殺すに及び、太祖時に年十八、栄は遂に将帥を以て任ず。太祖その成る無きを知り、諸兄と謀りて逃避せんと欲す。計未だ行わざるに、会に爾朱栄、葛栄を擒にし、河北を定む。太祖は例に随い晋陽に遷る。栄は太祖兄弟の雄傑なるを以て、或いは己に異なるを懼れ、遂に他罪を託して太祖の第三兄洛生を誅し、復た太祖を害せんと欲す。太祖自ら家の冤を理し、辞旨慷慨、栄感じてこれを免し、益々敬待を加う。

原文 少隨德皇帝在鮮于修禮軍。及葛榮殺修禮,太祖時年十八,榮遂任以將帥。太祖知其無成,與諸兄謀欲逃避,計未行,會爾朱榮擒葛榮,定河北,太祖隨例遷晉陽。榮以太祖兄弟雄傑,懼或異己,遂託以他罪,誅太祖第三兄洛生,復欲害太祖。太祖自理家冤,辭旨慷慨,榮感而免之,益加敬待。

孝昌二年、燕州乱る。太祖始めて統軍として栄に従いこれを征す。是に先立ち、北海王顥、梁に奔る。梁人これを立てて魏主と為し、兵を率いて洛に入ることを令す。魏の孝荘帝、河内に出居してこれを避く。栄は賀抜岳を遣わして顥を討たしめ、仍って孝荘帝を迎えしむ。太祖は岳と旧あり、乃ち別将として岳に従う。孝荘帝の反正するに及び、功を以て寧都子に封ぜられ、邑三百戸、鎮遠将軍・歩兵校尉に遷る。

原文 孝昌二年,燕州亂,太祖始以統軍從榮征之。先是,北海王顥奔梁,梁人立為魏主,令率兵入洛。魏孝莊帝出居河內以避之。榮遣賀拔岳討顥,仍迎孝莊帝。太祖與岳有舊,乃以別將從岳。及孝莊帝反正,以功封寧都子,邑三百戶,遷鎮遠將軍、步兵校尉。

万俟醜奴、関右に乱を起こす。孝荘帝は爾朱天光及び岳等を遣わしてこれを討たしむ。太祖は遂に岳に従い関に入り、先鋒として偽行臺尉遅菩薩等を破る。醜奴を平げ、隴右を定むるに及び、太祖の功多くを占め、征西将軍・金紫光禄大夫に遷り、邑三百戸を増し、直閣将軍を加え、原州事を行なう。時に関隴寇乱し、百姓凋残す。太祖は恩信を以て撫で、民皆悦服す。咸く喜びて曰く、「早く宇文使君に値わば、吾等豈に逆乱に従わんや」と。太祖嘗て数騎を従え野に在り、忽ち簫鼓の音を聞く。以て従人に問う。皆云う、「これを聞くもの莫し」と。

原文 万俟醜奴作亂關右,孝莊帝遣爾朱天光及岳等討之,太祖遂從岳入關,先鋒破偽行臺尉遲菩薩等。及平醜奴,定隴右,太祖功居多,遷征西將軍、金紫光祿大夫,增邑三百戶,加直閣將軍,行原州事。時關隴寇亂,百姓凋殘,太祖撫以恩信,民皆悅服。咸喜曰:「早值宇文使君,吾等豈從逆亂。」太祖嘗從數騎於野,忽聞簫鼓之音,以問從人,皆云莫之聞也。

普泰二年、爾朱天光東に斉の神武を拒ぎ、弟顕寿を留めて長安を鎮守せしむ。秦州刺史侯莫陳悦は天光に召され、軍衆を将いて東下せんとす。岳は天光必ず敗るるを知り、悦を留めて共に顕寿を図らんと欲すれど、計出す所無し。太祖、岳に謂いて曰く、「今天光尚ほ近し。悦は未だ二心無し。若しこの事を以てこれに告げば、恐らくはその驚懼せん。然れども悦は主将と雖も、物を制すること能わず。若し先ずその衆を説かば、必ず人に留心有らん。進んで爾朱の期を失い、退いて人情の変動を恐る。この乗に悦を説かば、事遂げざる無からん」と。岳大いに喜び、即ち太祖をして悦の軍に入りてこれを説かしむ。悦は遂に行かず。乃ち相率いて長安を襲い、太祖に軽騎を以て前鋒たらしむ。太祖は顕寿の怯懦なるを策し、諸軍将に至らんとするを聞けば、必ず東走すべく、その遠遁を恐れ、乃ち道を倍して兼行す。顕寿果たして已に東走し、これを華山に追い至り、擒にす。

原文 普泰二年,爾朱天光東拒齊神武,留弟顯壽鎮長安。秦州刺史侯莫陳悅為天光所召,將軍眾東下。岳知天光必敗,欲留悅共圖顯壽,而計無所出。太祖謂岳曰:「今天光尚邇,悅未有二心,若以此事告之,恐其驚懼,然悅雖為主將,不能制物,若先說其眾,必人有留心。進失爾朱之期,退恐人情變動,乘此說悅,事無不遂。」岳大喜,即令太祖入悅軍說之,悅遂不行。乃相率襲長安,令太祖輕騎為前鋒。太祖策顯壽怯懦,聞諸軍將至,必當東走,恐其遠遁,乃倍道兼行。顯壽果已東走,追至華山,擒之。

