北齊書

第四卷 帝紀第四 文宣帝 高洋

文宣 ぶんせん

顯祖文宣皇帝は諱を洋といい、字は子進、高祖の第二子、世宗の同母弟である。后が初めて なつ 妊した時、毎夜赤い光が部屋を照らし、后はひそかにこれを怪しんだ。初め、高祖が尓朱榮に帰順した時、世は危乱を たて て、家は壁が立つのみで、后は親族と相対し、共に寒さと飢えを憂えた。帝は当時まだ言葉を発することができなかったが、突然「生きるを とら ん」と応じたので、太后及び左右の者は大いに驚き、敢えて言わなかった。成長すると、色黒く、頬が大きく顎が尖り、体に鱗の如き文があり、重踝であった。遊戯を好まず、深沈として大度あり。 しん 陽に嘗て沙門がおり、時に愚かに、時に智に、世人は測り知れず、阿禿師と呼んだ。帝は嘗て諸童と共にこれを見、順に禄位を問うたが、帝に至ると、手を挙げて再三天を指すのみで、口には言うところがなかった。見る者はこれを異とした。高祖は嘗て諸子の意識を観ようと試み、各々に乱糸を治めさせた。帝のみは刀を抽いてこれを斬り、「乱れる者は斬らねばならぬ」と言った。高祖はこれを是とした。また各々に兵を配して四方に出させ、甲騎に偽ってこれを攻撃させた。世宗らは恐れて撓んだが、帝は衆を勒して彭楽と敵し、楽は冑を免じて情を述べたが、なおこれを擒らえて献じた。後に世宗に従って遼陽山を行き過ぎた時、独り天門の開くを見、余人に見る者なし。内には明敏なれども、貌は足らざるが如く、世宗は毎にこれを嗤い、「この人も富貴を得るというが、相法はどうして解せられようか」と言った。ただ高祖のみはこれを異とし、薛琡に謂って「この児の意識は我を過ぐ」と言った。幼時に范陽の盧景裕に師事し、黙識は人に過ぎ、景裕も測り知れなかった。天平二年、 散騎常侍 さんきじょうじ ・驃騎大將軍・儀同三司・左光禄大夫・太原郡開国公を授かる。武定元年、侍中を加えられる。二年、尚書左僕射・領軍將軍に転ず。五年、 尚書令 しょうしょれい 中書監 ちゅうしょかん ・京畿大 都督 ととく を授かる。

武定七年八月、世宗が害に遇い、事は倉卒に出で、内外震駭す。帝は神色変らず、指麾して部分し、 ら群賊を臠斬してその頭を漆し、徐ろに宣言して「奴等反し、大將軍傷つけられたりと雖も、大苦なし」と言った。当時内外驚異せざる者なし。乃ち しん 陽に赴き、親しく庶政を総べ、務めて寛厚に従い、事に不便なるものは皆蠲省した。冬十月癸未朔、 咸陽王 かんようおう ひら を太傅と為し、潘相楽を 司空 しくう と為す。十一月戊午、吐谷渾国使いを遣わして朝貢す。梁の齊州刺史茅霊斌・德州刺史劉領隊・南 州刺史皇甫眘等並びに州を以て内属す。十二月己酉、 へい 州刺史彭楽を 司徒 しと と為し、太保賀抜仁を へい 州刺史と為す。

天保元年

八年春正月庚申、梁の楚州刺史宋安顧、州を以て内属す。辛酉、魏帝、世宗の為に東堂に哀を挙ぐ。梁の定州刺史田聡能・洪州刺史張顕等、州を以て内属す。戊辰、魏詔して帝の位を進め、使持節・丞相・ 都督 ととく 中外諸軍事・録尚書事・大行台・齊郡王と為し、食邑一万戸。甲戌、地豆于国使いを遣わして朝貢す。三月辛酉、又齊王に進封し、冀州の 渤海 ぼっかい ・長楽・安德・武邑、瀛州の河間の五郡を食し、邑十万戸。 しん 陽に居るより、寝室夜に光ありて昼の如し。既に王と為りて後、人が筆を以て己が額を点ずる夢を見る。旦に館客の王曇哲に告げて「吾退かんか」と言う。曇哲再拝して賀し、「王の上に点を加うれば、便ち主の字と成り、乃ち進むべきなり」と言う。夏五月辛亥、帝 ぎょう に如く。甲寅、相国に進み、百揆を総べ、冀州の渤海・長楽・安德・武邑、瀛州の河間・高陽・章武、定州の中山・常山・博 の十郡を封じ、邑二十万戸、九錫を加え、殊礼を賜い、齊王は故の如し。魏帝、兼太尉 彭城王 ほうじょうおう 韶・ 司空 しくう 潘相楽を遣わし冊命して曰く。

嗚呼、朕が命を敬って聴け。夫れ天を大と為すは、列宿を布きて象を垂れ、地を厚しと謂うは、川嶽を疏きて物を阜く。以て四時代序し、万 るい 駢羅し、庶品性を得、群形夭せざる所以なり。然れども皇王歴を統べ、深く視高く居り、拱黙して衣を垂れ、師相に寄せて成す、此れ則ち夏の伯・殷の尹その股肱を竭くし、周の成・漢の あきら 無為にして治むるなり。頃者天下多難、国命旒の如く、則ち我が建国の業将に地に墜んとす。齊献武王風雲に奮迅し、大いに艱危を済い、爰に朕躬を翼け、国再造せられ、庶土を経営し、以て勤憂に至る。 文襄 ぶんじょう 構を承くるに及び、愈々前業を広め、邦を やす え難を夷げ、道穹蒼に いた つ。王は徳を縦にして期に応じ、千齢一出、 おも 幾惟深、乃神乃聖、大いに覇徳を崇め、実に相猷を広む。冥功妙実と雖も、言象を藐絶すれども、声を標し迹を示すは、典礼宣ぶべし。今後命を申す、其れ敬って虚しく受けよ。

