冬十月、大迭烈府夷離堇を授けられた。
明年秋七月、兵四十万を以て河東代北を伐ち、九郡を攻め下し、生口九万五千を獲、駱駝、馬、牛、羊は数え切れなかった。
九月、潢河の南に龍化州を築城し、初めて開教寺を建立した。
明年春、女直を伐ち、これを下し、その戸三百を獲た。
九月、再び河東の懐遠等軍を攻め下した。
冬十月、軍を率いて略奪し薊北に至り、俘獲して還った。先に徳祖が奚七千戸を俘虜とし、饒楽の清河に移したが、この時に至り奚迭剌部を創設し、十三県に分けた。遂に太祖を于越、総知軍国事に拝した。
天復四年
明年歳は甲子、三月、龍化州の東城を広げた。
九月、黒車子室韋を討つ。唐の盧龍軍節度使劉仁恭は兵数万を発し、養子趙霸を遣わして来拒せしむ。霸、武州に至る。太祖、これを諜知し、勁兵を桃山の下に伏せしむ。室韋人牟里を遣わし、その酋長の遣わす所と詐称し、霸の兵と平原に会するを約す。既に至るや、四面の伏兵発し、霸を擒え、その衆を殲滅す。勝に乗じて大いに室韋を破る。
明年七月、また黒車子室韋を討つ。唐の河東節度使李克用、通事康令徳を遣わし盟を乞う。
冬十月、太祖、騎兵七万を以て雲州に於いて克用と会す。宴酣にして、克用、兵を借りて劉仁恭の木瓜澗の役に報ぜんとす。太祖、これを許す。袍馬を易え、兄弟と為るを約す。及び兵を進めて仁恭を撃ち、数州を抜き、その民を尽く徙して帰る。
明年二月、また劉仁恭を撃つ。還りて、山北奚を襲い、これを破る。汴州の朱全忠、人を遣わし海を浮かべて書幣・衣帯・珍玩を奉り来聘す。
十一月、偏師を遣わし奚・霫諸部及び東北女直の未だ附かざる者を討ち、悉くこれを破り降す。
十二月、痕徳堇可汗殂す。群臣、遺命を奉りて太祖を立てんことを請う。曷魯等進むを勧む。太祖三たび譲り、これに従う。
二月戊午、従弟迭栗底を以て迭烈府夷離堇と為す。是の月、黒車子室韋を征し、その八部を降す。
夏四月丁未朔、唐の梁王朱全忠、その主を廃し、尋ねてこれを弑し、自ら立ちて帝と為り、国号を梁とす。使いを遣わし来告す。劉仁恭の子守光、その父を囚え、自ら幽州盧龍軍節度使と称す。
秋七月乙酉、その兄平州刺史守奇、その衆数千人を率いて来降す。命じてこれを平盧城に置く。
冬十月乙巳、黒車子室韋を討ち、これを破る。
夏五月癸酉、詔して撒剌に烏丸・黒車子室韋を討たしむ。
秋八月壬子、幽州より合歓瓜を進む。
冬十月己亥朔、明王楼を建つ。鎮東海口に長城を築く。軽兵を遣わして吐渾より叛きて室韋に入る者を取らしむ。
二月丁酉朔、梁、郎公遠を遣わして来聘す。
三月、滄州節度使劉守文、弟の守光に攻められ、人を遣わして兵を乞い之を討たんことを請う。命じて皇弟舍利素・夷離堇蕭敵魯に兵を以て守文と北淖口に会せしむ。進みて横海軍の澱に近づき、一鼓して之を破り、守光潰走す。因りて北淖口を会盟口と名づく。
夏四月乙卯、詔して左僕射韓知古に龍化州大広寺に碑を建てて功德を紀せしむ。
五月甲申、羊城を炭山の北に置きて市易を通ぜしむ。
冬十月己巳、鷹軍を遣わして黒車子室韋を討ち、之を破る。西北の嗢娘改部族、挽車人を進む。
四年
四年秋七月戊子朔、后の兄蕭敵魯を以て北府宰相と為す。后族の相と為るは此より始まる。
