集
楚詞
『楚辭』十二巻、目録を含む。後漢の校書郎王逸が注す。
『楚辭』三巻、郭璞が注す。梁に『楚辭』十一巻あり、宋の何偃が王逸の注を刪したが、亡ぶ。
『楚辭九悼』一巻、楊穆が撰す。
『参解楚辭』七巻、皇甫遵訓が撰す。
『楚辭音』一巻、徐邈が撰す。
『楚辭音』一巻、宋の処士諸葛氏が撰す。
『楚辭音』一巻、孟奧が撰す。
『楚辭音』一巻
『楚辭音』一巻、釈道騫が撰す。
『離騷草木疏』二巻、劉杳が撰す。
右、十部、二十九巻。亡書を通計すれば、十一部、四十巻。
別集
楚の蘭陵令『荀況集』一卷(残欠)。梁の時は二卷。
楚の大夫『宋玉集』三卷
『漢武帝集』一卷(梁の時は二卷)。
『漢淮南王集』一卷(梁の時は二卷)。また『賈誼集』四卷、『晁錯集』三卷、漢の弘農都尉『枚乘集』二卷(目録各一卷)有りしが、亡ぶ。
漢の中書令『司馬遷集』一卷
漢の太中大夫『東方朔集』二卷(梁の時は漢の光禄大夫『吾丘壽王集』二卷有りしが、亡ぶ)。
漢の孝文園令『司馬相如集』一卷
漢の膠西相『董仲舒集』一卷(梁の時は二卷)。また漢の太常『孔臧集』二卷有りしが、亡ぶ。
漢の騎都尉『李陵集』二卷(梁の時は漢の丞相『魏相集』二卷、目録一卷;左馮翊『張敞集』一卷、目録一卷有りしが、亡ぶ)。
漢の諫議大夫『王褒集』五卷
漢の諫議大夫『劉向集』六卷(梁の時は漢の射声校尉『陳湯集』二卷、丞相『韋玄成集』二卷有りしが、亡ぶ)。
漢の諫議大夫『谷永集』二卷(梁の時は涼州刺史『杜鄴集』二卷、騎都尉『李尋集』二卷有りしが、亡ぶ)。
漢の司空『師丹集』一卷(梁の時は三卷、目録一卷)。
漢の光禄大夫『息夫躬集』一卷
漢の太中大夫『揚雄集』五巻
漢の太中大夫『劉歆集』五巻
漢の成帝『班婕妤集』一巻(梁の時代に『班昭集』三巻、王莽の建新大尹『崔篆集』一巻、保成師友『唐林集』一巻、中謁者『史岑集』二巻、後漢『東平王蒼集』五巻、『桓譚集』五巻があったが、亡失した)
後漢の司隸從事『馮衍集』五巻
後漢の徐令『班彪集』二巻(梁の時代は五巻。また司徒掾『陳元集』一巻、『王隆集』二巻、雲陽令『硃勃集』二巻、後漢の処士『梁鴻集』二巻があったが、亡失した)
後漢の車騎從事『杜篤集』一巻
後漢の車騎司馬『傅毅集』二巻(梁の時代は五巻)
後漢の大將軍護軍司馬『班固集』十七巻(梁の時代に魏郡太守『黃香集』二巻があったが、亡失した)
後漢の長岑長『崔駰集』十巻
後漢の侍中『賈逵集』一巻(梁の時代は二巻)
後漢の校書郎『劉騊駼集』一巻(梁の時代は二巻、目録一巻。また楽安相『李尤集』五巻、大鴻臚『竇章集』二巻があったが、亡失した)
後漢の済北相『崔瑗集』六巻(梁の時代は五巻)
後漢『劉珍集』二巻、目録一巻
後漢の河間相『張衡集』十一巻(梁の時代は十二巻、また別の本は十四巻。また郎中『蘇順集』二巻、目録二巻、後漢の太傅『胡廣集』二巻、目録一巻があったが、亡失した)
後漢の黄門郎『葛龔集』六巻(梁の時代は五巻、別の本は七巻)
後漢の司空『李固集』十二巻、梁の時は十巻。
後漢の南郡太守『馬融集』九巻。梁の時には外黄令『高彪集』二巻、目録一巻、『王逸集』二巻、目録一巻、司徒掾『桓麟集』二巻、目録一巻があったが、亡失した。
後漢の徴士『崔琦集』一巻、梁の時は二巻。また『酈炎集』二巻、目録二巻、陳相『辺韶集』一巻、目録一巻、益州刺史『朱穆集』二巻、目録一巻があったが、亡失した。
後漢の京兆尹『延篤集』一巻、梁の時は二巻、目録一巻。また司農卿『皇甫規集』五巻、太常卿『張奐集』二巻、目録一巻、『王延寿集』三巻、五原太守『崔寔集』二巻、目録一巻、上計『趙台集』二巻、目録一巻があったが、亡失した。
後漢の諫議大夫『劉陶集』三巻、梁の時は二巻、目録一巻。また外黄令『張升集』二巻、目録一巻、『侯瑾集』二巻、『盧植集』二巻、議郎『廉品集』二巻があったが、亡失した。
後漢の司空『荀爽集』一巻、梁の時は三巻、目録一巻。
後漢の野王令『劉梁集』三巻、梁の時は三巻、目録一巻。また『鄭玄集』二巻、目録一巻があったが、亡失した。
後漢の左中郎将『蔡邕集』十二巻、梁の時には二十巻、目録一巻があった。また尚書令『士孫瑞集』二巻があったが、亡失した。
後漢の太山太守『応劭集』二巻、梁の時は四巻。また別部司馬『張超集』五巻があったが、亡失した。
後漢の少府『孔融集』九巻、梁の時は十巻、目録一巻。
後漢の侍御史『虞翻集』二巻、梁の時は三巻、目録一巻。
後漢の討虜長史『張紘集』一巻、梁の時は二巻、目録一巻。梁の時には後漢の処士『禰衡集』二巻、目録一巻があったが、亡失した。
後漢の尚書右丞『潘勗集』二巻、梁の時には目録一巻があったが、亡失した。
後漢の丞相倉曹属『阮瑀集』五巻、梁の時には目録一巻があったが、亡失した。
魏の太子文学『徐幹集』五巻、梁の時には目録一巻があったが、亡失した。
『応瑒集』一巻(魏の太子文学)梁代には五巻、目録一巻あり、亡ぶ。
『陳琳集』三巻(後漢の丞相軍謀掾)梁代には十巻、目録一巻あり。
『劉楨集』四巻(魏の太子文学)目録一巻あり。
『繁欽集』十巻(後漢の丞相主簿)梁代には目録一巻あり、亡ぶ。
『楊修集』一巻(後漢の丞相主簿)梁代には二巻、目録一巻あり。
『王粲集』十一巻(後漢の侍中)梁代には魏の郎中令『路粹集』二巻、目録一巻、行御史大夫『袁渙集』五巻、目録一巻、魏の奉常『王修集』二巻あり。亡ぶ。
『丁儀集』一巻(後漢の尚書)梁代には二巻、目録一巻あり。
『丁暠集』一巻(後漢の黄門郎)梁代には二巻、目録一巻あり。梁代にはまた婦人、後漢の黄門郎秦嘉の妻『徐淑集』一巻、後漢の董祀の妻『蔡文姬集』一巻、傅石甫の妻『孔氏集』一巻あり、亡ぶ。
『魏武帝集』二十六巻 梁代には三十巻、目録一巻あり。梁代にはまた『武皇帝逸集』十巻あり。亡ぶ。
『魏武帝集新撰』十巻
『魏文帝集』十巻 梁代には二十三巻あり。
『魏明帝集』七巻 梁代には五巻、あるいは九巻、目録一巻あり。梁代にはまた『高貴郷公集』四巻あり、亡ぶ。
魏の『陳思王曹植集』三十巻 梁代にはまた司徒『華歆集』二巻あり、亡ぶ。
魏の司徒『王朗集』三十四巻 梁代には三十巻あり。また司空『陳群集』五巻あり、亡ぶ。
魏の給事中『邯鄲淳集』二巻 梁代には目録一巻あり。また『劉暠集』二巻、侍中『呉質集』五巻、新城太守『孟達集』三巻、魏の徴士『管寧集』三巻、目録一巻あり、亡ぶ。
魏の光祿勳『高堂隆集』六巻(梁の時は十巻、目録一巻あり)。また光祿勳『劉邵集』二巻(目録一巻あり)があったが、亡失した。
魏の散騎常侍『繆襲集』五巻(梁の時は目録一巻あり)。また散騎常侍『王象集』一巻、光祿大夫『韋誕集』三巻(目録一巻あり)、散騎常侍『麋元集』五巻、遊擊將軍『卞蘭集』二巻(目録一巻あり)、顯陽侯『李康集』二巻(目録一巻あり)、陳郡太守『孫該集』二巻(目録一巻あり)、尚書『傅巽集』二巻(目録一巻あり)があったが、亡失した。
魏の章武太守『殷褒集』一巻(梁の時は二巻)。
魏の司空『王昶集』五巻(梁の時は目録一巻あり)。
魏の衛將軍『王肅集』五巻(梁の時は目録一巻あり)。また『桓範集』二巻、中領軍『曹羲集』五巻(目録一巻あり)があったが、亡失した。
魏の尚書『何晏集』十一巻(梁の時は十巻、目録一巻あり)。
魏の衛尉卿『應璩集』十巻(梁の時は目録一巻あり)。また『王弼集』五巻(目録一巻あり)、中書令『劉階集』二巻、太常卿『傅嘏集』二巻(目録一巻あり)、樂安太守『夏侯惠集』二巻(目録一巻あり)があったが、亡失した。
魏の校書郎『杜摯集』二巻(梁の時は『毌丘儉集』二巻(目録一巻あり)、征東軍司馬『江奉集』二巻があったが、亡失した)。
魏の太常『夏侯玄集』三巻(梁の時は車騎將軍『鐘毓集』五巻(目録一巻あり)があったが、亡失した)。
魏の步兵校尉『阮籍集』十巻(梁の時は十三巻、目録一巻あり)。
魏の中散大夫『嵇康集』十三巻(梁の時は十五巻、目録一巻あり)。また魏の徵士『呂安集』二巻(目録一巻あり)があったが、亡失した。
魏の司徒『鐘會集』九巻(梁の時は十巻、目録一巻あり)。
魏の汝南太守『程曉集』二巻(梁の時は目録一巻あり)。
呉の輔義中郎將『張溫集』六巻(梁の時は『士燮集』五巻があったが、亡失した)。
呉の偏将軍『駱統集』十巻、梁の時代には録一巻あり。また太子少傅『薛綜集』三巻、録一巻あり、亡ぶ。
呉の選曹尚書『暨豔集』二巻、梁の時代には三巻、録一巻あり。また『姚信集』二巻、録一巻あり。『謝承集』四巻あり。今は亡ぶ。
呉の人『楊厚集』二巻、梁の時代にはまた録一巻あり。
呉の丞相『陸凱集』五巻、梁の時代には録一巻あり。
呉の侍中『胡綜集』二巻、梁の時代には録一巻あり。また東観令『華核集』五巻、録一巻あり、亡ぶ。
呉の侍中『張儼集』一巻、梁の時代には二巻、録一巻あり。また『韋昭集』二巻、録一巻あり、亡ぶ。
呉の中書令『紀騭集』三巻、梁の時代には録一巻あり。また『陸景集』一巻あり。亡ぶ。
『晉宣帝集』五巻、梁の時代には録一巻あり。
『晉文帝集』三巻
『齊王攸集』二巻、梁の時代には三巻あり。
晉の『王沈集』五巻、梁の時代には『鄭褒集』二巻あり、亡ぶ。
晉の宗正『嵇喜集』一巻、残欠す。梁の時代には二巻、録一巻あり。
晉の散騎常侍『應貞集』一巻、梁の時代には五巻あり。
晉の司隸校尉『傅玄集』十五巻、梁の時代には五十巻、録一巻あり、亡ぶ。