王は風を摶つて初めて挙がり、旟を建てて上地にあり、民を庇い政を立て、時雨滂流し、下廉恥を識り、仁水陸に加わり、風を移し俗を え、自ら齊より魯に変ず、此れ王の功なり。 なお って天臺を摂し、総べて戎律に参じ、策は神の若く出で、威は朔土に行われ、弓を引き跡を竄せば、松塞煙無し、此れ又王の功なり。光統前緒に およ び、衡を持ちて ただ 合し、華戎混一し、風海調夷し、日月光華し、天地清晏し、声接し響随い、 おも わざるも偃せず、此れ又王の功なり。逖けき炎方、正朔に逋違し、文を懐け武を曜し、略を授け規を申べ、淮楚連城、漼然として桑落す、此れ又王の功なり。関・峴は衿帯、蕭條に跨躡し、腸胃の地、嶽立ち鴟跱すれども、偏師纔に指すや、氷散に渙同す、此れ又王の功なり。 しん 熙の所、江雷に険薄し、声教に迥隔し、方に迷いて未だ改めざるも、将を命じ旅を鞠すれば、其の巣穴を覆し、威略風騰し、傾いて南海を懾す、此れ又王の功なり。群蛮跋扈し、南疆に世絶え、辺垂を揺盪し、亟に塵梗と為るも、徳を懐け威を畏れ、風に向かって順を請い、陬を傾け落ち尽くし、其の至ること雲の如し、此れ又王の功なり。胡人の別種、山谷に延蔓し、酋渠万族、千里に広袤し、険に憑りて恭せず、其の桀黠を恣にすれども、淳風を楽しみ、相携えて たた を叩き、粟帛の調、王府に充積す、此れ又王の功なり。茫茫たる海に渉り、世諸華に敵すれども、風行き鳥逝き、倏に来たり忽に く、既に醇醪を飲み、膠漆に附同し、毛裘は仞に ゆだ ね、奇獣は尾を銜む、此れ又王の功なり。秦川尚お阻み、我が仇讎と作るも、爰に椒蘭を挹み、書を飛ばして好を請う、天其の衷を動かし、辞卑く礼厚く、区宇乂甯し、遐 ちか 畢く至る、此れ又王の功なり。江陰禍を告げ、民帰する所無きに、蕭宗の子弟、尚お相投庇し、鳥の山に還るが如く、猶川の海に赴くが如く、荊江十部、俄にして割きを献じ、此の会に乗じ、将に朱方を混ぜんとす、此れ又王の功なり。天平地成し、率土咸く茂り、禎符顕見し、史筆を停めず、既に百木を連ね、兼ねて九尾を呈し、素は秦雀に過ぎ、蒼は周烏に比す、此れ又王の功なり。管庫を捜揚し、衣冠序を獲、礼云楽云、銷沈俱に振い、徭を軽くし賦を徹し、獄を矜み刑を寛にし、大信外に彰け、深仁遠く洽う、此れ又王の功なり。王は日下を安んずるの大勳有り、光を表し明らかなるの盛徳を加え、洪猷を宣贊し、以て朕言を左右す。昔旦・奭外に分かれ、毛・畢入りて佐く、出内の任、王宜しく之を総ぶべし。

人謀と鬼謀とが、両儀 (天地) の契りに協い、錫命 (天子が臣下に とも える車服などの賜物) の行われるは、義は公道を申すなり。王が律を践み礼を蹈み、物を軌し蒼生を治め、円首 (民) を安んじて志し、率いて心を道に帰するにより、ここに王に大路・戎路各一、玄牡二駟を錫う。王は民天 (民を天と見なす) を深く重んじ、ただ本を務め、衣食の用、栄辱の由る所とす、ここをもって王に袞冕の服を錫い、赤舄を副う。王は恵み広く和やかにして、風化を調え易え、神祇すら格り、 功德象 かたど るべし、ここをもって王に軒懸の楽を錫い、六佾の舞を錫う。王の 風声赫 かがや き振るい、九域ことごとく やす んじ、遠人率いて したが い、奔走して みつぎもの を委ぬ、ここをもって王に朱戸を錫いて居らしむ。王は賢を求め衆を選び、草萊 (民間) 以て尽き、力を陳べて列に就き、人にあらざるは し、ここをもって王に納陛を錫いて登らしむ。王の英図猛概、千品を抑揚し、毅然たる節、 是非違 そむ くを つつし む、ここをもって王に武賁の士三百人を錫う。王は興亡の かか る所、幽顕を制し極め、行いを糾して天討を行い、罪人ことごとく得う、ここをもって王に鈇鉞各一を錫う。王は鷹揚豹変、実に下土を扶け、狼顧鴟張、弾射せざるは罔し、ここをもって王に彤弓一・彤矢百・盧弓十・盧矢千を錫う。王の孝悌の至り、神明に通じ、民を率いて行いを興し、区宇に感達す、ここをもって王に秬鬯一卣を錫い、珪瓚を副う。往け、 つつし めよ。その往冊を祗順し、皇家を保弼し、以て なんじ が休徳を終え、我が太祖の顕命に対揚せよ。

魏帝は天人 (天下の人) の望み帰する所あるを以て、丙辰の日、詔を下して曰く。

三才 (天地人) が剖判し、百王代々興り、天を治め地を静め、神を和し鬼を敬い、民を庇い物を造るは、皆霊符より自り、一人の大宝に非ず、実に有道の神器なり。昔我が宗祖応運し、区宇を おお い、聖を歴て重光し、九葉 (九代) に至る。 徳嗣 がず、仍屯圮 (困難と破壊) い、名を盗み字する者九服に遍く、制命を ほしいまま にする者三公に止まらず、主殺され朝危うく、 人神繫 かか る所なく、天下の大、将に魏有とすべからず。頼むに斉献武王霊武を奮揚し、多難を り、日月を重ね懸け、参辰を更に つな ぎ、廟を以て掃除し、 国由 り再造し、鴻勲巨業、徳を以て称すべからず。文襄構えを承くに逮び、 世業愈 いよいよ 広く、邇きは安んじ遠きは服し、海内晏如たり、国命已に康んじ、生生 (民) 性を得たり。相国斉王に至り、文を よこ ぎ武を経とし、 の大業を統べ、睿を尽くし幾を窮め、深く研ぎ化を測り、思は冥運に随い、智は神行と与にし、恩は春天に比し、威は夏日に同じ、至心を万物に坦き、大道を八方に おお う。故に百僚師師 (手本として) し、朝に秕政 (悪政) 無く、網疏 (法網が緩やか) にして沢洽 (恵みが行き渡) り、率土 (天下) 心に帰す。外は江淮を尽くし、風靡して屈膝し、地を ひら き人を懐け、百城奔走す。関隴は義を慕いて好を請い、瀚漠 (大漠) は徳を仰ぎて誠を致す。 これ 所謂命世応期、実に千載を でんとす。禎符雑遝 (多く集まり) 、異物同途、謳頌填委 (満ちあふれ) 、殊方一致、代終の ここ ここ に表れ、人霊の契已に合い、天道遠からず、我独り知るに非ず。朕は鴻休 (大いなる美) さん ぎ、将に世祀を承けんとす。援立の厚きを かり て、宗社の はかりごと を延べ、静かに大運を言えば、賢を避くるを よろこ び、遠く唐虞禅代の典を惟い、近く魏晋揖譲の風を想う。その興替の礼を くら ますべくや、神祇の望みを とど むべけんや。今便ち別宮に遜り、帝位を斉国に帰す。聖を推して能に与け、 はる かに前軌に符す。主者 (主管官) 天下に宣布し、時を以て施行せよ。

また兼太尉彭城王元韶・兼 司空 しくう 敬顕儁を使わして冊を奉らせて曰く。

ああ 爾相国斉王よ。夫れ気分かれて形化し、物は君長に繫り、 皇王遞 たがい に興り、人一姓に非ず。昔、放勳 (尭) 世を ぎょ し、璧を沈めて子 (舜) に属す。重華 (舜) 暦を握り、衡を持ち璇を擁す。これをもって英賢茂実、千古に 昭晰 あきらか なり。豈に盛衰運有り、興廃時に在り、命を知れば授くるを得ざるべからず、天を畏るれば受くるべからざるべからざるや。是をもって 漢劉否 を告げ、当塗 (魏) 民に順い、曹暦永からず、金行 (晋) 禅を納る。此れ皆重規襲矩、旧章に率由する者なり。

