宋書

宋書 巻十

宋書 巻十

順帝の諱いみなは準、字あざなは仲謀、小字は智観、明帝の第三子である。泰始五年七月癸丑に生まれた。七年、安成王に封ぜられ、食邑三千戸を与えられた。引き続き撫軍将軍に任じられ、佐史を置いた。廃帝が即位すると、揚州刺史ししとなった。元徽二年、車騎将軍・都督ととく揚南豫二州諸軍事に進号し、鼓吹一部を与えられ、刺史はもとの通りであった。四年、さらに驃騎ひょうき大将軍・開府儀同三司に進号し、班剣三十人を賜り、都督・刺史はもとの通りであった。

原文順皇帝諱準,字仲謀,小字智觀,明帝第三子也。泰始五年七月癸丑生。七年,封安成王,食邑三千戶。仍拜撫軍將軍,置佐史。廢帝即位,為揚州刺史。元徽二年,進號車騎將軍、都督揚南豫二州諸軍事,給鼓吹一部,刺史如故。四年,又進號驃騎大將軍、開府儀同三司,班劍三十人,都督、刺史如故。

元徽五年七月戊子の夜、廃帝が崩じ、王を奉迎して朝堂に入居させた。壬辰、皇帝の位についた。

原文元徽五年七月戊子夜,廢帝殞,奉迎王入居朝堂。壬辰,即皇帝位。

昇明元年、元号を改め、天下に大赦を行い、文武の官に位二等を賜った。甲午、鎮軍将軍斉王が東城に出鎮し、政を輔佐して相となった。丙申、詔して言った。「露台の構築を止めたことは、漢の徳を光らせる義であり、雉の裘を焼いて制度を改めたことは、晋の道を隆盛にした事績である。それゆえに奢侈を検束して教化を導き、倹約を篤くして風俗を治めるのである。近ごろ甸服が未だ静まらず、軍旅が連年続き、蓄えはたびたび空しく、労苦と疲弊は止むことがない。それなのに丹雘の装飾は、浪費が計り知れず、珍宝や賄賂の費用は、賦税を課しても計算できない。今、車服の儀制は、実に節約損減すべきであり、徽章に秩序を持たせ、贅沢に流れてはならない。御府の二署を廃止してもよい。およそ技巧が華美で彫鑴に凝り、風俗を損ない政治を壊すものは、一切禁断する。これによって永遠に憲則を明らかにし、この始政を広めたい。」征西大将軍・荊州刺史沈攸之は車騎大将軍・開府儀同三司に進号し、尚書左僕射・中領軍・鎮軍将軍・南兗州刺史斉王は司空しくう・録尚書事・驃騎大将軍となり、刺史はもとの通り、中書令・衛将軍・開府儀同三司、撫軍将軍劉秉は尚書令となり、中軍将軍を加えられ、安西将軍・郢州えいしゅう刺史晋熙王劉燮りゅうしょうは撫軍将軍・揚州刺史となり、南陽王劉翽りゅうかいは郢州刺史となった。辛丑、尚書右僕射王僧虔は尚書僕射しょうしょぼくやとなり、右衛将軍劉韞は中領軍となり、金紫光禄大夫王琨は右光禄大夫となった。司空斉王に銭五百万、布五千匹を与えた。癸卯、車駕は太廟を謁した。丙午、安西参軍明慶符を青・冀二州刺史とし、武陵王劉賛りゅうさんを郢州刺史とし、新たに任じられた郢州刺史南陽王劉翽を湘州刺史とし、司空・南兗州刺史斉王は南徐州刺史を兼ねることとし、征虜将軍李安民を南兗州刺史とした。