晉の著作郎『成公綏集』九巻、残欠す。梁の時代には十巻あり。また『裴秀集』三巻、録一巻あり、亡ぶ。
晋の金紫光禄大夫『何楨集』一卷、梁の時は五卷。また『袁准集』二卷、目録一卷あり、亡ぶ。
晋の少傅『山濤集』九卷、梁の時は五卷、目録一卷、また別本十卷あり。齊の奉朝請裴津が注す。また梁に『向秀集』二卷、目録一卷;平原太守『阮種集』二卷、目録一卷;『阮侃集』五卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の太傅『羊祜集』一卷、残欠す。梁の時は二卷、目録一卷。また『蔡玄通集』五卷、太宰『賈充集』五卷、目録一卷;『荀勖集』三卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の征南將軍『杜預集』十八卷
晋の輔國將軍『王濬集』一卷、残欠す。梁の時は二卷、目録一卷。
晋の徵士『皇甫謐集』二卷、目録一卷。
晋の侍中『程咸集』三卷。梁に光禄大夫『劉毅集』二卷、目録一卷;晋の侍中『庾峻集』二卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の巴西太守『郤正集』一卷
晋の散騎常侍『薛瑩集』三卷。梁にまた散騎常侍『陶濬集』二卷、目録一卷あり、亡ぶ。
晋の通事郎『江偉集』六卷。梁に『宣舒集』五卷;散騎常侍『曹志集』二卷、目録一卷;『鄒湛集』三卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の汝南太守『孫毓集』六卷
晋の處士『楊泉集』二卷、目録一卷。梁に司徒『王渾集』五卷、黄州刺史『王深集』五卷あり、亡ぶ。
晋の徵士『閔鴻集』三卷。梁に光禄大夫『裴楷集』二卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の司空『張華集』十卷、目録一卷。
晋の尚書僕射『裴頠集』九卷。梁に太子中庶子『許孟集』三卷、目録一卷;太宰『何劭集』二卷、目録一卷;光禄大夫『劉頌集』三卷、目録一卷;『劉寔集』二卷、目録一卷あり。亡ぶ。
晋の散騎常侍『王佑集』三巻、目録一巻。梁の時代には晋の驃騎将軍『王済集』二巻があったが、亡失した。
『華嶠集』八巻(梁の時代には二巻)。
晋の秘書丞『司馬彪集』四巻(梁の時代には三巻、目録一巻)。また、尚書『庾儵集』二巻、目録一巻、国子祭酒『謝衡集』二巻があったが、亡失した。
晋の漢中太守『李虔集』一巻(梁の時代には二巻、目録一巻)。
晋の司隷校尉『傅咸集』十七巻(梁の時代には三十巻、目録一巻)。また、太子中庶子『棗據集』二巻、目録一巻、『劉宝集』三巻があったが、亡失した。
晋の馮翊太守『孫楚集』六巻(梁の時代には十二巻、目録一巻)。
晋の散騎常侍『夏侯湛集』十巻(梁の時代には目録一巻があった)。また、弋陽太守『夏侯淳集』二巻、散騎侍郎『王賛集』五巻があったが、亡失した。
晋の衛尉卿『石崇集』六巻(梁の時代には目録一巻があった)。
晋の尚書郎『張敏集』二巻(梁の時代には五巻)。また、黄門郎『伏偉集』一巻があったが、亡失した。
晋の黄門郎『潘岳集』十巻。
晋の太常卿『潘尼集』十巻。
晋の頓丘太守『欧陽建集』二巻。梁の時代には宗正『劉許集』二巻、目録一巻、散騎常侍『李重集』二巻、光禄大夫『楽広集』二巻、目録一巻、『阮渾集』三巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の侍中『嵇紹集』二巻、目録一巻。梁の時代には銭唐令『楊建集』九巻、長沙相『盛彦集』五巻、左長史『楊乂集』三巻、目録一巻があった。
晋の尚書『盧播集』一巻(梁の時代には二巻、目録一巻)。また、『欒肇集』五巻、目録一巻、南中郎長史『応亨集』二巻があったが、亡失した。
晋の国子祭酒『杜育集』二巻。
晋の太常卿『摯虞集』九巻(梁の時は十巻、目録一巻)。また秘書監『繆徴集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の斉王府記室『左思集』二巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また晋の豫章太守『夏靖集』二巻(目録一巻)、呉王文学『鄭豊集』二巻(目録一巻)、大司馬東曹掾『張翰集』二巻(目録一巻)、清河王文学『陳略集』二巻(目録一巻)、揚州従事『陸沖集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の平原内史『陸機集』十四巻(梁の時は四十七巻、目録一巻)、亡ぶ。
晋の清河太守『陸雲集』十二巻(梁の時は十巻、目録一巻)。また少府丞『孫極集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の中書郎『張載集』七巻(梁の時は一本二巻、目録一巻)。
晋の黄門郎『張協集』三巻(梁の時は四巻、目録一巻)。
晋の著作郎『束皙集』七巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また征南司馬『曹攄集』三巻(目録一巻)、散騎常侍『江統集』十巻(目録一巻)、著作郎『胡済集』五巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の中書令『卞粋集』一巻(梁の時は五巻)。また光禄勲『閭丘沖集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の太傅従事中郎『庾敳集』一巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また太子中舎人『阮瞻集』二巻(目録一巻)、太子洗馬『阮修集』二巻(目録一巻)、広威将軍『裴邈集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の太傅主簿『郭象集』二巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また広州刺史『嵇含集』十巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の安豊太守『孫恵集』八巻(梁の時は十一巻、目録一巻)。また松滋令『蔡洪集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の平北将軍『牽秀集』四巻(梁の時は三巻、目録一巻)。また車騎従事中郎『蔡克集』二巻(目録一巻)、遊撃将軍『索靖集』三巻、隴西太守『閻纂集』二巻(目録一巻)、秦州刺史『張輔集』二巻(目録一巻)、交趾太守『殷巨集』二巻(目録一巻)、太子洗馬『陶佐集』五巻(目録一巻)、東晋の鄱陽太守『虞溥集』二巻(目録一巻)、益陽令『呉商集』五巻、『仲長敖集』二巻、晋の太常卿『劉弘集』三巻(目録一巻)、開府『山簡集』二巻(目録一巻)、兗州刺史『宗岱集』二巻、侍中『王峻集』二巻(目録一巻)、済陽内史『王曠集』五巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の散騎常侍『棗嵩集』一巻(梁の時は二巻、目録一巻)。また襄陽太守『棗腆集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
晋の太尉『劉琨集』九巻(梁の時は十巻)。
『劉琨別集』十二巻。
晉の司空從事中郎『盧諶集』十巻、梁の時には録一巻あり。
晉の秘書丞『傅暢集』五巻、梁の時には録一巻あり。また『晉明帝集』五巻、録一巻あり。『簡文帝集』五巻、録一巻あり。『孝武帝集』二巻、録一巻あり。『彭城王褷集』二巻、『譙烈王集』九巻、録一巻あり。亡ぶ。
晉の會稽王『司馬道子集』八巻、梁の時には九巻。また鎮東從事中郎『傅毅集』五巻あり、亡ぶ。
晉の衡陽內史『曾瑰集』三巻、梁の時には四巻、録一巻あり。また驃騎將軍『顧榮集』五巻、録一巻あり、亡ぶ。
晉の司空『賀循集』十八巻、梁の時には二十巻、録一巻あり。また散騎常侍『張亢集』二巻、録一巻あり。車騎長史『賈彬集』三巻、録一巻あり。亡ぶ。
晉の光祿大夫『衛展集』十二巻、梁の時には十五巻。また東晉の太尉『荀組集』三巻、録一巻あり、亡ぶ。
晉の秘書郎『張委集』九巻、梁の時には五巻。また關內侯『傅瑉集』一巻あり。光祿大夫『周顗集』二巻、録一巻あり。亡ぶ。
晉の太常『謝鯤集』六巻、梁の時には二巻。
晉の驃騎將軍『王暠集』十巻、梁の時には三十四巻、録一巻あり。また『華譚集』二巻あり、亡ぶ。
晉の御史中丞『熊遠集』十二巻、梁の時には五巻、録一巻あり。また湘州秀才『谷儉集』一巻あり。大鴻臚『周嵩集』三巻、録一巻あり、亡ぶ。
晉の弘農太守『郭璞集』十七巻、梁の時には十巻、録一巻あり。
晉の『張駿集』八巻、殘缺す。
晉の大將軍『王敦集』十巻、梁の時には吳興太守『沈充集』三巻あり。散騎常侍『傅純集』二巻、録一巻あり。亡ぶ。
晉の光祿大夫『梅陶集』九巻、梁の時には二十巻、録一巻あり。また金紫光祿大夫『荀邃集』二巻、録一巻あり、亡ぶ。
