北齊書

巻001

巻001

北齊書

原文北齊書

第一卷 補帝紀第一 神武帝 高歡上

原文第一卷 補帝紀第一 神武帝 高歡上

神武上

原文神武上

齊の高祖こうそ神武皇帝は、姓は高、名は歡、字は賀六渾、渤海郡蓚縣の人である。六世の祖は隱、晉の玄菟太守であった。隱は慶を生み、慶は泰を生み、泰は湖を生み、三代慕容氏に仕えた。慕容寶の敗北に及び、國亂れるや、湖は衆を率いて魏に歸順し、右將軍となった。湖は四人の子を生み、第三子の謐は魏に仕え、位は侍御史に至ったが、法に坐して懷朔鎮に徙居した。謐は皇考の樹を生む。性は通率にして、家業に事えず。白道の南に住居し、數たび赤光紫氣の異變あり、鄰人は怪しみ、徙居して避くるを勧む。皇考曰く、「安んぞ吉ならざるを知らんや」と。居することを自若たり。神武の生まるるに及びて皇妣韓氏殂し、同産の姉婿、鎮の獄隊尉景の家に養はる。

原文齊高祖神武皇帝,姓高名歡,字賀六渾,渤海蓚人也。六世祖隱,晉玄菟太守。隱生慶,慶生泰,泰生湖,三世仕慕容氏。及慕容寶敗,國亂,湖率衆歸魏,為右將軍。湖生四子,第三子謐,仕魏,位至侍御史,坐法徙居懷朔鎮。謐生皇考樹,性通率,不事家業。住居白道南,數有赤光紫氣之異,鄰人以為怪,勸徙居以避之。皇考曰:「安知非吉?」居之自若。及神武生而皇妣韓氏殂,養於同產姊婿鎮獄隊尉景家。

神武は累世北邊に在りし故に、その俗に習ひ、遂に鮮卑と同じ。長じて深沉にして大度あり、財を輕んじ士を重んじ、豪俠の宗と爲る。目に精光あり、頭長く顴高く、齒は玉の如く白く、少しく人傑の表有り。家貧しく、武明皇后を聘するに及びて、始めて馬有り、鎮に給して隊主となるを得たり。鎮將遼西の段長は常に神武の貌を奇とし、謂ひて曰く、「君に康濟の才有り、終に徒然たる無からん」と。便ち子孫を以て托す。貴ぶに及び、長を追贈して司空しくうと爲し、その子の寧を擢げて用ふ。神武は隊主より轉じて函使と爲る。嘗て驛に乘りて建興を過ぐるに、雲霧晝晦し、雷聲之に隨ひ、半日にして乃ち絕ゆ、神の應ずる者有るが若し。每に行くに道路を、往來して風塵の色無し。又嘗て夢みて衆星を履みて行く、覺めて內に喜ぶ。函使として六年、每に洛陽に至りて、令史の麻祥に給して使はる。詳は嘗て肉を以て神武に啖はしむ、神武は性立ちて食はず、坐して之を進む。祥は以爲らく己を慢にするなりと、神武を笞くこと四十。洛陽より還るに及び、産を傾けて以て客を結ぶ。親故怪しみて問ふ、答へて曰く、「吾洛陽に至るに、宿衛の羽林相率ひて領軍張彝の宅を焚く、朝廷其の亂を懼れて問はざるなり。政を爲すこと此の若きは、事知る可きなり。財物豈に常に守る可けんや」と。是より乃ち天下を澄清せんとの志有り。懷朔の省事雲中の司馬子如及び秀容の人劉貴、中山の人賈顯智と奔走の友と爲り、懷朔の戶曹史孫騰、外兵史侯景も亦相友結す。劉貴は嘗て一の白鷹を得、神武及び尉景、蔡儁、子如、賈顯智等と沃野に獵す。一の赤兔を見る、每に搏つ輒ち逸す、遂に回澤に至る。澤中に茅屋有り、將に奔り入らんとす、狗屋中より出で、之を噬み、鷹兔俱に死す。神武怒り、鳴鏑を以て之を射る、狗斃る。屋中二人出で、神武の襟を持つこと甚だ急なり。其の母兩目盲き、杖を曳きて其二子を呵して曰く、「何ぞ故に大家に觸るる」と。甕中の酒を出だし、羊を烹りて以て客に飯す。因りて自ら言ふ、暗相を善くすと、遍く諸人を捫するに皆貴し、而して指麾俱に神武に由る。又曰く、「子如は歷位顯はる、智は善終せず」と。飯竟えて出で、數里を行きて還り、更に之を訪ふれば、則ち本より人居無く、乃ち向の者人に非ざるなり。是に由りて諸人益々敬異を加ふ。