原文昇明元年,改元,大赦天下,賜文武位二等。甲午,鎮軍將軍齊王出鎮東城,輔政作相。丙申,詔曰:「露臺息構,義光漢德;雉裘焚制,事隆晉道。故以檢奢軌化,敦儉馭俗。頃甸服未靜,師旅連年,委蓄屢空,勞敝莫偃。而丹雘之飾,糜耗難訾,寶賂之費,徵賦靡計。今車服儀制,實宜約損,使徽章有序,勿得侈溢。可罷省御府二署。凡工麗彫鑴,傷風毀治,一皆禁斷。庶永昭憲則,弘茲始政。」征西大將軍、荊州刺史沈攸之進號車騎大將軍、開府儀同三司,尚書左僕射、中領軍、鎮軍將軍、南兗州刺史齊王為司空、錄尚書事、驃騎大將軍,刺史如故,中書令、衞將軍、開府儀同三司,撫軍將軍劉秉為尚書令,加中軍將軍,安西將軍、郢州刺史晉熙王燮為撫軍將軍、揚州刺史,南陽王翽為郢州刺史。辛丑,尚書右僕射王僧虔為尚書僕射,右衞將軍劉韞為中領軍,金紫光祿大夫王琨為右光祿大夫。給司空齊王錢五百萬,布五千匹。癸卯,車駕謁太廟。丙午,以安西參軍明慶符為青、冀二州刺史,武陵王贊為郢州刺史,新除郢州刺史南陽王翽為湘州刺史,司空、南兗州刺史齊王改領南徐州刺史,征虜將軍李安民為南兗州刺史。

雍州に大水があり、八月壬子、使者を派遣して救済し、税調を免除した。驃騎長史劉澄之を南豫州刺史とした。山陽太守たいしゅ于天宝、新呉県子秦立は罪があり、獄に下されて死んだ。戊午、平準署を改めた。辛酉、宣城太守李霊謙を兗州刺史とした。癸亥、司徒しと袁粲が石頭せきとうを鎮守した。丁卯、元年以前の未納の調を免除し、郡県の禄田を復した。戊辰、皇帝の生母である陳昭華を皇太妃として崇拝した。庚午、司空長史謝朏、衛軍長史江斅、中書侍郎褚炫、武陵王文学劉候が殿省に入って直し、文義に参じて侍った。斉王は固く司空を辞退し、庚辰、驃騎大将軍・開府儀同三司とした。

原文雍州大水,八月壬子,遣使賑卹,蠲除稅調。以驃騎長史劉澄之為南豫州刺史。山陽太守于天寶、新吳縣子秦立有罪,下獄死。戊午,改平準署。辛酉,以宣城太守李靈謙為兗州刺史。癸亥,司徒袁粲鎮石頭。丁卯,原除元年以前逋調;復郡縣祿田。戊辰,崇拜帝所生陳昭華為皇太妃。庚午,司空長史謝朏、衞軍長史江斅、中書侍郎褚炫、武陵王文學劉候入直殿省,參侍文義。齊王固讓司空,庚辰,以為驃騎大將軍、開府儀同三司。

九月己丑、詔して言った。「昔、聖王が既に没し、淳朴な風俗はすでに衰え、亀書は永遠に埋もれ、龍図は長く秘された。それゆえ三代の末には、徳と刑が互いに乱れ、世は没落し物は競い合い、道は傾き人は諂うようになった。それでもなお正しい士は車を並べ、優れた才人は車を連ねた。朕は金枢の運を継ぎ、瑶極の霊を纂ぎ、扆を負って政を巡り、日が暮れても疲れを忘れ、興廃について深く考え、古を望んで思いを満たす。周・夏の典籍は、なおも緗帙に伝わり、漢・魏の余文は、方冊に布かれている。それゆえ元封には茂才の制を興し、地節には独行の品を創設した。綱紀を振るい根本に務めることは、人を得ることに存する。今、州郡に宣し下し、幽仄を探し求め、郷邑を標榜して採り、名に従って上薦させる。朕は自ら覧て、その優れた者を選別しよう。これによって野に遺された賢人がなく、遠くまで芳しい風を奮い立たせたい。」己酉、廬陵王劉暠が薨じた。

原文九月己丑,詔曰:「昔聖王既沒,淳風已衰,龜書永湮,龍圖長祕。故三代之末,德刑相擾,世淪物競,道陂人諛。然猶正士比轂,奇才接軫。朕襲運金樞,纂靈瑤極,負扆巡政,日晏忘疲,永言興替,望古盈慮。姬、夏典載,猶傳緗帙,漢、魏餘文,布在方冊。故元封興茂才之制,地節剏獨行之品。振維務本,存乎得人。今可宣下州郡,搜揚幽仄,摽采鄉邑,隨名薦上。朕將親覽,甄其茂異。庶野無遺彥,永激遐芬。」己酉,廬陵王暠薨。

