そもそも暦とは、陰陽の通変を記し、往時の数を極めて来ることを知り、以て日を迎え時を授け、天に先んじて務めを成すものである。然るに懸象著明なるものは、二曜より大なるはなく、気序環復するものは、四時より信なるはない。日月相推して明生じ、寒暑迭進して歳成る。遂に能く天地の文を成し、乾坤の変を極む。天の数は五、地の数は五、五位相乗じて各々合有り。天の数は二十有五、地の数は三十、凡そ天地の数は五十有五、以て変化を成し鬼神を行わしむる所以なり。乾の策は二百一十有六、坤の策は百四十有四、凡そ三百六十、以て期の日に当つ。乃ち陰陽迭用し、剛柔相摩し、四象既に陳び、八卦列を成すに至るは、此れ乃ち文を造るの元始、暦を創るの厥初なるか。洎び炎帝八節を分ち、軒轅五部を建て、少昊は鳳鳥を以て暦を司り、顓頊は南正を以て天を司り、陶唐は則ち和仲に命を分ち、夏後は乃ち《鴻範》を備え陳べ、湯武革命、咸く旧章に率う。然れども文質既に殊なり、正朔斯に革まる。故に天子は日官を置き、諸侯は日禦有り、以て万国を和し、以て三辰を協す。寒暑晦明の徴、陰陽生殺の数、啓閉升降の紀、消息盈虚の節に至るまで、皆躔次に応じて淫せず、遂に該浹して生霊を堪輿し、天地を開物成務し、遠きを致し深きを鉤く。周の徳既に衰え、史官職を廃し、疇人分散し、禨祥理むる莫し。秦は天下を兼ね、頗る五勝を推し、自ら水徳の瑞を獲たるを以て、十月を以て正と為す。漢氏初め興り、多の未だ暇あらざる所、百有餘載、猶お秦の暦を行ふ。孝武に至り、夏正を用ひるを改む。時に古暦六家有り、学者其の紕繆を疑ひ、劉向父子、咸く討論を加へ、班固之に因り、采りて以て志と為す。光武中興し、詳かに考ふる能はず。永平の末に逮び、乃ち復た四分を行ふを改め、七十餘年、儀式方に備はる。其の後復た劉洪・蔡邕に命じ、共に律暦を修めしむ。司馬彪之を用ひて以て《班史》を継ぐ。当塗命を受く、亦た史官有り、韓翊前に之を創め、楊偉後に之を継ぎ、咸く劉洪の術に遵ひ、洪の深妙に及ばず。中・左の両晉、迭に増損有り。西涼に至るも、亦た蔀法を為し、事蹟糾紛し、詳かに記す能はず。宋氏の元嘉、何承天暦を造り、斉の末に迄り、相仍りて之を用ふ。梁の武帝初め興り、斉の旧に因循し、天監中年、方に宋の祖沖之の《甲子元暦》を行ふを改む。陳の武帝禅を受く、亦た創改無し。後斉の文宣、宋景業の暦を用ふ。西魏関に入り、李業興の暦を行ふ。周の武帝に逮び、乃ち甄鸞《甲寅元暦》を造る有り、遂に参用して推歩す。大象の初め、太史上士馬顯、又た《丙寅元暦》を上る、便ち即ち行用す。開皇四年に迄り、乃ち張賓の暦を用ふるを改め、十七年、復た張胄玄の暦を行ひ、義寧に至る。今梁の天監以来五代の損益の要を采り、以て篇に著はす。
その術が施行された。時に高祖(楊堅)は輔政の任にあり、まさに禅譲による王朝交代の事を行わんとし、符命をもって天下を照らさんと欲した。道士張賓は、上(高祖)の意を推し量り知り、自ら玄相(天象の相)を語り、星暦に通暁し、盛んに王朝交代の徴があると述べ、また上(高祖)の儀表は人臣の相にあらずと称した。これにより大いに知遇を受け、常に幕府に在った。及び受禅の初め、賓を抜擢して華州刺史とし、儀同劉暉・驃騎将軍董琳・索盧県公祐・前太史上士馬顕・太学博士鄭元偉・前保章上士任悦・開府掾張撤・前蕩辺将軍張膺之・校書郎衡洪建・太史監候粟相・太史司暦郭翟・劉宜・兼算学博士張乾叙・門下参人王君瑞・荀隆伯等と、新暦の制定を議させ、仍って太常卿盧賁にこれを監督させた。賓等は何承天の法に依り、微かに増減を加え、四年二月に撰成して奏上した。高祖は詔を下して曰く、「張賓等は算数に心を留め、古今に通達し、毎に陳聞する所あれば、多く啓発するところあり。功を畢げて表奏し、具に既に披覧す。後の月の再び生ずるを、前の晦の宵に出でず、前の月の余り、稀に後の朔の朝に留まる。朓を減じて朒に就き、旧準と懸け隔たり殊なる。月の行く表裏、その途乃ち異なり、日交にして食せざるは、陽道に循うによる。時を験し算を転ずるに、毫厘をも越えず、遠く前修の徳を慕うも、この秘は未だ啓かれず。一つ此に在り、実に精密たり、宜しく天下に頒ち、法に依り施用すべし」。
張賓の造りし暦法、その要は以下の如し。
上元甲子より以来、開皇四年歳次甲辰に至るまで、積四百十二万九千一、算上。
蔀法、十万二千九百六十。
章歳、四百二十九。
章月、五千三百六。
通月、五百三十七万二千二百九。
日法、十八万一千九百二十。
斗分、二万五千六十三。
会月、一千二百九十七。
会率、二百二十一。
会数、一百一十半。
会分、十一億八千七百二十五万八千一百八十九。
会日法、四千二十万四千三百二十。
会日、百七十三。
余、五万六千一百四十三。
小分、一百一十。
交法、五億一千二百十万四千八百。
交分法、二千八百一十五。
陰陽曆、一十三。
余、十一万二百六十三。
小分、二千三百二十八。
朔差、二。
