元史

本紀第二十四: 仁宗一

仁宗聖文欽孝皇帝、諱は愛育黎拔力八達、順宗の次子、武宗の弟なり。母は興聖太后と曰い、弘吉剌氏。至元二十二年三月丙子に生まる。

大徳九年冬十月、成宗不、中宮政を秉り、詔して帝と太后に出居して懐州せしむ。十年冬十二月、懐州に至る。過ぐる所の郡県、供帳華侈なるを、悉く撤去せしめ、扈従を厳しく飭して民を擾さざらしめ、且つ僉事王毅に諭して察して言わしむ。民皆感悦す。

十一年春正月、成宗崩ず。時に武宗は懐寧王たり、兵を総べて北辺にあり。戊子、帝と太后哀を聞き奔赴す。庚寅、衛輝に至り、比干の墓を経る。左右を顧みて曰く、「紂は内に色に荒み、毒を四海に痡しむ。比干諫め、紂其の心を刳く。遂に天下を失う」と。比干を墓に祠ることを令し、後世の勧めと為す。漳河に至り、大風雪に値う。田叟に盂粥を以て進むる者有り。近侍卻けて受けず。帝曰く、「昔、漢の光武嘗て寇兵に迫られ、豆粥を食らう。大丈夫艱阻を備嘗せずんば、往々にして稼穡の艱難を知らず、以て驕惰を致す」と。命じて取りて食らわしむ。叟に綾一匹を賜い、慰めて遣わす。行きて邯鄲に次ぐ。県官に諭して曰く、「吾は衛士の不法、胥吏の科斂を慮り、重ねて民の困と為らんことを」と。乃ち王傅に命じて巡行し察せしむ。二月辛亥、大都に至り、太后と内に入り、哭して哀を尽くし、復た出でて旧邸に居り、日々朝夕入りて哭奠す。左丞相阿忽台等潜かに謀りて皇后伯要真氏を推して制を称えしめ、安西王阿難答之を輔けんとす。時に右丞相哈剌哈孫答剌罕疾を称し、掖門を守り宿ること凡そ三月、密かに其の機を持ち、陽に之を許す。夜、人を遣わして帝に啓して曰く、「懐寧王遠く、猝に至ること能わず。変の不測より生ずるを恐る。当に事に先んじて発すべし」と。三月丙寅、帝衛士を率いて内に入り、阿忽台等を召して乱れし祖宗の家法を責め、執うることを命じ、鞫問して辞服す。戊辰、誅に伏す。諸王闊闊出、牙忽都等曰く、「今罪人斯くの如く得たり。太子実に世祖の孫なり。宜しく早く天位を正すべし」と。帝曰く、「王何を為ぞ此の言を出す。彼の悪人潜かに宮壼に結び、乱を我家に搆う。故に之を誅す。豈に威を作し神器を覬望せんと欲するや。懐寧王吾が兄なり。位を正すは宜し」と。乃ち使を遣わして武宗を北辺に迎えしむ。五月乙丑、帝と太后武宗と上都に会す。甲申、武宗即位す。六月癸巳朔、詔して帝を立てて皇太子と為し、金宝を受く。四方に使を遣わし、旁く経籍を求め、玉刻の印章を以て識し、近侍に命じて之を掌らしむ。時に大学衍義を進むる者有り。詹事王約等に命じて節して之を訳さしむ。帝曰く、「天下を治むるは、此の一書足れり」と。因って命じて図象孝経、列女伝と並びに刊行し、臣下に賜う。十一月戊寅、玉冊を受け、中書省・枢密院を領す。

至大元年七月、帝詹事曲出に諭して曰く、「汝旧く吾に事う。其れ同僚と協議し、務めて法度に遵い、凡そ世祖の未だ嘗て行わざる所及び典故に無き者は、慎んで行うことなかれ」と。二年八月、尚書省を立て、詔して太子に尚書令しょうしょれいを兼ねしめ、百官有司を戒飭し、紀綱を振い、名器を重んじ、夙夜以て事功に赴かしむ。詹事院の臣啓して金州瑟瑟洞を献ず。請うて使を遣わし之を采らしむ。帝曰く、「宝とする所は惟だ賢のみ。瑟瑟何の用か之れ有らん。此の若き者は、後復た聞くことなかれ」と。先ず是れ、近侍言う賈人に美珠を售る者有りと。帝曰く、「吾が服御は雅に珠璣を以て飾るを喜ばず。生民の膏血、軽く耗すべからず。汝等当に広く賢才を進め、以て恭儉人を愛するを相規し、奢靡を以て財を蠹するを相導くべからず」と。言う者慚じて退く。淮東宣慰使撒都玉観音・七宝帽頂・宝帯・宝鞍を献ず。之を却け、戒諭すること初めの如し。詹事王約事を啓す。二宦者側に侍す。帝問う、「古より宦官人家国を壞すこと有りや」と。約対えて曰く、「宦官善悪皆之れ有り。但だ処置の宜しきを失うを恐るるのみ」と。帝之を然りとす。九月、河間等路嘉禾を献ず。異畝同穎及び一茎数穗なる者有り。集賢学士趙孟頫に命じて図を繪し、諸の秘書に蔵む。

至大四年

四年春正月庚辰、武宗崩ず。壬午、尚書省を罷む。丞相脱虎脱・三宝奴、平章楽実、右丞保八、左丞忙哥怗木児、参政王羆、旧章を変乱し、毒を百姓に流すを以て、中書右丞相塔思不花・知枢密院事鉄木児不花等に命じて参鞫せしむ。丙戌、脱虎脱・三宝奴・楽実・保八・王羆誅に伏す。忙哥怗木児杖して海南に流す。壬辰、日赤く赭の如し。中都の城を罷む。世祖朝に政務に諳知し素に声望有る老臣平章程鵬飛・董士選、太子少傅李謙、少保張驢、右丞陳天祥・尚文・劉正、左丞郝天挺、中丞董士珍、太子賓客蕭𣂏、参政劉敏中・王思廉・韓従益、侍御趙君信、廉訪使程鉅夫、杭州路達魯花赤阿合馬を召し、伝を給して闕に詣らしめ、庶務を同議せしむ。甲午、脱虎脱等に阿附せる左右司・六部の官の罪を宥す。乙未、百官の軍人を役して営造し及び私第を守護するを禁ず。丁酉、雲南行中書省左丞相鉄木迭児を以て中書右丞相と為し、太子詹事完澤・集賢大学士李孟並びに平章政事と為す。戊戌、塔思不花及び徽政院使沙沙を以て並びに御史大夫と為す。己亥、行尚書省を行中書省に改む。庚子、価を減じて京倉の米を糶き、日千石、以て貧民を賑う。各処の営造を停む。広武康里衛を罷め、印符・駅券・璽書及び其の万戸等の官の宣敕を追還す。辛丑、塔失鉄木児を以て知枢密院事と為す。壬寅、鷹坊の馳駅して民を擾すを禁ず。中書に勅し、凡そ伝旨親しく奉ぜざる者は行うことなからしむ。諸王の朝会を以て、普く金三万九千六百五十両・銀百八十四万九千五十両・鈔二十二万三千二百七十九錠・幣帛四十七万二千四百八十八匹を賜う。