冬十一月己酉、倭国が使者を遣わして方物を献上した。丙午、員外散騎侍郎胡羨生が越州刺史を代行し、交州刺史沈景德を広州刺史とした。

原文冬十一月己酉,倭國遣使獻方物。丙午,員外散騎侍郎胡羨生行越州刺史,以交州刺史沈景德為廣州刺史。

十二月丁巳、驍騎ぎょうき将軍王広之を徐州刺史とした。車騎大将軍・荊州刺史沈攸之が兵を挙げて反した。丁卯、録公斉王が朝堂に入って守り、侍中じちゅう蕭嶷が東府を鎮守した。戊辰、内外に厳戒態勢を布いた。己巳、郢州刺史武陵王劉賛を安西将軍・荊州刺史とし、征虜将軍・雍州刺史張敬児を鎮軍将軍に進号した。右衛将軍黄回を平西将軍・郢州刺史とし、諸軍の前鋒を督して南討させた。征虜将軍呂安国を湘州刺史とし、都官尚書王寛に平西将軍を加えた。庚午、新たに任じられた左衛将軍斉王の世子が、新たに任じられた撫軍将軍・揚州刺史晋熙王劉燮を奉じて尋陽の盆城を鎮守した。壬申、驍騎将軍周盤龍を広州刺史とした。この日、司徒袁粲が石頭を拠って反し、尚書令劉秉、黄門侍郎劉述、冠軍かんぐん王蘊が衆を率いてこれに赴いた。黄回および輔国将軍孫曇瓘、屯騎校尉王宜興、輔国将軍任候伯、左軍将軍彭文之が密かに呼応した。中領軍劉韞、直閤将軍卜伯興が殿内で同謀した。録公斉王が韞らを省内で誅殺した。軍主蘇烈、王天生、薛道淵、戴僧静らが石頭を陥落させ、城内で粲を斬った。秉、述、蘊は城を越えて逃げたが、追ってこれを捕らえ、ともに誅殺された。その他は問わなかった。豫州刺史劉懐珍、雍州刺史張敬児、広州刺史陳顕達がともに義兵を挙げた。司州刺史姚道和、梁州刺史范栢年、湘州行事庾佩玉は衆を擁して二心を抱いた。甲戌、天下に大赦を行った。乙亥、尚書僕射王僧虔を尚書左僕射とし、新たに任じられた中書令王延之を尚書右僕射とした。呉郡太守劉遐が郡を拠って反したが、輔国将軍張瓌が討って斬った。

原文十二月丁巳,以驍騎將軍王廣之為徐州刺史。車騎大將軍、荊州刺史沈攸之舉兵反。丁卯,錄公齊王入守朝堂,侍中蕭嶷鎮東府。戊辰,內外纂嚴。己巳,以郢州刺史武陵王贊為安西將軍、荊州刺史,征虜將軍、雍州刺史張敬兒進號鎮軍將軍。右衞將軍黃回為平西將軍、郢州刺史,督諸軍前鋒南討。征虜將軍呂安國為湘州刺史,都官尚書王寬加平西將軍。庚午,新除左衞將軍齊王世子奉新除撫軍將軍、揚州刺史晉熙王燮鎮尋陽之盆城。壬申,以驍騎將軍周盤龍為廣州刺史。是日,司徒袁粲據石頭反,尚書令劉秉、黃門侍郎劉述、冠軍王蘊率眾赴之。黃回及輔國將軍孫曇瓘、屯騎校尉王宜興、輔國將軍任候伯、左軍將軍彭文之密相響應。中領軍劉韞、直閤將軍卜伯興在殿內同謀。錄公齊王誅韞等於省內。軍主蘇烈、王天生、薛道淵、戴僧靜等陷石頭,斬粲於城內。秉、述、蘊踰城走,追擒之,並伏誅。其餘無所問。豫州刺史劉懷珍、雍州刺史張敬兒、廣州刺史陳顯達並舉義兵。司州刺史姚道和、梁州刺史范栢年、湘州行事庾佩玉擁眾懷貳。甲戌,大赦天下。乙亥,以尚書僕射王僧虔為尚書左僕射,新除中書令王延之為尚書右僕射。吳郡太守劉遐據郡反,輔國將軍張瓌討斬之。

閏月辛巳、屯騎校尉王宜興が罪があり誅殺された。癸巳、沈攸之が郢城を攻囲したが、前軍長史柳世隆が固守した。攸之の弟登之が呉興で乱を起こしたが、呉興太守沈文季が討って斬った。己亥、内外に戒厳令を布き、録公斉王に黄鉞を仮授した。辛丑、寧朔将軍・北秦州刺史武都王楊文度を征西将軍に進号した。乙巳、録公斉王が新亭に出て駐屯した。

