宋書
列伝第五十
明帝には十二人の子がいた。陳貴妃が後廃帝を生んだ。謝修儀が皇子法良を生んだ。陳昭華が順帝を生んだ。徐婕妤が第四皇子を生んだ。鄭修容が皇子智井を生んだ。次は晋熙王 劉燮 で、皇子法良と同母である。泉美人が邵陵殤王 劉友 を生んだ。次は江夏王 劉躋 で、第四皇子と同母である。徐良人が武陵王 劉賛 を生んだ。杜修華が随陽王 劉翽 を生んだ。次は新興王 劉嵩 で、武陵王劉賛と同母である。また泉美人が始建王 劉禧 を生んだ。智井、燮、躋、賛はみな他家へ養子に出された。法良は封を受けず、第四皇子は名がなく、早世した。
邵陵殤王劉友は字を仲賢といい、明帝の第七子である。
後廃帝の元徽二年、 太尉 ・江州 刺史 の桂陽王 劉休範 が反乱を起こして誅殺され、皇室が弱体化した。劉友は五歳で、使持節・ 都督 江州 豫 州の西陽・新蔡・晋熙三郡諸軍事・南中郎将・江州 刺史 として出され、邵陵王に封ぜられ、食邑二千戸を与えられた。府州の文書や臣下・官吏は「有無」の「有」の字を 避 しなかった。順帝が即位すると、左将軍に進号し、督を 都督 に改めた。昇明二年、 都督 南 豫 ・ 豫 ・司三州諸軍事・安南将軍・南 豫 州 刺史 ・歴陽 太守 に転任した。三年に死去し、子がなく、封国は除かれた。
随陽王劉翽は字を仲儀といい、明帝の第十子である。
元徽四年、六歳で南陽王に封ぜられ、食邑二千戸を与えられた。昇明元年、使持節・ 都督 郢州 司州の義陽諸軍事・西中郎将・郢州 刺史 に任ぜられた。拝命しないうちに、 都督 湘州諸軍事・南中郎将・湘州 刺史 に転任し、持節はもとの通りとした。任地に赴かないうちに、前将軍に進号した。二年、南陽が荒廃して遠いため、随陽王に改封し、もとの将軍号のまま京師に留まった。斉が禅譲を受けると、舞陰県公に降封され、食邑千五百戸を与えられた。謀反を企てたため、死を賜った。
新興王劉嵩は字を仲岳といい、明帝の第十一子である。
元徽四年、六歳で新興王に封ぜられ、食邑二千戸を与えられた。斉が禅譲を受けると、定襄県公に降封され、食邑千五百戸を与えられた。謀反を企てたため、死を賜った。
始建王劉禧は字を仲安といい、明帝の第十二子である。
元徽四年、六歳で始建王に封ぜられ、食邑二千戸を与えられた。斉が禅譲を受けると、 荔浦 県公に降封され、食邑千五百戸を与えられた。謀反を企てたため、死を賜った。