二月、玉宸楽院を儀鳳司に復し、延慶司を都功徳使司に改める。乙巳、和林及び江浙行省には前の如く左丞相を置き、その他の行省には平章二員のみを置くこととし、遥授の職事は与えない。戊申、江南で印刷した仏経の運搬を廃止する。辛亥、諸王・駙馬・権豪が山場を勝手に占拠することを禁じ、民の樵採を許す。阿老瓦丁による浙塩の売買を廃止し、中政の食羊に供する。宣政院が制度に違反して僧を度することを禁ずる。甲寅、使者を遣わして小雲石不花が献上した河南の荒田を検査させる。司徒しと蕭珍が中都の城造営で功を誇り民を苦しめたので、その符印を追奪し、諸官庁に禁錮するよう命ずる。中都が占拠した民田を返還する。江南行通政院・行宣政院を廃止する。甲子、太陰が填星を犯す。典内司を典内院に昇格し、秩を従三品とする。中書平章李孟に国子監学を管轄させ、諭して曰く「学校は人材の出づる所なり、卿等は宜しく数たび国学に詣で諸生を課試し、その徳業を勉めよ」。勅す「諸王・駙馬の戸が縉山・懐来・永興県にある者は、民と均しく徭役に服すべし。諸司が勝手に除官を奏上する者は、宣勅を与えるな」。御史台臣言う「白雲宗総摂所が統べる江南の僧で髪のある者は、父母を養わず、役を避けて民を損なう、乞う、受けた璽書銀印を追収し、民籍に戻すよう強制せよ」。これに従う。福建の繍匠・河南の魚課の両提挙司を廃止する。宣徽院の参議・断事官を省く。丙寅、監察御史言う「近ごろ尚書省臣が国を蝕み政を乱し、既に典刑に正されたが、その余の党附の徒が諸官庁に分布し、これも順次淘汰すべし。今、中書が孛羅鉄木児を陝西平章に、烏馬児を江浙平章に、闊里吉思を甘粛平章に、塔失帖木児を河南参政に、万僧を江浙参政に奏用せんとしているが、各人の前任時、皆重い贓を受け、あるいは勢いを頼んで民を害した、皆罷黜を乞う」。制して「可」と曰う。丁卯、西番僧で璽書・駅券を奉ぜず、また西蕃宣慰司の文牒なき者は、軽々しく京師に至ることを許さず、また黄河の津吏に検問禁止を戒める。総統所及び各所の僧録・僧正・都綱司を廃止し、凡そ僧人の訴訟は悉く有司に帰す。仁虞院を廃止し、鷹坊総管府を再び置く。庚午、広西静江・融州の軍民官で、鎮守三年無事の者は、民官は一資を減じ、軍官は一階を昇ることを命じ、令として定める。思州軍民宣撫司招諭官唐銓が洞蛮楊正思ら五人を率いて来朝し、金帛を差等ありて賜う。杭州に淮安忠武王伯顔の祠を立て、なお田を与えて祀事に供えしむ。是月、帝侍臣に謂いて曰く「郡県官に善悪あり、その台官に命じて正直の人を選び廉訪司官とし、これを体察せしめよ。果たして廉能で民を愛する者あれば、次を超えて擢用せよ、然らば小人自ら激厲を知らん」。漳州長泰県民王初応の孝行を旌表す。

三月庚辰、前枢密副使呉元珪、左丞拝降・兀伯都剌を京師に召し、諸老臣と共に議事せしむ。丙戌、太陰が太微上相を犯す。五台行工部を廃止する。己丑、十悪大逆等の罪を赦すなからしむ。典瑞院を典瑞監に復す。庚寅、大明殿において皇帝の位に即き、諸王百官の朝賀を受く。詔して曰く、

惟れ昔、先帝は皇太后に事え、朕の眇躬を撫育し、孝友天至なり。朕は順考の遺体に託するを得、重ねて母弟の嫡たるを以てし、内難を削平するの功を加う。その践祚に未だ月を踰えざるに、皇太子宝を授け、中書令・枢密使を領し、百揆の機務、その総裁する所に聴く、今に至る五年。先帝天下を奄かに棄てたまう、勲戚元老皆大宝の承くるを請う、既に成命あり、前聖の賓天して始めて宗親を徴集し議する所の立つべき者に比すべからず、周・漢・晋・唐の故事に稽り、宸極に正位すべし。朕は国恤方に新たなるを以てし、誠に未だ忍びず、是を用いて時を経る。今は上は皇太后の勉進の命を奉じ、下は諸王の勧戴の勤めに徇い、三月十八日、大都大明殿において皇帝の位に即く。凡そ尚書省の国を誤るの臣は、先に已に誅に伏し、同悪の徒も亦已に放殛せり、百司の庶政は悉く中書に帰し、丞相鉄木迭児・平章政事李道復等に命じて新たに拯治せしむ。天下を大赦すべし、敢えて赦前の事を以て相告言する者は、その罪を以て罪す。

諸衙門及び近侍人等、中書を隔越して奏事するなかれ。諸上書して言を陳ずる者は、量りて旌擢を加えよ。その僥倖して地土及び山場・窰冶を献じ、並びに宝を中る者は、これを禁止す。諸王・駙馬が州郡を経過するに当たり、理に非ざる需索をなすべからず、応ずる和顧・和買は、随時に価を給し、吾が民を困らすなかれ。

辛卯、民間の金箔・銷金・織金の製を禁ず。御史中丞李士英を以て中書左丞となす。壬辰、京倉の米を発し、価を減じて糶き、貧民を賑う。丁酉、月赤察児に前の如く太師たることを命じ、宣徽使鉄哥を太傅とし、集賢大学士曲出を太保となす。勅す、百司で品級を改陞した者は、悉く至元の旧制に復せよ。己亥、左翼・右翼指揮各一員を増置す。寧夏路地震す。是月、帝省臣に諭して曰く「卿等は中統・至元以来の条章を裒集し、法律に通暁する老臣を選び、軽重を斟酌し、折衷して一に帰し、天下に頒行し、有司に遵行せしめよ、然らば罪に抵る者冤抑なからん」。又太府監臣に諭して曰く「財用足れば、則ち以て万民を養い、軍旅に給すべし。今より後は一繒の微たるといえども、朕に言わずして、軽々しく人に与うるなかれ」。陝西行尚書省左丞兀伯都剌を以て中書右丞とす。昭文館大学士察罕を参知政事とす。中書平章政事・知枢密院事床兀児、欽察親軍都指揮使脱火赤抜都児、中書右丞相・知枢密院事鉄木児不花、録軍国重事・知枢密院事也速、知枢密院事兼山東河北蒙古軍都万戸也先鉄木児、遥授左丞相・仁虞院使也児吉尼、太子詹事月魯鉄木児、並びに知枢密院事とす。大都路の民で年九十の者二千三百三十一人に、人ごとに帛二匹を賜う。八十の者八千三百三十一人に、人ごとに帛一匹を賜う。