原文閏月辛巳,屯騎校尉王宜興有罪伏誅。癸巳,沈攸之攻圍郢城,前軍長史柳世隆固守。攸之弟登之作亂於吳興,吳興太守沈文季討斬之。己亥,內外戒嚴,假錄公齊王黃鉞。辛丑,寧朔將軍、北秦州刺史武都王楊文度進號征西將軍。乙巳,錄公齊王出頓新亭。

二年春正月、沈攸之が将の公孫方平を遣わして西陽を占拠させたが、辛酉、建寧太守張謨がこれを撃破した。丁卯、沈攸之が郢城から敗走した。己巳、華容県の民が彼を斬って送ってきた。左将軍・豫州刺史劉懐珍を平南将軍に進号した。辛未、鎮軍将軍・雍州刺史張敬児が江陵を攻略し、攸之の子光琰を斬り、荊州が平定され、同逆の者は皆誅殺された。丙子、戒厳令を解除した。新たに任じられた侍中柳世隆を尚書右僕射とした。この日、録公斉王が東府に還って鎮守した。丁丑、江州刺史邵陵王劉友りゅうゆうを安南将軍・南豫州刺史とした。左衛将軍斉王の世子を江州刺史とし、侍中蕭嶷を領軍とし、鎮軍将軍・雍州刺史張敬児を征西将軍に進号し、平西将軍・郢州刺史黄回を鎮西将軍に進号した。

原文二年春正月,沈攸之遣將公孫方平據西陽,辛酉,建寧太守張謨擊破之。丁卯,沈攸之自郢城奔散。己巳,華容縣民斬送之。左將軍、豫州刺史劉懷珍進號平南將軍。辛未,鎮軍將軍、雍州刺史張敬兒克江陵,斬攸之子光琰,荊州平,同逆皆伏誅。丙子,解嚴。以新除侍中柳世隆為尚書右僕射。是日,錄公齊王旋鎮東府。丁丑,以江州刺史邵陵王友為安南將軍、南豫州刺史。左衞將軍齊王世子為江州刺史,侍中蕭嶷為領軍,鎮軍將軍、雍州刺史張敬兒進號征西將軍,平西將軍、郢州刺史黃回進號鎮西將軍。

二月庚辰の日、尚書左僕射の王僧虔を尚書令とし、尚書右僕射の王延之を尚書左僕射とした。癸未の日、録公の斉王に太尉たいいを加授し、衛将軍の褚淵を中書監・司空とした。甲申の日、荊州を曲赦した。丙戌の日、撫軍将軍・揚州刺史の晋熙王劉燮は中軍将軍・開府儀同三司に進号した。戊子の日、雍州の沔水沿いの住民で以前に水害を受けた者の租布を三年間免除した。辛卯の日、郢州刺史・新たに鎮南将軍に任じられた黄回を鎮北将軍・南兗州刺史とし、南兗州刺史の李安民を郢州刺史とした。癸巳の日、山陰県令の傅琰を益州刺史とした。丙申の日、左軍将軍の彭文之は罪があり、獄に下されて死んだ。行湘州事の任候伯が前湘州行事の庾佩玉を殺し、その首を京邑に伝送した。

原文二月庚辰,以尚書左僕射王僧虔為尚書令,尚書右僕射王延之為尚書左僕射。癸未,錄公齊王加授太尉,衞將軍褚淵為中書監、司空。甲申,曲赦荊州。丙戌,撫軍將軍、揚州刺史晉熙王燮進號中軍將軍、開府儀同三司。戊子,蠲雍州緣沔居民前被水災者租布三年。辛卯,郢州刺史、新除鎮南將軍黃回為鎮北將軍、南兗州刺史,南兗州刺史李安民為郢州刺史。癸巳,以山陰令傅琰為益州刺史。丙申,左軍將軍彭文之有罪,下獄死。行湘州事任候伯殺前湘州行事庾佩玉,傳首京邑。

三月庚戌の日、広州刺史の周盤龍を司州刺史とし、輔国将軍の劉悛を広州刺史とした。丙子の日、太尉斉王に羽葆・鼓吹を与えた。

原文三月庚戌,以廣州刺史周盤龍為司州刺史,輔國將軍劉悛為廣州刺史。丙子,給太尉齊王羽葆、鼓吹。

夏四月己卯の日、游撃将軍の垣崇祖を兗州刺史とした。辛卯の日、新たに鎮北将軍・南兗州刺史に任じられた黄回は罪があり賜死された。甲午の日、輔国将軍・淮南宣城二郡太守の蕭映が行南兗州刺史となった。