太昌元年、岳は関西大行臺と為り、太祖を左丞と為し、岳府の司馬を領せしめ、散騎常侍を加う。事の巨細を問わず、皆委ねて決せしむ。

原文 太昌元年,岳為關西大行臺,以太祖為左丞,領岳府司馬,加散騎常侍。事無巨細,皆委決焉。

斉の神武、爾朱を破りてより、遂に朝政を専らにす。太祖、往きてこれを観んことを請う。既に幷州に至り、斉の神武、岳の軍事を問う。太祖、口に対して雄弁、斉の神武はこれを非常の人と以為い、留めんと欲す。太祖、忠款を詭陳し、乃ち反命を得、遂に星言して道に就く。斉の神武果たして追う者を遣わすも、関に至りて及ばず。太祖還りて岳に謂いて曰く、「高歓は人臣に非ず。逆謀の未だ発せざる所以は、公兄弟を憚るのみ。然れども凡そ大功を立て、社稷を匡さんと欲するは、地勢に因り、英雄を総べずして能く克成するは未だこれ有らざるなり。侯莫陳悦は本実庸材、際会に遭逢し、遂に任委を叨る。既に国を憂うるの心無く、亦高歓に忌まれる所と為らず。但だこれを備え、これを図るは難からず。今、費也頭の控弦の騎一万に下らず、夏州刺史斛抜弥俄突の勝兵の士三千余人、及び霊州刺史曹泥、並びにその僻遠を恃み、常に異望を懐く。河西の流民紇豆陵伊利等、戸口富実にして、未だ朝風を奉ぜず。今若し軍を移して隴に近づき、その要害を扼し、これに威を示し、徳を以て服せば、即ちその士馬を収め、以て吾が軍を実にすべし。西には氐羌を輯め、北には沙塞を撫で、軍を還して長安に至り、魏室を匡輔せん。これ桓文の挙なり」と。岳大いに悦び、復た太祖を遣わして闕に詣で事を請わしめ、密かにその状を陳べしむ。魏帝深くこれを納る。太祖に武衛将軍を加え、還りて岳に報ぜしむ。

原文 齊神武既破爾朱,遂專朝政。太祖請往觀之。既至幷州,齊神武問岳軍事,太祖口對雄辯,齊神武以為非常人,欲留之。太祖詭陳忠款,乃得反命,遂星言就道。齊神武果遣追之,至關,不及。太祖還謂岳曰:「高歡非人臣也。逆謀所以未發者,憚公兄弟耳。然凡欲立大功,匡社稷,未有不因地勢,總英雄,而能克成者也。侯莫陳悅本實庸材,遭逢際會,遂叨任委,既無憂國之心,亦不為高歡所忌。但為之備,圖之不難。今費也頭控弦之騎不下一萬,夏州刺史斛拔彌俄突勝兵之士三千餘人,及靈州刺史曹泥,並恃其僻遠,常懷異望。河西流民紇豆陵伊利等,戶口富實,未奉朝風。今若移軍近隴,扼其要害,示之以威,服之以德,即可收其士馬,以實吾軍。西輯氐羌,北撫沙塞,還軍長安,匡輔魏室,此桓文舉也。」岳大悅,復遣太祖詣闕請事,密陳其狀。魏帝深納之。加太祖武衞將軍,還令報岳。

岳は遂に軍を引き西に平涼に次す。その衆に謀りて曰く、「夏州は寇賊に隣接し、須らく綏撫を加うべし。如何にして良刺史を得てこれを鎮めしめんや」と。衆皆曰く、「宇文左丞即ちその人なり」と。岳曰く、「左丞は吾が左右の手なり。如何ぞ廃せん」と。沈吟累日、乃ち衆議に従う。ここに於いて太祖を使持節・武衛将軍・夏州刺史と為すことを表す。太祖、州に至る。伊利は風望して款附す。而して曹泥は猶お斉の神武に使を通ず。

原文 岳遂引軍西次平涼,謀於其眾曰:「夏州鄰接寇賊,須加綏撫,安得良刺史以鎮之?」眾皆曰:「宇文左丞即其人也。」岳曰:「左丞吾之左右手也,如何可廢。」沈吟累日,乃從眾議。於是表太祖為使持節、武衞將軍、夏州刺史。太祖至州,伊利望風款附,而曹泥猶通使於齊神武。