我が祖宗光宅し、万宇を混一す。正光の末に至り、奸孽権に乗じ、厥の政多く よこしま にして、九域離蕩す。永安 (孝荘帝年号) 運窮まり、 人霊殄瘁 つか れ、群逆天に みなぎ り、四海を割裂し、国土臣民、行い魏有に非ず。斉献武王期に応じて手を授け、鳳挙龍驤し、廃極を挙げて天を立て、傾柱を扶けて地を鎮め、黎毒 (悪人) を剪滅し、我が墜ちたる暦を匡し、魏室に大徳有り、蒼生に 博利被 おお う。文襄軌を継ぎ、前業を誕光 (大きく輝か) せ、内には凶権を うちたお し、外には侵叛を くだ き、遐邇 (遠近) 粛晏 しずか にして、功上玄 (天) に格る。王は神祇徳に協い、一世を舟梁 (橋渡) し、文を体し武を昭かにし、変を追い微を窮む。藩旟 (藩王の旗) に跡を挙ぐるより、頌歌総集し、機衡 (政権) を統べ入るるに及び、風猷弘遠なり。大いに世業を承け、国を扶け家を さか んにするに及び、 相徳日躋 のぼ り、 覇風愈 いよいよ はるか なり。 威霊斯 ここ びては荒遠賓馳し、 声略播 ひろ まる所にして隣敵順款す。以て富有の資、英特の気を運らし、顧盻の間、服さざる無き思い有り。 図諜潜蘊 ひそ み、千祀彰明、嘉禎幽秘、一朝紛委 (多く集) い、以て代徳の期を表し、用いて興邦の迹を啓く。蒼蒼 (天) 上に在り、照臨遠からず。朕は 虚昧 うつけ を以て、猶未だ逡巡し、静かに言えば之を じ、坐して旦を待つ。且つ時来り運往き、媯舜 (舜) 暇あらずして当陽 (天子の位に当た) り、世革め命改まり、伯禹 (禹) 北面 (臣下の礼) に容れられず。況んや寡薄 (徳薄き身) を於いて、而して躊躇すべけんや。是をもって穹昊 (天) に仰ぎ協い、百姓に して従い、敬って帝位を以て王に授く。天禄永く終わり、 大命格 いた れり。 於戲 ああ 、その暦数を祗承し、 まこと に其の中を執り、天休に対揚し、斯の年千万、豈に盛んならざらんや。

また璽書を帝に致し、兼太保彭城王元韶・兼 司空 しくう 敬顕儁を使わして皇帝璽綬を奉らせ、禅代の礼は一に唐虞・漢魏の故事に依る。また 尚書令 しょうしょれい さか 之、百僚を率いて進むを勧む。戊午の日、乃ち皇帝の位に即くこと南郊に於いて、壇に升り柴燎して天に告げて曰く。

皇帝臣洋敢えて玄牡を用い、皇皇后帝に昭告す。否泰相沿い、 廃興迭 たがい に用い、至道親無く、運に応じて斯に輔く。上は唐虞を覧、下は魏晋を稽うるに、 だれ も天に先だち揖譲し、暦を考うるに終に帰す。魏氏多難、年将に三十、孝昌已後、内外之を去る。世道横流し、蒼生塗炭す。頼むに我が献武、其の将に溺れんとするを すく い、三たび元首を建て、再び宗祧 (宗廟) を立て、群凶を掃絶し、奸宄を芟夷す。徳は黔黎に被い、勲は宇宙に光る。文襄武を嗣ぎ、克く鴻基を構え、功は寰宇に ゆきわたり 、威は海外に陵し、窮髪 (遠方) 音を懐き、 西寇款 したが いを納れ、青丘候を保ち、丹穴来庭し、危機を扶翼し、頽運を重ね匡す。是れ則ち魏室に大造有り。

魏帝は卜世 (王朝の運命) 終わりを告げ、上霊徳を いと い、昊天を 欽若 つつしみしたが い、允に大命に帰し、以て臣洋に禅る。夫れ四海至公、天下一と為り、民を総べ世を つかさど るに、之に君を樹つ。既に川嶽符を啓き、人神祉を いた し、群公卿士、八方兆庶、 みな 曰く皇極乃ち上を顧み、魏朝下に推進し、天位暫くも虚しうすべからず。遂に群議に せま られ、恭しく大典を く。 みだり に寡薄を以て、兆民の上に托す。天威顔に在りと雖も、咫尺遠からず、躬を めぐ り自ら省み、実に 祗惕 つつしみおそれ を懐く。敬って元辰を えら び、壇に升り禅を受け、 ここ に類して上帝に告げ、以て万国の心に答え、永く嘉祉を隆んにし、有斉を保祐し、以て無窮の祚に被さん。

この日、京師に赤雀を獲て、南郊に献ず。事畢りて、宮に還り、太極前殿に御す。詔して曰く、「徳無くして称せられ、刑に代えて礼を以てし、言わずして信あり、春を先にして秋を後にする。故に惻隠の化は、天人一揆なり、弘宥の道は、今古同風なるを知る。朕虚薄を以てし、功業紀す無し。昔、先の献武王、魏の世に造らざるに値い、九鼎行き出ず。乃ち侯伯を駆御し、燕・趙に大号し、其の顛墜を拯い、亡ぶれば則ち存せしむ。文襄王は外に武功を挺ち、内に明徳を資け、先業を纂戎し、土を辟き遠を服す。年は二紀を逾え、世は両都を歴たり、獄訟に適有り、謳歌斯に在り。故に魏帝は俯して歴数に遵い、爰に褰裳を念い、遠く唐・虞を取り、終に脱屣に同じ。実に幽憂未だ已まず、志は陽城に在り。而るに群公卿士、誠守愈切にして、遂に代終に属し、民上に居る。深水に渉るが如く、終朝に眷有り。始めて晋陽を発し、九尾瑞を呈し、外壇天に告げ、赤雀祉を効す。惟れ爾文武不貳心の臣、股肱爪牙の将、左右先王し、大業を克隆し、永く誠節を言い、共に此の休祉を斯くす。億兆と同しく茲の日を始めんと思い、其れ天下を大赦す。武定八年を改めて天保元年と為す。其の百官は階を進め、男子は爵を賜い、鰥寡六疾、義夫節婦は、旌賞各差有り。」

己未、詔して魏帝を封じて中山王と為し、食邑一万戸とす。上書に臣と称せず、答に詔と称せず、天子の旌旗を載せ、魏の正朔を行い、五時の副車に乗ず。王の諸子を封じて県公と為し、邑一千戸とす。絹一万匹、銭一千万、粟二万石、奴婢二百人、水碾一具、田百頃、園一所を奉ず。詔して皇祖文穆王を追尊して文穆皇帝と為し、妣を文穆皇后と為し、 皇考 こうこう 献武王を献武皇帝と為し、皇兄文襄王を文襄皇帝と為す。祖宗の称は、外に付して速やかに議して以て聞かしむ。辛酉、王太后を尊びて皇太后と為す。乙丑、詔して魏朝の封爵を降すこと各差有り。其の 信都 しんと に義に従い及び霸朝に宣力せる者、及び西来の人並びに武定六年以来南来して投化せる者は、降限に在らず。辛未、大使を四方に遣わし、風俗を観察し、民の疾苦を問い、長吏を厳しく勒し、廉平を以て厲し、利を興し害を除き、務めて安静を存す。若し法に時に便ならざる有り、政に事に未だ尽きざる有らば、具に条して得失をし、還りて以て聞奏せしむ。甲戌、神主を太廟に遷す。