余、五万七千九百二十一。
小分、九百七十四。
蝕限、一十二。
余、八万一千三百三。
小分、四百三十三半。
定差、四万四千五百四十八。
周日、二十七。
余り、十万八百五十九。また少大法とも名づく。
木の精を歳星と曰い、合率四千百六万三千八百八十九。
火の精を熒惑と曰い、合率八千二十九万七千九百二十六。
土の精を鎮星と曰い、合率三千八百九十二万五千四百十三。
金の精を太白と曰い、合率六千十一万九千六百五十五。
水の精を辰星と曰い、合率千百九十三万千百二十五。
張賓の創りし暦既に行わるるや、劉孝孫と冀州の秀才劉焯と、並びに其の失を称へ、学に師法無く、刻食中らずと曰ふ。駁す所凡そ六条有り。其一に云く、何承天は分閏の失有るを知らずして、十九年の七閏を用ゐたり。其二に云く、賓等は宿度の差改を解せずして、冬至の日に常度を守る。其三に云く、連珠合璧、七曜須らく同じくすべし。乃ち五星を以て別元と為す。其の四に云く、賓等は唯だ日気余分恰も尽きて立元の法と為るを知るのみにして、日月合はざれば、朔旦冬至を成さざるを知らず。其の五に云く、賓等は但だ立元定法を守り、須らく明らかに進退有るを要せず。其の六に云く、賓等は唯だ転た大余二十九を加へて以て朔と為すを識るのみにして、日月の合会を取るを準として以て定と為すを解せず。此の六事は微妙、暦数の大綱、聖賢の通術なり。而るに暉未だ此れを曉らず、実に管窺の謂ひなり。若し乃ち影を験はして気を定むるは、何氏の優れる所、賓等の推測、之を去ること弥遠し。合朔天に順ふは、何氏の劣れる所、賓等の依據、彼の迷蹤に循ふ。蓋し是れ其の菁華を失ひ、其の糠粃を得たる者なり。又云く、魏の明帝の時、尚書郎楊偉有りて、『景初暦』を修め、乃ち表を上りて義を立て、前非を駁難し、云く「加時後天に在り、食は朔に在らず。」然れども楊偉の意を観るに、故に食朔を以て真と為し、未だ之を詳らかにして其の法を制する能はざりき。宋の元嘉の中に至り、何承天暦を著し、其の上表に云く「月行定まらず、或は遅疾有り、合朔月食、朔望に在らず、亦た暦の意に非ず。」然れども承天の本意、合朔の術を立てんと欲す。皮延宗の非を飾りて難を致すに遭ひ、故に事行はれず。後魏の献帝の時に至り、龍宜弟有りて復た延興の暦を修め、又表を上りて云く「日食朔に在らずと雖も、而も習ふ之を廃せず。『春秋』に食を書するに據れば、乃ち天の朔を験するなり。」此の三人は、前代の善暦、皆其の意有りと雖も、未だ其の書を正さず。但だ暦数の重んずる所、唯だ朔気に在り。朔は朝会の首、気は生長の端なり。朔に告餼の文有り、気に郊迎の典有り。故に孔子暦を命じて朔旦冬至を定め、以て将来の範と為す。今孝孫の暦法、並びに明文に按じ、月行の遅疾を以て其の合朔を定め、今食必ず朔に在らしめ、晦・二の日に在らざらんと欲す。縦ひ頻りに月一小・三大とすとも、天の統を得ん。大抵其の法三有り。今之を列して云ふ。
『詩』を引きて云く「十月の交、朔日辛卯、日に食有り。」今甲子元暦術を以て推算すれば、符合して差違せず。『春秋経』に日食三十五を書す。二十七の日食は、経に朔を書す。推すに甲子元暦と差違せず。八食は、経に並びに朔の字無し。『左氏伝』に云く「朔を書せざるは、官之を失へるなり。」『公羊伝』に云く「朔を言はざるは、食二日なり。」『谷梁伝』に云く「朔を言はざるは、食晦なり。」今甲子元暦を以て推算すれば、俱に是れ朔日なり。丘明夫子に経を受く、理に於て尤詳なり。『公羊』『谷梁』は皆臆説なり。
荘公十八年春三月、日に食有り。推して壬子朔に合す。
十五年夏五月、日に食有り。推して癸未朔に合す。
襄公十五年秋八月丁巳、日に食有り。推して丁巳朔に合す。
前漢・後漢及び魏・晉四代の記する所の日食、朔・晦及び先晦、都て合せて百八十一。今甲子元暦術を以て之を推すに、併せて朔日に合して食ふ。
前漢には合計四十五の日食あり。三食は並びに晦日の前日、三十二食は並びに皆晦日、十食は並びに朔日なり。
後漢には合計七十四の日食あり。三十七食は並びに皆晦日、三十七食は並びに皆朔日なり。
魏には合計十四の日食あり。四食は並びに皆晦日、十食は並びに皆朔日なり。
晉には合計四十八の日食あり。二十五食は並びに皆晦日、二十三食は並びに皆朔日なり。
天正十八日、暦注に冬至とす。
十五日、影長し。
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
十四年丁丑、
天正二十九日、暦注に冬至とす。
二十六日、影長し。
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
十五年戊寅、
天正十一日の暦注に冬至とあり、
陰天にて、影無くして験す可し、
今の暦は八日に冬至なり。
十六年己卯、
天正二十一日の暦注に冬至とあり、
十八日に影長し、