晉の散騎常侍『王鑒集』九巻、梁の時には五巻。また晉の著作佐郎『王濤集』五巻あり。廷尉卿『阮放集』十巻、録一巻あり。宗正卿『張悛集』五巻、録一巻あり。汝南太守『應碩集』二巻あり。金紫光祿大夫『張闓集』二巻、録一巻あり。揚州從事『陸沈集』二巻、録一巻あり。驃騎將軍『卞珣集』二巻、録一巻あり。光祿勳『鐘雅集』一巻あり。衛尉卿『劉超集』二巻あり。衛將軍『戴邈集』五巻、録一巻あり。光祿大夫『荀崧集』一巻あり、亡ぶ。
晋の大将軍『温嶠集』十巻、梁の録一巻。
晋の侍中『孔坦集』十七巻、梁では五巻、録一巻。また『臧沖集』一巻、晋の鎮南大将軍『応詹集』五巻があったが、亡失。
晋の太僕卿『王嶠集』八巻。梁には衛尉『荀愷集』一巻、鎮北将軍『劉隗集』二巻、大司馬『陶侃集』二巻、録一巻があったが、亡失。
晋の丞相『王導集』十一巻。梁では十巻、録一巻。
晋の太尉『郗鑒集』十巻、録一巻。
晋の太尉『庾亮集』二十一巻。梁では二十巻、録一巻。また『虞預集』十巻、録一巻、平越司馬『黄整集』十巻、録一巻があったが、亡失。
晋の護軍長史『庾堅集』十三巻。梁では十巻、録一巻。
晋の司空『庾冰集』七巻。梁では二十巻、録一巻。
晋の給事中『庾闡集』九巻。梁では十巻、録一巻。
晋の著作郎『王隠集』十巻。梁では二十巻、録一巻。
晋の散騎常侍『幹宝集』四巻。梁では五巻。
晋の太常卿『殷融集』十巻。梁には衛尉『張虞集』十巻、光禄大夫『諸葛恢集』五巻、録一巻があったが、亡失。
晋の車騎将軍『庾翼集』二十二巻。梁では二十巻、録一巻。
晋の司空『何充集』四巻。梁では五巻。また御史中丞『郝黙集』五巻、征西諮議『甄述集』十二巻、武昌太守『徐彦則集』十巻があったが、亡失。
晋の散騎常侍『王愆期集』七巻。梁では十巻、録一巻。また司徒左長史『王濛集』五巻、丹陽尹『劉惔集』二巻、録一巻、益州刺史『袁喬集』七巻があったが、亡失。
晋の尚書令『顧和集』五巻、梁の時には録一巻あり。また尚書僕射『劉遐集』五巻、徵士『江惇集』三巻、録一巻あり。魏興太守『荀述集』一巻、平南將軍『賀翹集』五巻、『李軌集』八巻あり。亡ぶ。
晋の『李充集』二十二巻、梁の時には十五巻、録一巻あり。
晋の司徒『蔡謨集』十七巻、梁の時には四十三巻あり。
晋の揚州刺史『殷浩集』四巻、梁の時には五巻、録一巻あり。また呉興の孝廉『鈕滔集』五巻、録一巻あり。宣城内史『劉系之集』五巻、録一巻あり。亡ぶ。
『庾赤玉集』四巻
晋の尋陽太守『庾統集』八巻、梁の時には驃騎司馬『王修集』二巻、録一巻あり。衛將軍『謝尚集』十巻、録一巻あり。青州刺史『王浹集』二巻あり。亡ぶ。
晋の西中郎将『王胡之集』十巻、梁の時には五巻、録一巻あり。
晋の中書令『王洽集』五巻、録一巻あり。梁の時には宜春令『範保集』七巻あり。徵士『范宣集』十巻、録一巻あり。建安太守『丁纂集』四巻、録一巻あり。亡ぶ。
晋の金紫光禄大夫『王羲之集』九巻、梁の時には十巻、録一巻あり。
晋の散騎常侍『謝萬集』十六巻、梁の時には十巻あり。
晋の司徒長史『張憑集』五巻、梁の時には録一巻あり。梁の時には高涼太守『楊方集』二巻あり、亡ぶ。
晋の徵士『許詢集』三巻、梁の時には八巻、録一巻あり。
晋の征西将軍『張望集』十巻、梁の時には十二巻、録一巻あり。
晋の余姚令『孫統集』二巻、梁の時には九巻、録一巻あり。また晋陵令『戴元集』三巻、録一巻あり、亡ぶ。
晋の衛尉卿『孫綽集』十五巻、梁の時には二十五巻あり。
晋の太常『江逌集』九巻、梁の時代には『謝沈集』十巻があったが、亡失した。
晋の『李顒集』十巻、目録一巻。
晋の光禄勲『曹毗集』十巻、梁の時代には十五巻、目録一巻。また郡主簿『王篾集』五巻があったが、亡失した。
晋の沙門『支遁集』八巻、梁の時代には十三巻。また『劉彧集』十六巻があったが、亡失した。
張重華の酒泉太守『謝艾集』七巻、梁の時代には八巻。また撫軍長史『蔡系集』二巻、護軍将軍『江「〕集』五巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の『范汪集』一巻、梁の時代には十巻。
晋の尚書僕射『王述集』八巻、梁の時代にはさらに『王度集』五巻、目録一巻、中領軍『庾龢集』二巻、目録一巻、将作大匠『喻希集』一巻、呉興太守『孔厳集』十一巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の大司馬『桓温集』十一巻、梁の時代には四十三巻。また『桓温要集』二十巻、目録一巻、豫章太守『車灌集』五巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の尚書僕射『王坦之集』七巻、梁の時代には五巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の左光禄『王彪之集』二十巻、梁の時代には目録一巻があった。
晋の中書郎『郤超集』合九巻、梁の時代には十巻。また南中郎『桓嗣集』五巻、平固令『邵毅集』五巻、目録一巻、太学博士『滕輔集』五巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の苻堅の丞相『王猛集』九巻、目録一巻。梁の時代には『顧夷集』五巻、散騎常侍『鄭襲集』四巻、撫軍掾『劉暢集』一巻があったが、亡失した。
晋の太常卿『韓康伯集』十六巻、梁の時代には黄門郎『範啓集』四巻、豫章太守『王恪集』十巻、零陵太守『陶混集』七巻、海塩令『祖撫集』三巻、呉興太守『殷康集』五巻、目録一巻があったが、亡失した。
晋の太傅『謝安集』十巻、梁の時代には十巻、目録一巻。また中軍参軍『孫嗣集』三巻、目録一巻、司徒左長史『劉袞集』三巻があったが、亡失した。
晋の御史中丞『孔欣時集』八巻、梁の時代には七巻。
晋の『伏滔集』十一巻並びに目録。梁代には五巻、録一巻。
晋の滎陽太守『習鑿歯集』五巻。
晋の秘書監『孫盛集』五巻、残欠。梁代には十巻、録一巻。
晋の東陽太守『袁宏集』十五巻。梁代には二十巻、録一巻。また晋の黄門郎『顧淳集』一巻、尋陽太守『熊鳴鵠集』十巻、車騎司馬『謝韶集』三巻、金紫光禄大夫『王獻之集』十巻、録一巻;琅邪内史『袁質集』二巻、録一巻;太宰従事中郎『袁邵集』五巻、録一巻;車騎長史『謝朗集』六巻、録一巻;車騎将軍『謝頠集』十巻、録一巻。亡ぶ。
晋の新安太守『郤愔集』四巻、残欠。梁代には五巻。また呉郡功曹『陸法之集』十九巻、亡ぶ。
晋の太常卿『王瑉集』十巻。梁代には録一巻。
晋の中散大夫『羅含集』三巻。梁代には太宰長史『庾蒨集』二巻、大司馬参軍『庾悠之集』三巻、司徒右長史『庾凱集』二巻、亡ぶ。
晋の国子博士『孫放集』一巻、残欠。梁代には十巻。
晋の聘士『殷叔獻集』四巻並びに目録。梁代には三巻、録一巻。
晋の湘東太守『庾肅之集』十巻、録一巻。梁代には晋の北中郎参軍『蘇彦集』十巻;太子左率『王肅之集』三巻、録一巻;黄門郎『王徽之集』八巻;徴士『謝敷集』五巻、録一巻、太常卿『孔汪集』十巻、『陳統集』七巻、太常『王愷集』十五巻;右将軍『王忱集』五巻、録一巻;太常『殷允集』十巻。亡ぶ。
晋の徴士『戴逵集』九巻、残欠。梁代には十巻、録一巻。また晋の光禄大夫『孫褵集』十巻、尚書左丞『徐禅集』六巻、亡ぶ。
晋の太子前率『徐邈集』九巻並びに目録。梁代には二十巻、録一巻。
晋の給事中『徐乾集』二十一巻並びに目録。梁代には二十巻、録一巻。また晋の冠軍将軍『張玄之集』五巻、録一巻;員外常侍『荀世之集』八巻、『袁山松集』十巻、黄門郎『魏逖之集』五巻、驃騎参軍『卞湛集』五巻、金紫光禄大夫『褚爽集』十六巻、録一巻。亡ぶ。
晋の豫章太守『范甯集』十六巻。梁代には晋の余杭令『范弘之集』六巻、亡ぶ。
晋の司徒『王絢集』十一巻並びに目録。梁代には十巻、録一巻、亡ぶ。
晋の処士『薄蕭之集』九巻(梁の時は十巻)。また晋の安北参軍『薄要集』九巻、『薄邕集』七巻あり。延陵令『唐邁之集』十一巻、目録一巻。亡ぶ。
晋の『孫恩集』五巻(梁の時は晋の殿中將軍『傅綽集』十五巻、驍騎將軍『弘戎集』十六巻、御史中丞『魏叔齊集』十五巻、司徒右長史『劉寧之集』五巻あり。亡ぶ)。
晋の臨海太守『辛德遠集』五巻(梁の時は四巻)。また晋の車騎参軍『何瑾之集』十一巻、太保『王恭集』五巻、目録一巻、『殷覬集』十巻、目録一巻あり。亡ぶ。
晋の荊州刺史『殷仲堪集』十二巻(目録を併せて)。梁の時は十巻、目録一巻。亡ぶ。
晋の驃騎長史『謝景重集』一巻
晋の『桓玄集』二十巻(梁の時は晋の丹陽尹『卞範之集』五巻、目録一巻、光祿勳『卞承之集』十巻、目録一巻あり。亡ぶ)。
晋の東陽太守『殷仲文集』七巻(梁の時は五巻)。
晋の司徒『王謐集』十巻(目録一巻)。梁の時は晋の光祿大夫『伏系之集』十巻、目録一巻あり。亡ぶ。
晋の右軍参軍『孔璠集』二巻
晋の衛軍諮議『湛方生集』十巻(目録一巻)。
晋の光祿大夫『祖台之集』十六巻(梁の時は二十巻)。
晋の通直常侍『顧愷之集』七巻(梁の時は二十巻)。
晋の太常卿『劉瑾集』九巻(梁の時は五巻)。
晋の左僕射『謝混集』三巻(梁の時は五巻)。
晋の秘書監『滕演集』十巻(目録一巻)。
晋の司徒長史『王誕集』二巻(梁の時には晋の太尉諮議『劉簡之集』十巻があったが、亡ぶ)
晋の丹陽太守『袁豹集』八巻(梁の時は十巻、目録一巻)。また晋の廬江太守『殷遵集』五巻、目録一巻、興平令『荀軌集』五巻があったが、亡ぶ)
