閏月乙亥、詔して山東の流民で新たに復業した者、および突厥の侵掠により家口が破亡して存続できない者に、ともに一年間の租税免除を与えるとした。妃楊氏を立てて皇后とした。辛巳、上柱国趙王招を太師とし、陳王純を太傅とし、柱国代王達・滕王逌・盧国公尉遅運・薛国公長孫覧をともに上柱国とした。柱国・平陽郡公王誼を進封して揚国公とした。この月、幽州の者盧昌期が范陽を拠りて反逆し、詔して柱国・東平公宇文神挙に衆を率いて討伐平定させた。
秋七月辛丑、月が心前星を犯した。乙巳、太廟を祀った。丙午、円丘を祀った。戊申、方丘を祀った。庚戌、小宗伯・岐国公斛斯徴を大宗伯とした。丙辰、熒惑・太白が七星(星宿)に合した。己未、太白が軒轅大星を犯した。壬戌、柱国・南兗州総管・随公楊堅を上柱国・大司馬とした。癸亥、生母李氏を尊んで帝太后とした。
九月丁酉、熒惑が太微に入った。柱国宇文盛・張掖公王傑・枹罕公辛威・鄖国公韋孝寛をともに上柱国とした。庚戌、皇弟元を荊王に封じた。詔して諸々拝礼すべき者は、すべて三拝をもって礼を成すとした。汾州の稽胡の帥劉受邏千が兵を挙げて反逆し、詔して上柱国・越王盛を行軍元帥とし、衆を率いて討伐平定させた。庚申、熒惑が左執法を犯した。
冬十月癸酉、同州より帰還した。大司空・揚国公王誼を襄州総管とした。戊子、百済が使いを遣わして方物を献じた。
十一月己亥、道会苑で講武を行い、帝みずから甲冑を身につけた。この月、突厥が辺境を寇し、酒泉を包囲し、吏民を殺掠した。
十二月甲子、柱国・畢王賢を大司空とした。癸未、熒惑が氐(星宿)に入り、なお一月間留まった。己丑、上柱国・河陽総管滕王逌を行軍元帥とし、衆を率いて陳を伐たせた。京師の現行の徒刑囚を免じ、ともに軍に従わせるよう命じた。
二月癸亥、詔して曰く。
河洛の地は、世に朝市と称される。上は天に則り、陰陽の会する所。下は地に紀し、職貢の路均しい。聖人は万物が阜安なるをもって、ここに王国を建てた。時に五代を経、世に千祀を歴て、規模は弘遠、邑居は壮麗である。魏氏が制御を失って以来、城闕は墟と化し、君子には旧きを恋う風あり、小人には故郷を懐かしむ思い深し。我が太祖は酆鎬に命を受け、崤函に宇を胥くし、四方を蕩定し、光宅(天下)に懐く所あり。高祖は神功聖略をもって区宇を混一し、往きて東夏を巡り、方俗を省観し、この宮に政を布いて、遂に気序(天運)を移した。朕は眇身をもって、宝祚を祗承し、聿修の志を庶幾し、敢えて燕翼の心を忘れんや。先般金墉に駐蹕し、あまねく遊覧を嘗めしに、百王の制度、基趾なお存す。今もし修復に因らば、功を立て易からん。宜しく邦事を命じ、旧都を修復すべし。奢儉は文質の間を取り、功役は子来の義に依る。北に河内を瞻れば、咫尺遥かならず、前詔にて経営せしめしは、今宜しく停罷すべし。
ここにおいて山東諸州の兵を発し、一か月の功役を増して四十五日の役とし、洛陽宮を起工した。常時の役夫は四万人とし、晏駕(帝の崩御)に至るまで続いた。また相州六府を洛陽に移し、東京六府と称した。柱国・徐州総管・郯国公王軌を殺害した。南討の諸軍を停止した。趙王招の女を千金公主とし、突厥に嫁がせた。戊辰、上柱国・鄖国公韋孝寛を徐州総管とした。乙亥、鄴に行幸した。丙子、初めて総管・刺史および行兵する者に加持節を授けることを命じ、その他はすべて罷めた。辛巳、詔して曰く。