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
十七年庚辰、
天正二日の暦注に冬至とあり、
十月二十九日に影長し、
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
十八年辛巳、
天正十三日の暦注に冬至とあり、
十日に影が長く、
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
十九年壬午、
天正二十九日に暦注に冬至とし、
陰にして、影無くして験す可し、
今の暦は二十二日に冬至なり。
二十年癸未、
天正六日に暦注に冬至とし、
三日に影長く、
即ち是れ今の暦の冬至の日なり。
時に新暦初めて頒ち、張賓高祖に寵有り、劉暉之に附会し、太史令に升る。二人協議し、共に劉孝孫を短じ、其の天暦を非毀し、率意迂怪なりと言ひ、劉焯又妄りに相扶證し、時人を惑亂すとす。孝孫・焯等、竟に他事を以て斥罷さる。後賓死し、孝孫掖縣丞と為り、官を委ねて京に入り、又上るも、前後劉暉の詰むる所と為り、事寢みて行はれず。仍て孝孫を留めて太史に直し、累年調せず、観台に寓宿す。乃ち其の書を抱き、弟子輿櫬し、闕下に来詣し、伏して慟哭す。執法拘へて以て之を奏す、高祖之を異とし、国子祭酒何妥に問ふ。妥其の善きを言ふ、即日大都督に擢授し、遣はして賓曆と比校して短長せしむ。先づ是れ信都の人張胄玄、算術を以て太史に直し、久しく未だ名を知られず。是に至り孝孫と共に賓曆を短じ、異論鋒起し、久しく定まらず。十四年七月に至り、上日食の事を参問せしむ。楊素等奏す、「太史凡そ日食を奏すること二十有五、唯一の晦三朔のみ、克に依りて食すも、尚ほ其の時を得ず、又起る所を知らず、他皆験無し。胄玄の克むる所、前後妙に衷し、時に分數を起し、合すること符契の如し。孝孫の克むる所、験亦過半なり」と。是に於て高祖孝孫・胄玄等を引き、親しく労徠す。孝孫因りて先づ劉暉を斬るを請ひ、乃ち暦を定む可しとす。高祖悦ばず、又之を罷む。俄かに孝孫卒す、楊素・牛弘等之を傷惜し、又胄玄を薦む。上之を召見す、胄玄因りて日長影短の事を言ふ、高祖大いに悦び、賞賜甚だ厚く、新術を参定せしむ。劉焯胄玄の進用を聞き、又孝孫の暦法を増損し、更に名づけて《七曜新術》とし、以て之を奏す。胄玄の法と、頗る相乖爽し、袁充と胄玄之を害す。焯又罷む。十七年に至り、胄玄の暦成り、之を奏す。上楊素等に付して其の短長を校せしむ。劉暉と国子助教王頍等旧暦術を執り、迭りに相駁難し、司暦劉宜と古史の影等を援據し、胄玄を駁して云く、
互いに反駁し難問を呈し、高祖(文帝)は惑い、時を過ぎても決断できなかった。ちょうど通事舍人顔慜楚が上書して言うには、「漢の落下閎が『顓頊暦』を改めて『太初暦』を作り、『後八百年、この暦は一日の差を生ず』と言った」と。その話は張冑玄伝にある。高祖はその事を神異なものとしようと欲し、ついに詔を下して言うには、「朕は運に応じて図籙を受け、萬宇に君臨し、聖教を興し復し、令典を恢弘し、上は天道に順い、下は人時に授け、海内を搜揚し、広く術士を延ばさんと欲す。旅騎尉張冑玄は、理思沈敏にして、術藝宏深、道を懐いて白首し、来たりて暦法を上る。太史の旧暦とともに、勘審を加えしむ。仰いで玄象を観、璿璣に参驗す。冑玄の歴数は七曜と符合し、太史の行うところは、乃ち多く疏舛なり。群官博議し、咸く冑玄を以て密なりとす。太史令劉暉、司曆郭翟・劉宜、驍騎尉任悅は、往時に経て修造し、この乖謬を致す。通直散騎常侍・領太史令庾季才、太史丞邢俊、司曆郭遠、暦博士蘇粲、暦助教傅俊・成珍等は、既に職司たり。須らく疏密を審にすべし。遂に虚しくこの暦を行い、発明する所なし。暦等の情状を論ずれば、已に科罪に合す。方に共に非を飾り短を護り、正法に従わず。季才等は下に附き上を罔し、義実に容れ難し」と。ここにおいて暦等四人は、元より詐りを造る者、並びに除名す。季才等六人は、奸慝を容れ隠す者、俱に現任を解く。冑玄の造れる暦法は、有司に付して施行せしむ。冑玄を擢びて員外散騎侍郎と為し、太史令を領せしむ。冑玄は袁充を進め、互いに引き重んじ、各々一能を擅にし、更に誉れを延ぶ。冑玄は充の暦は前賢を妙極すと言い、充は冑玄の暦術は今古に冠たりと言う。冑玄は祖沖之に学び、兼ねてその師法を伝う。これより厥の後、克食頗る中る。その開皇十七年に行う暦術は、冬至を虚五度に起てしむ。後に稍々その疏なるを覚え、大業四年劉焯の卒する後に至り、乃ち敢えて法を改め、虚七度に起てしむ。諸法率更に増損有り、朔は義寧に終る。今、戊辰年に定むる所の暦術を録して、ここにこれを著す。
甲子元より大業四年戊辰に至るまで、百四十二萬七千六百四十四年、算外。
章歳、四百一十。
章閏、百五十一。
章月、五千七十一。
日法、千一百四十四。
月法、三萬三千七百八十三。
辰法、二百八十六。
歳分、一千五百五十七萬二千九百六十三。