原文神武旣累世北邊,故習其俗,遂同鮮卑。長而深沉有大度,輕財重士,為豪俠所宗。目有精光,長頭高顴,齒白如玉,少有人傑表。家貧,及聘武明皇后,始有馬,得給鎮為隊主。鎮將遼西段長常奇神武貌,謂曰:「君有康濟才,終不徒然。」便以子孫為托。及貴,追贈長司空,擢其子寧用之。神武自隊主轉為函使。嘗乘驛過建興,雲霧晝晦,雷聲隨之,半日乃絕,若有神應者。每行道路,往來無風塵之色。又嘗夢履衆星而行,覺而內喜。為函使六年,每至洛陽,給令史麻祥使。詳嘗以肉啖神武,神武性不立食,坐而進之。祥以為慢己,笞神武四十。及自洛陽還,傾產以結客。親故怪問之,答曰:「吾至洛陽,宿衛羽林相率焚領軍張彝宅,朝廷懼其亂而不問。為政若此,事可知也。財物豈可常守邪?」自是乃有澄清天下之志。與懷朔省事雲中司馬子如及秀容人劉貴、中山人賈顯智為奔走之友,懷朔戶曹史孫騰、外兵史侯景亦相友結。劉貴嘗得一白鷹,與神武及尉景、蔡儁、子如、賈顯智等獵於沃野。見一赤兔,每搏輒逸,遂至回澤。澤中有茅屋,將奔入,有狗自屋中出,噬之,鷹兔俱死。神武怒,以鳴鏑射之,狗斃。屋中有二人出,持神武襟甚急。其母兩目盲,曳杖呵其二子曰:「何故觸大家!」出甕中酒,烹羊以飯客。因自言善暗相,遍捫諸人皆貴,而指麾俱由神武。又曰:「子如歷位顯,智不善終。」飯竟出,行數里還,更訪之,則本無人居,乃向非人也。由是諸人益加敬異。

孝昌元年、柔玄鎮の人杜洛周上谷に反す、神武は乃ち同志と從ひて之に從ふ。其の行事を醜とし、私に尉景、段榮、蔡儁と之を圖る。果さずして逃ぐ、其の騎の追ふ所と爲る。文襄及び魏の永熙后皆幼く、武明後は牛上に於て之を抱負す。文襄屢たび牛より落つ、神武弓を彎げて將に之を射ちて以て去るを決せんとす。后榮を呼びて救ひを求む、賴みに榮遽かに下りて之を取りて以て免る。遂に葛榮に奔り、又秀容に於て尒朱榮に亡歸す。是に先だち、劉貴榮に事へ、盛んに神武の美を言ふ、是に至りて始めて見るを得、憔悴せる故に、未だ之を奇とせず。貴は乃ち神武の爲に更衣し、復た見ることを求む。因りて榮に隨ひて廄に之く。廄に惡馬有り、榮命じて之を翦らしむ。神武は乃ち羈絆を加へずして翦り、竟に蹄齧せず、已にして起ちて曰く、「惡人を御することも亦此の馬の如し」と。榮は遂に神武を床下に坐らしめ、左右を屏ひて時事を訪ふ。神武曰く、「公馬十二谷有るを聞く、色別けて羣を爲す、此を將ひて竟に何を用いんとするや」と。榮曰く、「但だ爾が意を言へ」と。神武曰く、「方今天子愚弱、太后淫亂、孽寵擅命し、朝政行はれず。明公の雄武を以て、時に乘じて奮發し、鄭儼、徐紇を討ちて帝側を清むれば、霸業鞭を舉げて成す可し。此れ賀六渾が意なり」と。榮大いに悅び、語日中より夜半に至り、乃ち出づ。是より每に軍謀に參ず。後榮に從ひて徙り幷州に據り、揚州邑人龐蒼鷹に抵り、團焦の中に止る。每に外より歸るに、主人遙に行響の地を動かすを聞く。蒼鷹の母數たび團焦の赤氣赫然として天に屬するを見る。又蒼鷹嘗て夜入らんと欲す、青衣の人刀を拔きて叱して曰く、「何ぞ故に王に觸るる」と。言ひ竟へて見えず。始め異と爲し、密かに之を覘ふ、唯だ赤蛇床に蟠るを見る、乃ち益々驚異す。因りて牛を殺し肉を分ち、厚く以て相奉ず。蒼鷹の母神武を以て義子と爲さんことを求む。志を得るに及び、其の宅を以て第と爲し、號して南宅と曰ふ。門巷開廣く、堂宇崇麗なりと雖も、其の本住する團焦は、石堊を以て之を塗り、留めて毀たず、文宣の時に至りて、遂に宮と爲る。旣にして榮は神武を以て親信都督ととくと爲す。

原文孝昌元年,柔玄鎮人杜洛周反於上谷,神武乃與同志從之。醜其行事,私與尉景、段榮、蔡儁圖之。不果而逃,為其騎所追。文襄及魏永熙后皆幼,武明後於牛上抱負之。文襄屢落牛,神武彎弓將射之以決去。后呼榮求救,賴榮遽下取之以免。遂奔葛榮,又亡歸尒朱榮於秀容。先是,劉貴事榮,盛言神武美,至是始得見,以憔悴故,未之奇也。貴乃為神武更衣,復求見焉。因隨榮之廄。廄有惡馬,榮命翦之。神武乃不加羈絆而翦,竟不蹄齧,已而起曰:「御惡人亦如此馬矣。」榮遂坐神武於床下,屏左右而訪時事。神武曰:「聞公有馬十二谷,色別為羣,將此竟何用也?」榮曰:「但言爾意。」神武曰:「方今天子愚弱,太后淫亂,孽寵擅命,朝政不行。以明公雄武,乘時奮發,討鄭儼、徐紇而清帝側,霸業可舉鞭而成。此賀六渾之意也。」榮大悅,語自日中至夜半,乃出。自是每參軍謀。後從榮徙據幷州,抵揚州邑人龐蒼鷹,止團焦中。每從外歸,主人遙聞行響動地。蒼鷹母數見團焦赤氣赫然屬天。又蒼鷹嘗夜欲入,有青衣人拔刀叱曰:「何故觸王!」言訖不見。始以為異,密覘之,唯見赤蛇蟠床上,乃益驚異。因殺牛分肉,厚以相奉。蒼鷹母求以神武為義子。及得志,以其宅為第,號為南宅。雖門巷開廣,堂宇崇麗,其本所住團焦,以石堊塗之,留而不毀,至文宣時,遂為宮。旣而榮以神武為親信都督。