冬十月、烏馬山奚の庫支及び査剌底・鋤勃德等叛く、之を討ち平らぐ。
五年
五年春正月丙戌の朔、日食あり。丙申、上みずから西部奚を征す。奚は険阻に拠り、叛服常ならず、数たび招諭すれども聴かず。この役、向かうところ輒ち下り、遂に兵を分かちて東部奚を討ち、またこれを平らぐ。ここに於て奚・霫の地を尽く有つ。東は海に際し、南は白檀に及び、西は松漠、北は潢水に抵る。凡そ五部、ことごとく版籍に入る。
三月、灤河に次り、石に刻して功を紀す。また薊州に地を略す。
夏四月壬申、人を遣わして梁に使わす。
五月、皇弟の剌葛・迭剌・寅底石・安端、謀反す。安端の妻粘睦姑これを知り、告げて実を得たり。上は誅を加うるに忍びず、乃ち諸弟と山に登り牲を刑し、天地に告げて誓いを為し、その罪を赦す。剌葛を出して迭剌部の夷離堇と為し、粘睦姑を封じて晉國夫人と為す。
秋七月壬午の朔、斜離底及び諸蕃の使い来たり貢ぐ。
八月甲子、劉守光幽州に僭号し、燕と称す。
冬十月戊午、鉄冶を置く。
十一月壬午、人を遣わして梁に使わす。
六年
六年春正月、化葛を以て惕隱と為す。
二月戊午、みずから劉守光を征す。
三月、幽州より至る。
夏四月、梁の郢王友珪、父を弑し自立す。
秋七月丙午、みずから朮不姑を征し、これを降す。俘獲数万を以て計う。弟の剌葛に命じ兵を分かちて平州を攻めしむ。
八月壬辰、上恩徳山に次る。皇子の李胡生まる。
冬十月戊寅、剌葛は平州を破り、還り、復た迭剌・寅底石・安端等とともに反す。甲申、人を遣わして梁に使いし、祭を致す。壬辰、還りて北阿魯山に次ぐ。諸弟が兵をもって道を阻むと聞き、軍を引きて南に趨り十七濼に至る。この日、柴を燔く。翌日、七渡河に次ぐ。諸弟各々人を遣わして謝罪す。上は猶いまだ矜み憐れみ、自新を許す。
この歳、兵をもって両冶を討ち、獲たる所の僧崇文等五十人を西楼に帰し、天雄寺を建ててこれに居らしめ、以て天の雄武を助くるを示す。
七年
七年春正月甲辰朔、用兵のため朝を免ず。晉王李存勗、幽州を抜き、劉守光を擒う。甲寅、王師、赤水城に次ぐ。弟剌葛等、降を乞う。上、素服を着し、赭白馬に乗じ、将軍耶律楽姑・轄剌僅阿缽を以て御と為し、兵器を解き、侍衛を粛めて以てこれを受け、因りて慰諭を加う。剌葛等引き退く。上、復た数たび使を遣わして撫慰す。
二月甲戌朔、梁均王友貞、その兄友珪を討ち殺し、嗣ぎて立つ。
三月癸丑、蘆水に次ぐ。弟迭剌哥、奚王たらんと図り、安端とともに千余騎を擁して至り、紿りて入覲すと称す。上怒りて曰く、「爾曹始め逆乱を謀り、朕特にこれを恕し、過ちを改め自新せしむ。なお爾くのごとく反覆し、将に朕に利あらざらんとす」と。遂にこれを拘う。以てその部を分ち諸軍に隷す。而して剌葛、その衆を引きて乙室堇澱に至り、天子の旗鼓を具え、将に自立せんとす。皇太后、陰に人を遣わして避け去らしむるを諭す。会に弭姑乃・懐里、陽に車駕且に至らんと言う。その衆驚き潰え、居民を掠って北に走る。上、兵をもってこれを追う。剌葛、その党寅底石を遣わし、兵を引きて径ちに行宮に趨らしめ、その輜重・廬帳を焚き、兵を放って大いに殺す。皇后急ぎ蜀古魯を遣わしてこれを救わしむ。僅かに天子の旗鼓を得るのみ。その党神速姑、復た西楼を劫い、明王楼を焚く。上、土河に至り、馬に秣し兵を休め、若し意と為さざるがごとし。諸将、急ぎこれを追わんことを請う。上曰く、「その遠く遁るるを俟てば、人各々土を懐かん。土を懐くこと既に切なれば、その心必ず離る。我が軍これに乗ずれば、これを破ること必せり」と。尽く先に獲たる所の資畜を以て将士に分ち賜い、夷離畢直里姑を留めて政務を総せしむ。