度法、四萬二千六百四十。
没分、五百一十九萬一千三百一十一。
没法、七萬四千五百二十一。
周天分、一千五百五十七萬四千四百六十六。
斗分、一萬八百六十六。
気法、四十六萬九千四十。
気時法は、一万六百六十。
周日は、二十七。
日余は、一千四百一十三。
周通は、七万二百九。
周法は、二千五百四十八。
積月を推す術:
入元以来より求めんとする年に至るを置き、章月を以て之を乗じ、章歳を得て一と為し、積月と為し、余を閏余と為す。閏余三百九十七巳上、若し冬至其の月に在らずば、積月に一を加ふ。
月の朔弦望を推す術:
月法を以て積月を乗じ、法を得て一と為し、積日と為し、余を小余と為す。六十を以て積日を去き、余を大余と為し、甲子を以て命じ算外とし、求めんとする年の天正正月朔日と為す。天正月とは、建子の月なり、今は去年の十一月と為す。凡そ朔小余五百四十七巳上は、其の月大なり。
大余に七を加へ、小余に四百三十七太を加ふ。凡そ四分の一を少と為し、二を半と為し、三を太と為す。小余日法に満てば之を去き、大余に従ふ。六十に満てば之を去き、前に如く命じ、上弦日と為す。又加へて、望・下弦・後月の朔を得。朔余五百三十七に満てば、其の月大なり、減ずる者は小余なり。
二十四気を推す術:
月法を以て閏余を乗じ、又章歳を以て朔小余を乗じ、之を加へ、気法を得て一と為し、日と為し、朔を以て命じ算外とし、冬至日と為す。尽きざる者は、十一を以て之を約し、日分と為す。
次気を求む:日に十五を加へ、日分に九千三百一十五を加へ、小分に一を加ふ。小分八に満てば日分一に従ひ、日分度法に満てば日一に従ふ。月の大小の如く之を去き、日月に満たざれば、算外とし、次気日と為す。其の月中気無き者は、閏と為す。
朔望の気に入る盈縮を推す術:
入気日算を以て損益率を乗じ、十五を得て一と為し、余八已上は一に従ふ。盈縮数を損益して定盈縮と為す。其の入気日十五算の者は、十六を得て一と為し、余半法已上も亦一に従ふ。以下皆此に准ず。
推土王の術:
加分より日分二十七に至り、日分一万六千七百六十七、小分九;小分四十に満てば日分一に従い、満てば前に如く去り、即ち分至の後土始めて王する日を推す。
推没日の術:
其の気に小分有る者は、以て八日分を乗じ、小分を内し、又十五を以て之を乗じ、以て没分を減ず;小分無き者は、以て百二十日分を乗じ、以て之を減ず;没法に満てば日と為し、尽きざるを日分と為し、其の気の朔を去る日を以て之に加え、去り、前に如く命ず。
次没を求む:日六十九、日分四万九千三百七十二を加ふ;日分没法に満てば、日に従ひ、去り、前に如く命ず。
推入遅疾暦の術:
周通を以て朔積日を去り、余り周法を以て之を乗じ、周通に満てば又之を去り、余り周法に満てば一日を得、余りを日余と為し、即ち求めし年天正朔算外夜半暦に入る日及び余り。
次月を求む:大月は二日を加へ、小月は一日を加へ、日余皆千一百三十五、周日及び日余に満てば之を去る。
次日を求む:一を加へ、満ち、前に如く去る。
推朔望加時入暦の術:
四十九を以て朔小余を乗じ、二十二に満てば一を得て日余と為し、尽きざるを小分と為し、以て夜半暦に入る日及び余分に加ふ。
次月を求む:日一、余二千四百八十六、小分二十一を加へ、満ち、前に如く去り、即ち次月暦に入る日及び余り。
望を求む:日十四日、余千九百四十九、小分二十一半を加へ、満ち、前に如く去り、望暦に入る日及び余りと為す。
推朔望加時定日及び小余の術:
暦に入る日余を以て入る所の暦日の損益率を乗じ、以て盈縮積分を損益し、差法に如くして一と為し、定積分と為す。差法に如くして乃ち気に入る定盈縮と与に、皆以て盈は減じ、縮は加ふ本朔望の小余に;減ずるに足らざる者は、日法を加へて乃ち之を減じ、加時往日に在れば;之を加へ、日法に満つる者は之を去り、則ち来日に在る;余りを定小余と為す。食無き者は気盈縮を須ひず。
角十二度、亢九度、氐十五度、房五度、心五度、尾十八度、箕十一度
東方七宿七十五度
斗二十六度、牛八度、女十二度、虚十度、危十七度、室十六度、壁九度
北方七宿九十八度
奎十六度、婁十二度、胃十四度、昴十一度、畢十六度、觜二度、參九度
西方七宿八十度
井三十三度、鬼四度、柳十五度、星七度、張十八度、翼十八度、軫十七度
南方七宿百一十二度
日度を推す術:
入元より所求の年に至るを置き、歳分を以て之を乗じ、通実と為し、周天分に満てば之を去き、余を度法にて一と為し、積度と為し、尽きざるを度分と為す。度を虚七度の宿次より去くを命じ、斗を経て其の分を去き、度宿に満たざれば、算外、即ち所求の年の天正冬至日の所在する度及び分なり。冬至朔を去る日を以て分度数を減じ、分減に足らざるは、度一を減じ、度法を加へ、乃ち之を減じ、前に如く命ず、即ち天正朔前夜半日の所在する度及び分なり。朔の共度を求むるを須ふるは、定用日数を去るを以て之を減じ、後に須ふる所を俟つ。