晋の西中郎長史『羊徽集』九巻(梁の時は十巻、目録一巻)
晋の国子博士『周祗集』十一巻(梁の時は二十巻、目録一巻)。また晋の相国主簿『殷闡集』十巻、目録一巻、太常『傅迪集』十巻があったが、亡ぶ)
晋の始安太守『卞裕集』十三巻(梁の時は十五巻)。また晋の『韋公藝集』六巻があったが、亡ぶ)
晋の『毛伯成集』一巻
晋の沙門『支曇諦集』六巻
晋の沙門『釋惠遠集』十二巻
晋の姚萇の沙門『釋僧肇集』一巻
晋の『王茂略集』四巻
晋の『曹毗集』四巻
晋の『宗欽集』二巻(梁の時には晋の中軍功曹『殷曠之集』五巻、太学博士『魏說集』十三巻、征西主簿『丘道護集』五巻、目録一巻、柴桑令『劉遺民集』五巻、目録一巻、『郭澄之集』十巻、徵士『周續之集』一巻、『孔瞻集』九巻があったが、亡ぶ)
晋の江州刺史王凝之の妻『謝道韞集』二巻(梁の時には婦人で晋の司徒王渾の妻『鐘夫人集』五巻、晋の武帝左九嬪『左九嬪集』四巻、晋の太宰賈充の妻『李扶集』一巻、晋の武平都尉陶融の妻『陳窈集』一巻、晋の都水使者の妻『陳玢集』五巻、晋の海西令劉臻の妻『陳參集』七巻、晋の劉柔の妻『王邵之集』十巻、晋の散騎常侍傅伉の妻『辛蕭集』一巻、晋の松陽令鈕滔の母『孫瓊集』二巻、晋の成公道賢の妻『龐馥集』一巻、晋の宣城太守何殷の妻『徐氏集』一巻があったが、亡ぶ)
『宋武帝集』十二巻(梁の時は二十巻、目録一巻)
『宋文帝集』七巻(梁の時は十巻、亡ぶ)
『宋孝武帝集』二十五巻(梁代には三十一巻、目録一巻あり)。また『宋廃帝景和集』十巻、目録一巻あり。『明帝集』三十三巻あり。亡ぶ。
宋の『長沙王道憐集』十巻、目録一巻(梁代には『宋臨川王道規集』四巻、目録一巻あり。亡ぶ)。
『宋臨川王義慶集』八巻
『宋江夏王義恭集』十一巻(梁代には十五巻、目録一巻あり)。また『江夏王集別本』十五巻あり。宋の『衡陽王義季集』十巻、目録一巻あり。亡ぶ。
宋の『南平王鑠集』五巻(梁代には宋の『竟陵王誕集』二十巻、『建平王休度集』十巻、『新渝恵侯義宗集』十二巻、散騎常侍『祖柔之集』二十巻あり。亡ぶ)。
宋の豫章太守『謝瞻集』三巻(梁代には宋の征虜将軍『沈林子集』七巻あり。亡ぶ)。
宋の太常卿『孔琳之集』九巻(目録を含む。梁代には十巻、目録一巻あり)。
宋の『王叔之集』七巻(梁代には十巻、目録一巻あり)。
宋の太中大夫『徐廣集』十五巻、目録一巻。
宋の秘書監『盧繁集』一巻(欠損あり。梁代には十巻、目録一巻あり)。
宋の侍中『孔寧子集』十一巻(目録を含む。梁代には十五巻、目録一巻あり)。
宋の建安太守『卞瑾集』十巻(梁代には十巻あり)。
宋の太常卿『蔡廓集』九巻(目録を含む。梁代には十巻、目録一巻あり)。また宋の『王韶之集』二十四巻あり。亡ぶ。
宋の尚書令『傅亮集』三十一巻(梁代には二十巻、目録一巻あり)。また宋の征南長史『孫康集』十巻、左軍長史『范述集』三巻あり。亡ぶ。
宋の太常卿『鄭鮮之集』十三巻(梁代には二十巻、目録一巻あり)。
宋の徵士『陶潛集』九巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また『張野集』十巻、宋の零陵令『陶階集』八巻、東莞太守『張元瑾集』八巻、光禄大夫『王曇首集』二巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
宋の太常卿『範泰集』十九巻(梁の時は二十巻、目録一巻)。
宋の中書郎『荀昶集』十四巻(梁の時は十五巻、目録一巻)。また『卞伯玉集』五巻(目録一巻)、中散大夫『羊欣集』七巻あり、亡ぶ。
宋の司徒『王弘集』一巻(梁の時は二十巻、目録一巻)。また宋の金紫光禄大夫『沈演集』十巻、広平太守『范凱集』八巻あり、亡ぶ。
宋の沙門『釈恵琳集』五巻(梁の時は九巻、目録一巻)。また宋の『范晏集』十四巻あり、亡ぶ。
宋の司徒府参軍『謝恵連集』六巻(梁の時は五巻、目録一巻)。また宋の太常『謝弘微集』二巻あり、亡ぶ。
宋の臨川内史『謝霊運集』十九巻(梁の時は二十巻、目録一巻)。
宋の給事中『丘深之集』七巻(梁の時は十五巻)。また義成太守『祖屳之集』五巻、荊州西曹『孫韶集』十巻、『殷淳集』二巻、揚州刺史『殷景仁集』九巻、国子博士『姚濤之集』二十巻(目録一巻)、『周祋集』十一巻あり、亡ぶ。
『殷闡之集』一巻。
宋の徵士『宗景集』十六巻(梁の時は十五巻)。
宋の徵士『雷次宗集』十六巻(梁の時は二十九巻、目録一巻)。
宋の奉朝請『伍緝之集』十二巻。梁の時は宋の南蛮主簿『衛令元集』八巻、『范曄集』十五巻(目録一巻)、撫軍諮議『範広集』一巻、右光禄大夫『王敬弘集』五巻(目録一巻)、『任豫集』六巻あり。
宋の御史中丞『何承天集』二十巻(梁の時は三十二巻)、亡ぶ。
宋の太中大夫『裴松之集』十三巻(梁の時は二十一卷)。また『王韶之集』十九巻、宋の光禄大夫『江湛集』四巻(目録一巻)あり、亡ぶ。
宋の太尉『袁淑集』十一巻(目録を併載)。梁の時は十巻、目録一巻。
宋の秘書監『王微集』十巻。梁の時代には目録一巻があった。また宋の太子舎人『王僧謙集』二巻、金紫光禄大夫『王僧綽集』一巻、征北行参軍『顧邁集』二十巻、魚復県令『陳超之集』十巻、平南将軍『何長瑜集』八巻があったが、散逸した。
宋の員外郎『荀雍集』二巻(梁の時代には四巻)。また宋の国子博士『范演集』八巻、銭唐県令『顧昱集』六巻、臨成県令『韓浚之集』八巻、南陽太守『沈亮之集』七巻、国子博士『孔欣集』九巻、臨海太守『江玄叔集』四巻、尚書郎『劉馥集』十一巻、太子中舎人『張演集』八巻、南昌県令『蔡眇之集』三巻、太学博士『顧雅集』十三巻、巴東太守『孫仲之集』十一巻、太尉諮議参軍『謝元集』一巻、南海太守『陸展集』九巻、棘陽県令『山謙之集』十二巻、広州刺史『羊希集』九巻、員外常侍『周始之集』十一巻、主客郎『羊崇集』六巻、太子舎人『孔景亮集』三巻があったが、散逸した。
宋の中書郎『袁伯文集』十一巻、目録を併せて。梁の時代には宋の丞相諮議『蔡超集合』七巻があったが、散逸した。
宋の東中郎長史『孫緬集』八巻、目録を併せて。梁の時代には十一巻。また宋の『賀道養集』十巻、太子洗馬『謝登集』六巻、新安太守『張鏡集』十巻、兼中書舎人『褚詮之集』八巻(目録一巻)があったが、散逸した。
宋の特進『顔延之集』二十五巻(梁の時代には三十巻)。また『顔延之逸集』一巻があったが、散逸した。
宋の東揚州刺史『顔竣集』十四巻、目録を併せて。
宋の大司馬録事『顔測集』十一巻、目録を併せて。
宋の護軍将軍『王僧達集』十巻(梁の時代には目録一巻があった)。また国子博士『羊戎集』十巻、江寧県令『蘇寶生集』四巻、兗州別駕『范義集』十二巻、呉興太守『劉瑀集』七巻、本郡の孝廉『劉氏集』九巻があったが、散逸した。
宋の会稽太守『張暢集』十二巻(欠損あり)。梁の時代には十四巻、目録一巻。また宋の司空『何尚之集』十巻があったが、散逸した。
宋の吏部尚書『何偃集』十九巻(梁の時代には十六巻)。また廬江太守『周朗集』八巻があったが、散逸した。
宋の侍中『沈懐文集』十二巻(欠損あり)。梁の時代には十六巻。
宋の北中郎長史『江智深集』九巻、目録一巻を併せて。
宋の太子中庶子『殷琰集』七巻。梁の時代にはさらに宋の武陵太守『袁凱集』八巻、『荀欽明集』六巻、安北参軍『王詢之集』五巻、越騎校尉『戴法興集』四巻があったが、散逸した。
宋の黄門郎『虞通之集』十五巻(梁の時代には二十巻)。
宋の司徒左長史『沈勃集』十五巻(梁の時代には二十巻)。
宋の金紫光禄大夫『謝莊集』十九巻(梁代には十五巻)。また宋の金紫光禄大夫『謝協集』三巻、三巴校尉『張悦集』十一巻、揚州従事『賀頠集』十一巻、領軍長史『孔邁之集』八巻、撫軍参軍『賀弼集』十六巻、本州秀才『劉遂集』二巻あり、亡ぶ。
宋の『建平王景素集』十巻。
宋の征虜記室参軍『鮑照集』十巻(梁代には六巻)。また宋の武康令『沈懷遠集』十九巻、『裴駰集』六巻、刪定郎『劉鯤集』五巻、宜都太守『費修集』十巻あり、亡ぶ。
宋の太中大夫『徐爰集』六巻(梁代には十巻)。また宋の護軍司馬『孫勃集』六巻、右光禄大夫『張永集』十巻、陽羨令『趙繹集』十六巻あり、亡ぶ。
宋の『庾蔚之集』十六巻(梁代には二十巻)。また太子中舎人に徴されて就かざる『王素集』十六巻あり、亡ぶ。
宋の豫章太守『劉愔集』八巻(梁代には十巻)。また宋の起部『費鏡運集』二十巻、光禄大夫『孫夐集』十一巻、太尉従事中郎『蔡頤集』三巻、司空『劉勔集』二十巻(録一巻)、青州刺史『明僧暠集』十巻、呉興太守『蕭惠開集』七巻、『沈宗之集』十巻、大司農『張辯集』十六巻、金紫光禄大夫『王瓚集』十五巻(録一巻)、『郭坦之集』五巻、会稽主簿『辛湛之集』八巻、太子舎人『朱百年集』二巻、東海王常侍『鮑徳遠集』六巻、会稽郡丞『張緩集』六巻あり、亡ぶ。
宋の寧国令『劉薈集』七巻。
宋の江州従事『呉邁遠集』一巻(残欠。梁代には八巻)、亡ぶ。
宋の宛朐令『湯恵休集』三巻(梁代には四巻)。また南海太守『孫奉伯集』十巻、右将軍『成元範集』十巻、奉朝請『虞喜集』十一巻、延陵令『唐思賢集』十五巻、『戴凱之集』六巻あり、亡ぶ。
宋の司徒『袁粲集』十一巻(目録を併す。梁代には九巻)。また婦人『牽氏集』一巻、宋の後宮司儀『韓蘭英集』四巻あり、亡ぶ。