帝はここに自ら天元皇帝と称し、居所を天臺と称し、冕は二十四旒あり、車服旗鼓は皆二十四を節と為す。内史・御正は皆上大夫を置く。皇帝衍は正陽宮と称し、納言・御正・諸衛等の官を置き、皆天臺に准ず。皇太后を尊びて天元皇太后と為す。内史上大夫鄭訳を封じて沛国公と為す。癸未、日の初出及び将に入る時、その中に並びに烏色あり、鶏卵の如く大にして、四日を経て滅す。戊子、上柱国大前疑越王盛を以て太保と為し、大右弼蜀公尉遅迥を大前疑と為し、代王達を大右弼と為す。辛卯、詔して鄴城の石経を洛陽に徙す。また詔して曰く「洛陽は旧都なり、今既に修復せり、凡そ元より遷りし戸は、並びに聴して洛州に還る。此の外諸の民往かんと欲する者も、亦その意に任す。河陽・幽・相・豫・亳・青・徐の七総管は、東京六府の処分を受く。」
夏四月壬戌朔、有司奏して日蝕を言う、事を視ず。時を過ぎて食わず、乃ち軒に臨む。妃朱氏を立てて天元帝后と為す。癸亥、柱国・畢王賢を以て上柱国と為す。己巳、太廟に祠る。壬午、正武殿に大醮す。戊子、太白・歳星・辰星、東井に合す。
五月辛亥、洺州襄国郡を以て趙国と為し、斉州済南郡を以て陳国と為し、豊州武当・安富の二郡を以て越国と為し、潞州上党郡を以て代国と為し、荊州新野郡を以て滕国と為し、邑各一万戸。趙王招・陳王純・越王盛・代王達・滕王逌に命じて並びに国に之かしむ。癸丑、流星斗の如く大にして、太微より出で、落落として遺火の如し。是の月、使者を遣わして京兆及び諸州の士民の女を簡視し、後宮に充選す。突厥、并州を寇す。
九月己酉、太白、南斗に入る。乙卯、酆王貞を以て大冢宰と為す。上柱国・鄖国公韋孝寛を行軍元帥と為し、行軍総管𣏌国公亮・郕国公梁士彦を率いて陳を伐たしむ。御正杜杲・礼部薛舒を遣わして陳に使わす。
冬十月壬戌、歳星、軒轅の大星を犯す。是の日、帝、道会苑に幸して大醮し、高祖武皇帝を以て配す。醮訖りて、行殿に於いて論議す。是の歳、初めて仏像及び天尊像を復す。ここに至り、帝は二像と俱に南面して坐し、雑戯を大いに陳べ、京城の士民をして縱観せしむ。乙酉、熒惑・鎮星、虚に合す。是の月、相州の人段徳挙謀反し、誅せらる。
十一月乙未、温湯に幸す。戊戌、同州に行幸す。壬寅、宮に還る。己酉、星斗の如く大にして、張より出で、東南に流れ、光明地を燭す。丁巳、初めて永通万国銭を鋳造し、一を以て十に当て、五行大布と並び行なう。是の月、韋孝寛、寿陽を抜き、𣏌国公亮、黄城を抜き、梁士彦、広陵を抜く。陳人退走す。ここに於いて江北尽く平らぐ。
十二月戊午、災異屡々見ゆるを以て、帝、路寝に御し、百官に見ゆ。詔して曰く。
穹昊は上に在り、聡明は下より自らし、吉凶は人に由り、妖は自ら作らず。朕は寡徳を以て区㝢に君臨し、大道は未だ行なわれず、小信は福に非ず。秋季に始まり、この玄冬に及び、幽顕殷勤に、屡々深き戒めを貽す。至るには金の南斗に入り、木の軒轅を犯し、熒惑の房を干し、又土と合し、流星夜を照らし、東南より下る。然らば則ち南斗は爵禄に主り、軒轅は後宮に為り、房は明堂と曰い、政を布く所なり、火土は則ち憂孽の兆、流星は乃ち兵凶の験なり。豈に其れ官人の序を失い、女謁尚ほ行なわれ、政事方に乗じ、憂患将に至らんとするか。何ぞ其れ昭著なること、斯の如く甚だしき。上は瞻み下は察し、朕実に懼る。将に正寝を避け、斎居して克く念い、悪衣減膳し、飾りを去り懸を撤し、不諱の誠を披き、直言の路を開かんと欲す。刑の濫りに及ばず、賞の等を踰えず、選挙は才を以てし、宮闈は徳を修めしめんと欲す。宜しく諸の内外に宣べ、庶くは弼諧を尽くし、允に民心に叶い、以て天譴を消すべし。
かくして仗衛を捨て、天興宮に赴く。百官が上表して寝食を復するよう勧め、これを許す。甲子、宮に還る。正武殿に御し、百官及び宮人・内外の命婦を集め、妓楽を大いに列ね、また胡人の乞寒を放任し、水を澆ぎ沃して戯楽と為す。乙丑、洛陽に行幸す。帝自ら驛馬に御し、日に三百里を行く。四皇后及び文武の侍衛数百人、皆驛馬に乗って従う。しかして四皇后に方駕して斉しく駆けさせ、もし先後ある者は、便ち譴責を加え、人馬頓仆して相属す。己卯、宮に還る。