夏四月壬寅朔、詔して宿衛の士を分汰し、漢人・高麗・南人の冒入する者は、その元の籍に還す。癸卯、回回司天臺にて星を禜す。即位を以て、恩賜として太師・太傅・太保に、人ごとに金五十両・銀三百五十両・衣四襲を賜う。行省の臣で朝会に預かる者は、銀を差等ありて賞す。丁未、太子少保張驢を以て江浙平章と為し、戒めて曰く、「汝が先朝の旧人なるを以て、故に汝をして往かしむ。民は邦の本なり、民無くして何を以て国と為さん。汝其れ上は朕が心を体し、下は斯の民を愛せよ。」戊申、即位を以て南郊にて天地に告ぐ。庚戌、下番の将校で兵を典とせざる者の虎符・銀牌を拘収す。癸丑、詔す、「路・府・州・県の官は、三年を以て満とす。」典医監を罷む。甲寅、太陰、亢を犯す。熒惑、壘壁陣を犯す。丙辰、宣徽使亦列赤に詔諭し、諸の蒙古の民に貧乏なる者あれば、廩を発してこれを済す。丁巳、中政院を罷む。戊午、即位を以て太廟に告ぐ。辛酉、敕す、「国子監の師儒の職は、才徳ある者は、品級に拘わらず、布衣と雖も亦選用すべし。」癸亥、敕す、「諸の使臣、軍務急速ならざる者は、金字円牌を与うること毋れ。」四宿衛の士の歳賜鈔を二十四万二百五錠と定む。中都留守司を罷め、復た隆興路総管府を置き、凡そ創置の司存は悉くこれを罷む。乙丑、知枢密院事鉄木児不花を封じて宣寧王と為し、銀印を賜う。丁卯、詔して曰く、「我が世祖皇帝、古今を参酌し、中統・至元の鈔法を立て、天下に流行し、公私利を蒙ること、茲に五十年なり。比者尚書省、利病を究めず、輒ち意に変更し、既に至大銀鈔を創め、又大元・至大の銅銭を鋳る。鈔は倍数多くして、軽重宜しきを失い、銭は鼓鑄給わずして、新旧恣に用い、未だ再期せずして、其の弊滋に甚だし。爰に廷議を諮り、允に輿言に協い、皆願わくは変通して、以て旧制に復せんとす。其れ資国院及び各処の泉貨監提挙司の銅器を買売するを罷め、民の自便に聴せしむべし。応に尚書省の已に発する各処の至大鈔本及び至大銅銭は、截日して封貯し、民間に行使する者は、行用庫に赴き倒換すべし。」仍て大都・上都・隆興の差税を三年免ず。中書省をして甘肅の過川軍を賑済せしむ。僧・道・也里可温・答失蠻・頭陀・白雲宗の諸司を罷む。親王迭里哥児不花を改封して湘寧王と為し、金印を賜い、湘郷州・寧郷県六万五千戸を食む。甘粛・陝西・遼陽の省臣の佩く所の虎符を拘還す。鷹坊の民を擾わすを禁ず。通政院を罷め、其の事を兵部に帰す。尚書員外郎を各一員増置す。回回合的司属を罷む。帝、便殿に御す。李孟進みて曰く、「陛下御極し、物価頓に減ず。方に聖人の神化の速きを知り、敢えて以て賀と為す。」帝蹙然として曰く、「卿等能く尽力して賛襄し、兆民を乂安せしめ、庶幾くは天心克く享けん。秋成に至るまで、未だ敢えて必ずしもせず。今朕践祚して曾て未だ月を踰えず、寧んぞ物価頓に減ずるの理あらんや。朕卿に托すこと甚だ重し。茲の言は頼む所に非ざるなり。」孟愧謝す。帝、集賢学士忽都魯都児迷失に諭して曰く、「向に老臣十人を召し、言う所の治政、汝其れ詳しく訳して以て進め、仍て中書に諭して悉心に行わしめよ。」南陽等処に風・雹あり。

五月壬申朔、宦者鉄昔里を以て利用監卿と為す。癸酉、八百媳婦蠻と大・小徹里蠻、辺を寇し、雲南王及び右丞阿忽台を命じて兵を以てこれを討たしむ。乳母の夫寿国公楊徳栄を改封して雲国公と為す。丙子、翰林国史院を命じて先帝実録及び累朝の皇后・功臣列伝を纂修せしめ、百司をして悉く事蹟を上らしむ。丁丑、毒薬を以て酒を醸すことを禁ず。庚辰、中書省に敕して冗司を裁省せしむ。高昌王傅を置く。度支院を復して監と為す。泉府司・長信院・司禋監を罷む。辛巳、大長公主祥哥剌吉に鈔二万錠を賜う。壬午、翰林国史院の承旨五員、学士・侍読・侍講・直学士各二員を制定す。諸王・駙馬及び有司の駅券を拘え、今より使を遣わすは、悉く中書省より給降す。祥和署を置き、伶人を掌らしむ。金歯諸国、馴象を献ず。癸未、太陰、氐を犯す。国師板的答に鈔万錠を賜い、以て旧城に寺を建てしむ。戊子、羅鬼蠻来たり方物を献ず。甲午、太常礼儀院を復して太常寺と為す。是の月、民の鴐鵝を捕うるを禁ず。

六月癸卯、宣政院に敕す、「凡そ西番の軍務は、必ず文を移して枢密院と同議し以て聞かしむべし。」吐蕃、永福鎮を犯す。宣政院と枢密院に敕して兵を遣わしこれを討たしむ。乙巳、侍臣を命じて内外に咨訪し、才国を佐くるに堪うる者は、悉く名を以て聞かしむ。仍て諸王を戒敕し、恪みて乃ち職を恭うせしむ。丙午、内侍楊光祖を以て秘書卿と為し、譚振宗を武備卿と為し、関居仁を尚乗卿と為し、並びに弘文館学士を授く。湘寧王迭里哥児不花の王傅を置く。丁未、太陰、太微東垣上相を犯す。己酉、詔して軍人を存恤す。庚戌、太陰、氐を犯す。壬子、甘粛省に敕して過川軍に牛種農器を与え、屯田せしむ。癸丑、太府院を復して太府監と為す。上都兵馬指揮を五員に省く。甲寅、亦思丹を封じて懐仁郡王と為し、銀印を賜う。丁巳、翰林国史院に敕して春秋に太祖・太宗・睿宗の御容を致祭せしめ、歳を以て常と為す。和林行省右丞孛里・馬速忽を命じて称海の屯田を経理せしむ。大同路宣寧県の民家、犢を産みて死す。頗る麒麟に類す。車に載せて以て献ず。左右曰く、「古の所謂る瑞物なり。」帝曰く、「五穀豊熟し、百姓業を安んずるは、乃ち瑞と為すなり。」己未、復た長信寺を置く。枢密臣孛羅を封じて沢国公と為す。庚申、敕す、今より諸司白事するは、須らく殿中侍御史をして側に侍らしむべし。癸亥、晋王也孫鉄木児に鈔五千錠、幣・帛各二千匹を賜う。太尉不花に金百両を賜う。雲州銀場提挙司を復し、儀鸞局を置く。秩皆五品。甲子、南郊にて大行皇帝の諡を請い、上尊諡して仁恵宣孝皇帝と曰い、廟号を武宗とす。丙寅、泉府司の元より諸商販に給する璽書を拘収す。丁卯、只合赤八剌合孫の造る所の上供酒を罷む。戊辰、諸王の朝会に後るる者に敕し、例に如く給賜す。己巳、魏王阿木哥入見す。帝、省臣に諭して曰く、「朕と阿木哥は同父にして母を異にす。朕撫育せずんば、彼将に誰をか頼らん。其れ鈔二万錠を賜え。他は例に援る勿れ。」帝、貞観政要を覧る。翰林侍講阿林鉄木児に諭して曰く、「此の書は国家に益あり。其れ国語に訳して刊行し、蒙古・色目の人をして誦習せしめよ。」済寧・東平・帰徳・高唐・徐・邳の諸州水あり、鈔を給してこれを賑う。河間・陝西の諸県、水・旱ありて稼を傷つく。有司を命じてこれを賑い、仍て其の今年の租を免ず。諸王塔剌馬的、使を遣わし馴象を進む。