六月己卯、高麗使いを遣わして朝貢す。辛巳、詔して曰く、「頃者風俗流宕し、浮競日滋し、家に吉凶有れば、務めて勝異を求む。婚姻喪葬の費、車服飲食の華、動もすれば歳資を竭くして、以て日富を営む。又奴僕は金玉を帯び、婢妾は羅綺を衣い、始めは創出を以て奇と為し、後は過前を以て麗と為す。上下貴賤、復た等差無し。今運惟新に属し、往弊を蠲がんと思い、朴に反り淳に還り、民を納れて軌物と為す。事を量りて具に条式を立て、儉にして中を得しむべし。」又詔して崇聖侯を封じ邑一百戸とし、以て孔子の祀を奉ぜしむ。並びに魯郡に下し以て時に廟宇を修治せしめ、務めて褒崇の至を尽くさしむ。詔して使人を分遣し致祭を五嶽四瀆に致し、其の堯祠舜廟、下は孔父・老君等に至るまで祀典に載する者は、咸く秩して遺れ無し。詔して曰く、「冀州の渤海・長楽二郡は、先帝始めて封ぜられたる国、義旗初めて起これる地なり。 へい 州の太原、青州の斉郡は、 霸業 はぎょう の所在、王命の是れ基く所なり。君子作る有れば、貴くも本を忘れず、恩洽を申さんと思い、田租を蠲復す。斉郡・渤海は並びに一年を復すべく、長楽は二年を復し、太原は三年を復すべし。」

詔して故太傅 孫騰 そんとう 、故太保尉景、故大司馬婁昭、故 司徒 しと 高昂 こうこう 、故尚書左僕射 慕容 ぼよう 紹宗 ぼようしょうしゅう 、故領軍万俟干、故定州刺史段栄、故御史中尉劉貴、故御史中尉 竇泰 とうたい 、故 殷州 いんしゅう 刺史劉豊、故済州刺史蔡俊等は並びに左右先帝し、皇基を経賛し、或いは不幸早く徂し、或いは王事に殞身せり。使者を遣わして墓に就き致祭せしめ、並びに妻子を撫問し、存亡に逮りて慰めしむべし。又詔して宗室高岳を封じて清河王と為し、高隆之を平原王と為し、高帰彦を平秦王と為し、高思宗を上洛王と為し、高長弼を広武王と為し、高普を武興王と為し、高子瑗を平昌王と為し、高顕国を襄楽王と為し、高睿を趙郡王と為し、高孝緒を脩城王と為す。又詔して功臣厙狄干を封じて 章武王 しょうぶおう と為し、斛律金を咸陽王と為し、賀抜仁を安定王と為し、韓軌を安德王と為し、可朱渾道元を扶風王と為し、彭楽を陳留王と為し、潘相楽を河東王と為す。癸未、詔して諸弟青州刺史浚を封じて永安王と為し、尚書左僕射淹を平陽王と為し、定州刺史浟を彭城王と為し、儀同三司演を常山王と為し、冀州刺史渙を上党王と為し、儀同三司淯を襄城王と為し、儀同三司湛を長広王と為し、湝を任城王と為し、湜を高陽王と為し、済を博陵王と為し、凝を新平王と為し、潤を馮翊王と為し、洽を漢陽王と為す。

丁亥、詔して王子殷を立てて皇太子と為し、王后李氏を皇后と為す。庚寅、詔して太師厙狄干を以て太宰と為し、 司徒 しと 彭楽を太尉と為し、 司空 しくう 潘相楽を 司徒 しと と為し、開府儀同三司 司馬子如 しばしじょ 司空 しくう と為す。辛卯、前太尉・清河王岳を以て使持節・驃騎大将軍・司州牧と為す。壬辰、詔して曰く、「今より已後、諸に文啓有りて事を じ並びに要密を陳するは、有司悉く為に奏聞すべし。」己亥、皇太子初めて東宮に入るを以て、畿内及び へい 州の死罪已下を赦し、余州は死を降し、徒流已下は一に皆原免す。

秋七月辛亥、詔して文襄妃元氏を尊びて文襄皇后と為し、宮を静德と曰う。又詔して文襄皇帝の子孝琬を封じて河間王と為し、孝瑜を河南王と為す。乙卯、 尚書令 しょうしょれい ・平原王隆之を以て録尚書事と為し、尚書左僕射・平陽王淹を 尚書令 しょうしょれい と為す。又詔して曰く、「古人は鹿皮を以て衣と為し、書囊を以て帳を成す。盛徳を懐う有り、風流想うべし。其の魏の御府の所有する珍奇雑彩、常に人に給せざる者は、徒らに蓄積するのみ。命じて宜しく悉く出だし、内後園に送り、以て七日間の宴賜に供すべし。」

八月、詔して郡国に黌序を修立し、髦俊を広く延べ、儒風を敦述せしむ。その国子学生もまた仰いで旧に依り銓補し、師説に服膺し、『礼経』を研習せしむ。往者文襄皇帝の運びし蔡邕の石経五十二枚は、即ち宜しく学館に移置し、次第に修立すべし。また詔して曰く、「能く直言正諫し、罪辜を避けず、謇謇として朱雲の若く、諤諤として周舍の若く、朕が意を開き、朕が心を沃し、一人を弼け、百姓に利を兼ぬる者あらば、必ず当に寵して栄祿を以てし、不次を以て待つべし」と。また曰く、「諸の牧民の官は、仰いで専ら農桑に意を注ぎ、勤めて心を勧課に尽くし、天地の利を広く収め、以て水旱の災に備うべし」と。庚寅、詔して曰く、「朕は虚寡を以て、王業を嗣ぎ弘む。思うに盛績を讃揚し、之を万古に播く所以なり。史官の筆を執るも、聞く有りて墜つること無しと雖も、猶ほ緒言遺美、時に或いは未だ書かれざるを恐る。在位の王公文武大小、降りて民庶に及び、爰に僧徒に至るまで、或いは親しく音旨を奉じ、或いは承伝傍説する所の、凡そ文籍に載すべきものは、悉く宜しく条録して封上すべし」と。甲午、詔して曰く、「魏世に議定せし『麟趾格』は、遂に通制と為り、官司施用すれども、猶ほ未だ尽く善からず。群官をして更に論究せしむべし。治に適うの方、先ず要切を尽くす。綱を引き目を理め、必ず遺れ無からしむべし」と。

九月癸丑、 散騎常侍 さんきじょうじ ・車騎將軍・領東夷 校尉 こうい ・遼東郡開國公・高麗王成を以て、使持節・侍中・驃騎大將軍・領護東夷 校尉 こうい と為し、王・公は故の如し。梁の侍中・使持節・假黄鉞・ 都督 ととく 中外諸軍事・大將軍・承制・邵陵王蕭綸を詔して梁王と為す。庚午、帝は晋陽に如き、山陵に拝辞す。是の日、皇太子は涼風堂に入り居り、国事を監総す。