次月を求む:大月は度三十を加へ、小月は度二十九を加へ、宿次之を去き、斗を経て其の分を去く。
次日を求む:度一を加へ、去き、命ずること前に如し。
朔望加時の日の所在する度を求むる術:
各定小余を以て章歳を乗じ、十一に満てば度分と為し、以て其の前夜半の度分に加へ、満てば前に如く去く。凡そ朔加時に日月は度を同じくす。
転分を求む:千四十を以て度分を約し、尽きざるを小分と為す。
望加時月の所在度を求める術:
望加時の日所在度及び分を置き、度一百八十二、転分二十五、小分七百五十三を加える。小分が千四十に満てば転分一に従い、転分が四十一に満てば度に従う。去・命は前に同じ。経斗するときは転分十、小分四百六十六を去る。
月行の遅疾日転定分を求める術:
夜半入暦日の余りを以て転差に乗じ、周法に満てば一を得て変差と為し、進ならば加え、退ならば減じて日転分を定分と為す。
朔望夜半の月定度を推する術:
定小余を以て所入暦日の転定分に乗じ、日法に満てば一を得て分と為し、分が四十一に満てば度と為す。各々以て加時の月所在度より減じ、即ち各々其の前夜半の定度と為す。
次日を求む:日転定分を以て転分に加え、四十一に満てば度に従い、去・命は前に同じ。朔日は前の加を用いず。
五星を推する術:
木の数、千七百萬八千三百三十二四分
火の数、三千三百二十五萬六千二十六。
土の数、千六百一十二萬一千七百六十七。
金の数、二千四百八十九萬八千四百一十七。
水の数、四百九十四萬一千九十八。
木の終日、三百九十八、日分、三萬七千六百一十二四分。
火の終日、七百七十九、日分、三萬九千四百六十六。
土星の終日は三百七十八、日分は三千八百四十七。
金星の終日は五百八十三、日分は三万九千二百九十七。晨見伏は三百二十七日、分同じ;夕見伏は二百五十六日。
水星の終日は百十五、日分は三万七千四百九十八。晨見伏は六十三日、分同じ;夕見伏は五十二日。
星の見える術を求む。
通実を置き、各々その数をもって去き、余りを以て数を減じ、その余りを度法にて一を得るを日と為し、尽きざるを日分と為し、即ち求めし年の天正冬至後の晨平見の日及び分なり。その金星・水星は、夕見伏の日を以て去き、得る者余りを夕平見の日及び分と為す。
平見の見ゆる月日を求む。冬至去朔の日数及び分を置き、各々冬至後の日数及び分を以て之に加え、分度法に満てば日に従い、天正月より起こし、大小に依りて去き、月に満たざる者を去朔の日と為し、日を命じて算外とし、即ち星の見ゆる所在の月日及び分なり。
後見を求む。各々終日及び分を以て之に加え、満てば前に如く去く。その金星・水星は各々晨夕を以て之に加え、満てば前に如く去き、晨に加えて夕を得、夕に加えて晨を得。
木星:平見春分の前に在る者は、三千三百四十を以て大寒後の十日数を乗じ、平見分に加え、法に満てば去き、以て定見の日及び分と為す。立秋の後なる者は、四千二百を以て寒露の日を去き、之に加え、満つれば前と同じ。春分より清明に至るまで均しく四日を加え、後立夏に至るまで五日、以後芒種に至るまで六日を加え、均しく立秋に至る。小雪の前なる者は、七千四百を以て寒露の日数を乗じ、平見の日分を以て減じ;冬至の後なる者は、八千三百を以て大寒後の十日数を乗じ、之を減ず;小雪より冬至に至るまで均しく八日を減じ、定日数と為す。初見伏は日を去ること各々十四度。
火星:平見雨水の前に在る者は、二万六千八百八十を以て大寒の日数を乗ず;立夏の後に在る者は、一万三千四百四十を以て立秋の日数を乗じ、見日分に加え、満てば前に如く去く;雨水より立夏に至るまで均しく二十九日を加う。小雪の前なる者は、一万一千五百八十を以て処暑の日数を乗じ;冬至の後なる者は、三万四千三百八十を以て大寒の日数を乗じ、満てば前に如く去き、以て之を減ず;小雪より冬至に至るまで均しく二十五日を減ず。初見伏は日を去ること各々十七度。
土星:平見処暑の前に在る者は、一万二千三百七十を以て大暑の日数を乗ず;白露の後なる者は、八千三百四十を以て霜降の日数を乗じ、見日分に加え、満てば前に如く去く;処暑より白露に至るまで均しく九日を加う。小寒の前なる者は、四千九百八十を以て霜降の日数を乗じ、小寒より立春に至るまで均しく九日を減じ、立春の後は八日を減じ、啓蟄の後は七を去り、気別に一を去り、穀雨に至りて三を去り、夏至の後十日に一を去り、大暑に至りて尽く去る。初見伏は日を去ること各々十七度。