原文夏四月己卯,以游擊將軍垣崇祖為兗州刺史。辛卯,新除鎮北將軍、南兗州刺史黃回有罪賜死。甲午,輔國將軍、淮南宣城二郡太守蕭映行南兗州刺史。

五月戊午の日、倭国王の武が使者を遣わして方物を献上し、武を安東大将軍とした。輔国将軍・行湘州事の任候伯は罪があり誅殺された。

原文五月戊午,倭國王武遣使獻方物,以武為安東大將軍。輔國將軍、行湘州事任候伯有罪伏誅。

六月己丑の日、前新会太守の趙超民を交州刺史とした。丁酉の日、輔国将軍の楊文弘を北秦州刺史・武都王とした。

原文六月己丑,以前新會太守趙超民為交州刺史。丁酉,以輔國將軍楊文弘為北秦州刺史、武都王。

八月辛卯の日、太尉斉王が奇飾麗服を断つことを上表し、全部で十四条あった。乙未の日、江州刺史の斉王世子を領軍将軍・撫軍将軍とした。丙申の日、領軍の蕭嶷を江州刺史とした。

原文八月辛卯,太尉齊王表斷奇飾麗服,凡十有四條。乙未,以江州刺史齊王世子為領軍將軍、撫軍將軍。丙申,以領軍蕭嶷為江州刺史。

九月乙巳の朔日、日食があった。丙午の日、太尉斉王に黄鉞・都督中外諸軍事・太傅を加え、揚州牧を領し、剣履上殿、入朝不趨、賛拝不名の礼遇を与えた。左右の長史・司馬・従事中郎・掾・属をそれぞれ四人ずつ置いた。中軍将軍・揚州刺史の晋熙王劉燮は司徒となった。戊申の日、行南兗州刺史の蕭映が南兗州刺史となった。甲寅の日、太傅斉王に三望車を与えた。己未の日、芮芮国が使者を遣わして方物を献上した。癸酉の日、武陵内史の張澹は罪があり、獄に下されて死んだ。

原文九月乙巳朔,日有蝕之。丙午,加太尉齊王黃鉞、都督中外諸軍事、太傅,領揚州牧,劍履上殿,入朝不趨,贊拜不名。置左右長史、司馬、從事中郎、掾、屬各四人。中軍將軍、揚州刺史晉熙王燮為司徒。戊申,行南兗州刺史蕭映為南兗州刺史。甲寅,給太傅齊王三望車。己未,芮芮國遣使獻方物。癸酉,武陵內史張澹有罪,下獄死。

冬十月丁丑の日、寧朔将軍・淮南宣城二郡太守の蕭晃を豫州刺史とした。孫曇瓘は先に逃亡していたが、己卯の日、捕らえられ誅殺された。壬寅の日、皇后謝氏を立て、死罪を一等減じ、五年刑以下の者はすべて赦免した。

原文冬十月丁丑,寧朔將軍、淮南宣城二郡太守蕭晃為豫州刺史。孫曇瓘先逃亡,己卯,擒獲,伏誅。壬寅,立皇后謝氏,減死罪一等,五歲刑以下悉原。

十一月壬子の日、故武昌太守劉琨の子息の劉頒を立てて南豊県王とした。癸亥の日、臨澧侯劉晃が謀反を企て、晃とその党与は皆誅殺された。甲子の日、南陽王劉翽を随郡王に改封し、随陽郡を改めた。

原文十一月壬子,立故武昌太守劉琨息頒為南豐縣王。癸亥,臨澧侯劉晃謀反,晃及黨與皆伏誅。甲子,改封南陽王翽為隨郡王,改隨陽郡。

十二月丙戌の日、皇后が太廟に謁見した。戊子の日、高麗国が使者を遣わして方物を献上した。

原文十二月丙戌,皇后見于太廟。戊子,高麗國遣使獻方物。

三年春正月甲辰の日、江州刺史の蕭嶷を鎮西将軍・荊州刺史とし、尚書左僕射の王延之を安南将軍・江州刺史とした。安西長史の蕭順之を郢州刺史とした。乙卯の日、太傅斉王が諸々の官物の負債や労役を負う者について、すべて免除するよう上表した。辛亥の日、驍騎将軍の王玄邈を梁・南秦二州刺史とした。領軍将軍・撫軍将軍の斉王世子に尚書僕射を加え、中軍大将軍・開府儀同三司に進号した。丙辰の日、太傅斉王に前部の羽葆・鼓吹を加えた。丁巳の日、詔して太傅府が旧例に従って辟召を行うことを許した。征西将軍・雍州刺史の張敬児を護軍将軍とし、新たに給事黄門侍郎に任じられた蕭長懋を雍州刺史とした。

