元史

本紀第四十二: 順帝五

九年春正月丁酉、太廟にて饗宴を挙行す。癸卯、山東河南等処行都水監を立て、専ら河患を治めしむ。乙巳、広西の徭賊また道州を陥とし、万戸鄭均これを撃ち走らす。丙午、中書平章政事太不花に命じて会同館を提調せしむ。庚戌、太白建星を犯す。辛亥、太白平道を犯す。

二月戊辰、社稷を祭る。辛巳、太不花職を辞す、許さず。甲申、太陰建星を犯す。

三月丁酉、壩河浅澀なり、軍士・民夫各一万をもってこれを濬る。己亥、太白壘壁陣を犯す。己巳、大司農達識帖睦邇を命じて湖広行省平章政事と為す。是の月、河北潰く。陳州に麒麟生まる、乳せずして死す。徭賊呉天保また沅州を寇す。

夏四月丁卯、太廟にて饗宴を挙行す。丁丑、知枢密院事欽察台を以て中書平章政事と為す。己卯、燕南廉訪使韓元善を以て中書左丞と為す。鎮撫司を直沽海津鎮に立つ。壬午、河間塩運司水災のため、塩三万引を煎るを住む。是の月、車駕時に上都に巡幸す。

五月戊戌、太傅脱脱に命じて大オルド内史府を提調せしむ。庚子、詔して黄河金堤を修めしめ、民夫に日ごとに鈔三貫を給す。辛丑、瑞州路上高県長官司を罷む。庚戌、翰林国史院等の官に命じて守令を薦挙せしむ。丙辰、守令督摂の法を定む、路は府を督摂し、府は州を督摂し、州は県を督摂す。是の月、白茅河東にはい県に注ぎ、遂に巨浸と成る。しょく江大いに溢れ、漢陽城を浸し、民大いに饑う。

六月丙子、小玉印を刻み、「至正珍祕」を文と為し、凡そ秘書監の掌る書画は、皆これに識す。

秋七月庚寅朔、監察御史斡勒海寿、殿中侍御史哈麻及びその弟雪雪の罪悪を劾奏す。御史大夫韓嘉訥以て聞こゆ、省みず。章三たび上る。詔して哈麻・雪雪の官を奪い、海寿を出して陝西廉訪副使と為し、韓家訥を宣政院使と為す。壬辰、詔して太子愛猷識理達臘に命じ、漢人文書を習学せしむ。李好文を諭徳と為し、帰暘を賛善と為し、張冲を文学と為す。李好文等上書して辞す、許さず。公主不答昔你に平江の田五十頃を賜う。甲午、也先帖木児を以て御史大夫と為す。乙未、湖広行省左丞相亦憐真班を以て知枢密院事と為す。丙午、太陰壘壁陣を犯す。癸丑、太陰天関を犯す。甲寅、柏顔を以て集賢大学士と為す。乙卯、右丞相朶児只を罷め、前に依りて国王と為し、左丞相太平を翰林学士承旨と為す。是の月、大霖雨あり、水高唐州城を没す。江・漢溢れ、民居・禾稼を漂没す。

閏月辛酉、詔して脱脱を中書右丞相と為し、仍太傅。韓家訥を江浙行省平章政事と為す。庚午、也可扎魯忽赤搠思監を以て中書右丞と為し、同知枢密院事玉枢虎児吐華を中書参知政事と為す。辛巳、詔して湖広猺賊の詿誤する者を赦す。戊子、岐王阿剌乞に命じて西番を鎮めしむ。

八月甲辰、集賢大学士柏顔を以て中書平章政事と為し、河南行省平章政事月魯不花を宣政院使と為す。庚戌、司徒しと雅普化を以て太史院を提調し、経筵事を知らしむ。是の月、車駕上都より還る。

九月甲子、凡そ中外の利害を建言する者は、詔して官に委ねてその行うべき事を選びて聞かしむ。丙寅、平章政事柏顔に命じて留守司を提調せしむ。丙子、中書平章政事定住疾を以て職を辞す、許さず。辛巳、知枢密院事亦憐真班に命じて武備寺を提調せしむ。丙戌、熒惑霊台を犯す。是の月、御史中丞李献を遣わして河瀆を代祀せしむ。

冬十月辛卯、太廟にて饗宴を挙行す。丁酉、皇太子愛猷識理達臘に命じ、是の日を始めとして端本堂に入りて肄業せしむ。脱脱に命じて端本堂事を領せしめ、司徒雅普化に端本堂事を知らしむ。端本堂は中座を虚しくし、以て至尊の臨幸を俟つ。太子と師傅は東西に向かいて分かれて坐し書を授け、その下僚属は次を以て列坐す。

十一月戊午朔、日食あり。戊辰、太陰畢宿を犯す。庚辰、太白壘壁陣を犯す。

十二月戊戌、太白また壘壁陣を犯す。丁未、徭賊呉天保辰州を陥とす。

この年、詔を下して冗官を淘汰し、俸祿を均等にし、致仕官および高齢者に帛を賜う。漕運使賈魯が便益二十餘事を建言し、その八事に従う。第一は京畿の和糴、第二は漕司の旧領漕戸を優卹すること、第三は接運の委官、第四は通州総治の定委官、第五は船戸が壩夫に困り、海糧が壩戸にて損なわれること、第六は運河の疏濬、第七は臨清運糧萬戸府は漕司に隷すべきこと、第八は宣忠船戸を本司の節制に付すべきこと。冀寧平遙等縣にて曹七七が反し、刑部郎中八十、兵馬指揮沙不丁を命じてこれを討平す。