魏の永熙三年(534年)春正月、賀抜岳は曹泥を討伐しようとし、都督の趙貴を夏州に派遣して太祖(宇文泰)と作戦を協議させた。太祖は言った、「曹泥は孤立した城に籠り遠隔の地にあり、憂慮するに足りない。侯莫陳悦は大軍を恃み近隣にあり、貪欲で信義なく、必ずや禍いとなろう。早くこれを除くことを願う」と。岳は聞き入れず、遂に悦とともに泥を討つこととなった。二月、河曲に至ったとき、岳は果たして悦に害された。その兵士たちは散り散りになって平涼に帰還したが、ただ大都督の趙貴のみが配下を率いて岳の遺体を収め本営に戻った。このとき三軍は帰属する所がなく、諸将は都督の寇洛が年齢最長であるとして、互いに推し合って洛に軍務の総括を任せた。洛は元より雄大な謀略がなく、威令は行き届かず、そこで諸将に言った、「洛は智謀・能力ともともと欠けており、統率するに適さない。近ごろは衆議に迫られ、推されて暫定的に職務を代行したが、今ここに退き、さらに賢才を選ばれたい」と。そこで趙貴が衆に向かって言った、「元帥(賀抜岳)は忠誠を尽くし公に節義を立て、朝廷と民間にその誠実さが知られていた。勲功と事業は未だ成就せず、突然に凶暴な害に遭われた。これはただ国が良き宰相を失ったのみならず、まさに衆人が頼る所を失ったのである。必ずや同盟を糾合し、仇を報い恥を雪がねばならぬ。そのためには賢者を選び、諸軍を総統させねばならない。もし適任でない者を推挙すれば、大事は成し難く、たとえ忠義を立てようと志しても、どうして成し遂げられようか。ひそかに宇文夏州(宇文泰)を観るに、英姿は世に並ぶものなく、雄大な謀略は当代に冠たり、遠近の人心を帰服させ、士卒は命を奉じている。これに法令が整い厳正で、賞罰が厳明であることを加えれば、真に頼りとすべき人物である。今もし喪を告げれば、必ずや難に赴いて来られるであろう。それに乗じて彼を奉戴すれば、大事は成就するであろう」と。諸将は皆これを善しとした。そこで赫連達を命じて夏州に馳せさせ、太祖に告げさせた、「侯莫陳悦は盟誓を顧みず、恩を棄て徳に背き、忠良を賊害しました。群情は憤り嘆き、訴える所がありません。公はかつて管轄の任にあられ、恩信が著しく聞こえております。今は小なる者も大なる者も、皆推戴を願っております。衆人の公を思う気持ちは、一日が一年のように長く、どうか留まらず、衆人の望みを慰めてください」と。太祖がこれに赴こうとしたとき、夏州の官吏と民衆は皆泣いて請うた、「悦は今水洛におり、平涼から遠くないと聞きます。もしすでに賀抜公の軍勢を得ているならば、これを図るのは実に難しいでしょう。どうかしばらく留まり、その変を見守ってください」と。太祖は言った、「悦は元帥を害しながら、自ら勢いに乗じて直ちに平涼を占拠すべきところ、かえって躊躇し、水洛に兵を駐屯させている。私は彼が無能であることを知っている。また、得難く失い易いものは時機であり、一日を待たずに行動すべきものは兆しである。今早く赴かなければ、衆心が自ら離反することを恐れる」と。都督の弥姐元進は悦に応じようと企て、密かに太祖を除こうと図った。事が発覚し、斬られた。

原文 魏永熙三年春正月,岳欲討曹泥,遣都督趙貴至夏州與太祖計事。太祖曰:「曹泥孤城阻遠,未足為憂。侯莫陳悅怙眾密邇,貪而無信,必將為患,願早圖之。」岳不聽,遂與悅俱討泥。二月,至於河曲,岳果為悅所害。其士眾散還平涼,唯大都督趙貴率部曲收岳屍還營。於是三軍未有所屬,諸將以都督寇洛年最長,相與推洛以總兵事。洛素無雄略,威令不行,乃謂諸將曰:「洛智能本闕,不宜統御,近者迫於羣議,推相攝領,今請避位,更擇賢材。」於是趙貴言於眾曰:「元帥忠公盡節,暴於朝野,勳業未就,奄罹凶酷。豈唯國喪良宰,固亦眾無所依。必欲糾合同盟,復讐雪恥,須擇賢者,總統諸軍。舉非其人,則大事難集,雖欲立忠建義,其可得乎。竊觀宇文夏州,英姿不世,雄謨冠時,遠邇歸心,士卒用命。加以法令齊肅,賞罰嚴明,真足恃也。今若告喪,必來赴難,因而奉之,則大事集矣。」諸將皆稱善。乃命赫連達馳至夏州,告太祖曰:「侯莫陳悅不顧盟誓,棄恩背德,賊害忠良,羣情憤惋,控告無所。公昔居管轄,恩信著聞,今無小無大,咸願推奉。眾之思公,引日成歲,願勿稽留,以慰眾望也。」太祖將赴之,夏州吏民咸泣請曰:「聞悅今在〈(永)〉〔水〕洛,去平涼不遠。若已有賀拔公之眾,則圖之實難。願且停留,以觀其變。」太祖曰:「悅既害元帥,自應乘勢直據平涼,而反趑趄,屯兵水洛,吾知其無能為也。且難得易失者時也,不俟終日者幾也,今不早赴,將恐眾心自離。」都督彌姐元進規欲應悅,密圖太祖。事發,斬之。