秋七月辛未朔(一日)、遼陽省の官が提調する諸事の円符・璽書・駅券を拘還す。虎賁司の職員を裁減す。上都の宿衛士の貧乏なる者に鈔十三万九千錠を賜う。丁丑(七日)、鞏昌寧遠県に暴雨あり、山土流涌す。内外の軍官に並びに覃官一等を賜うことを勅す。癸未(十三日)、甘州に地震あり、大風、声雷の如し。朝会を以て、諸王禿満に金百五十両・銀五千二百五十両・幣帛三千匹を恩賜す。乙酉(十五日)、湘寧王迭里哥児不花の所部に鈔三万二千錠を賜う。癸巳(二十三日)、太陰畢を掩す。甲午(二十四日)、経正監を置き、蒙古軍の牧地を掌らしむ、秩正三品、官五員。丁酉(二十七日)、太陰鬼距星を犯す。己亥(二十九日)、省臣に詔諭して曰く「朕前に近侍に戒めて、みだりに文記を以て旨を中書に伝うることなからしむ。今より敢えて犯す者有らば、奏聞するをもちいず、直ちに其の人を捕えて刑部に付し究治せしめよ」。御史臺臣に勅し、事にて老成なる者を選びて監察御史と為さしむ。中散大夫・典内院使孛叔を超授して栄禄大夫と為す。是月、江陵の属県水害あり、民の死者衆し。太原・河間・真定・順徳・彰徳・大名・広平等路、徳・濮・恩・通等州、霖雨稼を傷つく。大寧等路に霜隕つ。有司に賑恤を勅す。

閏七月辛丑(二日)、国子祭酒劉賡を命じて曲阜に詣らしめ、太牢を以て孔子を祠らしむ。甲辰(五日)、車駕将に大都に還らんとす。太后、秋稼方に盛んなるを以て、鷹坊・駝人・衛士をして先往せしむること勿れ、こいねがわくは稼を害し民を擾すを免れしめんとす。之を禁止するを勅す。枢密院奏す「居庸関の古道四十有三、軍吏の防守する処僅かに十有三。旧に千戸を置くも、位軽く責重し。請う隆鎮万戸府を置き、も守備を厳にせしめん」。制して曰く「可」。五星を司天臺にまつる。故魯王刁斡八剌の嫡子阿礼嘉世礼を以て其の封爵・分地を襲封せしむ。乙巳(六日)、朝会を以て、月赤察児・床兀児に金二百両・銀二千八百両・幣帛を差等ありて恩賜す。丙午(七日)、武宗の神主を奉じて太廟にあわせまつる。戊申(九日)、李孟を秦国公に封ず。亦憐真乞剌思を命じて司徒と為す。己酉(十日)、吐番礼店・文州を寇す。総帥亦憐真等を命じて之を討たしむ。辛亥(十二日)、西僧蔵不班八を以て国師と為し、玉印を賜う。戊午(十九日)、司禋監を復置す。己未(二十日)、省臣に詔諭して曰く「国子学は、世祖皇帝深く注意せし所なり。平章不忽木等の如きは皆蒙古人なりしも、教えて成材せしむ。朕今親ら国子生の額を三百人と定め、なお陪堂生二十人を増す。一経を通ずる者は、次を以て伴読を補せしむ。定式と為すことをあらわす」。勅す「軍官七十にして致仕し、始めて子弟の承襲をゆるす。其れ未だ老いざるに即ち疾に託けて年を引き、幼弱の子弟をして職を襲わしむる者は、名を除き叙せず。其れ巧計を以て遷を求むる者は、違制を以て論ず」。壬戌(二十三日)、嶺北の流民を賑恤するを命ず。上都に通政院を立て、蒙古諸駅を領せしむ、秩正二品。甲子(二十五日)、寧夏地震す。乙丑(二十六日)、魯国大長公主祥哥剌吉に皇姉大長公主の号を進む。使を遣わして黒水・白水等の蛮十二万余戸を招諭し来降せしむ。丙寅(二十七日)、太陰軒轅を犯す。諸王阿不花等に金二百両・銀七百五十両・鈔一万三千六百三十錠・幣帛を差等ありて賜う。丁卯(二十八日)、完沢・李孟等言う「方今儒者を進用す。而るに老成日を以て凋謝す。四方の儒士に成材する者有らば、請う国子学・翰林・秘書・太常或いは儒学提挙等の職に擢任し、学者をして激勧する所有らしめん」。帝曰く「卿の言是なり。今より資級を限ること勿れ。果たして才にして賢ならば、白身と雖も之を用いよ」。直省舎人に勅し、其の半を以て殿庭に給事せしめ、半を以て中書の差遣を聴さしむ。医人にして選試及び著籍せざる者は、医薬を行わしむることかれ。大同宣寧県に雨雹あり、五寸積もり、苗稼尽くたおる。

八月己巳朔(一日)、京朝諸司の員数を裁定し、並びに至元三十年の旧額に依る。楚王牙忽都の所部食乏す。鈔一万錠を給し、粟五千石を出して之を賑す。環衛の圉人に鈔三万錠を賜う。近侍曲列失を以て戸部尚書と為す。甲戌(六日)、皇姉大長公主に鈔一万錠を賜う。丙戌(十八日)、安南世子陳日㷃表を奉じ、方物を以て来貢す。西番の軍務を宣政院に隷するを勅す。

九月己亥朔(一日)、遥授左丞相不花を進めて太尉と為す。丙午(八日)、遥授湖広平章・安南国王陳益稷入見し、言う「臣世祖朝より来帰し、妻子皆為国人に害せらる。朝廷王爵を授け、又漢陽の田五百頃を賜い、自贍して余年の終わるを俾む。今臣年幾ほとんど七十、而るに有司臣の受くる田を拘え、就食する所無し」。帝省臣に謂いて曰く「安南国王義を慕いて来帰す。宜しく其の賜を厚くし、以て遠人をなつくべし。其の勳爵を進め、田を受くること故の如くせよ」。戊申(十日)、民に飛鳥を弾射し、馬牛羊の乳に当たるを殺すことを禁ず。衛士に私に侍宴服をて、及び以て人に質することを得ざらしむ。庚戌(十二日)、枢密院を命じて各省の軍馬を閲す。壬子(十四日)、元を改めて皇慶と為す。詔して曰く「朕天地祖宗の霊に頼り、聖緒を纂承す。永く惟うに治古の隆きを、群生咸みな遂げ、国以て乂寧がいねいたる。朕夙興夜寐、敢えて怠遑たいこうせず、賢を任じ能を使い、滞を興し闕を補い、庶わくはここに斂時五福をいたらしめ、用ての庶民に敷錫ふしゃくせん、是れ朕の志なり。年をえて元を改むるは、厥れ彝典有り。其れ至大五年を以て皇慶元年と為す」。都水監卿木八剌沙旨を伝え、駅を給して杭州の造る所の龍舟を往き取りしむ。省臣諫めて曰く「陛下践祚し、天下に誕告す。凡そ宣索に非ざれば、みだりに進むること毋かれと。誠に此の舟を取らば、前詔にもとれり」。之を止むるを詔す。中宮位下の怯憐口諸色民匠打捕鷹坊都総管府を復置す、秩正三品。乙卯(十七日)、太陰畢を犯す。丁巳(十九日)、太后の旨を奉じ、永平路の歳入を以て、経費を除く外、悉く魯国大長公主に賜う。雲南王老的なる部属の馬価一万二千錠を給す。丙寅(二十八日)、省部の官に勅し、宿衛を以て職を廃するに託すること勿れ。西番茶提挙司を罷む。是月、江陵路水民家を漂い、溺死する者十有八人。