『斉文帝集』一巻(残欠。梁代には十一巻)。また斉の『晋安王子懋集』四巻(録一巻)、『随王子隆集』七巻あり、亡ぶ。
斉の『竟陵王子良集』四十巻(梁代にはまた斉の聞喜公『蕭遙欣集』十一巻、領軍諮議『劉祥集』十巻あり、亡ぶ)。
斉の太宰『褚彦回集』十五巻(梁代にはまた斉の黄門侍郎『崔祖思集』二十巻、中軍佐『鐘蹈集』十二巻、余杭令『丘巨源集』十巻(録一巻)あり、亡ぶ)。
斉の太尉『王儉集』五十一巻(梁代には六十巻)。また斉の東海太守『謝顥集』十六巻、『謝瀹集』十巻、豫州刺史『劉善明集』十巻、侍中『褚賁集』十二巻、徴士『劉虯集』二十四巻、司徒主簿に徴されて就かざる『庾易集』十巻、『顧歓集』三十巻、『劉瓛集』三十巻、射声校尉『劉璡集』三巻あり、亡ぶ。
斉の中書郎『周顒集』八巻(梁代には十六巻)。また斉の左侍郎『鮑鴻集』二十巻(録一巻)、雍州秀才『韋瞻集』十巻、正員郎『劉懷慰集』十巻(録一巻)、永嘉太守『江山図集』十巻、驃騎記室参軍『荀憲集』十一巻あり、亡ぶ。
斉の前軍参軍『虞羲集』九巻、残欠あり。梁の時は十一巻。また平陽令『韋沈集』十巻、車騎参軍『任文集』十一巻、『卞鑠集』十六巻、『婁幼瑜集』六十六巻、長水校尉『祖沖之集』五十一巻あり、亡ぶ。
斉の中書郎『王融集』十巻
斉の吏部郎『謝朓集』十二巻
『謝朓逸集』一巻。梁の時にはまた『王巾集』十一巻あり、亡ぶ。
斉の司徒左長史『張融集』二十七巻。梁の時は十巻。また張融の『玉海集』十巻、『大澤集』十巻、『金波集』六十巻あり、また斉の羽林監『庾韶集』十巻、黄門郎『王僧佑集』十巻、太常卿『劉悛集』二十巻(目録一巻)、秘書『王寂集』五巻あり。亡ぶ。
斉の金紫光禄大夫『孔稚珪集』十巻
斉の後軍法曹参軍『陸厥集』八巻。梁の時は十巻。
斉の太尉『徐孝嗣集』十巻。梁の時は七巻。また侍中『劉暄集』十一巻、通直常侍『裴昭明集』九巻、『虞炎集』七巻、吏部郎『劉瑱集』十巻、梁国従事中郎『劉繪集』十巻あり、亡ぶ。
斉の侍中『袁彖集』五巻、目録を併せて。
斉の中書郎『江奐集』九巻、目録を併せて。
斉の平西諮議『宗躬集』十三巻
斉の太子舎人『沈驎士集』六巻
『梁武帝集』二十六巻。梁の時は三十二巻。
『梁武帝詩賦集』二十巻
『梁武帝雑文集』九巻
『梁武帝別集目錄』二巻
『梁武帝淨業賦』三巻
『梁簡文帝集』八十五巻(陸罩撰、並びに録あり)
『梁元帝集』五十二巻
『梁元帝小集』十巻
梁の『昭明太子集』二十巻(梁に『梁安成王集』三十巻有り、亡ぶ)
梁の『岳陽王詧集』十巻
『梁王蕭巋集』十巻
梁の『邵陵王綸集』六巻
梁の『武陵王紀集』八巻
梁の『蕭琮集』七巻(梁にまた『安成煬王集』五巻有り、亡ぶ)
梁の司徒諮議『宗夬集』九巻(並びに録あり)
梁の国子博士『丘遲集』十巻(並びに録あり。梁代には十五巻、また『謝朏集』十五巻有り、亡ぶ)
梁の金紫光禄大夫『江淹集』九巻(梁代には二十巻)
『江淹後集』十巻
梁の尚書僕射『範雲集』十一巻並びに録。
梁の太常卿『任昉集』三十四巻。梁には晋安太守『謝纂集』十巻、撫軍將軍『柳惔集』二十巻、中護軍『柳惲集』十二巻、豫州刺史『柳憕集』六巻、尚書令『柳忱集』十三巻、義興郡丞『何僴集』三巻、撫軍中兵參軍『韋溫集』十巻、鎮西錄事參軍『到洽集』十一巻、太子洗馬『劉苞集』十巻、南徐州秀才『諸葛璩集』十巻有り、亡ぶ。
梁の特進『沈約集』一百一巻並びに録。梁にまた『謝綽集』十一巻有り、亡ぶ。
梁の中軍府諮議『王僧孺集』三十巻。
梁の尚書左丞『範縝集』十一巻。
梁の護軍將軍『周舍集』二十巻。梁には秘書張熾『金河集』六十巻、『劉敲集』八巻、玄貞處士『劉訏集』一巻有り、亡ぶ。
『梁蕭洽集』二巻。
梁の隱居先生『陶弘景集』三十巻。
『陶弘景内集』十五巻。
梁の徵士『魏道微集』三巻。
梁の黄門郎『張率集』三十八巻。
梁の南徐州治中『王冏集』三巻。
梁の都官尚書『江革集』六巻。
梁の奉朝請『吳均集』二十巻。
梁の光禄大夫『庾曇隆集』十巻並びに録。
梁の儀同三司徐勉の『前集』三十五巻
『徐勉後集』十六巻、並びに序録あり。
梁の吏部郎王錫の『集』七巻、並びに録あり。
梁の尚書左僕射王暕の『集』二十一卷
梁の平西刑獄参軍劉孝標の『集』六巻
梁の鴻臚卿裴子野の『集』十四巻
梁の仁威府長史司馬褧の『集』九巻
梁の蕭子暉の『集』九巻
梁の始興内史蕭子範の『集』十三巻
梁の建陽令江洪の『集』二巻
梁の鎮西府記室鮑畿の『集』八巻
梁の尚書祠部郎虞㬭の『集』十巻
梁の新田令費昶の『集』三巻
梁の蕭幾の『集』二巻
梁の東陽郡丞謝瑱の『集』八巻
梁の通直郎『謝琛集』五巻
梁の仁威記室『何遜集』七巻(梁に安西記室『劉緩集』四巻、沙門『釈智蔵集』五巻あり、亡ぶ)
梁の太常卿『陸倕集』十四巻
梁の廷尉卿『劉孝綽集』十四巻
梁の都官尚書『劉孝儀集』二十巻
梁の太子庶子『劉孝威集』十巻
梁の東陽太守『王揖集』五巻
梁の黄門郎『陸雲公集』十巻
梁の国子祭酒『蕭子雲集』十九巻
梁の征西府長史『楊眺集』十一巻(目録を併載)
梁の太子洗馬『王筠集』十一巻(目録を併載)
王筠『中書集』十一巻(目録を併載)
王筠『臨海集』十一巻(目録を併載)
王筠『左佐集』十一巻(目録を併載)
王筠『尚書集』九巻(目録を併載)
梁の西昌侯『蕭深藻集』四巻、並びに目録。
梁の中書郎『任孝恭集』十巻。
梁の平北府長史『鮑泉集』一巻。
梁の雍州刺史『張纘集』十一巻、並びに目録。
梁の尚書僕射『張綰集』十一巻、並びに目録。
梁の度支尚書『庚肩吾集』十巻。
梁の太常卿『劉之遴前集』十一巻。
『劉之遴後集』二十一巻。
梁の豫章世子侍読『謝鬱集』五巻。
梁の安成蕃王『蕭欣集』十巻。
梁の中書舎人『硃超集合』一巻。
梁の護軍将軍『甄玄成集』十巻、並びに目録。
梁の散騎常侍『沈君遊集』十三巻。
梁の『臨安恭公主集』三巻(武帝の女)。
梁の征西記室范靖の妻『沈満願集』三巻。
梁の太子洗馬徐悱の妻『劉令嫻集』三巻
『後魏孝文帝集』三十九巻
後魏の司空『高允集』二十一巻
後魏の司農卿『李諧集』十巻
後魏の太常卿『盧元明集』十七巻
後魏の司空祭酒『袁躍集』十三巻
後魏の著作佐郎『韓顯宗集』十巻
後魏の散騎常侍『溫子升集』三十九巻
後魏の太常卿『陽固集』三巻
北斉の特進『邢子才集』三十一巻
北斉の尚書僕射『魏收集』六十八巻
北斉の儀同『劉逖集』二十六巻
後周『明帝集』九巻
後周『趙王集』八巻
後周『滕簡王集』八巻
後周の儀同三司『宗懍集』十二巻、並びに目録。
後周の沙門『釈亡名集』十巻。
後周の小司空『王褒集』二十一卷、並びに目録。
後周の少傅『蕭捴集』十巻。
後周の開府儀同三司『庾信集』二十一卷、並びに目録。
『陳後主集』三十九巻。
『陳後主沈后集』十巻。
陳の大匠卿『杜之偉集』十二巻。
陳の金紫光禄大夫『周弘讓集』九巻。
陳の『周弘讓後集』十二巻。
陳の侍中『沈炯前集』七巻。
陳の『沈炯後集』十三巻。
陳の沙門『釈標集』二巻。
陳の沙門『釈洪偃集』八巻。
陳の沙門『釈瑗集』六巻。
陳の沙門『釈霊裕集』四巻
陳の尚書僕射『周弘正集』二十巻
陳の鎮南府司馬『陰鏗集』一巻
陳の左衛将軍『顧野王集』十九巻
陳の沙門『策上人集』五巻
陳の尚書左僕射『徐陵集』三十巻
陳の右衛将軍『張式集』十四巻
陳の尚書度支郎『張正見集』十四巻
陳の司農卿『陸琰集』二巻
陳の少府卿『陸玠集』十巻
陳の光禄卿『陸瑜集』十一巻並びに録。
陳の護軍将軍『蔡景歴集』五巻
陳の沙門『釈暠集』六巻
陳の御史中丞『褚玠集』十巻
陳の安右府諮議『司馬君卿集』二巻
陳の著作佐郎『張仲簡集』一巻。
『煬帝集』五十五巻
『王祐集』一巻
武陽太守『盧思道集』三十巻
金州刺史『李元操集』十巻
蜀王府記室『辛德源集』三十巻
太尉『楊素集』十巻
懷州刺史『李德林集』十巻
吏部尚書『牛弘集』十二巻
司隸大夫『薛道衡集』三巻
國子祭酒『何妥集』十巻
秘書監『柳抃集』五巻
開府『江總集』三十巻
『江總後集』二巻
記室參軍『蕭愨集』九巻
著作郎魏彥深の『魏彥深集』三巻
著作郎諸葛穎の『諸葛穎集』十四巻
劉子政の母祖氏の『祖氏集』九巻
著作郎王胄の『王胄集』十巻
右は四百三十七部、四千三百八十一巻。亡失した書を通計すれば、合わせて八百八十六部、八千一百二十六巻となる。
総集
『文章流別集』四十一巻(梁の時は六十巻、志二巻、論二巻あり)、摯虞撰。
『文章流別志』『文章流別論』二巻、摯虞撰。
『文章流別本』十二巻、謝混撰。
『続文章流別』三巻、孔寧撰。
『集苑』四十五巻(梁の時は六十巻)。
『集林』一百八十一巻(宋の臨川王劉義慶撰。梁の時は二百巻)。
『集林鈔』十一巻
『集鈔』十巻、沈約撰。(梁の時は『集鈔』四十巻、丘遲撰あり、今は亡失。)
『集略』二十巻
『撰遺』六巻。梁にはまた『零集』三十六巻があったが、亡失した。
『翰林論』三巻、李充撰。梁代には五十四巻あった。
『文苑』一百巻、孔道撰。
『文苑鈔』三十巻。
『文選』三十巻、梁の昭明太子撰。
『詞林』五十八巻。
『文海』五十巻。
『呉朝士文集』十巻。梁代には十三巻あった。また『漢書文府』三巻があったが、亡失した。
『巾箱集』七巻。梁に『文章志録雑文』八巻(謝沈撰)があった。また『名士雑文』八巻があったが、亡失した。