冬十月己卯、法駕を備え、金輅に御し、晋陽宮に入り、内殿にて皇太后に朝す。辛巳、 へい 州太原郡晋陽県及び相国府四獄の囚を曲赦す。癸未、茹茹国は使いを遣わして朝貢す。乙酉、特進元韶を以て尚書左僕射と為し、 へい 州刺史段韶を尚書右僕射と為す。丙戌、吐谷渾国は使いを遣わして朝貢す。壬辰、相国府を罷め、騎兵・外兵曹を留め、各々一省を立て、別に機密を掌らしむ。十一月、周の文帝は衆を率いて陝城に至り、騎を分かちて北に渡り、建州に至る。甲寅、梁の湘東王蕭繹は使いを遣わして朝貢す。丙寅、帝は親しく戎し出でて城東に次す。周の文帝は帝の軍容厳盛なるを聞き、歎じて曰く、「高歓死せず」と。遂に師を退く。庚午、宮に還る。十二月丁丑、茹茹・庫莫奚国並びに使いを遣わして朝貢す。辛丑、帝は晋陽より至る。

天保二年

二年春正月丁未、梁の湘東王蕭繹は使いを遣わして朝貢す。辛亥、円丘に事有り、神武皇帝を以て配す。癸亥、親しく籍田を東郊に耕す。乙酉、前黄門侍郎元世寶・通直散騎侍郎彭貴平は謀逆し、死を免じて辺に配す。太廟に事有り。甲戌、帝は城東に舟を泛ぶ。二月壬辰、太尉彭楽は謀反し、誅に伏す。壬寅、茹茹国は使いを遣わして朝貢す。三月丙午、襄城王淯薨ず。己未、梁の承制湘東王繹を詔して梁の使持節・假黄鉞・相国と為し、梁台を建て、百揆を総べ、承制せしむ。梁の交州刺史李景盛・梁州刺史馬嵩仁・義州刺史夏侯珍洽・新州刺史李漢等並びに州を率いて内附す。庚申、 司空 しくう 司馬子如は事に坐して免ぜらる。夏四月壬辰、梁王蕭繹は使いを遣わして朝貢す。閏月乙丑、室韋国は使いを遣わして朝貢す。五月丙戌、合州刺史斛斯顯は梁の歴陽鎮を攻め剋つ。丁亥、高麗国は使いを遣わして朝貢す。是の月、 侯景 こうけい は梁の簡文を廃し、蕭棟を立てて主と為す。六月庚午、前 司空 しくう 司馬子如を以て太尉と為す。七月壬申、茹茹は使いを遣わして朝貢す。癸酉、行台郎邢景遠は梁の龍安戍を破り、鎮城李洛文を獲る。己卯、顕陽殿を改めて昭陽殿と為す。九月壬申、詔して諸の伎作・屯・牧・雑色役隷の徒を免じて白戸と為す。癸巳、帝は趙・定二州に如き、因りて晋陽に如く。冬十月戊申、宣光・建始・嘉福・仁寿諸殿を起す。庚申、蕭繹は使いを遣わして朝貢す。丁卯、文襄皇帝の神主は廟に入る。十一月、侯景は梁主を廃し、僭りて偽位に即き建鄴に於て、自ら漢と称す。十二月、中山王 す。

天保三年

三年春正月丙申、帝は親しく代郡に於て庫莫奚を討ち、大いに之を破り、雑畜十余万を獲り、分かちて将士に賚い各々差有り。奚口を以て山東に付し民と為す。二月、茹茹の主阿那瓌は突厥の虜に破られ、瓌は自殺し、其の太子庵羅辰及び瓌の従弟登注俟利発・注の子庫提は並びに衆を擁して来奔す。茹茹の余衆は注の次子鉄伐を立てて主と為す。辛丑、契丹は使いを遣わして朝貢す。三月戊子、司州牧清河王嶽を以て使持節・南道大 都督 ととく と為し、 司徒 しと 潘相楽を以て使持節・東南道大 都督 ととく と為し、及び行台辛術と衆を率いて南伐す。癸巳、梁王蕭繹を詔して進めて梁主と為す。夏四月壬申、東南道行台辛術は広陵に於て伝国璽を送る。甲申、吏部尚書楊愔を以て尚書右僕射と為す。丙申、室韋国は使いを遣わして朝貢す。六月乙亥、清河王岳等は師を班す。丁未、帝は晋陽より至る。乙卯、帝は晋陽に如く。九月辛卯、帝は へい 州より離石に幸す。冬十月乙未、黄櫨嶺に至り、仍りて長城を起し、北は社干戍に至る四百余里、三十六戍を立つ。十一月辛巳、梁王蕭繹は江陵に於て帝位に即く、是を元帝と為し、使いを遣わして朝貢す。十二月壬子、帝は宮に還る。戊午、帝は晋陽に如く。

天保四年

四年春正月丙子、山胡が離石を包囲す。戊寅、帝之を討つ。未だ至らざるに、胡既に逃竄す。因りて三堆戍を巡り、大いに狩して帰る。戊寅、庫莫奚使いを遣わして朝貢す。己丑、新銭を改めて鋳造し、文に「常平五銖」と曰う。二月、茹茹の主鉄伐の父登注及び子庫提を送りて北に還す。鉄伐尋いで契丹に殺され、国人復た登注を立てて主と為す。仍て其の大人阿富提等に殺され、国人復た庫提を立てて主と為す。夏四月戊戌、帝宮に還る。戊午、西南に大音雷の如し。五月庚午、帝林慮山に校猟す。戊子、宮に還る。九月、契丹塞を犯す。壬午、帝北に冀・定・幽・安を巡り、仍て北に契丹を討つ。冬十月丁酉、帝平州に至る。遂に西道より長塹に趣く。詔して 司徒 しと 潘相楽に精騎五千を率いしめ、東道より青山に趣かしむ。辛丑、白狼城に至る。壬寅、昌黎城を経る。復た詔して安德王韓軌に精騎四千を率いしめ、東に趣きて契丹の走路を断たしむ。癸卯、陽師水に至り、道を倍し兼行して、契丹を掩襲す。甲辰、帝親ら山嶺を踰え、士卒の先と為り、指麾奮撃し、大いに之を破り、虜獲すること十万余口、雑畜数十万頭。楽又た青山に於て契丹の別部を大破す。虜したる生口は皆諸州に分置す。是の行、帝頭を露わし膊を袒ぎ、昼夜息まず、千余里を行き、唯だ肉を食い水を飲むのみ。壮気弥厲なり。丁未、営州に至る。丁巳、碣石山に登り、滄海に臨む。十一月己未、帝平州より、遂に晋陽に如く。閏月壬寅、梁帝使いを遣わして来聘す。十二月己未、突厥復た茹茹を攻む。茹茹国を挙げて南奔す。癸亥、帝晋陽より北して突厥を討ち、茹茹を迎え納る。乃ち其の主庫提を廃し、阿那瑰の子庵羅辰を立てて主と為し、之を馬邑川に置き、其の稟餼繒帛を給す。親ら朔州に於て突厥を追う。突厥降を請う。之を許して還る。是に於て貢献相継ぐ。