時に魏の明帝鄭儼、徐紇を銜み、靈太后を逼るも、未だ敢へて制せず、私に榮を使ひて兵を舉げ內に向はしむ。榮は神武を以て前鋒と爲す。上黨に至り、明帝又私に詔して之を停む。帝の暴崩に及び、榮遂に洛に入り、因りて將に位を篡せんとす。神武諫む、聽かれざるを恐れ、鑄像して之を卜せんことを請ふ、鑄成らず、乃ち止む。孝莊帝立ち、策を定むるの勳を以て、銅鞮伯に封ず。尒朱榮葛榮を擊つに及び、神武をして賊に別に王と稱する者七人を下すを喻さしむ。後行臺の于暉と泰山に於て羊侃を破り、尋で元天穆と濟南に於て邢杲を破る。累遷して第三鎮人酋長と爲り、常に榮の帳内に在り。榮嘗て左右に問ひて曰く、「一日我無くば、誰か軍を主とす可き」と。皆尒朱兆と稱す。曰く、「此れ正に三千騎を統べて還る可きのみ、我に代はりて衆を主るに堪ふるは、唯だ賀六渾のみ」と。因りて兆に誡めて曰く、「爾其の匹に非ず、終に其の爲に鼻を穿たるるに當らん」と。乃ち神武を以て晉州刺史と爲す。是に於て大いに聚斂し、劉貴に因りて榮の下の要人に貨し、盡く其の意を得たり。時に州庫の角故無くして自ら鳴く、神武之を異とす、幾くも無くして孝莊榮を誅す。

原文于時魏明帝銜鄭儼、徐紇,逼靈太后,未敢制,私使榮舉兵內向。榮以神武為前鋒。至上黨,明帝又私詔停之。及帝暴崩,榮遂入洛,因將篡位。神武諫,恐不聽,請鑄像卜之,鑄不成,乃止。孝莊帝立,以定策勳,封銅鞮伯。及尒朱榮擊葛榮,令神武喻下賊別稱王者七人。後與行臺于暉破羊侃於泰山,尋與元天穆破邢杲于濟南。累遷第三鎮人酋長,常在榮帳內。榮嘗問左右曰:「一日無我,誰可主軍?」皆稱尒朱兆。曰:「此正可統三千騎以還,堪代我主衆者,唯賀六渾耳。」因誡兆曰:「爾非其匹,終當為其穿鼻。」乃以神武為晉州刺史。於是大聚斂,因劉貴貨榮下要人,盡得其意。時州庫角無故自鳴,神武異之,無幾而孝莊誅榮。

尒朱兆が晋陽より兵を挙げて洛陽らくように赴かんとするに及び、神武を召す。神武は長史孫騰をして辞し、絳蜀・汾胡の反せんと欲するを以て、委ねて去るべからずとせしむ。兆は之を恨む。騰復命す。神武曰く「兆の兵を挙げて上を犯すは、これ大賊なり。吾久しく之に事ふること能はず」と。是より始めて兆を図るの計有り。兆の洛に入り、莊帝を執へて北に帰するに及び、神武之を聞き、大いに驚く。又た孫騰をして偽りて兆を賀せしめ、因りて密かに孝莊の在る所を覘ひ、将に劫ひて義を挙げんとす。果さず。乃ち書を以て之を諭し、天子を執へて海内に悪名を受くる宜しからざるを言ふ。兆納れず、帝を殺し、而して尒朱世隆等と長広王曄を立て、元を建明と改む。神武を平陽郡公に封ず。費也頭の紇豆陵歩藩が秀容に入り、晋陽に逼るに及び、兆神武を徴す。神武将に往かんとす。賀拔焉過児、緩行して之を弊はんことを請ふ。神武乃ち往々逗遛し、河に橋無くして渡るを得ずと辞す。歩藩軍盛んにして、兆敗走す。初め、孝莊の尒朱栄を誅するや、其の党必ず逆謀有るを知り、乃ち密かに歩藩に勅して其の後を襲はしむ。歩藩既に兆等を敗り、兵勢日に盛んなるを以て、兆又た神武に救ひを請ふ。神武内に兆を図り、復た歩藩の後の難除きを慮り、乃ち兆と力を悉くして之を破る。藩死す。深く神武を徳とし、誓って兄弟たらんとす。時に世隆・度律・彦伯朝政を執るを共にし、天光関右に据り、兆幷州に据り、仲遠東郡に据り、各兵を擁して暴を為し、天下之を苦しむ。

原文及尒朱兆自晉陽將舉兵赴洛,召神武。神武使長史孫騰辭以絳蜀、汾胡欲反,不可委去。兆恨焉。騰復命,神武曰:「兆舉兵犯上,此大賊也,吾不能久事之。」自是始有圖兆計。及兆入洛,執莊帝以北,神武聞之,大驚。又使孫騰偽賀兆,因密覘孝莊所在,將劫以舉義,不果。乃以書喻之,言不宜執天子以受惡名於海內。兆不納,殺帝,而與尒朱世隆等立長廣王曄,改元建明。封神武為平陽郡公。及費也頭紇豆陵步藩入秀容,逼晉陽,兆徵神武。神武將往,賀拔焉過兒請緩行以弊之。神武乃往往逗遛,辭以河無橋不得渡。步藩軍盛,兆敗走。初,孝莊之誅尒朱榮,知其黨必有逆謀,乃密敕步藩令襲其後。步藩旣敗兆等,以兵勢日盛,兆又請救於神武。神武內圖兆,復慮步藩後之難除,乃與兆悉力破之。藩死,深德神武,誓為兄弟。時世隆、度律、彥伯共執朝政,天光據關右,兆據幷州,仲遠據東郡,各擁兵為暴,天下苦之。