十年春正月丙辰朔、中書右丞搠思監を以て平章政事と為し、玉樞虎兒吐華を中書右丞と為す。壬戌、四川容美洞軍民総管府を立つ。壬申、太陰熒惑を犯す。甲戌、隕石棣州に落つ、色黒く、中に微かに金星あり。先づ声西北より来り、州北二十里に至りて乃ち隕つ。

二月丙戌朔、詔して天妃の父を種德積慶侯に加封し、母を育聖顯慶夫人と為す。辛丑、太陰平道を犯す。甲辰、太陰鍵閉を犯す。

三月己卯、熒惑太微垣を犯す。是の月、奉化州にて山石裂け、禽鳥・草木・山川・人物の形有り。

夏四月己丑、左司都事武祺、鈔法を更むるを建言す。丁酉、天下を赦す。その略に曰く、「朕洪業を纂承し、萬邦を撫臨す。夙夜厲精、遑ひ暇逸する無し。比に倚注失当、治理方に乖くに縁り、是を以て一相を図任し、俾ち萬機を賛せしむ。爰に脱脱を命じて中書右丞相と為し、百官を統正し、庶績を允釈す。未だ期月に曾てず、百廃具に挙がり、中外協望す。朕甚だ嘉とす。尚慮ふらくは軍国の重き、民物の繁き、政令未だ孚らざる有り、生息未だ遂げざる有らんことを。天下を赦すべし」と。丙午、太白鬼宿を犯す。是の月、車駕時に上都に巡る。

六月壬子、星月の如く大にして北斗に入り、震声雷の若し、三日にして復た還る。

秋七月辛酉、太陰房宿を犯す。癸亥、大護國仁王寺昭應宮財用規運総管府を以て仍た宣政院に属せしむ。辛未、太白昼に見ゆ。丁丑、太白復た昼に見ゆ。

八月壬寅、車駕上都より還る。

九月癸丑朔、太白昼に見ゆ。辛酉、三皇を祭る。孔子を祭る礼の如し。先づ、歳祀は医官を以て事を行ふ。江西廉訪使文殊訥、礼未だ備はらざるを建言す。乃ち工部を敕して祭器を具へしめ、江浙行省に雅楽を造らしめ、太常に儀式を定めしめ、翰林に楽章を撰ましむ。至是に之を用ふ。壬戌、熒惑天江を犯す。庚午、樞密院に命じて軍士五百を以て白河堤を修築せしむ。壬午、脱脱、吏部選格の条目繁多にして、拠依すべきもの莫く、銓選者高下を以てすを得るを以て、編類して成書と為すを請ふ。之に従ふ。

冬十月癸巳、歳星軒轅を犯す。乙未、吏部尚書偰哲篤、鈔法を更むるを建言す。中書省・御史臺・集賢・翰林両院の臣をして集議せしむ。丙申、太陰昴宿を犯す。辛丑、諸路寶泉都提挙司を京城に置く。是の月、大名・東平・濟南・徐州、各兵馬指揮司を立てて上馬賊を捕らしむ。

十一月壬子朔、日食有り。丙辰、高麗瀋王の孫脱脱不花等を以て東宮怯薛官と為す。辛酉、遼陽濱海の民の野鹽を煎熬するを罷む。戊辰、太陰鬼宿を犯す。己巳、天下に詔して中統交鈔壹貫文を以て銅錢壹千文を権とし、至元寶鈔貳貫に準じ、仍た至正通寶錢を鑄して並び用ゐ、以て鈔法を実にす。至元寶鈔は故の如く通行す。是の月、三星耀州に隕ち、石と化す。斧の形の如く、之を削れば屑有り、之を撃てば声有り。

十二月壬午朔、大都城を修す。辛卯、大司農禿魯等を以て兼ねて都水監を領せしめ、河防正官を集めて黄河便益の事を議はしむ。前同知樞密院事不顏不花等を命じて廣西徭賊を討たしむ。乙未、太陰鬼宿を犯す。己酉、方國珍溫州を攻む。

この年、京師麗正門樓上に忽ち人有り妄りに災禍を言ふ。之を鞫問す。自ら薊州人と称す。已にして往く所を知らず。

十一年春正月乙卯、太廟に享す。丙辰、辰星牛宿を犯す。庚申、江浙行省左丞孛羅帖木児を命じて方國珍を討たしむ。丁卯、蘭陽縣に紅星斗の如く大にして、東南より西北に墜つ。其の声雷の如し。己卯、搠思監を命じて大都留守司を提調せしむ。

二月庚寅、太陰鬼宿を犯す。乙未、太陰太微を犯す。丁酉、太陰亢宿を犯す。是の月、皇城に游ぶを命ず。中書省臣諫めて止む。聴かず。湖南元帥府分府を寶慶路に立つ。

三月庚戌朔、山東分元帥府を登州に立てる。丙辰、進士八十三人を親策し、朶烈図・文允中に進士及第を賜い、その他は出身を賜うこと差等あり。壬戌、建寧の処士彭炳を徴して端本堂説書となすも、至らず。丁卯、太陰東咸を犯す。戊辰、太陰天江を犯す。是月、使いを遣わして湖南・北の寇に被った人民を賑い、死者には鈔五錠、傷者には三錠、住居を焼かれた者には一錠を給す。

