新五代史

巻第三

末帝は、太祖の第三子の友貞である。「末」は諡号ではなく、その本来の呼称に従う。人となりは容貌美しく、沈着で温厚、寡言であり、儒士を好んだ。太祖が即位すると、均王に封ぜられ、左天興軍使・東京馬歩軍都指揮使となった。

乾化二年

乾化二年六月、太祖がしいしいぎゃくに遭い、友珪が自立し、博王友文を殺し、帝を弑した罪を友文に帰した。王を東京留守・開封尹とし、敬翔を中書侍郎・同中書門下平章事とし、戸部尚書李振を崇政院使とした。

乾化三年

翌年、友珪は元号を鳳暦と改めた。

二月、駙馬都尉趙巖が東都に至り、王は密かに彼と謀り、馬慎交を魏州に遣わし、楊師厚に会って事を計らせた。師厚は小校の王舜賢を洛陽らくように遣わし、左龍虎統軍の袁象先に告げて賊を討たせた。この時、懐州の龍驤屯兵が叛き、ちょうどこれを捕索していたが、王は偽って友珪の詔書を作り、東都にいる左右龍驤の兵を皆洛陽に還すよう命じ、それによって彼らを激怒させて言った、「天子は懐州の屯兵が叛いたので、汝らを追及して皆坑に埋めようとしている」。諸将は皆泣き、どうすべきか分からなかった。王は言った、「先皇帝は王業を営み三十余年、今日なお友珪に殺された。汝らはどこに逃れて死を免れようか」。そこで太祖の画像を取り出して諸将に示し、泣いて言った、「汝らが洛陽に急行して逆賊を擒らえれば、禍を転じて福となろう」。軍士は皆万歳を唱え、王を主と請うた。王はそこで人を遣わして象先らを急がせた。庚寅、象先らは禁兵をもって賊を討ち、友珪は死に、杜曉は殺された。象先は趙巖に伝国璽を持たせて東都に至らせ、王に洛陽に入るよう請うた。王は答えて言った、「夷門は、太祖が王業を興した所以の地である。北はへい汾に拒ぎ、東は淮海に至り、国家の藩鎮は多く東方にある。将を命じ師を出すには、便近が利である」。この月、皇帝は東都において即位した。即位の大事にしてその日を失い、「是月」と書くのは、乱の甚だしいことを見せる。「於東都」は、上文を終えるためである。再び乾化三年と称し、博王友文の官爵を復した。

三月丁未、名を鍠と改めた。夏五月、楊師厚が滄州を取った。

秋九月甲辰、御史大夫姚洎を中書侍郎・同中書門下平章事とした。

冬十二月、晋人が幽州を取った。

乾化四年

四年夏四月丁丑、于兢を萊州司馬に貶した。武寧軍節度使蔣殷が反し、天平軍節度使牛存節がこれを討った。

貞明元年

貞明元年春正月、存節徐州を克つ。

三月丁卯、趙光逢罷む。平盧軍節度使賀德倫を天雄軍節度使と為す。相・澶・えいの三州を分けて昭徳軍と為し、宣徽使張筠を節度使と為す。己丑、天雄軍乱る。賀德倫叛きて晋に附く。邠州の李保衡岐に叛き、来たりて附く。

夏六月庚寅朔、晋王李存勗魏州に入り、遂に德州を取る。

冬十月辛亥、康王友孜反し、伏誅せらる。

十一月乙丑、元を改む。耀州の温昭図岐に叛き、来たりて附く。是の歳、名を瑱と改む。

貞明二年

二年春二月丙申、楊涉罷む。

三月、鎮南軍節度使劉鄩晋人と故元城に戦い、敗績し、滑州に奔る。晋人衛州・惠州を取る。捉生都將李反し、伏誅せらる。

夏六月、捉生都將張温叛きて晋に降る。

秋七月、晋人相州を取り、張筠京師に奔る。安国軍節度使閻宝叛きて晋に附く。

八月丁酉、太子太保致仕の趙光逢を司空しくう兼門下侍郎・同中書門下平章事と為す。

九月、晋人滄州を取り、横海軍節度使戴思遠京師に奔る。晋人貝州を克ち、守將張源德之に死す。

冬十月丁酉、中書侍郎鄭珏を同中書門下平章事と為す。

貞明三年

三年夏四月辛卯、右千牛衞大將軍劉璩をして契丹に使わしむ。

冬十二月、宣義軍節度使賀瓌を北面行營招討使と為す。己巳、西都に如きて郊を卜す。晉人楊劉を取る。

貞明四年

四年正月、郊を克さず、己卯、西都より至る。

夏四月己酉、尚書吏部侍郎蕭頃を中書侍郎・同中書門下平章事と為す。己巳、趙光逢罷む。

冬十二月庚子朔、賀瓌其の將謝彥章・孟審澄・侯溫裕を殺す。癸亥、瓌及び晉人と胡柳に戰ひ、敗績す。是歲、泰寧軍節度使張守進叛きて晉に附く、亳州團練使劉鄩を兗州安撫制置使と為して之を討たしむ。

貞明五年

五年春正月、晉軍す德勝に。

秋八月乙未朔、開封尹王瓚を北面行營招討使と為す。

冬十月、劉鄩兗州を克ち、張守進誅せらる。

十二月、晉人濮陽を取る。天平軍節度使霍彥威を北面行營招討使と為す。

貞明六年

六年夏四月己亥、死罪以下の囚を降す。乙巳、尚書左丞李琪を中書侍郎・同中書門下平章事と為す。河中節度使朱友謙同州を襲ひ、其の節度使程全暉を殺し、叛きて晉に附く、泰寧軍節度使劉鄩之を討つ。

秋七月、陳州妖賊毋乙自ら天子と稱す。九月庚寅、供奉官郎公遠を契丹歡好使と為す。

冬十月、毋乙誅せらる。

龍德元年

龍徳元年春、趙の将張文礼、其の君鎔を殺して来たりて師を乞うも、許さず。

三月丁亥朔、私度の僧尼を禁ず。陳州刺史恵王友能、反す。

夏五月丙戌朔、徳音を下し元を改め、流罪以下の囚を降す。

秋、友能を赦し、降封して房陵侯とす。天平軍節度使戴思遠を北面行営招討使とす。

冬十月、思遠、晋人と戚城に戦い、敗績す。

龍徳二年

二年春正月、思遠、魏州を襲い、成安を取る。

秋八月、滑州兵馬留後段凝、衞州を攻め、其の刺史李存儒を執る。戴思遠、淇門・共城・新郷を克つ。

龍徳三年

三年春三月、潞州の李継韜、晋に叛き、来たりて附く。夏閏四月、唐人、鄆州を取る。

五月庚申、宣義軍節度使王彦章を北面行営招討使とし、徳勝南城を取る。

秋八月、段凝を北面行営招討使とす。先鋒将康延孝、叛き唐に降る。冬十月甲戌、宣義軍節度使王彦章、唐人と中都に戦い、敗績し、之に死す。唐人、曹州を取る。盗、伝国宝を窃みて唐に奔る。戊寅、皇帝崩ず。梁亡ぶ。