夏四月戊寅、北に剌葛を追う。己卯、彌里に次ぎ、諸弟が木葉山に面して鬼箭を射て厭禳するを問う。乃ち叛人解里を執りて彼に向かい、亦たその法を以てこれを厭う。達里澱に至り、軽騎を選びて培只河に追い及び、その党の輜重・生口を尽く獲る。先に室韋及び吐渾の酋長抜剌・迪里姑等五人を遣わし、兵を分けてその前路に伏せしむ。北宰相迪里古を命じて先鋒と為し、進みてこれを撃たしむ。剌葛、兵を率いて逆らい戦う。迪里古、軽兵を以てこれに迫る。その弟遏古只、陣に臨み、数十人を射て斃す。衆敢えて前に進まず。相拒すること晡に至り、衆乃ち潰ゆ。柴河に追い至り、遂に自らその車乗廬帳を焚きて去る。前に抜剌・迪里姑等の伏兵発ち、合い撃ちて、遂にこれを大いに敗る。剌葛奔り潰え、奪いし所の神帳を路に遺す。上これを見て拝み奠む。獲たる所の生口は尽く帰して本土に放つ。その党庫古只・磨朵、皆な面を縛して罪を請う。師、札堵河に次ぐ。大雨暴漲す。
五月癸丑、北宰相迪輦を遣わし、驍騎を率いて先に渡らしむ。甲寅、剌葛・涅里袞阿缽を榆河に擒うるを奏す。前北宰相蕭実魯・寅底石、自ら剄すも殊ならず。遂に黒白羊を以て天地に祭る。壬戌、剌葛・涅里袞阿缽、行在に詣り、稿索を以て自ら縛り、羊を牽きて望み拝す。上、還りて大嶺に至る。時に大軍久しく出で、輜重相属かず。士卒馬駒を煮、野菜を采りて以て食と為す。孳畜、道に斃る者十の七八。物価十倍す。器服資貨、楚里河に委棄し、狼藉数百里。因りて剌葛の名を更めて暴里と為す。丙寅、庫里に至り、青牛白馬を以て天地に祭る。生口六百・馬二千三百を以て大・小鶻軍に分ち賜う。
六月辛巳、榆嶺に至り、轄頼県人掃古が法に非ずして民を残すを以て、これを磔く。甲申、上、都庵山に登り、その先奇首可汗の遺跡を撫で、徘徊顧み瞻みて歎きを興す。獄官涅離が擅に大校を造り、人のその苦しみに堪えず、死に至る者有るを聞き、命じてこれを誅す。壬辰、狼河に次ぎ、逆党雅里・彌里を獲て、生埋めに銅河南軌の下にす。俘えし所を放ちて還らしむ。多くは于骨里に掠わる。上怒り、軽騎を引きて馳せ撃つ。復た驍将を遣わし、道を分けて追襲せしめ、その衆並びに掠めし者を尽く獲る。庚子、阿敦濼に次ぎ、養子涅里思が諸弟に附きて叛くを以て、鬼箭を以て射殺す。その余党六千、各々軽重を以て刑を論ず。於厥、生口を掠むる者三十余人、亦たその罪を贖わしめ、帰して本部に放つ。石嶺西に至り、詔して回収せしむ、軍の食乏みし所の棄てし兵仗を。北府兵を召して験してこれを還す。夷離堇涅裏袞が諸弟に附きて叛を為すを以て、顕戮に忍びず、命じて自ら崖に投じて死なしむ。
秋八月己卯、龍眉宮に幸す。逆党二十九人を轘し、その妻女を以て有功の将校に賜い、掠めし珍宝・孳畜は主に還す。その本物を亡うる者は、命じてその家に償いを責む。償うこと能わざる者は、その部曲を以て賜う。