天保五年

五年春正月癸巳、帝山胡を討ち、離石道より進む。太師・咸陽王斛律金を遣わして顕州道より、常山王演を遣わして晋州道より進めしめ、掎角夾攻して大いに之を破り、首数万を斬り、雑畜十余万を獲、遂に石楼を平らぐ。石楼は険絶にして、魏の世より能く至る者なし。是に於て遠近の山胡、服せざる莫し。是の月、周の文帝 西魏 せいぎ の主を廃し、斉王廓を立てる。是を恭帝と為す。三月、茹茹の庵羅辰叛く。帝親ら討ち、大いに之を破る。辰父子北に遁る。太保賀抜仁、節度に違えるに坐し、名を除かる。夏四月、茹茹肆州を寇す。丁巳、帝晋陽より之を討ち、恒州の黄瓜堆に至る。虜騎走る。時に大軍已に還る。帝麾下の千余騎を率い、茹茹の別部数万に遇う。四面囲逼す。帝神色自若、形勢を指画す。虜衆披靡し、遂に兵を縦して囲を潰し出づ。虜乃ち退走す。之を追撃し、尸二十里に伏し、庵羅辰の妻子及び生口三万余人を獲る。五月丁亥、地豆干・契丹等国並びに使いを遣わして朝貢す。丁未、北して茹茹を討ち、大いに之を破る。六月、茹茹部衆を率いて東に徙り、将に南侵せんとす。帝軽騎を率いて金山の下に於て邀撃す。茹茹聞きて遠く遁る。秋七月戊子、粛慎使いを遣わして朝貢す。壬辰、罪人を降す。庚戌、帝北伐より至る。八月丁巳、突厥使いを遣わして朝貢す。庚子、司州牧・清河王嶽を以て太保と為し、 司空 しくう 尉粲を 司徒 しと と為し、太子太師侯莫陳相を 司空 しくう と為し、 尚書令 しょうしょれい ・平陽王淹に尚書事を録せしめ、常山王演を 尚書令 しょうしょれい と為し、中書令・上党王渙を尚書左僕射と為す。乙亥、儀同三司元旭、罪に坐し賜死す。丁丑、帝晋陽に幸す。己卯、開府儀同三司・録尚書事・平原王高隆之薨ず。是の月、詔して常山王演・上党王渙・清河王岳・平原王段韶等に衆を率いしめ、洛陽の西南に於て伐悪城・新城・厳城・河南城を築かしむ。九月、帝親ら臨幸し、以て周師を致さんと欲す。周師出でず。乃ち晋陽に如く。冬十月、西魏江陵に於て梁の元帝を伐つ。詔して清河王岳・河東王潘相楽・平原王段韶等に衆を率いしめて之を救わしむ。未だ至らざるに江陵陥ち、梁の元帝西魏の将于謹に殺さる。梁の将王僧弁建康に在り、共に推して晋安王蕭方智を太宰・ 都督 ととく 中外諸軍と為し、制を承けて百官を置く。十二月庚申、帝北巡して達速嶺に至り、山川の険要を覧て、将に長城を起さんとす。

天保六年

六年春正月壬寅、清河王岳が衆軍を率いて長江を渡り、夏首を陥れる。梁の郢州刺史陸法和を送る。詔して梁の 散騎常侍 さんきじょうじ ・貞陽侯蕭明を梁主とし、尚書左僕射・ 上黨 じょうとう 王渙に衆を率いてこれを送らしむ。二月甲子、陸法和を使持節・ 都督 ととく 荊雍江巴梁益湘萬交廣十州諸軍事・太尉公・大 都督 ととく ・西南道大行臺とし、梁の鎮北將軍・侍中・荊州刺史宋茝を使持節・驃騎大將軍・郢州刺史とす。甲戌、上黨王渙、譙郡を陥る。三月丙戌、上黨王渙、東關を陥れ、梁の将裴之横を斬り、数千を俘斬す。丙申、帝、晋陽より至る。世宗の二子孝珩を広寧王に、延宗を安德王に封ず。戊戌、帝、昭陽殿に臨みて獄を聴き訟を決す。夏四月庚申、帝、晋陽に如く。丁卯、儀同蕭軌、梁の晋熙城を陥れ、これを以て江州とす。戊寅、突厥、使いを遣わして朝貢す。梁の反人李山花、自ら天子と号し、魯山城を逼る。五月乙酉、鎮城李仲侃、これを撃ち斬る。庚寅、帝、晋陽より至る。蕭明、建鄴に入る。丁未、茹茹、使いを遣わして朝貢す。六月壬子、詔して曰く、「梁国禍に遭い、主喪え臣離る。かの炎方に遠く、荊棘を尽くして生ず。興亡継絶の義、我に在り。長君を納れてその危弊を拯わんとす。比来梁主を送りて、すでに金陵に入る。藩礼既に修まり、分義方に篤し。越鳥の思、豈に南枝を忘れんや。凡そ是の梁民、宜しく国に反るを聴き、礼を以て発遣すべし」。丁卯、帝、晋陽に如く。壬申、親しく茹茹を討つ。甲戌、諸軍、祁連池に大会す。乙亥、塞を出で、厙狄谷に至る。百余里内に水泉無く、六軍渴乏す。俄かに大雨。戊寅、梁主蕭明、その子章及び兼侍中袁泌・兼 散騎常侍 さんきじょうじ 楊裕を使わし、表を奉じて朝貢せしむ。秋七月己卯、帝、白道に頓し、輜重を留め、親しく軽騎五千を率いて茹茹を追う。壬午、懐朔鎮に及びて之に及ぶ。帝躬ずるに矢石に当たり、頻りにこれを大破し、遂に 沃野 よくや に至り、その俟利藹焉力婁阿帝・吐頭発郁久閭状延等を獲、並びに口二万余、牛羊数十万頭。茹茹の俟利郁久閭李家提、部人数百を率いて降る。壬辰、帝、晋陽に還る。九月乙卯、帝、晋陽より至る。冬十月、梁の将陳霸先、王僧辯を襲いこれを殺し、蕭明を廃し、復た蕭方智を立てて主とす。辛亥、帝、晋陽に如く。十一月丙戌、高麗、使いを遣わして朝貢す。梁の秦州刺史徐嗣輝・南 州刺史任約等、石頭城を襲い拠り、並びに州を以て内附す。壬辰、大 都督 ととく 蕭軌、衆を率いて江に至り、 都督 ととく 柳達摩等を遣わし江を渡りて石頭を鎮守せしむ。東南道行台趙彦深、秦郡等五城を獲、戸二万余、所在これを安輯す。己亥、太保・司州牧・清河王岳薨ず。是の月、柳達摩、霸先の攻逼を受け、石頭を以て降る。十二月戊申、庫莫奚、使いを遣わして朝貢す。是年、夫一百八十万人を発し長城を築く。幽州北夏口より恒州に至る九百余里。

天保七年

七年春正月甲辰、帝、晋陽より至る。 鄴城 ぎょうじょう 西にて馬射し、大いに衆庶を集めてこれを観る。二月辛未、詔して常山王演等をして涼風堂に尚書の奏按を読ましめ、得失を論定せしめ、帝親しくこれを決す。三月丁酉、大 都督 ととく 蕭軌等、衆を率いて江を済す。夏四月乙丑、儀同婁睿、衆を率いて魯陽蛮を討ち、これを大破す。丁卯、詔して金華殿を造らしむ。五月丙申、漢陽王洽薨ず。是の月、帝、肉を以て慈を断つとし、遂に復た食わず。六月乙卯、蕭軌等、梁師と鐘山の西にて戦う。霖雨に遇い、利を失い、軌及び 都督 ととく 李希光・王敬寶・東方老・軍司裴英起並びに没し、士卒散還する者十二三。乙丑、梁の湘州刺史王琳、馴象を献ず。是年、三臺宮殿を修広す。秋七月己亥、大赦天下す。八月庚申、帝、晋陽に如く。九月甲辰、庫莫奚、使いを遣わして朝貢す。冬十月丙戌、契丹、使いを遣わして朝貢す。是の月、山東の寡婦二千六百人を発して軍士に配す。夫有りて濫りに奪わる者五分之一。是の月、周の文帝殂す。十一月壬子、詔して曰く、