夏四月壬午、詔して黄河故道を開く。賈魯を工部尚書として総治河防使とし、汴梁・大名十三路の民十五万、廬州等の戍十八翼軍二万を発し、黄陵岡より南は白茅に達し、黄固・哈只等の口に放ち、また黄陵より西は陽青村に至り、故道に合わしむ。凡そ二百八十里奇あり。仍て中書右丞玉樞虎児吐華・同知枢密院事黒厮に命じて兵を以て之を鎮めしむ。冀寧路の属県多く地震し、半月にして止む。乙酉、太廟に享す。詔して河瀆神に加封して霊源神祐弘済王と為し、仍て河瀆及び西海神廟を重建す。永順安撫司を宣撫司に改む。丁酉、孟州地震す。庚子、海西遼東道巡防捕盗所を罷め、鎮寧州を立てる。辛丑、師壁安撫司の土官田驢什用・盤順府の土官墨奴什用降る。長官司四・巡検司七を立てる。乙巳、彰徳路に雨雹あり、形斧の如く、人畜を傷つく。是月、沂州分元帥府を罷め、兵馬指揮使司を立て改め、復た膠州に分司す。車駕時に上都に巡る。

五月己酉朔、日食あり。辛亥、潁州の妖人劉福通乱を為し、紅巾を以て号とし、潁州を陥す。初め、欒城の人韓山童の祖父、白蓮会を以て香を焼き衆を惑わし、広平永年県に謫徙せらる。山童に至り、天下大乱を倡言し、弥勒仏下生すとし、河南及び江淮の愚民皆翕然として之を信ず。福通は杜遵道・羅文素・盛文郁・王顕忠・韓咬児と復た妖言を鼓し、山童は実に宋徽宗の八世孫にして、当に中国の主と為るべしと謂う。福通等は白馬・黒牛を殺し、天地に誓告し、同しく起兵して乱を為さんと欲す。事覚え、県官捕うるに急なり。福通遂に反す。山童は就擒す。其の妻楊氏、其の子韓林児、武安に逃る。癸丑、文水県に雨雹あり。壬申、同知枢密院事禿赤に命じて兵を以て劉福通を討たしめ、分枢密院の印を授く。丙子、大都より汴梁に至る二十四驛に命じ、凡そ馬一匹ごとに助けて鈔五錠を給せしむ。

六月、軍一千を発し、直沽より通州に従い、河道を疏濬す。是月、劉福通は朱臯を拠り、羅山・真陽・確山を攻め破り、遂に舞陽・葉県等の処を犯す。江浙左丞孛羅帖木児は方国珍に敗れらる。

秋七月丙辰、広西大水。丁巳、四川の大奴管勾洞長官司を罷め、忠孝軍民府を立て改む。己未、太陰斗宿を犯す。壬戌、太白右執法を犯す。己巳、太白左執法を犯す。熒惑鬼宿に入る。是月、開河の功成る。乃ち決河を塞ぐことを議す。大司農達識帖睦邇及び江浙行省参知政事樊執敬・浙東廉訪使董守慤に命じ、同しく方国珍を招諭せしむ。

八月丁丑朔、中興地震す。戊寅、社稷を祭る。乙酉、太陰天江を犯す。丙戌、蕭県の李二及び老彭・趙君用徐州を攻め陥す。李二号して芝麻李、其の党と亦た香を焼きて衆を聚め反す。是月、車駕上都より還る。蘄州羅田県の人徐貞一、名は寿輝、黄州麻城の人鄒普勝等と、妖術を以て陰謀し衆を聚め、遂に兵を挙げて乱を為し、紅巾を以て号とす。

九月戊申、中書平章政事朶児直班を以て宣文閣を提調し経筵事を知らしめ、平章政事定住を以て会同館事を提調せしむ。壬子、御史大夫也先帖木児に命じて枢密院事を知らしめ、及びえい王寛徹哥と総率して大軍を出征し河南の妖寇を討たしめ、各々鈔一千錠を賜い、征に従う者には賜与差等あり。乙卯、辰星左執法を犯す。丁巳、太白房宿を犯す。壬戌、詔して高麗国王不答失里の弟伯顔帖木児を以て其の王封を襲わしめ、不答失里の子遂に廃す。戊辰、太陰鬼宿を犯す。是月、劉福通汝寧府及び息州・光州を陥し、衆十万に至る。徐寿輝蘄水県及び黄州路を陥す。

冬十月戊寅、熒惑太微垣を犯す。己卯、太廟に享す。辛巳、太陰斗宿を犯す。癸未、宝泉提挙司を河南行省及び済南・冀寧等路凡そ九、江浙・江西・湖広行省等の処凡そ三に立てる。知枢密院事老章に命じて兵を以て也先帖木児と同しく河南の妖寇を討たしむ。乙酉、太白斗宿を犯す。己丑、太白昼に見ゆ。熒惑歳星を犯す。辛卯、太白斗宿を犯す。中書分省を済寧に立てる。癸巳、歳星右執法を犯す。癸卯、宗王神保が睢寧・虹県を克復した功により、金帯一を賜い、征に従う者には銀を賞すること差等あり。丙午、熒惑左執法を犯す。是月、天、饒州に黒子を雨らす。大さ黍菽の如し。徐寿輝蘄水を拠りて都と為し、国号天完、僭って皇帝を称し、元を治平と改め、鄒普勝を太師と為す。

十一月癸丑、星婁宿に孛す。甲寅、孛星胃宿に見ゆ。乙卯・丙辰、亦た之の如し。丁巳、太陰填星を犯す。孛星微かに畢宿に見ゆ。黄河の堤成る。軍民の役夫を散ず。庚午、監察御史徹徹帖木児等言う、右丞相脱脱治河の功成る。宜しく異数を以て其の労を旌ぐべし。甲戌、江西の妖人鄧南二乱を作し、瑞州を攻む。総管禹蘇福之を擒え斬る。是月、使いを遣わして治河の功成るを以て河伯に告祭す。賈魯を召し還朝し、超授して栄禄大夫・集賢大学士と為し、金繫腰一・銀十錠・鈔千錠・幣帛各二十匹を賜う。都水監へいびに有司の官功ある者三十七員、皆其の職を陞遷す。詔して脱脱に答剌罕の号を賜い、之を世襲せしめ、淮安路を以て其の食邑と為す。命じて河平碑を立てしむ。