九月壬戌、上、西楼より発つ。
冬十月庚午、赤崖に駐まる。戊寅、和州回鶻来り貢す。癸未、乙室府の人迪里古・迷骨離部の人特里、従逆を以て誅さる。詔して群臣に分ちて滞訟を決せしめ、韓知古を以てその事を録せしめ、只里姑に捕亡を掌らしむ。
十一月、木葉山に祠る。還りて昭烏山に次ぎ、風俗を省み、高年を見、朝政を議し、吉凶の儀を定む。
十二月戊子、蓮花濼にて柴を燔く。
八年
八年春正月甲辰、曷魯を以て迭剌部の夷離堇と為し、忽烈を惕隱と為す。于骨里部の人特離敏、逆党の怖胡・亜里只等十七人を執り来たりて献ず。上親しく之を鞫く。辞多く宗室に連なり及び脅従する者有り。乃ち杖を以て首悪の怖胡を殺し、余は並びに原みて釈す。于越率懶の子化哥、屡奸謀を蓄ふ。上毎に之を優容す。而して反覆して悛まざるを以て、父老群臣を召して其の罪を正し、並びに其の子を戮し、其の財を分ちて以て衛士に給す。有司の鞫く所の逆党三百余人、獄既に具はる。上人命の至重なるを以て、死して復た生ぜず、宴を賜ふこと一日、其の平生の好に随ひて、之を為さしむ。酒酣なるや、或いは歌ひ、或いは舞ひ、或いは戯射し、角觝し、各其の意を極む。明日、乃ち軽重を以て刑を論ず。首悪の剌葛、其の次迭剌哥、上猶ほ之を弟とし、法を置くに忍びず、杖して之を釈す。寅底石・安端の性本庸弱なるを以て、剌葛に使はるる所と為り、皆其の罪を釈す。前于越赫底里の子解里・剌葛の妻轄剌已は実に逆謀に預かる。命じて皆絞殺せしむ。寅底石の妻涅離は脅従し、安端の妻粘睦姑は嘗て忠告有り、並びに免ず。因りて左右に謂ひて曰く、「諸弟の性は敏黠なれども、而して奸を蓄へ悪を稔らす。嘗て自ら矜りて人に超えたる智有りとし、安んじて凶狠を忍び、渓壑は塞ぐ可くして貪黷は厭ふこと無し。人の失を求め、小なりと雖も而も恕す可きを、泰山の如く重しと謂ひ、身行ひて不義なるを、大悪に入ると雖も、鴻毛より軽しと謂ふ。群小に昵比し、謀を婦人に及び、悪を同じくして相ひ済け、以て国祚を危うくす。敗れざらんと欲すと雖も、其れ得可けんや。北宰相実魯の妻餘盧覩姑は国に至親たり。一旦朕に背き、叛逆に従ふ。法を置くに至らずして病死す。此れ天誅なり。解里は幼より朕と常に同しく寝食し、眷遇の厚きこと、宗属に冠たり。亦其の父と大恩を背きて不軌に従ふ。茲れ恕す可けんや」と。
秋七月丙申朔、有司諸帳族と謀逆に与る者三百余人の罪状を上る。皆棄市す。上歎いて曰く、「人を致して死せしむるは、豈朕の欲する所ぞ。若し止だ朕躬に負くのみならば、尚ほ容赦す可し。此曹恣に行ひて道無く、忠良を残害し、生民を塗炭にし、財産を剽掠す。民間昔万馬有りしも、今皆徒歩す。国を有つ以来未だ嘗て有らざる所なり。実に已むを得ずして之を誅す」と。
冬十月甲子朔、開皇殿を明王楼の基に建つ。
九年春正月、烏古部叛く。討ちて平げ之。
夏六月、幽州の軍校斉行本其の族及び其の部曲男女三千人を挙げて降を請ふ。詔して検校尚書・左僕射を授け、名を兀欲と賜ひ、其の廩食を給す。数日にして亡去す。幽帥周徳威之を納る。及び詔して之を索むるに、徳威語遜らず。乃ち南征を議す。