『婦人集』二十巻。梁に『婦人集』三十巻(殷淳撰)があった。また『婦人集』十一巻があったが、亡失した。
『婦人集鈔』二巻。
『雑文』十六巻、婦人のために作る。
『文選音』三巻、蕭該撰。
『文心雕龍』十巻、梁の兼東宮通事舎人劉勰撰。
『文章始』一巻、姚察撰。梁に『文章始』一巻(任昉撰)、『四代文章記』一巻(呉郡功曹張防撰)があったが、亡失した。
『賦集』九十二巻、謝霊運撰。梁にはまた『賦集』五十巻(宋の新渝恵侯撰)、『賦集』四十巻(宋明帝撰)、『楽器賦』十巻、『伎芸賦』六巻があった。亡ぶ。
『賦集鈔』一巻
『賦集』八十六巻、後魏の秘書丞崔浩撰。
『続賦集』十九巻、残欠。
『歴代賦』十巻、梁の武帝撰。
『皇徳瑞応賦頌』一巻(梁の時は十六巻)。
『五都賦』六巻(並びに録あり)、張衡及び左思撰。
『雑都賦』十一巻(梁の時は『雑賦』十六巻)。また『東都賦』一巻(孔逭作)、『二京賦音』二巻(李軌・綦毋邃撰)、『斉都賦』二巻(並びに音あり、左思撰)、『相風賦』七巻(傅玄等撰)、『迦維国賦』二巻(晋の右軍行参軍虞干紀撰)、『遂志賦』十巻、『乗輿赭白馬』二巻。亡ぶ。
『述征賦』一巻
『神雀賦』一巻、後漢の傅毅撰。
『雑賦注本』三巻。梁には郭璞注『子虚上林賦』一巻、薛綜注張衡『二京賦』二巻、晁矯注『二京賦』一巻、傅巽注『二京賦』二巻、張載及び晋の侍中劉逵・晋の懐県令衛権注左思『三都賦』三巻、綦毋邃注『三都賦』三巻、項氏注『幽通賦』、蕭広済注木玄虚『海賦』一巻、徐爰注『射雉賦』一巻があった。亡ぶ。
『献賦』十八巻
『囲棋賦』一巻、梁の武帝撰。
『観象賦』一巻
『洛神賦』一巻、孫壑注。
『枕賦』一巻、張君祖撰。
『二都賦音』一巻、李軌撰。
『百賦音』十巻、宋の御史褚詮之撰。梁には『賦音』二巻(郭徵之撰)、『雑賦図』十七巻があったが、亡ぶ。
『大隋封禅書』一巻
『上封禅書』二巻。梁には『雑封禅文』八巻、『秦帝刻石文』一巻(宋の会稽太守褚淡撰)があったが、亡ぶ。
『集雅篇』五巻
『靖恭堂頌』一巻、晋の涼王李灊撰。梁には『頌集』二十巻(王僧綽撰)、『木連理頌』二巻(太元十九年群臣上)があったが、亡ぶ。
『詩集』五十巻、謝霊運撰。梁では五十一巻。また宋の侍中張敷・袁淑補の謝霊運『詩集』一百巻、『詩集』百巻(例・録二巻を含む、顔峻撰)、『詩集』四十巻(宋明帝撰)、『雑詩』七十九巻(江邃撰)、『雑詩』二十巻(宋の太子洗馬劉和注)、『二晋雑詩』二十巻、『古今五言詩美文』五巻(荀綽撰)、『詩鈔』十巻があったが、亡ぶ。
『詩集鈔』十巻、謝霊運撰。梁には『雑詩鈔』十巻(録一巻、謝霊運撰)があったが、亡ぶ。
『古詩集』九巻
『六代詩集鈔』四巻。梁には『雑言詩鈔』五巻(謝朏撰)があったが、亡ぶ。
『詩英』九巻、謝霊運集。梁では十巻。また『文章英華』三十巻(梁の昭明太子撰)があったが、亡ぶ。
『今詩英』八巻
『古今詩苑英華』十九巻、梁の昭明太子撰。
『詩纘』十三巻
『衆詩英華』一巻
『詩類』六巻
『玉台新詠』十巻(徐陵撰)
『百志詩』九巻(幹宝撰。梁の時は五巻。また『古遊仙詩』一巻あり。応貞が応璩の『百一詩』八巻を注す。『百一詩』二巻(晋の蜀郡太守李彪撰)。亡ぶ)
斉の『釈奠会詩』十巻
『斉宴会詩』十七巻
『青渓詩』三十巻(斉の宴会に作る。梁の時は魏・晋・宋の『雑祖餞宴会詩集』二十一部、百四十三巻あり。亡ぶ。今はその数を略す)
『西府新文』十一巻(並びに録あり。梁の蕭淑撰)
『百国詩』四十三巻
『文林館詩府』八巻(後斉の文林館に作る)
『詩評』三巻(鍾嶸撰。或いは『詩品』と曰う)
『古楽府』八巻
『文会詩』三巻(陳の仁威記室徐伯陽撰)
『五嶽七星回文詩』一巻(梁の時は『雑詩図』一巻あり。亡ぶ)
『毛伯成詩』一巻(伯成は東晋の征西参軍)
『春秋寶藏詩』四巻、張朏撰。
『江淹擬古』一巻、羅潛注。
『樂府歌辭鈔』一巻。
『歌錄』十巻。
『古歌錄鈔』二巻。
『晉歌章』八巻(梁の時は十巻)。
『吳聲歌辭曲』一巻(梁の時は二巻)。また『樂府歌詩』二十巻(秦伯文撰)、『樂府歌詩』十二巻、『樂府三校歌詩』十巻、『樂府歌辭』九巻、『太樂歌詩』八巻、『歌辭』四巻(張永記)、『魏宴樂歌辭』七巻、『晉歌章』十巻、また『晉歌詩』十八巻、『晉宴樂歌辭』十巻(荀勖撰)、『宋太始祭高禖歌辭』十一巻、『齊三調雅辭』五巻、『古今九代歌詩』七巻(張湛撰)、『三調相和歌辭』五巻、『三調詩吟錄』六巻、『奏鞞鐸舞曲』二巻、『管弦錄』一巻、『伎錄』一巻、『太樂備問鍾鐸律奏舞歌』四巻(郝生撰)、『回文集』十巻(謝靈運撰)、また『回文詩』八巻、『織錦回文詩』一巻(苻堅の秦州刺史竇氏の妻蘇氏作)、『頌集』二十巻(王僧綽撰)、『木連理頌』二巻(晉の太元十九年に群臣が上る)、また鼓吹、清商、樂府、宴樂、高禖、鞞、鐸等の『歌辭舞錄』、凡そ十部あり。
『陳郊廟歌辭』三巻、並びに録。徐陵撰。
『樂府新歌』十巻、秦王記室崔子發撰。
『樂府新歌』二巻、秦王司馬殷僧首撰。
『古今箴銘集』十四巻、張湛撰。録一巻。梁に『箴集』十六巻、『雜誡箴』二十四巻、『女箴』一巻、『女史箴圖』一巻あり、また『銘集』十一巻あり、また陸少玄撰『佛像雜銘』十三巻、釋僧祐撰『箴器雜銘』五巻あり、亡ぶ。
『眾賢誡集』十巻、残欠。梁に『誡林』三巻(綦毋邃撰)、『四帝誡』三巻(王誕撰)、『雜家誡』七巻、『諸家雜誡』九巻、『集誡』二十二巻あり。亡ぶ。
『諸葛武侯誡』一巻、『女誡』一巻。
『女誡』一巻、曹大家撰。
『女鑒』一巻。梁に『女訓』十六巻あり。
『婦人訓誡集』十一巻並びに目録。梁代には十巻。宋の司空徐湛之撰。
『娣姒訓』一巻。馮少冑撰。
『貞順志』一巻。
『賛集』五巻。謝荘撰。
『画賛』五巻。漢の明帝の殿閣の画に、魏の陳思王が賛を付す。梁代には五十巻。また『誄集』十五巻あり、謝荘撰、亡ぶ。
『七集』十巻。謝霊運集。
『七林』十巻。梁代には十二巻、目録二巻。卞景撰。梁代にはまた『七林』三十巻、音一巻あり、亡ぶ。
『七悟』一巻。顔之推撰。梁代に『弔文集』六巻、目録一巻、『弔文』二巻あり、亡ぶ。
『碑集』二十九巻。
『雑碑集』二十九巻。
『雑碑集』二十二巻。梁代に『碑集』十巻(謝荘撰)、『釈氏碑文』三十巻(梁元帝撰)、『雑碑』二十二巻、『碑文』十五巻(晋の将作大匠陳勰撰)、『碑文』十巻(車灌撰)あり。また『羊祜墮涙碑』一巻、『桓宣武碑』十巻、『長沙景王碑文』三巻、『荊州雑碑』三巻、『雍州雑碑』四巻、『広州刺史碑』十二巻、『義興周処碑』一巻、『太原王氏家碑誄頌賛銘集』二十六巻、『諸寺碑文』四十六巻(釈僧祐撰)、『雑祭文』六巻、『衆僧行状』四十巻(釈僧祐撰)あり、亡ぶ。
『設論集』二巻。劉楷撰。梁代に『設論集』三巻(東晋の人撰)、『客難集』二十巻あり、亡ぶ。
『論集』七十三巻。
『雑論』十巻。
『明真論』一巻。晋の兗州刺史宗岱撰。
『東西晉興亡論』一巻
『陶神論』五巻
『正流論』一巻
『黄芳引連珠』一巻
『梁武連珠』一巻(沈約注)
『梁武帝制旨連珠』十巻(梁の邵陵王蕭綸注)
『梁武帝制旨連珠』十巻(陸緬注)。梁には『設論連珠』十巻、謝霊運撰『連珠集』五巻、陳證撰『連珠』十五巻があった。また『連珠』一巻(陸機撰、何承天注)があった。また班固の『典引』一巻(蔡邕注)があった。亡ぶ。
『梁代雑文』三巻
『詔集区分』四十一巻(後周の獣門学士宗幹撰)
『魏朝雑詔』二巻。梁には『漢高祖手詔』一巻があった。亡ぶ。
『録魏呉二志詔』二巻。梁には『三国詔誥』十巻があった。亡ぶ。
『晋咸康詔』四巻
『晋朝雑詔』九巻。梁には『晋雑詔』百巻(録一巻)があった。また『晋雑詔』二十八巻(録一巻)があった。また『晋詔』六十巻、『晋文王・武帝雑詔』十二巻があった。亡ぶ。
『録晋詔』十四巻。梁には『晋武帝詔』十二巻、『成帝詔草』十七巻、『康帝詔草』十巻、『建元直詔』三巻、『永和副詔』九巻、『升平・隆和・興寧副詔』十巻、『泰元・咸寧・寧康副詔』二十二巻、『隆安直詔』五巻、『元興大亨副詔』三巻があった。亡ぶ。
『晋義熙詔』十巻。梁には『義熙副詔』十巻、『義熙以来至於大明詔』三十巻、『晋宋雑詔』四巻があった。また『晋宋雑詔』八巻(王韶之撰)があった。また『雑詔』十四巻、『班五条詔』十巻があった。亡ぶ。
『宋孝建詔』一巻。梁には『宋景平詔』三巻があった。亡ぶ。
『宋元嘉副詔』十五巻。梁には『宋元嘉詔』六十二巻、また『宋孝武詔』五巻、『宋大明詔』七十巻、『宋永光・景和詔』五巻、『宋泰始・泰豫詔』二十二巻、『宋義嘉偽詔』一巻、『宋元徽詔』十三巻、『宋升明詔』四巻があった。亡ぶ。
『齊雑詔』十巻。
『後魏詔集』十六巻。
『後周雑詔』八巻。
『雑詔』八巻。
『雑赦書』六巻。
『陳天嘉詔草』三巻。
『霸朝集』三巻。李徳林撰。
『皇朝詔集』九巻。
『皇朝陳事詔』十三巻。梁には『雑九錫文』四巻があった。亡ぶ。
『上法書表』一巻。虞和撰。
『梁中表』十一巻。梁の邵陵王撰。梁には『漢名臣奏』三十巻、『魏名臣奏』三十巻(陳長寿撰)、『魏雑事』七巻、『晉諸公奏』十一巻、『雑表奏駁』三十五巻、『漢丞相匡衡・大司馬王鳳奏』五巻、『劉隗奏』五巻、『孔群奏』二十二巻、『晉金紫光禄大夫周閔奏事』四巻、『晉中丞劉邵奏事』六巻、『中丞司馬無忌奏事』十三巻、『中丞虞穀奏事』六巻、『中丞高崧奏事』五巻、また『諸弾事』など十四部があった。亡ぶ。