太祖はそこで麾下の軽騎を率い、平涼に馳せ赴いた。その時、斉の神武帝(高歓)が長史の侯景を遣わして岳の軍勢を招き寄せようとしていた。太祖が安定に至ったとき、彼に出会い、景に言った、「賀抜公は死んだが、宇文泰はまだ生きている。卿は何をしているのか」と。景は顔色を失い、答えて言った、「私は矢のようなもので、人の射るに随うのみで、どうして自ら裁断できましょうか」と。景はこの場で即座に帰還した。太祖が平涼に至ると、岳を悼んで甚だ慟哭した。将士は悲しみ且つ喜んで言った、「宇文公が来られたからには、何も憂うことはない」と。

原文 太祖乃率帳下輕騎,馳赴平涼。時齊神武遣長史侯景招引岳眾,太祖至安定,遇之,謂景曰:「賀拔公雖死,宇文泰尚存,卿何為也?」景失色,對曰:「我猶箭耳,隨人所射,安能自裁。」景於此即還。太祖至平涼,哭岳甚慟。將士且悲且喜曰:「宇文公至,無所憂矣。」

この時、魏の孝武帝は斉の神武帝を除こうと図っており、岳が害されたと聞き、武衛将軍の元毗を遣わして旨を宣べ慰労させ、岳の軍を洛陽に帰還させるよう命じた。毗が平涼に到着したとき、ちょうど諸将がすでに太祖を推戴していた。侯莫陳悦もまた勅命により帰還を命じられたが、悦はすでに斉の神武帝に附いていたため、召しに応じようとしなかった。太祖は諸将に言った、「侯莫陳悦は無実の罪で忠良を害し、さらに詔命にも応じない。これは国の大賊である。どうして容認できようか」と。そこで諸軍に戒厳を命じ、悦を討伐しようとした。

原文 於時,魏孝武帝將圖齊神武,聞岳被害,遣武衞將軍元毗宣旨慰勞,追岳軍還洛陽。毗到平涼,會諸將已推太祖。侯莫陳悅亦被勅追還,悅既附齊神武,不肯應召。太祖謂諸將曰:「侯莫陳悅枉害忠良,復不應詔命,此國之大賊,豈可容之!」乃命諸軍戒嚴,將以討悅。

元毗が帰還すると、太祖は魏帝に上表して言った、「臣は以前、故関西大都督の臣・岳が誠を尽くして国に奉じながら、横に非命に遭い、三軍は意気を喪い、朝野は痛惜しております。都督の寇洛らは、冤みを飲み悲しみを抱き、仇を報い恥を雪ごうと志しております。臣がかつて同じ幕府に在ったことから、苦しい中で要請して結びつけられました。臣はすでに今月十四日、軽装で軍に赴きました。出発の時、すでに別表を奉っております。衆情に迫られ、暫定的に兵事を執り行っております。詔により岳の軍を召して京に入らせるのは、これ国にとって良策であります。しかし高歓の軍勢はすでに河東に至り、侯莫陳悦はなお水洛におります。況んやこの軍士は多くが関西の者であり、皆郷里を恋い慕い、東下を望みません。今、上命をもって迫り、悉く関中へ赴かせようとすれば、悦はその後を追い、歓はその前を遮り、首尾敵を受けて、その勢いは危ういでしょう。臣が王事のために身を滅ぼすのは、誠に甘んじて受けるところですが、国を敗り人を滅ぼすことを恐れ、損うところはより大きいでしょう。どうか少し猶予を賜り、さらに後の図りを考え、徐々に事を誘導し、漸次東進に就かせてください」と。太祖は悦を討つことを志していたが、朝廷の意向を測りかね、かつ兵衆が未だ集まっていなかったため、これを口実とした。そこで元毗及び諸将と共に犠牲を捧げて盟誓し、共に王室を輔けることを誓った。

原文 及元毗還,太祖表於魏帝曰:「臣前以故關西大都督臣岳,竭誠奉國,橫罹非命,三軍喪氣,朝野痛惜。都督寇洛等,銜冤茹慼,志雪讐恥。以臣昔同幕府,苦賜要結。臣便以今月十四日,輕來赴軍,當發之時,已有別表,既為眾情所逼,權掌兵事。詔召岳軍入京,此乃為國良策。但高歡之眾,已至河東,侯莫陳悅猶在水洛。況此軍士多是關西之人,皆戀鄉邑,不願東下。今逼以上命。悉令赴關,悅躡其後,歡邀其前,首尾受敵,其勢危矣。臣殞身王事,誠所甘心,恐敗國殄人,所損更大。乞少停緩,更思後圖,徐事誘導,漸就東引。」太祖志在討悅,而未測朝旨,且兵眾未集,假此為詞。因與元毗及諸將刑牲盟誓,同奬王室。

初め、賀抜岳が河曲に駐屯していたとき、一人の軍吏が独り歩きをしていた。突然、髭眉が真っ白な老翁を見て、彼に言った、「賀抜岳はたとえこの軍勢を擁していても、結局は何も成し遂げられない。一人の宇文家の者が東北から来るであろう。後に必ず大いに栄える」と。言い終わると見えなくなった。この軍吏は常に親しい者にこの話をしていたが、この時になって初めて実証された。