冬十月戊申、鴨淥江にて鈎魚す。新羅使いを遣わし方物を貢す。高麗使いを遣わし宝剣を進む。呉越王銭鏐滕彦休を遣わし来たりて貢す。
是歳、君基太一神数見ゆ。詔して其の像を図せしむ。
三月丙辰、迭烈部夷離堇曷魯を以て阿廬朵里于越と為し、百僚進秩し、頒賚差有り、酺を賜ふこと三日。子倍を立てて皇太子と為す。
夏四月乙酉朔、晋の幽州節度使盧国用来たりて降る。以て幽州兵馬留後と為す。甲辰、梁郎公遠を遣わし来たりて賀す。
六月庚寅、呉越王滕彦休を遣わし来たりて貢す。
秋七月壬申、親しく突厥・吐渾・党項・小蕃・沙陀諸部を征す。皆之を平ぐ。其の酋長及び其の戸万五千六百を俘へ、鎧甲・兵仗・器服九十余万、宝貨・駝馬・牛羊算ふるに勝へず。
八月、朔州を抜き、節度使李嗣本を擒ふ。石を勒して功を青塚の南に紀す。
冬十月癸未朔、勝に乗じて東す。
十一月、蔚州・新州・武州・媯州・儒州の五州を攻め、斬首一万四千七百余級に及んだ。代北より河曲に至り陰山を越え、その地をことごとく領有した。ここに武州を帰化州と改め、媯州を可汗州と改め、西南面招討司を設置し、功績ある者を選んでこれを統領させた。蔚州を包囲したとき、敵楼が故なくして自ら崩壊し、諸軍は大いに喚起してこれに乗じ、時を移さずして陥落させた。時に梁及び呉越の二国の使者がともに居合わせたので、詔して城を巡らせてこれを見せ、これにより滕彦休に述呂の名を賜った。
十二月、山北八軍を収めた。
三月辛亥、幽州を攻めた。節度使周徳威が幽・并・鎮・定・魏の五州の兵を率いて居庸関の西で防ぎ、新州の東で合戦し、これを大いに破り、斬首三万余級、李嗣恩の子武八を殺した。后の弟阿骨只を統軍とし、実魯を先鋒として、東に関を出て燕・趙を攻略させたが、敵に遇わずして還った。己未、于骨里が叛いたので、室魯に命じて兵を以てこれを討たせた。
夏四月壬午、幽州を包囲したが、陥落させられなかった。
六月乙巳、城中に煙火の如き気を見た。上曰く、「未だ攻むべからず」と。大暑と霖潦のため、軍を返した。曷魯と盧国用を留めてこれを守らせた。剌葛とその子賽保里が叛いて幽州に入った。
秋八月、李存勗が李嗣源らを遣わして幽州を救援したので、曷魯らは兵少なきを以て還った。
二月、達旦国が来聘した。癸亥、皇都を築城し、礼部尚書康黙記を版築使に充てた。梁が使者を遣わして来聘した。晋・呉越・渤海・高麗・回鶻・阻卜・党項及び幽・鎮・定・魏・潞等の州が各々使者を遣わして来貢した。
夏四月乙巳、皇弟迭烈哥が謀叛を企てたが、事が発覚し、罪有って誅さるべきを知り、あらかじめ墓穴を営んだ。諸戚が赦免を請うた。上は平素よりその弟寅底石の妻涅里袞を憎んでいたので、乃ち曰く、「涅里袞がその死に代わることができれば、従おう」と。涅里袞は墓穴の中で自縊し、併せて奴婢の女古と叛人曷魯只を生き埋めにした。ここに迭烈哥を赦した。
五月乙亥、詔して孔子廟・仏寺・道観を建立せしめた。
秋七月乙酉、于越曷魯薨じた。上は震悼すること久しく、朝を三日間停め、贈賻を加えた。
冬十二月庚子朔、遼陽故城に幸した。辛丑、北府宰相蕭敵魯薨じた。戊午、于越曷魯の弟汚里軫を迭烈部夷離堇とし、蕭阿古只を北府宰相とした。甲子、皇孫隈欲生まれた。