葛栄の衆、幷・肆に流入する者二十余万、契胡の陵暴に為り、皆聊生せず、大小二十六反、誅夷する者半ば、猶草窃止まず。兆之を患ひ、神武に計を問ふ。神武曰く「六鎮の反残、尽く殺すべからず、宜しく王の素腹心なる者を選び私に使ひて統べしむべし。若し犯す者有らば、直に其の帥を罪す。則ち罪する所寡し」と。兆曰く「善し、誰か行くべき」と。賀拔允時に坐に在り、神武を請ふ。神武拳を以て之を毆ち、其の一歯を折りて曰く「生平天柱の時、奴輩処分に伏して鷹犬の如し。今日天下安置すること王に在り。而るに阿鞠泥敢へて下を誣ひ上を罔す。請ふ之を殺せ」と。兆神武を以て誠と為し、遂に以て之に委ぬ。神武兆の酔へるを以て、醒めたる後或は疑貳を致さんことを恐れ、遂に出で、宣言して委を受けて州鎮兵を統べ、汾東に集まりて令を受くべしとす。乃ち牙を陽曲川に建て、部分を陳ぶ。軍門に款く者有り、絳巾袍、自ら梗楊の驛子と称し、願くは左右に廁せんとす。之を訪ふれば、則ち力を以て聞こえ、常に幷州市に於て人を搭殺する者なり。乃ち親信と為すに署す。兵士素より兆を悪みて神武を楽む。是に於て至らざる莫し。居ること久しからず、又た劉貴をして兆に請はしめ、幷・肆頻歳霜旱有り、降戸黄鼠を掘りて之を食ひ、皆面に穀色無く、徒に人の国土を汚すを以て、就きて山東に食はしめ、温飽を待ちて之を処分せんことを請ふ。兆其の議に従ふ。其の長史慕容紹宗諫めて曰く「不可なり。今四方擾擾たり。人異望を懐く。況んや高公雄略、又た大兵を握る。将に為すべからざるなり」と。兆曰く「香火重誓、何の慮る所か有らん」と。紹宗曰く「親兄弟尚爾難信、何をか香火を論ぜん」と。時に兆の左右既に神武の金を受け、因りて紹宗を譖りて神武と旧に隙有りと為す。兆乃ち紹宗を禁し、而して神武の発を催す。神武乃ち自ら晋陽より出でて滏口に至る。路に尒朱栄の妻北郷長公主に逢ふ。洛陽らくようより来たり、馬三百匹、尽く奪ひて之に易ふ。兆聞き、乃ち紹宗を釈して而して之を問ふ。紹宗曰く「猶ほ掌握中の物なり」と。是に於て自ら神武を追ふ。襄垣に至り、会ふ漳水暴に長じ、橋壊る。神武水を隔てて拝して曰く「公主の馬を借る所以は、他故有ること無く、山東の盗に備ふるのみ。王公主の言を受け、自ら来たりて追賜す。今河を渡りて死すとも辞せず。此の衆便ち叛かん」と。兆自ら此の意無きを陳べ、因りて軽馬にて渡り、神武と幕下に坐し、謝を陳べ、遂に刀を授けて頭を引き、神武をして己を斫らしむ。神武大いに哭して曰く「天柱薨背より以来、賀六渾更に何の仰ぐ所か有らん。願くは大家千万歳にして、以て力用を申べしめん。今旁人構間して此に至る。大家何ぞ忍びて復た此の言を出ださんや」と。兆刀を地に投じ、遂に白馬を刑して盟ひ、誓って兄弟たらんとす。留まって宿し夜飲す。尉景壮士を伏せて兆を執らんと欲す。神武臂を齧みて之を止めて曰く「今之を殺せば、其の党必ず奔帰して聚結せん。兵饑え馬痩せ、相支ふるべからず。若し英雄崛起せば、則ち害を為すこと滋し。姑く之を置くに如かず。兆勁捷なれども、而して凶狡にして謀無し。図るに足らず」と。旦日、兆営に帰り、又た神武を召す。神武将に馬に上りて之に詣らんとす。孫騰衣を牽き、乃ち止む。兆水を隔てて肆に罵り、馳せて晋陽に還る。兆の心腹念賢、降戸の家累を領して別に営を為す。神武偽りて之と善くし、其の佩刀を観、因りて之を取って以て其の従者を殺す。従者尽く散ず。是に於て士衆咸く悦び、倍へて附従を願ふ。初め、魏の真君の内学者奏言して上党に天子気有りとす。云ふ壺関の大王山に在りと。太武帝是に於て南巡して以て之を厭当し、累石して三封と為し、其の北の鳳凰山を斬りて以て其の形を毀つ。後上党の人晋陽に居る者、上党坊と号す。神武実に之に居る。是の行に及び、大王山に舎すること六旬にして進む。将に滏口を出でんとし、倍へて約束を加へ、繊毫の物も、侵犯を聴かず。将に麦地を過ぎんとし、神武輒ち歩みて馬を牽く。遠近之を聞き、皆高儀同の兵を将ひて整肅なるを称し、心を帰す。遂に前進し、鄴に屯し、糧を相州刺史劉誕に求む。誕供せず。軍営の租米有り、神武自ら之を取る。