原文 初,賀拔岳營於河曲,有軍吏獨行,忽見一老翁,鬚眉皓素,謂之曰:「賀拔岳雖復據有此眾,然終無所成。當有一宇文家從東北來,後必大盛。」言訖不見。此吏恆與所親言之,至是方驗。

魏帝は太祖に詔して言った、「賀抜岳が既に没し、士衆は帰属する所がない。卿は大都督となり、直ちに統率せよ。漸次東下に就きたいとの考えは、まことに言うべくもない。今また侯莫陳悦の兵馬を徴発して京に入らせる。もし来なければ、朕自ら罰を加えるであろう。この意を体して、長く留まることなきように」と。太祖はまた上表して言った、「侯莫陳悦は天に逆らい理に背き、酷く良臣を害しました。自ら専断して殺戮した罪が重いため、恭しく詔命に応じず、水洛に兵を阻み、秦隴において強梁を振るっております。臣は大赦が既に布告されたので、私的な恨みを忍んで抑え、頻りに悦及び都督の可朱渾元らが朝廷に帰る時期を問い合わせましたが、悦は使者を拘束し、返答をさせません。その意向を見るに、勢い異なる図りを持つに違いありません。臣は正にこのため、自ら抜け出すことができずにいます。兼ねて衆情に順い、少しの猶予を乞う次第です」と。太祖はそこで悦に書を送って責めたてた。

原文 魏帝詔太祖曰:「賀拔岳既殞,士眾未有所歸,卿可為大都督,即相統領。知欲漸就東下,良不可言。今亦徵侯莫陳悅士馬入京。若其不來,朕當親自致罰。宜體此意,不過淹留。」太祖又表曰:「侯莫陳悅違天逆理,酷害良臣,自以專戮罪重,不恭詔命,阻兵水洛,彊梁秦隴。臣以大宥既班,忍抑私憾,頻問悅及都督可朱渾元等歸闕早晚,而悅並維縶使人,不聽反報。觀其指趣,勢必異圖。臣正為此,未敢自拔。兼順眾情,乞少停緩。」太祖乃與悅書責之曰:

悦は太祖が自分を謀ろうとしていることを恐れ、偽りの詔書を作って秦州刺史の万俟普撥に与え、悦と党与して援護するよう命じた。普撥はこれを疑い、詔書を封じて太祖に呈上した。太祖はこれを上表して言った、「臣は詔を奉じて平涼の軍を総べるようになってから、責任は重く憂いは深く、安座する暇もありません。兵を訓練し馬に秣をやり、ただ力を尽くすことのみを考えております。以前、人々が本土を恋い慕い、侯莫陳悦が進退を窺っているため、はかりごとを考えて暫くここに留まるのが適当であるとしました。今もし悦を召して内官を授けるならば、臣は旌旗を東に向け、朝に夕にという速さで進軍いたします。朝廷がもし悦を辺境の守りに堪えるとお考えならば、瓜州か涼州の一藩に処することをお願いします。そうでなければ、結局は猜疑と憂いを招き、事に益するところがありません」と。

原文 悅既懼太祖謀己,詐為詔書與秦州刺史万俟普撥,令與悅為黨援。普撥疑之,封詔以呈太祖。太祖表之曰:「臣自奉詔總平涼之師,責重憂深,不遑啟處。訓兵秣馬,唯思竭力。前以人戀本土,侯莫陳悅窺窬進退,量度且宜住此。今若召悅授以內官,臣列斾東轅,匪朝伊夕。朝廷若以悅堪為邊扞,乞處以瓜、涼一藩。不然,則終致猜虞,於事無益。」

初め、原州刺史の史帰は岳に親任されていたが、河曲の変事の際、逆に悦に味方して原州を守った。悦はその与党の王伯和と成次安に兵二千を率いさせ、帰を助けて原州を鎮守させた。太祖は都督の侯莫陳崇に軽騎一千を率いさせて帰を急襲させ、これを生け捕りにし、次安と伯和らをも捕らえ、平涼に送らせた。太祖は崇を行原州事(原州事務代行)に上表した。万俟普撥はまたその将の叱干保洛に二千騎を率いさせて軍に従わせた。

原文 初,原州刺史史歸為岳所親任,河曲之變,反為悅守。悅遣其黨王伯和、成次安將兵二千人助歸鎮原州。太祖遣都督侯莫陳崇率輕騎一千襲歸,擒之,并獲次安、伯和等,送於平涼。太祖表崇行原州事。万俟普撥又遣其將叱干保洛領二千騎來從軍。