冬十月戊朔の日、太廟に祭祀を行ふ。己巳の日、武宗の御容を描かしめ、大崇恩福元寺に奉安し、月に四度祭祀を上ぐることを命ず。辛未の日、大普慶寺に金千両、銀五千両、鈔一万錠、西錦・綵段・紗・羅・布帛一万端、田八万畝、邸舎四百間を賜ふ。丁丑の日、諸僧寺に民田を侵すことを禁ず。辛巳の日、宣政院の理問僧人の詞訟を罷む。蘄県万戸府を以て慶元を鎮め、紹興沿海万戸府を以て処州を鎮め、宿州万戸府を以て台州を兼ねて鎮む。戊子の日、海道運糧万戸を省きて六員とし、千戸を七所とす。故太師月児魯の子木剌忽に特授して栄禄大夫・知枢密院事とす。辛卯の日、諸王の断事官を罷め、其の蒙古人にして盗詐を犯す者は、隷する所の千戸に鞠問せしむ。壬辰の日、詔して至大銀鈔を収むることを宣す。諸えいの漢軍に武事を練習せしむることを敕す。群牧監を置き、秩正三品とし、興聖宮位下の畜牧を掌らしむ。癸巳の日、詔して汴梁・平江等処に田賦提挙司を置き、大承華普慶寺の資産を掌らしむ。雲南の増戍軍に鈔二万五千錠を給す。丙申の日、太白壘壁陣を犯す。

十一月戊戌朔の日、司徒買僧を封じて趙国公とす。辛丑の日、延安・鳳翔・安西の軍にて紅城に屯田する者を命じて、還りて陝西に屯田せしむ。敕す、「商税官にして税課を盗む者は、職官の贓罪に同じ。」乖西府を立て、土官阿馬を以て知府事とし、金符を佩かしむ。李孟奏す、「錢糧は国の本なり、世祖朝は量入為出し、恒に撙節を務めし故に倉庫充牣せり。今毎歳支鈔六百余万錠、又土木営繕百余処、計用数百万錠、内降旨の賞賜復た三百余万錠を用ひ、北辺の軍需又六七百萬錠、今帑蔵に見貯するは止むこと十一万余錠のみ、若し此くの如くんば安くんぞ周給せん。今より以後、不急の浮費は宜しく悉く停罷すべし。」帝其の言を納れ、凡そ営繕は悉く之を罷む。辛亥の日、諸王不里牙屯等、八不沙を不法を以て誣ふ、詔して不里牙屯・禿干を河南に、因忽乃を揚州に、納里を湖広に、太那を江西に、班出兀那を雲南に竄す。壬子の日、欽察衞に糧五千七百五十三石を賑ふ。甲寅の日、太陰輿鬼を犯す。戊午の日、漢人・回回の術者の諸王・駙馬及び大臣の家に出入することを禁ず。己未の日、遼陽省平章政事合散を以て中書平章政事とす。甲子の日、敕して京城の米肆十所を増置し、日々平糶八百石を以て貧民を賑ふ。丙寅の日、徽政使羅源を加えて大司徒とす。諸軍に糧七千六十石を賑ふ。

十二月辛未の日、経正監の官を増置して八員とす。尚牧所を置き、秩五品とし、太官の羊を掌る。癸酉の日、宣政・会福院使暗普を封じて秦国公とす。兵部侍郎・郎中を各一員増置す。庚辰の日、太白天を経る。復た陝西屯田軍三千を以て紅城万戸府に隷せしむ。壬午の日、詔して曰く、「今歳登らず、民何を以てか堪へん。春蒐は其れ供億を令むること勿れ。」癸未の日、太白天を経る。甲申の日、太陰太微西垣上将を犯す。浙西水災あり、漕江浙糧の四分の一を免じ、存留して賑済す。江西・湖広に命じて補運せしめ、京師に輸ぜしむ。占城、使を遣はし表を奉り方物を貢ぐ。庚寅の日、漢人の弓矢兵器を把持して田猟することを申し禁ず。大都の大辟囚一人を曲赦し、へいせて流以下の罪を赦す。辛卯の日、宗正府の官を裁して二十八員とす。官を遣はし監視して至大鈔を焚かしむ。壬辰の日、太白天を経る。敕す、「辺遠の官員を創設するは、任に到るを俟ちて方に敕牒を降すべし。」乙未の日、李孟に命じて国子監学を整飭せしむ。中書省臣言ふ、「世祖選法の陞降を定立し、以て激勧を示せり。今官未だ考に及ばず、或は故無く更代し、或は躐等して階を進み、僭りて国公・丞相等の職を受け、諸司已に裁して復た置く者有り。今春より内降旨を以て千余人を除官す、其中の欺偽、豈に悉く知らんや。選法を壊乱するは、此れより甚しきは莫し。」帝曰く、「凡そ内降旨は、一切行ふこと勿れ。」済王朶列納に印を賜ふ。和林の税課を以て延慶寺を建つ。詔して安南国世子陳日㷃に諭して曰く、「惟れ我が祖宗、天の明命を受け、万方を撫有し、威徳の加ふる所、遠きを柔げ邇きを能くす。乃ち先皇帝龍馭上賓し、朕は王侯臣民の釈かざるの故を以て、至大四年三月十八日に即ち皇帝の位に即き、踰年改元の制に遵ひ、至大五年を以て皇慶元年と為す。今礼部尚書乃馬台等を遣はし詔を齎して往き諭し、仍て皇慶元年の暦日一本を頒つ。卿其れ人時に敬授し、益々臣職を修め、爾が祖の事大の誠を替ふること無く、以て朕の柔遠を忘れざるの意に副はんことを。」

皇慶元年

皇慶元年春正月庚子の日、帝御史大夫塔思不花に諭して曰く、「凡そ大臣不法なるは、卿等劾奏して避くること毋れ、朕自ら之を裁せん。」癸卯の日、諸僧の奸盗・詐偽・鬭訟を犯すを敕し、仍て有司をして専ら之を治めしむ。甲辰の日、太師・録軍国重事・知枢密院事脱児赤顔に授けて開府儀同三司とし、淇陽王を嗣がしむ。戊申の日、隆鎮万戸府を改めて隆鎮衞とす。庚戌の日、知枢密院事醜漢を封じて安遠王とし、出でて北軍を総べしむ。壬子の日、軍五千に満たざる者は、万戸を置くこと勿れと敕す。癸丑の日、太陰太微東垣上将を犯す。広州路番禺県の孝子陳韶孫を旌表す。戊午の日、諸王に王傅六員を設け、銀印を賜ひ、其の次に官四員を設くることを制す。済王朶列納を改封して呉王とす。(衞)〔魏〕王阿木哥に慶元路定海県六万五千戸を賜ふ。崇福使也里牙を加えて秦国公とす。己未の日、崇祥監を陞めて崇祥院とし、秩正二品とす。壬戌の日、翰林国史院の秩を陞めて従一品とす。帝省臣に諭して曰く、「翰林・集賢の儒臣は、朕自ら選用す、汝等輒ち擬進すること毋れ。人言ふ、御史臺は任重しと、朕謂ふ、国史院は尤も重しと。御史臺は一時の公論なり、国史院は実に万世の公論なり。」