原文三年春正月甲辰,以江州刺史蕭嶷為鎮西將軍、荊州刺史,尚書左僕射王延之為安南將軍、江州刺史。安西長史蕭順之為郢州刺史。乙卯,太傅齊王表諸負官物質役者,悉原除。辛亥,以驍騎將軍王玄邈為梁、南秦二州刺史。領軍將軍、撫軍將軍齊王世子加尚書僕射,進號中軍大將軍、開府儀同三司。丙辰,加太傅齊王前部羽葆、鼓吹。丁巳,詔太傅府依舊辟召。以征西將軍、雍州刺史張敬兒為護軍將軍,新除給事黃門侍郎蕭長懋為雍州刺史。

二月丙子の日、安南将軍・南豫州刺史の邵陵王劉友が薨去した。

原文二月丙子,安南將軍、南豫州刺史邵陵王友薨。

三月癸卯の朔日、日食があった。甲辰の日、太傅を崇めて相国とし、百揆を総理させ、十郡を封じて斉公とし、九錫の礼を備え、璽紱・遠游冠を加え、諸王の上に位し、相国に緑綟綬を加えた。その驃騎大将軍・揚州牧・南徐州刺史の官は従前の通りとした。丙午の日、中軍大将軍の蕭賾を南豫州刺史・斉公世子とし、相国の副武とし、緑綟綬を与えた。庚戌の日、臨川王劉綽が謀反を企て、綽とその党与は皆誅殺された。丁巳の日、斉国が初めて建てられたので、銭五百万、布五千匹、絹千匹を与えた。

原文三月癸卯朔,日有蝕之。甲辰,崇太傅為相國,總百揆,封十郡,為齊公,備九錫之禮,加璽紱遠游冠,位在諸王上,加相國綠綟綬,其驃騎大將軍、揚州牧、南徐州刺史如故。丙午,以中軍大將軍蕭賾為南豫州刺史、齊公世子,副貳相國,綠綟綬。庚戌,臨川王綽謀反,綽及黨與皆伏誅。丁巳,以齊國初建,給錢五百萬,布五千匹,絹千匹。

夏四月壬申の日、斉公の爵位を斉王に進め、封邑を十郡増やした。甲戌の日、安西将軍の武陵王劉賛が薨去した。丙戌の日、斉王に十二旒の冕冠を戴かせ、天子の旌旗を立て、出警入蹕の儀を行い、金根車に乗り、六馬を駕し、五時の副車を備え、旄頭・雲罕を置き、八佾の楽舞を設け、鐘簴の宮懸を置くことを命じた。世子を太子に進め、王子・王女・王孫の爵命の号は、すべて旧儀の通りとした。辛卯の日、天の禄は永遠に終わり、位を斉に禅譲した。壬辰の日、帝は東邸で位を退いた。その後、丹陽宮に移り住んだ。斉王が即位し、帝を汝陰王に封じ、臣下としての礼遇を以て遇さなかった。宋の正朔を用い、上書する際は表を用いず、答える際は詔を用いなかった。

原文夏四月壬申,進齊公爵為齊王,增封十郡。甲戌,安西將軍武陵王贊薨。丙戌,命齊王冕十有二旒,建天子旌旗,出警入蹕,乘金根車,駕六馬,備五時副車,置旄頭雲罕,樂儛八佾,設鐘簴宮縣。進世子為太子,王子、王女、王孫爵命之號,壹如舊儀。辛卯,天祿永終,禪位于齊。壬辰,帝遜位于東邸。既而遷居丹陽宮。齊王踐阼,封帝為汝陰王,待以不臣之禮。行宋正朔,上書不為表,答表不為詔。

建元元年五月己未の日、丹陽宮で崩御した。時に十三歳であった。諡して順帝という。六月乙酉の日、遂寧陵に葬られた。

原文建元元年五月己未,殂于丹陽宮,時年十三。諡曰順帝。六月乙酉,葬于遂寧陵。