三月、太祖は軍を進めて原州に至った。諸軍が悉く集結し、悦を討つ意図を諭すと、士卒は憤りを抱かぬ者はなかった。太祖はそこで上表して言った、「臣は聞く、誓って死をもって恩に酬い、宗族を傾けて主君に報いることは、人倫の急務であり、赴き踏むこと帰るが如しだと。大都督の臣・岳が没して以来、臣は頻りに詔を奉じて朝廷に帰還し、馬に秣をやり途に備え、旦を待たずに出発することを志しておりました。ただ、督将以下が皆、『賀抜公は我らを子の如く見てくれた。今、仇と恥が未だ報いられないのに、どうして面目あって世間に処せられようか。もし一度でも冤みと残酷な仕打ちを雪ぐことができれば、万死も恨みに思わない』と称するためです。かつ悦は外には強臣(高歓)に附き、内には朝廷の旨に背いております。臣は今、上には悪を逐う志を思い、下には節義の士の心を遂げ、天威を恃み、国のために害を除きたいと願っております。大義に順うことに少し背くのは、まさにこの時であります。平定した後は、伏して斧鉞の刑をお待ちいたします」と。

原文 三月,太祖進軍至原州。眾軍悉集,諭以討悅之意,士卒莫不懷憤。太祖乃表曰:「臣聞誓死酬恩,覆宗報主,人倫所急,赴蹈如歸。自大都督臣岳歿後,臣頻奉詔還闕,秣馬戒途,志不俟旦。直以督將已下,咸稱賀拔公視我如子,今讐恥未報,亦何面目以處世間,若得一雪冤酷,萬死無恨。且悅外附彊臣,內違朝旨。臣今上思逐惡之志,下遂節士之心,冀仗天威,為國除害。小違大順,實在茲辰。克定之後,伏待斧鉞。」

夏四月、兵を率いて隴に上り、兄の子の導を都督として留め、原州を鎮守せしむ。太祖の軍令は厳粛にして、秋毫も犯さず、百姓大いに悦ぶ。識者はその成るべきを知る。軍、木峽関を出で、大雨雪、平地二尺。太祖、悦の怯にして猜疑多きを知り、乃ち倍道兼行し、その不意に出づ。悦、果たしてその左右に異志ある者を疑い、左右も亦安からず、衆遂に離貳す。大軍将に至らんとするを聞き、退きて略陽を保ち、一万余りを留めて水洛を据え守らしむ。太祖、水洛に至り、命じてこれを囲ましむると、城降る。太祖、即ち軽騎数百を率いて略陽に趣き、以て悦の軍に臨む。悦大いに懼れ、乃ちその部将を召してこれを議す。皆曰く「この鋒は当たるべからず」と、悦を勧めて上邽に退き保ち、以てこれを避けしむ。時に南秦州刺史李弼も亦悦の軍中にあり、乃ち間道より使者を遣わし、内応たらんことを請う。その夜、悦、軍を出すに、軍中自ら驚き潰え、将卒或いは相率いて来降す。太祖、兵を縦して奮撃し、大いにこれを破る。虜獲すること万余人、馬八千匹。悦とその子弟及び麾下数十騎は遁走す。太祖曰く「悦は本来曹泥と応接す、霊州に向かって走るに過ぎざるべし」と。乃ち原州都督の導に命じてその前を邀えしめ、都督の賀拔潁等にその後を追わしむ。導、牽屯山に至りて悦に追い及び、これを斬る。太祖、上邽に入り、悦の府庫を収む。財物山積す、皆以て士卒に賞し、毫釐も取る所なし。左右、窃かに一つの銀鏤甕を以て帰る。太祖、知りてこれを罪し、即ち剖いて将士に賜う。衆大いに悦ぶ。

原文 夏四月,引兵上隴,留兄子導為都督,鎮原州。太祖軍令嚴肅,秋毫無犯,百姓大悅。識者知其有成。軍出木峽關,大雨雪,平地二尺。太祖知悅怯而多猜,乃倍道兼行,出其不意。悅果疑其左右有異志者,左右亦不安,眾遂離貳。聞大軍且至,退保略陽,留一萬餘人據守水洛。太祖至水洛,命圍之,城降。太祖即率輕騎數百趣略陽,以臨悅軍,悅大懼,乃召其部將議之。皆曰「此鋒不可當」,勸悅退保上邽以避之。時南秦州刺史李弼亦在悅軍,乃間道遣使,請為內應。其夜,悅出軍,軍中自驚潰,將卒或相率來降。太祖縱兵奮擊,大破之。虜獲萬餘人,馬八千疋。悅與其子弟及麾下數十騎遁走。太祖曰:「悅本與曹泥應接,不過走向靈州。」乃令原州都督導邀其前,都督賀拔潁等追其後。導至牽屯山追及悅,斬之。太祖入上邽,收悅府庫,財物山積,皆以賞士卒,毫釐無所取。左右竊一銀鏤甕以歸,太祖知而罪之,即〈(割)〉〔剖〕賜將士,眾大悅。

時に涼州刺史李叔仁、その民に執えられ、挙州騒擾す。宕昌羌の梁仚定、吐谷渾を引きいて金城を寇す。渭州及び南秦州の氐・羌連結し、所在蜂起す。南岐より瓜・鄯に至るまで、州を跨ぎ郡を据うる者、数うるに勝えず。太祖、乃ち李弼に命じて原州を鎮守せしめ、夏州刺史の抜也悪蚝に南秦州を鎮守せしめ、渭州刺史の可朱渾元に還って渭州を鎮守せしめ、衞将軍の趙貴に行って秦州の事を行わしむ。豳・涇・東秦・岐の四州の粟を徴発して以て軍に給す。