原文葛榮衆流入幷、肆者二十餘萬,為契胡陵暴,皆不聊生,大小二十六反,誅夷者半,猶草竊不止。兆患之,問計於神武。神武曰:「六鎮反殘,不可盡殺,宜選王素腹心者私使統焉。若有犯者,直罪其帥,則所罪者寡。」兆曰:「善,誰可行也?」賀拔允時在坐,請神武。神武拳毆之,折其一齒,曰:「生平天柱時,奴輩伏處分如鷹犬,今日天下安置在王,而阿鞠泥敢誣下罔上,請殺之。」兆以神武為誠,遂以委焉。神武以兆醉,恐醒後或致疑貳,遂出,宣言受委統州鎮兵,可集汾東受令。乃建牙陽曲川,陳部分。有款軍門者,絳巾袍,自稱梗楊驛子,願廁左右。訪之,則以力聞,常於幷州市搭殺人者,乃署為親信。兵士素惡兆而樂神武,於是莫不皆至。居無何,又使劉貴請兆,以幷、肆頻歲霜旱,降戶掘黃鼠而食之,皆面無穀色,徒汚人國土,請令就食山東,待溫飽而處分之。兆從其議。其長史慕容紹宗諫曰:「不可,今四方擾擾,人懷異望,況高公雄略,又握大兵,將不可為。」兆曰:「香火重誓,何所慮也。」紹宗曰:「親兄弟尚爾難信,何論香火!」時兆左右已受神武金,因譖紹宗與神武舊有隙,兆乃禁紹宗而催神武發。神武乃自晉陽出滏口。路逢尒朱榮妻北鄉長公主,自洛陽來,馬三百匹,盡奪易之。兆聞,乃釋紹宗而問焉。紹宗曰:「猶掌握中物也。」於是自追神武。至襄垣,會漳水暴長,橋壞。神武隔水拜曰:「所以借公主馬,非有他故,備山東盜耳。王受公主言,自來賜追,今渡河而死不辭,此衆便叛。」兆自陳無此意,因輕馬渡,與神武坐幕下,陳謝,遂授刀引頭,使神武斫己。神武大哭曰:「自天柱薨背,賀六渾更何所仰,願大家千萬歲,以申力用。今旁人構間至此,大家何忍復出此言!」兆投刀於地,遂刑白馬而盟,誓為兄弟,留宿夜飲。尉景伏壯士欲執兆,神武齧臂止之曰:「今殺之,其黨必奔歸聚結。兵饑馬瘦,不可相支,若英雄崛起,則為害滋甚。不如且置之。兆雖勁捷,而凶狡無謀,不足圖也。」旦日,兆歸營,又召神武,神武將上馬詣之,孫騰牽衣,乃止。兆隔水肆罵,馳還晉陽。兆心腹念賢領降戶家累別為營,神武偽與之善,觀其佩刀,因取之以殺其從者,從者盡散。於是士衆咸悅,倍願附從。初,魏真君內學者奏言上黨有天子氣,云在壺關大王山。太武帝於是南巡以厭當之,累石為三封,斬其北鳳凰山,以毀其形。後上黨人居晉陽者,號上黨坊,神武實居之。及是行,舍大王山六旬而進。將出滏口,倍加約束,纖毫之物,不聽侵犯。將過麥地,神武輒步牽馬。遠近聞之,皆稱高儀同將兵整肅,歸心焉。遂前行,屯鄴,求糧相州刺史劉誕,誕不供。有軍營租米,神武自取之。

魏普泰元年二月、神武自ら軍を信都に次ぐ。高乾・封隆之門を開きて以て待つ。遂に冀州に据る。是の月、尒朱度律元曄を廃し立てて節閔帝と為し、神武を羈縻せんと欲す。三月、乃ち節閔帝に白し、神武を渤海王に封じ、徴して入覲せしむ。神武辞す。四月癸巳、又た東道大行臺・第一鎮人酋長を加授す。龐蒼鷹太原より来奔す。神武之を行臺郎と為し、尋いで安州刺史と為す。神武自ら山東に向かひ、士を養ひ甲を繕ひ、侵掠を禁じ、百姓心を帰す。乃ち詐りて書を為し、尒朱兆将に六鎮人を以て契胡に配し部曲ぶきょくと為さんとすと言ふ。衆皆愁怨す。又た幷州の符を為し、兵を徴して歩落稽を討たしむ。万人を発し、将に之を遣はんとす。孫騰・尉景為めに五日留まることを請ふ。此の如き者再びす。神武親しく之を郊に送り、雪涕して執別す。人皆号慟し、哭声地を動かす。神武乃ち之を諭して曰く「爾と俱に郷客を失ひ、義一家に同じ。意はざるに在上乃ち爾くの如く徴召す。直に西に向かひて已に死すべく、後軍期又た死すべく、国人に配して又た死すべし。奈何」と。衆曰く「唯だ反有るのみ」と。神武曰く「反は是れ急計なり。須らく一人を推して主と為すべし」と。衆神武を奉らんと願ふ。神武曰く「爾郷里制し難し。葛栄を見ざるか。百万の衆と雖も、刑法無くば、終に自ら灰滅す。今吾を以て主と為さば、当に前と異にし、漢児を欺くこと得ず、軍令を犯すこと得ず、生死吾に任せば則ち可なり。爾からずば能はず、天下の笑ひを取らん」と。衆皆頓顙し、死生唯だ命のみ。神武曰く若し已むを得ずばと。明日、牛を椎きて士を饗し、討尒朱の意を以て諭す。封隆之進みて曰く「千載一時、普天幸甚」と。神武曰く「賊を討つは大順なり。時を拯ふは大業なり。吾武ならずと雖も、死を以て之に継がん。何ぞ敢へて譲らんや」と。