十二月丙子朔、太白昼に見ゆ。丁丑、太白天を経る。己卯、河防提挙司を立て、行都水監に隷す。庚辰、太白天を経る。是夜、壘壁陣を犯す。甲申、太陰填星を犯す。丙戌、太白復た天を経る。是夜、復た壘壁陣を犯す。治書侍御史烏古孫良楨を以て中書参知政事と為す。辛卯、太白天を経る。壬辰、復た之の如し。丁酉、太白昼に見ゆ。太陰熒惑を犯す。脱脱に命じて淮安に諸路打捕鷹房民匠銭糧総管府を立てしむ。秩従三品。庚子、太白天を経る。辰星天江を犯す。辛丑、太白天を経る。也先帖木児上蔡県を復し、韓咬児等を擒えて京師に至らしめ、之を誅す。壬寅、太白昼に見ゆ。

是歳、馬を括む。

十二年春正月丙午朔、詔して中統元寶交鈔一百九十萬錠・至元鈔十萬錠を印造せしむ。戊申、竹山縣の賊襄陽路を陥とし、総管柴肅之に死す。是の日、荊門州も亦陥つ。己酉、時に太廟を享く。庚戌、宣政院使月魯不花を以て中書平章政事と為す。壬子、中書省臣言く、「河南・陝西・腹裏諸路は、供給繁重にして、兵を調べて賊を討たんとす。正に春首耕作の時に当たり、農民田畝に安んぜず、守令勧課を失わんことを恐る。宜しく農事に通暁する官員を委し、分道巡視せしめ、守令を督勒し、親しく郷都に詣り、農民を省諭し、時に依り播種せしめ、務めて人其の力を尽くし、地其の利を尽くさしむべし。其の曾て盗賊・水患・供給の処有り、貧民自ら牛・種を備えざる者は、所在の有司之を給すべし。仍て総兵官に令し、屯駐の軍馬を禁止し、踏踐するを得ざらしめ、以て農事の廢弛を致すこと毋からしむべし」と。之に従う。乙卯、淮東宣慰司同知宣慰司事及び都事各一員を添設す。丙辰、徐壽輝偽将丁普郎・徐明遠を遣わし漢陽を陥とす。丁巳、興國府を陥とす。己未、徐壽輝鄒普勝を遣わし武昌を陥とし、威順王寬徹普化・湖廣行省平章政事和尚城を棄て走る。刑部尚書阿魯山東の賊を収捕し、敕牒十一道を給し、分ちて功有る者を賞せしむ。辛酉、徐壽輝偽将曾法興安陸府を陥とし、知府丑驢戦ひ勝たず、之に死す。癸亥、刑部尚書・侍郎・郎中・員外郎各一員を添設し、五愛馬忽剌罕赤二百名を添設す。乙丑、太陰熒惑を犯す。丙寅、河故道に復するを以て、大赦天下す。己巳、歳星右執法を犯す。辛未、徐壽輝兵沔陽府を陥とす。壬申、中興路陥ち、山南宣慰司同知月古輪失兵を領して出戦すも、衆潰え、宣慰使錦州不花・山南廉訪使卜禮月敦皆遁走す。是の月、逯魯曾を命じて淮東添設元帥と為し、両淮の募る所の鹽丁五千を統領して徐州を討たしむ。河南・陝西・遼陽三省及び上都・大都・腹裏等の処の漢人の馬を拘刷す。四川行省平章政事月魯帖木兒を命じて総兵官と為し、四川行省右丞長吉と興元・金州等の処の賊を討たしむ。宣政院同知桑哥亦都護畏吾兒軍を率領し、荊湖北道宣慰使朵兒只班と同く襄陽を守らしむ。濟寧兵馬指揮使寶童右都衞軍を統領し、知樞密院事月闊察兒に従い徐州を討たしむ。

二月乙亥朔、詔して溪洞蠻猺の自新を許す。丁丑、集賢大學士賈魯を以て中書添設左丞と為す。河南廉訪使哈藍朵兒只を以て荊湖北道宣慰使都元帥と為し、襄陽を守らしむ。癸未、諸王禿堅を命じ、従官百人を領し、驛を馳せて揚州を守らしめ、金一錠・鈔一千錠を賜ふ。西寧王牙安沙を命じて四川を鎮めしむ。鎮南王孛羅不花に鈔一萬錠を賜ふ。甲申、鄒平縣の馬子昭亂を為し、捕へ斬る。乙酉、徐壽輝兵江州を陥とし、総管李黼之に死し、遂に南康路を陥とす。丙戌、霍州霊石縣地震す。徐壽輝兵岳州を陥とす。房州の賊歸州を陥とす。戊子、詔す、「徐州内外の羣聚の衆は、限二十日、首従を分たず、並びに赦原すべし」と。安東・安豐分元帥府を置く。己丑、皇城に游ぶ。庚寅、太陰太微垣を犯す。癸巳、太陰氐宿を犯す。辛丑、鄧州の賊王權・張椿澧州を陥とすも、龍鎮衞指揮使俺都剌哈蠻等師を帥ひて之を復す。節を伏し義に死せる宣徽使帖木兒等二十七人を褒贈す。壬寅、御史大夫納麟を以て江南行臺御史大夫と為し、仍て太尉とす。翰林學士承旨八剌と諸王孛蘭奚を命じ、軍を領して大名を守らしむ。癸卯、中書平章政事月魯不花を命じて経筵事を知らしめ、左丞賈魯・参知政事帖理帖木兒・烏古孫良楨並びに経筵事を同知せしむ。是の月、賊滑・濬を侵す。德住を命じて河南右丞と為し、東明を守らしむ。德住時に家に致仕す。命を聞き、馳せて東明に至り、城隍を浚ひ、備禦を厳にし、賊敢へて犯さず。徐壽輝偽将歐普祥袁州を陥とす。帖理帖木兒を命じ、中書参知政事を以て分省濟寧せしむ。