原文 時涼州刺史李叔仁為其民所執,舉州騷擾。宕昌羌梁〈(企)〉〔仚〕定引吐谷渾寇金城。渭州及南秦州氐、羌連結,所在蜂起。南岐至于瓜、鄯,跨州據郡者,不可勝數。太祖乃令李弼鎮原州,夏州刺史拔也惡蚝鎮南秦州,渭州刺史可朱渾元還鎮渭州,衞將軍趙貴行秦州事。徵豳、涇、東秦、岐四州粟以給軍。

斉の神武、秦隴の克捷を聞き、乃ち使者を太祖に遣わし、甘言厚礼、深く相倚り結ばんとす。太祖、拒みて納れず。時に斉の神武既に異志あり、故に魏帝深く太祖を仗る。乃ち二千騎を徴発して東雍州を鎮守せしめ、助けて声援と為し、仍ち太祖に命じて稍々軍を引きて東せしむ。太祖、乃ち大都督の梁禦に歩騎五千を率いさせて河・渭の合口を鎮守せしめ、河東を図るの計と為す。太祖の悦を討つや、悦、使者を遣わして斉の神武に援を請う。神武、その都督の韓軌に兵一万を将いさせて蒲坂を据えしむ。而して雍州刺史の賈顯、船を軌に送り、軌の兵の関に入ることを請う。太祖、梁禦の東するに因り、乃ち逼って顯を召して軍に赴かしむ。禦、遂に雍州に入る。

原文 齊神武聞秦隴克捷,乃遣使於太祖,甘言厚禮,深相倚結。太祖拒而不納。時齊神武已有異志,故魏帝深仗太祖。乃徵二千騎鎮東雍州,助為聲援,仍令太祖稍引軍而東。太祖乃遣大都督梁禦率步騎五千鎮河、渭合口,為圖河東之計。太祖之討悅也,悅遣使請援於齊神武,神武使其都督韓軌將兵一萬據蒲坂,而雍州刺史賈顯送船與軌,請軌兵入關。太祖因梁禦之東,乃逼召顯赴軍。禦遂入雍州。

魏帝、著作郎の姚幼瑜を遣わし、節を持たせて軍を労わり、太祖を侍中・驃騎大将軍・開府儀同三司・関西大都督・略陽県公に進め、制を承けて封拜し、使持節は旧に如し。ここにおいて寇洛を以て涇州刺史と為し、李弼を秦州刺史と為し、前略陽郡守の張献を南岐州刺史と為す。盧待伯、代わるを拒み、軽騎を遣わして襲いこれを擒にす。待伯自殺す。

原文 魏帝遣著作郎姚幼瑜持節勞軍,進太祖侍中、驃騎大將軍、開府儀同三司、關西大都督、略陽縣公,承制封拜,使持節如故。於是以寇洛為涇州刺史,李弼為秦州刺史,前略陽郡守張獻為南岐州刺史。盧待伯拒代,遣輕騎襲擒之,待伯自殺。

時に魏帝、方に斉の神武を図り、又た兵を徴発す。太祖、乃ち前秦州刺史の駱超を大都督と為し、軽騎一千を率いて洛に赴かしむ。太祖を兼ねて尚書僕射・関西大行臺に進授し、余の官封は旧に如し。太祖、乃ち方鎮に檄を伝えて曰く。

原文 時魏帝方圖齊神武,又遣徵兵。太祖乃令前秦州刺史駱超為大都督,率輕騎一千赴洛。進授太祖兼尚書僕射、關西大行臺,餘官封如故。太祖乃傳檄方鎮曰:

太祖、諸将に謂いて曰く「高歓は智足らずと雖も詐余りあり。今声言して西せんと欲すと雖も、その意は洛に入るに在り。吾、寇洛に馬歩一万余りを率いさせ、涇州より東引きせしめんと欲す。王羆に甲士一万を率いさせ、先ず華州を据えしめん。歓若し西来せば、王羆足れて抗拒すべし。其れ洛に入らば、寇洛即ち汾晋を襲わん。吾便ち速やかに駕し、直ちに京邑に赴かん。其の進むに内顧の憂い有らしめ、退くに被躡の勢い有らしめん。一挙して大定せん、此れ上策と為す」と。衆皆称善す。

原文 太祖謂諸將曰:「高歡雖智不足而詐有餘,今聲言欲西,其意在入洛。吾欲令寇洛率馬步萬餘,自涇州東引;王羆率甲士一萬,先據華州。歡若西來,王羆足得抗拒;如其入洛,寇洛即襲汾晉。吾便速駕,直赴京邑。使其進有內顧之憂,退有被躡之勢。一舉大定,此為上策。」眾咸稱善。