二月丁巳、帝、露門学に幸し、釈奠の礼を行う。戊午、突厥、使いを遣わして方物を献じ、かつ千金公主を迎えんとす。乙丑、制詔を天制詔と改め、敕を天敕と改む。壬午、天元皇太后を天元上皇太后と尊び、天皇太后李氏を天元聖皇太后と曰う。癸未、天元皇后楊氏を立てて天元大皇后と為し、天皇后朱氏を天大皇后と為し、天右皇后元氏を天右大皇后と為し、天左皇后陳氏を天左大皇后と為す。正陽宮の皇后は直ちに皇后と称す。この日、洛陽に禿鶖鳥有り、新たに営んだ太極殿の前に集まる。滎州に黒龍現れ、赤龍と汴水の側にて鬭い、黒龍死す。
三月丁亥、百官及び民に大酺を賜う。詔して曰く、「盛徳の後は、是れ絶えずと称し、功民に施し、義祀典に昭かなり。孔子の徳は惟だ往を蔵し、道は実に生知なり、大聖の才を以て、千古の運に属し、儒業を載せ弘め、彝倫を式叙す。至りては天人の理を幽賛し、礼楽の務を裁成するに、故に以て百王の範と作り、万葉に風を垂る。朕、宝暦を欽承し、教義に服膺し、洙・泗を眷言し、道を懐うこと滋に深し。且つ褒成の号を啓くは、故実を彰かすと雖も、聖績を旌崇するは、猶お闕如有り。追封して鄒国公と為すべし、邑数は旧に准えよ。並びに後を立てて承襲せしめよ。別に京師に廟を置き、時に祭享せしめよ。」戊子、行軍総管・𣏌国公亮、兵を挙げて反し、行軍元帥・鄖国公韋孝寬を豫州に襲う。亮勝たず、孝寬これを獲て殺す。辛卯、永昌公椿を以て𣏌国公と為し、簡公連の後を紹ぐ。同州に行幸す。候正を増し、前駆戒道を為すこと、三百六十重とし、応門より赤岸沢に至るまで、数十里の間に、幡旗相い蔽い、鼓楽俱に作る。また武賁に鈒を持たせて馬上にせしめ、警蹕と称し、以て同州に至らしむ。乙未、同州宮を天成宮と改む。庚子、同州より至る。詔して天臺の侍衛の官は、皆五色及び紅紫緑の衣を著け、雑色を以て縁と為し、名づけて品色衣と曰う。大事有る時は、公服と間服す。壬寅、詔して内外の命婦は皆笏を執り、宗廟及び天臺を拝する時は、皆俛伏すべし。甲辰、初めて天中大皇后を置く。天左大皇后陳氏を立てて天中大皇后と為し、妃尉遅氏を立てて天左大皇后と為す。
夏四月乙丑、星斗の如く大なる有り、天厨より出で、紫宮に流入し、鈎陳に抵りて乃ち滅ぶ。己巳、太廟を祀る。己卯、詔して曰く、「朕、寡薄を以て、治方に昧く、天地をして休和せしめ、陰陽をして調序せしむる能わず。春より夏に渉り、甘沢未だ豊かならず、既に西郊の歎を軫み、将に南畝の業を虧かんとす。言を興して夕に惕み、鑒昧を忘るる無し。良に徳化未だ敷かず、政刑多く舛えるに由る。万方罪有るも、責は朕が躬に在り。思うに寛恵を覃うし、之を率土に被らしめん。見囚の死罪は並びに流罪に降し、流罪は徒罪に従い、五歳刑以下は悉く皆原宥す。其の反叛・悪逆・不道、及び常赦の免れざる所の者は、降例に在らず。」壬午、〈(中)〉〔仲〕山に幸して雨を祈る。咸陽宮に至り、雨降る。甲申、宮に還る。京城の士女に令し、衢巷に於いて音楽を作り以て迎え候わしむ。
五月己丑、上柱国・大前疑・随国公楊堅を揚州総管と為す。甲午の夜、帝、法駕を備え天興宮に幸す。乙未、帝、豫せず、宮に還る。詔して随国公堅に入り侍疾せしむ。甲辰、星三斗の如く大なる有り、太微の端門より出で、翼に流入し、声は風の幡旗を鼓するが若し。丁未、趙・陳・越・代・滕の五王を追いて入朝せしむ。己酉、大いに漸す。御正下大夫劉昉、内史上大夫鄭訳と、制を矯り、随国公堅に遺詔を受けて政を輔えしむ。この日、帝、天徳殿にて崩ず。時に年二十二、諡して宣皇帝と曰う。
七月丙申、定陵に葬る。