三月乙巳朔(一日)、太師・忠王マジャルタイ(馬扎兒台)を追封して徳王とした。丁未(三日)、徐寿輝の偽将許甲が衡州を攻めたが、洞官の黄安撫がこれを破った。徐寿輝の偽将陶九が瑞州を陥落させたが、総管の禹蘇福と万戸の張岳がこれを破った。壬子(八日)、河南左丞相タイブカ(太不花)が南陽などの地を奪回した。癸丑(九日)、中書省の臣が粟を納めて官を補う法令の施行を請うた。「各地方の士庶で、真に国のために力を尽くし、自ら糧米を備えて軍需を供給する者は、定められた地方の実授常選流官(正規の流動官職)に照らして授け、定例により昇進・転任させ、封爵・蔭位を授ける。また、既に茶塩銭穀の官に任じられていて、さらに銭糧を備えて軍需を供給できる者は、現授の品級を検分して、常選流官に改めて授ける。」詔はこれに従った。戊午(十四日)、太陰(月)が進賢星を犯した。辛酉(十七日)、親王アルマ(阿児麻)に命じて兵を率い商州などの地の賊を討たせた。コンブバン(鞏卜班)を行知樞密院事に任じた。壬戌(十八日)、太陰が東咸星を犯した。甲子(二十日)、徐寿輝の偽将項普略が饒州路を陥落させ、ついで徽州・信州を陥落させた。四川で未だ帰附していない生蛮の向亜甲洞主モデシヨン(墨得什用)が出降し、盤順府を設置した。丁卯(二十三日)、江南行台御史大夫テムゲ(帖木哥)が致仕を乞うたが、許さず、甘粛行省平章政事とした。出征用の馬が少ないため、幣帛をそれぞれ十万匹ずつ出し、迤北(北方)の万戸・千戸所で馬と交換した。戊辰(二十四日)、太白(金星)が昼間に現れた。詔した。「南人(旧南宋治下の漢人)で才学ある者は、世祖の旧制に依り、中書省・樞密院・御史台に皆任用せよ。」中書省の臣が言上した。「張理が建言するには、饒州徳興の三か所で、胆水(硫酸銅を含む水)で鉄を浸すと銅ができるので、その地にそれぞれ銅冶場を設置し、直隷で宝泉提挙司に属させ、張理をそのまま銅冶場官とするのがよい。」詔はこれに従った。江浙行省左丞相イレンジンバル(亦憐真班)を江西行省左丞相とし、兵を率いて饒州・信州の賊を捕らえさせた。庚午(二十六日)、詔した。「随朝の一品職事官および省・台・院・六部・翰林・集賢・司農・太常・宣政・宣徽・中政・資正・国子・秘書・崇文・都水の諸正官は、それぞれ循良で材幹があり、智勇兼備で守令に堪える者二人を推薦せよ。人を知る者が多ければ、員数に制限はない。各地方で試用する守令には、兼ねて義兵防禦諸軍のオルド(奥魯)・勧農事を管轄させることを授け、所在の上司は勝手に差遣してはならない。守令が既に優遇されて昇進したならば、その佐貳官は、広西に入る例に準じて、二等を量って昇進させる。任期満了の際、守令が完全に治績を上げた者は真授とし、治績がない者は二等を全削して本等に叙し、半分治績を上げた者は一等を減じて叙する。雑職人員で知勇の士ある者は、皆上例に依る。常選官を残破した郡県および賊境に迫近した地に除する者は、四等を昇進させ、賊境にやや近い地には二等を昇進させる。」今月、方国珍が再びその党を脅して海に下り、黄巖港に入った。台州路ダルガチ(達魯花赤)タイブカ(泰不花)が官軍を率いてこれと戦い、戦死した。隴西で百余日にわたり地震があり、城郭は崩壊し、陵谷は変遷し、定西・会州・静寧・莊浪が特に甚だしかった。会州の公宇(官舎)の壁が崩れ、弩五百余張を発見した。長いものは一丈余、短いものは九尺で、人は誰もこれを引くことができなかった。定西を安定州と改め、会州を会寧州と改めた。詔して軍民官が城池を守らなかった罪を定めた。