崐山は鎮と作って、その号は神州。瀛海は池と為り、是を赤縣と称す。蒸民乃ち粒し、司牧存す。王者の制、沿革迭りに起り、方割りて災を成し、肇めて十二に分かち、水土既に平らぎて、還た九州に復す。道或いは繁簡、義は時に通ずるに在り。殷は夏に因りて、改作する所無し。然れども日月は天次に纏き、王公は地野に国す。皆な以て上は玄儀に叶い、下は川嶽に符す。秦政に逮び、区宇を鞭撻し、侯を罷めて守を置き、天下を家と為す。両漢の基を承け、曹・馬統に属するに洎りて、その間の損益、言い勝うべからず。魏は孝昌の季より、数たび澆否に鐘し、禄は公室を去り、政は多門より出で、衣冠道尽き、黔首塗炭す。銅馬・鉄脛の徒、黒山・青犢の侶、梟張す晋・趙に、豕突す燕・秦に、綱紀ここよりして頽れ、彝章これに因りて紊る。是れ豪家大族をして、郷部を鳩率し、勤王に托迹して、自ら署置するを規せしむ。或いは外家の公主、女謁内に成り、利を昧み財を納れ、州郡を立てるを啓く。大を離れ小を合わすは、本より時宜に逐う。竹を部し符を分かつは、 けだ し已むを得ざるなり。牧守令長、虚しくその数を増し、功を求め実を録するは、諒に煩わしきに足る。公私を損害し、弊を為すこと殊に久し。既に政を為すの礼に乖き、徒らに羊を駆るの費有り。爾来因循し、未だ遑あって刪改せず。朕寅に宝暦を膺け、恭しく八荒に臨み、国を建て野を経るに、務めて簡易に存す。将に躁を鎮めて静に帰し、薄を反して淳に還らんと欲す。苟しくもその中を失わば、理より刊正に従う。傍ら旧史を観、遠く前言を聴くに、周は成・康と曰い、漢は文・景と称す。編戸の多き、古今を最と為す。而るに丁口は疇日に滅し、守令は昔辰に倍す。以て俗を馭し風を調え、民に軌物を示すに非ざるなり。且つ五嶺内賓し、三江廻化し、土を拓き疆を開き、利は南海に窮まる。但だ要荒の所、旧より浮偽多く、百室の邑にして便ち州名を立て、三戸の民にして空しく郡目を張る。諸れの木犬に譬え、猶彼の泥龍のごとし。名に循いて実を督むれば、事烏有に帰す。今併省する所、一に別制に依る。

ここに於いて三州・一百五十三郡・五百八十九県・二鎮二十六戍を併省す。又刺史令は尽く兼行せしめ、幹物を与えずと制す。十二月、西魏の相宇文覚、魏の禅を受く。是に先立ち、西河総秦戍より長城を築き東は海に至る。前後築く所の東西凡そ三千余里、率ね十里に一戍し、その要害に州鎮を置く。凡そ二十五所。

天保八年

八年の春三月、大いに暑く、人によっては暑気に当たって死す。夏四月庚午、詔して諸々の蝦・蟹・蜆・蛤の類を取ることを悉く停止断絶せしめ、唯だ魚を捕ることを聴す。乙酉、詔して公私の鷹・鷂も亦た俱に禁絶す。太師・咸陽王斛律金を以て右丞相と為し、前大將軍・扶風王可朱渾道元を太傅と為し、開府儀同三司賀拔仁を太保と為し、 尚書令 しょうしょれい ・常山王演を 司空 しくう ・録尚書事と為し、長広王湛を 尚書令 しょうしょれい と為し、尚書右僕射楊愔を尚書左僕射と為し、 へい 省尚書右僕射崔暹を以て尚書右僕射と為し、上党王渙に録尚書事を兼ねしむ。是の月、帝城東に在りて馬射を行い、京師の婦女悉く観覧に赴かしむるを敕し、赴かざる者は軍法を以て罪す、七日にして乃ち止む。五月辛酉、冀州の民劉向京師に於いて謀逆し、党与皆伏誅せらる。秋八月己巳、庫莫奚使いを遣わして朝貢す。庚辰、詔す、丘・郊・禘・祫・時の祭祀は、皆市に仰ぎて取り、少牢は剖割するを得ず、有司監視し、必ず豊かに備わることを令す。農社・先蠶は、酒肉のみ。雩・禖・風・雨・司民・司祿・霊星・雑祀は、果餅・酒脯。唯だ当に誠敬を尽くすことを務むべく、義は「在すが如し」に同じ。夏より九月に至るまで、河北六州・河南十二州・畿内八郡大いに蝗有り。是の月、飛びて京師に至り、日を蔽い、声は風雨の如し。甲辰、詔して今年蝗に遭える処の租を免ず。是の月、周の冢宰宇文護其の主閔帝を殺し、帝の弟毓を立て、是を明帝と為す。冬十月乙亥、陳霸先其の主方智を しい して自立し、是を陳武帝と為し、使いを遣わして藩を称し朝貢す。是の年、長城の内に重城を築き、庫洛拔より東は塢紇戍に至るまで、凡そ四百余里。

天保九年

九年春二月丁亥、罪人を降す。己丑、詔して仲冬一月に野を燎くことを限り、他の時に行火することを得ず、昆虫草木を損ぜしむ。三月丁酉、帝晋陽より至る。夏四月辛巳、大赦す。是の夏、大いに旱す。帝祈雨応ぜざるを以て、西門豹祠を毀ち、其の冢を掘る。山東大いに蝗有り、夫役を差して捕え坑に埋む。是の月、北 州刺史司馬消難城を以て叛き、周に入る。五月辛丑、 尚書令 しょうしょれい ・長広王湛に録尚書事を兼ねしめ、驃騎大将軍・平秦王帰彦を尚書左僕射と為す。甲辰、前尚書左僕射楊愔を以て 尚書令 しょうしょれい と為す。六月乙丑、帝晋陽より北巡す。己巳、祁連池に至る。戊寅、晋陽に還る。秋七月辛丑、京畿の老人劉奴等九百四十三人に版職及び杖・帽を給し、各差有り。戊申、詔す、趙・燕・瀛・定・南営の五州及び司州広平・清河の二郡、去年螽澇田を損じ、兼ねて春夏雨少なく、苗稼薄き者は、今年の租賦を免ず。八月乙丑、晋陽より至る。甲戌、帝晋陽に如く。是の月、陳の江州刺史沈泰三千人を率いて内附す。是に先立ち、丁匠三十余万を発して鄴下に三台を営み、其の旧基に因りて高く博くし、大いに宮室及び遊 園を起こす。是に至り、三台成る。銅爵を改めて金鳳と曰い、金獣を聖応と曰い、冰井を崇光と曰う。十一月甲午、帝晋陽より至り、三台に登り、乾象殿に御し、群臣を朝讌し、並びに命じて詩を賦せしむ。新宮成るを以て、丁酉、大赦し、内外文武普く一大階を汎す。丁巳、梁の湘州刺史王琳使いを遣わして蕭庄を立てて梁主と為すことを請い、仍って江州を以て内属せしめ、庄をして之に居らしむ。十二月癸酉、詔して梁王蕭庄を梁主と為し、進めて九派に居らしむ。戊寅、太傅可朱渾道元を以て太師と為し、 司徒 しと 尉粲を太尉と為し、冀州刺史段韶を 司空 しくう と為し、録尚書事・常山王演を大司馬と為し、録尚書事・長広王湛を 司徒 しと と為す。是の月、大荘厳寺を起こす。是の年、永安王浚・上党王渙を殺す。