原文魏普泰元年二月,神武自軍次信都,高乾、封隆之開門以待,遂據冀州。是月,尒朱度律廢元曄而立節閔帝,欲羈縻神武。三月,乃白節閔帝,封神武為渤海王,徵使入覲。神武辭。四月癸巳,又加授東道大行臺、第一鎮人酋長。龐蒼鷹自太原來奔,神武以為行臺郎,尋以為安州刺史。神武自向山東,養士繕甲,禁侵掠,百姓歸心。乃詐為書,言尒朱兆將以六鎮人配契胡為部曲,衆皆愁怨。又為幷州符,徵兵討步落稽。發萬人,將遣之,孫騰、尉景為請留五日,如此者再。神武親送之郊,雪涕執別,人皆號慟,哭聲動地。神武乃喻之曰:「與爾俱失鄉客,義同一家,不意在上乃爾徵召。直向西已當死,後軍期又當死,配國人又當死,奈何!」衆曰:「唯有反耳!」神武曰:「反是急計,須推一人為主。」衆願奉神武。神武曰:「爾鄉里難制,不見葛榮乎?雖百萬衆,無刑法,終自灰滅。今以吾為主,當與前異,不得欺漢兒,不得犯軍令,生死任吾則可,不爾不能為,取笑天下。」衆皆頓顙,死生唯命。神武曰若不得已。明日,椎牛饗士,喻以討尒朱之意。封隆之進曰:「千載一時,普天幸甚。」神武曰:「討賊,大順也;拯時,大業也。吾雖不武,以死繼之,何敢讓焉!」

六月庚子の日、信都にて義兵を挙げたが、未だ爾朱氏に公然と背くことはなかった。李元忠が高乾と共に殷州を平定し、爾朱羽生の首を斬って来謁すると、神武帝は胸を打って言った、「今日こそ反逆を決行する」。乃ち元忠を殷州刺史に任じた。この時、兵威は既に振るい、乃ち表を上奏して爾朱氏の罪状を挙げた。世隆らはその表を秘して通さなかった。八月、爾朱兆が殷州を攻め落とし、李元忠が来奔した。孫騰は、朝廷との連絡が絶たれている以上、仮に天子を立てなければ、衆望の帰するところがないと主張した。十月壬寅の日、章武王元融の子で渤海太守の元朗を奉じて皇帝とし、年号を中興と定めた。これが廃帝である。時に度律・仲遠の軍は陽平に駐屯し、爾朱兆がこれと合流した。神武帝は竇泰の策を用い、反間の計を施すと、度律・仲遠は戦わずして退却した。神武帝は乃ち広阿において爾朱兆を破った。十一月、鄴を攻めると、相州刺史劉誕は城に拠って固守した。神武帝は土山を築き、地道を掘り、所々に大柱を建てて一時にこれを焼き、城を地中に陥没させた。麻祥は当時湯陰県令であったが、神武帝が彼を「麻都!」と呼ぶと、麻祥は恥じて逃げ去った。永熙元年正月壬午の日、鄴城を陥落させ、これを占拠した。廃帝は神武帝を大丞相・柱国大将軍・太師に進めた。この時、青州で義兵が起こり、大都督崔霊珍・大都督耿翔はいずれも使者を遣わして帰順した。汾州事務代行の劉貴は城を棄てて来降した。閏三月、爾朱天光は長安より、兆は并州より、度律は洛陽より、仲遠は東郡より、共に鄴に会し、その兵は二十万と号し、洹水を挟んで陣を布いた。節閔帝は長孫承業を行台大総督に任じてこれを統率させた。神武帝は封隆之に鄴の守備を命じ、自らは紫陌に出て駐屯した。当時、馬は二千に満たず、歩兵は三万に至らず、衆寡敵せず。乃ち韓陵において円陣を布き、牛や驢を繋いで退路を塞ぎ、ここに将兵は皆必死の覚悟を固め、四方より敵に突撃した。爾朱兆は神武帝に己に背いたことを責めると、神武帝は言った、「そもそも力を合わせたのは、共に王室を輔けるためであった。今、帝は何処におられるか」。兆は言った、「永安(孝荘帝)が天柱大将軍(爾朱栄)を枉げて害した。我はその仇を報いるのみである」。神武帝は言った、「我は昔日、天柱の謀議ぼうぎを親しく聞いた。汝は戸の前に立っていた。どうして謀反でないと言えようか。且つ君が臣を殺すこと、何の仇報いがあろうか。今日、義は絶えた」。乃ち合戦し、これを大破した。爾朱兆は慕容紹宗に胸を叩いて言った、「公の言を用いなかったが故に、ここに至った!」。軽装で逃走しようとした。紹宗は旗を翻し角笛を鳴らして、散り散りの兵卒を収集し、軍容を整えて西上した。高季式は七騎を率いて追撃し、野馬崗を越え、兆と遭遇した。高昂は彼の姿が見えず、泣いて言った、「我が弟を失った!」。夜更け、季式が帰還すると、袖には血が満ちていた。斛斯椿は倍の速さで進み、先んじて河橋を占拠した。初め、普泰元年十月、歳星・熒惑・鎮星・太白が觜宿・参宿に集まり、その色甚だ明るかった。太史が占って言うには、王者の興るべき兆しであると。この時、神武帝は信都にて挙兵し、ここに至って兆らを破ったのである。四月、斛斯椿は天光・度律を捕らえて洛陽に送った。長孫承業は都督賈顕智・張歓を遣わして洛陽に入らせ、世隆・彦伯を捕らえて斬った。兆は并州に奔った。仲遠は梁州に奔り、遂にそこで死んだ。時に凶徒は既に除かれ、朝廷は慶賀して喜んだ。初め、未だ戦わざる前の月、章武の人張紹が夜中に突然数騎の将兵に連れられて城を越え、一人の大将軍の前に至った。大将軍は紹に命じて軍の先導を鄴に向かわせ、天命を受けた者を助けて残賊を除かせると言った。紹が振り返って見ると、兵は数知れず、整然として疾く、音もなかった。鄴に近づくと、乃ち彼を放免した。合戦の日、爾朱氏の軍人は陣の外に兵馬が四方から迫るのを見た。蓋し神の助けである。