二月丁卯朔(一日)、大都路学に置かれていた周宣王の石鼓を国子監に移す。称海屯内の漢軍に二年間の存恤(慰労)を命ずる。庚午(四日)、西北諸王也先不花が使者を遣わして珠寶・皮幣・馬駝を貢ぐ。鈔一万三千六百錠を賜う。辛未(五日)、安西路を奉元路と改め、吉州路を吉安路と改む。壬申(六日)、州文安県の屯田が水害に遭ったため、官を遣わして疏決(排水)せしむ。使者を遣わして西僧に金五千両・銀二万五千両・幣帛三万九千九百匹を賜う。甲戌(八日)、封贈(追贈)の名爵等級を制定し、令として定む。和林省を嶺北省と改む。丙子(十日)、称海屯田に牛二千頭を給す。晋王也孫鐵木兒に南康路戸六万五千を賜い、世祖の諸皇子〔忽哥赤の子〕也先鐵木兒に福州路福安県、脱歡の子不答失里に福州路寧徳県、忽都魯鐵木兒の子に泉州路南安県、愛牙赤の子に邵武路光沢県を賜い、戸はいずれも一万三千六百四戸、その歳賦をむ。己卯(十三日)、衞龍都元帥府を置き、秩正二品とし、(古)〔右〕阿速衞をこれに隷属せしむ。八百媳婦が馴象二頭を献ずる。壬午(十六日)、太陰(月)が亢宿を犯す。孛羅を永豊郡王に封ず。徳安府行用鈔庫を置く。荘浪州唐兀千戸所を罷む。丙戌(二十日)、枢密断事官を八員に省減す。庚寅(二十四日)、嶺北省に命じて欠食流民に賑給せしむ。両淮の民で荒田を耕す者は、例のごとく税を輸納すべしと命ず。官を遣わし江西・江浙省とともに茶・塩法を整治せしむ。韓国公主普達實憐に鈔一万錠を賜う。学校を勉励する詔を下す。山東の流民で河南境に至った者を賑恤す。通州・漷州が飢え、二か月分の糧を賑給す。

三月丁酉朔(一日)、熒惑(火星)が東井宿を犯す。給事中の秩を正三品にのぼす。諸王・大臣の私第の営繕を罷む。戊戌(二日)、右丞相鐵木迭兒言う、「今後左右司・六部の官で、心を尽くさざる者は、初めは論決(処罰)し、改めざれば、罷免して叙用せず」と。制して「可」とす。女直水達達万戸府の冗員を省減す。命ず、「諸王脱脱が招集した戸で、未だ籍に登録されざる者は、官司に隷属せしめよ」と。己亥(三日)、誕生日を天寿節と為す。庚子(四日)、御史大夫火尼赤に開府儀同三司を加える。衞龍都元帥府を罷む。壬寅(六日)、太陰が東井宿を犯す。帰徳亳州に命じ、憲宗が不憐吉帯に賜いし地一千七十三頃をその子孫に還す。丙(子)〔午〕(十日)、命ず、「北辺の使者は、軍機でなければ駅伝(駅馬)を与えるな」と。丁未(十一日)、内正司を置き、秩正三品、卿・少卿・丞各一員。戊申(十二日)、典内院の秩を正二品に陞す。前河南行省平章政事塔失海牙を御史大夫と為す。翰林国史院司直司を改めて経歴司と為し、経歴・都事各一員を置く。五台寺済民局を置き、秩従五品。安王完澤及びその子に金三百両・銀一千二百五十両・鈔三千五百錠を賜う。汴梁路上方寺に地百頃を賜う。遼陽省が灤陽・寛河の駅を増置す。甲寅(十八日)、西北諸王也先不花らが使者を遣わして橐駝・方物を貢ぐ。丙辰(二十日)、同知徽政院事常不闌奚を趙国公に封ず。庚申(二十四日)、大明宮・興聖宮の宿衞を簡汰(選抜淘汰)せよと命ず。甲子(二十八日)、北軍に幣帛二十万匹を給す。戸部尚書馬児を遣わして河南屯田を経理(管理)せしむ。乙丑(二十九日)、河南省に命じて故丞相阿朮の祠堂を建てしむ。諸王塔思不花を恩平王に封ず。

夏四月丁卯(二日)、控鶴(近衛兵の一種)を簡汰して本籍に還す。都水監を大司農寺に隷属せしむ。察罕脳児捕盗司を置き、秩従七品。庚午(五日)、浙東都元帥鄭祐に命じ、江浙軍官とともに水軍を教練せしむ。辛未(六日)、鈔一万錠を給して香山永安寺を修繕す。趙王汝安(郡)〔部〕が飢えを告ぐ、糧八百石を賑給す。保定路万戸府を上万戸に陞す。癸酉(八日)、車駕、上都に幸す。丙子(十一日)、太白(金星)昼に見ゆ。鄄国大長公主忙哥台を大長公主に封じ、金印を賜う。也可扎魯忽赤を四十二員に増す。壬午(十七日)、熒惑が輿鬼宿を犯す。皇子碩德八剌に命じ、四宿衞を置かしむ。命ず、「僧人の田は、宋の旧有のもの並びに世祖の賜いしものを除き、余は悉く制のごとく租を輸納せよ」と。阿速衞指揮那懷らが衞軍六百名を冒増し、糧七千二百石・幣帛一千二百匹・鈔二百八錠を盗み支給す。中書・枢密に命じて按治(審理)せしむ。知枢密院事木剌忽を広平王に封ず。癸未(十八日)、熒惑が積尸気を犯す。庚寅(二十五日)、太白、天をわたる。大崇恩福元寺成る、隆禧院を置く。龍興新建県、霖雨禾をそこなう。彰徳安陽県、いなご有り。

五月丙申朔(一日)、中書平章政事合散を中書左丞相と為し、江浙行省平章張驢を中書平章政事と為す。知枢密院事也先鐵木兒に開府儀同三司を授く。壬寅(七日)、諸王脱忽思海迷失が農時に出猟して民をみだす。禁止を命じ、今後十月よりはじめて出猟を許す。和林路を和寧路と改む。諸王阿木哥に鈔一万錠を賜い、速速迭児・按麻思らに各千錠を賜う。蒙古駅を通政院に隷属せしむ。濮陽王脱脱木児に王傅官四員を置く。上都・灤陽駅に馬三百匹を給す。己未(二十四日)、縉山県行宮に涼殿を建つ。己未(二十四日)、西寧州の田租・税課を大長公主忙古台に賜う。宿衞士に糧二万石を賑給す。回回司天臺の秩を正四品に陞す。彰徳・河南・隴西にひょう有り。

六月乙丑朔(一日)、日食有り。丁卯(三日)、天、毛をらす。己巳(五日)、太陰が天関星を犯す。李孟に命じ、中外の才学の士を博選して翰林に任職せしむ。羊馬の鈔価を給し、嶺北・甘肅の戍軍の貧しき者を救済す。壬申(八日)、四川の塩額を五千引減ず。崇福寺に河南の官地百頃を賜う。丁亥(二十三日)、封贈を罷むることを命じ、左右に法度を守り、職業に勤め、妄りに僥倖して官を加うることなからしむるよう誡む。安遠王醜漢に金百両・銀五百両・鈔千錠を賜う。鞏昌・河州等路飢え、常賦の二分を免ず。