天保十年

十年春正月戊戌、 司空 しくう 侯莫陳相を以て大将軍と為す。甲寅、帝遼陽の甘露寺に如く。乙卯、詔して麻城に衡州を置く。二月丙戌、帝甘露寺に於いて禅居深観し、唯だ軍国の大政のみ奏聞す。三月戊戌、侍中高徳政を以て尚書右僕射と為す。丙辰、帝遼陽より至る。是の月、梁主蕭庄郢州に至り、使いを遣わして朝貢す。閏四月丁酉、司州牧・彭城王浟を以て 司空 しくう と為し、侍中・高陽王湜を尚書右僕射と為す。乙巳、 司空 しくう ・彭城王浟に太尉を兼ねしめ、皇子紹廉を封じて長楽郡王と為す。五月癸未、始平西の元世・東平西の元景式等二十五家を誅し、特進元韶等十九家並びに禁止を令す。六月、陳武帝殂ゆ、兄の子蒨立ち、是を文帝と為す。秋八月戊戌、皇子紹義を封じて広陽郡王と為し、尚書右僕射・河間王孝琬を尚書左僕射と為す。癸卯、詔す、諸軍民或いは父祖姓を改めて元氏に冒入し、或いは仮託携認して姓元を称するを忘るる者は、世数の遠近を問わず、悉く本姓に改復するを聴す。九月己巳、帝晋陽に如く。是の月、酈懐則・陸仁惠を使いとして蕭庄に使わす。冬十月甲午、帝晋陽宮徳陽堂に於いて 暴崩 ぼうほう す、時に年三十一。遺詔す、「凡そ諸凶事は一に儉約に依れ。三年の喪は、達礼と曰うと雖も、漢文の革創、昔より通行し、義存する有り、之に同じくするも可なり。喪月の断は三十六日を限とす。嗣主・百僚・内外遐邇制を奉じ情を割き、悉く公除に従え。」癸卯、喪を発し、宣徳殿に斂む。十一月辛未、梓宮京師に還る。十二月乙酉、太極前殿に殯す。乾明元年二月丙申、武寧陵に葬る。諡して文宣皇帝と曰い、廟号を威宗とす。武平の初、又た文宣と改め、廟号を顕祖とす。

帝は幼少より大度あり、志識は沈着にして聡明、外は柔和にして内は剛毅、果敢にして能く断ず。吏事を好み、始めを測りて終わりを知り、劇務を理め繁雑を処すること、終日倦まず。初めて大位を践むや、政術に心を留め、法を以て下を馭し、公道を先とす。或いは憲章に違犯する者あれば、密戚・旧勲といえども、必ず容赦せず、内外清靖にして、祗肅せざるは莫し。軍国の機策に至っては、独り懐抱に決し、規模は宏遠にして、人君の大略あり。また三方鼎跱し、諸夷未だ賓服せざるを以て、甲兵を修繕し、士卒を簡練し、左右の宿衛に百保軍士を置く。行陣に臨む毎に、親しく矢石に当たり、鋒刃交接するも、唯だ前敵の多からざるを恐れ、屡々艱危を犯し、常に克捷を致す。嘗て東山に遊讌し、関隴未だ平らかならざるを以て、杯を投げて震怒し、魏收を御前に召し、詔書を立てしめ、遠近に宣示して、将に西伐を事とせんとす。是の歳、周の文帝殂え、西人震恐し、常に隴を度るの計あり。既に征伐四克し、威は戎夏に振るうも、六七年の後、功業を以て自ら矜り、遂に留連耽湎し、淫暴を肆に行う。或いは躬自鼓舞し、歌謳息まず、旦より通宵し、夜を以て晝に継ぐ。或いは形體を袒露し、粉黛を塗傅し、散髮胡服し、錦彩を雜衣す。刃を抜き弓を張り、市肆に遊び、勳戚の第に、朝夕臨幸す。時に馲駝・牛・驢に乗り、鞍勒を施さず、盛暑炎赫、隆冬酷寒の時、或いは日中に身を暴し、衣を去りて馳騁し、從者堪えずとも、帝は之に居て自若たり。親戚貴臣、左右近習、侍從錯雜し、復た差等無し。淫嫗を徵集し、從官に分付し、朝夕臨視して、以て娛樂と為す。凡そ諸の殺害は、多く支解を令し、或いは之を火に焚き、或いは之を河に投ず。沈酗既に久しく、彌に以て狂惑し、末年に至りては、毎に諸の鬼物を見ると言い、亦た異音聲を聞くと云う。情に蒂芥あれば、必ず誅戮に在り、諸元の宗室咸く屠剿を加えられ、永安・上黨並びに冤酷を致し、高隆之・高德政・杜弼・王元景・李蒨之等皆な罪無きを以て害を加えらる。嘗て しん 陽に在りて槊を以て 都督 ととく 尉子耀を戲れ刺せば、手に応じて即ち殞る。又た三臺の大光殿上に在りて、鋸を以て 都督 ととく 穆嵩を鋸げば、遂に死に至る。又た嘗て開府暴顯の家に幸し、 都督 ととく 韓悊罪無きに、忽ち衆中より喚び出だして斬る。自餘の酷濫、勝げて紀すべからず。朝野憯憎し、各々怨毒を懐く。而して素より厳断を以て下に臨み、之に默識強記を加うるにより、百僚戰慄し、敢えて非を為さず、文武の近臣、朝に夕を謀らず。又た多く營繕し、百役繁興し、挙国騒擾し、公私勞弊す。凡そ諸の賞賚、復た節限無く、府藏の積、遂に空虚に至る。皇太后・諸王及び内外の勳舊より、愁懼危悚し、計る所無し。末年に及びては、進食すること能わず、唯だ数え酒を飲み、麴蘖災を成し、因りて斃るるに致る。

論ずるに曰く、高祖四胡を平定し、威権世に延ぶ。鄴に遷るの後、主器人あるも、号令の加うる所、政皆な自ら出ず。顯祖鴻業に因循し、内外協從し、朝より野に及び、群心属望す。 東魏 とうぎ の地、挙世推すを楽みしも、未だ期月に曾てず、玄運已に集る。始めは政事に心を存し、風化肅然たり、数年之間に、翕然として治を致す。其の後酒を縱にし欲を肆にし、事極めて倡狂、昏邪殘暴、近世未だ有らざるなり。國を饗くること永からず、実に斯の疾に由り、胤嗣殄絶するは、固より餘殃なる者也。

原本を確認する(ウィキソース):北齊書 巻004