『雑露布』十二巻。梁に『雑檄文』十七巻、『魏武帝露布文』九巻あり、亡ぶ。
『山公啓事』三巻。
『范寧啓事』三巻。梁には十巻あり。梁に『雑薦文』十二巻、『薦文集』七巻あり、亡ぶ。
『善文』五十巻。杜預撰。
『雑集』一巻。殷仲堪撰。
『梁、魏、周、齊、陳皇朝聘使雑啓』九巻。
『政道集』十巻。
『書集』八十八巻。晉の散騎常侍王履撰。梁には八十巻あり、亡ぶ。
『書林』十巻。
『雑逸書』六巻。梁には二十二巻あり。徐爰撰。『応璩書林』八巻、夏赤松撰。『抱朴君書』一巻、葛洪撰。『蔡司徒書』三巻、蔡謨撰。『前漢雑筆』十巻、『呉晉雑筆』九巻、『呉朝文』二十四巻、『李氏家書』八巻、晉の左将軍『王鎮悪与劉丹陽書』一巻、亡ぶ。
『後周与斉軍国書』二巻。
『高澄与侯景書』一巻。
『策集』一巻。殷仲堪撰。
『策集』六巻。梁に『孝秀対策』十二巻あり、亡ぶ。
『宋元嘉策孝秀文』十巻。
『誹諧文』三巻
『誹諧文』十巻、袁淑撰。梁に『続誹諧文集』十巻あり。また『誹諧文』一巻、沈宗之撰、『任子春秋』一巻、杜嵩撰、『博陽秋』一巻、宋の零陵令辛邕之撰あり。亡ぶ。
『法集』百七巻、梁の沙門釈宝唱撰。
右、百七部、二千二百一十三巻。亡書を通計すれば、合わせて二百四十九部、五千二百二十四巻。
凡そ集は五百五十四部、六千六百二十二巻。亡書を通計すれば、合わせて一千百四十六部、一万三千三百九十巻。
【結】
文とは、言を明らかにする所以のものである。古には高きに登りて賦を能くし、山川に祭を能くし、師旅に誓を能くし、喪紀に誄を能くし、器を作りて銘を能くすれば、以て大夫と為すべし。物に因りて辞を騁せ、情霊擁せざるを言うのである。唐の歌、虞の詠、商の頌、周の雅、事を叙べ情に縁り、紛綸として相襲い、斯より以降、その道ますます繁し。世に澆淳あり、時に治乱移り、文体遷変し、邪正或いは殊なる。宋玉・屈原は清風を南楚に激し、厳・鄒・枚・馬は盛藻を西京に陳べ、平子は東都に豔発し、王粲は漳滏に独歩す。逮く晋氏に及び、潘・陸と称せられ、並びに黼藻相輝き、宮商間起し、清辞は金石に潤い、精義は雲天に薄し。永嘉以後、玄風既に扇ぎ、辞多く平淡、文に風力寡し。降って江東に及び、その弊に勝えず。宋・斉の世、下って梁の初めに逮ぶ、霊運の高致の奇、延年の錯綜の美、謝玄暉の藻麗、沈休文の富溢、輝煥斌蔚として、辞義観るべし。梁の簡文の東宮に在りし時、亦篇什を好み、清辞巧制は衽席の間に止まり、雕琢蔓藻は閨闈の内に思極まる。後生好事、遞いに放習し、朝野紛紛、宮体と号す。流宕已まず、喪亡に訖る。陳氏これに因り、全く変ずる能わず。その中原は兵乱積年、文章の道尽きたり。後魏の文帝、頗る属辞を效し、俗を変うる能わず、例皆淳古なり。斉は漳濱に宅し、辞人間起し、高言累句、紛紜絡繹すれども、清辞雅致は是れ未だ聞かず。後周草創、干戈戢えず、君臣戮力、専ら経営に事とし、風流文雅は我れ則ち未だ暇あらず。その後、漢沔を南平し、河朔を東定し、有隋に訖り、四海一統す。荊南の杞梓を采り、会稽の箭竹を収め、辞人才士、総じて京師に萃まる。高祖の文少なく、煬帝の忌多く、当路権を執る者逮く相擯圧すに属す。ここにおいて霊蛇の珠を握り、荊山の玉を韞むる者、転じて溝壑の内に死するもの、勝え数うべからず、草沢怨刺、ここに興る。古に詩を陳べて風を観る、斯れ亦盛衰に関わる所以のものなり。班固に『詩賦略』あり、凡そ五種、今引きてこれを伸べ、合わせて三種と為し、これを集部と謂う。
凡そ四部の経伝三千百二十七部、三万六千七百八巻。亡書を通計すれば、合わせて四千百九十一部、四万九千四百六十七巻。経戒三百一部、九百八巻。餌服四十六部、百六十七巻。房中十三部、三十八巻。符録十七部、百三巻。
右、三百七十七部、一千二百十六巻。
道経
道経とは、元始天尊有りと雲い、太元の先に生れ、自然の気を稟り、沖虚凝遠にして、その極を知る莫しとす。天地淪壊し、劫数終尽するを説く所以は、略々仏経と同じ。天尊の体は、常に存して滅せずと為す。天地初めて開くる毎に、或いは玉京の上に在り、或いは窮桑の野に在りて、秘道を授け、これを開劫度人と謂う。然れどもその開劫一度に非ず、故に延康・赤明・龍漢・開皇有り、これ其の年号なり。その間相去ること経ること四十一億万載。度する所は皆諸天仙の上品、太上老君・太上丈人・天真皇人・五方天帝及び諸仙官有り、転共に承受し、世人これに豫る莫し。説く所の経も、亦元一の気を稟り、自然として有り、造為する所に非ず、亦天尊と常に在りて滅せず。天地壊れざれば、則ち蘊めて伝うる莫く、劫運若し開かば、その文自ら見ゆ。凡そ八字、道体の奥を尽くし、これを天書と謂う。字方一丈、八角芒を垂れ、光輝照耀し、心を驚かし目を眩まし、諸天仙と雖も、省視する能わず。天尊の劫を開くや、乃ち天真皇人に命じ、天音を改囀してこれを弁析せしむ。天真以下より、諸仙に至るまで、輾転節級し、以て次に相授く。諸仙これを得て、始めて世人に授く。然れども天尊年載を経歴し、始めて一たび劫を開くに、法を受くる人、得て宝秘し、亦年限有り、方に始めて伝授す。上品は則ち年久しく、下品は則ち年近し。故に今道を授くる者は、四十九年を経て、始めて人に授くことを得。その大旨を推すに、蓋し亦仁愛清静に帰し、積みて修習し、漸く長生を致し、自然神化し、或いは白日仙に登り、道と体を合わす。その道を受くるの法、初めに『五千文籙』を受け、次に『三洞籙』を受け、次に『洞玄籙』を受け、次に『上清籙』を受く。籙は皆素書にして、諸天曹官属佐吏の名の多少を紀し、又諸符有り、その間に錯り、文章詭怪にして、世識る所に非ず。受くる者は必ず先ず潔斎し、然る後に金環一、並びに諸贄幣を齎し、以て師に見ゆ。師その贄を受け、以て籙をこれに授け、仍て金環を剖ち、各その半を持ち、約を為すと雲う。弟子籙を得て、緘してこれを佩く。
その潔斎の法、黄籙・玉籙・金籙・塗炭等の斎有り。壇を三成と為し、毎成皆綿蕝を置きて限域と為す。傍ら各門を開き、皆法象有り。斎する者亦人数の限有り、以て次に綿蕝の中に入り、魚貫面縛し、愆咎を陳説し、神祇に告白し、昼夜息まず、或いは一二七日にして止む。その斎数の外に人ある者は、並びに綿蕝の外に在り、これを斎客と謂い、但だ拝謝するのみにして、面縛せず。而して又諸の消災度厄の法有り、陰陽五行の数術に依り、人の年命を推しこれを書き、章表の儀の如くし、並びに贄幣を具え、香を焼き陳読す。天曹に奏し、厄を除かんことを請うと雲い、これを上章と謂う。夜中星辰の下に於いて、酒脯餅餌幣物を陳設し、歴りて天皇太一を祀り、五星列宿を祀り、上章の儀の如く書を為し以てこれに奏し、これを醮と名づく。又木を以て印と為し、星辰日月をその上に刻み、気を吸いてこれを執り、以て疾病を印し、多く癒ゆる者有り。又能く刀に登り火に入りて焚敕し、刃をして割る能わず、火をして熱する能わざらしむ。而して又諸の服餌・辟谷・金丹・玉漿・雲英、滓穢を蠲除するの法有り、殫記すべからず。上古の黄帝・帝嚳・夏禹の儔より、並びに神人に遇い、咸く道籙を受くると雲う、年代既に遠く、経史聞くこと無し。
事蹟を推し尋ねると、漢代の諸子、道書の流れに三十七家あり、その大旨は皆、剛健と羨望を去り、沖虚の境地に処するのみで、上天の官符や符籙の事は無かった。そのうち『黄帝』四篇、『老子』二篇が最も深い旨趣を得ている。故に陶弘景という者は、句容に隠れ、陰陽五行、風角星算を好み、辟穀導引の法を修め、道経の符籙を受け、武帝は平素より彼と交遊した。禅譲の際に至り、弘景は図讖の文を取り、『景梁』の字を合成してこれを献上した。これにより恩遇は甚だ厚かった。また『登真隠訣』を撰して、古に神仙の事有りと証し、また神丹は成し得べく、服すれば長生し、天地と共に永く終わると言った。帝は弘景に神丹の試合を命じたが、遂に成就できず、中原が隔絶し、薬物が精良でない故であると言った。帝はこれを然りとし、彼を敬うこと特に甚だしかった。然れども武帝は若年より好事で、先ず道法を受け、即位後もなお自ら上章し、朝士で道を受ける者は多かった。三吳及び辺海の地では、これを信ずること一層甚だしかった。陳の武帝は代々吳興に居住したので、故にこれも奉じた。後魏の世、嵩山の道士寇謙之は、自らかつて真人成公興に遇い、後に太上老君に遇い、謙之を天師とすることを授け、また『雲中音誦科誡』二十巻を賜ったと言った。また玉女にその服気導引の法を授けさせ、遂に辟穀を得、気盛んで体軽く、顔色鮮麗となった。弟子十余人は皆その術を得た。その後また神人李譜に遇い、これは老君の玄孫であると言い、その図籙真経、百神を劾召するもの六十余巻、及び金丹・雲英・八石・玉漿を銷煉する法を授けた。太武帝の始光の初め、その書を奉じてこれを献上した。帝は謁者を使わし、玉帛牲牢を奉じ、嵩嶽を祀り、その余の弟子を迎え致し、代都の東南に壇宇を起こし、道士百二十余人に給し、その法を顕揚して天下に宣布した。太武帝は親しく法駕を備えて符籙を受けた。ここより道業は大いに盛行し、帝が即位する毎に必ず符籙を受け、故事と為し、天尊及び諸仙の像を刻んで供養した。洛陽に遷都した後は、南郊の傍らに道場を置き、方二百歩。正月・十月の十五日には、道士及び歌人百六人が並び立ち、拝して祠った。後斉の神武帝が鄴に遷ると、遂にこれを廃した。文襄の世、更に館宇を置き、その精至なる者を選んでこれに住まわせた。後周は魏を承け、道法を崇奉し、帝が籙を受ける毎に、魏の旧の如くであったが、尋ねて仏法と共に滅び、開皇の初めにまた興った。高祖は雅に仏法を信じ、道士に対しては蔑如であった。大業年中、術を以て進む道士は甚だ多かった。その講経する所以は、『老子』を本とし、次に『莊子』及び『霊宝』、『升玄』の類を講ずる。その余の衆経は、或いは神人より伝わると言い、篇巻は一ならず。自らは天尊の姓は楽、名は静信であると言うが、例皆浅俗である故、世はこれを甚だ疑った。その術業優れた者は、諸々の符禁を行い、往々にして神験があった。然れども金丹玉液長生の事は、歴代糜費し、勝げて記すべからず、遂に効果無かった。今その経目の数を考へ、ここに附する。