秋七月辛丑(六日)、内正司の官を六員と定む。諸王が各路にじきに旨を宣することを禁ず。中都の内帑(宮中倉庫)・金銀器を移して太府監に帰属せしむ。新店諸駅に鈔三千八百錠を賜い、使者の餼廩(食糧給与)に充てしむ。癸卯(八日)、詔を下して御史臺を奨励す。丙午(十一日)、大司農司の秩を従一品に陞す。帝、司農に諭して曰く、「農桑は衣食の本なり、汝ら農事にあんじ知れる者を挙げて用いよ」と。諸王小薛部に命じ、晋寧路襄垣県の民田を帰還せしむ。中書参政賈鈞、病を以てこくを請う、鈔三百錠を賜い、安車を給して郷に還らしむ。戊午(二十三日)、太陰が東井宿を犯す。

八月丁卯、探馬赤軍の羊馬牛を、旧制のごとく百に一を課税することを命ず。戊辰、太白星が軒轅を犯す。辛未、太陰星が填星を犯す。丁丑、司禋監を廃止す。己卯、吏部尚書許師敬を以て中書参知政事となす。庚辰、車駕上都より至る。壬午、辰星が右執法を犯す。少府監を置き、大都留守司に隷属せしむ。甲申、諸王闊闊出に金束帯一、銀百五十両、鈔二百錠を賜う。乙酉、太白星が右執法を犯す。辛卯、雲南省右丞阿忽台らに命じ、蒙古軍を率いて雲南王に従い八百媳婦蠻を討たしむ。濱州旱魃、民飢え、利津倉の米二万石を出し、価を減じて賑糶す。寧国路涇県水害、二月分の糧を賑給す。安南国王陳益稷来朝す。

九月丁酉、江浙の海漕糧を二十万石増やす。戊戌、八百媳婦蠻・大・小徹里蠻の征討を止め、璽書を以て招諭す。辛丑、司徒田忠良らをして真定玉華宮に詣で、睿宗の御容を祀らしむ。八百媳婦・大・小徹里蠻が馴象及び方物を献ず。甲辰、参議中書省事阿卜海牙を参知政事に昇進す。火者らの佩用する国公・司徒の印を没収す。丁巳、太白星が亢宿を犯す。壬戌、瓊州の黎賊が嘯聚す、官を遣わして招諭す。

冬十月甲子、太廟にて祭祀あり。隆興路を興和路と改め、銀印を賜う。雲南行省右丞算只兒威罪あり、国師搠思吉斡節兒が奏請してこれを釈放せんとす、帝これを斥けて曰く「僧人は宜しく仏書を誦すべし、官事は豈に関与すべきや」と。癸未、中書参知政事察罕を以て中書平章政事とし、中書省事を商議せしむ。丁亥、太陰星が平道を犯す。戊子、太陰星が亢宿を犯す。翰林学士承旨玉連赤不花らが順宗・成宗・武宗実録を進む。造船提挙司を廃止す。辛卯、天下に赦す。李孟に潞州の田二十頃を賜う。

十一月戊戌、汀・漳の畬軍を調発し、亳州等翼の漢軍に代えて当地に屯田せしむ。己亥、太陰星が壘壁陣を犯す。甲辰、滄洲の群盗阿失答児らを捕らえ、これを擒え、支解して示衆す。丙午、六部の官に諭し、中書を越えて奏事することを禁ず。丙辰、駙馬脱脫木児を岐王に封ず。庚申、諸王寛徹・忽答迷失に金百五十両・銀一千五百両・鈔三千錠・幣帛を差等ありて賜う。占城国が犀象を進む。緬国主がその婿及び雲南の不農蠻酋長岑福を遣わして来朝せしむ。

十二月癸亥、中書平章政事李孟致仕し、枢密副使張珪を以て中書平章政事となす。癸酉、使者を分遣して諸道の囚を決断せしむ。壬申、晋王也孫鉄木児の所部が飢饉を告ぐ、鈔一万五千錠を賑給す。庚辰、知枢密院事答失蠻罷免す。海道運糧万戸を一員省き、副万戸を四員に増す。甲申、熒惑・填星・辰星が斗宿に聚まる。鷹坊不花即列が河南・湖広に往き孔雀・珍禽を徴発せんことを請う、民を擾すを以て勅し、許さず。丁亥、官を遣わし社稷・嶽鎮・海瀆に雪を祈らしむ。省臣言う「中書の職は綱維を総挈するに在り。比来行省六部諸司にて決すべきを決せず、往々にして疑を為して咨呈し、以て文繁く事弊まるに至る」と。詔して世祖の中書を立てし初意を体し、程式を定擬して奏聞せしめ、以てこれに遵行せしむ。回回の合的が旧の如く祈福することを命ず、凡そ詞訟は悉く有司に帰し、仍て先に降した璽書を拘還す。戊子、太陰星が熒惑を犯す。己丑、宗王の女班丹が駅伝を給して江南の田租を取る、駅券を拘還するを命ず。是月、諸王春丹叛く。

皇慶二年

二年春正月甲午、察罕腦兒等処宣慰使伯忽を以て御史大夫となす。辛丑、前尚書右丞相乞台普濟を安吉王に封ず。丙午、寧王闊闊出薨ず。丁未、太府卿禿忽魯を以て中書右丞相となす。戊申、太陰星が三公を犯す。己未、遼陽行省儒学提挙司を置く。

二月壬戌、典内院を中政院と改め、秩正一品となす。甲子、皇后が冊宝を受くに当たり、官を遣わし南郊及び太廟にて天地に祭告す。丁丑、日赤く赭の如し。己卯、益都の飢民が貸した官糧二十万石の徴収を免ず。各寺の仏事修するに日用する羊九千四百四十頭、旧制に遵い蔬食に換えることを勅す。張珪に命じ国子学を綱領せしむ。庚辰、冀寧路飢饉、酒造りを禁ず。辛巳、詔して銭糧・造作・訴訟等の事は悉く有司に帰し、以て中書の務を清からしむ。壬午、西北諸王也先不花が馬・駱駝・璞玉を進む。丁亥、勅す「外任の官で公田あるべきにして無き者は、皆至元鈔を以てこれに給す」と。乖西府を播州宣撫司に隷属せしむ。功徳使亦憐真らが仏事を以て重囚を釈放せんと奏す、許さず。帝左右に諭して曰く「回回は宝玉を官に売る。朕は思うに此の物何ぞ宝たるに足らん、唯だ善人のみ宝と為すべし。善人を用いれば則ち百姓安んじ、これ国家の宝とすべき所なり」と。

三月丙申、御史中丞脱歡答剌罕を以て御史大夫となす。庚子、熒惑が壘壁陣を犯す。晋寧・大同・大寧・四川・鞏昌・甘肅の飢饉を以て、酒を禁ず。丙午、皇后弘吉剌氏を冊立し、天下に詔す。丁未、彗星東井より出づ。壬子、禿忽魯言う「臣ら職は専ら燮理に在り、去秋より春に至るまで亢旱、民間食乏しく、而して又霜を隕し沙を雨い、天文変を示す、皆上恩沢を宣べずして、此の災異を致すに由る。臣らを黜して以て天心に当てんことを乞う」と。帝曰く「事豈に汝輩に関せんや、其れ復言うことなかれ」と。御史中丞郝天挺が時政を論ずる上疏を上す、帝嘉みてこれを納る。西僧搠思吉斡節児に鈔一万錠を賜う。丙辰、皇后が冊宝を受くるに当たり、官を遣わし恭しく太廟に謝せしむ。亢旱久しきに及び、帝宮中にて香を焚きて黙祷し、官を分遣して諸祠に祈祷せしむ、甘雨大いに注ぐ。詔して農桑を勧課するを敦諭す。