閏三月辛巳(八日)、台州路ダルガチ(達魯花赤)タイブカ(泰不花)を江浙行省参知政事とし、台州路の事務を行わせようとしたが、命令が下った時にはタイブカは既に死んでいた。壬午(九日)、大理宣慰使ダシバドル(答失八都魯)を四川行省添設参知政事とし、本省平章政事ヤオジュ(咬住)とともに山南・湖広などの地の賊を討たせた。乙酉(十二日)、徐寿輝の偽将陳普文が吉安路を陥落させたが、郷民の羅明遠が義兵を起こしてこれを奪回した。工部尚書ドライ(朵来)と兵部侍郎ママホジャ(馬某火者)に命じ、それぞれ上都・チャカンノール(察罕脳児)・集寧などの地に赴き、出征する河南のタタル(達達)軍の口糧を支給させた。淮南江北など処行中書省を設置し、揚州に治所を置き、揚州・高郵・淮安・滁州・和州・廬州・安豊・安慶・蘄州・黄州を管轄させた。壬辰(十九日)、大都留守ウフシ(兀忽失)を江浙行省添設右丞とし、饒州・信州の賊を討たせた。丙申(二十三日)、アス(阿速)のアイマク(愛馬)のリナフタイ(里納忽台)が滑州・開州の賊韓兀奴罕を捕らえて功があり、資用庫大使を授けられた。丁酉(二十四日)、湖広行省参知政事テジェ(鉄傑)が湖南の兵で岳州を奪回した。戊戌(二十五日)、詔して淮南行省に官二十五員を設置し、翰林学士承旨ホショルブカ(晃火児不花)と湖広平章政事シレムン(失列門)をともに平章政事とし、淮東元帥マンジ(蛮子)を右丞とし、燕南廉訪使秦従徳を左丞とし、陝西行台侍御史ダシト(答失禿)と山北廉訪使趙璉をともに参知政事とした。庚子(二十七日)、枢密副使ウリャンカダイ(悟良哈台)を中書添設参知政事・同知経筵事とした。辛丑(二十八日)、淮南行省平章政事ホショルブカ(晃火児不花)に命じて鎮南王傅事を提調させた。今月、詔して四川行省平章政事ヤオジュ(咬住)に兵を率いて東進し荊襄の賊を討たせ、忠州・万州・夔州・雲陽州などを奪回した。江西行省左丞相イレンジンバル(亦憐真班)に命じて兵を率い江東・江西の関隘を守らせた。諸王イレンジンバル(亦憐真班)とアイインバン(愛因班)、参知政事エセンテムル(也先帖木児)と陝西行省平章政事ヨルテムル(月魯帖木児)に命じて南陽・襄陽の賊を討たせ、刑部尚書アル(阿魯)に命じて海寧の賊を討たせ、江西行省右丞ホニチ(火你赤)と参知政事ドダイ(朵䚟)に命じて江西の賊を討たせた。浙東宣慰使エンニンプ(恩寧普)を以て江浙行省左丞ゾドナシリ(左答納失里)に代えて蕪湖を守らせた。江西行省右丞ウフシ(兀忽失)と江浙行省左丞ロウロウ(老老)に命じ、シンギ(星吉)・ブヤンテムル(不顔帖木児)・マンジハヤ(蛮子海牙)とともに饒州・信州などの地の賊を討たせた。方国珍が招安の命を受け入れなかったので、江浙左丞ゾドナシリ(左答納失里)に命じてこれを討たせた。典瑞院に命じて淮南行省に銀字円牌三面と駅券五十道を与えさせた。詔して江西行省左丞相イレンジンバル(亦憐真班)・淮南行省平章政事ホショルブカ(晃火児不花)・江浙行省左丞ゾドナシリ(左答納失里)・湖広行省平章政事エセンテムル(也先帖木児)・四川行省平章政事バシフドゥ(八失忽都)および江南行台御史大夫ナリン(納麟)と江浙行省の官に、皆、便宜(臨機応変)に事を行わせた。エセンテムル(也先帖木児)が沙河に駐軍したが、軍中で夜驚が起こり、軍は潰走し、朱仙鎮に退いて駐屯した。詔して中書平章政事マンジ(蛮子)を以て代わってその兵を総括させ、エセンテムルは京師に還り、なお御史大夫に任じた。

夏四月癸卯朔(一日)、日食あり。江西臨川の賊鄧忠、建昌路を陥す。己酉(七日)、時享を太廟に挙行す。甲寅(十二日)、御史大夫搠思監を以て中書平章政事と為し、留守司を提調せしむ。乙卯(十三日)、鐵傑及び萬戸陶夢楨、武昌・漢陽を復すも、尋いで再び陥落す。丙辰(十四日)、江西宜黄の賊塗佑と邵武建寧の賊応必達等、邵武路を攻め陥す。総管呉按攤不花、兵を以て之を討つ。千戸魏淳、計略を以て塗佑・応必達を擒え、其の城を復す。辛酉(十九日)、翰林學士承旨渾都海牙、致仕を乞うも、允さず、以て中書平章政事と為す。四川行省参知政事桑哥失里、渠州を復す。甲子(二十二日)、翰林學士承旨歐陽玄、湖広行省右丞を以て致仕し、玉帯及び鈔一百錠を賜い、全俸を給して其の身を終わらしむ。戊辰(二十六日)、諸王禿堅帖木兒・平章政事也先帖木兒、和州を討つに功有り、各々金繫腰并びに鈔一千錠を賜う。辛未(二十九日)、荊門知州聶炳、荊門州を復す。平章政事忽都海牙、年老いて疾有り、詔して其の朝賀を免ず。是の月、大駕時に上都に巡幸す。永懐県の賊、桂陽を陥す。咬住、帰州を復し、進んで峡州を攻め、峡州総管趙余禠と共に賊兵を大破し、賊将李太素等を誅し、遂に之を平らぐ。天下に詔して城郭を完うし、堤防を築かしむ。亦都護月魯帖木児に命じて畏吾児軍馬を領せしめ、豫王阿剌忒納失里・知枢密院事老章と共に襄陽・南陽・鄧州の賊を討たしむ。陝西行臺監察御史蒙古魯海牙・范文等、糾弾して言う、也先帖木児は師を喪い国を辱しむと、乞うて明らかに其の罪を正さんことを。詔して允さず。西台御史大夫朵爾直班を左遷して湖広行省平章政事と為し、蒙古魯海牙十二人を各路の添設佐貳官と為す。