原文六月庚子,建義於信都,尚未顯背尒朱氏。及李元忠與高乾平殷州,斬尒朱羽生首來謁,神武撫膺曰:「今日反決矣。」乃以元忠為殷州刺史。是時兵威旣振,乃抗表罪狀尒朱氏。世隆等秘表不通。八月,尒朱兆攻陷殷州,李元忠來奔。孫騰以為朝廷隔絕,不權立天子,則衆望無所系。十月壬寅,奉章武王融子渤海太守朗為皇帝,年號中興,是為廢帝。時度律、仲遠軍次陽平,尒朱兆會之。神武用竇泰策,縱反間,度律、仲遠不戰而還。神武乃敗兆於廣阿。十一月,攻鄴,相州刺史劉誕嬰城固守。神武起土山,為地道,往往建大柱,一時焚之,城陷入地。麻祥時為湯陰令,神武呼之曰:「麻都!」祥慚而逃。永熙元年正月壬午,拔鄴城,據之。廢帝進神武大丞相、柱國大將軍、太師。是時青州建義,大都督崔靈珍、大都督耿翔皆遣使歸附。行汾州事劉貴棄城來降。閏三月,尒朱天光自長安、兆自幷州、度律自洛陽、仲遠自東郡同會鄴,衆號二十萬,挾洹水而軍,節閔以長孫承業為大行臺總督焉。神武令封隆之守鄴,自出頓紫陌。時馬不滿二千,步兵不至三萬,衆寡不敵。乃於韓陵為圓陣,連牛驢以塞歸道,於是將士皆有死志,四面赴擊之。尒朱兆責神武以背己,神武曰:「本戮力者,共輔王室,今帝何在?」兆曰:「永安枉害天柱,我報讐耳。」神武曰:「我昔日親聞天柱計,汝在戶前立,豈得言不反邪?且以君殺臣,何報之有?今日義絕矣。」乃合戰,大敗之。尒朱兆對慕容紹宗叩心曰:「不用公言,以至於此!」將輕走。紹宗反旗鳴角,收聚散卒,成軍容而西上。高季式以七騎追奔,度野馬崗,與兆遇。高昂望之不見,哭曰:「喪吾弟矣!」夜久,季式還,血滿袖。斛斯椿倍道先據河橋。初,普泰元年十月,歲星、熒惑、鎮星、太白聚於觜,參色甚明。太史占云當有王者興。是時神武起於信都,至是而破兆等。四月,斛斯椿執天光、度律送洛陽。長孫承業遣都督賈顯智、張歡入洛陽,執世隆、彥伯斬之。兆奔幷州。仲遠奔梁州,遂死焉。時凶蠹旣除,朝廷慶悅。初,未戰之前月,章武人張紹夜中忽被數騎將踰城,至一大將軍前,敕紹為軍導向鄴,云佐受命者除殘賊。紹迴視之,兵不測,整疾無聲。將至鄴,乃放焉。及戰之日,尒朱氏軍人見陣外士馬四合,蓋神助也。

やがて神武帝は洛陽らくように至り、節閔帝及び中興主(廃帝)を廃して孝武帝を立てた。孝武帝が即位すると、神武帝に大丞相・天柱大将軍・太師・世襲定州刺史を授け、封邑を加えて前合わせて十五万戸とした。神武帝は天柱大将軍の号を辞し、封戸五万を減じた。壬辰の日、鄴に帰還するに当たり、魏帝(孝武帝)は乾脯山で餞別し、手を執って別れた。

原文旣而神武至洛陽,廢節閔及中興主而立孝武。孝武旣卽位,授神武大丞相、天柱大將軍、太師、世襲定州刺史,增封並前十五萬戶。神武辭天柱,減戶五萬。壬辰,還鄴,魏帝餞於乾脯山,執手而別。

七月壬寅の日、神武帝は軍を率いて爾朱兆を北伐した。封隆之が言うには、「侍中斛斯椿・賀抜勝・賈顕智らはかつて爾朱氏に仕え、皆そむいて主を害した者どもである。今、京師にあって寵愛任用されているが、必ずや禍いの隙を構えよう」。神武帝は深くもっともであるとし、乃ち天光・度律を京師に帰し、斬らせた。遂に自ら滏口より進軍した。爾朱兆は晋陽を大いに掠め、北に秀容を保った。并州へいしゅうは平定された。神武帝は晋陽が四方を要害に囲まれていることを理由に、大丞相府を建ててここに定住した。爾朱兆が秀容に至ると、兵を分けて要害を守り、出入りしては寇掠した。神武帝は討伐の声を揚げたが、軍を出しては数度にわたり停止し、兆の気を弛ませた。神武帝は彼が年の初めに宴会を催すと推し量り、竇泰に精鋭の騎兵を率いて急襲させ、一日一夜に三百里を行かせ、神武帝は大軍を率いてこれに続いた。二年正月、竇泰は突然爾朱兆の本拠に到達した。軍人は宴会で休み怠けていたところ、突然泰の軍を見て驚いて逃走した。赤洪嶺で追撃してこれを破った。兆は自縊し、神武帝は親臨して手厚く葬った。慕容紹宗は爾朱栄の妻子及び残衆を率いて烏突城に拠り、降伏した。神武帝は義の故をもって、彼らを甚だ厚く遇した。