秋七月、太祖、衆を帥いて高平より発ち、前軍は弘農に至る。而して斉の神武、稍々京邑に逼る。魏帝、親しく六軍を総べ、河橋に屯し、左衞の元斌之・領軍の斛斯椿に命じて武牢を鎮守せしめ、使者を遣わして太祖に告ぐ。太祖、左右に謂いて曰く「高歓、数日にして八九百里を行くは、兵を暁する者の忌む所、正に便に乗じてこれを撃つを須う。而るに主上は万乗の重を以て、決戦する能わず、方に津に縁りて据え守る。且つ長河万里、扞禦難し。若し一処度るを得ば、大事去らん」と。即ち大都督の趙貴を別道行臺と為し、蒲坂より済り、并州に趣かしむ。大都督の李賢に精騎一千を将いさせて洛陽に赴かしむ。会うに斌之と斛斯椿と権を争い協わず、斌之遂に椿を棄てて還り、帝に紿いて云く「高歓の兵至る」と。

原文 秋七月,太祖帥眾發自高平,前軍至於弘農。而齊神武稍逼京邑,魏帝親總六軍,屯於河橋,令左衞元斌之、領軍斛斯椿鎮武牢,遣使告太祖。太祖謂左右曰:「高歡數日行八九百里,曉兵者所忌,正須乘便擊之。而主上以萬乘之重,不能決戰,方緣津據守。且長河萬里,扞禦為難,若一處得度,大事去矣。」即以大都督趙貴為別道行臺,自蒲坂濟,趣并州。遣大都督李賢將精騎一千赴洛陽。會斌之與斛斯椿爭權不協,斌之遂棄椿還,紿帝云:「高歡兵至。」

七月丁未、帝遂に洛陽より軽騎を率いて関中に入る。太祖、儀衞を備えて奉迎し、東陽驛に謁見す。太祖、冠を免じて涕泣し謝して曰く「臣、寇虐を式遏する能わず、遂に乗輿の遷幸せしむ。請う、司敗に拘せられ、以て刑書を正さん」と。帝曰く「公の忠節は、朝野に曝く。朕は不徳を以て、負乗して寇を致す。今日相見え、深く厚顔を用う。責は朕躬に在り、謝する労い無し」と。乃ち帝を奉じて長安に都す。草萊を披き、朝廷を立て、軍国の政は、皆太祖の決する所に取る。仍ち加えて大将軍・雍州刺史を授け、兼ねて尚書令と為し、略陽郡公に進封す。別に二尚書を置き、機に随い処分せしむ。尚書僕射を解き、余は旧に如し。太祖固く譲る。詔して敦諭す。乃ち受く。初め、魏帝洛陽に在りし時、馮翊長公主を以て太祖に配せんことを許す。未だ結納せざるに、帝西遷す。ここに至り、詔して太祖に尚せしむ。駙馬都尉を拝す。

原文 七月丁未,帝遂從洛陽率輕騎入關,太祖備儀衞奉迎,謁見東陽驛。太祖免冠泣涕謝曰:「臣不能式遏寇虐,遂使乘輿遷幸。請拘司敗,以正刑書。」帝曰:「公之忠節,曝於朝野。朕以不德,負乘致寇。今日相見,深用厚顏。責在朕躬,無勞謝也。」乃奉帝都長安。披草萊,立朝廷,軍國之政,咸取太祖決焉。仍加授大將軍、雍州刺史,兼尚書令,進封略陽郡公,別置二尚書,隨機處分,解尚書僕射,餘如故。太祖固讓,詔敦諭,乃〈(授)〉〔受〕。初,魏帝在洛陽,許以馮翊長公主配太祖,未及結納,而帝西遷。至是,詔太祖尚之,拜駙馬都尉。

八月、斉の神武、潼関を襲い陥し、華陰を侵す。太祖、諸軍を率いて霸上に屯し、以てこれを待つ。斉の神武、その将の薛瑾を留めて関を守らしめて退く。太祖、乃ち軍を進めて瑾を討ち、その卒七千を虜い、長安に還る。位を進めて丞相と為す。

原文 八月,齊神武襲陷潼關,侵華陰。太祖率諸軍屯霸上以待之。齊神武留其將薛瑾守關而退。太祖乃進軍討瑾,虜其卒七千,還長安,進位丞相。

冬十月、斉の神武、魏の清河王亶の子善見を推して主と為し、都を鄴に徙す。是れ東魏と為す。

原文 冬十月,齊神武推魏清河王亶子善見為主,徙都於鄴,是為東魏。

十一月、儀同の李虎を遣わし、李弼・趙貴等とともに霊州において曹泥を討たしむ。虎、河を引いてこれを灌ぐ。明年、泥降る。その豪帥を咸陽に遷す。

原文 十一月,遣儀同李虎與李弼、趙貴等討曹泥於靈州,虎引河灌之。明年,泥降,遷其豪帥于咸陽。

閏十二月、魏の孝武帝崩ず。太祖と群公、策を定め、魏の南陽王宝炬を尊立して嗣と為す。是れ文皇帝と為す。

原文 閏十二月,魏孝武帝崩。太祖與羣公定策,尊立魏南陽王寶炬為嗣,是為文皇帝。