五月癸酉朔(一日)、太白星鎮星を犯す。戊寅(六日)、龍虎山の張嗣徳を命じて三十九代天師と為し、印章を給す。海道萬戸李世安、建言して夏運を権停すべしと、之に従う。江南行臺御史大夫納麟に命じて宣敕を台州の民陳子由・楊恕卿・趙士正・戴甲に給し、其の民丁を集めて方国珍を夾攻せしむ。己卯(七日)、咬住、中興路を復す。庚辰(八日)、監察御史徹徹帖木児等言う、「河南諸処の群盗、輒ち亡宋の故号を引き以て口実と為す。宜しく瀛国公の子和尚趙完普及び親属を以て沙州に徙し安置し、人と交通するを禁ずべし」と。之に従う。苽児棚等処の金銀場課を罷む。癸未(十一日)、建昌の民戴良、郷兵を起こして建昌路を克復す。乙酉(十三日)、留守帖木哥に命じて諸王朵児只と共に口北龍慶州を守らしむ。是の月、答失八都魯、荊門に至り、兵を増募し、襄陽に趨り、賊と戦い、大いに之を破り克つ。左答納失里に命じて仍く蕪湖の険隘を守らしむ。

六月丙午(五日)、中書省臣言う、大名路開・滑・濬の三州、元城十一県、水旱虫蝗有り、飢民七十一万六千九百八十口、鈔十万錠を給して之を賑うと。戊申(七日)、治書侍御史杜秉彝・中書参議李稷を命じて並びに経筵官を兼ねしむ。辛亥(十日)、太白星井宿を犯す。河南行省左丞匝納祿・参知政事王也速迭児、並びに軍需を失誤せるを以て、左遷して添設淮西宣慰使と為し、軍に随い供給せしむ。河南行省平章政事禿魯・参知政事李猷に命じて汝寧の軍需を供給せしむ。丁巳(十六日)、中書参知政事悟良哈台に珠衣并びに帽を賜う。乙丑(二十四日)、宣譲王帖木児不花、諸王乞塔歹・曲憐帖木児及び淮南廉訪使班祝児、並びに賊を平らぐに功有り、金繫腰・銀・鈔を差等有りて賜う。紹慶宣慰使楊延礼不花を遥授して湖広左丞と為し、楊伯顔卜花を紹慶宣慰使と為し、文資に換え、楊城を沿辺溪洞招討使兼征行萬戸と為し、先に拘収せし牌面を回賜す。丙寅(二十五日)、紅巾の周伯顔、道州を陥す。太廟西神門を修す。

秋七月丁丑(六日)、時享を太廟に挙行す。庚辰(九日)、饒・徽の賊、昱嶺関を犯し、杭州路を陥す。辛巳(十日)、通政院使答児麻失里に命じて枢密副使禿堅不花と共に徐州の賊を討たしめ、敕牒三十道を給して以て功を賞す。己丑(十八日)、湘郷の賊、宝慶路を陥す。庚寅(十九日)、西番首賊を殺獲せし功を以て、岐王阿剌乞巴に鈔一千錠を賜い、邠王嵬厘・諸王班的失監・平章政事鎖南班に各々金繫腰一を賜う。征西元帥斡羅を以て章佩添設少監と為し、徐州を討たしむ。脱脱、親しく出師して徐州を討たんことを請う。詔して之を許す。辛卯(二十日)、脱脱台を命じて行枢密院使と為し、二十萬戸を提調せしめ、金繫腰一・銀鈔幣帛を差等有りて賜う。丁酉(二十六日)、辰星霊台を犯す。杜秉彝を以て中書添設参知政事と為す。湖南元帥副使小云失海牙・総管兀顔思忠、宝慶路を復す。是の月、徐寿輝の偽将王善・康寿四・江二蛮等、福安・寧徳等県を陥す。

八月癸卯、中書参知政事テリ・テムル(帖理帖木爾)と淮南行省右丞マンシ(蠻子)に命じて、トクト(脫脫)の行軍に必要な一切の物資を供給させた。方国珍がその衆を率いて台州城を攻め、浙東元帥エトミシ(也忒迷失)と福建元帥ヘイディル(黑的兒)がこれを撃退した。甲辰、同知枢密院事ハマ(哈麻)を中書添設右丞とした。斉王シレムン(失列門)が京師に馬一万五千匹を献上した。トクトに金三錠、銀三十錠、鈔一万錠、幣帛各一千匹を賜う。丁未、日本国の者が高麗賊を率いて海を渡り掠奪し、自ら島の住民と称したので、高麗国王バヤン・テムル(伯顔帖木兒)が兵を調発してこれを討ち捕らえた。金の腰帯一、鈔二千錠を賜う。己酉、知枢密院事ヨウヨウ(咬咬)、中書平章政事ショスゲン(搠思監)、也可ジャルグチ(扎魯忽赤)フクジュ(福壽)に命じ、ともにトクトに従って出師し徐州を征討させ、金の腰帯および銀・鈔・幣帛をそれぞれ差等を付けて賜う。翰林学士承旨コケ(闊怯)が五投下の百姓を鎮撫したので、金の腰帯一を賜う。壬子、ジャサウン・スン(扎撒溫孫)を河南行省右丞とし、シェーシェドゥ(偰哲篤)を淮南行省左丞とし、それぞれ鈔五十錠を賜う。丙辰、トスミシ(禿思迷失)を淮南行省平章政事とした。丁巳、中書平章政事プハ(普化)に命じて経筵事を管掌させた。トクトが将に出師せんとするに当たり、六部尚書ミルマ・ホモ(密邇麻和謨)らが上言した。「大臣は天子の股肱、中書は諸政務の根本であり、一日も離れることはできません。賢相を留めるよう詔を下し、天子の政務を補佐させてください。そうすれば内外ともに兼ね治めるに適し、社稷も倚って重んずる所を得ましょう。」返答はなかった。トクトが言上した。皇后オルド(斡耳朵)の支出が不足しているので、今後は毎年、金十錠、銀五十錠を給付すべきであると。同知枢密院事シェシェ(雪雪)が南陽に出軍し、同知枢密院事トチ(禿赤)が河南に出軍し、ともに功績があったので、それぞれ階を進めて栄禄大夫とした。中書右丞ハマの階を進めて栄禄大夫とした。庚申、ハマらに命じて各ケシク(怯薛)、各アイマ(愛馬)の口糧を管理させた。丁卯、太白星が歳星を犯す。詔して曰く。「トクトはダルハン(答剌罕)、太傅、中書右丞相として外に分省し、諸処の軍馬を督制し、徐州を討伐せよ。中書省・枢密院・御史台は官属を分けて従行させ、その節制を受け、爵禄を有功者に賞し、誅殺を有罪者に加え、順なる者を安撫し逆なる者を討つこと、すべて便宜を以て事を行なうことを聴す。」この日、京師を出発した。この月、大駕(皇帝の行列)が大都に還った。安陸の賊将俞君正が再び荊門州を陥とし、知州聶炳はこれに死す。賊将党仲達が再び岳州を陥とした。