金星:晨平見、立春の前に在る者は、四千一百二十を以て小寒の日数を乗じ、小満の後なる者は、四千一百二十を以て夏至の日数を乗じ、見日分に加え、満てば前に如く去く。立春より小満に至るまで均しく三日を加う。立秋の前なる者は、四千一百二十を以て小暑の日数を乗じ、小雪の後なる者は四千一百二十を以て冬至の日数を乗じ、満てば前に如く去き、以て之を減ず。立秋より小雪に至るまで均しく三日を減ず。夕平見、啓蟄の前に在る者は、六千三百九十を以て小雪の日数を乗ず。清明の後なる者は、六千二百九十を以て芒種の日数を乗じ、満てば前に如く去き、以て之を減ず。啓蟄より清明に至るまで均しく九日を減ず。処暑の前なる者は、六千二百九十を以て夏至の日数を乗じ;寒露の後なる者は、六千二百九十を以て大雪の日数を乗じ;以て之に加え、処暑より寒露に至るまで均しく九日を加う。初見伏は日を去ること各々十一度。
水星:晨平見、雨水の後、立夏の前に在る者は、応に見ゆべしと雖も見えず。啓蟄より雨水に至るまで、日を去ること十八度外、四十六度内に在り、晨に木・火・土・金の一星已上が有れば、見ゆ;無ければ見えず。立夏より小満に至るまで、日を去る度前に如く、晨に木・火・土・金の一星已上が有れば、見ゆ;無ければ亦見えず。霜降より小雪に至るまで一日を加え、冬至より小寒に至るまで四日を減じ、立春より雨水に至るまで三日を減ず。冬至の前は、一は三を去り、二は二を去り、三は一を去る。夕平見、処暑の後、霜降の前に在る者は、応に見ゆべしと雖も見えず。立秋より処暑に至るまで、夕に星有り、日を去ること前に如くすれば、見ゆ;無ければ亦見えず。霜降より立冬に至るまで、夕に星有り、日を去ること前に如くすれば、見ゆ;無ければ亦見えず。穀雨より夏至に至るまで、二日を減ず。初見伏は日を去ること各々十七度。
五星を行ずる法。
星の定見の前夜半の日の所在する宿度算及び分を置き、各々定見の日分を以てその分に加え、度法に満てば度に従う。又星の初見の日を去る度数を以て、晨は減じ、夕は加え、満てば前に如く去き、即ち星の初見の所在する度及び分なり。
次日を求む。各々一日に行く度及び分を加え、小分有る者は、各々日数を母と為し、小分その母に満てば分より去きて従い、分度法に満てば度に従う。その行に益疾・益遅有る者は、副えに一日行分を置き、各々その分を以て疾は益し遅は損ず。留する者は前に因り、退く者は則ち之を減じ、伏は度を注がず、順行して斗を出でばその分を去り、退行して斗に入れば先ず分を加う。訖りて、皆千四十を以て分を約し、大分と為し、四十一を以て母と為す。
木星:初めて見えるとき、順行し、一日に一万六百一十八分進み、一日ごとに六十分遅くなり、百十四日で十九度・一万三千八百三十二分進んで留となる。二十六日で退行に転じ、一日に六千一百一分進み、八十四日で十二度・八百四分退行する。また二十五日・三万七千六百十二分・小分四留まり、そして順行する。初日は一日に三千八百三十七分進み、一日ごとに六十分速くなり、百十四日で十九度・一万三千七百十八分進んで伏する。
土星:初めて見えるとき、順行し、一日に三千八百十四分進み、八十三日で七度・一万八千八十二分進んで留となる。三十八日で退行に転じ、一日に二千五百六十三分進み、百日で六度・四百六十分退行する。また三十七日・三千八百四十七分留まり、そして順行し、一日に三千八百十三分進み、八十三日で七度・一万七千九百九十九分進み、初めの如くにして伏する。
火星:初めて見えた後は、それぞれその法の如くする。
見えるのが雨水の前にあるときは、見えた日から小寒までの日数をもってし、小満の後にあるときは、大暑までの日数をもってする。これを三で割り、得た数を日数から減じて定日とする。雨水から小満までは、一律に二十日を減じて定日とする。これ以前は皆、前疾の日数および度数である。それぞれ冬至後の日数を計算し、損益を加えて、定日数および定度数とする。度法に定度を乗じ、定日で割って一を得れば、即ち平行一日分とし、余りは小分とする。大寒から立秋までは差行し、その余は平行する。処暑から白露までは、皆、定日・定度より六を減ずる。白露から寒露までは、初日は半度進み、四十日で二十度進み、余りの日数および余りの度数は前と同じく続く。日数を置き一を減じ、三十を乗じ、平行一日分を加えて、初日分とする。差行するものは、一日ごとに六十分遅くなり、それぞれその日数・度数を尽くして遅となる。初日は二万六百分進み、一日ごとに百分遅くなり、六十日で二十四度・三万五千六百四十分進む。前疾で度六を減じたものは、この遅の初日に四千二百六十四分を加え、六十日で三十度進み、分は同じである。そして留となる。十三日前に日を減じたものは、分・日を二留に分け、奇数の余りは後留に加える。そして退行し、一日に一万二千八十二分進み、六十日で十七度・四十分退行する。また留まり、十二日・三万九千四百六十六分。また順行し、遅となり、初日は一万四千七百分進み、一日ごとに百分速くなり、六十日で二十四度進み、分は前と同じである。この遅が立秋から秋分にあるときは一日を加え、行分四千二百六十四を加え、六十日で四十度進み、分は前と同じである。そして後疾となる。