原文七月壬寅,神武帥師北伐尒朱兆。封隆之言:「侍中斛斯椿、賀拔勝、賈顯智等往事尒朱,普皆反噬,今在京師,寵任,必構禍隙。」神武深以為然,乃歸天光、度律於京師,斬之。遂自滏口入。尒朱兆大掠晉陽,北保秀容。幷州平。神武以晉陽四塞,乃建大丞相府而定居焉。尒朱兆旣至秀容,分兵守險,出入寇抄。神武揚聲討之,師出止者數四,兆意怠。神武揣其歲首當宴會,遣竇泰以精騎馳之,一日一夜行三百里,神武以大軍繼之。二年正月,竇泰奄至尒朱兆庭。軍人因宴休惰,忽見泰軍,驚走。追破之於赤洪嶺。兆自縊,神武親臨厚葬之。慕容紹宗以尒朱榮妻子及餘衆自保烏突城,降,神武以義故,待之甚厚。

神武帝が洛陽に入った時、爾朱仲遠の部下の都督橋寧・張子期が滑台より帰順してきた。神武帝は彼らが乱を助け、かつ数度にわたり反覆したとして、皆斬った。斛斯椿はこれにより内心安からず、乃ち南陽王元宝炬及び武衛将軍元毗・魏光・王思政と共に、魏帝に対して神武帝を讒構した。舎人元士弼もまた、神武帝が詔勅を受ける態度が大不敬であると上奏した。故に魏帝は賀抜岳に対して心を寄せるようになった。初め、孝明帝の時、洛陽で両つの「拔」が相撃つという謡言があった。「銅拔が鉄拔を打つ、元家の世、将に末びんとす」。好事の者は二つの「拔」を拓拔・賀拔と解し、共に衰敗の兆しであると言った。時に司空しくう高乾は密かに神武帝に啓上し、魏帝が心変わりしたことを告げた。神武帝はその書状を封じて魏帝に呈上した。魏帝は高乾を殺し、また東徐州刺史潘紹業に密勅を下し、長楽太守龐蒼鷹に命じてその弟の高昂を殺させようとした。昂は先にその兄の死を聞き、矛で柱を刺し、壮士を伏せて路上で紹業を捕らえ、袍の襟から勅書を得て、来奔した。神武帝はその首を抱き、泣いて言った、「天子が枉げて司空を害された!」。急ぎ白武幡を持たせてその家族を労った。時に高乾の次弟の高慎は光州におり、政務は厳猛で、また部下から収賄していたため、魏帝は彼に代わる者を遣わした。慎は難を聞き、梁に奔らんとした。その配下が言うには、「公の家は勲功重く、必ずや兄弟皆が及ぶことはありますまい」。乃ちぼろ衣を着て鹿車を推して渤海に帰った。途中で使者に逢い、これも来奔した。ここにおいて魏帝と神武帝との間に隙が生じた。

原文神武之入洛也,尒朱仲遠部下都督橋甯、張子期自滑臺歸命,神武以其助亂,且數反覆,皆斬之。斛斯椿由是內不自安,乃與南陽王寶炬及武衛將軍元毗、魏光、王思政構神武於魏帝。舍人元士弼又奏神武受敕大不敬。故魏帝心貳於賀拔岳。初,孝明之時,洛下以兩拔相擊,謠言曰:「銅拔打鐵拔,元家世將末。」好事者以二拔謂拓拔、賀拔,言俱將衰敗之兆。時司空高乾密啟神武,言魏帝之貳,神武封呈。魏帝殺之,又遣東徐州刺史潘紹業密勑長樂太守龐蒼鷹令殺其弟昂。昂先聞其兄死,以矟刺柱,伏壯士執紹業於路,得敕書於袍領,來奔。神武抱其首,哭曰:「天子枉害司空!」遽使以白武幡勞其家屬。時乾次弟慎在光州,為政嚴猛,又從部下取納,魏帝使代之。慎聞難,將奔梁。其屬曰:「公家勳重,必不兄弟相及。」乃弊衣推鹿車歸渤海。逢使者,亦來奔。於是魏帝與神武隙矣。

阿至羅の虜は正光以前は常に藩属を称していたが、魏朝に多事が起こって以来、皆叛いた。神武帝は使者を遣わして招き入れさせると、すぐに帰順した。先に、寇賊が平定されたとして詔により行台が廃止されていた。ここに至り、異俗の民が帰降したことを以て、再び神武帝に行台大総督を授け、機に応じて処分させた。神武帝は常に彼らに粟帛を与えた。議する者は徒らに費やすだけで益がないとしたが、神武帝は従わず、以前の如く慰撫した。その酋帥の吐陳らは恩を感じ、皆その指揮に従い、曹泥を救い、万俟受洛干を取るなど、大いにその用をなした。河西の費也頭の虜、紇豆陵伊利は河池に居り、険阻を恃み衆を擁していた。神武帝は長史侯景を遣わし、度々招いたが従わなかった。

原文阿至羅虜正光以前常稱藩,自魏朝多事,皆叛。神武遣使招納,便附款。先是,詔以寇賊平,罷行臺。至是,以殊俗歸降,復授神武大行臺,隨機處分。神武常賚其粟帛,議者以為徒費無益,神武不從,撫慰如初。其酋帥吐陳等感恩,皆從指麾,救曹泥,取万俟受洛干,大收其用。河西費也頭虜紇豆陵伊利居河池,恃險擁衆,神武遣長史侯景屢招不從。

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