九月乙亥、俞君正が再び中興路を陥とした。ヨウジュ(咬住)が兵を率いて楼台でこれと戦い、敗れて松滋に奔り、本路判官シャンドゥ(上都)はこれに死す。己卯、監察御史および河南分御史台・行枢密院・河南廉訪司・鞏昌総帥府・陝西都府・義兵万戸府などの官が、相次いで上書して御史大夫エセン・テムル(也先帖木兒)の河南出征の功績を述べた。庚辰、エセン・テムルに金の腰帯一、金一錠、銀十錠、鈔五千錠、幣帛各一百匹を賜う。癸未、中興の義士范忠が、荊門の僧李智とともに義兵を率いて中興路を回復し、俞君正は敗走した。龍鎮衛指揮使アンドゥラハマン(俺都剌哈蠻)が兵を率いて入城し、ヨウジュは松滋から還り、石馬に屯兵した。乙酉、トクトが徐州に到着した。丁亥、知行枢密院事アラキ(阿剌吉)に命じてトクトに従い徐州を討伐させ、金の腰帯一、金一錠、銀五錠、鈔・幣をそれぞれ差等を付けて賜う。辛卯、トクトが徐州を回復し、その城を屠り、芝麻李らは遁走した。壬辰、太陰が軒轅星を犯す。戊戌、ハマに鈔三百錠を賜い玉帯を買わせた。己亥、賊が辰州を攻め、ダルガチ(達魯花赤)ホシャン(和尚)がこれを撃退した。庚子、詔してトクトに太師を加え、軍を返して京師に還らせた。

冬十月丁未、時に太廟を享祀す。庚戌、知枢密院事ラオジャン(老章)の階を進めて金紫光禄大夫とした。平章政事ディンジュ(定住)、右丞ハマに命じてともに経筵事を管掌させた。癸丑、遼陽において粟豆五十万石を和糴することを命ず。甲寅、知行枢密院事アキラ(阿乞剌)を太尉・淮南行省平章政事に拝す。戊午、太陰が鬼宿を犯す。甲子、太陰が歳星を犯す。乙丑、太陰が亢宿を犯す。

十一月辛未、江浙行省平章政事キョントン(慶童)に命じて常州の賊を捕らえさせた。乙亥、シンギ(星吉)を江西行省平章政事とし、出師して湖広に向かわせた。丙子、中書省の臣が、トクトのために徐州平寇の碑を立て、王爵を加封することを請うた。癸未、江浙行省左丞テリ・テムル(帖理帖木兒)に命じて兵を総べ、方国珍を討伐させた。己丑、トクトの徐州平定の功により、金十錠、銀一百錠、鈔五万錠、幣帛各三千匹を賜おうとしたが、上表して辞退したので、これに従った。庚寅、太陰が太微垣を犯す。

十二月壬寅、ダシバドル(答失八都魯)が襄陽を回復した。辛亥、詔して、杭州・常州・湖州・信州・広徳などの諸路がすべて克復されたので、誤って連座した者を赦免し、その夏税・秋糧を免除し、役人に命じてその民を撫恤させた。辛酉、湖広行省参知政事ブヤンブハ(卜顔不花)と右丞アルフイ(阿兒灰)が徭賊を討ち、湖南の潭州・岳州などの地を回復した功績により、ブヤンブハは散階を従一品に進め、アルフイは正二品に進めた。癸未、トクトが言上した。「京畿近郊の水利を利用し、江南の人を募って耕作させれば、毎年粟麦百余万石を得ることができ、海運に煩わされることなく京師は食糧が充足します。」帝は言った。「この事は国家に有利である。議論して実行せよ。」

この年、海運は通じなかった。汴梁に都水庸田使司を設置し、種植の事を管掌させた。潁州沈丘の人チャガン・テムル(察罕帖木兒)と信陽州羅山の人李思斉がともに義兵を起こし、賊を破って功績があり、チャガン・テムルに中順大夫・汝寧府ダルガチ(達魯花赤)を授け、李思斉に汝寧府知事を授けた。