夏四月甲子、司天臺にて星を禜す。癸酉、寿寧公主に駱駝三十六頭を賜う。乙亥、車駕上都に幸す。丙子、高麗王位を辞し、その世子王燾を以て征東行中書省左丞相・上柱国と為し、高麗国王に封ず。辛巳、御史大夫伯忽に開府儀同三司・太傅を加う。壬午、中瑞司を置き、秩正四品となす。甲申、詔して賢士を遴選し、国史を纂修せしむ。乙酉、御史台臣言う「富人は特旨に縁り、濫りに官爵を受く。徽政・宣徽の用人、率ね多く罪を犯し廃されたるの流れなり。近侍は貧乏に託け、互いに恩賞を奏す。西僧は仏事を為すの故を以て、累ねて重囚を釈放す。外任の官、身刑憲を犯し、輒ち内旨を営求して以て罪を免る。諸王・駙馬・寺観・臣僚の土田、毎歳租を徴するも、亦極めて民を擾す。請う悉く其の弊を革せん」と。制して「可」と曰う。詔して不急の役を罷む。真定・保定・河間・大寧路飢饉、並びに今年の田租の十の三を免じ、仍て酒造りを禁ず。安南国使いを遣わし来たり方物を貢ぐ。

五月辛丑、中書右丞兀伯都剌を平章政事に昇進させ、左丞八剌脫因を右丞とし、参知政事阿卜海牙を左丞とし、参議中書省事禿魯花鐵木兒を参知政事とした。順徳路・冀寧路が飢饉となり、辰州に水害があった。米と鈔で救済し、なお酒造りを禁じた。檀州及び獲鹿県に蝗の幼虫が発生した。

六月己未朔、京師で地震があった。癸亥、禿忽魯らが災異を理由に免職・左遷を請うたが、許されなかった。丙寅、京師で地震があった。辛未、参知政事許師敬に国子学の総轄を命じた。乙亥、詔を下して僧侶と俗人の訴訟は、官司と主たる僧侶が共同で審問すること、新たに田地を取得した場合は定例通り租税を納めることを諭した。丙子、諸王按灰に金五十両・銀七百五十両・金束帯一・幣帛各四十匹を賜った。己卯、河東廉訪使趙簡が言上した。「方正で学識広博の士を選び、翰林侍読・侍講学士に任じて、治道を講明させ、聖聴を広げるよう請う。」これに従った。御史台の臣が言上した。「近年、廉訪司は多くが職務に専心しない。監察御史に実状を検覈させ、それに基づいて罷免・昇進させるべきである。広海及び雲南・甘肅は地が遠く、転任を命じられた者が行くのを恐れて嫌がる。今後は一等を加えて官職を与えるよう請う。」制書に「可」とあった。壬午、監察御史に監学官を検査させ、その成績の優劣を考課させた。癸未、委官に命じて衛士を選抜淘汰させた。甲申、国子監に崇文閣を建立した。馬一万匹を豳王南忽里らの貧乏な軍士に給与した。宋の儒者周敦頤・程顥・程頤・張載・邵雍・司馬光・朱熹・張栻・呂祖謙及び故中書左丞許衡を孔子廟廷に従祀させた。上都の民が飢饉となり、米五千石を出して廉価で救済販売した。黄河が陳州・亳州・睢州・開封・陳留県で決壊し、民の田畑と家屋を水没させた。

秋七月己丑朔、歳星が東井を犯した。辛卯、太白星が昼間に現れた。癸巳、仏事を行うため、囚徒二十九人を釈放した。宣寧王鐵木兒不花に幣帛百二十匹を賜い、安遠王・亦思丹らに各百匹を賜った。保定路・真定路・河間路の民の流亡が止まないので、所在の官司に命じて二か月分の食糧を給与し、さらに今年の差役租税を全て免除し、諸々の被災地では山沢の禁令を緩め、狩猟者はその境内に入らないようにした。甲午、茶の専売検査所及び茶由局の官を設置した。乙未、太白星が昼間に現れた。庚子、長秋寺を設置し、武宗皇后の宮中の政務を管掌させ、官秩は三品とした。魏王阿木哥には歳賜の外に、鈔一万錠を給与するよう命じた。駙馬脫鐵木兒に金百五十両・銀七百五十両・鈔二千錠・幣帛五十匹を賜った。辛丑、四川等処儒学提挙司を再設置した。壬寅、京師で地震があった。大寧路の今年の塩課を免除した。丁未、諸王火羅思迷・脫歡・南忽里・駙馬忙兀帶に金二百両・銀一千二百両・鈔一千六百錠・幣帛をそれぞれ差等を付けて賜った。己酉、淮東淮西道宣慰司を淮東宣慰司と改め、淮西の三路を河南省に隷属させた。守令に農桑を奨励・監督させ、勤勉な者は昇進させ、怠慢な者は罷免・降格させるよう命じ、これを令として定めた。丙辰、太白星が昼間に現れた。丁巳、太白星が天を経過した。雲州の蒙古軍が食糧に窮したので、一戸ごとに米一石を給与した。興国路の属県に蝗の幼虫が発生したので、米を出して救済した。

八月戊午朔、太白星が昼間に現れた。揚州路崇明州で大風が起こり、海潮が氾濫して民家を漂流・水没させた。壬戌、歳星が東井を犯した。丁卯、車駕が上都から到着した。庚午、侍御史薛居敬を中書参知政事とした。壬午、太陰が輿鬼を犯した。

九月、相児加思巴を帝師とした。癸巳、宣徽院使完沢に知枢密院事を兼ねさせた。戊申、脫歡を安定王に封じ、金印を賜った。鎮江路に銀山寺を建立するよう命じ、寺の傍らの墳墓を移転させないようにした。京師が大旱魃となり、帝が災害を止める方法を問うと、翰林学士程鉅夫が湯王が桑林で祈った故事を挙げたので、帝はこれを褒めて諭した。

冬十月己卯、中書省に命じて科挙の施行を議定させた。不答失里を安德王に封じた。辛未、崑山州の州治を太倉に移し、昌平県の県治を新店に移した。癸未、遼陽路の懿州を遼陽行省に隷属させた。蒙陰県を再設置し、莒州に隷属させた。乙酉、高州の民蕭乂の妻趙氏の貞節を表彰し、その家の科差を免除した。

十一月壬寅、漢人・南人・高麗人が宿衛に就き、上都で分番して勤務する場合は、弓矢を与えないよう命じた。甲辰、科挙を施行した。詔を下して天下に、皇慶三年八月に天下の郡県で賢者・能者を推挙させ、官司に貢士させ、翌年二月に京師で会試を行い、合格者は朝廷で親試を受け、及第・出身をそれぞれ差等を付けて賜うと布告した。帝が侍臣に言った。「朕の願うところは、百姓を安んじて至治を図ることである。しかし儒士を用いなければ、どうしてこれを達成できようか。科挙を設けて士を取れば、真の儒士を用いることができ、治道を興すことができるであろう。」

十二月辛酉、可里馬丁が編纂した万年暦を上進した。米五千石を出して、阿只吉部の貧窮者を救済した。海都・都哇に属する戸が内附したので、所在の官司に命じて衣服と食糧を給与した。丙子、百官の致仕(退官)の資格を定めた。甲申、海道漕運万戸府を整備するよう詔を下した。京師は旱魃が長く続き、民に疫病が多発したので、帝は言った。「これらは皆朕の責めである。赤子に何の罪があろうか。」翌日、大雪が降った。嘉定州・徳化県の民が災害に遭ったので、穀物を出して救済した。