帝の東宮に在りし時、高祖、其の嗣を承くるに堪えざるを慮り、之に遇すること甚だ厳なり。朝見進止、諸臣と異なること無く、隆寒盛暑と雖も、亦休息することを得ず。性既に酒を嗜む、高祖遂に醪醴を禁じて東宮に至るを許さず。帝、過有る毎に、輒ち捶扑を加えらる。嘗て之に謂いて曰く、「古来太子廃せられたる者幾人ぞ、余が児豈に立てるに堪えざらんや。」ここにおいて東宮の官属を遣わし、帝の言語動作を録し、毎月奏聞せしむ。帝、高祖の威厳を憚り、情を矯い修飾す、以て是れ過悪遂に外に聞こえず。
嗣位の初め、方に其の欲を逞うす。大行殯に在りて、曾て戚容無く、即ち先帝の宮人を閲視し、逼りて淫乱を為さしむ。纔に年を踰えるに及び、便ち声楽を恣にし、天下の子女を采択し、以て後宮に充つ。自ら矜夸するを好み、非を飾り諫を拒む。禅位の後、弥に驕奢を復たし、後宮に躭酗し、或は旬日も出でず。公卿近臣事を請う者は、皆奄官に附して之を奏す。居る所の宮殿、帷帳は皆金玉珠宝を以て飾り、光華炫燿し、麗を極め奢を窮む。及び洛陽宮を営むに、未だ畢らずと雖も、其の規模壮麗、漢魏を踰えて遠し。
唯だ自ら尊崇し、顧憚する所無し。国典朝儀、情に率いて変改す。後宮の位号、詳らかに録する能わず。毎に臣下に対し、自ら天と称す。五色の土を以て御する所の天徳殿を塗り、各おの方色に随う。また後宮に於いて皇后等と列坐し、宗廟の礼器たる罇彝珪瓚の属を以て飲食す。また群臣に天臺に朝する者を令し、皆斎を致すこと三日、身を清むること一日。車旗章服、前王の数に倍す。既に上帝に自ら比し、人をして己に同じからしむるを欲せず。嘗て自ら綬及び通天冠を帯び、金附蟬を加う。侍臣の武弁の上に金蟬有る、及び王公に綬有る者を顧み見て、並びに之を去らしむ。また人の高大の称有るを聴かず、諸姓の高き者は姜と改め、九族の高祖と称する者は長祖と為し、曾祖を次長祖と為し、官名凡そ上及び大と称する者は長と改め、天と有る者も亦之を改む。また天下の車は皆渾成の木を以て輪と為し、天下の婦人は皆粉黛の飾りを施すことを得ざるを禁じ、唯だ宮人のみ輻有る車に乗り、粉黛を加うることを得。西陽公溫は、𣏌国公亮の子、即ち帝の従祖兄の子なり。其の妻尉遅氏は容色有り、因りて入朝するに、帝遂に之を酒を以て飲ませ、逼りて之を淫す。亮之を聞き、誅を懼れ、乃ち反す。纔に溫を誅するや、即ち尉遅氏を追って宮に入れ、初め妃と為し、尋いで立てて皇后と為す。
常に侍臣を召して議論するも、ただ興造と変革を欲し、未だ治政に言及したことはなかった。その後は遊戯に恒常性なく、出入りに節度なく、羽儀と仗衛を従え、朝に出でて夜に還る。或いは天興宮に幸し、或いは道會苑に遊び、陪侍の官は皆、命に堪えず。散楽・雑戯・魚龍爛漫の伎は、常に目前に在り。好んで京城の少年に婦人の服飾をさせ、殿中に入り歌舞せしめ、後宮と共に観て、喜楽と為す。
近臣を擯斥し、多く猜忌を為す。また財に吝嗇で、少しも賜与無し。群臣が規諫して己が志を行えぬことを恐れ、常に左右を遣わして密かに伺察せしめ、動止の為す所を、全て記録せしめ、少しでも違背あれば、直ちにその罪を加う。公卿以下、皆楚撻を受け、その間誅戮・黜免せられたる者は、数え尽くせず。常に人を笞捶するに、皆百二十を以て度と為し、天杖と名付く。宮人・内職もまた之の如し。后妃・嬪御は、寵嬖を受けしも、多く杖背を受く。ここにおいて内外恐懼し、人自ら安からず、皆苟免を求め、固き志ある者無く、重ねて足を累ね息を潜め、終わりに及ぶ。
【史評】
史臣曰く、高祖は嗣子の才無きを識り、宗祏の至重なるを顧みたれど、愛に滞ること晉武に同じく、哲を明らかにすることは宋宣に異なり。ただ檟楚を以て威し、懲肅を期すのみ。義方の教え、豈に是くの如くならんや。遂に昏虐をして君臨せしめ、姦回をして肆毒せしむ。善は小なりとて必ず棄て、悪は大なりとて為さざる無し。南山の簡を窮めても、未だその過を書き尽くすに足らず、東観の筆を尽くしても、その罪を記す能わず。然れども猶ほ首領を全うし、子に及んで亡ぶ。幸いなるかな。