大乗経六百十七部、二千七十六巻。五百五十八部、千六百九十七巻、経。五十九部、三百七十九巻、疏。小乗経四百八十七部、八百五十二巻。雑経三百八十部、七百十六巻。雑経目は残欠し、その見る数は此の如し。雑疑経百七十二部、三百三十六巻。大乗律五十二部、九十一巻。小乗律八十部、四百七十二巻。七十七部、四百九十巻、律。二部、二十三巻、講疏。雑律二十七部、四十六巻。大乗論三十五部、百四十一巻。三十部、九十四巻、論。十五部、四十七巻、疏。小乗論四十一部、五百六十七巻。二十一部、四百九十一巻、論。十部、七十六巻、講疏。雑論五十一部、四百三十七巻。三十二部、二百九十九巻、論。九部、百三十八巻、講疏。記二十部、四百六十四巻。
右、千九百五十部、六千百九十八巻。
仏経
仏経とは、西域天竺の迦維衛国の浄飯王の太子釈迦牟尼の説く所である。釈迦は周の莊王の九年四月八日に当たり、母の右脇より自ら生まれ、姿貌奇異、三十二相、八十二好有り。太子の位を捨て、出家して学道し、勤行精進し、一切種智を覚悟して、これを仏と謂い、また佛陀とも、また浮屠とも曰う。皆胡の言なり。華言に訳してこれを浄覚と為す。その説く所に云う、人身には生死の異有りと雖も、精神に至っては恒に滅せず。この身の前には、則ち無量身を経たり。積みて修習し、精神清浄なれば則ち仏道を成す。天地の外、四維上下に、更に天地有り、また終極無し、然れども皆成有り敗有り。一成一敗、これを一劫と謂う。この天地以前より、則ち無量劫有り。毎劫必ず諸仏道を得て、出世し教化す。その数同じからず。今この劫中、千仏当に有るべし。初めより釈迦に至るまで、既に七仏なり。その次に弥勒の出世有るべく、必ず三会を経て、法蔵を演説し、衆生を開度す。その道に由る者に、四等の果有り。一に須陀洹、二に斯陀含、三に阿那含、四に阿羅漢と曰う。羅漢に至れば、則ち生死に出で入り、去来隠顕し、而して累と為さず。阿羅漢以上、菩薩に至る者は、深く仏性を見て、以て道を成すに至る。仏が滅度する毎に、遺法相伝え、正・象・末の三等の淳樗の異有り。年歳の遠近も、また各同じからず。末法以後、衆生愚鈍、復た仏教無く、而して業行転じて悪く、年寿漸く短く、数百千載の間に経て、乃ち朝に生まれ夕に死するに至る。然る後に大水・大火・大風の災有り、一切これを除去して、更に生人を立て、また淳樸に帰す。これを小劫と謂う。毎一小劫に、則ち一仏出世す。
初めに、天竺の中には多くの外道があり、皆水火毒龍を祀り、諸々の変幻を善くした。釈迦が苦行する時、これらの邪道は皆来て嬲り悩ませ、その心を乱そうとしたが、得ることができなかった。仏道が成った時、皆ことごとく摧伏され、弟子となった。弟子は、男を桑門といい、訳して息心といい、総じて僧といい、訳して行乞という。女を比丘尼という。皆鬚髪を剃り落とし、累を釈き家を辞し、互いに和して居を共にし、心を治め浄を修め、行乞して自ら資し、心を防ぎ行を摂する。僧は二百五十戒に至り、尼は五百戒である。俗人で仏法を信憑する者は、男を優婆塞、女を優婆夷といい、皆殺生・盗み・淫・妄言・飲酒を去る、これが五戒である。釈迦は在世において四十九年間教化し、天龍人鬼に至るまで皆来て法を聴き、弟子が道を得た者は、百千万億の数に及んだ。その後、拘屍那城の娑羅双樹の間にて、二月十五日に、般涅槃に入った。涅槃はまた泥洹ともいい、訳して滅度といい、また常楽我浄ともいう。初め釈迦が説法する時、人の性識根業が各々差があるため、大乗小乗の説があった。この時に至って世を謝し、弟子の大迦葉と阿難ら五百人が、共に追って撰述し、文字を綴り、集めて十二部とした。後数百年、羅漢菩薩があり、相継いで論を著し、その義を賛明した。然るに仏の説く所は、我が滅度の後、正法五百年、像法一千年、末法三千年、その義はこのようである。
典籍を推尋すると、漢代以前より、中国には未だ伝わらなかった。或いは久しく流布していたが、秦の世に遭い、堙滅したという。その後、張騫が西域に使いし、浮屠の教えがあることを聞いた。哀帝の時、博士弟子の秦景が伊存に浮屠経を口授させ、中土でこれを聞いたが、信じなかった。後漢の明帝が夜に金人が殿庭を飛行する夢を見、朝に問うと、傅毅が仏をもって答えた。帝は郎中の蔡愔及び秦景を遣わして天竺に求めさせ、仏経四十二章及び釈迦立像を得た。沙門の摂摩騰・竺法蘭と共に東還した。愔の来たる時、白馬に経を負わせ、因って白馬寺を洛城の雍門の西に立ててこれを処した。その経は蘭台石室に緘め、また清涼台及び顕節陵上に画像を画いた。章帝の時、楚王の英が仏法を崇敬することで聞こえ、西域の沙門が仏経を齎して至る者が甚だ多かった。永平年中、法蘭はまた『十住経』を訳した。その他の伝訳は、多く未だ通じることができなかった。桓帝の時に至り、安息国の沙門安静があり、経を齎して洛に至り、翻訳は最も通解した。霊帝の時、月支の沙門支讖・天竺の沙門竺仏朔らがあり、皆仏経を翻訳した。而して支讖の訳した『泥洹経』二巻は、学者が本旨を大いに得たと為した。漢末、太守の竺融もまた仏法を崇めた。三国の時、西域の沙門康僧会があり、仏経を齎して呉に至り訳し、呉主孫権は甚だ大いに敬信した。魏の黄初中、中国人始めて仏戒に依り、髪を剃って僧となった。先に西域の沙門が此に来て、『小品経』を訳したが、首尾乖舛で、通解できなかった。甘露年中、硃仕行という者があり、西域に往き、于闐国に至り、経九十章を得、晋の元康年中、鄴に至り訳し、題して『放光般若経』とした。太始年中、月支の沙門竺法護があり、西に諸国を遊し、大いに仏経を得、洛に至り翻訳し、部数甚だ多かった。仏教東流、此より盛んとなった。
初め、晋の元熙年中、新豊の沙門智猛は、杖を策して西行し、華氏城に到り、『泥洹経』及び『僧祗律』を得、東に高昌に至り、『泥洹』を二十巻に訳した。後に天竺の沙門曇摩羅讖がまた胡本を齎し、来たりて河西に至った。沮渠蒙遜は使いを遣わして高昌に猛の本を取り、相参証せんと欲したが、未だ還らざるに蒙遜は破滅した。姚萇の弘始十年、猛の本始めて長安に至り、三十巻に訳された。曇摩羅讖はまた『金光明』等の経を訳した。時胡僧長安に至る者数十輩、惟だ鳩摩羅什のみ才徳最も優れたり。その訳した所は則ち『維摩』『法華』『成実論』等の諸経、及び曇無懺の訳した『金光明』、曇摩羅懺の訳した『泥洹』等の経、並びに大乗の学となす。而して什はまた『十誦律』を訳し、天竺の沙門佛陀耶舍は『長阿含経』及び『四方律』を訳し、兜佉勒の沙門曇摩難提は『増一阿含経』を訳し、曇摩耶舍は『阿毗曇論』を訳し、並びに小乗の学となす。その余の経論、記すに勝えず。是より佛法流通、四海に極まる。東晋の隆安年中、また罽賓の沙門僧伽提婆が『増一阿含経』及び『中阿含経』を訳した。義熙年中、沙門支法領が于闐国より『華厳経』三万六千偈を得、金陵に至り宣訳した。また沙門法顕があり、長安より天竺に遊し、三十余国を経、経律のある所に随い、その書語を学び、訳してこれを写した。還って金陵に至り、天竺の禅師跋羅と共に参共して弁定し、『僧祗律』と謂い、学者これを伝う。
斉梁及び陳には、並びに外国の沙門あり。然れども宣訳した所は、大名部として法門と為すべきもの無し。梁の武帝は大いに佛法を崇め、華林園の中に、釈氏の經典を総集し、凡そ五千四百巻。沙門宝唱が『経目録』を撰す。また後魏の時、太武帝が西征して長安に至り、沙門多く仏律に違い、群聚穢乱するを以て、乃ち有司に詔し、尽く坑殺し、佛像を焚破せしむ。長安の僧徒、一時に殲滅す。自余の征鎮は、予め詔書を聞き、亡匿して免るる者十の一二。文成の世、また修復せしむ。熙平年中、沙門慧生を遣わして西域に使いし、諸経律を采り、一百七十部を得る。永平年中、また天竺の沙門菩提留支があり、大いに仏経を訳し、羅什と相埒す。その『地持』『十地論』は、並びに大乗学者に重んぜらる。後斉は鄴に遷り、佛法改めず。周の武帝の時に至り、蜀郡の沙門衛元嵩が上書し、僧徒猥濫を称す、武帝は詔を出し、一切廃毀せしむ。
右、道経・仏経二千三百二十九部、七千四百一十四巻。
道・仏は方外の教え、聖人の遠き致すところである。俗士がこれを行うに、その旨を通ぜず、多く迂怪に離れ、仮託変幻をもって世を乱す。これ弊となる所以である。故に中庸の教えは、これを罕に言うところとするも、また誣うべからざるなり。故にその大綱を録し、四部の末に附す。
経伝の存亡及び道・仏を合わせて、凡そ六千五百二十部、五万六千八百八十一巻。