後遅で六度を加えたものは、この後疾で度を減じて定度とし、これ以前は皆、後疾の日数および度数である。それが立夏から小暑にあるときは、一日に半度進み、六十日を尽くして三十度進む。小暑から立秋までは、四十日を尽くして二十度進む。余りの日数および度数の計算は、前の法に従う。前の法は皆、平行である。行分を求めることも前の如くする。それぞれその日数・度数を尽くして伏する。
金星:朝に初めて見え、そして退行し、一日に半度進み、十日で五度退行して留となる。九日で順行に転じ、遅となり、差行し、先ず遅く一日ごとに五百分速くなり、四十日で三十度進む。小暑の前は、芒種までの日数をもってし、十日ごとに一度減ずる。立冬の後は、大雪までの日数をもってし、十日ごとに一度減ずる。小暑から立冬までは、一律に三度を減じて定度とする。大雪から芒種までは加減しない。初日を求めるには、三十に度法を乗じ、四十で割って一を得て平分とする。また三十九に二百五十を乗じ、これを平分から減じて初日行分とする。平行し、一日に一度進み、十五日で十五度進む。小寒の後十日ごとに、日数・度数を各々一ずつ増し、雨水に至って二十一日で二十一度進む。春分の後十日ごとに一ずつ減じ、小満に至って再び十五日で十五度進む。その後六日ごとに一ずつ減じ、処暑に至って、日数および度数は皆尽きる。霜降の後、四日ごとに一ずつ増し、冬至に至って再び十五日で十五度進む。疾となり、百七十日で二百四度進む。前の順遅で度を減じたものは、減じた数を計算してこの度に加えて定度とする。一日の行度分を求めるには、百七十日で一度を以て定度から減じ、余りに度法を乗じ、百七十で割って一を得て、一日の平行度分とする。朝、東方に伏する。夕に初めて見え、順行し、疾となり、百七十日で二百四度進む。夏至の前は、見えた日から小満までの日数をもってし、六日ごとに一度加える。小暑の後は、立秋までの日数をもってし、六日ごとに一度加える。夏至から小暑までは一律に五度を加えて定度とする。白露から清明までは差行し、先ず疾く一日ごとに百分遅くなる。清明から白露までは平行する。一日の平行を求めることは朝の疾と同じである。差行を求めるには、五十に百六十九を乗じ、これを加えて初日行度分とする。平行し、一日に一度進み、十五日で十五度進む。冬至の後十日ごとに日数・度数を各々一ずつ減じ、啓蟄に至って九日で九度進む。夏至の後五日ごとに一ずつ増し、大暑に至って再び十五日で十五度進む。立秋の後六日ごとに一ずつ増し、寒露に至って二十五日で二十五度進む。その後六日ごとに一ずつ減じ、大雪に至って再び十五日で十五度進む。冬至に至るまで一律である。順行し、遅となり、差行し、先ず疾く一日ごとに五百分速くなり、四十日で三十度進む。前に度を加えたものは、ここでその数に従って減ずる。初日行分を求めることは、朝の遅と同じである。ただ減ずるものを加える点が異なる。また留まり、九日で退行に転じ、一日に半度進み、十日で五度退行し、そして夕、西方に伏する。
水星:朝に初めて見え、六日留まる。順行し、遅となり、一日に一万六百六十分進み、四日で一度進む。大寒から雨水まではこの遅行を要しない。平行し、一日に一度進み、十日で十度進む。大寒の後二日ごとに、日数・度数を各々一ずつ減じ、二十日を尽くして、日数および度数は共に尽きる。疾となり、一日に一度・三万八千三百七十六分進み、十日で十九度進む。前に遅行がないものは、この分より一万二千七百九十二分を減じ、十日で十六度進む。朝、東方に伏する。夕に初めて見え、順行し、疾となり、一日に一度・三万八千三百七十六分進み、十日で十九度進む。小暑から白露までは一万二千七百九十二分を減じ、十日で十六度進む。平行し、一日に一度進み、十日で十度進む。大暑の後二日ごとに、日数・度数を各々一ずつ減じ、二十日を尽くして、日数および度数は共に尽きる。遅となり、一日に一万六百六十分進み、四日で一度進む。疾で一万二千七百九十二分を減じたものは、この遅を要しない。また六日留まり、夕、西方に伏する。
交会を推す術:
会通、千六十四万六千七百二十九。
朔差、九十万七千五十七。
望差、四十五万三千五百二十八半。
単数、五百三十二万三千三百六十四半。
時法、三万二千六百四。
望数、五百七十七万六千八百九十三。
外限、四百八十六万九千八百三十六。
内限は、千一十九万三千二百半。
中限は、五百六十四万九千四百四半。
次限は、千三十二万六百八十九。
推入交法:
会通を以て積月を去き、余りを朔望差に乗じ、満会通して又これを去き、余りを求めし年天正朔入交余と為す。
望を求むるには、望数をこれに加え、満ちれば、前に如く去く。
次月を求むるには、朔差を以てこれに加え、満ちれば、前に如く去く。
推交道内外及先後去交術:
その朔望が啓蟄の前にあるは、一千三百八十を以て去小寒の日数を乗ず;穀雨の後にあるは、去芒種の日数を乗じ、気差と為して以てこれに加え、啓蟄より穀雨に至るまで均しく六万三千六百を加う;満会通してこれを去き、余りを定余と為す。その小寒より春分、立夏より芒種に至るまで、朔が盈二時已下に値すれば、皆気差を半にしてこれを加え;二時已上は、皆加えず。朔入交余が望差・望数已下、中限已上に如く、星伏あり、木・土は見を去ること十日外、火は見を去ること四十日外、金は晨伏見を去ること二十二日外。一星ある者は気差を加えず。朔望が白露の前にあるは、九百を以て去小暑の日数を乗ず;立冬の後にあるは、一千七百七十を以て去大雪の日数を乗じ、以てこれを減ず;白露より立冬に至るまで均しく五万五千を減じ、減ずるに足らざれば、会通を加えて乃ちこれを減じ、余りを定余と為す。朔入交余が外限・内限已上、単数次限已下に如く、星伏あり、前に如き者は、気差を減ぜず。定余が単数に満たざれば、外にあると為す;満てばこれを去き、余りは内にある。その余りが望差已下・外限已上に如くば、望は則ち月食す;内にある者は、朔は則ち日食す。その余りが望差已下に如くば、即ち去先交余と為す;外限已上に如くば、以て単数を減じ、余りを去後交余と為す。時法にて一を得、然る後に去交時数と為す。
推月食加時術:
食定日小余を置き、これを三倍し、辰法にて一辰を得、子を以て命じ算外とし、即ち所在の辰と為す。尽きざるを時余と為し、これを四倍し、法にて、得る所無きを辰初と為し、一を少と為し、二を半と為し、三を太と為す。又尽きざる者は、これを三倍し、法にて、一を得て強と為し、以て少に並べて少強と為し、半に並べて半強と為し、太に並べて太強と為す;二強を得る者は少弱と為し、少に並べて半弱と為し、半に並べて太弱と為し、太に並べて辰末と為す。この加時は食時に月在沖なるを謂う。
推日食加時術:
食定日小余を置く。秋三月、内道、去交八時已上は、二十四を加え、十二時已上は四十八を加う;春三月、内道、去交七時已上は、二十四を加う。乃ちこれを三倍し、辰法にて一辰を得、以て子を命じ算外とし、即ち所在の辰と為す。尽きざるを時余と為す。副に時余を置き、仲辰は半辰に満たざれば、半辰を減じ、已上は半辰を去く;季辰は直に半辰を加う;孟辰は辰法を減じ、余りに半辰を加えて差率と為す。
又、去交時数を置き、三已下は三を加え、六已下は二を加え、九已下は一を加え、九已上は数に依り、十二已上は十二に従う;以て差率を乗じ、十四にて一を得て時差と為す。子半より卯半・午半より酉半は、以て時余に加え;卯半より午半・酉半より子半は、以て時余を減ず。これを加え、辰法に満てばこれを去き、一辰を進め、これを減ずるに若し足らざれば、一辰を退け、余りを定時余と為す。乃ち月食法の如く、子午卯酉を仲と為し、辰戌丑未を季と為し、寅申巳亥を孟と為す。日出前入後各二時外は、日食を注せず。気時法を三乗して一を得、子を命じ算外として時と為す。
求外道日食法:
去交一時以內の者は、食す。夏に去交二時以內、加時が南方三辰にある者は、食す。若し分至を去ること十二時以內、去交六時以內の者も、亦食す。若し春分を去ること三日以內、後交二時以內、秋分三日以內、先交二時以內の者も、亦食す。先交二時以內、盈二時外に値し、及び後交二時以內、縮二時外に値するも、亦食す。諸の去交三時以內、星伏すること前の如き者は、食す。
内道の日不食の法を求む。
加時南方三辰、五月朔先交十三時外、六月朔後交十三時外は、食せず。啓蟄より穀雨に至るまで、先交十三時外、縮に値し加時未以西にある者は、食せず。処暑より霜降に至るまで、後交十三時外、盈に値し加時巳以東にある者は、食せず。
月食分を求む。
春後交・秋先交・冬後交は、皆不食餘を去ること一時、去るに足らざる者は、食既なり。餘を以て三萬二百三十五を法とし、一を得るを不食分と為す。盡きざる者は、半法已上は半強と為し、已下は半弱と為し、以て十五を減じ、餘を食分と為す。
日食分の術を推す。
秋分以前にある者は、夏至を去る日数を以て二千を乗じ、以て去交餘を減じ、餘を不食餘と為す。減するに足らざる者は、反って十八萬四千を減じ、餘を不食餘と為す。亦望差を減じて定法と為す。其の後交縮に値するは、並びに望差を減ぜず、直ちに望差を以て定法と為す。啓蟄以後にある者は、夏至を去る日数を以て千五百を乗じて之を減ず。秋分より啓蟄に至るまで、均しく十八萬四千を減ず。減するに足らざる者は、前に如し。大寒より小満に至るまで、後交を去ること五時外は、皆不食餘を去ること一時なり。時差減ずる者は、先交には之を減じ、後交には之を加ふ。減するに足らざる者は食既なり。加に値するは、先交には之を加へ、後交には之を減ず。減するに足らざる者は食す。
所起を求む。内道西北は、東北を虧く。外道西南は、東南を虧く。十三分以上は、正に左より起る。虧くは皆甚時の據り、月は則ち行上より起る。
日出入の所在の術を求む。
入る所の気の辰刻及び分と、後気の辰刻及び分とを相減じ、餘に入気日算を乗じ、十五にて一を得、以て入る所の気を損益し、刻及び分に依りて定刻と為す。